20230226


 地元へ帰った。体感的には半年ぶりなのだけれど、12 月に大学の知人と地元を歩く回をやったときに一度、それと初日の出を目当てにサークルの後輩二人と地元の山の頂上まで行ったときに一度、合わせて二回は帰ってきていることになる。地元へ帰るたびに、以前まであったはずの何かが消滅していたり、あるいは新しく何かが誕生していたりという現場に遭遇するのだけれど、今回はコンビニエンスストアがあった場所にコインランドリーと弁当屋さんが新しくできていた。それはかつて、中高時代の友人がアルバイトをしていたコンビニエンスストアだった。立地上、入店する機会はそう多くなかったのだけれど、でも、こうして何かしらの形でタグ付けされていた対象が消えてしまったことを知るのは、なんだか寂しい。ところで、知らないままでいるほうがよっぽど寂しいという話もある。今日だって、わざわざ遠回りになる帰り道を選んだのは、つまりそういうこと。

 

 髪を切った。体感的には半年ぶり、と書いたのは、そもそも地元へ帰る目的の半分が行きつけの美容院へ足を運ぶためであることと、その美容院へ最後に訪れたのが去年の 10 月頭だったからだ。修論の忙しさに感けてなあなあにしていたけれど、三月ライブもあるし、そうでなくとも流石に許容できないくらいの鬱陶しさになってきたので流石に切りに行った。前回、偶然にも再会した中学時代の同級生、もとい現在は美容院の店員さんである彼女は今日もいた。別の美容師さんにカットをお願いしていたところ、後ろから声を掛けられた。「おかえり、京都からはるばる」。まさか声を掛けられるとは思っていなかったので、変な反応を返してしまったような。とはいえ、嬉しかった。わざわざ話しかけてくれたこともそうなのだけれど、おかえりって言葉、一人暮らしをしていると向けられる機会が全然ないもんな、という意味でも。ささやかな幸福。見慣れた地元の風景、その中にある人間関係に触れていると、大学関係の人と集まる場にいるときとはまた違うスイッチが入るような、そんな気がする。いや、間違いなく延長線上ではあるのだけれど、なんていうか、懐かしい感じがする、当たり前か。大学時代のことも、いつかはこんな風に懐かしく感じる日が来るわけか。そうこう考えている間にも作業は進んでいく。狂ったような毛量を毎度毎度担当させてしまっており、店員さんには本当に頭が上がらない。今日知ったこと、美容師を名乗るには国家資格が必要だけれど、ペットの毛をカットする仕事をするのには特に免許は必要ないらしい。面白い情報だった。「不思議ですね。同じくらい難しそうですけど」と言うと「いやあ、ペットのほうが難しいと思いますけどね~。だって動くし」と返され、なるほどたしかに、と思った。人間みたいに必ずしもじっとしててくれるわけではないもんな。良い感じにカットを済ませ、良い感じのシャンプーでわしゃわしゃされ、席へ戻るときに「ワックスとかって、使わないんじゃなくて、使い方を知らないんですよ」と話してみたところ、なんと目の前で実演してくれた。まあ、流石にプロの手際だからそうみえただけだろうけれど、思いのほか簡単そうだと思えたのと、あと、説明しているときの美容師さんがどことなく楽しそうにみえてよかった。職にするくらいだから、やっぱり好きなんだろうな。諸々を済ませて会計へ。これまでの自分なら絶対に目の向かなかったであろう場所、指。たった 20 円のお釣りを待ちながら、左手の薬指、結婚指輪。この世界で一番きれいなものをみたような。扉をくぐって、外。普通に寒くて、指先が痛かった。今朝、京都は雪降ってたしな。流石にもう雪は降らないんじゃないかなって話をした、その次の朝には裏切ってくるんだから節操ないというか何というか。やる気がありすぎだよね、今年の冬。

 

 実家に帰ったのは、……何か月ぶりだったんだろ、覚えてない。近況について話すことを求められ、ところで吝かでもないのでああだこうだと話したりした。卒業式に着ていく用のスーツってどこにあったっけなあとか、半年後くらいに一つ上の従兄が結婚式を挙げるらしいとか。一つ上……、そういえば一つ上か、文字へ起こすまで意識していなかった。人生のステップが早いなあと思いもしたけれど、でもそんなことないか。話を聞くに地元の同級生、想定で三割くらいはもう家庭を持っていそうだし、姉だってちょうどこれくらいの年齢で入籍してたし、たしか。割と一般的なのかも、27 前後で結婚とか何だとかをするのって。考えたこともないなと思いつつ、その式場が大阪と聞いて驚いたりした。従兄たちはいま九州付近に住んでいるため、何でまた大阪で……という話だ。あと、従兄が自分をやたらと式へ呼びたがっているらしい、という話を今日だけで二人から聞かされた。行くけどさ、全然、喜んで。というか、話も聞いてみたいかもな、ちょっとだけ。結婚に至るまでにどういう経緯があったのかとか、そういうの。なんていうか、以前の自分だったらあんまり興味を示さなかっただろうなという気はするのだけれど、いまはちょっと、いやかなり、関心がある。そこにはたぶん、自分の想像を優に飛び越えてくるくらいの良い話があるのだろうなという、読み手としての興味。話してくれるかなあ。まあ、半年後までにデッキを考えておこう。

 

 昨夜、眠る前、まあまあ嫌なことがあって、もう慣れたけど。いつものことかと思っても、嫌なものは嫌なんだよな。で、嫌だな~って気持ちをしまい込んだまま布団へ潜って。でも、それから人と話をして、その、嫌だな~って気持ちとは全然関係のないことをずっと。そうしたら本当にどうでもよくなったというか、いや、どうでもよくなったとかじゃなくて、そもそもの話、そのまますっかり忘れてしまっていた。ということに、地元の帰り道を歩いているときにようやく気がついた。そして、そのときにはもうどうでもよくなっていた。すごいな、と思う。自分ひとりだと、その、嫌という不快感をどうでもいいという無害へ変換するまでに、一定の時間を要する。誰だってそうか。時間をかければ必ず無害化できるのだけれど、ところでその間、嫌という気持ちはずっと停滞したままなわけで。しょーもなと思うけれど、でもそのまま抱え続けていると本当に潰されるし、ところで他人を巻き込むわけにもいかないから一人で何とかするしかなく。みたいな。みたいな面倒な行程を、綺麗に全部すっ飛ばすんだな~、と思った。そのくらいに鮮烈というか、途轍もない情報量による上書き。この世界で一番きれいなもの。寂しいとかじゃないな、と言っていた。たしかに、自分の持っているそれも、寂しいとかではない。なんだか似ているような気はするけれど、それはまあ、似ているような気がしているだけ。寂しいとかじゃなくて、じゃあ何なんだろうって考えてもみるけれど、その実、言語化なんて必要ないのかもなって気はする。した。これだけ文字に起こしておいて出てくる結論がそれなのかよって感じはするけれど、よく分からないままにしておいてもいいと思えるものもあるっていう、そういう話かもしれない。曰く、人は未知の対象に恐怖・嫌悪感を抱きがち、らしい。本当に? 本当かなあ。どうですか、数日前の山上一葉さん?