20221005

 

 熱が引いて一定時間経ったので、一瞬だけ地元へ帰ることにした。目的は、行きつけの美容院へ行くこと。というか、それ目的でしか地元へ帰ることがない、この数年くらいはずっと。夕方だった。乗り換えで降りたホームの屋根の隙間に覗く空が、鮮血をクリームに滲ませたみたいな殺戮的な色をしていて面白かった。殺戮的だな、と思った。諸事情で予約の時刻へ微妙に遅れ、申し訳ないな~と思いつつ店内へ入る。数秒ほど待つと受付の人が現れ、予約時刻と名前を伝える。それから手荷物なんかを渡すタイミングで、思った。なんていうか……、こんなだっけ? こんなだっけ? という感想は手荷物受け渡し等、一連のシステムに対して抱いたわけではなく、お店の内装でも流れている BGM でもなく、自分の手荷物を受け取ってくれた店員さんに対してのものだった。なんか、なんだろうな。第一印象としては、喫茶店の店員さんかと思った、アニメーション世界の。なんていうか、服装が少しメルヘンチックというか、色味自体はくすんだ朱と明るめのベージュの二色を主体とした、どちらかといえば落ち着いた印象を受ける組み合わせだったのだけれど、装飾がなんだか自分のイメージする日常から少し乖離していたというか。地毛っぽい黒混じりの薄い金の髪を後ろ側で編んでいたのも、ちょっと影響してるかも。全体的に「アニメっぽいな」という印象が先行した。諸々が終わって最後に会計をするという頃には、「不思議の国のアリスみたいだな」という結論に落ち着いていた。不思議の国のアリスの 2P カラー。ところで、他人の衣服に対して少しでも「良いな」と思うことがあれば積極的に発信していこう、というのをちょっと前からやっていて(どのくらい前だっけ?)、なので会計が終わってから「不思議の国のアリスみたいですね」と伝えた。すると「褒め言葉として受け取っておこうかな」と返された。褒め言葉です、ともちゃんと言っておいたので誤解はされていないはずと思う。

 

 美容室に行ってちょっと目についた店員さんがいただけでこんな文章書くのかよと思われていそうだけれど、いや、そうではなく。それで終わっているなら、別にわざわざブログへ起こしたりはしない。「なんか、今日は変わった店員さんが迎えてくれたな」と思ってそれで。ところで、だからここで終わらなかったからいまこうして文章を書いているという話であり、以上のそれは、ただそういう第一印象だったという話を並べ立てているだけで、要するに本題はここからだった。

 

 美容院か、衣料品店か、それ以外には裕福な家の脱衣所にしか置かれてないだろというサイズ感の鏡の前に座りながら、「これはもう髪が長いとかの話じゃないな」と考えていたときだった。背後から唐突に中学時代のあだ名を呼ばれ、肩が跳ねた。第一印象がアニメ世界の喫茶店店員であり、今回のカットを担当してくれることになっていたその人は、どうやら小中学校時代の同級生だったらしい。突然のことに、ええ……となった後、こういうことって本当にあるんだと思った。地元だし、そりゃまあいつかは起こり得る事態だったのだろうけれど、そもそも地元へ帰る機会が少ないからな……。向こうはどういった客が来るかをリストで判断しているはずだから、自分の名前を知ることができて、そこから思い出したのだろうと思う。でなければ、半年近く髪を伸ばし続けていたほとんど不審者に近い人間を、小中学時代の知り合いであると同定できるはずがない。そうしていきなり始まった試合開始のコールを聞き流しつつ、どういう対応を取るのが正解なんだろうなと考えていた。問題は、相手が誰なのかを自分が全く特定できないという点だった。小中学時代の知り合いでいまも連絡を取り合っているのなんて片手で足りるくらいの相手しかおらず、そうでない誰かのことを一〇年以上前の記憶をもとに照合してみせろと言われても困る。というか、そもそも自分は他人の顔を必要以上にみないので、顔での照合はほとんど不可能だった。「相手は自分のことを判定できた以上、名乗ってくれというのは失礼だよな……」と思いつつ、「でもできればそっちから名乗ってくれ~~」と思いつつ。とりあえずは「今日はどういうカットにしますか?」のルーチンを済ませるくらいまでの間にできるだけ思い出しをやってみるかと思った矢先、「どういうカットにしますか」の洗礼が繰り出されるよりも前、試合開始から三〇秒もしないうちに「誰か分かる?」と訊かれることになった。普通に頭を抱えた。

 

 全く思い出せないという旨を伝えると「じゃあ頑張って思い出して」という話になり、それから美容院恒例のやり取りが始まった。程なくしてカットが始まって、それから一つのヒントをもらった。曰く小学校六年生のときに同じクラスだったらしい。って言われても。小学校六年生のとき、同じクラスの女子に誰がいたかなんて覚えていない、普通に。男子すら思い出せないのに。というか、そもそも名前が微妙に怪しかった。クラスの中心的な部分にいた男女数名は、特に大きな接点のなかった相手でもフルネームで記憶していたけれど、それ以外は「聞いたら思い出せるけど、聞かないと思い出せない」みたいな感じだった。敗色濃厚かもな、と思いつつ、ところで頑張って思い出せと言われたので頑張って思い出さざるを得ず。ヒントはもう一つあって、中学時代からあまり変わっていないと言われる、だった。こっちかもな、割と。たしかに、言われてみればこんな喋り方をする人間が小中学時代の知り合いにいたような気がするな、と思って。それと、入店時に確認した顔立ちの印象も考慮し、とはいえ大した確証もない状態で浮かび上がった名前を口にしてみた。すると、それが正解だった。案外分かるもんだねえ、という話で一頻り盛り上がり、自分も自分でそこまで冷たい人間じゃなかったか~とちょっとだけ安心した。

 

 大学へ来てからも交流の続いている小中学時代の知り合いが片手で足りるくらいにはいるという話をしたけれど、そのうちの一人が同じ美容院へ通っているらしく、そいつ経由で自分の話を聞くことがたまにあると言っていた。滅多に現れないとはいえ自分も一応通っている身なので、「もしかしたらそのうち会えるかもね」みたいな話を一ヶ月ほど前にしたばかりだとも言っていた。とにもかくにもそのような事情があったので、自分が現在も学生の身分であることは既にその友人づてに伝わっており、なので話題は自然と小中学時代の知り合いたちの現在というほうへ移っていった。ここからが本当にヤバかったな。まず、初手で今度結婚するらしい人間の話をされた。聞いたことのある名前だった。一発目から大きい話題を持ってくるなって、と思っていたら、三階建ての一軒家を買って次の年度には子どもが小学校へ入るという二児の母親がいる話も聞かされた。これも知っている名前だった。流石に食らった。時の流れとかじゃないだろ最早、どうなってんの。あの子とはいまもたまに出掛ける、あの子はこの店によく来てくれる、あの子は前のお店で働いていたときによく来てくれていた、みたいな話が延々と続き、ところで全部知っている名前で。「みんな、意外と地元に残ってるんだな」と思いつつ。中学時代、テストの点数を別に競っていたわけではないけれど、自分と同じくらいの点数を毎回取っていた知り合いとは、毎朝出勤のときに必ずすれ違うと言っていた。へえ~と思いながら聞いていると、「たぶん先生だと思う」と付け加えられて流石に声が出た。教職? あいつが? ……いや、結構似合ってるとは思うけども。よく遊ぶというほどには仲良くもなかったけれど、なにかがあれば一緒にわいわいやるというくらいの立ち位置だった男子の一人は、いまは東京で救命救急士をやっているらしい。マジか。いや、それも何となく分かる気がするな、似合ってるし。あとは、なんだっけ。自分が来店するつい数時間前に二人組の男女が店に来たという話も聞いて(本当にただの気まぐれだったけれど、通常よりも遅めの時間に予約しておいてよかった)、それ自体は普通に美容院の予定だったらしいけれど、その二人は今度結婚するらしい。そして、両方とも知っている名前だった。現実世界の事象に対して、そことそこがそうなるのか……、なんてことを真面目に思う日が来るとは思ってもみなかった。何があったんだよ、自分が一切の付き合いを放棄していた一〇年の間に。みたいな。そういう話をしていた、一時間くらいずっと。

 

 会計を終えて、外へ出て、夜空をみて。あまりにデカすぎる人生イベントが急にやってきたな……という気持ちになった。自分は小中学時代に築き上げたものを色々と放棄しているという自覚があって。主には人間関係を。それはなんていうか、そもそも人間関係の大切さに気付いたのが大学へ入ってからだったから(遅すぎる)という、単に自分が愚かだったという一点に尽きる理由でしかないのだけれど(だから、高校時代に築き上げたものも、その多くは放棄されている)。それでも、みんなちゃんと生きてるんだな~~~~~~、と思った。『それでも』というのは『自分との関係が断たれた後でも』という意味。こんなのは当たり前の話で、けれど、これはどうしようもない意識の問題として、もう会わなくなって意識にも上ってこなくなった人たちは、自分にとってはいなくなったも同然の存在というか、どうしたって。まあ、それは向こうにしても同じことだろうからお互い様。ところで、実際にはいなくなったわけじゃないんだな、と思って。これもまた当たり前の話だけれど。なんか、普通に嬉しかったかもな。今日の今日まで本当に名前すら忘れていたような人ばっかりだったけど、どうやらみんなちゃんと生きているらしい。あまり、普段は感じない類の嬉しさ……嬉しいで合ってるのかな、が手元に残っていたような気がする。たぶん死ぬまで会うことはないんだろうと思うけど。でも、どうだろ。今回偶然再会したみたいに、どこかで何かの機会に顔を合わせることがないとは言い切れないな。言い切れなくなってしまったな。なんていうか、そのときにもまたこんな感じの話を聞くことができるのかなと思うと、それはかなり楽しみかもしれないな。

 

 カットの途中、タイミングを見計らって訊いてみた。これはまたとない機会だなと思って、とある知り合いの現在について知っているかどうかを。成人式のとき、当然のように地元の連中とは同じスペースにいたわけだけれど、自分は割とその知り合いに会うことを目的にして足を運んだという側面があり、ところで結局会えずじまいだった。というか、多分そもそも来てなかったんだと思う。集合写真のときにもみつけられなかったから。聞くに第一印象アニメ世界喫茶店店員の交友関係はかなり広そうだったので期待したのだけれど、少なくとも現在の交流はないとのことだった。「まあそんなにうまくいくわけないよな~」と思いつつ、けれど「町を歩いているとたまにすれ違うことがある」と教えてくれた。一番嬉しかったのは、それかもな。あいつ、まだこの町にいるんだなと思って。というか、生きてるんだなと思って。いや、中学以降のことを全然知らないし、自分の中で勝手にいなくなった認定されていただけだけれど。というか、中学のときも別にそれほど強固な関係があったわけではないし。でも、中学時代の諸々が入っている棚をぐーっと引っ張ると一緒になって記憶の中から引き出されてくる名前ではあり。そんな誰かは、いまもちゃんと生きているらしい、この町のどこかで。駅前の TSUTAYA も、思い出のゲーセンも、カラオケも、保育園も、小学校も、バス停も。色んなものが跡形があったりなかったりで消えていったけれど、それでも生きているらしい。生きてるらしいわ。なんていうか、それが一番嬉しかった。良い日だった、今日は。