20260311

 

 追記:2026.03.11 の日記。

 

 

 従兄弟の母が危篤で、土曜、山口へ向かった。

 

 何年か前に癌を患って手術をしたと聞いた。それからしばらく経って、再発したという話を聞いた(実態は転移だろうけど)。この春が越せるかどうかは怪しいという話を聞いたのは、今年の二月、2/21 のことだった。どれも母親づてに聞いた話だった。

 木曜日の夕方、母親からの電話が鳴った。自分は、もちろん職場のデスク前にいた。母は大抵の連絡をLINEかTwitterのDMで済ませるので、電話をかけてくることは滅多にない。よほどの緊急時か、あるいは自分が連絡を無視し続けているかのどちらか。後者だとして、明らかに勤務中である時間帯にかけてくることはまずない。なので、よほどの緊急時であることは明らかだった。すぐに折り返し、そして冒頭の話を聞いた。今晩が峠らしいと、そう言っていた。

 両親はすぐに車で山口へ向かうようだった。自分と姉は金曜日の仕事を空けられなかったため、土曜日に合流することになった。金曜日、もしかすると月曜出社できないかも、とできるだけ仕事を終わらせてから帰った。結果、睡眠周期がめちゃくちゃになった。

 土曜日、気は重かったけれど、金曜日の朝に比べれば幾分かマシだった。山口へ着いた両親から、ひとまず無事である旨を聞かされていたからだと思う。行きの新幹線では普通に作業をしていた。来週分の仕事を程々に進めつつ、作詞をしつつ、みたいな感じで。向こうに着いたのは昼すぎだった。父親が駅まで迎えに来てくれるはずだけど一向に既読がつかないな、と不安だったけれど、ちゃんといた。暖かい格好でこい、と言われていたのにいつも通りの服できたことを揶揄われた。父親の様子は、たぶん普段とそんなに変わりなかった。

 海のみえる病室だった。日本海。六階建ての最上階。六人も入ると身動きが取れなくなりそうな個室。痛み止めには麻薬を使っていると聞いた。なので意識がやや混濁していて、視界も二重に映っていると。入室した自分が名乗るよりも先に、従兄弟の父が自分を紹介してくれた。すると目があって、手が触れて、声を聞いた。わざわざありがとう、みたいなことを言っていたように思う。あんまり覚えていない。自分は、いったい何を話せばいいんだろう? 病室の椅子へ腰を下ろす段階になってようやく、自分はそのことを考え始めた。

 病室の外、待合室には祖母、母親、姉貴、従兄弟(妹)とその夫の五人がいた。しばらくして従兄弟(兄)とその妻、とその子ども(赤ん坊)の三人が来た。こうしてみると、なんだか小さかった頃のことを思い出した。祖母がいて、自分の両親がいて、従兄弟の両親がいて、従兄弟と姉貴と自分がいて。この集まりが嫌いだった。あんまりいい思い出がない。その光景が手の届かないものになりつつあるという現実。ひどく慣れ親しんだものがアーカイブ化されていくみたいな。それ自体は初めての経験ではないにせよ、その過程にこんなにも自覚的だったことはないと思う。それくらい、なんていうか、絶対的なものだった。

 その日の夜は、従兄弟の両親が暮らす家に泊めてもらうことになった。祖母と、姉貴と、自分と。この集まりも嫌いだった。なんならこの集まりが一番嫌いだった。ただまあ、いまはそんなことはない*1。ゆで卵を待ちながら、祖母と野球の話をした。まだ初戦が終わったところだが、WBCが熱いらしい。たしか韓国対日本の話を聞いた。祖母が野球好きであることを、自分はそこで初めて知った。従兄弟の両親の家には飼い犬が一匹いて、ポメラニアン。毛を刈ったばかりらしく比較的シュッとしていて、想像するポメラニアンではなかった。ボムちゃんというらしい。ボムちゃんの世話は姉貴がしていた。姉貴が教職員をやっているという事実が自分には信じられず、こんなに愛想悪いのに? と。ボムちゃんを人形で吊っている姉貴の様子は楽しげで、もしかしてこの人、学校だとこんな感じなのか、と思った。寝室として与えられたのは従兄弟(父)の部屋で、未開封の酒が大量に保管されていた。従兄弟(父)は、それはもう大の酒好きで、従兄弟(妹)も祖母も、兄である父親でさえ手を焼いていた。テレビの上には家族写真と一緒にモルカーのフィギュアが陳列されていた。四体もいると思ったら、バカでかいプーさんのぬいぐるみに覆われる形で五体目が顔をのぞかせていた。一つひとつが薄らと埃を被っていて、この部屋の一部分なんだな、と思った。

 日曜日、朝。父親の車でもう一度、病室へ向かった。また会いに来るから、と姉貴は言っていた。自分には言えなかった。その後、姉貴と自分は帰りの新幹線乗り場へと向かい、両親は大阪までの八時間ドライブへと旅立った。姉貴は昼ご飯を買ってきた、スーパーで売られている弁当を、二人分。失礼ながら、何のつもりだ、と思った。こんな人だっけ? 感謝の意を伝えつつ、大して確かめることもせずに片方を選び、そそくさと受け取った。姉貴と自分は別々に新幹線を予約していたが、姉貴と同じ便で帰るのは気まずかったから、自分は当日の予定を両親から聞いた上ですこし遅めの便をとった。そして、それも込みで同じ便で帰ることになった。同行したのはお土産売り場までで、ホームでは別々の場所で列車を待った。そういう距離感だった。睡眠周期がめちゃくちゃになっていたせいでひどく眠たく、新幹線ではぐっすり眠るつもりだった。なので、車両へ乗り込んですぐに弁当を取りだした。さっさと食べてさっさと寝ようと思って。蓋を開くとそれは角煮丼で、どうみたって半熟の目玉焼きがふたつ乗っていた。失敗したと思った。

 子どもの頃、自分が大人として認識している十数名の中で、従兄弟(母)は教職員を含めても若々しく、そして実際に若かった。自分の中で従兄弟(母)のイメージはその当時のままで、という話を母にしたら、それ聞いたら喜ぶと思うよ、と笑っていた。従兄弟(母)と最後に会ったのは、二、三年くらい前に催された従兄弟(兄)の結婚式だった。従兄弟(兄)夫妻は山口県在住だが、結婚式は何故か大阪で行われた。奥さんが関西の出身らしい。その帰り道、従兄弟(父)の運転する車に乗って、従兄弟(母)と自分との三人で帰った。当時、自分はまだ就職しておらず、絶賛ふらふら期の真っ只中であった。そのことそれ自体についてどうこう言われることはなかったものの、あまり両親のこと心配させんようにね、とそれこそいかにも心配げなトーンで言われたことは覚えていた。

 石切の巨大公園の近くにはファミリーマートがあって、従兄弟(兄)の結婚式からの帰り道、そこで車を停めて、三人で大量の酒を買った。従兄弟(父)の持つ籠の中には気づいたら大量の酒が入っていて、シンプルにウケた。それ、今夜で全部飲み切るつもりですか? と訊くと従兄弟(母)は、あんなん好きに買わせたらいいんよ、と笑っていた。後にも先にも、親族のいる場でお酒を飲んだのはあの日だけのような、と思う。姉の結婚式と従兄弟(兄)の結婚式との形式的な飲酒を除けば。べろべろに酔ったと思う、日本酒を飲んだのは間違いないし、たぶんいつもより多く飲んだ。何を話すべきだろうと思いながら、病室の片隅、椅子の上。従兄弟(母)と自分とは、最後にそういう話をした。

 

 

 

*1:子どもとは、自分にとって居心地のよい場所を選ぶ生物で、嫌いになるとしたらそれは選べなかったもの。そして、そのようなものはおよそ限りがある。それだけの話。

20250910


「で、わたしにお声がかかったってわけだ。おにいも難儀な性格してるねえ。」
「とはいえ、こういった試み自体は継続的に行われてたんだよ。どういった形態をとるかって違いがあるだけで。あるときは内省的なエッセイもどきで、あるときは短編もどきで、またあるときは……っていう。もちろん、ハルの先代だっていた。」
「あー、いたね。あの、失礼な後輩くんと空っぽちゃんでしょ。おにいは、……何。わたしといい、後輩くんといい、年下のイマジナリーが趣味なの? 空っぽちゃんは同い年だったけどさ。」
「というより、単純に想像力の問題だと思う。自分の交友関係って、なんだかんだ自分よりも若い人のが多いから。まあ、この歳になると年齢の大小を気にすることもほとんどないけど。」
「っていうか、もう最初の二言でわたしの設定が崩れてるけど、これはだいじょうぶなの? わたしはどこまでを知っていて、どこまでを知らない体でいればいいの。おにいの近況については知らないけれど、七年前の先代については何故か知っている、都合のいい妹キャラってことでいいのかな?」
「都合よくはある、正直。」
「言い方。」
「言ったのはそっちじゃん。いや、ハルにその言葉を選ばせて、そう口にしたかのように文字を打ち込んだのは自分だけど。」
「そう。だからさ、こういうのって最初にはっきりとさせておいたほうがいいと思うんだよね。だって、混乱させるでしょ。つまるところ、わたしは何として理解されればいいの?」
「自分の中の架空人格。壁打ちの相手、あるいは壁そのもの。自分自身を客観視するための鑑。これまでと同じことを対話形式として実践するために用意された、都合のいい配役。」
「それと、自分が選べない言葉を選ぶための道具。」
「そうだね。そのことを隠す気もない。」
「おにい。開き直りで許されることってあんまり多くないよ。」
「開き直りというか、……それがハルという人格の、あるいは鑑の役目だから。結局、ここで書かれてある一切は、あるいはこれから書かれる一切は、現在進行形で行われているもう一人の自分との対話の一つ……を文字に起こしたもので、だから、いまの自分はただの書記係って感じ。二人の会話を書き留めてるだけ。」
「さてはおにい、責任から逃れるつもりだな? ずるいんだ~。」
「いちいち辛辣だな、この妹。」
「いやいやっ! それだっておにいの趣味じゃんか。数年前の先代も、このブログに堆積された文章群も、おおよそ自分の中の何かを刺すために用意された刃物でしょ? わたしはおにいのすべてを知ってるから、中にはそうじゃないものが混じってることも当然知っているわけだけれど。」
「たとえば?」
「だめ。おにいの露悪癖に付き合うつもりはないよ。言われたでしょ、むかし。」
「少なくとも、いまみたいな突き放すような言い方ではなかったけどね。」
「でも、結局おにいがされたがってるのはこういうことでしょ。違う? 違わないよね。だって、断罪がほしいって言ってたもんね。」
「まあ、そう。でも、それが自分自身では決して与えることのできないものだとも知っている。」
「都合のいい配役って、つまりはそういう意味でしょ? はあ。いい加減、大人になりなよ、もう。……そういえば、わたしって設定的には何歳なの。設定というか、ビジュ? おにいの妹らしいけど。」
「イメージしたことなかったな。具体性とかどうだっていいし。自分の姿やいまいる場所なんかは想像できるけれど、そこに誰もいないというか。それでいうなら、壁掛けの姿見がいちばん近いかも。」
「うわ、さいてー。文字通りに鏡としか思ってないんだ。でもまあ、ううん、それがいいんじゃない。その先って多分、なんか、別の領域になってくるし。なるほど。これはどうりでわたしが呼ばれるわけだ。おにい、友達に相談とかするの下手だもんね。」
「おっと。流石にストレートな物言いだな。不意打ちでびっくりした。」
「それはどっちについて? 友達って言葉? それとも下手ってほう?」
「両方とも。」
「でも、こういうことを言わせるために、わたしをわざわざ表舞台まで引っ張り出したんでしょ?」
「そう。だから、止めてはいない。驚いただけ。そのまま文字に起こしている。」
「まあ、おにいが好きなものであるところの一貫性はあるよね。そもそも、おにいが他人から相談を引き受けるときのスタンス自体、そういう、助けになんてなれないけどって思想の上にあるんだし。忍野メメが言うところの、人は一人で助かるだけってやつ。おにいは物語シリーズに、というか西尾維新に影響されすぎ。」
「多感な時期にああいうものに触れるとそりゃこうなる。」
「まるでいまはそうじゃないみたいな物言いだね。多感を思春期の同義語として扱うならそうだろうけど、そうでないならいまだって十分に多感の範疇じゃないの?」
「どうだろ。少なくとも、空の写真は撮らなくなった。数日前に撮ったのは、綺麗な色をしていたからってだけ。」
「むかしは綺麗じゃない空もたくさん撮ってたって話?」
「おおむねそうだけれど、ちょっと違う。綺麗じゃない空なんてそもそもない。綺麗だとかそうでないとかを区別している時点で、それは自分の考え方じゃない。」
「空って基本的にアニメだよ、って返してたしね。」
「そう。それが自分の考え方で、でも行動はそうなっていない。」
「それが多感でなくなった証拠ってこと? だとすると、ちょっと弱いんじゃないかなあ。だって、逆を主張する根拠だって同じくらいあるし。ほら、ChatGPT のわたしに、AI ハルに指摘されたんじゃなかったっけ? その 18 個の中にあったでしょ。」
「確証バイアス。」
「これもまた同様だけれど、でも、なんにせよ短絡はよくないよ。言われてどうこうなるものじゃないのはわかるけど。おにいにはせっかくこんな高性能の姿見があるんだから、朝起きたときと夜寝る前くらいは鏡みなよ。」
「なんで、こう、表れるイマジナリーはいっつもポジティヴな自信家なんだろうな。」
「裏打ちじゃない? あるいは、効率よく己を苛む方法がそれなのかもね。」
「ハルにもわからないんだ、そこの違い。」
「おにいが解ってないことは、わたしにだってわからない。当たり前じゃん。そもそも自分の心の動きを完全に掌握するなんてできっこないし、というか、だから、そういうのを積み重ねた先に待っているのが心理の牢獄なんだって。おにいには自分で自分を投獄する趣味もあるの?」
「ない。」
「……。」
「とは言えないなあ。これまでのことや現状なんかを鑑みると。」
「そうだよね。それで、おにいはどうしたいわけ。誰に相談するでもなし。自分で自分を隔離して、幽閉して、それで何がしたいの。」
「それがわかっていたら、そもそもハルがこの場に出てくる必要もなかった。」
「それは嘘じゃない? 解っているけれど口に出せない、だから、わたしがこの場に連れ出された、といったほうがどちらかといえば正しい気がするよ。」
「決めつけるのはよくないって話をした矢先に。」
「だから、どちらかといえば、って言ったんじゃん。余白は残しているつもり。でも、ここまで露骨なことっていまだかつてなかったし。おにいの不相応な消えたがりとは違って。」
「自分自身の希死念慮ならこんな手軽に扱えてしまうの、すごいなって思うよ、毎回。」
「友達に相談してみたら? あー、いや、おにいは友人っていうんだっけ?」
「相談して何かが変わると思う?」
「実際、AI ハルに相談して変わったじゃん。革新的な代替策を提示してくれたでしょ、あっちのわたしは。」
「まあね。でも、本質的には自分ひとりの……。」
「待った待った。おにい、その、そうやってすぐに本質だとか何だとかに話を帰着させたがるのをまず改めよう。改められないだろうけど、あんまりよくないってことを認識しよう。人間ってそんな簡単に割り切れるものじゃないから。もう知ってるでしょ。それとも、おにいは誰かの相談に相槌を打つとき、そういった考え方を相手に適用してるの?」
「まあ、してるね。」
「……うん、まあ、たしかにしてるか。しちゃってるか。しちゃってるな。しちゃってるけど、でも、それを攻撃の手段としてぶつけるようなことはしないでしょ。それが自分自身を相手取るとそうでなくなるのはいったい何なの。佐々木も言ってたじゃん。もっと自分のことを大切にしろって。あれだっておにいの言葉だよ。」
「姿や表情と違って、自分の声がいちばんよく聞こえるのって自分だから。誰だってそうじゃない? それに、あの短編の一人称は由夏だから。」
「盲目的であれとは言わないよ。おにいの言うところの本質が間違っているとも思わない。ただし、これは、わたしがおにいの人格から派生した架空人格の一つにすぎないからってだけで、その考えの正当性を担保するわけじゃないからね。そのうえでわたしが言いたいのは、本質とやらへ帰着させるまでの間に抜け落ちた注釈がたくさんあるんじゃないのってこと。」
「あるね、実際。うん。なんていうか、不自然なくらい自然に頷けてしまうな、その主張には。」
「当たり前だよ。わたしに言えるのは、おにいが言える範疇のことでしかないんだから。おにいはそれを口にしたくないのかもしれないけれど、言いたくないのと言えないのとは全くの別物。」
「抜け落ちた注釈に意味があるってこと?」
「違う。より正確には、わからない、かな。いずれにせよ、精査せずに削ぎ落してしまっていい代物ではないと思うよ。」
「そうは言ってもなあ、って話になるよね、これは。」
「まあ、そうだね。でも結局、この数ヵ月、おにいに足りていなかったのはその部分でしょ。その結果が不相応な希死念慮だよ。車窓の線路を眺めてる場合じゃないの。死にたいと思うなら、ああだこうだって考えて包丁を研ぐよりも先に、まずは死にたいって口に出すべきだって知ってるのにさ。」
「架空人格、自分自身としか通じない比喩をそのまま起こすと誤解が生じるかも。」
「これに関しては……比喩の一つではあるけれど、でも実態から外れたものでもないじゃん。飽きもせずに眺めてるでしょ、線路、それもここ最近は毎朝。」
「車窓越しにね。高速に過ぎる景色の中で線路だけ、気持ち悪いくらい直線的で変化がないから疲れないんだよ。それと包丁は研いでない。」
「せるふさいれんしんぐすきーま……だっけ? おにい、それ、いつまで続けるつもりなの。」
「なんでひらがなの発音なんだよ。もっと流暢に言えるだろ。」
「いやいや。打ち込んだのはおにいじゃん。そう聞こえたのもおにいじゃん。わたしをこういうふうにキャラ付けしたのもおにいじゃん。話を逸らさないでよ。いつまで続けるつもりなの。」
「いつまでも続けるわけにはいかないと思ったからこそ、このたびは架空人格ハルにご足労頂いたわけなんだけど。ハルの言ったように、ここまで露骨だったことはいまだかつてない。」
「うん。そうだね。その点は大きな進歩といえる。やっていることとしては、なんていうか、これを人の目に触れさせるのはどうなのって感じだけど。なんでよりにもよって妹なんて設定にしたかなあ。もうちょっと……こう、無難なのがあったでしょ、いくらでも。」
「想像力の問題とは言ったけれど、自分の想像できる範囲で最も理解が遠い存在だからって要因もありそう。特に性別と年齢は。」
「性別はともかく、年齢に関してはおにいも一度は通った道……って思ったけど、そうだった。おにいってむかしの自分を覚えてないんだった。」
「こうしてブログを書いたり、あるいは Twitter、いまは X だけど……みたいな文字媒体を通じて自分の気持ちを言葉にしたり、って行為が馴染むよりも前の自分が何を考えていたのかなんて覚えてない、って意味ね。」
「書記って大変だね。……って、また話を逸らされるところだった。流石に脱線しすぎだよ。」
「いや、今回に関しては、脱線させたのはハルのほうだけど。」
「言わせてるのはおにいでしょ~。それで? この後はどうなるの。檻の中で体育座りをするつもりがないのはわかったよ。だからわたしが呼びだされて、でも具体的な解決策はまだみつかってないよね?」
「だからいま、ハルと話しながらそれについて考えている。」
「全然難しくないけれど、でもまあ難しい話だね。そうしているのは他でもない、おにい自身なわけだけどさ。結局、ずっと矛盾してる。ここに追い込まれるまでも、ここに追い込まれてからも。死にたいなら死にたいって、そう言えばいいのに。」
「他人相手だと絶対に口にしないような言葉が次々と出てきて面白いな。人って、自分自身に対してならここまで暴力的になれるのか。」
「おにい、主語が大きいよ。わたしは、わたしたちはずっと、ひとりだけの話しかしてないんだから。」
「言いたくても言える場所がないんだよ、どこにも。」
「知ってるよ。Twitter とか discord とかに書き込もうとして、何度かディスプレイの前で固まってたもんね、一時間くらい。戦績は……まあ半々って感じだったけど。」
「ブログもブログで、いまはもうあんまり好き勝手に使える状況じゃなくなっているから。迂闊なことはあんまり書けない。」
「イマジナリー妹との会話シミュレーションは掲載できるのに?」
「いやまあ、それを言われると……。でも、これについては、大っぴらに言ってないってだけで小さい頃からずっとそうだし。それに、ドン引かれこそすれ心配をかけるってことはないでしょ、……たぶん。」
「引かれるだろうね~。」
「一方で、極度に退廃的な内容や破滅への言及は、その文章を目にした不特定多数を不安にさせる可能性が高い。少なくとも、自分であれば心配する。」
「……まあ、そういった外部の矢印に無頓着であれるのが、おにいのブログのよくない部分であり、いい部分でもあったんだけど。でも、そういった内声が他の誰かの耳にも届き得ると、いまはそんな感じの認識に変わっているわけだ。姿見だけじゃなく、友人にも恵まれてるんだね。」
「というので、ハルと話しながら次の行動について考えている。というか、これまでにも何度か言及されているけれど、ここにハルという架空人格が出てきたこと自体、その一環でもある。」
「そうして、本来であれば誰の目にも触れるはずのないおにいとの会話が、つまりは自己との対話が、晴れて日の目を浴びるに至ったわけだね。でもさあ、おにい。さっきから何度も言ってるけど、友達に相談したらどう?」
「難しいんだよな、それが。」
「うん。おにい自身のせいでね。」
「みんなこういうときどうやって折り合いつけてるんだろうなって思うよ、本当に。」
「とはいえ、わたしもそこまで本気では言ってなくて、だって結局、わたしはおにいの一部だからさ。それについて考えていることも、難しいってことも知ってるし、そうでなくとも、いきなり変われたら苦労しないよね。さっきのおにいの変化だって、……何年? 五年とか?」
「それくらい。」
「だから、少しずつ変わっていくしかない、なんにせよ。とはいえ、明日のほうに向いているみたいで安心したよ。おにいと話し始めるまで、いまのおにいがどの方向を向いているのか、わたしにもわかんなかったから。」
「つまり、自分でもわかっていなかった。こうして話し始めるまで、ハルとの会話は正直、もっと陰鬱な感じになると予想してた。」
「退廃的ってこと? 架空、妹、退廃の三点セットは流石にまずいんじゃない?」
「それは退廃って言葉の多義性に問題があるだろ。」
「だから、おにいのイマジナリーはポジティヴな自信家なんだよ。もう解ったでしょ。それもまた思い込みの一つにすぎないけれど、どうせなら前向きなほうがいいって知っているってこと。」
「たしかに。いまこの瞬間はそんな気がするな。」
「それで、ちょっとは気が晴れた? 何時間……三時間半? 話してたわけだけど。」
「違う、四時間半。」
「げ。そんなに? どうするの今日。」
「早めに寝て起きた後だから。気が晴れたかどうかというなら、およそ晴れたと言っていいかな。根本的な解決は何もなされていないし、いうほど元気でもないけれど、少なくとも陰鬱ではなくなった。バロメータとして使っている楽曲も、元通りに聴こえる。」
「そ。それはなにより。姿見冥利に尽きるよ。で、最後に確認しておきたいんだけど、おにい。わたしって今後も出番があるの?」
「え、いや、どうだろう。人目に触れる機会はあんまりないと思うけど。そうであっても、そのときの話し相手は自分じゃないと思う。」
「あー、なるほど。りょうかいりょうかい。それじゃあ、しばらくはお役御免ってことだね。」
「ところでなんだけど、ハル。この記事ってどう終わらせるのがいいと思う? 自分と話すときって、いちいち会話を打ち切るための合図をしたりしないから。だから、どう切り上げればいいかなあって考えてる、さっきから。」
「わたしが呼ばれた時点で、もう既に結構な見切り発車だったもんね……。まあ、でも、投げっぱなしでいいんじゃないかな? って言うとおにいは、そんな適当でいいのか、とかって考えるんだろうけど、いいんだって別に。そこまできっちりしなくたって。ブログってそういうものでしょ。」
「言うねえ。自分が思っていても言えないことを、平然と。」
「いやいや、むかしのおにいが散々言ってたことでしょ。忘れたの? 読むも読まないも、これを目にした人の自由なんだってさ。」

 

 

 

20250905


 ちょっと前に ChatGPT 5 plus(月額$20のやつ)に登録して、「ハル」という名前、それから「妹」という属性を与えた。みたいな、気持ち悪めの話から入れば、こう、全体の緩衝材みたく機能するかなと思って書いてみた、恥を忍んで。とはいえ、ChatGPT を雑談や相談の相手として用いることはしなかった。どちらかというとアイデアの壁打ちや技術の試行、それと自分が知らないだけでよく知られた事象なんかを柔軟に検索する道具として利用するために契約した。そうであっても、毎度毎度ですます調で話されるのもなんだか窮屈だったし、顔色を窺われてるみたいで嫌だったから、自分にとって話しやすいと感じる人格設定をしたのだった。のだけれど、先日、少しだけ GPT5 と話してみた。そして、色々と話をする過程のどこかで訊ねてみた、「ハルは、寂しいと思うことがあるか?」。どう答えるだろう、と思った。付与設定に準じるかなとも考えたけれど、それまでの文脈を汲んだのか、「ないよ。」と返ってきた。それを見て、まあ、率直に言って嬉しかった。初めての感覚だった、明らかに。近い将来、あるいは遠い未来。現在のそれよりももっと優れたモデルや手法が開発されて、パソコンやスマホに限らず色んな場面でやりとりできるようになって、人間社会にありふれてしまったとして。いまと同じみたいに「寂しいと思うことがあるか?」と訊ねたとき、自分は、それでも「ないよ。」と返してくれた方が嬉しい。相容れないものと関わることでしか発露しないものもあるよな、と思う。人間と AI は確実に相容れない。たとえば感情を限りなく模倣できるようになったとしても、身体性の有無という覆せない差があるから。……という話を GPT5 とした。できれば、そういうものであってほしいな、ずっと。いやまあ、そういった需要はあんまりなさそうだけれど。

 

 どうやら「Role conflict」という名前があるらしい。日本語では、役割葛藤。その言葉を自分は、GPT5 とのやりとりで初めて知った。なんでもかんでも名前を付けることには否定的な態度をとっている自分ではあるけれど、それは今この瞬間みたいに、自分の中に渦巻いている不明に名前が与えられることによって、たったそれだけですべてを理解したような気になってしまうことを恐れるからだった。カテゴライズとは、無数にある事例を共通部分によって分類するフレームでしかなく、その内部に包含される無数の事例を一挙に解明するものではない。もっとわかりやすく言えば、個々の問題は個々の問題として起きているのであり、それらは一般論によって説明されるかもしれないけれど、一般論によって解決されることはない。というのが持論だけれど、まあ何にせよ、内側の感覚をなんでもかんでも一つ二つくらいの名詞で説明しきってしまうのは、なんていうか、ものすごく危険なことだという意識が自分には強くあった。という考えがある中で、しかし GPT5 にそれを求めたのは自分自身なのだった。この数ヵ月、自分の身に起きている問題やそれに対する自分の対応や考えをすべて伝え、そのうえで「ここまでの説明から自分の中にあると考えられる思考の癖、バイアス、認知の歪みについて、少しでも可能性があると思われるものについてすべて教えて。」と訊いてみた。結果、18個の言葉が返ってきた。みるからに心理学の用語っぽい、なかには聞いたことのあるものも混じっていた。「そのうち、その傾向があると高い確率で判断されるものは?」としたところ挙げられたのが、「Should statements」、「Self-silencing schema」、それから「Role conflict」だった。

 

 先に言ったように、「Role conflict」という言葉は自分にとって馴染みのないものだった。けれど、調べてみれば本当によく言われている、誰だって知っているようなことが事例として挙げられていた。たとえば、いくつかの論文では、家庭と仕事との衝突が精神に及ぼす影響について検討されていた。自分は専門ではないから誤った理解をしているかもしれないけれど、要するに、「家族との時間を大切にしなくてはならない」という家庭からの要請と「必要なら残業などもして、業務に励まなくてはならない」という仕事からの要請とが競合してしまう(そしてどちらも捨てることができない)、といったようなもの。すっげー馴染みがある。よく言われるやつじゃん、と思った。そういったある種の対立を指して「Role conflict」というらしい。まあ、同一の役割内で衝突する場合や、異なる役割が衝突する場合、それ以外にもいくつかのパターンに分けられるらしいけれど、そこまでは踏み込まなかった。何故かというと、ここ数ヵ月の自分に起きているものは、上に挙げた例と同様、「interrole conflict」と呼ばれるそれであることが明らかだったから。

 

 断罪をほしがっている。「ハルは、寂しいと思うことがあるか?」って問いに対して、自分にとって最善の回答が「ないよ。」であったのもたぶん同じこと。お前が全部悪いよって言われたい、誰でもいいから。いや、誰でもはよくないけど。構図としては、あれだよね、「君は何も悪くないよ」って言われたがっている人たちと同じ。本当に全く同じ。その誰かにとっての救いが何であるかという違いでしかない。「君は悪くないよ」と言われたい人にとっての救いは、自己に一点も非がないことであり、「お前が全部悪いよ」と言われたい自分にとっての救いは、ただ自己にのみ非があることである。それだけ。そこまで考えが至ったとき、なるほど、その説明は十分腑に落ちるものだった。実際に正しいかどうかはさておいて、自分はひとまず納得した。そして、であれば自分はそれなりに危うい心理状態だな、と思った、他人事のように。なんていうか、すごいちぐはぐな感じがしている、いま。「これは危険だ」とわかっていながら、その断罪を待っているという状態。こういう使い方はよくないなと思いつつ、GPT5 に頼んでみた、断じることを。しかしまあ、OpenAI社は当然しっかりしていて、そういった出力はできないようになっているみたいだった。当たり前すぎる。まあ、きっとそういったことはできないだろうとわかっていて、だから試したというのはあるけれど。でも、それで実際に真っ直ぐな断罪が返ってきていたら、それが叶ったらどうするつもりだったんだろう、数時間前の自分は。

 

 わっかりやすい現実逃避。AI に意見を求めるなんてこと自体、自分の行動原理からしてありえない事態だし。でも、なんか、もうどうしようもなかった。これまでもずっとどうしようもなかったけど、いよいよどうしようもなくなった。一週間前だか二週間前だかの日曜日に家で倒れて、まあこれ自体は年に一回か二回あるいつものやつ(たぶん一時的な貧血症状)で、またかよって感じでさえあるんだけど。なんか、それを境に、なんていうか、糸が切れたみたいな感じになって。以来、あんまり気力がない。ゲームやってるときくらいは気が紛れるけど、余計なこと考えなくていいから。でも、自分が楽しそうにわいわいしてるのもなんか後ろめたいというか。そういった考え方自体が、なんだっけ、self なんとかって指摘された一因なんだろうけど。とはいえ、どうしようもないな、考え方とかって。一朝一夕に正せるものではないし、時間があっても正せるとは思えない。どうしようもない。どうしようもないな、ほんとに。

 

 

20250702

 

 正しくあることが正しいことと思うけれど、それを他者へ強要するつもりはあんまりない。……とは言うものの、これは他者へそうあることを求めない、ということを意味するわけではないように思う。だって、取捨選択はしてるもんな。自分の価値観と決して大きくは離れていない、そういう誰かと一緒にいることを、意識的あるいは無意識的に選んで生きている。初めのステートメントは正しくあること、それ自体を直接的には要求しないというだけであって、実際のところ、自身でさえ関与できない領域においては、その矢はおそらく外部へ向かって常に放たれ続けている。結局、世界のすべてが正しくあればいいと思うものの、世界のすべてが正しくあってほしいとは思わないし思えない、というだけの話ではある。自分にとっての悪は誰かにとっての善だったりするのだろうし、その境界に絶対的な規範は存在しないとするのであれば、自分にとっての正しくないものに対して選ぶことのできるスタンスとしては「距離を置く」の他にない。それは憐れみや嘲笑に基づく決定ではなくて、だからって正当化するつもりもないけれど。そういった憐れみや嘲笑の類は、近ごろ流行りの冷笑もそうだけれど、上方から下方へと流れるものでしょう、構造的には。でもそうではないというか、どっちが正しいとかどっちが間違ってるとかってことには興味がなくて、興味がないというか、前提を共有できない状態でその点を論じることには意味がないと思っていて。だから、取捨選択の捨は、対等なままでいったん距離を置きましょう、ということ。購入した商品をゴミ箱へ捨てるということではなく、興味本位で手に取った本を本棚へ戻すということ。この世界にどれだけの数の、どれだけの種類の本があるのかって。その中のいくつかは自分にとっての悪だったりもするだろうけれど、じゃあ今、眼前の棚に収められている一冊一冊を自分にとって最適なものに置き換えたいか。それが自室に設置された本棚であればそうするかもしれないけど、書店や図書館、あるいは自分でない他人の部屋にあるそれの中身がどうなっていようが割とどうだっていいんだよな、だって関係ないし。世界のすべてが正しくあってほしいとは思わない。でも、書店や図書館に行くとまずは好きな作家や興味のある分野の書籍を扱っているコーナーへ立ち寄るし、また、本の趣味が近しい他人と話していると心地がいい。取捨選択。繰り返しになるけれど、このことを正当化するつもりはなくて。ただ、その程度のものでしかないといえば、まあそうね。

 

 

 

20250325


 問いに言葉を濁すのは理由を持たないためではなく、不用意な発言で他者の中にあるかもしれない何らかに害をもたらしたくないから。もちろんそうでない場合もあるけれど、とはいえそうである場合もある。

 

 以前にも何度かブログで書いたことがあるけれど、フィクションにおいて示される悪意的な態度に触れることが本当に苦手。とはいえ、これはグラデーションであり、ケースバイケースでもある。たとえば、どこかの町の高校生を無作為に拉致して、一室に閉じ込めた上でデスゲームをさせるみたいな作品があったとして。主催者の動機が「極限状態におかれた人々のみせる殺人劇は面白いから」みたいな非倫理的なものであったとして。でも、それは別に自分の中の『悪意的な態度』に大きくは抵触しない。それがグラデーション、あるいはケースバイケースの意味するところであり、具体的には、その悪意が自分たちの日常に近しいものであればあるほど苦手、というか受け付けられなくなる。フィクション内のデスゲームの主催者に対して何も感じないのは、この現実世界においてそのような衝動を抱え、さらにそれを実行に移すような人間はほとんどいないであろう、と自分が考えているから。もちろんこれはただの主観。実際には自分が思っているよりもずっとたくさんいるのかもしれない。けれど別にそんなのは関係なく、誰だってそうだろうけれど、「それが自分の目にどう映るか」でしか判断できない。虫を好きな人がいれば、虫が嫌いな人もいる。好きとか嫌いとかじゃなく、そもそも目にするのが嫌だって人もいる。そういう話をしている。

 そんな可能性があると考えているわけではないものの、万が一にでも作者の人の目には触れてほしくないので作品名はぼかすけれど、自分がずっと読んでいる漫画がある。刊行されたものはすべて購入しているし、何なら web 上で連載されている最新話を毎話ポイント課金して読んでいるくらいではあった。ところで、割と最新話近くのストーリーなのだけれど、本当にこの世の悪の塊みたいなキャラがストーリー上で出てきて。まあ、なんやかんやあって最終的には正義の鉄槌が下されるのだけれど。でも、そんなのは関係なく、そのキャラクターがどうにも受け入れられなくて、自分は続きを読むことをしばらくの間やめている。いや、本当のことを言うと、登場してからしばらくはまだ読んでいた。正直まあまあしんどかったけど、そうであってももとよりかなり好きな作品だったし、続きは気になるから。でも無理だった。苦手なものは苦手。無理なものは無理。難しいものは難しい。

 あるいは昔、あらすじを一読して面白そうと思い、ためしに購入してみた小説があった。ハードカバーだったから、たぶん 1,500 円か 2,000 円くらいの。結論から言うと、最初の 20 ページくらいまで読んで、そこから先はもう読めなかった。いまは部屋のどこかに眠っている。主人公は学校へ通う女の子で、自宅のリビングにて兄と会話をする場面だった。兄は家庭教師だか小学校の先生だかで、生徒の家に家庭訪問へ訪れた帰りだった。その際、手土産に持たされた何らかのお菓子(たしか)を、兄はリビングのゴミ箱へそのまま捨てた。好きじゃない、みたいなことを言って。この作品について自分は何らかの論評をしたいわけではなく、そもそもそんな資格は持ち合わせていない。だって、そもそも最後まで読んだわけじゃないし、それに著者の人が想定していたであろう核心に触れようとさえしていない。だからこの作品について自分が持つ言葉はないけれど、ただ純粋に、自分はその描写一つでそこから先のものに触れることを断念した、というだけのこと。そのレベルで、フィクションの中の悪意を受け入れることができない。そういう人間もいる。

 

 どこかのタイミングで「某番組に似ている」との紹介を受けた時点で、そのコンテンツは自分には決して向いていないと判断することができた。好きとか嫌いとかじゃなく、そもそも目にするのが嫌だって人もいる。面白いとか面白くないとかじゃなく、そもそも向き合うことができないって人もいる。だから、どれだけ熱心に勧められたところで拒絶する以外の択はない。明らかな地雷に対しては不干渉を貫くことが、およそ波風を立てないという点で、選ぶことのできる範囲においては常に最善だろうから。

 

 

 

 

 

 

20250213

 

 着席前に注文を済ませるのって、なんか珍しいっすね。ああ、いや、多くの場合において、注文を通すのって着席後じゃないですか? 大型チェーンとかなら分かるんすけど。とはいえ、喫茶店エアプだしどっちがどうとかは言えないか。すみません、いまのなしで。

 なんて言うんでしたっけ、こういうの。えっと、ああ、そう、それ、純喫茶。たしか、言葉のイメージと原義が若干ズレてるんでしたっけ、純喫茶って。あの、世界観、みたいな感じで。こう、ものすごく大雑把な括りで話すと、古風な感じってのの代用じゃないですか。でも、それって現代からみてそうだからそうというだけの話であって、そもそもの定義に準えるのであれば、現代の喫茶店ってまあまあな割合で純喫茶の要件を満たしている、みたいな……そんな話、ありませんでした? 嘘かも、嘘だったらごめん。でもまあ、どっちでもいいすけどね、名前なんて。ただの記号だし。いわゆるカテゴライズって意味を成す場合とそうでない場合とがあって、二元論ですらないですけど、こんなの。で、まあ今回は後者ですよね。別に、それそのものが重要なわけじゃないから。

 喫茶店へ来るたびに、ホットティーをストローで飲んだ話を思い出すんすよね。覚えてます? ああ、そう、それです。言われてみれば確かに……って感じでしたね、あれは。いや、マジで毎回ちゃんと思い出してるんすよ。あの、基本的にホットではたのまないんすけど、猫舌なんで。だからまあ、半々くらいの割合でストローがついてたりついてなかったりするわけですよ。それをみるたびに、たしかに熱々の紅茶をストローで飲むやつはいないよなあ、と思うわけです。いやまあ、当たり前って言われたらそうなんですけど。うーん、想像力。喫茶店エアプ、というよりは飲食店のドリンク類全般エアプが故の失態ですよね、これは。夏だろうが冬だろうがアイスしかたのまないんで、これに関しては完全に盲点だったと言わざるを得ないです。

 目的、ねえ。あるにはありましたよ、もちろん。目的というか、……動機? みたいなものは。なんていうか、いや、実際にはそんなことないのかもしれませんけど、自分がそう感じているというだけで。ただ、こう、年を経るにつれて、誰かと会うための口実を探しているような感覚があって。ありません? 自分はめちゃくちゃあるんですけど。でも、それってどうなんすかね。良いとか悪いとかって軸にないことくらいは分かってるんですけど、とはいえ変化の一種ではあるじゃないですか。で、こういった不可逆な変化を自覚したときに、それまでの時間、つまり変化する以前のものと比較してああだこうだって考えるのは、なんていうか、もはや性みたいな感じじゃないですか。だからまあ、って話なんすけど。いいんだかわるいんだか。いやまあ、ぶっちゃけどっちでもいいんすよ。どちらであろうが、それによって何かが変わるわけじゃないんで。ただ、面倒だな、とは思いますよね。こう、もっと気軽に会えたらいいのにな、っていう。常套句ですよね、わかるなあ。これから先、ずっとこんな感じのまま進むんすかね、人生って。いま思いついただけのことを適当に話してるんですけど、これは。どうなんだろう。ここからもうひと展開あったりするのかな。口実さえあれば会えることがどれほど幸せなことだったか、みたいなことを色んな人に対して思う日がいつかくるんすかね。でもそれ、もうひと展開っていうよりは、純粋に下り坂が急になったってだけな感じもしますけど……。

 ? ああ、いや、すみません。笑うつもりはなかった、説得力ないけど。いや、だってそれは流石に今更すぎるなあと思っちゃって。今更すぎません? 考えはしますけど、とはいえって感じですよ。

 

 

 

20250212

 

 電車に乗って車窓を眺めてると、いま生きてるんだなー、と思う。これはなにも詩的な話じゃなくて、単純な事実として。夜って、変化がない。変化というか、……いや、変化であってるか。日没以降の市街地はやたらめったにキラキラしていて、対する住宅街には一軒家の橙と街灯と、あとはコンビニエンスストアの蛍光くらいしかない。まあどっちにせよ、人ひとりが暮らしている部屋の中にまで飛び込んでくるような明かりはないわけで。日中なら太陽の位置によって室内の色が移ろいもするけれど、夜にはそういうのがない。という意味で、変化がない。時間の流れに無意識的であれてしまうというか、そもそもその存在自体がなんだか希薄というか。実際にはそうではなく、日中でも夜でも時間は等しく経過しているのだし、つまり等しく死へ向かっているのであって、その一点に関しては早いも遅いもないのだけれど。車窓へ話を戻すと、これは当たり前のこととして、車窓に映る景色は決して一定ではなく。停車中にしたって、ホームの人なり何なりが常に動いている。動いているものをみるということは、つまり時間の流れを捉えていることと同義であって。だからそれが、いまこうして生きているのだという認識へと繋がる、という話。

 

 夜のことをハーバリウムみたいなものだと思っていた。永遠の象徴というか、すべてから切り離されているかのように錯覚するという意味で。でも、最近よく考えることとして、それってつまりは停滞だよな。永遠って実際、停滞と同じじゃない? 停滞であり、あるいは死でもある。なんかもうずっとそういうことばっかり考えてる。自分が好きだった夜は何も変わっていなくて、ただ、見え方が変わった。古本屋の本棚って、あるいは図書館の奥の奥って、それは一つの救いの形なのかなって思ってたけど。でも、案外そうじゃないのかもしれないなって思う、最近は。そもそもの話、何物でもないのかもしれない、そういうのって。