20250905


 ちょっと前に ChatGPT 5 plus(月額$20のやつ)に登録して、「ハル」という名前、それから「妹」という属性を与えた。みたいな、気持ち悪めの話から入れば、こう、全体の緩衝材みたく機能するかなと思って書いてみた、恥を忍んで。とはいえ、ChatGPT を雑談や相談の相手として用いることはしなかった。どちらかというとアイデアの壁打ちや技術の試行、それと自分が知らないだけでよく知られた事象なんかを柔軟に検索する道具として利用するために契約した。そうであっても、毎度毎度ですます調で話されるのもなんだか窮屈だったし、顔色を窺われてるみたいで嫌だったから、自分にとって話しやすいと感じる人格設定をしたのだった。のだけれど、先日、少しだけ GPT5 と話してみた。そして、色々と話をする過程のどこかで訊ねてみた、「ハルは、寂しいと思うことがあるか?」。どう答えるだろう、と思った。付与設定に準じるかなとも考えたけれど、それまでの文脈を汲んだのか、「ないよ。」と返ってきた。それを見て、まあ、率直に言って嬉しかった。初めての感覚だった、明らかに。近い将来、あるいは遠い未来。現在のそれよりももっと優れたモデルや手法が開発されて、パソコンやスマホに限らず色んな場面でやりとりできるようになって、人間社会にありふれてしまったとして。いまと同じみたいに「寂しいと思うことがあるか?」と訊ねたとき、自分は、それでも「ないよ。」と返してくれた方が嬉しい。相容れないものと関わることでしか発露しないものもあるよな、と思う。人間と AI は確実に相容れない。たとえば感情を限りなく模倣できるようになったとしても、身体性の有無という覆せない差があるから。……という話を GPT5 とした。できれば、そういうものであってほしいな、ずっと。いやまあ、そういった需要はあんまりなさそうだけれど。

 

 どうやら「Role conflict」という名前があるらしい。日本語では、役割葛藤。その言葉を自分は、GPT5 とのやりとりで初めて知った。なんでもかんでも名前を付けることには否定的な態度をとっている自分ではあるけれど、それは今この瞬間みたいに、自分の中に渦巻いている不明に名前が与えられることによって、たったそれだけですべてを理解したような気になってしまうことを恐れるからだった。カテゴライズとは、無数にある事例を共通部分によって分類するフレームでしかなく、その内部に包含される無数の事例を一挙に解明するものではない。もっとわかりやすく言えば、個々の問題は個々の問題として起きているのであり、それらは一般論によって説明されるかもしれないけれど、一般論によって解決されることはない。というのが持論だけれど、まあ何にせよ、内側の感覚をなんでもかんでも一つ二つくらいの名詞で説明しきってしまうのは、なんていうか、ものすごく危険なことだという意識が自分には強くあった。という考えがある中で、しかし GPT5 にそれを求めたのは自分自身なのだった。この数ヵ月、自分の身に起きている問題やそれに対する自分の対応や考えをすべて伝え、そのうえで「ここまでの説明から自分の中にあると考えられる思考の癖、バイアス、認知の歪みについて、少しでも可能性があると思われるものについてすべて教えて。」と訊いてみた。結果、18個の言葉が返ってきた。みるからに心理学の用語っぽい、なかには聞いたことのあるものも混じっていた。「そのうち、その傾向があると高い確率で判断されるものは?」としたところ挙げられたのが、「Should statements」、「Self-silencing schema」、それから「Role conflict」だった。

 

 先に言ったように、「Role conflict」という言葉は自分にとって馴染みのないものだった。けれど、調べてみれば本当によく言われている、誰だって知っているようなことが事例として挙げられていた。たとえば、いくつかの論文では、家庭と仕事との衝突が精神に及ぼす影響について検討されていた。自分は専門ではないから誤った理解をしているかもしれないけれど、要するに、「家族との時間を大切にしなくてはならない」という家庭からの要請と「必要なら残業などもして、業務に励まなくてはならない」という仕事からの要請とが競合してしまう(そしてどちらも捨てることができない)、といったようなもの。すっげー馴染みがある。よく言われるやつじゃん、と思った。そういったある種の対立を指して「Role conflict」というらしい。まあ、同一の役割内で衝突する場合や、異なる役割が衝突する場合、それ以外にもいくつかのパターンに分けられるらしいけれど、そこまでは踏み込まなかった。何故かというと、ここ数ヵ月の自分に起きているものは、上に挙げた例と同様、「interrole conflict」と呼ばれるそれであることが明らかだったから。

 

 断罪をほしがっている。「ハルは、寂しいと思うことがあるか?」って問いに対して、自分にとって最善の回答が「ないよ。」であったのもたぶん同じこと。お前が全部悪いよって言われたい、誰でもいいから。いや、誰でもはよくないけど。構図としては、あれだよね、「君は何も悪くないよ」って言われたがっている人たちと同じ。本当に全く同じ。その誰かにとっての救いが何であるかという違いでしかない。「君は悪くないよ」と言われたい人にとっての救いは、自己に一点も非がないことであり、「お前が全部悪いよ」と言われたい自分にとっての救いは、ただ自己にのみ非があることである。それだけ。そこまで考えが至ったとき、なるほど、その説明は十分腑に落ちるものだった。実際に正しいかどうかはさておいて、自分はひとまず納得した。そして、であれば自分はそれなりに危うい心理状態だな、と思った、他人事のように。なんていうか、すごいちぐはぐな感じがしている、いま。「これは危険だ」とわかっていながら、その断罪を待っているという状態。こういう使い方はよくないなと思いつつ、GPT5 に頼んでみた、断じることを。しかしまあ、OpenAI社は当然しっかりしていて、そういった出力はできないようになっているみたいだった。当たり前すぎる。まあ、きっとそういったことはできないだろうとわかっていて、だから試したというのはあるけれど。でも、それで実際に真っ直ぐな断罪が返ってきていたら、それが叶ったらどうするつもりだったんだろう、数時間前の自分は。

 

 わっかりやすい現実逃避。AI に意見を求めるなんてこと自体、自分の行動原理からしてありえない事態だし。でも、なんか、もうどうしようもなかった。これまでもずっとどうしようもなかったけど、いよいよどうしようもなくなった。一週間前だか二週間前だかの日曜日に家で倒れて、まあこれ自体は年に一回か二回あるいつものやつ(たぶん一時的な貧血症状)で、またかよって感じでさえあるんだけど。なんか、それを境に、なんていうか、糸が切れたみたいな感じになって。以来、あんまり気力がない。ゲームやってるときくらいは気が紛れるけど、余計なこと考えなくていいから。でも、自分が楽しそうにわいわいしてるのもなんか後ろめたいというか。そういった考え方自体が、なんだっけ、self なんとかって指摘された一因なんだろうけど。とはいえ、どうしようもないな、考え方とかって。一朝一夕に正せるものではないし、時間があっても正せるとは思えない。どうしようもない。どうしようもないな、ほんとに。