20220413


 階段から数歩、すぐに、あ、と思った。あんまりみなくなった踏切。耳に馴染んだ警告音。ここまで運んできた電車が遮断機を横切って、また空っぽになるまでのそれくらい。それくらいの間は突っ立っていたと思う、たぶん。目線の先、駅前の TSUTAYA がなくなっていた。物心ついたころにはあったはずのあれが。紺の塗装の上、日焼けの痕みたいな黒ずみだけを残して、遠目にでも分かる程度にはもぬけの殻になってしまっていた。地元へ戻った理由、予定時刻の目前に迫った用事を済ませて、それから帰りに寄ってみた。テナント募集の貼り紙。ああ、本当になくなったんだ。妙な感覚。喪失感とかじゃないな。なんか、もっと別のなにか。立入禁止と書かれたテープ。思い出す、色々なことがあった気がする。地元で書籍を買うとなればここが最寄りだったということもあるし、そうでなくとも書籍類の陳列棚を眺めることが好きだから、目的がなくとも足を運んだりしていた。初めて能動的に音楽へ触れようとしたのも、たぶんここのはず。中学一年か二年の頃、『初音ミクの消失』をレンタルした。あの日は、別にそれが目当てで来たんじゃなかったはずと思う。会員証か何かを作って、それでレンタルがお得になるからとか何だとか、そういう理由で適当に借りたような。当時めちゃくちゃに聴き倒したな。あのアルバムの曲はいまでも好き、それはそう。同じく中学生の頃、夜によくここで集まっていた。すぐ近くに通っていた塾があって、店員さんからするととんでもなく迷惑だったろうけれど、その程度の常識さえ当時の自分たちは持ち合わせてはいなかった。ガラス越しの店内(?)にはなんだか物が雑多に積まれている。本当になくなったんだ。寂しい? んー、割と普通に寂しいかも。あんなにたくさんの時間を過ごした場所がなくなるのは。京都へ越してからというもの、地元へ帰るたびに何かがなくなっていることに気づく。保育園、バス停、小学校、ゲーセンのあったスーパー。なんか、なんかなあ。保育園は雑草の生い茂る廃墟に、小中学校は改名して。中学の頃に通っていた塾だって、いまはもう跡形もない。ゲーセンなら中学のうちになくなっていたけれど、その名残を匿っていた建物自体が、この数年のどこかで取り壊されてしまった。そういえば、駅前のカラオケもなくなったんだった。地元の知人たちとよく朝まで時間を潰したりした、あの場所も。いや、なんていうかさあ。なんていうか、なんていうかだよね。なんか、全部なくなっていくんだな、と思った。空っぽの店内をみて、本当に。およそ成人するまでの自分がいたはずの空間が次から次へと。寂しいな、普通に。なんかさ、いや、別に、昔のことを振り返って感傷に浸りたいわけではなくて。しばらくしたら思い出さなくなるんだろうなって気がして、こういうのを。思い出せはするんだけど、いまだって。保育園の内装とか、小学校の非常階段とか、ゲーセンの店長さんとか。でも、思い出すための動機がなくなっていくっていうか。それがなんかさあ。なんていうか、なんかいうかだよね。