20230131

 

 人間関係における対称性と非対称性とについて考えている、ここ最近ずっと。あまり他人に話したりしないけど、こういうこと。とはいえ、具体的な表現を避けているというだけで、このブログに書かれてあることの二割くらいはそういう話なんだよな。二割、……二割は言い過ぎか。でも、ブログを立ち上げた当時、もうたぶん知っている人の方が少ないであろう頃の自分が書いていたのは、そういう文章が主だった(ところで、たまに振り返って「これはないな」となったものは非公開リスト送りとなっているので、いま遡ってもあまり見つけられないかもしれない)。要するに、これは昔からずっと考えていることの一つであって、昔っていうか、大学に入って以来。それを最近もまた考えているっていう、ただそれだけの話ではある。「愛と依存の違いは何?」。いまもまだ頭の中にリフレインするいつかの問。昔の自分は昔の自分なりの、そしていまの自分はいまの自分なりの答えを持っていて、ところで、これは個々人に固有のものだと思う。絶対的な正解なんて恐らくないし、自分だって、昔と今とで答えが異なっている。だから、色んな人の話を聞きたいな、とも思う。愛と依存の違い、その正体はいったい何だと思う?

 

 自分が信仰と呼んでいるものについて、その中身を尋ねられたことがあった。けれど、「それを説明するには、まずは(自分の中で)言葉をちゃんと整理しなきゃいけない」みたいなことを言って、結局、その場では何も話さずに終えてしまったような覚えがある。信仰の正体について、このブログに書き残しておいた方がいいのだろうな、という気がずっとしていて、ここ最近。どうしてかというと、自分の中で、次第にその色が失われつつあるように思うから。これは、望ましくない変化ではない。では望ましいのかと訊かれると、とても咄嗟には頷けないけれど、だけど抵抗感はいまのところない。というか、なんだろ。なんだろうな。そういう風に変化している自分自身を自覚するたびに、以前、人から言われた言葉を思い出す。曰く、「一葉さんにとっての青春の終わりが、自分にとっての青春の終わりですよ」。冗談めかして告げられたその台詞が、本当にただの冗談だったのかそうでないのかはどうだってよくて、とにかく、そうして笑わずにはいられなかった夜のことを自分はいまでも覚えていて。信仰の痕を思うと同時に、だからその言葉を思い出す。六年弱、多く見積もれば一〇年弱。気づけば内に宿っていた信仰心とつかず離れずだった日々が大学生活の、あるいは高校生活から続いた今日までの一側面であるとするのなら、それを手放してしまうということは、ともすれば青春の終わりの一つであるのかもしれないなと思うから。でも、抵抗感はないんだよな、本当に。不思議でもない。在るべきものが在るべき形に収まったという感覚、……いや、逆か。消えるはずだったものがちゃんと消えた。痕。あるいは、浮遊霊かも。とはいえ、『鬼物語』を、八九寺真宵を好きになったことは別に伏線なんかではないけれど。とにもかくにも、ずっと続いていた何かが終わっていくような感覚。……この認識は正確ではなくて、本当はもう終わってしまっているのだと思う。空白に自覚的であることが、その証明。青春の終わり。言われて以来、果たしてそんな日が来るだろうかと疑問だったけれど、でもちゃんと終わったらしい、気づかないうちに。

 

 対称性と非対称性。信仰は、非対称的だと思う。自分はいわゆる宗教にまるで詳しくないから知らないけれど、人間がある特定の対象を信仰するとき、見返りの信仰が返ってくるなんてことはきっとないはず。一方通行。遠くの空に明滅する星を眺めるのと同じ。焦がれたり、疎んだり、遮られたり、遮ったり。夜に雲が塞いでいたとして、その先に在ることを決して疑わない。オリオンの三連星、ポラリスシリウスだって、ある日突然消えたりなんかしないから。だから、灰色の静寂を暴きたいとも思わないし、火なんか投げない。そういうものじゃない。確かめなくたっていいし、手元になくたっていいし、届かなくたっていいもの。信仰。出町柳駅の前、いつかに受けた宗教勧誘を思い出す。たしか一時間くらい話し込んでいた、そういった人たちの話を聞くのが純粋に楽しくて。彼らは、だから、神様を独占したいだなんて考えちゃいなかった。だから、ただ偶然立ち会っただけの自分へわざわざ声を掛けたんだろう。そこには、あるいは薄ら黒い目的もあったかもしれないし、なかったかもしれない。けれど、内に在る信仰心の意義を説く彼らの語りは、やっぱり自分にとってはとてもキラキラしたものにみえた。自分と同じなんだな、と思った。異なる点があるとすれば、自分はその在処を誰かに直接教えたりはしないことくらい。鴨川沿いを歩きながら、「星空は好きだけど、雲が塞いでいるとそれはそれで嬉しい」と人に話したことがある。確かめなくたっていいし、手元になくたっていいし、届かなくたっていいもの。自分自身を含めて、この世界にいるどんな人間の手も届かないような、そういった場所に星が明滅していることへの安堵。自分にとっての信仰は、結局のところ、そういうものだった。雲の向こうに星があればいいなと思う。これは自分から信仰へと向かう矢印。けれど、星は別に自分のことを考えて光っているわけではないし、そうであってほしいとも思わない。ずっと曇天のままで世界が滅んだって別によくて、だってそんなの関係ないし。昔のことを思い出してうだうだしたり、あるいは嫌になって不貞寝したり、ずっとそうしているわけにもいかないから音楽を作ったり。でも、そういう全部が関係ない。自分が何をしているかとか、生きているか死んでいるかさえどうだってよくて、どこか遠くの空にいつか見上げた恒星がいまもまだ瞬いているということ。そのこと自体に意味があって、そのことにしか意味がない。強がりとかじゃなくて、心の底からそういう風に思えると思えること。それが自分にとっての信仰。抽象的すぎるよなと思うけれど、気取ってこういう書き方をしているのではなくて、なんていうか、自分の感覚をなるだけ正確に言語化しようとすると、どうしてもこんな感じの表現になる。逆にそうした正確性を排してしまって、内側のイメージと大部分を異にするかもしれない何かが聞き手に伝わることを恐れずに言葉を選ぶなら、死に対する感覚と近いのかもしれないと思う。学部三回生の頃に気づいたこと。死生観と恋愛観。いずれも、たったの三文字で片づけてしまうにはあまりに重大で、あるいは軽すぎる。だから、あんまりこれらの概念についてどうこうと言葉を割くつもりはないのだけれど、ひとつだけ言うなら、(これは大昔にブログに書いたけれど)かつての自分にとってその二つは同一だった。信仰の正体は死への感覚と近いと、そう考えたから。明滅する星、覆い隠す雲。見上げて、こんな空だって好きになれそうだなと思う。あるいは、それが信仰の正体であり、だから、何かが欠け落ちたままでだって生きていられる。事情の知らない第三者からすれば十二分に疑わしい主張だろうけれど、いつかの自分にとっては、でも本当のことだった。

 

 対称性。大切なものって何だろうな、と考えてみたとき、自分の中で最重要なそれとして思い浮かぶのがこの言葉だった。あるいは、鏡かも。お互いがお互いの鏡であるという状態。つまりは、合わせ鏡。合わせ鏡であること。合わせ鏡であろうとすること。合わせ鏡であれると信じられること。んー、自分の中ではこの理解が割としっくりきているのだけれど、ところで自分と同じ辞書を持っているわけではない人が、すなわち自分でない他人がこの文章を読んだとき、まあまあ意味不明の怪文書の様相を呈しているだろうなとは思う。まあ、気になる人はいつでも訊いてください、答えられる範囲で答えるので。ところで、これは本当に今更すぎる注釈だけれど、以上の話も以降の話も、あくまで自分の考え方を書いているにすぎず、これが全人類に普遍的な思想だとか、あるいは絶対的な正解だとか、そういった主張をするつもりは一切ない(本当にない。自分のことをよく知ってくれている人がそんな勘違いするとは思っていないけれど、ところで不特定多数が閲覧可能な場であるので一応断っておく)。閑話休題。対称性。そのことを思うのは、孤独について考えるとき。孤独とかいう意味が広すぎる言葉は、用いるときにはきちんと定義すべきなのだけれど、……なんて言えばいいかな、どうしたって長くなる。同じ感覚を、このブログでは「寂寥感」という言葉で呼んでいるはずなので、定義を気にする人はブログ内検索でも適当にかけてみてほしい。これまでに「寂寥感」と称していたもののことを、ここでは「孤独」と称している。孤独なんて、普段ならまあ使わない言葉の一つだけれど、とはいえ照らしておいたほうがいい。……人間は本質的に孤独だと思う。絶対的な事実としてではなく、一個人の主観的な感覚として。欠落のままでだって生きていける。生きていけはする。でも、それは孤独でないことの証明にはなり得ないよなと思う。痛まないし、苦しくないし、悲しくないし。笑顔のふりとかじゃなく心の底からちゃんと笑えて、呼吸だって普通に続く。でも、ふと目に留まった坂道を何となしに登って、そうして辿り着いた高台から街明かりを見下ろしたとき、なんというか、曖昧な寂しさのような何かが、心臓を撫でられたみたいな感覚が内側にあることに気づく。本質的な孤独とは、つまりそのこと。先日、自分の日常的な行動圏内からは明らかに逸脱している地域の祭りへ足を運ぶ機会があって。自分が今日ここに来なければ、すれ違うことさえ一生なかっただろうなって家族連れ、カップル、ご年配の人。何に対する寂しさなんだろうと思う。そう思うけれど、でも、あるものはあるのだからどうしようもない。向き合わなきゃいけない、その感覚に。世界の共有と疎外感、合わせ鏡。相手が自分の孤独を映してくれるから、自分もまた相手の孤独を正しく映したいと思うんじゃないかなって気がして。合わせ鏡であろうとすること。相手の孤独に向き合うこと。それが、だから対称性。最も大切なものの一つはこれなんじゃないかって、そんな気がする。孤独の所有、手を繋ぐことの意味、灯りを見失ってもそれでもちゃんとわかるもの。それは雲の向こうに明滅する星のことであって、でも、だけどそうじゃない。何度だって永遠を願ってしまうということ、その答え。愛と依存の違いがあるとすれば、それは対称性であり、鏡であり、孤独であり、永遠であり、って思う。思った。

 

 これらは結局のところ、三年半前の自分へのアンサーという話で。当時の自分は当時の自分なりに真剣に悩んだはずで、色々と考えたり不貞寝をしたり、それでもちゃんとその痕跡のいくつかを今の自分にまで残してくれた。だから今日がある、……らしい。こんなブログだって、まあ、正直いつ止めてもよかったわけで、別に続けたところで何かがみつかる保証なんてどこにもなかったのだし。褒められるわけでも、認められるわけでもない。こんなにもどうだっていいことを、どうにもならないことを、それでもやめなかったいつかの自分がいて、だから今日の自分がいるんだなって思うと、なんか。ボーナスステージ。幸福であることへの執着。けれど今、こんなにも死にたくないと思う。幸せとかじゃない。そんなちっぽけなものじゃなくて、もっともっと大きなもの。ちゃんと言葉はみつかっていて、だからこそ言いたくない。何度でも永遠を願うということ。その答え。「奇跡なんて」と笑うのは、そんな些細な一瞬がどれほど奇跡的な偶然の上に在るのかを、それでも知っているからなのかもしれないな。

 

 

 

20230116


 そう短くもない人生を振り返ってみて、「思えば、あれが転換点だったんだな」と感じるような思い出はいくつもある。たとえば、中学時代に通っていた塾のこと。たとえば、インターネット上で知り合った作曲を趣味とする人たちのこと。たとえば、高校三年生のクラス担任だった先生のこと。たとえば、入学と同時期に所属を決めたサークルのこと。たとえば、深夜に人と鴨川を歩いたこと。たとえば、二年前の四月に客席から観たライブ演奏のこと。たとえば、一昨年から昨年にかけての年末年始のこと。たとえば、八月にみた夜明けのこと。転換点。それは、自分の手の中に在る継ぎ接ぎの地図の紙面上に、それでも明確に何かが書き込まれたと感じるような、いまにしてみれば間違いなくそうだったと思える、そんな一瞬のこと。たぶん、それは誰でも知っているくらいにありふれたもので、いまこの文章を読んでいる人の中にだってきっとあるはずで。そういった時間の積み重ねの結果が頁となって、後に人生というタイトルの与えられた一つの物語として綴られることになるんだろうなって思う。なんていうか、だから、不思議だなと思う。辿り着く先の光景に覚えがあるのならまだしも、未だ知らないどこかへと向かって歩く道中、その足取りの価値や意味を頭で理解していることは、少なくとも自分の場合には滅多にない。たとえば、人に勧められて大文字山へ登ったときもそうだった。舗装された道路から、小石の散らばる砂利道へ。高く伸びた木々、水流の音、遠くに鳴いた鳥の声。見上げて上る石造りの階段のその先に、何があるのかなんて知りもしなかった。開けた視界、眼下に広がる京都市の街並みを見下ろして、そうして初めて「ああ、これをみるためにここまでやってきたのか」と思う。ここが目的地だったのかという、ある種の達成感。その感覚が伴うことで、これまでに辿ってきた道のりの価値や意味が、自身の中において正当化される。昨年の三月、その一瞬が永遠になることを、たしかにあの日の自分は、そこに至るまでの自分も、当然のように知っていた。けれどそれは、その向こう側に何が待っているのかが予め分かっていたから。進んでゆく方角の果て、そこにはいつかと同じ形をした最後があって、そのことは手描きの地図が教えてくれていた。だから、あの日の自分は、その一歩一歩がかけがえのないものであるということを理解した上で辿ってゆくことができた。だから。だから、不思議だなと思う。この一週間、そのほとんどすべて。今という一瞬の大切さをこんなにも噛みしめながら過ごしたのは、たぶん生まれてから初めてのことだった。経験があるわけではないから、この先に広がっている景色の形なんて知りもしない。そもそもまだ歩き始めたばかりで、どこへ向かっているのかも分かりやしない。けれど、手元の地図、その紙面上、判読はできないものの、たしかに何かが書き込まれている。両手で事足りるくらいの、たったそれだけの歩数しか進んでいなくて、なのにそのことを知ってしまっている自分がいて。だから、この一週間にはそれだけの重みがあった。だとすれば、それは書き込まれた一瞬のうちに気づいていたはずのもので、だから、それが本当に不思議だと思う。目的地に辿り着いたという実感が、そうして振り返った先に広がっている景色が、それを手にした誰かにそう思わせるとするのなら、つまりはきっと、そういうことなんだろうなって思う。

 

 

 

星空


 新年におみくじを引きに行った。祇園四条にある八坂神社まで。三が日もあけて一日を経た後の平日正午前だというのに、大勢の人でごった返していてまあまあ驚いた。神社でおみくじを引いたことくらいならこれまでの人生に何度かあったけれど、ところで一人で来るのは記憶の限りだと初めてだな。みたいなことを考えながら境内を進んで、さて、おみくじ売り場はどこだろうと数秒ほど辺りを見渡した。微妙な死角になっていた左手側後方、誰がどうみたって迷わないくらいの大きな文字でかかれた「おみくじ」をみつけて、そりゃまあこの規模感だとそれくらいの親切はあるよな、と思った。事前に聞いていた通り、御籤は二種類あった。一般的に想像される真っ白なそれと、薄桃色のそれ。面白いかなと思って両方とも引くことにした。木製の筒から棒なり紙なりを引き抜くといった形式ではなくて、大量の御籤が桶のようなものの中に収められていて、その中の一つを自身で選んで受付へ持っていくといった形式だった。なんだかんだ言って、ただ運に任せてしまうよりは自分の手で選べた方が嬉しいかもな、と思って、目を瞑って適当に手に取るとかもせず、「どれがいいだろうな~」と外目には何の差異もない無数のそれらと睨めっこしていた。別に何の直感も確信もなく目に留まったそれを手に取って、それから受付へ。受付の人が異様に淡々としていて面白かった。まあ、これだけの数の人間を一挙に相手させられたらそうなるよなと思った。境内で開けてしまってもよかったし、というかそうするのが普通なのだろうけれど、そのことを何となく躊躇ってしまった。誰にもみられたくなかったのかもな、おみくじの中身とかを。別に、そんな強い気持ちで事に臨んだというわけでもないのだけれど、ところで無意味に引いたわけでもなくて。んー。境内の中にはくじに書かれてあることで一喜一憂する人たちの声が飽和していて、そこはかとない気まずさ。結局、境内では開かずにそのまま神社を後にした。どこで確かめよう。なるべく早く中身を知りたかった、そのときは。信号前、橋の上、なんか違う。このままだとバイトが終わって家へ帰るまでみられないかも、と思いつつ改札をくぐる。階段を下りながらふと、あり得ない可能性について考えた。昔からの癖で、自分にとって都合の良すぎる可能性、都合の悪すぎる可能性、そのなかでも特に両極端にあるものについて妄想することがあって、これはもう無意識的に。「たとえば、明日死んでしまったら」とか「たとえば、いきなり目の前の人に話しかけられたら」とか。確率上は決して起こりえないことでもない。けれど、ほとんど無視してしまってもよい程度の可能性ではあるはずで、そういう意味で「あり得ない」。階段を下りながらふと、両方とも大吉だったらどうしような、と考えた。それから、そんなことあるわけ、と笑う。去年の初詣に引いたおみくじは凶だった。学部三回のときにいった平安神宮のそれは、覚えていないけれど、少なくとも大吉ではなかった。二種類とも引いたから、今年は二枚分ある。まさかねえ。みたいに、あり得ない可能性について考えて、あり得ないなって笑い飛ばすまでが予定調和。都合の良すぎることも悪すぎることも、それらが現実にはおおよそ起こり得ないことを知っているから、だから架空世界の御伽噺として楽しむことができるのであって、現実がそうなることなんて別に望んじゃいない。階段を下りて、それから既に停車していた列車の中へ。最後尾の車両の、なかでも最後列の座席。始発駅ということも相まって、この時間のここはだいたい誰も座っていないことを知っている。誰もいないな、と思って、それから財布の中へしまいこんでいたおみくじを取り出した。好きなメニューは最後に食べる派なので、白のほうから開けた。大吉。マジか、と思った。どの項目にも軒並み「全部うまくいくからマジ頑張れ」的なことしか書かれていなくて笑った。こうなると、逆に何の意味もないような気がするけれど。いや、全部がうまくいくならそうであってほしいから、これはこれでいいのか。残る一つ、薄桃色のそれを手に取って、あまり慣れない開封作業をしながら考える。これが大吉だったら、どうしような。どうしよう。「あり得ないよ」って笑い飛ばした架空がもしも現実になったらだなんて、考えてもいなかった。そういえば、秋M3のときもそうだったっけと思う。あのときもそうで、あり得ないなと思って話していたことが実際に目の前で起きていて、気が気でなかった、正直に言って。だって、そういうのって決して起こり得ないからこそ現実味があるのであって、実際にそうなってしまったらそれはもう、なんていうか、違うじゃん。起こり得ないと思ったことだって叶ってしまうと知れば、何をどうしたって期待してしまう、その先があることを。どうやって開封するのが正解なんだろうな、と思いながら薄桃のそれを開く。大吉。目を疑った。うわ~、と思った。真っ先に確かめたのは『幸運の鍵』という項目だった。そういうものがあることを事前に聞いていたから、自分にとってのそれはいったい何なのだろうと思って。ほんの一瞬だけ目で探して、すぐにみつけて、それから思わず笑った。あまりにも、あまりにもすぎて。そうこうしているうちに目的地へ着いたので電車を降りる。それから歩き始めて、そういえばとイヤホンを装着した。リスティラ。もう一年半近く前なのかと思いながら、リリースは一昨年の 11 月頃だけれど、作詞作曲自体は 7 月には片付いていたから、だからだいたい一年半前。思えば、ものすごく背中を押してもらっているなと思う、たぶんこの世界の誰よりも。制作に関わってくれた人たちとか、作品を受け取ってくれた人たちとか、あの頃の自分が書いた歌詞とか、そういう全部に。まだ覚えている。それを確かめるためだけの唄だったはずが、なんていうか、いつの間にか、この先にあるはずの何かを信じるための唄にもなっている、自分の中で。前向き。自分がどれだけネガティヴなのかを知っているから、だから本当にびっくりする。梅田の街、ビルに囲われた青空を見上げて、まだまだ歩いていけるのかな、とか思う。思った。2023.01.05. のこと。

 

 なんていうか、とても気に入っている。自分にとって、それはとても重大な意味を宿した言葉という風に思うから。星空。星空って、本当にどこにでもあるものだと思っていて。どこにでもある類の中でも、かなり上位に食い込むだろうというレベルで。少なくとも自分は、曇が空を塞いでいるなら仕方がないけれど、そうでない限り、望みさえすればそれをいつだって手に入れることのできる環境にいて。支度をして、靴を履いて、玄関の扉をくぐって。そうやって、外の世界を確かめるだけでいい。鍵の掛けた部屋に閉じこもったままでは触れられないけれど、腕に力を入れてドアノブを回す、たったそれだけのことで簡単に届いてしまえる、それが自分にとっての星空だと思う。それに、どんな灰色の雲が塞いでいたところで、空へ火を投げればいいだけの話なのだし。だとしたら、自分の意思次第で本当にいつだって手に入れることができる。そういうもの。ただの偶然に意味を見出しすぎだな~って思う。だけど、だからそれさえも信じてみたいって、そういう気持ちも同時にあって。そういう気持ちがあったから、だからおみくじを引きに行った。その結果がこれなのだとしたら、あとはもう自分次第だよなって。そう思う。薄桃色、大吉、冬の空についての歌が記されていた。幸運の鍵は、曰く「星空」。冬、星、空。なんか、なんかなあ。あり得ないって架空は架空でしかないんだから、叶わないままで何の不満もなかったのに。なのにさあ、って。だって、期待するじゃん、そんなの。死にたくなくなるし、もっとずっと先の景色をみてみたくなる。永遠だって、何度も願ってしまうかも。怖いなって思う。一寸先の光景なんて知らないから当然のように脚は竦むし、永遠がどこにもないことは分かりきっているのに、だけど、それでも確かめたいって高揚感。何にも期待しなければ何かに裏切られることも同様になくて、それでよかった。それでよかったのに、世界はさあ。奇跡とか、魔法とか、曲がり角とか坂道とか。いったい、あといくつ隠してるんだって思う。笑っちゃうな、本当に。

 

 

 

20230108


 誰かと誰かの関係を天体に喩えてみたりする。一般的によく持ち出されるものとしては、例えば星座。ところで、自分は恒星間の距離を意識することが多い。小さい頃、宇宙に関することが書かれた本を読むのが好きだった。たしか、自分が小学四、五年生くらいの頃だったと思う。冥王星と呼ばれる惑星が準惑星という一つ下のカテゴリへ、まあ、事実上の降格ということに世界的に決まったらしいということを知った。あれは、当時通っていた学習塾の表彰式の会場、どこかのホールの、少なくとも高層階。規定よりも進んだ学習をしている生徒は年に一度、その表彰式へ呼ばれ、内部に表彰内容の刻まれた(たしか、虹色の線だった。どうやってたんだ)キラキラとした結晶を受け取る。先の内容を学ぶことそのものについてはさして興味はなかった。だから、その塾もよくサボっていた。ところでキラキラしたものは昔から好きだったから、だからその式自体も嫌いじゃなかった。ちなみに、その結晶はたぶん、実家のリビングにいまも飾られている。話が逸れすぎた。会場内、母親に手を引かれながら、『なぜ、めい王星は惑星じゃないの?』という、水色の表紙の本を見つけた。冥王星が惑星でなくなったことは、たしかその時点で知っていたように思う。ところで、特に強い関心があったわけでもなかった。なのに、その水色にものすごく心を惹かれて、その後なんらかのやりとりを経た上で母親に買ってもらった。表彰式を口実にしたのかもしれない、覚えていないけれど。帰ってから読んだ。これ自体もまあ本線から逸れた話ではあるのだけれど、というように。というように、宇宙関連のことにはおおよそ目がない、そういう小学生をやっていた。男子小学生の半分、いや、半分は言い過ぎにしても四分の一はそんなものだろうから、別に珍しいことじゃないと思う。一級検定問題であるところの「小学生の頃の将来の夢は何か?」の答えも「宇宙飛行士」なわけだし。これは「泳げない」という理由により早々に諦めたけれど。小学校の図書館へは、ほとんど足を運ばなかった。本を読むようになったのは中学へ上がってからだから。けれど、六年間も同じ場所で毎日生活していれば、何らかの理由で訪れるという機会だって少なからずはある。図書館は、扉から入って左手側に蔵書用の棚が伸びていって、視線の先、斜め左あたりの壁には南の空を映す窓があるという構図だった。ところで、図書館のカーテンは大抵閉まっていたような気がするな。表が黒で、裏地が緑色のカーテンだったと思う。扉のちょうど向かいに、たしか図鑑の類が収められている棚があった、たしか。その、どこだっけな。一番下の段だったと思うんだよね、宇宙の図鑑はたしかそこに置かれていた。小学生の頃、かなり早い段階だったと思う、それを読むことにハマっていた時期がたしかにあって。色んなことを知った。パッと思い出せるものなら、星だっていつかは消滅するのだということ。永遠を疑わない子どもにとって、この事実はかなりの衝撃だった。白色矮星とか、超新星爆発とか、当時読んだっきり以降の人生で一度も触れることのなかった言葉を、それでもすぐに思い出すことができる。「地球もいつかはなくなるのか!」と不安になって、同じページに書かれていた地球の寿命予想的な途方もない大きさをした数字に「めちゃくちゃ先だし大丈夫か」と胸を撫で下ろしたり、「いやでも、いつか地球がなくなるなら発展って何のためにあるんだ」と遠すぎる未来のことを考えたりした。けれど、そういったたくさんの発見の中で、何よりも衝撃的だったことは距離だった。光年という単位。光の進む速さを基準にしなければ語ることのできない距離。想像もつかない。正確な値は知らずとも、光があり得ないくらいに速いことなら、オリンピック選手とか車とか新幹線とかロケットとか、そういうのよりもずっと速いことなら知っていたから。それを知った当時に何を思ったかまでは流石に思い出せない、ただ衝撃的だったというだけ。けれど大学生になって、夜を歩くようになって、そうして星空をみつけるようになって。知識の底にあったそれを思い出して、たぶん、真っ先に想起されたのは孤独だったように思う。孤独。地球上から見上げている自分にとっては小指分の横幅もない、そのくらいに二つの光はとても近いもののように思えて。だけど、本当は物差しなんかじゃ到底測れないくらいの断絶がそこにあるんだなって。そういうの。誰かと誰かの関係を天体に喩えてみたりするとき、自分が意識するのはそういった距離感のこと。相手からの光はちゃんと届くし、自分からの光だってきっと届いている。だから通じ合っているみたいに錯覚をして、けれど本当は、その誰かと自分との間には想像も及ばないほどの空白が横たわっていて。寂しいなって思う、普通に。けれど、いつからか自分は人間関係をそういう風に定義することに対して、何の躊躇いも持たなくなった。というか、むしろ納得する。そうだよな。自分たちなんて結局は他人同士だし、分かりあえないし、踏み込まないし、喧嘩だってしない。それは、だから二つの恒星が光でも数十年かかるくらいの距離に離れていることと同じ構図なのかもしれないな、と思って。寂しいなとは思うけれど、でも、飛び越えようとも思わない。飛び越えてみたいと好奇心が顔を覗かせることはあっても、片道切符じゃちょっと難しそうだから。

 

 納得感。ちゃんと納得感がある、これは本当に。それは、対岸に灯台があったから、とかじゃない。灯台も松明も月明かりも、そんなのがなくたってそれでも進んでみたいと思ったし、思えたし、なにより信じてみたかった。自分自身のこともそうだけれど、景色を塗り替えた色とか、その先にあるのかもしれないまた別の景色とか、そういうのを。振り回すとか、同じものをみようとするとか、それはまあそうなんだけど。けれど、だからそういうのを全部ひっくるめて、距離を飛び越えてくるからなんだろうなって思う。境界線なんかよりもずっと手に負えない、光だって持て余すくらいの空白を、なのに不思議と全然感じない。心臓に触れられているみたいな、そんなのは錯覚だって分かってるのに。ほんと、笑っちゃうな。なんていうか、星空を見上げて、星と星との距離を考えて、孤独に浸ってみたりして。「寂しいな」とか、「でも、それが自然な在り方なんだよな」とか、そういう風に受け入れてこれまで生きてきたし、これからもそのままで構わなかったのに。なんか、なんかなあ。朝に目が覚めて、考えて、こんなに単純な人間だったのかって、まあまあ呆れたよね。

 

 

 

2022.12.31 - 2023.01.01


 群像劇が好きなんだ、ってそう口にするのはいったい何度目のことだろうな。数年前の自分が何の気なしに使った言葉で、それでもいまも強く記憶しているものが一つあって、「同じ空をみているわけじゃない」とかいうの。気になるなら、ブログ内検索をかけてみてほしい。2019.06.22 の記事が、その言葉に対する自分の考えを最もよく描けているといまの自分は思う。自分以外の他の誰も、自分と同じ空を、同じものをみてなんていないという事実。それは人間関係における一種の恐怖であり、そして一種のやりがいでもあるように感じる。すれ違い、勘違い、行き違い。自分にだけみえる坂道、トンネル、階段。隣を歩く誰かが指でさした、雲だとか星だとか光だとか。相手の知らないもの、相手しか知らないもの。世界は、思うにそういった類のもので溢れかえっている。怖くないはずがないよな。言葉ひとつだって、誤った受け取り方をされたくないからって注釈をやたらと添えるのに。たとえば、誰かの言葉に対して安易に「分かる」だとか何だとか、理解している風のことを言いたくないみたいな。言うけどね、普通に、日常会話だと。でも、本心の側ではそういうことを考えていて、だからその気持ちも合わせて伝えるということがままある。他人の中にいる自分って、自分がどうこうできるものではおおよそない。ところで、本物の自分とかって呼ばれるものがこの世のどこかには必ずあるとするなら、それは恐らく自分でない、他の誰かの中にこそ在るのだろうなって気がしてて。好きも嫌いも何にせよ、自分しか知らないものだって、結局のところ、その価値を決定するのは受け取った第三者のほうなのだし。自分にとっての価値なんて、そういう意味ではあんまり関係がないし、意味もない。無価値と言っていい、あくまで「そういう意味では」の話。だから、こんなにも怖いことってないよな、と思う。いま自分の目に映っているもの。たった一瞬だって、それだけの価値を見出したもの。なのに、その在処を自分以外の誰一人も知らないかもしれないという可能性。存在の否定。それが怖いから、だから確かめたいとも思わない。「何をみてる?」って、そんなことわざわざ訊きたくないし、同様に訊かれたくもない。……みたいな。数年前の記事を読み返してみて、当時の自分ならそこで立ち止まってしまいそうだな~って思う、思った。いや、いまの自分の中にもあるんだけどね、そういう警戒心はまだちゃんと。でも、なんていうか、それ以上に違いを照らし合わせることでいったい何がみえるんだろうって、そんな気持ちのほうがずっと強い。間違い探しってわけじゃないんだよな。自分の世界にあるけれど、相手の世界にはないもの。相手の世界にあるけれど、自分の世界にはないもの。すれ違い、勘違い、行き違い。何一つだって重ならない風景。そういう全部、間違い探しってわけじゃないんだよなって思う。存在の否定でもない。それは、まあ、どんな楽観で考えたって期待の一種。期待通りの人間なんているはずがないんだし、だから自分以外の全部を心のどこかで疑っている。最初から信じることなんてしなければ、裏切られることだって同様にないのだし。大なり小なり、誰だって知っているはずの防衛機構。それは、だから、自分にとってあまりにも大きな鍵だったのかもなって思う、いまにして思えばだけど。どこで外れたんだろう。どこで外れたんだろうな、本当に。でもなんか、そんなの本当はどうだっていいことなのかもなって思えた瞬間が、2022 年のいつかどこかに確かにあって。やりがい。視界に映る風景の差異を較べ合うことで、ここじゃない、またひとつ先の場所へ手が届くのかも。そう思うと、あまりに奇跡的だな。だって、世界はそういった類のもので溢れかえっているから。同じ空をみているわけじゃない。初めがどうだったかは思い出せないけれど、いま現在のそれは諦めの類ではなくもっと前向きな、肯定的な感情。群像劇って、つまりはみえている景色の違いを較べ合うという行為そのもの。だから好きなんだろうなって思う。本当に、ものすごく肯定的な感情。ちょっと、自分でも信じることを躊躇うくらいに。

 

 という関係あるのかないのかも不明瞭な長すぎる前置きを終えて、以降に続くのは 2022.12.31 から 2023.01.01 にかけて自分が何をしていたのかという日記。名前をぼかす必要があるかと言われれば恐らくないけれど、どっちも後輩だから単に「後輩」とだけ呼ぶと被るんだよなって問題がある。……まあ、全く深く考えていないけれど m と n とかにするか。両者のことを知っている人ならそれで人物との対応がつくだろうし、知らない人でも読み物として成立するライン的にこの辺りが落としどころな気がするので。ところで、m と n って整数の組みたいで面白いな(数学科アピ)。自分は i だけど、こっちはなんとなく自然数っぽい。変数の添字に使うやつ。ところで、これは後輩 m の日記。

note.com

 

 結論を先に言うと、2022.12.31 から 2023.01.01 にかけて何をしていたのかといえば、後輩 m、後輩 n、自分の三人で色んなところを行動していた。それら出来事を単に日記として残しておきたいという目的意識がある一方、一日の密度があまりに高かったからちゃんと文字に起こせば、後になって群像劇っぽい楽しみ方ができそうという思惑もあり。なので、場所や時刻も覚えている限りで記載の上、ブログとしてここに書いておくことにした。どのくらいの分量になるかな~。

 

 

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最後まで書いてからの追記:

全部で 30,000 字以上らしい。マジで誰が読むんだよ、こんなの。

可読性のために目次を用意しておきます。

 

 

 なにこれ?

 

 

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○ 2022.12.31 8:30 - 9:30 自宅⇒京阪出町柳駅

 一日の始まりを目が覚めた瞬間として定義するなら、2022.12.31 のスタートは手紙をかくところからだった。眠りに就いたのが同日の 6:00 前後、薄らと陽の昇りはじめた頃で、目を覚ましたのが 8:00 ちょうどのアラーム。前日中にやってしまいたかったことがあって、それを片付けていたら睡眠時間が全く確保できなかった。計画性。本来なら手紙を書いてから眠る手筈だったのに、回らない頭で書いてもロクな文章にならないと思って布団へ潜ったのが前日、というか同日の早朝。起床直後はあまりに全身が重く、ベッドの上で 10 分刻みのアラームに従って眠ったり起きたりを繰り返していた。8:30 を回ったところでようやく「このままだと流石にまずい!」となり、掛け布団を蹴飛ばした。集合時間が 9:30 に出町柳で、家から駅までは多めに見積もって 20 分を要する。ということは、およそ 40 分の間に手紙を書く必要があり、ところで手紙を認めたことなんて四半世紀の人生において一度しかなく、だから所要時間の見当なんてつくはずもない。だから眠るまでに取り掛かるのがベストだって話なんだよな、予定の上での話をしても仕方がないけどさ。みたいなことを思いながら机に向かった。前日に、これは辞書通りの前日で 2022.12.30、梅田の LOFT で購入したレターセットとボールペンを取り出して、ざっくりとした内容は前日のうちに考えてあったから、それに沿って文字を起こしていった。書き慣れていないペンで力加減がいまいち掴めなかった。寝起きというのも相まって、あんまり綺麗な字ではなかっただろうな。もとより字が綺麗な人間ではないけれど、一段と。これは冒頭に貼った日記の内容だけれど、自分があーだこーだって言いながら文章を書いている間、後輩 m はエアコンの切り忘れが気になって道を引き返したり、それで遅刻確定の時間になって大急ぎで走ってたりしたんだなって思うと面白い。自分は手紙を書き始めた数分後には「あー、これ間に合わないな」と遅刻の見通しが立ったので、全員に「遅刻します」の連絡を入れ、悠々自適に文章を書いていた。家を出たのがそもそも 9:30 を過ぎていたし。申し訳ないって気持ちはある(本当にある)けれど、2022.12.31 をもう一度やり直せたとして、思うに同じことをするだろうなって気がする。手紙を断念するという選択は、まあないかな。

 

 

○ 2022.12.31 9:55 - 10:50 京阪出町柳駅⇒阪急茨木市駅

 駅の階段を下って改札前がみえるくらいになって、けれど待ち合わせ相手であるところの後輩 m の姿がどこにも見当たらなくて困った。流石に自分より遅れているなんてことはあり得ないからどこかにはいるだろうと思って駅の奥へ足を進める途中、改札の向こう側にそれっぽい姿を発見し、そのまま直進して切符を購入した。あとになって気づいたけれど、discord 経由で「改札の向こうにいる」という旨のメッセージが届いていた。集合直前に discord を確認するという習慣が自分になく、それに伴うニアミスを 12 月だけでも結構数している気がする。こういうのって本当の本当に些細すぎる行き違い(数秒程度で解決する)だから、改善しようという気も起らない、できるならしたいけど。とにもかくにも、後輩 m とは無事に集合できて、そのまま 9:57 の特急列車に乗った、たしか。もう一人の後輩 n との待ち合わせが 10:00 で、出町柳からは特急列車でおよそ 5 分。そこからの徒歩による移動時間を込めても 10:05 までには指定の場所へ着くので、だからそっちとは数分程度の遅刻に留まったな~と思いながら。ところで、どんな理由であれ遅刻はよくないので改めたほうがいい。2023 中に改めようリスト、とりあえず一つ目はこれで。いつも相手が許してくれるからって、それに甘えるのはなんか違う。

 阪急京都河原町駅の地上階段前、後輩 n と合流、挨拶も程々にそのまますぐに改札へと向かった。途中、「周辺」という言葉を用いた看板が目に留まって、「ここを通るたびに m  のこと思い出すんだよね」という話をした。実際、バイトへ行くときに毎回思うんだよな。自分以外の二人は交通系 IC を使いこなす現代人である一方、自分は毎度毎度切符を購入している。今回は公共交通機関を使っての移動があまりに多く、そのたびに二人を待たせてしまっていたから流石にそろそろ自分も買おうかなって気になってきた。駅のホームへ下って、自分は途中のコンビニで購入したよもぎ大福を、後輩 m は何かしらのおにぎりを食べていた。その中身を尋ねたのは後輩 n のほうで、即答できない後輩 m に「なんでだよ」と言った記憶はある。ところで、結局、あのおにぎりって何味だったんだろう? 肝心の答えを聞き逃してしまっていた。よもぎ大福の袋は駅構内のゴミ箱へ捨てた。

 10:20 発の特急に乗った。最近、阪急京都線には準特急っていう新しい区分ができたんだけど、たしか特急だったと思う。2×2 の座席。自分は通路側、隣では後輩 m が謎の菓子パンをもしゃもしゃと食べていた。当日の移動中に気づいたことだけれど、後輩 m は未知の飲食物に対する抵抗感があまりないのか、口にしたことのないものへ手を出すのにあまり躊躇いがないらしい。自販機か何かで買ったペットボトル飲料に「これはちょっと甘すぎるな」と呟いていたのがとても印象に残っている。途中、前日に自分が梅田の LOFT でいったい何を購入したかという話をした。後輩 n のほうには一定の文脈があるものだったし、話題の方向性としても移動時間の暇つぶしにはちょうどいいかと思って。ところでノーヒントでは流石に当てられないだろうと思ったのだけれど、割と初手に近いところで後輩 n から「まずレターセットは買ってると思うんですよね」と言われ、咄嗟に言葉を濁してしまった、普通にびっくりして。遅刻の原因にもなった手紙のこと。手紙に関する話を後輩 n としたことがあり、ところでそれは一ヶ月半近く前。なのに初手で当ててくるの、流石にやばすぎだろ。以降は色々とヒントを出しつつ、「一つはスマホケース」「スマホケースも含めて、買ったのは全部で四つ」「そのうち、スマホケースとあと一つはいま所有している」「スマホケース以外の三つは、全部同じフロアで買った」「梅田 LOFT の六階」。結局、後輩 n が全部当てた。スマホケース、レターセット、あとは初めのほうに書いたボールペン。最後の一つはなんでしょうというクイズをここにも残しておくか、折角だし。当てられたら貴方は一葉検定一級です。

 

○ 2022.12.31 10:50 - 11:35 阪急茨木市駅⇒阪急バス茨木山手台七丁目

 阪急茨木市駅で下車。ホームの階段を下りて、改札のあるフロアへ。改札をくぐるよりも前、後輩 n がどこかへと吸い寄せられ、何かと思えば団子屋さんだった。寿司キャラは露骨に育てているけれど、一方で団子キャラはちまちまと育てている、みたいなことを以前言っていたなと思い出した。曰く「階段を下りたときから気づいてましたよ!」。言われなきゃ気づかないままスルーしていたと思う。朝からよもぎ大福を食べたくせに、真っ先に目が留まったさくら餅を一つ購入。あとで食べようと思い、とりあえずリュックの中へしまった。残りの二人は陳列された和菓子を前に一分ほど悩んでいた。食べ物に異様な関心を示す後輩 n が何を買うのか、頭の中で賭けてみたけれど外れた。和菓子界最大手であるところの三色団子を買うと思ったのにな。

 11:00、そのまま西口のバスへ乗り込んだ。なんでそんな正確に時刻を記憶してるんだよってツッコミがあるかもしれないけれど、種を明かせば簡単な話で、スマホのカメラロールに撮影時刻が残っているから。撮った写真をもとにして、「そういえばこんなことがあったな」と文章へ起こしている。ところで、京阪・阪急での移動における所要時間はだいたい記憶しているという話もある。閑話休題。バスへ乗った、ちょうど 1 番乗り場に停まっていた、明らかに地元のバス。自分は京都の市バスを年に一度くらいでしか使わないし、使ったとして京都市のバスはいつだって観光客でぎゅうぎゅうだから、自分たちも含めて乗客が二桁に満たないような、そんなバスに乗るのは高校当時の通学以来のことだった。座ったのは一番奥の、五人掛けが想定されている席で自分は三番目。隣には後輩 m 。五人掛けの席に座ることを指して、後輩 n が「遠足気分ですね~」みたいなことを言っていた。たしかに。そんな後輩 n は先の団子屋さんで購入したそれを早速もぐもぐと食べており、その特徴的な色をさして「何が材料なんだろう?」という話になった。「黍じゃない?」と言ったら、「黍の色、知ってたんですか?」と後輩 m 。首を振って、お店の値札に添えられたちょっとした紹介文を覚えていただけ、と伝えた。『きび』を含むひらがな四文字の何かを材料にした団子と書いてあって、前半の二文字、何だったっけな。「じゃあ、さとうきびで団子を作ればめちゃくちゃ甘いのができるんじゃないか」と言い出した後輩 m 、「沖縄まで行って確かめますか?」と返す後輩 n 。こんなことやってるから未来への約束事が増え続けていくんだろ、と思いながら二人のやりとりを聞いていた。

 バスに揺られている途中で眠くなった。そのつもりはなかったのだけれど、眠いな~と思いながら目を閉じているうちに眠ってしまった。直前、二人の後輩はたしかラーメン屋に用意されているサイドメニューについての話をしていた。どうしてその話題になったのか、睡眠の沼で半身浴の真っ最中だった自分には皆目見当もつかなかった。自分は行ったことのない、後輩 n から聞いたことのあるお店の名前が、今度は後輩 m の口から出てきて「おもしろ」と思ったところまでは覚えている。そういえば二人で行ったとかっていつかの散歩中に聞いたなと思って、そう思った辺りで恐らく意識が落ちた。目が覚めたら、それまでの町然とした風景とは少し違う、多少の高度がある風景が窓の外にあった。同様の手順で戻った帰り道での体感時間からして、眠っていたのはほんの数分だったはずと思うけれど。しばらくしてありえないくらい真っ白に塗られた住宅が続く坂道沿いへと差し掛かり、揃いも揃って「あれ何?」という反応をした。自分は、ギリシャかよと思った。バスはその道へは行かず、折れて、ぐにゃぐにゃのカーブを曲がったり登ったり。そうこうしているうちに茨木サニータウンという停留所へ到着。数年前の学園祭、同サークルの数人で貴船神社まで完全に機を逃している紅葉狩りへ行ったとき、そのときもたしかこんな停留所で乗り換えた気がするねって話を後輩 m とした。380 円。ちょうど手元にあったから両替の手間が省けた。自分がバスへ乗らない理由、人が多いと息苦しいからってのはあるけれど、支払いが面倒なのもかなり大きいなと思った。ところで、後輩二人は乗り込むタイミングで IC カードをかざしており、「いまどきってそういうのあるんだ」と思った(現代文明に取り残されすぎている)。自分たち以外の乗客はほとんど下りてしまって、けれど右前の席に一人だけまだ座っていることに後輩 n が気づいた。それから「もしかして、まだ先の停留所へ行くんじゃないか」という話になり、もとより先の停留所へまで行くつもりだったようだけれど、車両を乗り換えなくてはならないのかそうではないのかという話。結局、乗り換えなくてもよいのではという可能性にかけ、半ば立ち上がった三人全員が着席した瞬間、バスの降車扉が閉まった。運転手さん、自分たちのことをちゃんと待っててくれたんだなと思った。帰りのバスでも思ったけど、行きも帰りも運転手の人が、なんていうか、不思議と優しかった。そういうのも地元感ってやつなのかな。ここまでにも結構な坂道を登ってきたにもかかわらず、傾斜はまだまだ続いていた。「まだ登んの?」と言った記憶がある。道中、『幼稚園前』とか『保育園前』とか、マジかって名前の停留所が複数あって面白かった。そのまま進んで、降りたのが茨木山手台七丁目という停留所。ここを目的地としてセッティングしたのは後輩 n 。バスで直に行ける限りでの、最も標高が高い停留所がどうやらここらしい。

 

 

○ 2022.12.31 11:35 - 14:15 阪急バス茨木山手台七丁目⇒阪急茨木市駅

 停留所から歩いてすぐ、綺麗な曲線の車道が曲がり角の先にみえたので角を折れた。カーブを挟んでさらに向こう側、黄土色の表面と焦茶色の断面との山肌がみえていて、チョコレートケーキってこんな感じだよなと思ったりした。こういった大規模な傷痕を間近でみることができるのは、いま現在も開発途中の土地あるあるなのかなと思う。少なくとも、身近にはあまりない光景だった。それらの景色は水浅葱の柵を挟んだ向こう側に広がっていたのだけれど、その柵に本当に何の意味もない小さな南京錠が掛けられていた。どこかの誰かがここにこの鍵を掛けたんだなと思うと、なんだか面白い。いったい何があったんだろう?

 折れた角の先からはじめの停留所沿いの道へと戻り、すると「あれが気になるのであっちへ行きます」と後輩 n が歩を進めた。並んで視線の先、たしかに明らかに目を引く建造物がある。それは誰がどうみても建築途中で、四階建てくらいの、かなり大きな床面積を有した鉄骨組みの何か。いったい何なんだと話しつつ、「大きめのショッピングモールとか、そういうの?」と自分は考えた。横断歩道を渡って近づいて、工事内容の看板を前にすると、それがいわゆる物流センターの倉庫であることが分かった。自分よりも後にやってきた二人の反応をみるに、二人は建造物の予想を見事的中させたらしい。「来る途中のバス(の景色)でも、倉庫とか結構ありましたもんね」と後輩 n 。寝てた~と思った。いや、起きてても多分正解できてなかったけど。

 答え合わせを済ませて、さてこれからどこへ行こうという話になった。当日の行程は概ね後輩 n の手中にあり、曰く、乗ってきたバス沿いの道をひとつ前の停留所まで引き返して、そこから茨木市駅まで戻るというところだけ決まっているらしかった。要するに、茨木サニータウンという場所における具体的な目的は何も決まっていないということで、まあいつも通りのことだった。するとまあ、これもまたいつも通りに、目についた場所へ向かってとりあえず歩くというのが発生する。さっきの建造物もそうだしな。そこから目にみえたもので気になったのはそう遠くもない、明らかに高台っぽい、恐らくは広場か何かと予想される地点だった。「とりあえずあそこまで行くか」という話になり、歩き始めた。途中、二人のうちのどちらかが、建築途中の鉄骨群の脇に畳まれたそれをさして「クレーン車も寝てる」と言っていたのが印象に残っている。どっちだったっけ。素敵な物の見方だなと思った。

 二車線の道を上った。歩きながら、後輩 m が駅構内の団子屋さんで買ったそれを取り出していた。かぼちゃが材料のものらしい。手に取った後輩 m が「重っ」と言ったので、自分たちも持たせてもらったところ、たしかに見た目に反してずっしりとした質量感があった。材料が材料だからか、と思った。歩き進めて前方、目的の広場へ続くだろうという曲がり角へ差し掛かったところで、車道を挟んだ向かい側に小さな公園が目に留まった。「ここにも名前があるのかな」と呟いたのは、たしか後輩 n だった。その流れで名前を自分も確認したはずなのだけれど、思い出せない。なんだっけ。敷地内には、多くは動物を模したバネ付きの、前後に揺れるあの遊具が二つと、あとは二つ組のブランコといくつかのベンチが置かれていた。あのバネのやつ、スプリング遊具って名前があるんだな、いま検索してみて知った。後輩 n は吸い寄せられるみたいに(吸い寄せられるって表現を団子屋さんのときにも使ったけど、本当にそういう動き方をするから面白い)遊具へと向かい、もう一人と自分はその辺りをふらふらしていた。二車線の先、直交する向きに橋が架かっていて、それがずっと気になっていた。「公園に囚われている人へは秘密にして、宝箱を開けに行くか」みたいなことを言った記憶がある。歩道を進んで、階段を昇って、橋の上から二車線を振り返ったとき、後輩 n が遅れてやってきたのをみつけて「おもしろ」と思った。後輩 m は、いや、何をみてたんだろう。階段の入り口にアルミホイールの残骸が立てかけられていて、それをみているのかなと階段の上から思ったけれど、確かめることはしなかった。階段の先、橋が架けられていた場所に何があったかといえば、駐車場みたいな謎のスペースと民家。ひとしきりぐるぐると歩いて、それから元の歩道まで降りた。建造物から目についた広場へ足を運ぶという目的がまだ残っていたから。

 広場へと続く道を進む。健康を意識している器具と一緒に、それらの使用法を書いた看板まで添えられていて、「ちゃんとファミリー意識のある、最近の公園だな」と思った。道路の舗装からして真新しかったし、植えられている木もまだ小ぶりなものだった。道を抜ける。野球部の全員でキャッチボールができそうなくらいの広場、変な形のジャングルジム、円形に向かい合ったブランコ、その他いろいろ。日が日だから空いているかと思ったけれど、普通に家族連れで賑わっていた。こんなあからさまに家族向けの場所へ観光客気分でやってくる、しかもよりによって一年の終わりである大晦日に、そんな異常人間が三人もいるなんて、ここで遊びに興じている人たちは想像もしていないだろうな。ジャングルジムやブランコといったメジャーどころの遊具から少し離れた場所、誰も使っていないターザンロープ(小さい頃、そう呼んでいた。正式名称は知らない)が自分たちの目に留まった。この二人と行動しているとき、こういったものをみつけると決まって誰かが手を伸ばすので、先んじて後輩 m へ振ってみた。抵抗するかと思ったけれど、予想に反してすんなりと乗ってくれた。大の大人が使っても大丈夫なのかという心配はあったけれど、後輩 m は難なくゴール地点まで到達。感想を尋ねると「同じ遊具がある地元の公園の、カマキリの遊具を思い出した」と言っていた。後輩 m の日記曰く、彩湖公園。いま調べてみたら、マジでカマキリの遊具があって笑った。これは印象に残るわなって見た目だった。続いて試したのが後輩 n 。乗るのに苦戦し、挙句は腕を攣らせていた。最後が自分。二人の様子は後輩 m のスマホの中に収められている。内容の確認はしていないけれど、もう少し後になってから振り返ればそこそこ笑えるだろうなと思う。そういえば、後輩 n がこの辺りのどこかで落とし物をしたらしい。三人で探したけれど、結局みつからなかった。

 遠くからみえていた高台へと続く階段。斜面にはラベンダーが植えられていた。花は咲いていなかったけれど、植物園あるあるの小さな看板で特定することができた。母親が好きな花だなと思いながら、子どもの頃に連れられた富良野のラベンダー園を思い出したりした。高台の上、さっきの建築途中の鉄骨群を望む向きに座った。おもむろに団子を食べ始めた後輩 n 、辺りを散策する後輩 m を横目に、なんとなく目についた曲がり角の先へと行ってみた。何があるかなと思ったけれど、結果だけを言えば、スプリング遊具のある公園や広場の入り口がみえる行き止まりがあった。引き返して、すると後輩 m に「なにかありましたか?」と訊かれたので「行けば分かる」とだけ返しておいた。斜面へ座り込んでしばらくすると、戻ってきた後輩 m が「気を持たせるようなこと言って……」と言ったのでひとしきり笑った。団子を食べ終えた後輩 n が「野良猫してきます」と立ち上がったので、「何の暗号?」と思った。訊くと、自分がふらっといなくなる様を二人の間では『野良猫』と呼んでいるらしい。動詞化することあるんだ、野良猫って。戻ってきた後輩 n にそういう話をすると「『一葉さん』のほうがいいですか」と訊かれたので首を振った。いいわけないだろ。三人が揃ったところで寝転がった。たぶん芝生とかが服にめっちゃつくけど、まあ気にせず。あまりにも広くて高い青空だった。隣の後輩 m がなかなか横になろうとしないので訊くと、「決心を固めてる最中です」と言っていた。

 そろそろかなと起き上がって階段を下りて、公園を出ようとしたところで「これ、公園あるあるのやつだ」と後輩 m が言った。なんだろうと思って目で追うと、それは上向きに水が出るタイプの、水分補給を目的に設置されている蛇口のことだった。たしかに、公園あるある。後輩 m は「昔、よくやった」と言いながら蛇口を軽く指で塞いで、「あ~、やったやった」と自分。虹を映すのに良い感じの飛沫状にはなかなかならなかった。大人になる過程で忘れていくものの中にはこういうのもあるのか。結局、後輩 m の目にはおぼろげながらも虹がみえたらしい。一連の光景を後輩 n は、「一番良い水の使い方してますね」と笑っていた。

 広場を出て、元々のバス停へ戻る。後輩 n が過度に日光を避けているという話をしていた。日光を避けるために相手の影へ潜り込もうとするのを、後輩 m は壁沿いの道を歩くことで回避していた。天才だなと思った。バス停の時刻表を確認して、これは事前に想定されていたことだけれど、本数の少なさに驚いた。そのまま当初の計画通り、ひとつ前の停留所まで徒歩で向かう。「次の一本、逃したらショック大きいですね」と後輩 n 。そう言う割には真っ先に寄り道をする。同じように切り開かれた一帯を柵越しに眺めて、けれど今度はさっきのものよりもずっと大規模だった。ここにも何かが建つのかと思った。バスで一度通ってきたのだから、道に迷うことはまあなかった。途中、大きく湾曲したカーブがあって、「中心に近い側を歩いたほうが道のりは短くて済むよな」と思ったりした。鳥のさえずりが心地良かった。

 ひとつ前の停留所、緑地公園前。着いたのが、カメラロールの写真曰く 13:07 。一時間半くらいうろうろしてたことになる。ベンチに並んで座っている二人を眺めていたら、揃ってすぐに立ち上がったので何だろうと思った。「足の休憩が終わったんで」と後輩 m 。早くね? と思った。やがてやってきたバスへとぞろぞろ乗り込んで、すると「行きのバスで寝ていた分もちゃんと景色をみてくださいね」と後輩 n が言った。そう言われたので、帰りはずっと窓の外を眺めていた。明らかに良さそうな曲がり角や住宅群なんかがたくさんあって、「また攻略しに来ないといけない」という話を三人でした。後輩 n はいつものこととして、後輩 m もそれなりに乗り気になっていたのが面白かった。二人してそうなったら、もはや自分が何を言おうとそうなるじゃんかと思った。「こうやってどんどん逃げられなくなっていくんだよ」って話を後輩 m にした。スタート地点、阪急茨木市駅へと戻る。そこが終着らしかった。降りていく全員に対して「慌てなくても大丈夫ですよ」だとか「ありがとうございました」だとか、さりげない一言を掛ける車掌さんが、なんだかとても優しくみえた。年末だからとかじゃないんだろうな、こういうの。そう思えるくらい自然な温もりだった。

 10:30 頃、行きの電車内で「 11:30 になったら覚醒した自分が昼食案を思いつきますよ」と自信ありげに言っていた後輩 n の導き出した答えは、なんと駅前にある吉野家だった。「逆にね」と言っていた。まあ、逆にね。自分以外の二人は吉野家派で、ところで自分はすき家派だった。戦っても勝てないので早々に降参し吉野家へ。吉野家、一人だと全然入らないんだよな。自分の生活圏内にすき家が多すぎるという、ただそれだけの理由で。ネギ塩豚丼とかいう心躍るメニューがあったのでそれにした。ちなみに、後輩 m も同じメニューを頼んでいた。注文から配膳までの速度が異常で、普通に驚いた。少なくとも、百万遍すき家よりは一段階くらい早い。対面に座った後輩 n が本当に幸せそうにご飯を食べるので「おもしろ」と思った。

 

○ 2022.12.31 14:15 - 15:10 阪急茨木市駅大阪モノレール万博記念公園駅

 吉野家を出て、そのまま阪急茨木市駅へ。改札をくぐって、後輩 n に「あそこに団子屋さんあるけど」と教えたら「買いませんよ!」と怒られた。ワンチャンあるかと思ったんだけどな。普通列車へ乗り込んで、そのまま一駅先の阪急南茨木駅へ。並んで座った二人を横目に、自分は向かいのシートへ座ることにした。そのほうが面白いので。ところが空席だらけだったのが災いし、自分の両側にある空席へ二人が移動するという、たったそれだけのことで目論見は封殺された。「座った後になって席を立つのはありなの」と言ったら、「一葉さんよりも普通じゃないことをしないと勝てないので」と後輩 n が言った。たしかに。

 阪急南茨木駅を経由したのは、大阪モノレールへ乗り換えるためだった。京大前から梅田まで歩いたとき通ったなあ~と思いながら切符を購入。飲み物がほしくて、10 月末の東京遠征以来かなりハマっているホットの綾鷹抹茶ラテを探して改札内をうろうろしたところ、発見。よっしゃと思いつつ財布を取り出すと、硬貨投入口を覆うようにして使用中止の貼り紙。なんでだよ。改札内には全部で四つの自販機があって、全部たしかめたけれど、綾鷹抹茶ラテが売ってあるのはその使用中止の自販機だけだった。悲しい気持ちになりながら二人のところへ戻ると、自分が自販機を探し始めたときに立っていた場所から二人とも動いていなかった。なにしてるんだろう? と思ったけれど、この疑問については後々回収されることになる。

 モノレールは駅のホームがカッコよくて良いよねという話をした。線路もスタイリッシュだし、かなり好きかも。後輩 n はモノレールに乗ることを観覧車に乗ることと同じものと思っているらしく、景色を楽しむと言って後輩 m にあれやこれやと話をしていた。その様子を眺めつつ、自分はぼけーっと車窓を眺めたり、うとうと眠ったりしていた。万博記念公園駅に着いて、しばらく駅構内をうろうろした。途中、球体状の木材アートを発見して「これ、どうやって作ったんだろう」と後輩 m と話した。1979 の作品とかって書かれてたっけな、たしか、うろ覚えだけど。すぐ近くの自販機に力水(商品名)が売られていて、「後輩 n だな」と思った。すっかり忘れてそのまま改札出ちゃったけど。

 改札を出て左、観覧車のみえる方角へと折れた直後、後輩 n が謎の用紙を片手に「これ、彩都(地名)まで歩けるらしいんですよ」と言った。その時点では相手が何を言いたいのかがうまく掴めておらず、「歩いてみたくないですか?」と訊かれたのも「将来的な話?」と思いながら「ああ、いいね」と返した。ところが後輩 n は今日現在の話をしていたらしく、「よし、歩きますよ!」と声高に宣言した。みれば、それはウォーキングコースについて詳細に記された紙で、大阪モノレール南茨木駅で二人が立ち止まっていたのは、これらの紙が大量に積まれた棚の前だったらしい。なるほどね、という気持ちが三割。残りの七割で、またいつものが始まったな、と思った。こうすればもっと楽しくなるという事象に対する後輩 n のセンサー(あるいは執着)はかなりすごいと思っていて、乗らない理由は何ひとつもない。目の前に提示された用紙にはおよそ三時間、延べ 10km のコースとかって書かれてあるような気がするけれど。当初の予定では、数時間後、日付変更くらいの時刻には山の中をおよそ三時間近くにわたって歩いているはずで、だからなるべく足に負担のない移動経路を組んだって話を聞いていたような気がするけれど。まあ、逆にね。せっかくの年末なんだし、このくらいは神様だって許してくれるだろ。

 歩くとなればちゃんとした装備がほしいとなり、すぐ近くにあったコンビニエンスストアへ立ち寄った。エビマヨ、和風ツナマヨのおにぎりを一つずつ、900mL のポカリスエット、それと雪見だいふくを購入。「時代はタンパク質をカロリーで割るんですよ」とか言っていた後輩 n は 200 円のなわとびを買っていた。普通に意味が分からない。後輩 m はフリスビーを手に取るなどしていたが、レジへ向かうまでに正気へ戻ったようだった。後輩 n がしきりに残念がっていたので「シャボン玉とかは?」と提案したけれど、それはすでに検討されていたようで「廃液処理が難しいから」という理由により却下とのこと。ごもっともすぎる。コンビニを出て、早々に縄跳びを開封。「ちょっと短いけど、まあやれなくはないですね」。その様子をみながら、「コンビニに置いてあるこういうのを買う人って、本当に実在するんだな」と思った。後輩たちは縄跳びを結んで仕舞うことにノスタルジーを覚えるようだったけれど、自分はあまりピンとこなかった。ああいう、個人用の縄跳びで遊んだ記憶がほとんどないからか。集団でやる大縄跳びはめちゃくちゃ好きだったけど。

 

○ 2022.12.31 15:10 - 16:50 大阪モノレール万博記念公園駅⇒清水郵便局前交差点

 コンビニを後にして、それからは手元の地図を頼りに歩いていった。高速道路を挟んだ向こう側へ渡るための橋が何処かにあるという話になって、まずはそこを目指すところからだった。シナモンのぬいぐるみに強さランキングがあることを初めて知った。途中、先のコンビニで買った雪見だいふくをそれとなくコートのポケットへ隠し、「いま、この中に何があると思う?」というクイズを出してみた。食べられるものだと言ったのに、どちらかが「カイロ」と答えた。それから後輩 n が「大福、……いや、きんつば?」と許容ラインの回答を挙げたので答え合わせをした。「マジでしっかり当ててくるね」と言ったら、「なんか、……降ってきたんですよね。大福って言葉が」だとか言っていた。だとしたら、直観力がすごすぎる。

 歩道橋を渡って、それから目的の橋へ降りた。幅の広い歩道、自分たちが歩くのとは逆の方向へと走る人が、何拍かおきにぽつりぽつりとやってくる。「なにかイベントでもやってるのかな?」「大晦日なのに?」というやりとりをした。いま調べた感じ、そういうイベントは見当たらない。じゃあ、あれはただ健康意識で走っている人が複数いたというだけのことなのか。それはそれですごいな。

 歩道をしばらく進んで、モノレールの線路のちょうど真下をくぐる場所があった。西日、観覧車、モノレール。これが正解なんじゃないかって話を三人でした。地図を手にした後輩 n が「どういうこと?」と首を傾げていたので、道案内を任されることになった。直後になって分かったこととして、自分たちのみている地図は『彩都⇒万博記念公園』というルートを想定した案内文が書かれている一方、自分たちは『万博記念公園⇒彩都』という逆向きのルートを辿ろうとしているわけで、なので地図だけでなく案内文も逆順に読まなくてはならないということだった。「階段を下りてスロープへ向かう」なら「スロープを抜けた後、階段を昇る」といった具合に。なのでまあ、その疑問が解消された時点で案内役を後輩 n へ戻してよかったわけだけれど、でも、いつも道案内させちゃってるしなと思ってそのまま譲り受けることにした。途中、テニスをやっている子供たちをみて、「 m さんってテニス上手そうですよね」という話をしていた。根拠が「だって、ダーツ上手いから」。「いや、だから関係ないんだって」と後輩 m は言っていた。このやり取り、たぶん前にも一度あったなと思った。なるだけ前を歩きたくないので後ろを陣取ったところ、「案内する人が後ろだと困りますよ」という話になり、「後ろからちゃんとナビゲートするから」ということで通した。ところでそれから少し先、ちょっとした分かれ道があったので、本当は直進が正解だけれど「ここを左」と嘘を教えたら、怒った後輩 n に前を歩くことを強制された。ごめんって。

 抜けた先、良い感じの歩道橋があったので上り、歩道橋の上からさらに良い感じの坂道が目に留まったのでそちらへ進んだ。地図では道を渡れって書かれてたけど、まあ。坂道を下ってしばらくして、また歩道橋があって、ところで道路の向こう側に良い感じの傾斜を発見。良い感じの傾斜だなと思って指をさすと、「行きましょう」と後輩 n 。期待通りの反応で助かる。傾斜の先には、なんてこともない、いたって普通の町並みが広がっていた。少しだけ足を止めて水分を補給。後輩 m の携帯しているペットボトルについての話をしたりした。

 登ったばかりの傾斜を下りて、地図通りに進んでいく。道はずっと下り坂になってて、直線だったり右へカーブを描いたり。信号待ちの間、不意に「この辺りの子供たちは、この階段を我慢することができるのかな」と後輩 m が口にした。視線の先には田舎町によくある小さな水門と、そこへ繋がる数段限りの階段。当然のように入口は封鎖されていたけれど、子どもだって乗り越えようと思えば乗り越えられる程度の、ささやかな封印。それをみて「自分が子供だったら、まあ確実に下りただろうね」と言った。後輩 n はひたすら「なんですかこれ!」と騒いでいた。

 地図通りに二つ目の交差点で左へ折れる。道中、そこそこ大きな池がちらほらあって、「どうしてこんなに池があるんだろう?」という話になった。謎は謎のまま。実際、どうしてなんだろうね? まっすぐに進んで、二つの公園を通り過ぎる。高速道路なんかによくある、あの丸い壁。その外側を横目に進む道を歩いていった。道すがら、駅付近のコンビニで購入していたおにぎりの存在を思い出し、リュックから取り出して食べた。自分が何かを食べていると決まって近寄ってくる後輩 n に「何味だと思う?」と訊いたら「エビマヨ」と即答された。マジで全部当ててくるのは何なんだよ、とちょっと悔しかった(※追記:あとで聞いた話によると、コンビニでエビマヨっぽいおにぎりを手に取る場面を視界の端に捉えていたらしい)。この辺りのどこかで万博記念公園駅の力水を思い出したので教えておいた。「いくらでした?」と尋ねられたので「 140 円」と返した。すると、「しまった」と言ったので「何が?」と訊いたところ、「いまのは『 140 円でした?』って訊いたほうがよかったです」と後輩 n 。たしかにそう思う。アニメ力の向上に余念がないな。

 地図曰く、だいたい 3km くらい歩いた頃。『ともしび園』と書かれた案内板が目に留まって、「カッコよすぎだろ」と言った。「『あけぼの学園』も大概カッコいいですね」と同標識を差して言った後輩 n の言葉に相槌を打つのと、横断歩道を渡ったのがたしか同時だった。直進すると、恐らくは何かしらの幼児施設と思われる建物に遭遇。入口に意図のみえない大きな絵が飾られていて、それが気になった。自分は「まどマギの魔女結界内にあるやつ」と思った一方、後輩 m は「ドラえもんの、タイムマシンに乗ったときの背景みたいな絵」と評していた。

 地図通りに進んでいくと、まったく舗装されていない落ち葉まみれの道を歩くことになった。二人並んで歩くとちょっと窮屈、三人は並べない。それくらいの道幅。後輩 n が「ここ本当にランニングコースなんですか?」と訝しんでいた。左はただひたすらに森、右には野球場かよってくらいに高い柵。その向こう側はゴルフ場らしいけれど、当然、利用者は誰一人いなかった。年末だしな。歩きながら思ったこととして、ゴルフ場の中って良い写真が無限に撮れるスポットなのかもなっていう。まずもって見晴らしが良いし、ちょうどいい感じに自然があるし。そう言うと「今度ゴルフしに行きます?」と後輩 n が反応したので、「 discord のしかやったことないけど」と返しておいた。

 本当にただの森沿いの道を進んでいった。途中、野生の鍋や上履きなんかを発見した。自分はずっと前方を歩いていたのだけれど、後輩 n が写真撮影に夢中になっている間に左側の傾斜を上って隠れてみた。後輩 m にはしっかりとバレていたけれど、「まあまあ、お先にどうぞ」のジェスチャーで先へ進むことを促して、このくらいかという頃合いを見計らって後ろから追いついた。後輩 n のほうはマジで気づいていなかったらしく、前方にいたはずの自分が後方からやってきたことに驚いていた。なんでだよ。

 森沿いの道を抜ける直前、謎の階段があったので上ってみると変電設備の根元へ行きついた。なるほどと思って階段を下ると、ちょうど後輩 m が登ろうとしている最中だった。「行けば何があるか分かるよ」と数時間前と同じようなやりとりをした。後輩 n はカメラのフィルムを付け替えている最中だった。36 撮り切ったのか、と思った。降りてきた後輩 m に「なにかあった?」と尋ねると「一葉さんが開けた後の、空っぽの宝箱があった」と言っていた。景色の話。そのまま道を抜けると、ありえないくらい広い団地へ出た。後輩 m のテンションが妙に高かったことを覚えている。信じられないくらい年季の入ったスーパーマーケットを発見。店前に置かれた自動販売機内の商品をさして「これ、いくらだと思います?」と後輩 n 。より答えに近い数字を挙げたほうが勝ちというルールだった。見た目からエナドリ系が連想されたので、たしか直近だと京都駅の構内でみたエナドリまみれの自販機を思い出して、それで 210 円と答えた。後輩 m は 180 円と言ったが、満を持して明かされた正解は果たして 500 円だった。二人してその値段に驚き、ルール上は自分が勝ちだけれど勝った気は全然しないな~という気持ちになった。誰が買うんだ、あの商品。

 団地を抜けると下り坂だった。右側が随分と開けていて、そこからは午前中に自分たちが歩いていた町、茨木サニータウンの広がる山々がみえるのだった。一つの山を跨いで、その両側に広がる二つの町を一日で歩くというのが、この日に与えられた目的の一つ。それらを企てた後輩 n は「これがやりたかったんですよ!」とはしゃいでいた。なるほどたしかに、これはかなり面白い試みかもしれない。自分と後輩 m の二人は遠くの山を眺めながら、揃ってそういう反応をしていた。練りに練った計画と状況に応じたアドリブと、そのうえでちゃんと誰かを楽しませることができるのって、それはもう一種の才能だよな。本当に凄いと思う。

 下り坂が終わって、平らな道へ出て、この辺りのどこかで道を間違えた。沈んでゆく夕の陽に照らされた雲があまりに綺麗で、それに気を取られたと言い訳をしておく。山際に浮かぶ雲、輪郭は真っ白なのに内側が黒く灰色に滲んでいて、年末だからって頑張りすぎだろと思った。「初日の出って言うけど、最後の日没には誰も注目しないよね」という話を後輩 n がしていた。こんなにも鮮やかな夕空がここにあるのに、新年に気を取られて見逃してしまうのはあまりに勿体ないなと思った。あるいは優越感、かも。

 道を間違えていることには早々に気がついていたので、今度はスマートフォンで地図を確認した。そうして現実世界の風景と画面上の地図とを対応させて選んだはずなのに(コンビニのある方角で選んだから間違っていなかったはずなのにな~)、交差点をいくつか通り過ぎたところで「これ、真逆じゃね?」と気づき、今度こそはちゃんと謝った。来た道を引き返そうかという話になって、ふたたび後輩 n のアドリブにより、ここから先は手持ちの地図を無視した別ルートで進むことになった。結果として、どうなんだろう。もう一つの道を通ってはいないから比較できないけれど、これもまたかなりの正解だったような気がする。少なくとも、それから数十分後の自分のテンションはかなり高かった。

 

○ 2022.12.31 16:50 - 18:00 清水郵便局前交差点⇒彩都西

 概ねの方針としては、モノレールの線路沿いへ進むことになった。自分は道を間違えたものの、結果としては目的地の方向へ近づいていたようで、だったらこのまま進めばよいだろうという判断だ。そもそも、当初の予定ではこのモノレールに乗って目的地まで行くはずだったんだけどな。どこかの誰かのアドリブのせい(おかげ)で、随分と愉快な行程になってしまっている。

 曲がってすぐに銭湯が目に入った。『彩都天然温泉 すみれの湯』らしい。立ち止まりはしなかったけれど、「マジで銭湯行きたくない?」という話を三人でした。のちの伏線。坂を上って前方、目にみえた小学校をさして「こういうシンメトリーの建物が好きなんですよね!」と後輩 m がかなりのハイテンションで言っていた。構内を突っ切ることはできないので左へ折れる。道沿いに伸びたブロック塀を後輩 n がものすごく警戒していた。そのまま進むと、こぢんまりとした神社があったので立ち入った。二人が何らかの祈りを捧げている間、自分は神社の歴史なんかが書かれた看板を読んでいた。天照大神がどうこうと書かれていた。なんだってそうだけれど、その場所にその物があることにはちゃんとした経緯があると思うと面白い。柵に掛かった南京錠然り、町中の神社然り。

 神社を出ると、前方にはモノレールの高架。そして、謎のトンネル。随分と傾いた日の明かりも相まって幻想的だった。

「向こう側では全部の文字が鏡写しになってますよ」と後輩 n が言ったのは、たしかこのトンネルだったと思う。後輩 m は「この暗さだと流石に進むことを躊躇うな」といったことを言っていた。ところで、こんなに気に掛かるのにそちらへと進まないはずもなく。くぐった先には斜面沿い一面に広がる緑、それとアーティスティックな落書きが一つ。

「 steam のゲームだったら、絶対ここで実績解除されるよ」という話をした。後輩二人は「 Twitter に上げたら著作権侵害として申し立てを受けるかも」、「それは落書き犯の自白と同義なのでは?」という話をしていた。本当に飽きないな。

 それから先はずっとモノレールの線路沿いに進んでいった。途中、たびたび後輩 m に「この線路の先に何があると思う?」という話題を振っていた。自分と後輩 n の二人はこの先に何が待っているのかを知っていて、というかそもそもの話、今回の年末企画が生えたのは、前回そこを訪れた際に『後輩 m をここへ連れてきたら絶対に面白い』という話になったためだった。チェックポイントだなと思ったタイミングでちょくちょく質問を飛ばしていたのだけれど、進んでいくにつれて明らかに後輩 m の反応が変わっていくのが面白かった。初めは殺風景な住宅街だったから「滅びじゃないですか?」と言っていたのが、明らかに異質な風景がみえはじめたあたりから「ちょっと、なんですかこれ?」という感じになって。予想通りの反応に、仕掛け側である自分と後輩 n の二人は終始笑っていた。

 明らかに上り坂だな~という上り坂を前にして、ちょっとした休憩ということでファミリーマートへ立ち寄った。どのホットスナックを買うかという話になり、「どちらかといえば肉まんが正解じゃない?」と言いながら自分はファミチキの類を買った。出てすぐの駐車場でもぐもぐ食べて、その頃にはもうすっかり陽が沈んでいた。遠くの空の底にほんの少しだけ夕陽の残骸が滲んでいて、「まだあそこだけ」と後輩 m が言った。後輩 n は、駅前で購入した縄跳びの費用をどういった分類で書き残しておくかについてうにゃうにゃ言っていた。ちょうどこのタイミングで、同サークルのとある後輩の発したツイートの文面が本当に気持ち悪いという話を三人でした。お前のことだぞ、createiNui。

 明らかな上り坂を、モノレールの終点を目指して上っていった。本当に人が住むところなのかよと疑ってしまうくらいに豪華な造りのマンション群を横目に、恐らくこの辺りで自分のテンションは最高潮だった。この先に待っているものの意味を知っているから、なお一層。かくして辿り着いた終点駅。上ってきた歩道から駅改札前の通路へと繋がる階段を昇る。このときはスマホの時刻を明確に意識したから覚えている。ちょうど 18:00。大阪モノレール駅の終点、彩都西。それが、後輩 m を連れていきたかった場所の名前だった。

 

○ 2022.12.31 18:00 - 19:00 大阪モノレール彩都西駅⇒彩都の街中

 駅を出てすぐのところにかの有名なスーパー『ラ・ムー』があることを知っていた。弊サークルにラ・ムーの熱狂的なファンがいるので、その二人に写真を送りつけておいた。うち一人から直後にリアクションが来てびっくりした。早え。歩き始めて数分でこの街の秘密に気づいたらしい後輩 m が終始面白い反応をしていた。これがみたかったんだよな~と思った。視線の先、遥か上空に明滅する赤い光の正体はいったい何ということを後輩 m が気にしていたので、そういった一瞬を見逃さない後輩 n により「じゃあ、あの場所まで行きましょう」という話になった。自分と後輩 n の二人はその正体を知っていたけれど、でもまあ、だからこそ、この街に来たらやっぱりあれが何なのかは気になるよなと思った。

 坂を上る。道路を跨いでの高架越しにグラウンドを構える小学校の存在を後輩 m が羨ましがっていた。公園、閉まってなきゃいいけどと言いながら進むと、「 19:00 に閉まる」という旨の看板を発見。現在時刻を確認して安堵した直後、「これ、駐車場の利用時刻ですよ……って、たしか前回も同じことをしました!」と後輩 n 。たしかにやったわ。実際の公園は『夜間の利用を禁ず』と書かれてあるだけで、具体的に何時から何時までとは書かれていないし、進入を妨げる扉も何も設けられてはいなかった。そのまま進むと、恐らくは地元の子供たちが遊びに興じている声が聞こえてきた。大晦日がどうだとか、まあ関係ないか。

 その公園は高台になっていて、そこから望む夜景の色を自分たちは知っていた。「まあ一旦振り向いてみますか」という後輩 n の言葉に従った後輩 m は舌を巻いていた。おもしろ。「年賀状代わりに送り付けるか」とかって写真を撮っていたのが面白かった。公園内に設置されたブランコへと座った後輩を横目に、「この夜景とセットでブランコを楽しめるの、マジで何?」という話をした。背後から撮ったツーショット、共有する機会を完全に失ったな。

 そのまま公園の敷地内で最も高いスポットへ。後輩 m には「絶対に振り向かないようにね」と伝えた。自分と後輩 n が最初に来たときもお互いそうしたし、そのほうが絶対に面白いから。言われるがままの後輩 m は「戦場ヶ原さんじゃん」としきりに零していた。

答えは『彩都西』。でも、写真じゃ全然伝わんないな。

 赤い明滅の正体を知る必要があるという話だったけれど、それはもうこの段階で既に目前へ迫っていて、そしてここまで来てしまうとそれが何なのか分かってしまうのだった。それでも間近でみようという話になり、まだまだ上へと昇ることになった。そのためには結構な段数の階段をやり過ごす必要があり、見上げた後輩 m が「自分一人だけだったら、ちょっと考えて登らないだろうな」と言っていた。すべてを企てた後輩 n はといえば、階段の半ばでバテていた。

 

○ 2022.12.31 19:00 - 20:30 彩都の街中⇒大阪モノレール彩都西駅

 赤い明滅の足元まで登りきったので駅まで戻ることになった。途中、小さな公園で足を止めた。ここもまた一ヶ月前に来た場所だなと思いながら、けれど別の入り口から入ったからか知らないものがいくつかみつかって、ちょっと面白かった。後輩 n が立体型の遊具に腰掛けたまま動かなくなったので、自分と後輩 m の二人はスプリング遊具に腰掛けてゆらゆらするなどしていた。スプリング遊具に縁がありすぎだろ、この一ヶ月。しばらくして後輩 n から「自分がこれから二分後に何をしようとしていたか?」という出題がなされたので、自分たちはああだこうだと答えた。スプリング遊具に跨るのは七分後らしい。良い線いったと思ったんだけどな。正解はこれですと得意げに取り出したのが、先のコンビニで購入していた例の縄跳びだった。二人して「ああ、あったな~そんなの」という反応をした。ちゃんと文脈のある問いかけだった。二重飛びに対して異様な意気込みをみせる後輩 n の縄跳びを見物する謎の時間が発生。その飛び方をさして、後輩 m が「いたな~、こういう飛び方する女子」と言っていたのが面白かった。二重飛びを頑張っている光景をみているうちに何故か走りたくなったので、公園に敷かれた 100m のトラックをぐるぐると走り回っていた。4,5 周したのに息がほとんど切れなかったから、中学のときよりは体力がついているのか、あるいは身体の操縦法を学んだかのどちらか。休憩のために立ち寄った公園で運動を始めた二人を前に、後輩 m が「足を休めようって言ってるのに」と呆れ声で言っていた。

 ふたたび歩き始めて、そのまま難なく駅へ到着。切符を買う直前に discord のメッセージに気づいて大声をあげた。やっとの思いで「帰ったら聴きます!」とだけ返して、端末をしまった。駅の改札をくぐった先には休憩できるスペースがあって、文庫本の並んだ棚や、オフィスビルなんかにありそうな、紙コップへ液体を注ぐタイプの自販機が置かれていたりする。「自販機まで丁寧な暮らしって感じだな」と後輩 m 。たしかに、その通りすぎる。そんな丁寧な自販機を前にして、後輩 n は「絶対ペットボトル型のほうがいいのに~」と足踏みしていた。いよいよ諦めた様子で硬貨を投入しながら、「何買うと思います?」と訊かれたので「コーンポタージュでしょ」と答えておいた。110 円。休憩スペースに設置された机をよくよく眺めてみるとコンセントがついていて、これは本当に驚いた。駅のフリースペースで充電できるの、マジで何?

 晩御飯をどうしようという話が出た。あてにしていたくずはモール閉店時間にはどうやら間に合わないらしい。ひとしきり悩んだ後、これは別に電車に乗りながらでだって考えられることだなという結論へ至り、三人でホームまで降りた。モノレールの最前車両、一ヵ月前に来たときはたしか座れなかった最前の二人座席がこの日は空いていた。カプ厨であるところの自分は少し離れたところへ座り、窓の外を眺めていた。音楽を聴きながら夜を浴びるのが好きで、それがやりたかったという事情もある。前日に、正しくは当日眠る前の早朝にアップロードした『signal』という自作曲を聴いていた。車両が動き出すと、前方に座った二人がやたらと窓へ張り付いていることが分かって、ひとりで笑っていた。東京のときもこんな感じだったな、と思いながら。イヤホンから流れてくる音を聴いているうちに眠くなって、ちょっとだけ寝た。一駅分だけ。

 

○ 2022.12.31 20:30 - 22:45 大阪モノレール彩都西駅⇒京阪樟葉駅

 万博記念公園駅で乗り換えて門真市駅まで、それから京阪に乗り継いで樟葉駅へ。たしか、この乗り換えのタイミングに、駅構内のコンビニエンスストアでカイロを調達。ついでに借りっぱなしになっていた 100 円を返済した。移動中は「初日の出をどこからみるか?」という話をしていた。「誰もいない∧見晴らしのいい場所からみてみたい」という自分のツイートを記憶していた後輩 n が「日の出、変なところからみてみたいですか?」と訊いてきたのがきっかけだった。当初の予定に初日の出は含まれていなかったけれど、でもどうせどこかしらではみるつもりだったし、些末な問題。終夜運転を行っている近鉄・京阪の沿線という条件下。パッと思いついたのは二ヶ所あって、どちらもケーブルカーで山を登る。うち片方を提示したときの後輩 n の反応がかなり面白かったけれど、「これは 30 とかになってからでもできますよ!」という理由により棄却。消去法的にもう一つの選択肢かなということになったけれど、こちらは本当に日の出がみられるのか、情報量の観点から多少不安だった。とはいえ、「情報が少ないということは、つまり訪れる人が少ないということか」ということで納得。「まあ、日の出がみえなくても、代わりに誰もいない朝焼けがみられますよ」と後輩 n 。ポジティヴすぎる。

 樟葉駅に着くと、駅前に数人の集団がちらほら。2 時間 22 分前行動の「あけましておめでとうございます」を中学同期連中へ爆撃しながら、「大晦日に浮かれてる人たち(ここでの「浮かれてる」に他意はない)がたくさんいるね」と言ったら「まあ、自分たちもかなり浮かれてますけどね」と後輩 m が笑った。時間的にはこれでやっと折り返しを越えたくらいだし、もっともすぎる指摘。駅を出てすぐのところにあるコンビニが営業中だったので、僥倖僥倖とそのまま入店。これが晩御飯になるとのことでそこそこ重めの食品を購入。ついでに、これから長距離歩行が待っていたので菓子パン二つとサンドイッチも調達した。

 コンビニを出るとくずはモールが目の前にあった。「ここ、前に一度来たことあるような気がするんだよね」と後輩 m と話し合った。サークル関係のイベントだったような気がするのだけれど、真偽は定かでない。普通に記憶違いという可能性のほうがずっと高く、ところでその割にはやけに鮮明に思い出せるのだった。何か別の機会と混同してるのかも? 「近場の公園へ行きます」という後輩 n の案内通りに幹線道路沿いを進む。辿り着いたのは、真っ赤な点滅を備えた鉄塔の麓にある公園だった。薄ら暗い入口の奥に広がった暗闇を、後輩 n がやけに怖がっていた。

 園内にはちょうど三人掛けのベンチがあった。各々、コンビニで買ったばかりのそれをもぐもぐと食べながら、「こんな年末になるとはな~」という話をした。2022 年の始まりにはこんな結末を想像してなんかいなかった、当たり前だけれど。それまでずっと窺っていたのだけれど、何をと言うと後輩 m と後輩 n の二人を仲良くさせる機会を。そうすると絶対良い方向へ何かが進むという直感めいたものがあり、それが結実したのがちょうど大例会のことで。「本当に正解だったと思う」という話もした。本当に正解だったな。食べ終えた後は、後輩 m がどこかからみつけてきたサッカーボールを蹴り合うなどして遊んだ。その様子を眺めていた後輩 n は「お昼の休み時間に残って給食を食べているときの気分」と言っていた。喩えが分かりやすい。

 

○ 2022.12.31 - 2023.01.01 22:45 - 0:30 京阪樟葉駅⇒灯りの湯

 公園を後にして、あとはもうただひたすらに幹線道路沿いを歩くだけだった。京阪樟葉駅から近鉄新田辺駅までを徒歩で突っ切り、その道中に年を跨ぐという後輩 n の計画を最初に聞かされたとき、普通に「こいつマジか」と思った。と言いつつも自分は当たり前に乗り気で、ところで後輩 m も後輩 m で乗り気だったらしく、狂った人間しかいなかったので狂った計画がそのまま実行へ移された。

 年越しそばをどこで買おうという話になった。道中のコンビニで揃えるという基本方針は当初から立っていたのだけれど、そうして立ち寄ったコンビニでは、たしかに品揃えには問題ないものの、ところで微妙に重たいものが中心に売られており、「さっき晩御飯食べたばっかだしなあ」。歩けば歩くほどお腹が減っていくだろうから、良い感じのタイミングになったところで目についたコンビニへ入ればよいのではという結論へ落ち着き、結局、ただひたすらに歩くということが繰り返された。

 この辺りはまだ普通に人の気配のする町並みだった。しばらく直進すると、前方に真っ黄色の森を発見した。最初は「なんか光ってるな~」とだけ思ってぼんやりと眺めていたのだけれど、そうしているうちに色が変化して「????」となった。そのことを二人に知らせると当然「あれは何?」という話にもなり、ところで、その答えは幹線道路沿いにちゃんと用意されていた。

銭湯。見つけた瞬間のテンションの微分係数は全員が等しくバグっていたと思う。「銭湯じゃん!」、「営業時間 1:30 まででワロタ」、「いやでも、大晦日だからやってないとかある?」、「車が出入りしてるからやってるくね?」、「現実チャンネル?」。「ここで銭湯へ入れたらマジで正しすぎる一日」とは後輩 m の言葉。やいのやいの言いつつ店入口へ続く階段を昇ると、左手の窓に銭湯あるあるの靴を入れておくゾーンがみえて、それと同時に明らかに利用者と思しき人の影も確認できた。誰が言い出したとかでもなく、全員が全員、吸い込まれるように扉をくぐった。「マジで銭湯行きたくない?」の伏線をここで回収。なんで回収できたんだ? と思う。いくらなんでも現実チャンネルすぎ。

 本日の BPM ということで鍵番号は 128 を選んだ。諸々の手続きを終え、入浴スペースのある二階へ。どうやら、このタイミングで後輩 n のとある言葉を聞き逃してしまっていたらしい。自分の耳に入っていたのは「ここで」という部分だけだった。「ああ、上がったらここで集合ってことね」と解釈し、そのまま脱衣所へ。銭湯の類へ入る機会はさほど多くなく、真っ先に思い出されるのが大例会におけるそれなのだけれど、そういった際、自分は 2,3 分しないうちに湯船を抜け出して、早々にコーヒー牛乳を飲みに向かう。ところでこの日はずっと歩きっぱなしで脚が疲れていたということと、「大晦日だし逆に」という謎の意識が作用し、全部の湯に一度は浸かるというのをやっていた。浴場内に恐らく時計はなくて、だから露天風呂のディスプレイで上映されている何かしらの歌番組の、その右下で刻一刻と刻まれているカウントダウンが何を意味しているのか、判断できなかった。「まあ、たぶん新年までの残り時間か」とぼけーっとカウントダウンを眺めたまま、残り 0 秒になったところで画面上に『HAPPY NEW YEAR』的なフレーズがでかでかと表示され「めでて~~~」となった。露天風呂で新年を迎えるの、たぶん今後人生でもう二度とないと思う。ところで、このとき後輩 n は一人きりで待たされていたのかと思うとマジで申し訳ない。いや、本当にね。

 新年迎えたしそろそろ上がるかと思い、脱衣所へ。先に上がっていた後輩 m が過去一の笑顔を浮かべていて、それがめちゃくちゃ印象に残っている。すたすたと着替えを済ませて、びゃーっとドライヤーを掛けて、よしよしと思いながら指定の集合場所へ戻ると、後輩 n の姿がなかった。「髪乾かしてくるって」と後輩 m 。なるほど~と思いながら、この時点での自分は暢気なものだった。戻ってきた後輩 n に「年明けまでに集合しようって言ったじゃないですか!」と言われ、寝耳に水すぎる話を前に心の底から「?????」となった。

 一階には休憩用に設けられたスペースがあって、そこへ荷物を下ろした。家を出る前に書いていた手紙は 2023 年になったタイミングで渡そうと予め決めてあり、ここだなと思ったのでここで渡した。依然としてご機嫌斜めの後輩 n が零した「ここで開けちゃおうかな」に対してかなり渋った。一方で、自分がやったことの重大さに薄々気づき始め、「じゃあ、まあ、開けていいよ」と伝えた。ところで自分がいたらまあ開けないだろうなと思ったので離席、角を折れるとコーヒー牛乳の陳列された自販機を発見した。カウンター横のスペースでもコーヒー牛乳は売られていたのだけれど、一階へ降りてきた直後の後輩 n はそれをスルーしていた。後輩 n がこの手の特殊イベントを逃さないことは知っているので、「なんで買わなかったんだろう」と考えつつ、「コーヒー牛乳あるよって教えたら喜ぶかも」と休憩スペースへ戻ろうとしたところで後輩 m とすれ違った。と思ったら、さっきまでいた角の向こう側へ連行された。最初は「なに?」と思ったけれど、一瞬だけみえた、後輩 m の手元にあるスマートフォンの画面からおおよその察しがついた。ついたので、やたらと元の場所へ戻りたがってみた。こうすれば困るだろと思って。そうこうしているうちに後輩 n が「早く出ないと、閉館時間ですよ」と呼びに来たので終わり。みるに傾いた機嫌はどうやら元通りにできたらしかったけれど、「これ、もしも手紙を持ってきていなかったらどうなってたんだろうな」という反実が頭から離れなかった。間違えた中でも間違えてなくてよかったな、本当に。それから靴を履いたタイミングで「どうしてコーヒー牛乳を買わなかったの?」と訊いた。「ところで、あのライトアップは結局何だったんだ」って話もした。

 

○ 2023.01.01 0:30 - 4:20 灯りの湯⇒近鉄新田辺駅

 ここから先は本当にただひたすら歩くだけだった。幹線道路沿いの町並みに対する見解を聞いたり話したり、そういうのを繰り返しながら。元旦限定イベントであるところの『神社的なスペースでの催し物』がなされている様子に立ち止まったり、異様な大きな半月を振り返ったりした。途中の公園でブランコで立ち漕ぎしたり、ジャングルジムに登ったりした。星が綺麗だった。音楽を聴きながら夜を浴びるやつをやりたくなって、一人でこっそりとはぐれてイヤホンへ耳を傾けたりもしていた。

 傾斜のある道だった。山中を進んでいるのだから、まあ当然。

良い景色を見逃さない。まずもって見逃すつもりがないし、それでも見逃してしまったものはあとの二人が教えてくれる。道中、高速道路の上空を垂直方向へ横断する高架があって楽しかった。目に入る道がなんだかどれもこれも直線的で、京都のそれとはまた違う、作為めいたものを感じて面白かった。今度は日中の、加えて体力に余裕のあるタイミングで歩きたいなと思った。

 コントラストの効いた夜景がようやくみえた頃がだいたい 2/3 地点だったらしい。遠景の鉄塔群に後輩 n が(歓喜の)悲鳴を上げていた。一方で半ば眠っている後輩 m をせっつきながら歩いた。道中、何度も左手用のカイロを買うという話をしていたのに、コンビニエンスストアへ立ち寄るたびに忘れていた。ゴールの近づいた坂道、あまりに寒かったので駆け上がってみた。足が全然痛くなくて不思議。後輩 n が「元気ですね」と言っていた。なんでだろうなと自分でも思った。まあ、それくらいには楽しかったからか。

 近鉄新田辺駅に着いたのは 3:50 のことだった。

駅前のコンビニエンスストアで今度こそ左手用のカイロを購入。なんとここまでに四つ五つのコンビニでカイロの存在をスルーしている。そして、ここでようやく年越しそばを食べましょうという話になった。なので、お湯を入れて食べるタイプの小さなかき揚げそばを購入。後輩 n →後輩 m →自分の順で会計を済ませたのだけれど、後輩 m のタイミングでお湯が消滅。替えはないとのことだったので、「仕方がないね」と言って店を後にした。これはただの偶然だけれど、「自分が最後でよかったな~」と思った。後輩 m の容器へは、麺をもどす分には問題ないくらいのお湯は注げたらしかった。できたそばを半分くらい譲ってもらえたので、買ったばかりのカップ麺を代わりにあげた。自分の家には電気ケトルないし、持って帰っても対処のしようがないんだよな。

 終夜運転に乗るのは、記憶の限りでは恐らく初めてのことだった。めちゃくちゃ小さい頃とかに一度くらいあると思うけど。深夜四時なのに駅構内が稼働していて、分かっていたことなのに本当にびっくりした。いまこの瞬間だけは、夜は自分たちだけのものではないのかもしれないなと思った。それはとても嬉しいこと。

 

○ 2023.01.01 4:20 - 7:20 近鉄新田辺駅信貴山朝護孫子寺 / 展望台

 これ以降は近鉄の車両に揺られての移動が主だった。後輩 m は睡魔が臨界点を越えたのかずっと眠っていた。後輩 n とは、たとえば高の原駅の話をした。「どういうところが好きですか?」と訊かれたので「幼少期の思い出だけで、理由らしい理由はないかもね」と返した。というか、幼少期以来、降りたことさえ一度もないんじゃないだろうか。だからというか、なんというか、確かめてみたい気持ちがあるにはある。でもまあ、しばらくは後でいいな。

 近鉄大和西大寺駅に着くと、次の列車は 5:18 だった。大学まで電車通学をしていたとき以来だった。帰省のときは京阪京橋駅経由で帰るしな。まだ薄暗い駅のホームに立ったまま、「ここまで来ると、もう始発の時間か」と二人のうちのどちらかが言っていた。待機時間がそれなりにあったので駅構内のコンビニを物色したり、discord の作業通話にいた人たちへ新年の挨拶をしたりした。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 大和西大寺駅はその辺りだとそこそこ大きな駅で、だから乗り込んだ列車もそれなりに賑わっていた。逆向きの奈良へ向かうなら納得できる一方、この時間に大阪方面へ向かう目的って何なんだと思ったけれど、「初詣の帰りとかじゃないですか?」と言われ、なるほどとなった。そりゃそうか。運よく空いていたシートは二人分だったので、自分は窓際に立っていた。「良い景色のところへ差し掛かったら起こしてください」と後輩 n の後頭部。ここで言う『良い景色のところ』とは近鉄石切駅近鉄枚岡駅間のこと。地元も地元。「分かった」とだけ言って、実際にその地点へ差し掛かったときには起こそうとしたのだけれど、一瞬だけ目を覚ました後輩 n はそのまま入眠。無理に起こすのもなという気持ちと、まあ一度はみてる景色だしなという気持ちの二つから早々に諦め、そのときちょうど覚醒していた後輩 m との二人で眺めた。マジの最寄り駅へ停車したタイミングで後輩 n が覚醒し、「良い景色のところ、もう過ぎたよ」と教えたら怒られた。起こしたよ、ちゃんと。

 乗り継ぎに乗り継ぎを重ね、近鉄信貴山口駅へ到着。そこから先はケーブルカーで山の斜面を上がっていく。最大の問題点は自分が軽度の高所恐怖症ということで、ケーブルカーはそれほど大丈夫でもなかった。普通に怖かったな。けど、高度が上がるにつれて大阪市の夜景が眼前を埋め尽くしていって、それがあまりにも綺麗だったから途中からはそんなこと忘れてしまっていた。初日の出を拝むというミッションに急かされていたけれど、余裕があればこの夜景もちゃんと手に入れたかったな。後輩 m は寝ていた。

 ケーブルカーを下りて、駅員さんに言われるがままバスへ乗車。人数もそこそこだったので「これはマジでそんなに人いないんじゃないか」と思ったけれど、バスから降りてしばらく進むと大量の車が停められた駐車場が目に留まり、「まあ、そうだよな」と思った。人の流れに従って道なりに進むと、ありえない高所に架かった赤色の橋の上へ。「ここからでも見えるらしい」。道行く人たちの会話からそう推測したものの、「もっと良い場所があるんじゃないか?」と探してみることにした。後輩 n の検索能力により展望台らしきスポットが存在することが判明したので、そこへ。途中でみたらし団子を買おうか数十秒迷って、いざ買おうとしたらまだ準備中とのことだった。勿体ない。

 明らかな高台へ続く階段をみつけて、これが展望台だろうということで昇った。その先にあったのは「たしかに展望っちゃ展望だけどね~」くらいの風景。自分たち以外には一人のご老人だけで、他には誰もいなかった。「これ、場所変えたほうがいいかな~」などと広場内をうろうろしていたとき、真っ先に声をあげたのは後輩 n だった。

全然ちゃんとみえた、初日の出。視界を遮る木の枝があまりに多いからどうなんだと思っていたけれど、いざ太陽が昇ってみると「逆に良いわ」としか言えないコントラストをみせてくれた。良い風景を横切るみたいに走る木の枝があり得ないくらい好きなので、本当に助かった。信じられないくらいに円形の太陽を遠目に眺めながら、「『誰もいない場所から初日の出をみる』とかいう、到底叶いそうになかった願いを初手で叶えてしまったな」と思った。後輩 m と後輩 n の二人がいなければこんなところへはやってこなかっただろうから、そう思うと、なんていうか、いったい何に感謝すればいいのか分からなくなってくる。神様とか、偶然とか、後輩二人とか、いつかの自分とか、そういうの? まあ全部か。

 日の出をみるまでは 2023 年って感じがしない。そう言っていたのは本当で、逆に日の出を見た瞬間に「 2023 年、始まったな~~!」って気持ちが一気に込み上げてきた。初日の出をみるというタスクを終え、なのに誰も帰ろうと言い出さなくて笑った。揃いも揃って終わらせるのが下手。これの三枚目は帰り道、赤色の橋の上から撮った初日の出。

ところで、この橋ってバンジージャンプができるらしい。こんな地元も地元の山中に、まさかバンジージャンプできるところがあるだなんて、25 年近く生きているのに知りもしなかった。絶対にやらないけどね。

 

○ 2023.01.01 7:20 - 10:20 信貴山朝護孫子寺 / 展望台⇒自宅

 天才的な機転を利かせた後輩 n とは途中の駅で別れることになった。自分と後輩 m の二人はそのまま環状線へ乗って京阪京橋駅へ。途中、2022.12.24 の無限散歩部で練り歩いた場所がいくつも車窓の向こうにみえて、「あの橋、歩いたよね」と話し合ったりした。大阪城公園、橋、階段下の広場。存外はっきりと覚えている。思えば良いイベントだらけだったな、2022 年後半戦。

 京阪京橋駅で座席に座れるかどうかだけが勝負だった。座ってさえしまえば終点まで眠るだけだったから。待機列最前に陣取り、いよいよやってきた特急列車。高速で流れてゆく車窓に覗く車内の雰囲気は「無理かも~」という感じだったけれど、結果的には二人とも座ることができた。ので、そのまま入眠。気がついたときに出町柳っぽい駅にいたので、とりあえず隣の後輩 m を起こして、その流れで駅名を確認したら本当に出町柳だったので飛び起きるみたいに飛び降りた。「まあ、最悪の場合、淀屋橋出町柳を往復するだけだしな~」と言っていたけれど、危うく本当に往復するところだった。

 駅を出て、見慣れた帰り道。「後輩 n 、ちゃんと帰れたかな」という話をした。それから「本当に疲れているので近道で帰ろう」という話になり、自分と後輩 m の二人で歩くときにはいつも通っているというルートを捻じ曲げて、普段は使わない路地を通って帰った。別れ際、「おつかれさま、おやすみなさい」と言った自分に対し、「今年もよろしくお願いします」と後輩 m 。そういえばそうだったと思って「今年もよろしく~」と付け加えた。こういうところ、本当に抜けてるんだよな~って思う。「よいお年を」と伝えずに 2022 年最後を終えてしまった相手、いったい何人いるんだろう。

 というわけで帰宅。

家を出るときに空調のリモコンが見当たらなくて、ところでつけっぱなしにしておくわけにもいかなかったので根元からコンセントを抜いて無理矢理に切ったのだけれど。ところで、帰ってきても当然リモコンはなくしたままだったので、寒さに打ち震えながら眠った。

 

 

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○ 終わりに

 以上が 2022.12.31 8:30 から 2023.01.01 10:20 にかけて、およそ 26 時間の活動記録。ここまで読んだ人、本当にいるんですか? いたとしたらすごいと思う、それは、本当に。

 書き起こそうと思って筆を動かしてみると、存外はっきりと思い出せるものなのだなと思った。人間の記憶力ってすごい。別に、その一瞬一瞬を焼き付けようとしていたわけでもないのにな。

 2023 年はいったい何ができるんだろうな~と思う。2022 年が始まったときにはこんな結末を想像してはいなかったし、結末だけじゃなくてそれに至る過程も全部、何もかも。どうなっちゃうんだろ、ほんとに。期待していないなんて言ったら、それは流石に嘘が過ぎるかもな。

 

 

 

signal

 

  楽曲『signal』を投稿しました。

 

soundcloud.com

 

 

【歌詞】

手を引かれた 魔法みたいな夜

白い自転車 挟んで歩いた

何も言わずに 黙っていたのは

言葉じゃ足りないから

 

昨日までとか 明日のこととか

理由ばかりで 忘れちゃったけど

今日の僕らを 思い出せたら

話の続きをしよう

 

寂しくないとか 言いたくないから

何度でも またねって 手を振るよ

 

見上げていた 世界は眩しすぎて

僕らは まだ 大人になれないまま

あんなに見慣れた 貴方の笑顔も

当たり前みたいに 忘れてしまうのかな

 

霞んだ月 河沿いの公園

緩いスロープ 信号に差す青

合図もないのに 止まった僕らを

野良猫だけがみていた

 

言えないこと 言わないでいること

ポケットの中 全部 しまっておくよ

なんでもないみたいに 強がるのは

お互い様だろうから

 

静まっていく呼吸 明滅する赤

あと少しくらいって わがままかな

 

知らない朝 全部 かき消す太陽

目が覚めたら ひとりで運んでいくよ

分け合った痛みが どんな離れても

心の奥に まだ 消えずに灯っている

 

見上げていた 世界は眩しすぎて

僕らは まだ 大人になれないけど

何度 たしかめた 貴方の笑顔が

当たり前みたいに まだ ここにあるから

 

忘れないで せめて信じてほしい

繰り返した今日に 意味なんてなくても

こんな街の中 会えないままでも

この唄の中に 探しに行けるから

 

いつかまた会えたら 笑ってくれるかな

 

手を離した 魔法のない夜

貴方のこと 寂しくなるときは

届かなくても 唄を歌うよ

言葉じゃ足りないから

 

 

 

【コメント】

 今年の一月頃に制作した楽曲で、なのでおよそ一年くらい前の曲になります。同サークルの面々しか知る由のないことですが、当時の音源に少しだけ手を加えています。

 作曲的には色んなオンコードを試してみようというモチベーションでした。IIm/VI - V/VII - I とか、I - V7/I とか、いろいろやってます。

 歌いました。人に歌ってもらうときと、合成音声に歌ってもらうときと、自分で歌うときと。あからさまに作詞の傾向が違ってて面白いなって思います。

 

 

 

2022 年、好きだった曲の話


 昨年に引き続き、今年もサークルの後輩が立てた企画に乗っかる形で今年聴いたマジ good music を紹介するやつやります。昨年度の記事はこちら。

kazuha1221.hatenablog.com

 春 M3、秋 M3 とバリバリのポップス & ロックを作っていた一方で、今年、自分の中でもっとも熱かった音楽ジャンルといえば『音ゲー』でした(ジャンル?(ジャンル))。というわけで、2022 best もそういった方向性の楽曲がずらずらと並ぶ感じになりました。

 リリース日順に紹介していきます。検索で特定できた限りのリリース日を、各楽曲のタイトル及びクレジットの直後に括弧書きで記してあります。

 

 

 

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○ 2022 listen best10

『2022 年リリースではないが、2022 年に知った曲の中から 10 曲選ぶ』というレギュレーションです。

 本題は後述の「2022 release best10」のほうなので、こちらは軽い紹介だけに留めておきます。

 

1. New Leaf / BlackY vs. Yooh (2017/7/19)

open.spotify.com

 一生ドシソが鳴っていて本当に嬉しい楽曲。サビの盛り上がり方が本当に好きなのと、こういった暗さの曲でピアノとストリングスが良い感じに鳴っていてくれると嬉しいよねという気持ち。

 

2. Mirrorwall / BlackY (2017/8/10)

www.youtube.com

 ジャンル的には多分 trance だと思います(本当?)。trance と音ゲーって構造的にかなり衝突してるんですけど(一曲あたりの時間)、うまくまとまってるな~って思います。ピアノの旋律がとても綺麗だな~というのと、これもこれでサビに入った瞬間の心地良さがかなり好きですね。転調最高~。高校生の頃、こういう曲がとても好みでした(そしていまでも好きらしい)。

 

3. Dyscontrolled Galaxy / かめりあ (2017/8/10)

www.youtube.com

 音ゲーをやっている人からしたら「逆に何で今まで聴いてなかったの」ってくらい有名な曲だと思うんですけど、今年に入ってからちゃんと聴きました(だって解禁してなかったから……)。音楽ゲーム的な面白さを十二分に取り入れつつ、楽曲としてのキャッチーさもきちんと兼ね備えられていて、流石だな~~って感じです。

 

4. Juggler's Maddness / Lite Show Magic (2017/8/10)

youtu.be

 コード感が薄かったりメロディにスケール外の半音の動きが多かったりで、結果としてダークな感じになっている曲が実はめちゃくちゃに好きなんですが、それです。ノリノリすぎる。

 

5. ルンに花咲く恋もある / ワルキューレ (2020/5/27)

open.spotify.com

 マイナースケールの使い方があまりにも上手すぎる~~。楽器構成の割にご機嫌すぎない感じがちょうどよくて好きです。

 

6. One Day (VITICZ Remix) / Moon Jelly (2020/11/3)

open.spotify.com

 一生ドシソが鳴っていて本当に嬉しい楽曲2。……という冗談は置いておくとして、サークルの後輩経由で知った曲です。もとよりムンベっぽい曲が好きなのはあるんですけど、ボーカルの感じとノイズ感が想像を掻き立ててくれていいな~って。ギターの空間も超良いし。夜に聴きたくなる曲だなって思います。イントロの、こういう、誰かの鳴き声みたいな音色のシンセが死ぬほど好きです。

 

7. 芒種、鼠黐の薫風 / アサノハヤト (2020/12/2)

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 アサノハヤト! 『ライザのアトリエ2 ~失われた伝承と秘密の妖精~』というゲームの BGM です。五年くらい前に少し聴いていたんですが、今年に入ってアサノハヤト狂いの後輩ができたことでまた少しずつ聴き始めました。目を閉じればそれだけでどこか遠くまで連れ去ってくれそうな、そんな感じが本当に好きです。

 

8. デンデラパーティーナイト / 森羅万象 (2021/8/14)

open.spotify.com

 東方 project の楽曲「夜のデンデラ野を逝く」のアレンジです。B メロからサビへ入った瞬間の開放感がかなり好き。あと、ボーカルのお二人がめちゃくちゃ良いですね。表情がみえる感じ。

 

9. まみむめ🍄まるっと🍄まっしゅるーむ🍄 / かめりあ as "まいたけラヴ" feat. ななひら as "エリンギ大好き" (2021/9/16)

www.youtube.com

 柄の悪い音に可愛らしい声が乗ってたら楽しいよな……といういつもの理由はあるんですが、この曲はそれ以上に楽曲全体の構成が素晴らしいことと、サビのメロディがキャッチーすぎるという二点において、自分の中での評価値が異様に高いです。音ゲーの歌モノって、作るのめちゃくちゃに難しいはずなんですけどね……。

 

10. 篝火 / konoco (2021/10/26)

youtu.be

 作曲は塚田忠昭さん。2022/10/18 にリリースされた『メメントモリ』というゲーム内で使用されている楽曲です。ゲームリリースの一年前から楽曲だけ公開されていたため(どうして?)、2022 listen best10 の枠へ入ることになりました。三拍子ケルト。自分がやってほしいことを全部やってくれていて本当に好きです。本当の本当にめちゃくちゃ好きです。

 

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○ 2022 release best10

『2022 年にリリースされた曲の中から 10 曲選ぶ』というレギュレーションです。検索で特定できた限りのリリース日を括弧内に記してあります。

 

1. AIM HIGHER / U-ske feat. 棗いつき (2022/2/15)

www.youtube.com

 音ゲーの歌モノってマジでムズくて。機種にもよるんですが、当楽曲の収録されているアーケードゲーム『SOUND VOLTEX』では、応募楽曲に 2:00 以内という制約がついてるんですよね。与えられた 2 分間の中でサビを一度しか入れないとすれば、それだけで音楽ゲーム用の楽曲として盛り上がるだけの強度を伴った構成を用意しなくてはならないし。じゃあサビを二回入れるのかと言っても、それって曲展開をめちゃくちゃに練らないと加速と着地のバランスが崩れがちで。この曲は、そういった試行錯誤をあまり感じさせず、最初から最後までノリノリだからすげえな~って思います。2:00 でイントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、落ちサビ、サビ、後奏を全部やるの、マジですごすぎる。

 

2. kaleido proud fiesta / UNISON SQUARE GAEDEN (2022/4/13)

www.youtube.com

 UNISON SQUARE GARDEN ! 2022/4/13 Release.の曲なんですが、知ったのは割と最近で、二ヵ月前とか。たしか、ユニゾンが THE FIRST TAKE に出る数日前とかだったと思います。初見時の感想としては「なんか、めっちゃ好きかも!」くらいの雑なアレだったんですが、これを機にユニゾンの楽曲をぞろぞろと聴き始めてから言語化された感覚として、まず、ドラムの譜割がかなり作りこまれているな~って。歌メロや他楽器を邪魔しない範囲で暴れ回っているというか、邪魔しない範囲というより、他楽器にちゃんと寄り添いながら、と言ったほうが正しいかも。一秒一秒に音が詰め込まれていて、本当に飽きない。あとはまあ、単純に二拍おきにコードが変わってストリングスが鳴ってたら嬉しいよねっていう、いつも通りの感想もあったりなかったりします。

 

3. 仮定した夏 (Self Cover) / はるまきごはん (2022/5/27)

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 はるまきごはんね。はるまきごはんのスタンス的には、ボーカロイド(多くは初音ミク)の歌っているものが原曲であって、自分が歌ったものはあくまでそのカバーでしかないということみたいですが(たしかインタビューでそんな感じのことを言っていた)、今年よく聴いたのは Self Cover のほうだったのでそちらを選びました。オルタナ! 最近のはるまきごはんは『約束』や『秘密』、『幻影』系列の不思議メロディ楽曲と、『第三の心臓』、『蛍はいなかった』系列の、従来の 46 進行をベースとした作曲にシンセサイザを交えた編曲の楽曲との、大きく分けてこの二系統が結構多めにリリースされてたな~って感じだったんですが(本当に?)。なんか初回限定盤がほしいからって理由でアルバム『幻影EP』を買って、頭から聴いていって、それで『仮定した夏』が流れ始めたときに、だからめちゃくちゃびっくりして。「『BLUE ENDING NOVA』(1st Album)みたいな曲をまたやってくれるのか~~~」みたいな。マジで嬉しかったな~。一口に暗いと言っても様々な暗さがあると思うんですが、自分はこういった暗さを宿した楽曲がとても好みです。

 

4. 月光 / キタニタツヤ × はるまきごはん (2022/6/1)

www.youtube.com

 はるまきごはんね(二回目)。キタニタツヤエアプなので分かんないんですが、「はるまきごはん、こんなのも作んの!?」って感じでした、最初聴いたとき。最初から最後まで、一貫してオシャレでいい感じ。B メロの落ちるところが本当に極まりまくっていてかなり好きです。編曲面はキタニタツヤが割と前へ出てきてるのかな~と思ったんですが、どうなんでしょう(キタニタツヤ有識者~)。これもこれでボーカロイドバージョンが存在するのですが、こちらのほうをよく聴いていたという理由から選択されています。

 

5. てらてら / Leo/need × 初音ミク (2022/7/29)

www.youtube.com

 作曲は和田たけあき。2022 best10 を選ぼうと思い SpotifyYouTube といった各種サービスのログを漁るまですっかり忘れていたのですが、リリース当時に初めて聴いたときの印象があまりに強烈すぎてランクインという運びになりました。ぬるっと入り、それでいて上がりきらないサビ! 楽器隊の主張は最初から最後まで激しいのに、なんていうか、珍しいなって思います、こういうの。自分が普段よく聴いているのはサビで順当に盛り上がる曲ばかりなのですが、だからこそというかなんというか、めちゃくちゃに印象に残っていて、だからかなり好きですね。「ありふれた言葉に乗っかってら」の歌い方、良いよね~~~~(サビのぬるっと感はこれの影響がかなり大きい気がする)。

 

6. 四十九日 /  Shannon feat. 初音ミク & GUMI (2022/9/5)

www.youtube.com

 シャノンさんです。はるまきごはんのアニメーションスタッフなんかもなさっている方ですね。「この曲のどこが好き?」と自問自答してみてもそれらしい回答は何ひとつとして思いつけなくて、だから書けることもそんなに多くないんですけど。でも、この曲を 2022 best10 へ入れるという決定自体には何の違和感もなく、不思議。

 

7. カオスが極まる / UNISON SQUARE GARDEN (2022/10/19)

www.youtube.com

 UNISON SQUARE GARDEN!(二回目) ユニゾンエアプの感想ですが、動きまくるベースライン、本当に歌いながら弾くんですかってギターフレーズ(ちゃんと弾いてる)、腕何本生えてんのってドラムスはいつものこととして。コード感の薄い A メロ、コードチェンジが遅くなることによる停滞感と I,IV による仄かな開放感( III-VIm へいくのですぐ曖昧になる)に溢れた B メロ、遠目に差し込んだ光から引き戻されるパーカッションパート、からの長二度上転調 4536 で一気に上げていくサビ。……だけに留まらないのが好きなところで、サビを折り返すタイミングに #IVm7b5 - IVM7 - IIIm7 の半音下降を意識させるギターフレーズがあったり、その返しも VIm7 から VIIdim へ進行したり、聴いていてめちゃくちゃに楽しいです。2022 年、一番刺さった楽曲かもしれない。あと、2A メロへ戻る直前のリズム隊がマジで好き! アホなんかって手の動きしてる。

 

8. トウキョウ・シャンディ・ランデヴ / MAISONdes feat. 花譜, ツミキ (2022/10/21)

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 作曲はボカロPとしても活動していたツミキさんです。リリース当時にワンコーラスくらいは Twitter で聴いたと思うんですが、フルコーラスを聴いたのは最近(本当に最近で、数日前とか)です。ツミキさんの曲ってリズムの感じが特徴的だな~って思うんですが、この曲も例に漏れずそうで、ふと口ずさみたくなるな~って感じ。というのは楽曲に対する好きポイントの一つとしてあるのですが、それはそれとして、花譜さんのボーカルテイクが本当に素晴らしいなって。ひとつひとつのフレーズに対する表情の使い分けがマジですごいです。というのがめちゃくちゃに刺さりノミネート。

 

9. 白日より淡く / effe × nayuta (2022/10/30)

www.youtube.com

 今年の秋M3でリリースされた楽曲で、作曲は effe さん。nayuta さんはボーカルです。お二人とも全く存じ上げていなかった( nayuta さんは名前だけ知っていた)んですが、秋M3関係で Twitter へ偶然流れてきたものを何気なく再生したところ、心臓を思い切り掴まれてそのままって感じでした。なんていうか、なんだ、なんだろう。こういう、音楽という概念に付随する全部をそのまま体現したかのような、音楽然とした楽曲が本当に大好きで、そのくせ普段聴いてるのはポップスばかりなんですけど。音楽であることに意味があるな~と思える曲? なんかよく分かんないですけど(言語化を放棄)、2022 かなり食らった一曲です。

 

10. あのバンド / 結束バンド (2022/12/4)

www.youtube.com

 作曲は草野華余子。一曲を通してギターのプレイングがありえないくらいに好きで、たったそれだけの理由でノミネートされました(それ以外にも良いところはたくさんある)。サビの右側でギュワギュワしてるチョーキングが本当にカッコよすぎる! サビから始まるドラムスの裏打ちハイハットに伴う疾走感や、ボーカルのロングトーンなんかとめちゃくちゃ綺麗に噛み合ってるな~~~って思います。A メロとかの裏でしれっと鳴ってる半音交じりのリフや、イントロや C メロなんかの 16 分音符でジャカジャカしまくってるギターも本当に好きで、いや~。こんな素敵な楽曲をありがとうございますという気持ちですね。

 

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○ 終わりに

 おつかれさまでした。昨年度から始まった当企画ですが、今年も今年で相も変わらずに楽しい(そして苦しい)作業でした。ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。よいおとしを~。

 

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○ 他の吉音会員の記事

同じ『 2022 聴いた曲ベスト 10 』企画に参加しているサークル会員たちの記事です。内輪で進めている企画なのでインターネットへは公開していない人のほうが多いですが、公開している人もいるのでよければこちらもどうぞ。

 敬称略です。

 

・なあむ

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おしんこ

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