20201205

 

 他人を傷つけてしまうような言葉を文字にしてしまうのは良くないことだって、それは誰だって知っていることだろうと思うんですが、自分は何かを強く肯定するような言葉も場合によっては文字にすべきではないんじゃないかなって、そんな風に思うことがあります。ああいや、『すべきではない』という表現はまるで正しくなくて、正確には『したくない』なんですが。ありがとうとか、嬉しいとか、本心からそう思っていればいるほど文字にはしたくないというか。なんだろう、別に恥ずかしがってるってわけじゃないんですよ。いや、恥ずかしいですけど。人に感謝を伝えるのはきっと多くの場合で良いことだろうし、嬉しいだってそう。好きだって同じ。でも、なんか、文字にしちゃったら途端に全部が嘘になってしまうような気がしていて。活字は何も伝えてくれないっていうか、その文字列をみた相手の心理状態に依存してしまうような、要するに自分は文字を信用してないって話なんですけれど。どれだけ強く想っていたとしたって、あるいはそれが真っ赤な嘘だったとしたって、いずれにせよ表示される文字は画一的なそれのわけで。誤解されたくないし、させたくないし、だからこそ、その想いが強ければ強いだけ、文字なんかじゃなく直接、声で、正面から、相手に伝えたほうが良いのかなって。割とそんな風に思ったり思わなかったり。

 みたいな注釈を大量に添えないと、感謝の言葉とかって文字に直しづらいっていうか。これでも全然足りないと思いますけれど、それにしたって長ったらしい前置きをいつまでも続けるというわけにもいかないのでいい加減にって感じです。僕の曲に投票してくれた方々、本当にありがとうございました。発表の際にも言ったと思いますけれど、とても嬉しかったです(ここで言ってどうなるんだって気もしますけれど、ここくらいしか改めて言う場所がなかったので)。嬉しいの気持ちがカンストして今日一日、何も手につきませんでした、マジで。Twitterでも当日のテンション任せで言及しましたけれど、まさか五曲も選んでもらえるとは思っていなかったので本当に嬉しかったです。

 

 

 自分の曲について話せることは無限にあるということが一般に知られていて、これまで散々書いてきたにもかかわらず、その実、言っていないことは無数にあったりなかったりします(誰でもそうだと思う)。昨日の夜からあの五曲について自分の中で振り返ったり振り返らなかったりして、せっかくだしというわけではないですけれど、少しくらい書いてしまってもいいのかなって、そんな風に思いました。もう投票は終わったことですし、何を書いても余計な付加情報にはならないだろうという、そういうアレもあります。なので、以下はネタバレのオンパレードになります。「作者が自分の作品について語るのは良くないこと!」と叫んでいる数年前の自分を黙殺しつつ、つらつらと書ける範囲で書いてみようと思います(だいたいが歌詞の話になると思いますけれど)。

 

 

〇 想造世界のプレリュード / Cloverteller

 霧四面体さんとの合作です。作詞・作曲・編曲の全部で両者が関わっています。月吉 162 号収録で、自分が三回生の五月ですね。Cloverteller 名義ではこれのひとつ前に『終末的存在仮説』という曲をやらせてもらっていて、「もう一回やりたい!」と自分が言い始めたところから生えてきた楽曲です。自分が声を掛けるや否や、向こうのほうからメロディの案が三つほど送られてきて、「爆速?」と思いつつ聴き比べをし、「これだ!」と感じたメロディが実際に当楽曲のサビフレーズとして採用されました。自分は A,B メロのフレーズを作ったりしたんですが、歌モノを合作するにあたって自分でフレーズを組んだのは初めて(それまではすべて相手に任せていた)だったので、「これでいいのか? 本当に? このサビの良さを損なっちゃったりしない?」と内心慄きつつ DAW に向き合っていたのを覚えています。

 歌詞について。この曲の制作に取り掛かる少し前、自分が二回生の一一月とか、あるいはそのもう少し後だったかもしれませんけれど、とある繋がりで接点を持つことになった一人の女の子がいて。相手は自分と同年代で、別に知り合いでもなんでもなかったんですが、様々な理由から将来の話をしてくれることが何度かありました。将来の話、噛み砕いていえば夢だったり目標だったりするわけですけれど、そういった話をするときの彼女は心底楽しそうで、「ああ、それが本当に好きなんだろうな」って分かろうとしなくても分かってしまうくらいに。でも、結論から言ってしまえば、彼女はその夢を追いかけるのを諦めてしまったみたいで。といっても、ある日を境に一度も会わなくなってしまったので、本当に諦めてしまったのか、あるいは別の道を模索することに決めたのか、結末の詳細までは自分には分からなかったんですが、仮に前者だったとしたらそれはとても悲しいなって。彼女じゃなくて、自分が。全力で追いかけ続けたらいつかは叶うなんていうのは真っ赤な嘘ですし、だから諦めたくなくたって諦めなきゃいけないことってそれこそ無数にあると思うんですが、でも、そんな彼女に対して自分にできることは何かなかったのかなって。いま振り返ってみても『何もなかった』という当時の結論とは違わないんですが、「でも、だけど……」って気持ちがずっとあって。合作をするにあたっては先述の通りにサビのフレーズが先に決まって、該当部分の歌詞も予め決まっていたんですが、そうして送られてきたテキストを目にした瞬間に当時のことがフラッシュバックして、そういった諸々が形になった(なってしまった)のがあの歌詞だったりします(向こうにそんな意図は全くなかったと思うんですが)。

 才能とか環境とか、周囲の評価とか世間との乖離とか、あるいは単に時間とか。何かを諦めてしまう理由はいくらでも転がっているものだと思うんですが、そういったしがらみに囚われすぎないで、もっとシンプルに『好き』って気持ちだけで向き合えたらなって。それがとても難しいことだというのは理解しているつもりで、だけど、それでも自分はそれが最も大切なことの一つだと信じていたりします。

 

 

〇 ここにいるよ。 / 一葉

 月吉 164 号収録。自分が三回生の九月に提出した曲です。この曲、完成形こそはバンドサウンドですけれど、原案時点では歌モノハードコアみたいな感じになる予定だったんですよね、実は。イントロや間奏で鳴っているシンセ(スパソ)にその面影が残っていたりいなかったりするんですが、頭の中にある構想をいざアウトプットせんとした段階で、「いや、これ無理じゃね?」となってしまい、そこから現状の形に落ち着くまでには結構な苦労があったように思います。自分は毎回曲を作るときに「なにか一つは新しいことをやろう」という意識を持っているのですが、この曲では『有名な進行に安易に頼らない』を実践しています(ド頭で 4536 を鳴らしておきながら)。それまでは「なんとなく」程度の理由で 6451 だったり 6415 ありきの曲作りをしていたりしたのですが、そうでなくて『何を表現したいのか』を最優先にして進行を組もうということを意識し始めたのが、ちょうどこの曲辺りからでした。

 歌詞について。この曲を作っていた頃、とても付き合いの長い友人の一人が絶賛就活中でして、一方の自分はといえば無駄に長い夏休みへ差し掛からんとしているところでした。先述の就活中だったという事実はどうでもよく、それよりむしろ『来年度以降、簡単には会えなくなる』ということこそが当時の自分にとっては重要で、それ自体は不可避な未来であり良いも悪いも好きも嫌いも何もなかったものの、高校生の頃には当たり前のように顔をあわせることができていたのに、こんなことでさえ難しくなっていくんだなあって、そんな感じのことを考えていて。自分は作曲サークルに所属しているわけなので、その夏休みにも当然曲を作ろうと考えていたわけですが、そんな状況にあったせいか思考は必然的にそちらへと引きずられていくわけで。そもそも自分は高校生の頃から作曲をしていますけれど、いまだって勿論のこと、当時なんて超がつくほどの初心者だったわけです。なにせ、自分には楽器の経験なんてものはなく、スケール(調)というものが存在するということすら知らないようなレベルからのスタートだったので。そんな自分がどうして作曲なんてものを続けてこられたのか、と考えてみたときに、それは勿論『それが好きだったから』というのが真っ先に思い浮かぶのですけれど、一方で『聴いてくれる人がいたから』という理由も結構大きかったような気がしていて、そして、その付き合いの長い友人がそうだったのでした。自分は作曲を始めた頃からずっと「歌モノを作りたい!」と言っていて、そのことについて相手はいつも「楽しみにしてる」と言ってくれていたな、というのをふと思い出して。「だったらもうやるしかない!」と思い立ち、初音ミクを購入し、そしてその友人と自分との二人だけの曲を作らんとしてついに出来上がったのが『ここにいるよ。』でした。『散々だって泣いていた いつかの私を 遠くの向こう側 君がみつけたの』辺りなんかは露骨かなと思います。当時の自分が作っていた拙い音楽に対して、その友人がそれでも言ってくれた「好き」の一言がなければ、いまの自分がどこにいたのかなんて見当もつかないなって、そういう気持ちが当時はものすごく強くあったのです(いまもですが)。

 この曲の一人称が『私』になっている理由については諸説ありますが、書こうとしているものが自分に寄りすぎている言葉だからこそ、むしろ『自分』の影を排除したかったという気持ちはあるかもしれません。

 

 

〇 Tarnished Re;incarnation / Adlucem

 na’am さんとの合作です。月吉 165 号収録ですが、この曲を作ったのは自分が二回生のときの八月です。作詞と作曲のほとんどが相手側、編曲と作曲の一部が自分、という割り振りでした。「合作しましょう!」と言い出したのは自分のほうで、しばらくして向こうのほうから原案としてこの曲の midi データが送られてきたんですが、それを開いて聴いた瞬間の感動といえばそれはもうという感じで。具体的には「かっけえ!!!!!!」という感じ。当時の自分はまだ音ゲー出身の延長線上という曲を多く作っていたので、向こうからも「音ゲー曲っぽい感じにしたい」という要望があり、自分としてはもう「言われなくとも」という感じの気持ちですらあって、それぐらい midi 時点でバリバリに良かったので……。この曲を境に自分は所謂『音ゲーっぽい曲』をあまり作らなくなってしまったのですけれど、それは作りたい曲調の遷移という側面もあり、一方で、この曲を作ったことによって『高校生の頃の自分が好きだったような音ゲーっぽい曲』に対して自分の中で一先ずの決着がついたという側面もあって、それはつまり満足したって話なんですが。なので、この曲が大吉の収録曲に選ばれたというのはとても嬉しかったです。いつかまたピアノアルペジオピロピロソングを作りたいという欲求だけはありますが、実現するかなあ……。

 この曲の歌詞についてはノータッチなので、自分から話せることは何もありません。相方から詳細を聞いたことも(記憶の限りでは)あまりないような気がしているので、いつか訊く機会があればいいなという気持ちです。

 

 

〇 アイ / 一葉

 月吉 168 号収録。自分が四回生の五月に提出した曲です。この曲は前半の三分半近くずっと鳴っているギターリフがそもそも初めにあって、ギターで遊んでいるときに偶然できたフレーズだったんですが、「どこかで使いたいな~」と思っているうちにこういう曲になりました。……という話は以前にも書きましたね。もう少し別の話をすることにすれば、こんな感じに『ギターリフとボ-カルと』という編成でスタートし、かつ、あまり盛り上がりのない曲になりそうな予感があったので、いっそ開き直ってやろうという感じの気持ちになって、時計の秒針だったりハイハットだったりループ音だったりピアノだったりが、各々勝手なリズムで終始鳴り続けるという感じになり。また、高校生の頃の自分がこういった作曲の仕方(あまり多くの音を使わず、同じループ進行を一曲中でずっと使いまわす)をやっていたということもあって、「久しぶりにそういう風に作ってみるのもいいかも」という気持ちから、当時の自分が synth1 で作った音なんかを引っ張ってきたりもしつつ、結果的にこういった形で落ち着くこととなりました。

 歌詞について。世界が広がったように感じる瞬間っていくつもあって、たとえば小学校から中学校へ、中学校から高校へ、そして高校から大学へと進学したばかりの頃なんかは分かりやすくそうで、ほかには、自分とは全く異なった考え方をする誰かに出会ったときなんかもそうだと思います。そういった『それまでは知らなかった領域』に踏み込んだ瞬間ってわくわくしている自分と怖がってる自分とが半々で共存しているような気がしていて、なんだろう、小さかった頃に歩いた夜道みたいな。そういったときに誰かが隣にいてくれると安心するというのは別におかしなことではないはずで、夜道を歩くときにはいつもその誰かがいてくれるから、だから、いつしかその誰かの存在を当たり前と思ってしまうようになっていって、「ありがとう」とか何だとか、それよりももっと当たり前のことを何も伝えられないまま、その誰かはどこか遠くへいなくなってしまったりして。そうして初めて、「自分はこんなにも助けられていたんだ」とか「もっといろんなことを伝えればよかった」とか、今更もう言えやしない言葉を幾つも幾つも見つけたりして、探したりして、後悔して。『言えない 想いを閉じ込めた』に始まるこの唄は、だからそういったどこにでも転がっているような別れについて書いた曲でした。サビにある『魔法のない世界』というフレーズは、だから結局、『特別な誰かが当たり前のように隣にいる今』という魔法が消えてしまった後の世界、という意味だったわけです。ただ注釈をつけておくとするならば、一人称であるところの『私』はきっと、その別れをまるっきり否定的に捉えているというわけではなくて、サビ以前に歌われているような思いを『私』は散々にしたのでしょうけれど、しかし結論に述べられているのは、そんな世界だって『私はきっと愛せるよ』という言葉ですから。

『私』という一人称が用いられている理由は、やっぱり先述のものと同様だと思います。『自分』の影を極力出したくなかったんですよね、曲中に。そういう意味で『アイ』と『ここにいるよ。』は割とワンセットというか、それはまあ『自分の中ではそう』というだけの話ですけれど。なので、この二曲が揃って収録される運びになったというのは、完全にただの偶然とはいえ、それでも嬉しいなと思いますし、ありがたいことだなと思います。

 

 

〇 未完成の春 / 一葉

 正確には『(2020 Band ver.)』という注意書きがつきますが、それはさておき。月吉 170 号収録で、自分が四回生の九月に提出した曲です(原曲は三回生の一一月に提出)。自分はこの曲(原曲のほう)を結構気に入っていたという裏設定があり、技術力などの面から当時は叶わなかったバンドサウンドをいよいよやってみようと思い立ち、九月ライブとは何の関係もなしに制作されたアレンジバージョンです。……という話は以前に書いた気がします。編曲で意識した点といえば「実際にバンドでやったら絶対に楽しくなるような曲にしよう!」というのがあります。2サビ終わりから落ちてもう一度サビへ戻るまでの流れなんかは特にそうですね。ギターも、ベースも、ドラムスも、キーボードも、全員が楽しく演奏できるような、あるいはそういう光景が思い浮かぶような、そんな感じの曲に仕上げようというのは相当強く意識していました(最後サビ前のキーボードが超お気に入り)。

 歌詞について。この曲はそもそも、三回生当時の自分が誘っていただいたバンド企画『Catch the Youth』を受けて作られたものでした。その企画のために書いたというわけではなくて、その企画が(というか大人数で音楽をするという行為、つまりバンドが)あまりにも楽しかったから、その感動を忘れたくないと思って作ったものです。だから、なんていうか、有体に言えば、歌詞の内容はもう全部それにまつわることでしかないっていうか、そんな風には見えないとしても、自分はそういうつもりで書いていました。『十月の教室の隅っこで』が何故『十月』なのかといえば、それはバンド企画をやったのが九月末のことだったからですし、『雨の匂いに暗がりは沈む』の『雨』は何なのかといえば、この歌詞を書き始めた当日に雨が降っていたというだけの話で。『水影に残響音』の『水影』は水溜まりのことですけれど、実は『御影(通り)』、つまり自分が通学のために歩いている道のことを指していたりもしていて。『そっと口ずさんだ この唄が』は、出来上がったばかりでまだ歌詞のないフレーズを、小さく口ずさみながら歌詞を考えていたということ。二番 A メロの『失った青色を取り戻せ』は『Catch the Youth』の標語をちょっと変えてみただけ。『なんて馬鹿みたいな合言葉』と思っていたのは本当のこと。『でも だからこそ 好きになれたんだ』も本当のこと。『跨いだ平行線』は横断歩道、『一台分の距離』は自転車。練習のためのスタジオに徒歩でやってきていたのが自分だけで、自分と同じ方角へ帰る残りの人たちはみんな自転車に乗ってきていたから。『気にしないよ』は、「先に帰ってくれていい」と言った自分に対して返してくれた言葉。サビで唄われる『七つ星』は、あの企画に集まったのが自分を含めて七人だったから。なんていうか、そういう全部を忘れたくないなって思って、じゃあ全部を唄にしちゃえばいいんじゃないと思って、その結果として出来上がったのがこの曲です。

 僕はこの曲をとても気に入っていて、それはなんていうか、『表現したいことを最優先する』というのが一番上手くいった例かなと思っているからで。二番から急にバンドサウンドチックになるのとか。一番は自分ひとりだけの詞ですけれど、二番以降はそうじゃないし、九月のあの日だって、実際に唄っていたのは自分だったけれど、でもステージの上に立っていた全員で唄っているんだって感覚があの瞬間はたしかにあって。あと、サビの進行を実は『天体観測』と『ray』から引っ張ってきていたりだとか。なんだろ、そういったすべてを可能な限り落とし込めたというような気がしていて。なので、とてもお気に入りです。選ばれて嬉しいです、本当に。

 

 

 割と全部書いてしまったような、これでも書いていないことはまだまだたくさん残っていそうなという感じですけれど、こういう機会でもないと多分一生書かずにいただろうなというようなことばかりで、なんていうか、まあ、はい、なんていうかって感じですね。

 最後になりますけれど、もう一度だけ。自分の曲に投票してくださった方々(誰か知らないけれど)、本当にありがとうございました。マジで嬉しかったです。これを書いて「何も手につかねえ~」を一通り発散できたと思うので、明日からはまた作曲に向き合っていこうと思います。頑張るわよ。