もう年末らしい


 年末って感覚、本当にありませんね、唐突ですけれど。なんていうか、なんだろうな。2020 年も今日で終わり、という意識はたしかにあるものの、だからどうしたんだ、的なサムシングもまたどこかにあるようなないような。ここでいう「だからどうしたんだ」は別に一年の終わりに対して逆張っているというわけではなくて、うまく言えませんけれど、「まあ、2020 年やり切った感あるしな」という印象から生えてきているそれのようでして、果たして本当にやり切ったのかと言われれば、そんなことは全くないような気がするものの、でもたしかにそんな感覚はあって。だからまあ、今になって 2020 年が終わりといわれても、「まあ、これだけのことをやったしな」みたいな、結構数の思い出が手元に残っていることを思えば、一年の終わりが差し迫っていることもそれはそれで当たり前といいますか、そういった意味での「だから、どうしたんだ」です。それはさておき、今日が 12 月 31 日であることは事実でして、つまり明日からは年が変わって 2021 年になるというわけです。自分は終わり人間なので年賀状の類を当然のように一切出しておらず(これになってからもうじき十年が経つ)(終焉)、そういった経緯からこの言葉を記す機会がほとんどなく、毎年 twitter に載せる程度のことしかしないのですが、せっかくこうして年末にブログを更新していることですし、ここに残しておこうと思います。本年はありがとうございました。来年もよろしくお願いしますね。

 とりあえず、今年初めて触れたものだったり始まったことだったりで、特に良かったと思うものについて書いていこうと思います。備忘録というわけでもありませんけれど、まあ、書いておけば忘れないので。

 あと、最後に『今年聴いて好きだった曲』みたいなのを列挙してあります。

 

Spotify
 まずこれ。ストリーミング系の音楽配信アプリなら何でもいいかと思いますが、自分の周り(作曲界隈周辺)で主に普及しているのは Spotify なので、自分もそちらへ流れていきました。今年の、たしか六月くらいだった気がするんですが、その辺りからプレミアムでの利用を始め、「どうして今まで触れてなかったんだ……?」という気持ちが凄まじかったことを覚えています。とはいえ、自分の音楽に対する向き合い方は『好きな曲を何度も繰り返し聴く』で、これはまあ音楽に限った話ではなく、小説やイラストなんかでも自分は気に入ったものを徹底的に分析したくなる側の人間で、だからってインプットをこなさなくてもよいというわけではないにせよ、どちらかといえば数をこなすよりは解像度を高めるほうに意識が向きがちな気がします。これは誇張表現ではなく、例えば BUMP の曲であれば自分は 1 曲あたり平均 200 回は聴いていると思うのですが、それでも曲を作るときにリファレンスとして聴き込む作業をしてみると新しい発見が幾つもあったり、「裏でこんな音鳴ってたの!?」みたいな。それは普段いかに音楽を雑に聴いているかという話ですけれど、そういったこともあって自分は『好きな曲を何度も繰り返し聴く』のが好きだったりします。聴けば聴くほど解像度が上がっていくのが楽しいっていうか、段々と色んな音に耳が向かうようになっていくのが好きなんですよね。何の話だって話ですけれど、だからまあ、Spotify みたいなストリーミング系は性質上自分にあまり向いていないんですよ。それが、ではどうして始めて良かったものたりえるのかといえば、以下のような理由からです。

 

〇 Recommend

 

 Spotify には(他のサービスでもあるかもしれませんが)共用プレイリスト機能があって、簡単に言えば、リンクを知っている全ユーザーが各々勝手に編集することのできるプレイリストを作ることができます。これがもうめちゃくちゃに良くて、なにかというと、自分の知っている音楽を他人に勧めるのってちょっとハードルが高いよなーと思うことが自分はままあって、本当に気の知れている相手なんかには twitter の DM とかで「聴け!!!!!!!!」と一言送り付けるんですが、でも、知り合ったばかりの相手だとか、付き合い始めて日の長い相手でも音楽の好みがよく分からなかったりだとか、「そういう人に音楽を勧めるのって難しくね?」という気持ちがあって。いや別に自分は誰かに音楽を布教したいだとか思うことはほとんどなく、良い曲を見つけたら twitter の TL に「良い~~~~~~~~」とか書いて放流するだけなんですが、だから逆で、自分が教えてほしいんですよね、良い音楽を。先に書いたように、自分は新規開拓ということをあまりしない(できない)人間で、だからといって自分の知らない音楽に無関心というわけでもなくて、そこで折り合いをつけるにはどうしたらいいかと考えて、「だったら、自分の知らない音楽を知っている人から教えてもらえばいいじゃん」っていう。そういった自分勝手な願望を叶えてくれるのが上記の Recommend 機能です。これがもう本当に素晴らしくて、自分の中で特に大きかったのは『三月のパンタシア』ですけれど、ほかにも古 J-POP、クラシック、ボカロ、声優、地下ドルとあらゆる楽曲群が集約され、おかげさまで自分の『お気に入りの曲』リストはかなり潤っています。本当にありがとうございます。Recommend は年中無休で受け付けていますので、「これ!!!!! 良いから聴け!!!!!!!!!」というのがもしあれば、いつでもよいので上のプレイリストへ突っ込んでおいてください。気が付いたタイミングで聴きます。

 

〇 V アフター
 今年一良かったものの一つ。所属している作曲サークルで週2回ある例会の後に催されていた企画ですが、各人が持ち寄った GOOD MUSIC を駄弁りながら聴くという、言ってしまえばそれだけのものでした(代表はお疲れ様です、本当に)。なんか、毎回二、三時間ほど行われていて、音楽的な話題が飛び交うこともあればそれでないこともありという感じでしたが、これが本当に有意義な時間で、むしろ「どうして今までなかったんだ?」と思ってしまうくらいに。会員たちの好みの一端を知ることができるということもあるのですが、それ以上に「いや、自分これ好きなんだが?!」みたいな音楽に期せずして出会うことができるというのが個人的には大きくて、Spotify のお気に入りの曲リストに入っているのは、さっきの Recommend とこの V アフターで知った曲がほとんどというくらいです。今年一年で確実に好きな音楽の幅が広がったな~という感覚があって、それまでも別に好きじゃなかったというわけではなく、単に知らなかっただけなんですが。というより、会員たちの dig 具合が本当に凄まじくて、「みんな、めっちゃ音楽聴いてるやん……」と戦々恐々とするばかりの 2020 年でした。いや、本当に。その恩恵に自分は授かりまくっている身なので、感謝の念しかありません。

 

〇 絵
 これは今年の末も末、12 月に入ってから始めたことですが、一応今年に始めたものであることには変わりないので書いておきます(描いた絵を上げるだけのアカウントも実はある:@1k88P)。自分の手元にはあとちょっとで二桁諭吉に届くというくらいの液タブが鎮座していて、それがいつ頃からのことかといえばなんと二年前からです。その間、まったく有効活用させることができていなかったのですが、今年の 12 月になって何を思ったのか急に「絵が上手くなりたい!!!!!!」と思い始めて。いや、一応理由めいたものがあるにはあって、それは今年の 9 月、所属サークルのライブイベントへ出演した際、自分は少々特殊な形式でやらせてもらうことにしたのですが、そのときに思ったのが「絵が描けたらもっと上手くやれたのにな~」ということで。曲を作って、ちょっとした話を書いて、ボイチェンができるので音声も当てて、……というところまでは完璧だったんですが、立ち絵や背景も欲しいなと思って。でも、当時の自分からすると背景らしき何かを生成するのが限界だったということがあり、結局はスマホのカメラロールに眠っていたエモ写真を引っ張り出してくることで及第点としたのですが、やっぱりどうせなら全部作りたかったよな~という気持ちはたしかにあって、それがついに爆発したのが今年の 12 月だったというわけです。着火剤になったのは『さいとうなおき』氏と『魔王マグロナ』氏のお二人方ですけれど、後者に関してはボイチェンの着火剤にもなっていたりするので、氏の存在を知れたのも今年のターニングポイントの一つではあったのかな、と思います。「とりあえず、100 枚描いてみたら多少は上手くなるかな」という目論見があり、もちろん絵の分析や勉強と同時並行ですることになりますけれど、ひとまずの目標値をそこに設定していて、とはいえこのペースだと来年になっても終わっていなさそう(まだ 6 枚しか描いていない)ですが、まあ大学生活はあと二年残されているので気楽に続けようと思います。……あと、「手描き MV を作るぞ!」みたいなことを言ってしまったので、それも実現できるように頑張ります。実現できるとは限りませんが……。

※これはダイマの類ではなく、本当に有益な情報なのでここに記しておくのですが、「絵の勉強がしたい!」という人は以下の再生リストを片っ端からみてゆくとよいです。めちゃくちゃ勉強になります。

www.youtube.com

 

 

 なんか、書き始めてから思いのほか時間が経ってしまっていたので、あとは今年聴いて好きだった曲なんかを適当に列挙して終わろうと思います。年末にもなって雑。

 ・スパークル - movie ver. / RADWIMPS

 何で今更?(映画で聴いたはずで、アルバムも持っていたのに、今年になって良さを再認識した) 

 

・Wylin - Original Mix / Cesqeaux

  今年一番聴いた Jersey Club。

 

・bath room_ / Maison book girl

  七拍子を感じさせないアレンジとメロディの不思議感が好き。

 

 ・アルファルド / sora tob sakana

 「自分ってポストロックが好きなのか」と気づかせてくれたのが sora tob sakana

 

 ・私たちはまだその春を知らない / AiRBLUE

  2020 年に聴いたコンテンツ楽曲の中では一番好みでした。

 

・Awakening / Betwixt & Between

  後輩に教えてもらった曲。めちゃくちゃ良かった。

 

・透明ガール / NONA REEVES

  Recommend から。最高純度の夏。

 

・キリフダ / PENGUIN RESEARCH

  展開力の鬼。それでいてキャッチーさがまるで損なわれていないのが本当に凄い。

 

 ・逆さまのLady / 三月のパンタシア

  『青春なんていらないわ』、『サイレン』と知れば知るほどに良を更新していった三月のパンタシアですが、自分の中ではこれが残りました。

 

・いただきバベル (Prod. ケンモチヒデフミ) / 黒鉄たま (CV: 秋奈)

 電音部の曲ではいまのところ一番好きです。電音部という括りを外しても相当に好き。

 

・失礼しますが、RIP♡ / Mori Calliope

 ここらへんで「自分って普通にラップ系の曲好きだな?」と思い始めました( PsyTrance と同じ匂いを感じている)。

 

・夜に駆ける / YOASOBI

 曲の存在を知ってからおよそ半年ほどちゃんと聴いてなかったんですが、もう、めちゃくちゃに好きでした。二番の B メロからの流れとかが。

 

・キボウだらけのEVERYDAY / フルーツタルト

  曲も歌詞も楽しくて好き(今期のアニメだったみたいですが、アニメのほうは未履修です……)。

 

 ・GETCHA! (feat. 初音ミク & GUMI) / Giga, KIRA

  今年一番好きだったボカロ曲です。

 

・mix juiceのいうとおり / UNISON SQUARE GARDEN

  今年の初め頃に聴いていたはずなのですが、サークルの忘年会時に良さを再認識し、おかげで 12 月中はずっと UNISON SQUARE GARDEN でした。この曲のおかげで、ギターを弾く際に Vm をすんなり抑えられるようになったという裏話もあります、実は。

 

・Soda Ritual / RefraQ

  めちゃくちゃ好き(このアルバム自体が相当良かった)。こういうのをもっと聴きたい。

 

 ・Ego On A Leash / Exode Vs Dustvoxx

soundcloud.com

 𝑽𝒆𝒓𝒚 𝑮𝒐𝒐𝒅 𝑭𝒓𝒆𝒏𝒄𝒉𝒄𝒐𝒓𝒆......

 

・And Then I Woke Up / Owsey

soundcloud.com

 これになりたい 2021。めちゃ良。

 

 

 こんな感じで。来年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 この世には二種類の嘘があるという話、自分はそれこそが紛れもない嘘ではないかと考える側の人間でして。具体的には『自分のための嘘』と『他人のための嘘』があるという話ですけれど、前者は例えば見栄や欲などから生じる『良くないもの』で、一方の後者はといえば「思いやり」のような感情から生じる、見方によっては『良いもの』と扱われることがしばしば。でも、それって何だかおかしくないですか? 「思いやり」だとか「これはあなたのためを思って吐いた嘘だったんだよ」だとか、綺麗な言葉に誤魔化されそうになりますけれど、その人がいう『あなたのため』って本当に「あなた」の「ため」になることなのかなって。それって結局「これは巡り巡ってあの人のためになる」って決めつけてるだけなんじゃないかって、そんな風に思うことがあって。もちろん、全部が全部そうだとは言いませんし、思いませんけれど、でもそういうケースも結構多いんじゃないかって思うことがあって。だって、その『他人のための嘘』が嘘だったと知ったとき、その嘘を吐かれた相手は傷つくかもしれないじゃないですか。それがその人の為だって、本当にそう断言できるのかなって思うことがあって。たとえば何かその誰かにとって不都合な事実があって、あるいは酷な真実があって、その存在を知らせないために入念な嘘で覆い隠すというケースがあるかもしれませんけれど、それを『他人のための嘘』と呼んでいいのは、その嘘を吐かれた側の人だけだと思うんです。なんていうか、自分の吐いた嘘が『自分のため』なのか『他人のため』なのかなんて、自分じゃ判断がつかなくないですか? というか、『他人のため』だってことにしておいたほうが精神的には楽ですし、自己の体裁も保てますし、そうやって僕らは楽なほうへ楽なほうへと、無意識的に流されていってしまうんじゃないかって疑念が強くあって。だからこそ、『他人のための嘘』というものの存在に懐疑的になってしまうといいますか。嘘を本当だと信じていた人が「ああ、これは私のために生まれた嘘だったんだな」と認めた瞬間に限って、その嘘は紛れもない『他人のための嘘』になれるんじゃないかなって。だから、「これはあなたのためを思って吐いた嘘だったんだよ」なんて言葉は嘘っぽいなって、そんな風に思ったり思わなかったりします。

 

 

 かく言う自分も大概嘘つきなんですが、おおよそ『自分のための嘘』ばかりだなと思っていて。なんていうか、しょうもないプライドのような何かにせっつかれて飛び出したり飛び出さなかったり、自己保身というか、いやもう、本当につまらない人間だと評してもらって全く構わないのですけれど……。それでも、なんだろ。もう既にかなり嘘っぽいので話半分に読んでもらいたいんですが、肝心なところでは絶対に嘘を吐かないようにするという自戒みたいな法則を持ってはいて。たとえば『思ってもいないことは言わない』みたいな。自分はもしかすると何でもかんでも「良い」と言っているようにみえているかもしれませんけれど、自分の中に一応の基準めいたものはあって、それは『良いと思わないものに対して「良い」と言わない』、つまり『思ってもいないことは言わない』です。他にも、同意しかねる意見に同意を求められたところで自分は決して同意しませんし、それでもその意見の中に僅かでも共感できる部分があれば、その一部に関してだけは賛同したりするかもしれません。そんな感じで、言語化できるものもできないものも、それはもう膨大な数のルールを意識的なり無意識的なりに読み込みつつ、常日頃からそのように振る舞っているというつもりではあります。うまくいっているかはさておき。

 

 

 最近、と言ってもそれなりに過ぎた事ですが、結構大きな嘘を吐いてしまって。それも、とても重大な部分で。というところから話は始まるんですが、なんだろうな、その瞬間の自分はそれを『相手のための嘘』だと考えていたんです。先述の通り、自分なりのルールを一応持ってはいるので、その行為に対してそれなりの抵抗はあったものの、「こればっかりは仕方ない」と諦めて。でも、なんていうか、それからしばらく経って「本当に『相手のための嘘』だったのか?」と考え始めて、それを今日の今日までずっと引き摺っているんですが。思えば、やりようは他にいくらでもあったよな、って。別に嘘を吐く必要性なんてどこにもなくって、ただ一言「ごめんなさい」と言えば済む話だったのに。その願いが叶わない理由を説明するのが面倒で、嫌で、怖くて、そういった全部から逃げるために『相手のための嘘』って誤魔化しただけだったんじゃないかって。たとえどんなにしんどくても、あるいはそれが偽物のように思えても、なるべく多くの言葉を尽くして自分の立場を伝えることが誠実な在り方だったような気がしていて。だったような、というか多分そうで。純粋に怖かったという理由はあるんですが、それにしても、嘘で応えるのはあんまりだろうと、頭が冷える頃には思い至っていて。時すでに遅しなんですが。会話をするたびに「自分はこの人に嘘を吐いたんだ」って感覚が湧き上がってくるような、どの面下げて喋ってんだよ、みたいな。冒頭に書いたような諸々が一気に降りかかってくる感じの。だったらさっさと謝れよって、それはもう本当にそうで、でも、それが嘘だと分かったら相手は絶対に傷つくだろうからって、これもまた結局のところ自分可愛さに逃げているだけですけれど、なんかもう、こんなことを長々と書いてる暇があるんなら今すぐ謝りに行けよと思うのに、それさえできない自分って何なんだろうなって感じで。何なんだろうなって思いながらこれを書いています、いま。せめて身近にいてくれる人くらいには誠実であれるようにとか、どの口が言ってんだって。本当に。

 

 

 

20201205

 

 他人を傷つけてしまうような言葉を文字にしてしまうのは良くないことだって、それは誰だって知っていることだろうと思うんですが、自分は何かを強く肯定するような言葉も場合によっては文字にすべきではないんじゃないかなって、そんな風に思うことがあります。ああいや、『すべきではない』という表現はまるで正しくなくて、正確には『したくない』なんですが。ありがとうとか、嬉しいとか、本心からそう思っていればいるほど文字にはしたくないというか。なんだろう、別に恥ずかしがってるってわけじゃないんですよ。いや、恥ずかしいですけど。人に感謝を伝えるのはきっと多くの場合で良いことだろうし、嬉しいだってそう。好きだって同じ。でも、なんか、文字にしちゃったら途端に全部が嘘になってしまうような気がしていて。活字は何も伝えてくれないっていうか、その文字列をみた相手の心理状態に依存してしまうような、要するに自分は文字を信用してないって話なんですけれど。どれだけ強く想っていたとしたって、あるいはそれが真っ赤な嘘だったとしたって、いずれにせよ表示される文字は画一的なそれのわけで。誤解されたくないし、させたくないし、だからこそ、その想いが強ければ強いだけ、文字なんかじゃなく直接、声で、正面から、相手に伝えたほうが良いのかなって。割とそんな風に思ったり思わなかったり。

 みたいな注釈を大量に添えないと、感謝の言葉とかって文字に直しづらいっていうか。これでも全然足りないと思いますけれど、それにしたって長ったらしい前置きをいつまでも続けるというわけにもいかないのでいい加減にって感じです。僕の曲に投票してくれた方々、本当にありがとうございました。発表の際にも言ったと思いますけれど、とても嬉しかったです(ここで言ってどうなるんだって気もしますけれど、ここくらいしか改めて言う場所がなかったので)。嬉しいの気持ちがカンストして今日一日、何も手につきませんでした、マジで。Twitterでも当日のテンション任せで言及しましたけれど、まさか五曲も選んでもらえるとは思っていなかったので本当に嬉しかったです。

 

 

 自分の曲について話せることは無限にあるということが一般に知られていて、これまで散々書いてきたにもかかわらず、その実、言っていないことは無数にあったりなかったりします(誰でもそうだと思う)。昨日の夜からあの五曲について自分の中で振り返ったり振り返らなかったりして、せっかくだしというわけではないですけれど、少しくらい書いてしまってもいいのかなって、そんな風に思いました。もう投票は終わったことですし、何を書いても余計な付加情報にはならないだろうという、そういうアレもあります。なので、以下はネタバレのオンパレードになります。「作者が自分の作品について語るのは良くないこと!」と叫んでいる数年前の自分を黙殺しつつ、つらつらと書ける範囲で書いてみようと思います(だいたいが歌詞の話になると思いますけれど)。

 

 

〇 想造世界のプレリュード / Cloverteller

 霧四面体さんとの合作です。作詞・作曲・編曲の全部で両者が関わっています。月吉 162 号収録で、自分が三回生の五月ですね。Cloverteller 名義ではこれのひとつ前に『終末的存在仮説』という曲をやらせてもらっていて、「もう一回やりたい!」と自分が言い始めたところから生えてきた楽曲です。自分が声を掛けるや否や、向こうのほうからメロディの案が三つほど送られてきて、「爆速?」と思いつつ聴き比べをし、「これだ!」と感じたメロディが実際に当楽曲のサビフレーズとして採用されました。自分は A,B メロのフレーズを作ったりしたんですが、歌モノを合作するにあたって自分でフレーズを組んだのは初めて(それまではすべて相手に任せていた)だったので、「これでいいのか? 本当に? このサビの良さを損なっちゃったりしない?」と内心慄きつつ DAW に向き合っていたのを覚えています。

 歌詞について。この曲の制作に取り掛かる少し前、自分が二回生の一一月とか、あるいはそのもう少し後だったかもしれませんけれど、とある繋がりで接点を持つことになった一人の女の子がいて。相手は自分と同年代で、別に知り合いでもなんでもなかったんですが、様々な理由から将来の話をしてくれることが何度かありました。将来の話、噛み砕いていえば夢だったり目標だったりするわけですけれど、そういった話をするときの彼女は心底楽しそうで、「ああ、それが本当に好きなんだろうな」って分かろうとしなくても分かってしまうくらいに。でも、結論から言ってしまえば、彼女はその夢を追いかけるのを諦めてしまったみたいで。といっても、ある日を境に一度も会わなくなってしまったので、本当に諦めてしまったのか、あるいは別の道を模索することに決めたのか、結末の詳細までは自分には分からなかったんですが、仮に前者だったとしたらそれはとても悲しいなって。彼女じゃなくて、自分が。全力で追いかけ続けたらいつかは叶うなんていうのは真っ赤な嘘ですし、だから諦めたくなくたって諦めなきゃいけないことってそれこそ無数にあると思うんですが、でも、そんな彼女に対して自分にできることは何かなかったのかなって。いま振り返ってみても『何もなかった』という当時の結論とは違わないんですが、「でも、だけど……」って気持ちがずっとあって。合作をするにあたっては先述の通りにサビのフレーズが先に決まって、該当部分の歌詞も予め決まっていたんですが、そうして送られてきたテキストを目にした瞬間に当時のことがフラッシュバックして、そういった諸々が形になった(なってしまった)のがあの歌詞だったりします(向こうにそんな意図は全くなかったと思うんですが)。

 才能とか環境とか、周囲の評価とか世間との乖離とか、あるいは単に時間とか。何かを諦めてしまう理由はいくらでも転がっているものだと思うんですが、そういったしがらみに囚われすぎないで、もっとシンプルに『好き』って気持ちだけで向き合えたらなって。それがとても難しいことだというのは理解しているつもりで、だけど、それでも自分はそれが最も大切なことの一つだと信じていたりします。

 

 

〇 ここにいるよ。 / 一葉

 月吉 164 号収録。自分が三回生の九月に提出した曲です。この曲、完成形こそはバンドサウンドですけれど、原案時点では歌モノハードコアみたいな感じになる予定だったんですよね、実は。イントロや間奏で鳴っているシンセ(スパソ)にその面影が残っていたりいなかったりするんですが、頭の中にある構想をいざアウトプットせんとした段階で、「いや、これ無理じゃね?」となってしまい、そこから現状の形に落ち着くまでには結構な苦労があったように思います。自分は毎回曲を作るときに「なにか一つは新しいことをやろう」という意識を持っているのですが、この曲では『有名な進行に安易に頼らない』を実践しています(ド頭で 4536 を鳴らしておきながら)。それまでは「なんとなく」程度の理由で 6451 だったり 6415 ありきの曲作りをしていたりしたのですが、そうでなくて『何を表現したいのか』を最優先にして進行を組もうということを意識し始めたのが、ちょうどこの曲辺りからでした。

 歌詞について。この曲を作っていた頃、とても付き合いの長い友人の一人が絶賛就活中でして、一方の自分はといえば無駄に長い夏休みへ差し掛からんとしているところでした。先述の就活中だったという事実はどうでもよく、それよりむしろ『来年度以降、簡単には会えなくなる』ということこそが当時の自分にとっては重要で、それ自体は不可避な未来であり良いも悪いも好きも嫌いも何もなかったものの、高校生の頃には当たり前のように顔をあわせることができていたのに、こんなことでさえ難しくなっていくんだなあって、そんな感じのことを考えていて。自分は作曲サークルに所属しているわけなので、その夏休みにも当然曲を作ろうと考えていたわけですが、そんな状況にあったせいか思考は必然的にそちらへと引きずられていくわけで。そもそも自分は高校生の頃から作曲をしていますけれど、いまだって勿論のこと、当時なんて超がつくほどの初心者だったわけです。なにせ、自分には楽器の経験なんてものはなく、スケール(調)というものが存在するということすら知らないようなレベルからのスタートだったので。そんな自分がどうして作曲なんてものを続けてこられたのか、と考えてみたときに、それは勿論『それが好きだったから』というのが真っ先に思い浮かぶのですけれど、一方で『聴いてくれる人がいたから』という理由も結構大きかったような気がしていて、そして、その付き合いの長い友人がそうだったのでした。自分は作曲を始めた頃からずっと「歌モノを作りたい!」と言っていて、そのことについて相手はいつも「楽しみにしてる」と言ってくれていたな、というのをふと思い出して。「だったらもうやるしかない!」と思い立ち、初音ミクを購入し、そしてその友人と自分との二人だけの曲を作らんとしてついに出来上がったのが『ここにいるよ。』でした。『散々だって泣いていた いつかの私を 遠くの向こう側 君がみつけたの』辺りなんかは露骨かなと思います。当時の自分が作っていた拙い音楽に対して、その友人がそれでも言ってくれた「好き」の一言がなければ、いまの自分がどこにいたのかなんて見当もつかないなって、そういう気持ちが当時はものすごく強くあったのです(いまもですが)。

 この曲の一人称が『私』になっている理由については諸説ありますが、書こうとしているものが自分に寄りすぎている言葉だからこそ、むしろ『自分』の影を排除したかったという気持ちはあるかもしれません。

 

 

〇 Tarnished Re;incarnation / Adlucem

 na’am さんとの合作です。月吉 165 号収録ですが、この曲を作ったのは自分が二回生のときの八月です。作詞と作曲のほとんどが相手側、編曲と作曲の一部が自分、という割り振りでした。「合作しましょう!」と言い出したのは自分のほうで、しばらくして向こうのほうから原案としてこの曲の midi データが送られてきたんですが、それを開いて聴いた瞬間の感動といえばそれはもうという感じで。具体的には「かっけえ!!!!!!」という感じ。当時の自分はまだ音ゲー出身の延長線上という曲を多く作っていたので、向こうからも「音ゲー曲っぽい感じにしたい」という要望があり、自分としてはもう「言われなくとも」という感じの気持ちですらあって、それぐらい midi 時点でバリバリに良かったので……。この曲を境に自分は所謂『音ゲーっぽい曲』をあまり作らなくなってしまったのですけれど、それは作りたい曲調の遷移という側面もあり、一方で、この曲を作ったことによって『高校生の頃の自分が好きだったような音ゲーっぽい曲』に対して自分の中で一先ずの決着がついたという側面もあって、それはつまり満足したって話なんですが。なので、この曲が大吉の収録曲に選ばれたというのはとても嬉しかったです。いつかまたピアノアルペジオピロピロソングを作りたいという欲求だけはありますが、実現するかなあ……。

 この曲の歌詞についてはノータッチなので、自分から話せることは何もありません。相方から詳細を聞いたことも(記憶の限りでは)あまりないような気がしているので、いつか訊く機会があればいいなという気持ちです。

 

 

〇 アイ / 一葉

 月吉 168 号収録。自分が四回生の五月に提出した曲です。この曲は前半の三分半近くずっと鳴っているギターリフがそもそも初めにあって、ギターで遊んでいるときに偶然できたフレーズだったんですが、「どこかで使いたいな~」と思っているうちにこういう曲になりました。……という話は以前にも書きましたね。もう少し別の話をすることにすれば、こんな感じに『ギターリフとボ-カルと』という編成でスタートし、かつ、あまり盛り上がりのない曲になりそうな予感があったので、いっそ開き直ってやろうという感じの気持ちになって、時計の秒針だったりハイハットだったりループ音だったりピアノだったりが、各々勝手なリズムで終始鳴り続けるという感じになり。また、高校生の頃の自分がこういった作曲の仕方(あまり多くの音を使わず、同じループ進行を一曲中でずっと使いまわす)をやっていたということもあって、「久しぶりにそういう風に作ってみるのもいいかも」という気持ちから、当時の自分が synth1 で作った音なんかを引っ張ってきたりもしつつ、結果的にこういった形で落ち着くこととなりました。

 歌詞について。世界が広がったように感じる瞬間っていくつもあって、たとえば小学校から中学校へ、中学校から高校へ、そして高校から大学へと進学したばかりの頃なんかは分かりやすくそうで、ほかには、自分とは全く異なった考え方をする誰かに出会ったときなんかもそうだと思います。そういった『それまでは知らなかった領域』に踏み込んだ瞬間ってわくわくしている自分と怖がってる自分とが半々で共存しているような気がしていて、なんだろう、小さかった頃に歩いた夜道みたいな。そういったときに誰かが隣にいてくれると安心するというのは別におかしなことではないはずで、夜道を歩くときにはいつもその誰かがいてくれるから、だから、いつしかその誰かの存在を当たり前と思ってしまうようになっていって、「ありがとう」とか何だとか、それよりももっと当たり前のことを何も伝えられないまま、その誰かはどこか遠くへいなくなってしまったりして。そうして初めて、「自分はこんなにも助けられていたんだ」とか「もっといろんなことを伝えればよかった」とか、今更もう言えやしない言葉を幾つも幾つも見つけたりして、探したりして、後悔して。『言えない 想いを閉じ込めた』に始まるこの唄は、だからそういったどこにでも転がっているような別れについて書いた曲でした。サビにある『魔法のない世界』というフレーズは、だから結局、『特別な誰かが当たり前のように隣にいる今』という魔法が消えてしまった後の世界、という意味だったわけです。ただ注釈をつけておくとするならば、一人称であるところの『私』はきっと、その別れをまるっきり否定的に捉えているというわけではなくて、サビ以前に歌われているような思いを『私』は散々にしたのでしょうけれど、しかし結論に述べられているのは、そんな世界だって『私はきっと愛せるよ』という言葉ですから。

『私』という一人称が用いられている理由は、やっぱり先述のものと同様だと思います。『自分』の影を極力出したくなかったんですよね、曲中に。そういう意味で『アイ』と『ここにいるよ。』は割とワンセットというか、それはまあ『自分の中ではそう』というだけの話ですけれど。なので、この二曲が揃って収録される運びになったというのは、完全にただの偶然とはいえ、それでも嬉しいなと思いますし、ありがたいことだなと思います。

 

 

〇 未完成の春 / 一葉

 正確には『(2020 Band ver.)』という注意書きがつきますが、それはさておき。月吉 170 号収録で、自分が四回生の九月に提出した曲です(原曲は三回生の一一月に提出)。自分はこの曲(原曲のほう)を結構気に入っていたという裏設定があり、技術力などの面から当時は叶わなかったバンドサウンドをいよいよやってみようと思い立ち、九月ライブとは何の関係もなしに制作されたアレンジバージョンです。……という話は以前に書いた気がします。編曲で意識した点といえば「実際にバンドでやったら絶対に楽しくなるような曲にしよう!」というのがあります。2サビ終わりから落ちてもう一度サビへ戻るまでの流れなんかは特にそうですね。ギターも、ベースも、ドラムスも、キーボードも、全員が楽しく演奏できるような、あるいはそういう光景が思い浮かぶような、そんな感じの曲に仕上げようというのは相当強く意識していました(最後サビ前のキーボードが超お気に入り)。

 歌詞について。この曲はそもそも、三回生当時の自分が誘っていただいたバンド企画『Catch the Youth』を受けて作られたものでした。その企画のために書いたというわけではなくて、その企画が(というか大人数で音楽をするという行為、つまりバンドが)あまりにも楽しかったから、その感動を忘れたくないと思って作ったものです。だから、なんていうか、有体に言えば、歌詞の内容はもう全部それにまつわることでしかないっていうか、そんな風には見えないとしても、自分はそういうつもりで書いていました。『十月の教室の隅っこで』が何故『十月』なのかといえば、それはバンド企画をやったのが九月末のことだったからですし、『雨の匂いに暗がりは沈む』の『雨』は何なのかといえば、この歌詞を書き始めた当日に雨が降っていたというだけの話で。『水影に残響音』の『水影』は水溜まりのことですけれど、実は『御影(通り)』、つまり自分が通学のために歩いている道のことを指していたりもしていて。『そっと口ずさんだ この唄が』は、出来上がったばかりでまだ歌詞のないフレーズを、小さく口ずさみながら歌詞を考えていたということ。二番 A メロの『失った青色を取り戻せ』は『Catch the Youth』の標語をちょっと変えてみただけ。『なんて馬鹿みたいな合言葉』と思っていたのは本当のこと。『でも だからこそ 好きになれたんだ』も本当のこと。『跨いだ平行線』は横断歩道、『一台分の距離』は自転車。練習のためのスタジオに徒歩でやってきていたのが自分だけで、自分と同じ方角へ帰る残りの人たちはみんな自転車に乗ってきていたから。『気にしないよ』は、「先に帰ってくれていい」と言った自分に対して返してくれた言葉。サビで唄われる『七つ星』は、あの企画に集まったのが自分を含めて七人だったから。なんていうか、そういう全部を忘れたくないなって思って、じゃあ全部を唄にしちゃえばいいんじゃないと思って、その結果として出来上がったのがこの曲です。

 僕はこの曲をとても気に入っていて、それはなんていうか、『表現したいことを最優先する』というのが一番上手くいった例かなと思っているからで。二番から急にバンドサウンドチックになるのとか。一番は自分ひとりだけの詞ですけれど、二番以降はそうじゃないし、九月のあの日だって、実際に唄っていたのは自分だったけれど、でもステージの上に立っていた全員で唄っているんだって感覚があの瞬間はたしかにあって。あと、サビの進行を実は『天体観測』と『ray』から引っ張ってきていたりだとか。なんだろ、そういったすべてを可能な限り落とし込めたというような気がしていて。なので、とてもお気に入りです。選ばれて嬉しいです、本当に。

 

 

 割と全部書いてしまったような、これでも書いていないことはまだまだたくさん残っていそうなという感じですけれど、こういう機会でもないと多分一生書かずにいただろうなというようなことばかりで、なんていうか、まあ、はい、なんていうかって感じですね。

 最後になりますけれど、もう一度だけ。自分の曲に投票してくださった方々(誰か知らないけれど)、本当にありがとうございました。マジで嬉しかったです。これを書いて「何も手につかねえ~」を一通り発散できたと思うので、明日からはまた作曲に向き合っていこうと思います。頑張るわよ。

 

 

 

20201113

 

 生きる理由って人それぞれだと思うんですが、他の人とこういう話をする機会は今となってはあまり多くないので、そういうわけでここに記しておこうと思います。なんか、単純に気になるんです。こういうの、考えない人は考えないのかもしれませんけれど、でも考える人は考えるじゃないですか。それはどっちがいいとか悪いとかって話じゃなくて、個々人の性格だったり周囲の環境だったりがそうさせるものであると自分は考えますけれど、ともかく、考える人は考えるでしょう。そちら側の人々ってどういった理由を答えにしているのかなって、そのことに興味があるというか知ってみたいというか。自分もそういうことを考えたり考えなかったりする側だと思いますけれど、しかしながら自分の持っている理由が全人類に普遍的なものだとは到底思えず、というかそもそも生きる理由なんて一意的に定まるようなものじゃないと思うんです(これは以前にも書いたけれど)。目的の方向性も規模の大小も様々でいいと思うし、世界平和のために生きている人がいれば、地元の商店街で人気のコロッケを食べるために生きている人がいてもいいだろうって話で、そこに善し悪しや貴賤なんて無いんじゃないかなって気がしていて。だからこそ、他人が何のために生きているのかというのを知りたい、聞いてみたいという欲求が結構強くあります(思えば、『他人のみている景色を知りたい』という欲求は昔から相当にあった)。それって多分、その人が一番大切にしているものだろうし、もしかしたら自分はその内容に全く微塵ほども共感できないかもしれませんけれど、ならばこそ、自分の世界には無い概念を理解しようとしてみたいと思ったり思わなかったりするわけです。

 

 これは自分の話ですけれど、純粋な興味として「どうして生きていくのかな」と考えていた頃があって、動機は伴わないものの「さっさと死ねばいいのにな」と考えていた頃もあって。後者については「どうして生きていくのかな」という疑問がずっと背後に付きまとっている状態というか、疑問っていうか強迫観念みたいな。実際に死のうとしたことなんて一度もないし、その具体策を考えようとしたことさえ皆無なんですが、だからこそ、そういったことを考えられない自分に対して「どうして」という問いが返ってくる、そんな時期があったようななかったようなという感じで。それはいわゆる希死念慮というやつですけれど、たったの四文字で片づけられるのはちょっと違うなと、そこを通りすぎてしまった今でもそう思う程度には真剣に考えていたように思います。これが仮に多くの人類の抱えている問題であったとしても、実の当事者になっているのは今ここにいる自分自身に他ならないわけで、「誰だってそうだよ」なんて的外れな指摘で何かが解決したり救われたりなんてことはないんです。他人からみたら些細な事でも、本人にとっては重大な事なんていくらでもあるわけで、「ちょっと違う」というのはそういう意味での言葉です。あの二年余りを『希死念慮』なんて言葉でサッと片づけられてしまったら、僕は多分怒ります。

 

 何故そのような話をしたのかというと、それは今日の帰り道のことなんですが、いつの間にか考え方が逆転しているな、ということに気がついたというのがあって。それがどういうことかと言うと、「どうして生きていくのかな」じゃなくて「だから生きていくのかな」という方向に思考がシフトしていたという意味で。いつ頃からそうなっていたのかはいまとなっては定かではありませんけれど、でも考えてみれば確かに、「どうして」なんて自問を繰り返す夜はとうの昔に来なくなりましたし、それよりはむしろ「だから」と感じる機会のほうがずっと多くなってきていたような気がします。所属サークルのライブの直後とか、自分の作品が認めてもらえたときとか、もっと身近なところでいえば夕暮れの空を見上げたときとか。たまたま端末を家に放置したまま外出したせいで写真が撮れなかったんですが、今日の夕焼け空はとても綺麗な色をしていて、そういうものに出会ったときに「だから生きていくのかな」って考えがどこからともなく浮かんできて、あの頃とはすっかり逆転しているなって。『離れていても空は繋がってる』なんてありがちなフレーズですけれど、それはどうしようもないくらいに嘘まみれの綺麗事であると同時に、やっぱり間違ってもいないんじゃないかと思う自分がいて。なんてこともない日の帰り道に空を見上げて、その向こう側に遠くの誰かを思い出すことができるなら、自分にとってそれはとても幸せなことで。その一瞬は生きる理由たり得るのかも、と思ったり思わなかったりした帰り道でした。This is 日記らしい日記(本当に?)。

 

 近況! 曲を作っています。12月中には公開できるように頑張ります。

 

 

 

コード進行について色々7

 

 およそ一年ぶりにコード進行の話を書くかという気持ちになったので書きます。それに伴って去年の自分が書いた諸々を読み返していたのですけれど、理解が相当に雑というか、いまだって十分な理解をもっているとは思えませんが、流石に一年以上勉強していると身に馴染んでくるのだなという感じでした。

 

 前回の記事はこちらです。

kazuha1221.hatenablog.com

 

 今回はコード進行の基本形について書きます。これは自分の話ですけれど、自分は本当に音感も楽器経験も無の状態から作曲を始めて、右も左も分からなかった当時「コード進行が色々あるのは分かるし、それぞれ響きが違うことも分かるけど、具体的には何がどう違うの」ということがよく分からなかったというのがあって。つまり「こういう曲を作りたい!」となったときに『どういう進行を使えばいいのか』ということなんですが、そういった動機もあり、自分用のまとめも兼ねてこれを書いています。話半分に読んでください。

 また、自分は Soundquest を参考に勉強したりしなかったりしているのですが、具体例が豊富かつ分かりやすいのでオススメです。

soundquest.jp

 具体例を結構用意したので、音楽理論を何も知らない人でも楽しんで読めるようになっていると思います(理論は自分もよく知らない)。

 ※注意:主にポップスを作りたい人向けです。

 

 

〇 I – IV – V – VIm(1456進行)

 最初に扱うのはこの進行です。音楽的な用語でいえば I,VI はトニック、IV はサブドミナント、V はドミナントですが、用語自体はどうでもよく、緊張の度合いが(長調なら)I<VIm<IV<V の順に大きくなるという感じの理解をもっていればとりあえずは十分だと思います。I – IV – V – VIm なら『強い緩和』→『弱い緊張』→『強い緊張』→『弱い緩和』の順に展開が進むという感じで、一小節単位で切り替えるなら三小節目にアクセントが入るような作りになります。またループ頭が I による『強い緩和』から始まるので、穏やかな曲調を目指すときは向いてますね。

 『staple stable / 戦場ヶ原ひたぎ』はサビ冒頭の進行が、ちょうどいま話題にしている I – IV – V – VIm ですが、上で言っていたような緊張感の遷移が何となく分かってもらえると思います。I と V の上でソの音を叩くので力強さを伴ったサビになっています。

 

 

『逆さまのLady / 三月のパンタシア』は A メロ(冒頭)前半の進行が I – IV – V – VIm です。メロが M6 Shell と M2 Shell(シェル。Soundquest 参照)を交互に叩いて動くというあまり馴染みのないことをやっているので、上で言ったような緊張感の遷移はあまり感じないかもしれません。

 

 

以降、この I – IV – V – VIm を色々と組み替えることで、基本的なものから応用編まで、様々な進行を作っていくことを考えます。

 

 

〇 I/III – IV – V – VIm

 まずは I が I/III と転回形になったバージョンです。I/III は I であることには変わりないので相変わらずの安定感を持ちますが、I のそれに比べると若干劣ります。少し踏み込んだ内容に触れると、一般にはベースがどこを鳴らすかによって上に乗っているメロや和音の性質が変化します(『 I という和音の上にある』という属性と『ミというベースの上にある』という属性が融合するイメージ)(ハーモナイズ。Soundquest 参照)。なのでベースラインがどこにあるのかはメロディラインにとっても重要な検討材料です。

 また今回の場合、ルートがミ→ファ→ソ→ラと順次進行で上昇するので、上で言った安定感の欠落も相まって『徐々に始まっていく感じ』がするような気がします(個人的に)(勿論、編曲次第ですけれど)。物語の幕開けのような、イントロや A メロなんかに特に向いている進行のような気がしています(そうでないといけないというわけではない)(下に A メロで用いられている例しか挙がっていないのは、単に自分の捜索力不足という説があります)(追記: B メロでの使用例も普通にありました)。

『アカシア / BUMP OF CHICKEN』は A メロ冒頭が I/III – IV – V – VIm です。「これから何かが始まりそう!」という期待感がありますよね。

 

『GO / BUMP OF CHICKEN』の A メロも I/III – IV – V – VIm です。このワクワクを感じ取ってほしい。

 

Tokyo 7th シスターズ』の楽曲、『ひまわりのストーリー / Le☆S☆Ca』も A メロの前半が I/III – IV – V – VIm です。歌詞が曲の雰囲気(期待感)にきちんと寄り添っていてとても良いですよね。

 

『スポットライト / PENGUIN RESEARCH』も A メロ前半が I/III – IV – V – VIm です。二番のほうが分かりやすいかも。

 

www.youtube.com

『ヒカリのdestination / イルミネーションスターズ』も A メロ前半が I/III – IV – V – VIm です(実はサビの後半でもう一度出てきます)。『雨上がり 青い空 何かが起こりそうな』という歌詞が当てられていますが、音楽的な視点から見てもまさしく通りですね。

 

 

〇 IIIm – IV – V – VIm(3456進行)

 I/III を IIIm に置き換えてみます。するとルートのミ→ファ→ソ→ラという順次進行は維持されたままなので『徐々に始まっていく感じ』は残るものの、I による安定感が消失するので解決感みたいなものは薄れ、全体的にピリついた緊張感のある展開になります。IIIm についてはトニックとドミナントの二面性があるという理解をしていれば十分だと思いますが、一言で言えば IIIm は『カッコイイ』です。

『good friends / BUMP OF CHICKEN』は A メロが IIIm7 – IVadd9 – V – VIm7 です。I/III のときに比べて、少し沈んだような雰囲気になっていますね。

 

 

〇 Iadd9/III – IV69 – Vsus4 – VIm7(11)

 ついでにこれもやってしまいましょう。変わった点が多々ありますが、基にあるのは上で紹介した I/III – IV – V – VIm です。ひとつひとつ見ていきます。まず Iadd9/III は何かといえば、I/III にレ(9th)の音が追加されています。次に IV6 ですが、これはレ(6th)の音が追加されています。Vsus4 は構成音からシが消えて、代わりにドが追加されています。最後に VIm7(11) はソ(7th)とレ(11th)が追加されています。

 つまり、各和音の構成音はこうなっています。

Iadd9/III:ド、レ、ミ、ソ

IV69:ド、レ、ファ、ソ、ラ

Vsus4:ド、レ、ソ

VIm7(11):ド、レ、ミ、ソ、ラ

 こう表せば一目瞭然で、各和音の構成音には『ド、レ、ソ』の三つが常に含まれていることが分かります。すると和音進行としては共通音を常に三つ持って進むことになり、通常こういった場合には平坦な印象(場面変化がない印象)の展開になります。しかもド、レ、ソはいずれも傾性の低い音(傾性については Soundquest 参照)なので、結果として、この形で使われる I/III – IV – V – VIm は『落ち着いた感じ』と『何かが始まりそうな感じ』を両立することになります。

君の知らない物語 / supercell』の冒頭四小節が Iadd9/III – IV6 – Vsus4 – VIm です。『落ち着いた感じ』と『何かが始まりそうな感じ』が共存していて、イントロとしては最高の部類だと思います。

 

 

〇 IV – I – V – VIm(4156進行)

 さて。はじめの I – IV – V – VIm に話を戻し、この進行で I と IV を入れ替えてみます。すると IV – I – V – VIm という進行になりますが、先の話で言えばこれは『弱い緊張』→『強い緩和』→『強い緊張』→『弱い緩和』という展開になります。ループにおける二小節目と四小節目に安定感があり、四小節目は次のループへの繋ぎのようになるような形です。ループが IV の『弱い緊張』から始まりますが、直後に I による『強い緩和』があるので、ほどよい緊張感という感じです。

『アイネクライネ / 米津玄師』の A メロ前半が IVadd9 – I – V – VIm7 です。ほとんどの和音に『ド、ソ』が入っていて落ち着いた感じの進行になっています。またボーカルの入りは IVadd9 の上のソで、IVadd9 の透明感が出ていていい感じです。

 

『Gravity / BUMP OF CHICKEN』の A メロ前半も IVadd9 – I – V – VIm7 です。ボーカルの入りが IVadd9 の上のソを唄っているのも同じですね。IV の上でのソは頻出です。

 

『boyhood / PENGUIN RESEARCH』はサビ前半が IVadd9 – I – V – VIm です。これもまたボーカルの入りが IVadd9の上のソを叩いています。勢いのある編曲にすると、IVadd9 の上のソは特に尖って聴こえます。

 

『ray / BUMP OF CHICKEN』はサビ前半が IV – I – V – VIm7 です。サビ入りのボーカルは IV の上のドを唄っていて、ソの鋭さとは対照的にドは力強さが目立ちます。

 

 

〇 IV – V – I – VIm(4516進行)

 上の進行でさらに I と V を入れ替えてみると、このようになります。これは『弱い緊張』→『強い緊張』→『強い緩和』→『弱い緩和』という展開になっていて、緊張のタイミングが前半に偏っています。なので、先ほどの IV – I – V – VIm に比べると少し強めの緊張感が付与されることが予想されます。

『キリフダ / BUMP OF CHICKEN』の A メロ前半が IV – V – I – VIm です。たしかに二小節目でもまだ落ち着かないような感じがして、それがやっと三小節目で解消されるという作りになっています。また、ボーカルの入りは IV の上のミ、つまり 7th になっていて、これもこの A メロのカッコよさに一役買っています。曲調によっては IV の上のソのような透明感は却って邪魔になるということですね。

 

 

〇 IV – V – I – VI

 キメの VIm を VI に変更してみます。するとすべての和音がメジャーコードになるのでいわゆる『暗さ』みたいなものが消え、ノンダイアトニックコードの華やかさも相まって一気に明るく浮かび上がる感じの印象になります。物は試し、聴いてみましょう。

『-OZONE- / vistlip』ですが、サビのあとに構えているフレーズの前半が IVadd9 – V – I – VI7 です。シェルは順に M2→R→3rd→7th となっていて、キメの VI で 7th を唄うことによって、VI が鳴った瞬間の煌びやかな響きが補強されているという印象を受けます。IV の上の M2、つまりソが鋭く透明な響きになるのは先述の通り、V の上でルートシェル、I の上で 3rd シェルをそれぞれ取っているのもポイントが高くて(シェル。Soundquest 参照)、これらはカーネルとシェルの相乗効果によって、それぞれ愚直な力強さと強烈な情感を与えます。このメロのキャッチーさの一因は、間違いなくここにあると思います(他にもある)。

 

 

〇 IV – V – VIm – I(4561進行)

 さらに I と VIm を入れ替えてみます。するとこれは『弱い緊張』→『強い緊張』→『弱い緩和』→『強い緩和』で、直前の IV – V – I – VIm にあった I による安定感の到来がさらに後ろへずれこむ形となります。ループの最後に満を持して解決感がやって来るという構図ですね。I から IV は四度上行(いわゆる強進行)なので、ループ頭へ戻るときに若干の引力があります(流れていく感じ?)。

『車輪の唄 / BUMP OF CHICKEN』の A メロ前半は IVadd9 – V – VIm – I – IVadd9 – V – VImVIm という進行をしています。四小節目から五小節目のループ頭へ戻るとき、メロディラインも相まって何だか引っ張られていくような感じがしますね(『僕等の体を運んでいく』という歌詞の通り)。

 

『オシャレ大作戦 / ネクライトーキー』のサビは IV – V – VIm – I です。歌詞もメロディもビートも、揃いも揃ってハイテンションのままに流されていく感じで良いですよね。

 

『メルティランドナイトメア / はるまきごはん』の B メロに IV – V – VIm – I が用いられています(『貴方はドアを開けたの 僕の世界のドアを選んだの』の部分)。それまでの展開と違って、何かが自動的に迫ってくるような錯覚に陥ります(後ろでリバース音が鳴っているのも一因だと思う)(ここの歌詞もやっぱり噛み合っていて、開いた扉の向こう側にいた何かの到来を感じる)(この曲の一番良いところは、その勢いを殺さずにサビへ突入するところ)。

 

 

〇 IV – V – VIm – IIIm(4563進行)

 先ほどやったように I を IIIm で置き換えてみましょう。すると上のような進行になります。こうすると I の安定感や I から IV への四度上行による調和などが消失するので、適度な緊張感を保った展開になります。

『だから僕は音楽を辞めた / ヨルシカ』の冒頭にある間奏は IVadd9 – Vsus4 – VIm7 – IIIm – IVadd9 – Vsus4 – VIm7 – VIm7 です。『車輪の唄』の例にみた I を IIIm に置き換えた感じの進行になっており、そのときのような流れ込んでいく感じはあまりありません。

 

 

〇 IV – V – IIIm – VIm(王道進行、4536進行)

 上の進行で VIm と IIIm を入れ替えてみます。あるいは前のほうにみた IV – V – I – VIm で I を IIIm に置き換えると考えてもよいです。すると、かの有名な王道進行になります。これは『弱い緊張』→『強い緊張』→『弱い緊張』→『弱い緩和』という動きをするのですが、IIIm から VIm は四度上行なので、先ほどの I から IV への動きがそうであったようにある程度の引力を伴って進行します。それまでに連続した『緊張』をこの引力で一気に緩和へ持っていくのが王道進行で、その展開自体に緩やかな物語性があるので、こいつをループさせておくだけで一曲作れてしまったりもします(途中で飽きない)。

『記念撮影 / BUMP OF CHICKEN』は一曲を通してずっと IVadd9 – Vsus4 – IIIm7 – IVadd9 – IVadd9 – Vsus4 – IIIm7 – VIm7 を繰り返しています。でも飽きない。王道進行の強みです。

 

『Just Awake / Fear, and Loathing in Las Vegas』は 1:50 辺りからおよそ 30 秒間 IV – V – IIIm – VIm が繰り返されます。疾走感の演出にも使える便利屋。

 

『捨て子のステラ / Neru』の B メロが IV – V – IIIm7 – VIm です。サビだけでなく、一番盛り上がる部分への繋ぎにも使えます(助走のイメージ)。

 

 

【2020/11/25 追記】

〇 IV – V – IIIm – [ VIm – VI ]

 王道進行の派生形の一つとして、 VIm の直後に VI を挟むという形があります( IV – V – I – VI という進行を既にみていることに注意)。VI の和音はノンダイアトニックですが、直前に VIm というマイナー型のコードを挟んでいる分、若干の暗さを引きずっているような印象はありますが、VI が鳴る瞬間、たしかに全身がふっと浮かび上がるような感覚がします。

 主にキメの部分で用いられる進行で、VI のあとは大体 IIm へ進行します(ループで使う場合もある)。

Fight For Liberty / UVERworld』のサビ後半が IV – V/IV – IIIm – [ VIm – VI ] です。『たった一回しかチャンスが無いのなら』というフレーズの最後で VI が鳴っており、VI に特有の浮遊感が感じられます。また、この曲は VI の後、IIm へ進行しています。

【2020/11/25 追記ここまで】

 

 

〇 IV – V – III – VIm( IV – V – #Vdim – VIm

 王道進行で IIIm を III に置き換えると、この進行ができあがります。構成音をみてみると

V:レ、ソ、シ

III:ミ、ソ#、シ

(#Vdim:レ、ソ#、シ)

VIm:ド、ミ、ラ

となっていますが、これをみれば V→III→VIm の中にソ→ソ#→ラという(ダイアトニックだけだと実現しない)半音上昇が入っていることが分かると思います。IIIm が III に変化したことでソが半音上のソ#に吊り上がるわけですが、これはラの音へ向かいたがる傾向がとても強いです(傾性。Soundquest 参照)。その性質を利用して王道進行にあった IIIm→VIm の四度上行をより強力にしたというのが IV – V – III – VIm です。キメのところ(≒ここぞというところ)で使われることが多いイメージですが、息をするように使ってもそれはそれで味が出ます(後述)。

 III という和音のイメージは『暗すぎ』または『カッコ良すぎ』です。これは肯定的にも否定的にもそうで、その『暗すぎ』だったり『カッコ良すぎ』だったりが、曲調によってはピッタリとハマったり、あるいは余計な印象になってしまったりします。そういうわけで使いどころを選ぶ和音ですが、綺麗にハマったときのカッコよさは最高です(『暗すぎ』とか『カッコ良すぎ』が『切なさ』だったり『疾走感』だったりに繋がるわけです)。

 もう一度例に挙げます(良い曲なので何度も例に出したくなるんですよね)。先ほど IV – V – I – VI のときに紹介したパートの少し後、つまりサビの後にくっついているフレーズの後半部分ですが、そこが IVadd9 – V – III – VIm7 になっています。III が鳴る瞬間の何とも言えない張り詰めた感じと、次の小節線へ猛烈に進みたくなる感じを聴きとってください(VI のときとはまるで対照的)。この曲の場合、サビ後の『意外性』を演出するにしても同じことを連続で二回するのは能がないので、それぞれのパートで違った役者を立てているというわけです。

 

www.youtube.com

『ガールズ・イン・ザ・フロンティア』の B メロ前半が IV – V – #Vdim – VIm です。先ほどの『捨て子のステラ』と同様、サビへの繋ぎに使っても十分に役目を果たしてくれます。

 

 

〇 IV – III – VImVIm(436進行)

 IV – V – III – VIm という王道進行の形から V を消してみます。するとこのようになるわけですが、IV の『弱い緊張』の直後に III というダイアトニックの世界にいない和音があり(ここに『意外性』がある)、さらに先述の通り、こいつは猛烈な力を以て VI 型の和音へ進みたがるので、この形の進行は拍車のかかった疾走感という印象を与えます(人に依るかとは思いますけど)。

 以下の具体例にみるように、ダークに染まった感じの曲調を目指したいなら、真っ先に頼りにしていい進行だと思います。

ジョーカーに宜しく / PENGUIN RESEARCH』のサビ冒頭が IVM7 – III7 – VIm7 – VIm7 です。IVM7 の個人的なイメージは『暗くて息苦しい』です。それが遅いリズムだと『閉塞感』になったり、速いリズムだと『カッコよさ』になったりします。サビ入りのボーカルは IVM7 の上のラを唄ってますね。和音における第三音は和音の性質(メジャー、マイナー)を決定づける要素ということもあって、情感演出のスペシャリストという側面があります。またラの音はマイナースケールでの主音でもあるので、こういったダークな雰囲気にはぴったりの選択という感じがしますね。

 

『パンダヒーロー / ハチ』もサビが IVM7 – III7 – VIm7 – VIm7 でできています。サビ入りのボーカルは、直前の例と同じく IVM7 の上のラを唄っています。ダーク!

 

『ロキ / みきとP』もサビ冒頭が IVM7 – III7 – VIm7 – VIm7 です。IVM7 のイメージは III のイメージと似通う部分が結構あるので、この形の進行だと IV はだいたい IVM7 になっているという印象があります。IVadd9 – III7 – VIm7 – VIm7 みたいなのはあまり見かけませんね(無いってことはないと思いますけれど)( IVadd9 のイメージは『透明感』)。

 サビ入りのボーカルは IVM7 の上のミを唄っています。これも頻出のケースです。IVM7の上のミはルート音(ファ)と半音関係にあるために強烈な違和感というか、「早く解決したい!」という欲求を煽るような響きになります。それが却って疾走感の演出に繋がるというわけです。

 

 

〇 IV – III – VIm – V(4365進行)

 後半についてですが、VIm が連続するのでは面白みに欠けるので、少し弄って最後の VIm を V に置き換えてみます。IV – V – III – VIm という形の王道進行で V を四小節目に動かしたと考えてもよいです。こうするとスタート地点こそ IV であるものの、基本的に 6→5→4→3 という順次下降を繰り返す形になることが分かります。『強い緊張』の代表である V がループ終わりにいて、かつ I のような『強い緩和』をもたらすキャラクターは相変わらず不在なので、単純な IV – III – VImVIm よりも緊張感がさらに増してダークさに磨きがかかった感じですね。

『アンチリアリズム / *Luna』です。サビも同様の進行ですが、曲の入りからいきなり IVM7 – III7 – VIm7 – V 一色で、とてつもない緊張感があります。

 

 

〇 IVM7 – III7 – VIm7 – I7(丸ノ内進行?)

 V の代わりに I7(構成音はド、ミ、ソ、シ♭)を置いてみます。I7 は I にテンションがくっついた形なので安定感のようなものは若干あるものの、シ♭という馴染みのない音があるおかげで複雑な響きになり、理由は省略しますが(二次ドミナント。Soundquest 参照)、この和音は IV(特に IVM7 )へ進みたいという欲求をとても強く持つことになります(もともと I→IV は四度上行なのでいい感じのパートナーなんですが)。その性質を利用して IV – III – VImVIm のような「四小節目の停滞感」を解消しようということです。

丸ノ内サディスティック / 椎名林檎』です。一曲を通して多く用いられていますが、サビが一番分かりやすく IVM7 – III7 – VIm7 – I7 のループです。この進行が用いてられている曲だとかなり有名なんじゃないでしょうか?( IVM7 – III7 – VIm7 – I7 を『丸ノ内進行』と呼ぶ人もいますし)。I7 の独特な推進力のようなものがはっきりと分かる楽曲です。サビ入りのボーカルは IVM7 の上のソを叩いているので IVM7(9) と言ってもいいかもですね(『閉塞感』と『透明感』の両立)。

『第六感 / Reol』はサビが IVM7 – III7 – VIm7 – I7 のループです。III7→VIm7、I7→IVM7 というノンダイアトニックコードを伴う四度上行が二つもあり、カッコよさも申し分ないのでダンスチューンにはぴったりの進行という気がしますね(実際、436ってめちゃくちゃクラブミュージックに多くないですか?)。

 

 

〇 IVM7 – III7 – VIm7 – [ Vm7 – I7 ](43651進行)

 もっとお洒落にしてみましょう。VIm7 と I7 の間に Vm7 を挟んでみます。Vm7 は文脈によって色んな響きに聴こえるという印象を自分は持っていますけれど、個人的に一番強くあるイメージは『哀愁と背中合わせの明るさ』です。普通は V を置くような場所で Vm を代わりに挿入して変化を演出するという使い方をしますが、自由度が少し低い(前後の和音によって接続度合いが異なる)ので、いつでもそれができるというわけではありません。が、今回は可能です( VIm7→Vm7 は和音の平行移動)(クオリティチェンジ。Soundquest 参照)。

『夜に駆ける / YOASOBI』のサビ冒頭の進行が IVM7 – V – IIIm7 – VIm7 – IVM7 – III7 – VIm7 – [ Vm7 – I7 ] です。前半が王道進行、後半がいままでに見ていた436進行の派生形です。

 

 

〇 IVM7 – III7 – VIm7 – II7

 別の選択肢を模索します。I7 ではなく II7 を置いてみましょう。すると(以下に紹介する具体例を聴けばわかるように)IVM7→III7→VIm7 による『カッコつけ』を一瞬で吹き飛ばすほどの強烈な希望感が四小節目に待ち構えています。これは II7 というノンダイアトニックコードの持つ性質と VIm7→II7 という四度上行の調和性に因るところです。曲調によってはこういった『一瞬だけカッコつける』というポーズが活きる場面もあるということですね。

 また、これまでにみた 436 進行の派生形と違って、この進行をループさせて使うことはあまりせず、大体の場合 IIm7 へ進むような気がします。

『逆さまのLady / 三月のパンタシア』、前のほうで例に挙げましたが再掲します。この曲の B メロ冒頭が IVM7 – III7 – VIm7 – II7 です。A メロやサビのきらめいた雰囲気とは一転、B メロは少しだけ塞ぎ込んだような印象を受けますが、それも束の間、『知ってしまえば』というフレーズが入ったところで一気に浮き上がるような心地がします。良い曲!

 

 

〇 IVM7 – III7 – VIm7 – #IVm7(b5)

 さらに別の方法を模索しようとすると、このような進行を考えることができます。これがどこから出てきた発想なのかということは II9 と #IVm7(b5) の構成音をみてやればすぐに分かることで、下から順に並べると

II9:レ、#ファ、ラ、ド、ミ

#IVm7(b5):#ファ、ラ、ド、ミ

となります。つまり II9 からレを取り去ったものが #IVm7(b5) になっているということです。ということは IVM7 – III7 – VIm7 – II7 という進行の II7 を #IVm7(b5) に置き換えてみても良いのでは、という発想が出てきます。実際、いい感じの響きになるかどうかはやってみないと分からないのですけれど(例えば I と IIIm は共通音を二つ持つので、普通に成立する I→I という進行を IIIm→I と置き換えることが考えられますが、これはかなり重大な禁則進行という扱いを受けています)。

フラジール / ぬゆり』のサビ冒頭は IVM7 – III7 – VIm7 – #IVm7(b5) です。II7 はファがファ#に持ちあがるわけなので『浮遊感』みたいなものがありましたが、#IVm7(b5) は #IVm7 に含まれるド#がドに引き下げられるわけなので、こちらは『淀む感じ』の演出に使えます(他の使い方もある)。そう思えば、ここで II7 ではなく #IVm7(b5) を採用するというのは、この曲調にとってはぴったりの選択ですよね。

 またフラジールの B メロには IVM7 – III7 – VIm7 – #Im7(b5) という進行が登場しますが、これも基本的には上と同じ原理で、この場合は IV – III – VIm – VI という進行からの発想になります。

 

 

〇 IV – IIIm – VImVIm(436進行)

 四小節目を模索するのはさておいて、二小節目の III を IIIm に戻してみます。すると III→VIm の持っていたソ#→ラという半音上昇は消えて、IIIm→VIm の四度上行による進行感だけが残ります。これは十分に強力な進行ですが、III→VIm に耳が鳴れてしまうとそれほど強くも感じなくなりますね。ということで、こちらは IV – III – VImVIm の強力すぎる進行感を弱めた進行になります。ダークな感じを前面に押し出したくないときはこちらを使ったほうがベターという印象が個人的にはあります。

『シニバショダンス / PENGUIN RESEARCH』のサビ冒頭が IVM7 – IIIm7 – VIm7 – VIm7 です。「シンプルにカッコいい!」って感じですね。

 

 

〇 IV – IIIm – III – VIm( IV – IIIm – #Vdim – VIm

 436 進行の 3 はメジャーでもマイナーでも使えるということを上でみましたが、メジャーとマイナーの両方を連続させて組み込むことも可能です。この場合は IIIm→III という流れのほうが一般的のような気がします( III のソ#はラへ行きたがる性質をもつので、わざわざ吊り上げた以上はそのまま VIm へ繋げたいという気持ち)。

『ココロ / トラボルタ』のサビ冒頭が IVM7 – IIIm7 – #Vdim – VIm7 です。#Vdim の部分で『加速する』という歌詞が当てられていますが、III の強烈な躍進力と噛み合っていてとても良いですね。

 

 

〇 IV – IVm – IIIm – VIm

 さらなる派生を考えます。初めに紹介した 436 進行は VIm が二つ分カウントされていましたが、IV のほうが二つ分カウントされるケース、つまり IV – IV – IIIm – VIm という進行ですが、これも頻出の形です。この場合は IV の『弱い緊張』がしばらく継続するのでまた違った雰囲気になりますが、ここで二つ目の IV を IVm に置き換えてみます。すると IV – IVm – IIIm – VIm という進行ができあがります。IVm の個人的なイメージは(どこをどう♭するかという問題がありますが、基本的には)『切ない』で、こうするとまた違った表情が演出できたりするわけです。

 この進行だけ具体例を出すのを諦めてしまったんですが(手持ち楽曲の無さ)、こういう進行があるということだけ紹介しておきます。以下にいくつか続きますが、実際には IVm への置き換えが行われる場合、他の部分も色々と置き換えて、より意外性の強い進行にすることが多いです。

 

 

〇 IVM7 – IVmM7 – IIIm7 – VI7

 直前の進行で VIm を VI に置き換えた形です。前半に薄らと漂う緊張感や切なさを VI の明るさで消し飛ばすという展開になります。VI は基本的に IIm7 へ進んでしまったほうが綺麗ということもあり、ループとして使うにはあまり向きません。

www.youtube.com

『Yes! Party Time!!』の B メロが IVM7 – IVmM7 – IIIm7 – VI7 です。試聴動画だと一番しか聴けないと思いますが、二番の B メロが特にわかりやすいです。また、この曲で VI の直後にある和音は IIm7 です。

 

 

〇 IVmM7 – IVmM7 – IIIm7 – [ IIIm7(b5) – VI ]

 直前の進行で一つ目の IV も IVm にしてしまって、IIIm→VI の間に IIIm7(b5) を挟んだ形です。この文脈でのハーフディミニッシュのイメージが『沈んだ感じ』というのは先述の通りで、直前の進行を切なさに全振りした感じの展開になります。これもループには不向きで IIm7 へ進んでしまうのが良いと思います。

『カレンダーガール』の B メロ前半が IVmM7 – IVmM7/bVI – IIIm7 – [ IIIm7(b5)/VI – VI ] です。VI が鳴った直後に『さっきの気分も忘れちゃって』という歌詞が入っていますが、かなり的確な表現がなされていてとても好きです。この曲でも VI の直後にあるのは IIm7 ですね。

【2020/11/12 追記】

『カレンダーガール』、C メロ冒頭が IVM7 – IVmM7 – IIIm7 – [ IIIm7(b5)/VI – VI ] です。

【2020/11/12 追記ここまで】

 

 

〇 IVM7 – IVmM7 – [ IIIm7 – #Vdim ] – [ VIm – VI ]

 一つずつ確認します。

 まず IV – IVm – IIIm – VIm の基本形に対して IIIm→VIm の間に #Vdim を挟んでいますが、これは IV – IIIm – VImVIm から IV – IIIm – III – VIm を作ったときと本質的には同じことをしています(パッシングディミニッシュ)。

 次に VIm を直接 VI に置き換えるのではなく、VIm の直後に VI を置くという形で VI を差し込みます。これは IV – V – IIIm – VIm から IV – V – IIIm – [ VIm – VI ] を作ったのと同じです。

 というわけで、既にみた複数の進行を組み合わせてできる進行がこちらになります。IVM7 の薄暗さ、IVmM7 の切なさ、 #Vdim の緊迫した躍進力を巻き込みながら展開が進み、VIm に落ち着くとみせかけて VI の希望感による裏切りを仕掛けるという構図。

『パレイド / 夏川椎菜』の C メロ(2サビ後)前半が IVM7 – IVmM7 – [ IIIm7 – #Vdim ] – [ VIm – VI ] です。『前に進んでいけるのかな』の『な』が唄われるのと同時に VI の和音が鳴っています。この曲でも VI の直後にあるのは IIm7 です。

 

 

〇 IV6 – IVm6 – IIIm7 – Im/bIII

 IV – IVm – IIIm – VIm の基本形で VIm を Im/bIII に置き換えた進行です。ここにはステップが省略されていて、まず VIm を bIII に置き換えて、それをさらに Im/bIII に置き換えたという風に考えたほうがよいような気が個人的にはしています(パラレル・マイナー。Soundquest 参照)。Im は調の主役であるところの I がマイナーにひっくり返るわけなので、調性そのものを曖昧にするような効果があります(これまでにみた VI とはまた違った効果)。また、作り方から明らかなように、これも IIm7 へ接続します( IIIm→bIII→IIm の流れが土台にあるので)。

『スポットライト / PENGUIN RESEARCH』のサビ中盤が IV6 – IVm6 – IIIm7 – Im/bIII です。『報われる保証も無いが 予感を信じて走れ』という部分で、『走れ』のところで Im/bIII が鳴っています。調性(根本的なもの)が揺らぐようなタイミングにこの歌詞を当てているのがいいですね。この曲で Im/bIII の直後にある和音はもちろん IIm7 です。

 

 

〇 #IVm7(b5) – IVM7 – III7 – VI

 IVM7 – IVM7 – III – VIm に話を戻します。ここでも VIm を VI に置き換えるということをするのですが、それと同時に一つ目の IVM7 を #IVm7(b5) にしてみます。構成音としては順に

IVM7:ファ、ラ、ド、ミ

#IVm7(b5):ファ#、ラ、ド、ミ

なので、ファがファ#に持ちあがる感じになり、この文脈で使うと妙に浮かび上がったような響きになります。VI のふわふわした雰囲気も相まって、暗いとかいうよりはむしろちゃらけた風に聞こえますね。

『感電 / 米津玄師』の A メロ終わりが #IVm7(b5) – IVM7 – IIIm7 – VI です。『ちょっと変にハイになって 吹かしこんだ四輪車』の部分ですね。「たしかにちょっと変にハイになってんな」という印象。「感電」はこの進行のあとに B メロへ入りますが、B メロ頭の和音は IIm7 です。

 

『カレンダーガール』のサビ終盤に #IVm7(b5) – IVM7 – IIIm7 – VI が使われています。『カレンダーめくって今日も わたしらしくアレ』の直後から。この進行のあとに来ている和音はやはり IIm7 ですね。

 

 

 

 以上。ちょっと書きすぎました。IVm だけでなくて Vm が絡んでくる進行や、それに今回は日の目を見なかった IIm 絡みの進行など、紹介したいものは他にもたくさんあったんですが、それはまたの機会とすることにします。

 

 

 

この欄を埋めるのが一番難しい

 

 日記回です。ここしばらく考えていたことについて書こうと思います。

 

 初めくらいは本当の意味で日記らしいことをと思うんですが、ダンガンロンパ2をプレイしました。やっと。自分、無印と V3 は随分と前に通っていたものの、何故か間の2を知らず、知らないといいつつ若干の設定くらいなら実は知っていたのですけれど、とはいえ詳細なストーリーについては全くの無知で、そんなこんなでついにプレイを始めたというのが一昨日の朝、というわけです。「なぜ急に?」ということについて触れておくと、ダンガンロンパ無印と2は実はスマートフォンで遊ぶことができるようになっていて、2がリリースされていることに気づいたのが一昨日の深夜だからです。『ダンガンロンパ』、自分はめちゃくちゃ好きな作品なので、興味のある方はぜひ遊んでみてください(とはいえ、同じことを四年以上言われ続けている『UNDERTALE』を自分は未だにプレイしていないのだけれど)。何かしらのセールをやっていて、いまなら 600 円くらいで購入できます。

 ミステリなので一切のネタバレなしに若干の感想めいたものを残しておきます。ダンガンロンパ2、初プレイだった V3 はともかくとして、初代を遊んだときと同様、プロローグ時点で登場人物を『加害者側に回りそうな人間』と『被害者側に回りそうな人間』とに分ける作業をやったんですが、『加害者側に回りそうな人間』がその時点で四人しか見つけられず、しかもうち一人は普通に生き残りました。なんか、ほとんど本を読まないのでアレなことは言えないんですが、体感として普通って「こいつは人を殺してもおかしくなさそう」という人物のほうが多数になるというのが、クローズドサークルものでは割と定石な気がしていて、だからちょっと不思議な感じでしたね。『加害者側に回りそうな人間』のほうが少ないのって。分かる人向けに書いておくと、『1章の犯人』、『2章の犯人』、『5章の犯人』が最初に「こいつ、やりそうだな~」と思った人物群です。

 5章! めちゃくちゃ良かった!!! ダンガンロンパ、それまでに触れていた範囲では 3-1 が一番好みだったんですが、そこに 2-5 が加わったという感じです。この二つは流石に甲乙をつけがたすぎるので、これ以上の比較はすることなく、もう両方とも最高ということで片づけておくのですけれど。2-5 の特に好きな部分を一つ挙げておくことにすると、作中で主人公たちの暴いたホワイダニットは勿論のこと、それ以上にその謎に対する『解決方法』がとても良かったです。いや、『解決方法』というと多少の語弊があるかもしれませんけれど、なんだろ、分かる人向けに書いておくと『犯人が目的のために利用したもの』であり『主人公たちが正解の指標としたもの』のことを自分は言っているのですが、それは当作品ならではのファクターで、そのことにめちゃくちゃ感動して。3-1 の他にも 3-5 や 1-4 なんかも自分は好きなんですが、「2-5 はそれらの中でも抜きんでているな」と感じた理由がもしあるとするなら、恐らくこの一点に尽きるのだろうなと思います。本当に良い構成でした。

 

 最初のほうに「色々書きます」みたいなことを書いたような気がするんですが、猛烈な眠気がいまやってきたので、一切を放棄して寝てもよいですか? いいよ。ありがとう。おやすみなさい。ダンガンロンパ2、マジで良いからみんなやってくれな(先に無印をやったほうがいいけど)。

 

 

 

物語

 

 昨日の夜、何となく考えていたのが「『シンデレラ』の幼馴染って、どんな気持ちなんだろう」ということで。ここでいう『シンデレラ』はかの有名な童話のことです(バリエーションは色々あるそうですが、適当なものを思い浮かべてください)。別にシンデレラでなくとも、誰でも知っているような童話であれば『アリとキリギリス』だろうが『オオカミ少年』だろうが何でもいいのですが、昨日の自分が真っ先に思いついたのはそれだったので、ここでは『シンデレラ』について話を進めることにします。これはただの想像の話ですけれど、たとえばあの『シンデレラ』が実話だったとするじゃないですか。もちろん、現実的にあり得ない部分は多少修正を施すことにします。そのうえで、あれが現実に起こった話だとしましょう。つまり、自分たちの知っている『シンデレラ』という物語は、歴史上実在した人物の身に起きた劇的な出来事を、(どういった経緯なのかはさておき)当時の人々が語り継がんとして生まれたものである、という風に仮定することにします。

 そういう前提にいるということを説明した上で冒頭の話に戻るんですが、「『シンデレラ』の幼馴染って、どんな気持ちだったんだろう」です。想像をもう少し具体的にするために、幼馴染にも若干の設定を加えることにします。いわゆる人物設定です。たとえばシンデレラは少女、幼馴染は少年、二人は小さい頃からとても仲が良かったという風にしておきます。そして、少年は少女の置かれている状況、つまり家庭の事情や姉との関係性などをあまりよく知らなかった。そういう状況を考えましょう。少年が知っていたのはあくまで『家庭の外側にいる少女』であって、『家庭の内側にいる少女』がどのような存在なのかということについてはほとんど無知であった。それでも、少年と少女はとても仲良しで、『外側』の少女に関して言えば、少年は様々なことを知っていた。以上がおおまかな設定です。うまく想像できますか? ところどころ言葉足らずになっているかもしれませんが、そこはなんか、いい感じに補ってください。

 次に状況設定ですけれど、まず、少女と王子が結婚するわけですね。『シンデレラ』のストーリー通りに。少年はその事実を心の底から祝福したと仮定します。現実世界にありがちな嫉妬だとか何だとかは一旦抜きにして考えてください。それでまあ話を戻すと、国の人たちは驚くわけです、当然のように。「王子ともあろうお方が、家系も分からぬ少女を妃に迎えるなんて!」みたいな。だって舞踏会とか開いてますもんね。「イイとこのお嬢様を大量に招いているのに、結論はそこ?」みたいな。だから、気になって調べるわけです。「その少女にはきっと何かがあるに違いない!」といった風に。で、あるわけですよ、おあつらえ向きのサクセスストーリーが、そこに。少女は継母の連れ子である姉たちに苛められていて、それでも必死に務めを果たし、王子との出会いそのものは紛れもなく偶然であったものの、その二人が結ばれたのはきっと、どれほど辛い環境にあろうと懸命にあろうとした少女が呼び寄せた必然であり、すなわち運命であったのだ、みたいな。国中で噂になるでしょうね、きっと。なにせ王子の結婚ですし、そんな分かりやすい物語があるわけなので。そうして広まった一つの物語を、どこかの誰かが後世に伝えたいと考えました。そうして生まれたのが『シンデレラ』です。自分たちが知っている『シンデレラ』を辿っていけば、そういう現実の物語に辿りつくのだという風に仮定しましょう。ここまでの全部が仮定です。

 それでようやく本題です。そんな少女のサクセスストーリーを物語として書き記したものが『シンデレラ』。二人の結婚からそう月日を経ないうちに、その初版が国のどこかから公開され、多くの人々がその物語を共有することになります。「王子の見出した少女には、そのような過去があったのか!」と。人によっては少女の境遇に涙するかもしれませんね。人によっては「そんな奴が王子の隣にいるのはやっぱり気にくわない」と思うかもしれませんけど。ともかく、様々な人が様々な印象をその『少女』に対して抱くことになるわけです。それはもう必然的に。そういったある種の感動を伴いつつ、『シンデレラ』の物語はより一層遠くまで広まっていくわけです。貨幣を払ってでも知りたい聞きたいという人がそのうち大勢現れ、ついに『シンデレラ』という物語はお金で買えるようになります。いくらぐらいでしょうね。時代設定を蔑ろにしていたのであまり考えていませんでしたが、まあ現代の日本円で1,500円くらいだとしておきましょう(絵本の相場を知らない)。具体的な金額はどうでもよいです。重要なのは、『シンデレラ』の物語が安価に手に入れられる、ということなので。そうして手に入れた1,500円ちょっとの『シンデレラ』を通じて、人々は少女の境遇や葛藤に心を動かされ、文字通り感動したというわけです。

「先述の幼馴染の少年は、そのような状況を受けて、一体どのように感じるのか」。それが昨日の夜に考えていたことです。繰り返しになりますけれど、少年は『家庭の内側にいる少女』についてはほとんど知らなかったわけです。姉との関係など、断片的には本人から聞き及んでいたとしても、具体的にどのような様相なのかということは把握していなかった。そんな少年のもとに『シンデレラ』の話が届くわけです。驚くでしょうね、きっと。「話には聞いていたけれど、こんなだったのか」って。でも、それだけだろうと思います、この時点ではまだ。問題になってくるのは、そんな少女の物語がある種の『商品』として流通し始めてから後のことです。初めにある『そのような状況』というのは、具体的にはこのことを指しています。少年と少女は仲が良かったんですよ、繰り返すように。少年の知らない『少女』がいたのと同様に、少年しか知らない『少女』もいたわけです。そんな中、少年の知らなかった『少女』だけにスポットの当たった『シンデレラ』が売りに出され、しかも1,500円ちょっとでその本は手に入ってしまうのです。中学生か高校生の小遣い程度で手に入ってしまうような『物語』を人々は求め、「感動した」だとか「涙なしには読めない」だとか、そういった言葉があちらこちらを飛び交って。いったいどんな気持ちになるのかなあ、って。昨日の夜に考えていたことを、なるべく言葉を割いて説明するのであれば、以上のようになります。どんな風に思うんでしょうね、少女の幼馴染である少年は。『シンデレラ』が少女の一側面であることには間違いがない。なので問題はそこではなくて、少女の一側面に過ぎない『シンデレラ』という物語が、大勢の人に感動を与える『商品』として存在する、ということです。分かりやすいサクセスストーリーとして広まっていく『少女』をみて、『シンデレラ』でない少女を知っている少年はどういう風に思うのかなって。不幸の象徴みたいなプロローグに身を埋めて、それでも不断の努力が実を結んだのか、不可思議な魔法によって王子と出会うことが叶い、最後はめでたくハッピーエンド。「感動した」。「涙なしには読めない」。そういった全部が、その少年の眼にはどんな風に映るのかなって、そんなことを考えていました。

 

 

 

 付き合いの長い友人が一人いて、自分は相手のことをあまりよく知らなくて、それでも、知らないなりには知っているつもりでいて。山上一葉としての自分とそうでない自分とがいるみたいに、相手にも二つ以上の立場があって。その中でも自分たちがいたのは現実とあまり縁のない場所というか、有体に言えば、実在の制約を受けない場所だったんです。なんだろうな。極論を言ってしまえば「相手の素性なんてどうでもいい」みたいな。社会に特有の「デキる先輩にはなるべく付き合うようにしよう」とか「あの人が気になるから、意識的に声を掛けてみよう」とか、そういった打算的な働きかけが関与する余地の全くない場所。だから自分は、相手のことをあまりよく知らないし、でも付き合いはそれなりに長いから、知らないなりには知っている。そんな風に考えていたんですね。

 歳を重ねれば重ねるほど、そのままではいられなくなるっていうか。お互いのことを話す機会も多少は増えていって。どうでもいいと思っていた相手の素性がどうでもよくなくなったという瞬間は無くたって、どうでもいいなんて言ってもいられないという瞬間も何度かはあって。やめておけばいいのに、調べてしまったんです、色々を。実在する個人としての相手はそれなりの立場にいる人間で、という事実は予め知っていたものの、自分は個人としての相手に興味を持っていたわけではなかったので、昨日までは特に知ろうとしたことは、思ったことさえなくて。でも、自分の想像を遥かに絶していたというか、なんかもう分かんなくなっちゃって。ぐちゃぐちゃっていうか。なんだろ。感動とか、共感とか、全部。何が呑み込めないのかも分かんなくて、あれこれと考えて、でもまだ分かんないままだし。悲しいわけではないし、苦しいわけでもないし。怒りも失望も全然まるっきり違っていて、じゃあこの感覚は何なんだよって話で。

 この世界にいる一部の人、少なくとも自分一人よりはずっと多くの数の人が『物語』めいたそれを認めていて。一個人としてたしかに生きているはずの誰かを、それがまるで一つの『物語』であるかのように消費していて。感動していて。共感していて。

 なんか、もう分かんないです。そういうの。全部。