2021

 

〇 1 月

 早速だけれど、何も覚えていない。……というのは半分だけ正しく、残りの半分は間違っている。なにがどうあれ、自分の生活の中心には何かしらの創作活動があるので、「このとき何してたんだろう?」と思ったときは、何よりもまずその辺りのことについて思い出してみるのがよいということは、まあ経験則的に知っていること。一月といえば『ステラグロウ』を作っていた時期で、……というかそれ以外には何もしていなかった時期かもしれない。四回通年のゼミはもうほとんど終わっていたようなものだったし、期末試験の類はすべてレポート問題だったので楽勝で。ああ、そういえば、卒業ギリギリまで単位が足りているか分からず、それはそれで結構なストレスだったことは今でも覚えていた。一から十まで全部自分が悪いのだけれど。「まあ、最悪留年することになっても大丈夫っしょ」と考えてはいても、実際にそうなる可能性が目の前に差し迫ってくると、なるだけ回避したいという気持ちがどこからともなく湧いてくるものなのだな、という感じだった。あと数か月後に就活関係で同じ思いをしていそうだけれど……、まあそれは未来の自分が何とかしてくれるでしょう。

 ステラグロウ。この時点ではまだ完成していないはずだから、このことにまつわる諸々については後々触れるとして、……思うにベースの話を残しておくべきなのだろうな。

ちょうどこれくらいの頃に PENGUIN RESEARCH の MV を観まくっていて。「バンドっていいな~」という感情はこの頃には既に自分の中に息衝いていたのだけれど、なかでもベースという楽器、あるいはその奏者のことをカッコいいなと思うようになったのもちょうどこのタイミングで。ステラグロウのベースラインがこれまでの楽曲よりも(比較的)凝った風に練られているのは、そういった理由があったから。……とはいえ、まさか 12 月の終わりに 90k 弱のベースを買うことになるなんてことは、このときにはまだ想像もしていなかったけれど。

 

〇 2 月

 大学が冬休みに入って、何をしていたかというと作曲をしていた。嘘で、作編曲の段階はもうだいたい終わっていて、たしかこの月は一生ミックスの勉強をしていた。自分はマジで適当なミックスをしながら生きてきた人間で、それはそれとしてステラグロウはとあるコンピレーションに収録される予定だったので、「流石にここで手は抜けない」と思い、毎日毎日泣きながら PC へ向き合っていた記憶がある。泣きながらというのは単なる比喩だけれど、でも、普通に嫌になって泣きそうな気持ちでベッドへ飛び込んだことは何度もあった。本当にもう二度とやりたくないし、なんなら、そのミックスをいま聴き返してみても微妙だとしか思えないのでもう終わりという感じでさえある。ただまあ、そのときの地獄がのちのリスティラだとか何だとかへ繋がっていることを思えば、この辺りのことは遅かれ早かれの話でしかない。

 ミックスに向き合ってこなかった理由の一つに『使用環境がショボすぎる』ということがあった。大学へ入ったら DTM しまくる気満々だったので、したがって入学時点でデスクトップを購入する手はずだったのだけれど、何らかの行き違いでその辺りを失敗し。その結果、繋ぎとして購入した大して高性能でもない、何ならちょっと型落ちくらいのノート PC で四年半ほど作曲をしていたという状況だった。いま思うとこれが本当によくなくて、だって KONTAKT 付属のピアノ音源でさえマトモに書き出せるかどうかは運ゲーというようなスペック。コンプレッサーの一つも立ち上げる余裕はない。それでよくもまああんなに曲作ってたなというのがいまの自分の本音だけれど、なのでミックスなんてものに割くだけのリソースが物理的になかったという話でもある。……という辺りの事情は一月頭、正しくは昨年の一二月末にゲーミングノート PC を購入したことですべて解消された。加えて、オーディオインターフェイスも自分はちゃんとしたものを持っていなかったのだけれど、それもこの二月で解消した。なので、いよいよ本腰を入れてミックスへ向き合う時が来た……という気持ちで過ごしていたような気がする。……ただまあ、これでもまだ足りていなくて、このときにモニターヘッドフォンもちゃんと購入しておくべきだったなといまでは思う。ちゃんとしたインターフェイスとちゃんとしたモニター環境。この二つをまずは揃えたほうがいい、本当に。

 

〇 3 月

 さて。ステラグロウから解放されていったい何をしていたのかというと、これが本当に思い出せなくて、なので Twitter を遡ってみた。ギターの練習をしていたらしい。

ステラグロウを作っていた頃、「もっとちゃんとバンド曲を作りたいなら、各楽器のフレーズを学ばないといけない気がする」という意識が徐々に芽生え、諸々が片付いたのでギター向き合いの流れになった、という経緯だったように思う。それ自体はとても素晴らしいことだが、問題があるとすれば継続しなかったことだな。継続しなかった理由もあるにはあるのだけれど、にしてもちゃんと覚えておけばよかった。とはいえまあ、それ以来ギターを片手に遊ぶのが楽しくなったというか、作曲でリフを考えるときにギターを使いながら試行錯誤するようになったというのは、かなり良い変化だったように思える。……あと、このギター練習が活きて(活きたか?)、友人の曲にギターで参加することができたのはかなり良かったかもしれない。たぶん今後一生そういう機会はないだろうから。

 継続しなかった理由はこれ。

所属サークルのベスト盤を制作するためのアートワークを描きまくらなくてはならなかったから。嘘で、諸々の締め切りはもっと前に設定されていたような気がするのだけれど、ステラグロウにかまけていたことだとか、生産担当から特に何も言われなかったことだとかを理由にして、なんとなく先送りにしていた。それが「流石にそろそろやり始めないとヤバくない?」というラインへ差し掛かり、重い腰を上げたというのがちょうどこのタイミング。このイラストを描く前にジャケットのほうを制作しているので、だから本当にステラグロウが終わった瞬間からこっちのアートワーク作成のほうへ動いていたことになる。自分はイラスト・デザイン周りに関して、本当にドが最低三個はつく程度の初心者だったので、一枚描くごとに様々を学びつつといった感じの流れだった。構想を考えて、それを実現するためには何が必要かを考えて。そうして得られた必要なもののうち、短期間で習得できるものはどれかを考えて、それほど長い時間はかけられないから。なんていうか、所謂死にゲーをやっている感覚だった。明らかにステータスの足りない状態でボス戦へ挑んで、正面から戦っても勝てるはずがないから、敵の行動パターンや予備動作を片っ端から記憶しつつ、かつ自分の操作スキルでどこまで捌きるか……みたいな。大変だったけど、まあ楽しかった。喉元過ぎればなんとやらというやつかもしれないけれど、でも自分の性質上、楽しくないことを最後までやりきったりはしないので、やっぱり楽しかったんだろうと思う。という風に書き出してみると、この春休みも全然空っぽなんかではなかったんだな。

 

〇 4 月

 所属サークルの新歓企画の一環として編曲リレーというものがあって、そのための原曲の制作を頼まれたため、四月の頭からはそれがスケジュールの中へ食い込んでくる形になった。これは恐らく自分の長所であり短所でもあるのだけれど、こういったものが降ってきたとき、というかそれを了承し引き受けたという時点で、自分の頭からは手を抜くという発想が消えていて。新歓担当からのオーダーは「音ゲーっぽい曲」だったので、言ってしまえば過去の自分の手癖に頼ってしまえば大した困難もなく片づけてしまえる案件なのに、そこで「いや、やるからには新しいことをしよう」みたいなことを思ってしまうのが自分というか。……これと同じことが前述のベスト盤アートワーク作成でも発生していたわけで、大して絵の練習をしていたわけでもないのに大仕事を引き受けて、しかも一切の妥協を許していない辺りにそういう意識が顕れている気がする(本来はあんなに何枚も絵を描く必要はなかった)。結果として、この四月は「やりたいことをやる」を二つ同時に片づけなくてはならない一ヵ月になってしまった。まあまあの地獄だったけど、でもやっぱり楽しかった気がする。どちらも、最終的にはとても満足のいく形までもっていくことができたし、「人間、やればできるもんだな~」と思ったことを覚えている。でも、できればちゃんと寝たほうがいいよ。

 うっかり忘れそうになっていたけれど自分は学生の身分であり、四月からは大学院のゼミも始まっていた。それも相まって地獄度合いが一層加速していた。普段、自分で自分のことを凄いだとか何だとかと言うことも思うことさえないのだけれど、でも正直、この四月を乗り切ったことだけは本当に凄いと思う。全部が全部、自分で招いたことだけれど。いやでも、全部自分で決めたことだからこそ、最後までやりきれたというのはあるかもしれない。そのうちの一つでもなあなあで選んだものがあったなら、きっとどこかで妥協していた。きっとというか、自分の性格上、確実にそう。……話を戻す。あんまり興味のある人はいなさそうだけれど、まあ備忘録という側面もあるので、大学院でのことを少しだけ残しておく。自分の専攻は整数論で、より正確には保形表現論という分野になるのかなと思うけれど、要するに数字を捏ねくり回して遊ぶ学問をやっている。学問に対する崇高な理念なんてこれっぽっちも持ち合わせていないのだけれど、大学へ入学した当時から「将来的にはこういうのを学べたらいいなあ」と思っていたのが(ざっくり言えば)整数論という分野で、なのでその辺りはちゃんと実現できて良かったと思う。B4 のときも M1 のときも配属レースにはちゃんと勝ったし、一応は大学生・大学院生の身分である以上、両親に申し訳が立つ程度には学問へもちゃんと向き合っておこうという、そういう気持ちもあるにはあった。とはいえ、自分の関心としてはやっぱり学問よりも音楽のほうが強いので、そんなことは学部二回の頃には分かりきっていたけれど、学問を優先するという気は(その頃から既に)なくて。なので、勝手な期待を残しておくと、学部時代の知人たちには頑張ってほしいなと思っている。数学は数学で楽しい。

 新歓ライブ。こっちは忘れてない。色んなところで書いたから今更残しておくことなんてあまりないけれど、この一年を俯瞰してみるなら、やっぱりこの一日が何よりも大きかったように思う。自分にとっての話。

らしい。

 

〇 5 月

 五月。前半は先述の編曲リレー企画に向けた楽曲の最終調整をしていたっぽい。それから数日ほど経ってからのツイート。

「誰かとユニットみたいなの組んで音楽やりて~」という気持ちが自分には昔からずっとあり、それが先述の新歓ライブを経て「バンドやりて~」へ変わり。このツイートの前日にもそういった旨のツイートをしていて、後の MIRINN メンバーであるところの imanishi,rikka ペアから反応を貰ったということがあって。なんていうか、自分ひとりで盛り上がっても仕方ないよなという気持ちがあったというか。ちょっと違う。正しくは、自分ひとりの気持ちに他人を振り回すのはよくないことなんじゃないかという考えがあって。だから、反応を貰えたことが踏み出すための理由になったというか。このツイートで言っている『THE 最終回みたいなワンコーラス』とはリスティラのことだけれど、こんな感じで、爆発的に生まれた曲だったんだよな、あれは。

実際、一週間でフルコーラスと歌詞とが完成しており、そういう意味でも爆発的。だから歌詞でも「鳴り響いた衝動 声のするほうへ」と唄ってるんだよな、という裏話。
 未完成の春だとかステラグロウだとか。別にそんなつもりで作ったものでもないのに、良い意味で意図しない形に伝播していって。なんていうか、昔の自分が特に理由もなく頑張ってくれた全部がいまに繋がっているんだなあって、そんな感じのことを漠然と、でもめちゃくちゃに強く刻んだ一ヵ月だったように思う。初めてというわけでもないのに。忘れちゃうんだよな、その感覚が強ければ強いほど。

 

〇 6 月

 表向きは何もしていない一ヵ月なのだけれど、水面下でリスティラの制作が進められていたりした。水面下とは言ったけれど、正確を期すのであればそれは水面下ですらなくて、何故なら自分(と厳密にはもう一人)以外のメンバーはまだ誰も詳細を知らない状態だったから。楽器演奏として自分の曲へ参加してもらうというのをやったことがなかったため、どの辺りまで作りこんで渡せばいいのかが分からず、結果、概ね全体を作り終えた状態で渡そうということになったため、なのでこの月はずっと編曲作業をやっていた。普段の編曲と違って、音のショボさなんかを意識しなくていいのが楽だった気がする(どうせ生演奏に差し替えるため)。逆に、ちゃんと人間に演奏できることだったり、あるいは生だからこそ映えるフレーズだったり、そういった辺りを探っていくのが新鮮だった。「生だからこそ映える」の分かりやすい例はポエトリーリーディングだけれど、あれはまあ作詞の管轄か。

 あとは、なぜかブログを一ヵ月間毎日更新しようとしていた。

kazuha1221.hatenablog.com

これは本当に何の理由もなかったのだけれど、……たぶんなかったはず。なかったよな? さておき、結論から言うと、まあ毎日は無理だった、普通に。ブログ、一つの記事を書くのに最低一時間は要するので、学業だバイトだ作曲だと様々が降りかかってくる中で継続するのは当たり前に困難だった。あと、書くことがなくなってくる、流石に。でもまあ、良い経験ではあった気がする。そのおかげで自分の中でまとまったという考えも幾つか生まれたし。……でもまあ、もう二度とやらないだろうなあ。

 

〇 7 月

 七月頭に曲ができたらしい。

リスティラのラフ案を指してのツイートだと思う、たぶん。ここから他のメンバーも巻き込んでの制作が始まったと思われる。このときはたしか九月総会で出そうという話になっていた。……というのも、歌詞に全部書いてある通りだけれど、リスティラは夏の大例会で聴くことができたら最高だなと思って作っていた側面もあって。TRUE END SUMMER の文脈に在る曲でもあるし。まあ結局のところ大例会は延期となってしまったわけだけれど、ともかく、このときはそういう前提で動いていた。

 ベースを買った。

一月には既に張られていた伏線をここで一旦回収。この前日に友人がギターを購入しており、それをみて「いや、自分もベースほしいな、普通に」となっての購入という流れ。この一ヵ月はずっとベースと戯れていたような気がする。

 七月末に曲ができたらしい。

これは消えたポラリスのラフ案を指してのツイート。リスティラもそうだったけれど、それ以上に爆発的に生まれた楽曲だったような気がする。自分はもともと外的要因によって何かを作りたくなるということが多くて、それは作詞の傾向をみても明らかなように思うけれど、だからそれに相応しい外的理由があれば、笑っちゃうくらい一瞬で飛び越えられてしまいがちというか。未完成の春や startrail もそうだったけれど、要するに作曲のどういった要素にでも自分以外の他人が絡んでくるとそうなる。……という自分の性質をちゃんと分かっているから、だから誰かとユニットを組みたいだとか、そういうことを昔から考えていたという話でもある。

 七月、厳密には六月くらいからだけれど、人間関係やっていきになっていた時期でもある。色んな人のところへ会いに行ったり、色んな人と話をする機会を作ったり。去年の反動かもしれない。2020 年度が全くの無駄だったなんてことはなくて、あの一年でしかできなかったことや生まれなかったものはたくさんあって。でも、やっぱり人間関係が希薄になってしまったということはどうしようもない事実。新歓ライブ以降、サークルのイベントが徐々に復活し始めてきて、それまではインターネット上の存在だった新入生の人たちと話したり、あるいは長らく顔をあわせていなかった先輩たちと久々に会ったり。そういうのをやっているうちに思い出してきたというか、人間関係マジ大事の気持ち。どうせなら色んな人と仲良くなりたいから、みたいな気持ちで……っていう風に書くと何だか打算的なように思えてしまって嫌だけれど。実際、打算的な側面もあるにはあるけれど、そうじゃない側面も勿論ある。という風にあれこれと動き回っていたのが七月とか八月とかだった。そのおかげかは知らないけれど、いまは当時よりもずっと多くの人と仲良くなれているような気がするので、まあ間違ってもいなかったような気がする。

 

〇 8 月

やがて君になる』を購入した。

この作品を知ってから自分の中で明確に変わったものが幾つかあり。なので、この作品を読む動機を与えてくれた nazushiro さんには感謝している、本当に。とだけ言ってもどういう動機だったのかが不明瞭なので、その辺りを簡単に説明しておくと、単に自分の好きな作品を作る人の好きなものを知っておこうという、それだけの話ではあるのだけれど。歌詞を書くときに意識することがある、といった旨のツイートをたしかしていて、……という話も本人に直接伝えたはずだからまあ書いてしまってもいいよね。それはそれとして僕は氏の歌詞がとても好きなので、それならもう読まない手はないなと思っての購入という流れ。いや、とはいえ本当に良い作品で良かった。良いというか何というか、自分の普段考えていることに限りなく近いものばかりがそこに並んでいたというか、最終巻とかね。

 8/24 だった、たしか。日付までは覚えていなかったけれど、伏見に行った夜と同じだから写真をみればすぐに分かること。相手の言葉を受け入れて、要するに了承して、そういうわけで付き合うことになった。直後は本当に最悪の気分で、天と地がひっくり返ったみたいな。この数年でメンタルはそれなりに強くなったと思ってたけど、全然そんなことなかった。眩みまくり。どうなることかと思ったけど、なんやかんや数日で収まったから今ではもう忘れている。いまはまあ普通も普通の毎日で、今後どうなっていくのかとか知らないし、でもまあどうせこの記事を将来の自分は読み返すのだろうから、自分がいま思っていることを書き残しておくことにすると、幸せだと思う、あり得ないくらい。いま手にあるものを疑ってしまうなら、それはただ麻痺しているだけ。あるいは我儘。……人間って面倒で、というのは主語が大きくて、自分が面倒な人間というだけだけれど。どうしても音楽だとか何だとか、そっちのほうを優先してしまうきらいがある。でも大切にしたいものはいま大切にしておいたほうがいい、きっと。

 

〇 9 月

 九月も九月で 2021 年的に結構大きいイベントがあったように思う。imanishi と様々を話したり話さなかったりしたのが九月頭のことで、人間関係やっていきの延長。この一日が九月末、ひいては今現在も進行している企画への伏線になっていたんだなと今では思う。……別にいま言わなきゃいけないことでもないけれど、こうして一年を改めて振り返ってみると、あの日のあの出来事がこの件に繋がっていたのか、みたいなのが明確に見えてきて良い。自分は大概漠然と生きている人間だけれど、でも全くの無意味に 365 日を過ごしていたわけではないのだなという気持ちにもなってくる。まあ、全くの無意味に過ごしてしまった一日も中にはあったけれど。

 部屋を片付けた。

備忘録に残す必要、ある? って感じだけど、大きなイベントであったことは間違いない。およそ二年分くらいのペットボトルを全部棄てたので、写真からも分かるように、それはもうとんでもないことになっている。恐ろしいのは、この写真のフレーム外にも大量のゴミ袋が詰まれていたということだ。突然の呼びつけにも関わらず手伝ってくれた友人には本当に感謝している。最近会えてないけど、会えるうちに会っておきたい気持ちはある……ということを忘れないようにメモしておく。メモだけだと忘れるのでツイートした。

 この時点でリスティラは完成していた。

ちゃんと九月に間に合ってよかった、というのは嘘で、このときに出した音源は暫定版のそれで、たとえばコーラスなんかが適当だった(というかコーラスはそもそも録ってもらっていなかった)。NF テーマソング公募の締め切りはこれよりももう少し先だったので、そこをターゲットにしていたというのはある。

 歌詞を置いておく用の note を作った。

最初に始めたのは nion 君だったと思う。大例会代替ライブの後、人々と歌詞の話をしたりしなかったりする時間があって、「自分も歌詞を一瞬で表示できる場所を用意したほうがいいな」と思ったのでそうした。いまの二回生がサークルに入ってくるまではサークル内で歌詞の話をこれくらいの密度でしたことはほとんどなくて、年に数回くらい話すか話さないかみたいな、それくらいの。二回生、どこかでなにかがバグったのかほとんど全員が作詞と作編曲をこなすというバケモノ集団で、なので音楽の話もできるし、作詞の話もできる。仲良くなっておいてよかったなと思った、本当に。打算的? それもあるけど。歌詞の話とか、ある程度気の知れている相手としかしたくないがちだから、少なくとも自分は。だって恥ずかしいし。そんな感じなので、この日の夜は本当に楽しかった。……この日以降、その辺りのメンツと歌詞の話をする機会が明らかに増えたよなーと思う。楽しい。

これは?

 

〇 10 月

 モニターヘッドフォンをようやく買った。

ATH-R70x。DTM 始めて何年目よって感じ。これを買ってから明らかに世界が変わったので、全人類、モニターヘッドフォンを購入しましょう。

 中旬、最強の曲ができたらしい。

リスティラを指してのツイートだと思う。結構ギリギリまで微調整してたから。……というか前後のツイートをみるに、マジで期限の数日前とかにハモリを発注しあーだこーだとしていたらしく、締切に対しちゃんと余裕を持って動きましょう 2021 の気持ちになっている……。このときだと NF テーマソング公募の投票対象曲は 11 月頭に公開される予定になっており、「はやく色んな人に聴いてほしいな~」とそわそわしていたような気がする。

 登山。

のくたべさんに連れて行ってもらった。夏にも一度、こことは別の場所へ行ったのだけれど、そのときは自分の体力がなさすぎたせいでギブアップしてしまった。どうすればいい? という話になり、「定期的に山へ登っておくとよい」ということだったので、ファースト大文字山に付き合ってもらうことになった。フットワーク軽すぎ先輩。特大感謝。山、本当に良くて、適度にしんどいし、でも道中がずっと綺麗というか、空気も澄んでるし、何より人がいないのがいい。それと自分は馬鹿と煙のどちらかなので高いところを好いていて、その辺りとの組み合わせも良かった。そもそも、実家へ帰ったときは近くの山の麓辺りまでは登る習慣があったわけだし。

 となんやかんやしているうちにリスティラが公開された。

そもそもブログの記事を読みに来る人間が少数だし、それにいまは一〇月というところ。こんなところまでちゃんと読んでいる人間は少ないだろうと高を括りつつ書いておくと、並んだ公募曲をざっと一通り聴いてみて、「これだけは絶対に負けていないな」と思うポイントが一つだけあって。それが何かというと、学祭っぽさ。……と書いてみたけれど、実際のところは分からない。学祭っぽさって人によって違うもんね、きっと。自分のイメージとしては、やっぱりみんなが全力で馬鹿をやっている空間というか、学祭って。エネルギッシュっていうか、眩しすぎるもの? でも明るいだけじゃない、寂しくなることだってあるし。良いことがあれば悪いこともあって。そういうの、全部含めての学祭だよなと思っていて。リスティラはそもそも NF テーマソング公募へ向けて作った曲ではなかったのだけれど、だからなんていうか、そういう『学祭』という概念に付随する諸々と、自分の音楽性みたいなところがいい感じに噛みあっていたっていう、それだけの話のような気はする。……というのはあくまでたった一つのポイントに絞って考えたときの話であって、それ以上の何物でもないということはきちんと明記しておくことにして。他の候補曲だと、ややさんの曲とえるのじの曲が一番好きだったな。

 消えたポラリスが公開された。嘘で、公開はされていない。

この曲については別記事で散々語ったのでここでは割愛するけれど、結果としてめっちゃくちゃ好きな曲の一つになった。soniol & nazushiro には本当に感謝している。

kazuha1221.hatenablog.com

 24 歳になったらしい。

24? 24 ってなんですか? ……ってことにならないように長編の回想記事を書いてるんだよな、いま。

 

〇 11 月

 登山2。

比叡山、めちゃくちゃ良かったので卒業までにもう一回くらい行きたいな。

 リスティラが第 63 回京都大学 11 月祭テーマソングに決まった。

これがなかったらマジで「今年一年、何してた?」になっていたかもしれない。「就活とか全然してないけど、今年はこれがあったからオッケーだよね」と自分の中でバランスを取っている(それでいいのか?)。自語り。作曲という行為に関して、自分はそもそも音楽のおの字も知らない状態からのスタートだったというのがあり、どのくらい知らなかったかといえばまずドレミファソラシドを知らなかった、本当に。ドレミファソラシドを知らないので況やスケールやコード進行をや。初期の頃に作った曲とか、いま聴くと本当に酷い出来だったりする。という感じから DTM を始めたものの、当初から周りとの壁の大きさは感じていて。やっぱり音楽経験を持っている人間の成長速度はすごいというか、感性? 追いつけない、全然。なので、これは昔から思っていたこととして「音楽経験なんてなくても、これくらいの曲は作れるよ」と自慢できるくらいのものをいつか作ってやろう、みたいな。ある種の野心? そういうの。大学へ来て、作曲サークルへ入ってから少しずつ忘れていった感覚の一つではあったけれど、このときばかりは流石に思い出した。……自慢してやろうなんて風には思わないけれど、もう高校生じゃないから。でもなんていうか、そう思いつつがむしゃらに PC をしばいていた頃の自分を救ってあげられたような気がして、そればっかりはめちゃくちゃに嬉しかったような気がする。もちろんこれは自分の一人だけの力ではなく、macotosiaka,imanishi,rikka,nion,nazushiro の協力があってこその結果で。あの五人を巻き込んで、それで曲を完成させられたという時点で自分なりの目標は達せられていたわけだけれど。思っていたよりもずっといい形で終わらせられてよかった、本当に。

 

〇 12 月

 ベースを買った(なぜ?)。

これが一月のところで言っていた 90k 弱のほう。様々な繋がりがありベースを演奏する機会が回ってきて。……いや、本当に全部繋がってるんだな、笑っちゃうくらいに。二年前かな。それくらいの頃にやっていたことと、あとは一月の感覚と七月の衝動と。という諸々が重なった結果、ベースを弾きまくりになり、弾きまくっているうちにちゃんとしたベースがほしくなり、そのまま購入という流れ。別にベーシストになりたいというわけではないものの、それはそれとして憧れのベーシストに堀江晶太がいて、なので黒のモデルです。マジで色が良い。音も良い。

 来年の抱負です。

就活には向き合わなくていいのか? というツッコミは無しで。

 


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 一二月は忘年シーズンというか、ひたすら人々と騒いでいたら一ヵ月が終わった。ちまちま曲を作ったり歌詞を書いたりしてはいたけれど。新曲の公開は……いつになるんだろ。遅くとも四月には公開できる、はず。頑張ります。