空が好きらしい

 

 以前、「自分の作る曲に何かしらの傾向ってあったりするのかな?」と思って『調(スケール)』の観点から調べてみたことがありました。結果は半年ほど前の Twitter に放流されているのですが、ここにも載せておくことにすると、全体のおよそ 30% が D#major(ほとんどCminor)で最多、次に多かったのが Cmajor(Aminor)で約 27% という感じでした(ここまで偏っているとは思わなかった)。ちなみに記録当時で最も少なかったのは G#major で、これは初めて作ったオリジナル曲がそうでした。次に少なかったのが Gmajor で、これには三回生の時に作った『未完成の春』のAメロが該当します。また C#major、Bmajor の曲は一つもありませんでした(これも意外な結果だった)(転調で一瞬だけ経由したりしたことはあったかも)。作曲面で大きく関与した作品しかカウントしなかったので、合作も入れたりするともう少し変わってくるかもしれませんが、ともあれ、これを機に「ああ、自分って D#major(Cminor)が好きだったのか」ということを自覚し始めたという裏話があります。まあ、これを知った後に作った二曲が F#major と Amajor(F#minor)であることは、実はこの辺りに関係していたりもします。いつもは使わない調を使ってみよう、みたいな。

 

 今回はこれと同じようなことを『歌詞』について行ってみよう、という話です。上のやつは 30 曲くらいサンプルがあるのに対して、自分が歌詞を書いた曲はといえば 10 曲あるかないかみたいな感じなので大した結果は出てこないように思われるんですが、『好きな言葉の傾向』くらいなら抽出できるんじゃないかな~という大雑把な目論見を持っています。

 この記事を読んで得られる情報は『@1TSU8が好きな言葉』だけです。興味のない人はブラウザバックした方が良いです。

 抽出には KH Coder を用いました。対象曲は古いものから順に『(昔書いたやつ)』、『キミとボクと時の箱庭』、『スカイブルーナイトメア』、『「じゃあね、また明日」』、『想造世界のプレリュード』、『ここにいるよ。』、『未完成の春』、『startrail』、『アイ』です。また、平仮名カタカナの違いや、『白』と『白色』みたいなのは(場合によっては)同一の単語としてカウントしています。

 

 

 早速ですが、まずは名詞から。上位から順にこうです。

・空  30回

・声  16回

・言葉 15回

・青  14回

・色  12回

・世界 11回

・夏  9回

 

 どうですか?(どうですかって何?) 正直な話、個人的にはもうこの時点でそれなりに意外な結果なんですが、「イメージ通りだな~」みたいな人はいますか?(いるとしたら、それは相当に他人のことを注意深くみている人)

 いや、まずどうしてこの調査をやってみようと思ったのかということについて話すんですが、それは三回生の夏頃から「自分の歌詞ってやたらと『青』って言葉が入ってないか?」という印象があったからです。それまでもそれ以降も、意図的にそうしているというわけでは全くなかったんですが、しかし結果としてそうなっていて、なので今回の調査も「『青』以上に頻繁に使っている言葉なんてないだろう」と高を括ってのスタートでした。蓋を開けてみれば『青』は第四位で、ベスト3にも入れていませんでしたね。

 個々の単語についても触れていきます。

『空』。これ、言われてみればめちゃくちゃに使ってました。先に挙げた対象曲の内、すべての曲に登場しています。『青』についてはまだ意識的でしたが、こちらは完全に意識の外でした。二回生くらいまでは『虚空』、『夜空』、『氷空』、『星空』、『夏空』、『青空』と熟語形が目立ちますが、三回生あたりから単純に『空』と形容詞句の組み合わせで使っていることが多いですね。後述しますが、『青』がとりわけ連想しやすいというわけではなくて、本当は『空』がそうなのかもしれません。

『声』。これについては自覚的でしたが、まさか『青』よりも使っているとは思っていませんでした。『想造世界のプレリュード』を除く全ての曲で一度は使われています。ざっと眺めたんですが、他の語句との結びつきというか用法をみるに、自分は『声』という単語に対して『遠くに響いている』という印象を持っているらしいです。

『言葉』。全く意識していなかった。「言葉にすると全部嘘っぽい」という印象を自分はかなり強く持ってるんですが、実際、歌詞でも『言葉』=『本質でない』みたいな書き方がほとんどですね。その割に、他人の言葉には一喜一憂したりするんですが(憂いはしていない)。

『青』。好きな色……、というわけでもないはずです。自分の身の回りに青色のもの(小物、衣服など)が多いかと言えばそんなことはなく、というかほとんど皆無ですが、しかし、何かを表現しようとすると同時に引き合いに出される色といえば、それはまあ間違いなく『青』だという感じがします。一番イメージしやすい色だということです。

『色』。大体が『青色』とか『夜明け色』とかですが、自分が『色』という言葉を単体で使う場合は、具体的にどういった色なのかについて言及したくないということがすべてかと思います。『夏の色』とか『涙の色』とか。場合によっては『空の色』とかも。

『世界』、『夏』。この二つは少し例外的で、一曲の中で何度も使いすぎたせいでランクインした連中です。とはいえ、繰り返し何度も用いるくらいには思い入れのある単語ではあります。たとえば『秋』や『冬』は一度も使ったことがありません。

 名詞についてはこんな感じで。ほかには『星』、『涙』、『雨』辺りが何度か出てきてます。

 

 次は動詞。活用は区別していません。

・知る  16回

・唄う  11回

・見える 11回

・解る  9回

・消える 9回

 

「へえ~」って感じです。名詞や後述の副詞と違って、動詞ってあんまり意識しないので。ただまあ、知覚動詞が上位に来るんだろうなって気はしてました。

『知る』。「『信じている』と『解っている』と『知っている』はすべて別物」という考えが自分の中にあり、それはまあ過去の記事を漁ってもらえればどこかに書いてあると思うんですが、なので『知る』は数ある動詞の中でも自分の内だとかなり特別な部類のものでして、それがまあ如実に反映されているなという感じです。16回のうち否定形で使われたのは6回、過去形が4回。純粋に『知っている』という意味で使ったのは2回だけ。『信じる』という言葉は大学に入ってから(作詞では)一度も使っていません。

『唄う』。それはまあ上位に来るでしょうね、という感じの言葉。自分も大概、歌詞中で心象風景を書き殴る人間だと思いますが、純粋な物語ではないというか、やっぱり中心には唄(音楽、ではなくて唄)があるんだなあということをいま再認識しました。その点、『アイ』なんかは特殊ですね。

『見える』。『見る』ではなくて『見える』が上位に入ってくる辺り、自分の普段考えていることが透けてみえるという感じがしますね。11回のうち、実に8回が否定形であり、残る3回はすべて『見えた』で過去形です。さらに言えば、なんていうか、自分の使う『見える(見えない)』はほとんどすべて概念的なもので、物理的な話ではなかったりします。

『解る』。『分かる』や『わかる』ではなくて『解る』ですね。前の二つは作詞だとあんまり使いません。『分かる』と『解る』の差異は、前者がただ単純な事態の把握みたいなものという感じで、後者は何かしらの経験を伴った理解という感じの定義を自分は採用しています。これも否定形で用いることがしばしばですね。

『消える』。実はほとんどすべての曲で用いられている動詞です。否定形で使ったのは一度だけです。元々が否定的な言葉なので、『消えない』は(文脈によるものの)比較的肯定的な意味になり、要するにほとんど否定的な意味で使っているということですね。

 動詞はこんな感じで。これ、作詞に限った話じゃないんですが、自分はやたらと否定文(否定形)を使いがちという傾向があるらしいです。

 

 続いて形容詞。そんなに使ってません。

・遠い  7回

・怖い  3回

・嬉しい 2回

・広い  2回

・寂しい 2回

 

 複数回登場しているのは以上五つの単語だけです。

『遠い』。否定形の濫用といい何といい、物理的な意味でも精神的な意味でも、「自分の身近にあるのとはまた違う何かを探す」みたいなものが傾向としてあるような。だからって近くにあるものを蔑ろにしているわけではないんですが……。

『怖い』。『スカイブルーナイトメア』と『startrail』でそれぞれ使われている形容詞です。『怖い』と感じる瞬間って、いやまあ勿論様々な時があるんですが、それが外部に漏れ出てくるのは人間関係にまつわる場合であることが(自分の場合は)多く、なのでこの2曲という感じですね。

『嬉しい』。三回生後期辺りから使い始めた形容詞。こういったことを当たり前みたいに歌詞に書けるようになったのが、ちょうど『ここにいるよ。』を跨いだ辺りからだったという感覚はあります。

『広い』。これは特殊な例で、『アイ』に『広すぎる空』の形で二回だけ使われています。

『寂しい』。ほとんど使いません。大学に入る前の曲で一度、『アイ』で一度だけ使っています。それら二つの曲は若干特殊で、というか繋がってるんですが、自分とは明確に別の、純粋に架空の人物にスポットを当てて書いた歌詞なので、『寂しい』みたいな言葉も普通に入ってきたりします。

 形容詞はこんな感じ。本当に全く使っていませんね……。

 

 最後は副詞。

・いま  17回

・いつか 16回

・きっと 13回

・ずっと 11回

 

 副詞、割と意識的に組み込みがちです。

『いま』。これ、『ここにいるよ。』で8回カウントされているので実際には11回くらいで、『いまも』の形で登場することが最多です。

『いつか』。唄っている瞬間よりも未来のことを指しているのが6回、過去のことを指しているのが10回です。ですが、最近の、具体的には『ここにいるよ。』以降で用いられている『いつか』はほとんど未来を指してのものですね。やっぱりあの辺が転機だったらしいです。

『きっと』。間違いなく自分が一番好きな副詞だと思います。曖昧な希望を表すことがあれば、強弱様々な意思を表すこともあり、あるいはそれら両者の間で揺らめいていることもあり、そういった不確定さを好んでいるのではなかろうかという推理があります。が、実際のところはよく分かりません。「できるはずもないこと」を「できる」と言ってしまえるのが『きっと』という魔法、みたいな? そういうところが好きなだけの気もします。

『ずっと』。言われてみれば頻繁に使っている言葉シリーズ。『色』のところでも若干話したんですが、具体的な長さについては特に言及しないところが多分気に入っているのだと思います。ほんの一瞬だったり、一ヶ月だったり、数年だったり、あるいは永遠だったり。

 副詞はこんな感じです。

 

 

 以上。絶対数は少ないながらも、やはり多少の傾向はあるらしいということがみられて個人的には楽しかったです。『明日』、『今日』、『夜』は何度も出てくるにもかかわらず、一方で『昨日』や『朝』は全く出てこないとか(『朝』は一度だけ使っている)。ある種の方向性が見えますよね、こういうの。これと同じことを SS でやってみたいんですが、それはまた後日という感じですね。今週は作曲のタスクが本当にヤバい!(ヤバイ) #yabai_JP

 

 

 

20200906

 

 最近考えていた諸々について書きます。

 

 そういえばちょっと前に絵を描いたんですが、割と上手くやれた気がするので貼ってもいいですか? いいよ。ありがとう。

 自画自賛ポイントは中央左端のポールと水面。

 ネタばらしをすると、これは自分で撮影した写真を下に敷いての半トレスなので、0 から 1 を生み出したというわけではないです。以前にも一度こういう感じの何かを描いたことがあって、その際の反省点を活かせたかな~という感じの出来にはなりました(具体的には、線で輪郭を決めるのではなく、陰で輪郭を想像させるということ)(線を引きすぎると画面がごちゃごちゃするので)(階段の辺りや中央左端が顕著)。といっても、その反省点を思い出したのが橋の欄干を描き終えた辺りだったので、その周辺には反映しきれていない感が否めませんが……。

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 なんていうか、上の CD みたいな感じのイラストがそもそも自分は好きで、今回のはその辺りを露骨に意識しつつ寄せてみました、という裏話があります(他にも、アニメーションだと原画が好き)。現実の光景に数分違わず同じとはいかずとも、あの日の自分たちが見た景色を他の誰かに少しでも追体験させられたらいいなあというモチベーションで描いていたんですが、それはそれとして、無から有を生み出すのもいつかはやってみたいという気持ちです、いま(できるのか?)。善処。

 

 月を凝視したことってありますか。いや、自分も凝視というレベルでじっくり眺めたことは一度としてなく、望遠鏡で覗いてみたりということもまたかくのごとしではあるんですが、散歩してるときなんかに偶然にも月が綺麗にみえていたらその方角を見上げて歩く、みたいなことはします。誰でもやりそう。そのレベルの話です。そのレベルの話なんですが、月の模様ってどうやっても『ウサギが餅つきをしている図』には見えなくないですか? 人によっては見える? 見えますか? 自分はそのようには見えず、考えることといえば精々「なんか明るくなってるところと暗くなってるところがあるな」程度のものです。月を眺めるたびに「今日こそウサギに見えるだろうか?」と考え、「いや、どうやってもウサギにはならんだろ」と首を傾げるまでがいまやテンプレです。いや、本当に。

 月の模様についてなんて取りたてて話したことも未だかつてないので、もしかしたら自分のすぐ近くに「いやいや、あれはどう見たってウサギだろうがよ」という人がいるのかもしれませんけれど、実在・非実在はさておき、そのように見ることのできる人の眼を自分は割と羨ましく思っています。眼っていうか、頭……比喩的な眼? 心って言うんですか、こういうの? 自分にはそうは見えないので。参考文献 Wikipedia 曰く、遅くとも飛鳥時代にはそういった風習がみられたとのことですが、それが真であると仮定すれば、自分の眼と飛鳥時代の人たちの眼は随分と異なってしまっているのだなあ、という気持ちにもなります。そんなのは至極当然のことなんですが、でもやっぱり、ちょっとだけ寂しいですね。

 

『正しいものをみたい』。それ自体が自分の根本的な欲求であることは恐らく間違っていません(ここでの『みたい』は『見たい』ではない)。なのですが、自分と同じ『正しいものをみたい』という思想を共有しているらしい第三者の言葉に違和感を覚える、という事態がつい最近に発生して、それは一体どうしてだろう、みたいなことを考えていたりしました。補足しておくと、自分はその第三者のことをかなり好意的に捉えており、具体的な人物像などはほとんど知らないものの、文字通りの意味で何のステータスも知らない誰か、というわけではありません。なので、というと変な感じがしますけれど、なのでその相手に食い違いを覚えたというのが自分としては割と不可解な事態で、不可解というか、まあ言葉のチョイスが下手なのは今に始まったことではないので見逃してください。

 それでまあ、考えました。現時点で明確な答えを持っているわけではないので、踏み込んだことは何一つも言えないのですけれど、何となく抱いている結論めいたものとしては「多分、『正しい』の意味が違う」です。『正しい』という言葉には様々な意味があるかと思うのですが、たとえば自分が「ルールは常に正しくあるべき」と言ったときの『正しい』は『正当』という意味です。『正義』でもよいです(正義が正しいとは云々という話はさておいて)。「ルールは常に正しくあるべきで、正当であるべきで、正義であるべき」。これは自分の主張したいことに相反していません。一方で「正しいものをみたい」と言ったときの『正しい』は、自分の場合だと『正体』という意味であるような気がします。いや、『正体』という言葉は実はあんまり良くなくて、これだと多大な誤解を生みそうですが、より正確を期すのであれば『本質』という言葉があるような気が一瞬だけしました。が、嘘です。これもやっぱり少し違います。この『正しい』を言い換える平易な用語を、いまの自分はどうやら持ち合わせていないらしい、というのが一先ずの結論で、それでも言えるのは、少なくとも『正当』とはかけ離れた意味であるということです。自分が本当に見たいものは、別に間違っていても良いものなので。そして、先述の第三者は恐らくこの『正しい』を『正当』の意味で用いており、そこで食い違いがあったのかなという推理がいま手元にある全部です。

 

 サークル(910)を抜けました(卒業とか何とか、良い感じの日本語に読み替えてほしい。ここにマイナスの意味はない)。Twitter でも言及したんですが、人間関係にまつわるアレコレでなし崩し的な策を講じるのは誠実でない感じ(強い言葉を使えば、卑怯な感じ)がするので、現代表に一応話を通してからの今朝でした(通したと言っても、寝耳に水を注ぎ込んだ感じだけど)。かまってちゃんがしたいわけでは決してないので、この件について深く言及したいとはそれほど思わないものの、何も語らずに消失した末に憶測が憶測を呼んでも全く本当に露ほども面白くないので、理由はある程度書いておこうと思います。

 そもそも去年の春先、つまり三回生に上がった頃から『遅くとも四回生の11月までにはやめる』ということ自体は、本当に実行へ移すかどうかはさておき大体決めていて、その決断がようやく下されたのが今年の九月だった、というのが事実の半分です。なので今日になってそれが実行に移された理由は、サークルに嫌気がさした、とかではなく、一年以上前から決めていた、が正しいです。夏コミだったり NF だったりゼミだったり院試だったりと様々があり、色々と考えていた割には随分と先延ばしにしてしまいましたけれど、後期が始まるとまたも先延ばしにしてしまいそうだったので、タイミング的にもここがちょうどよかったというわけです。現状のサークルそのものに嫌気がさしたというような理由ではないということは、いま一度断っておきます。ここが何よりも誤解されたくない部分なので。

 追伸ですが、今後、校正的なそれで人手が足りないといったことがあれば、声を掛けてもらえれば喜んでお手伝いします(スケジュール次第だけど)。……ということを現校正班代表に宛てて書き留めておきます。

 

 

 

Recommend_4

 

 突然ですが、という前置きも些か今更が過ぎるように思うのでテンプレートを使いまわすのは止めておくことにします。Recommend 第四回ですね。前回から一ヶ月近く空いちゃったんですが、その理由については別の記事で触れており、それはそれとしてこの Recommend、自分が作業に詰まったときに更新されるものという側面も兼ねており、それはつまり要するに、作曲イヤイヤ期に差し掛かっているということです、いま。助けてくれ。

  Good Music Info. は上のリンクからプレイリストに突っ込むか、僕に直接リプライか何かで提供してください。いつでも待ってます。

 

 前回:Recommend_3 - 感情墓地

 

 

〇14歳のサマーソーダ / サンボンリボン

 僕がはじめにプレイリストへ入れた五曲のうちの一つ、『14歳のサマーソーダ / サンボンリボン』です。『Tokyo 7th シスターズ』(通称ナナシス)というコンテンツの楽曲ですね。作曲は Hiramy(敬称略)。同コンテンツの楽曲である『プレシャス・セトラ』、『ひまわりのストーリー』の作曲も手掛けているということは調べればすぐに分かるのですが、それ以上の情報が見つけられなくて困っています。いや、それほど困っていませんけれど……。ナナシスの楽曲を三曲も手掛けている以上、全くの無名ということはないはずなんですが、どうなんでしょう。

 ナナシス、自分は大して追いかけておらず、ストーリーは全く知らず、楽曲も五割、六割聴いているかどうかというくらいで、そらで歌えるレベルともなれば両手で足りるくらいの数しかないんですが、それでも(楽曲に限れば)好きと言えるくらいには好きであるという自覚のあるコンテンツです。なんでしょう、それが何であれコンテンツの楽曲って文脈を汲みがちだと思うんですが、たとえばキャラソンとかですけれど、ああいうの、コンテンツそのものに造詣の深い人は最大限楽しめる一方で、そうでない人にとってはそうでもなかったりするのがあれで、だからといって膨大なコンテンツのすべてを追いかけようという気になるかと言えばならず、そんなこんなで手が出せないがちというアレがあり。以上は自分の勝手な意見であり、以降も同様ですが、ナナシスの楽曲はいわゆる文脈に依存しない強度があるようなないような気がしていて、なのでナナシスを全く知らない人相手であっても(場合によっては)平気で勧めます。というか、僕も中身は知らないので……。

 曲も好きですが、それと同じくらい歌詞が好きです。この曲に出会った当時、とある人物が僕に向かって言い放った台詞があり、それを以下に引用するんですが、曰く「曲中に立ち込めていた灰色っぽい閉塞感が最後、『抜けるような青空の下』という一言で一瞬のうちに色付く。それが好き」。以上の台詞はまあ自分の「たしかこんな感じなことを言っていた」という修正が多分に関与していることを補足しておきますけれど、当時の自分はその指摘について「なるほど、たしかに」と思ったわけで、『喉が渇いて 埃っぽくて 何もないあの街みたいだ』というフレーズの唄われる一番Aメロに始まった薄暗い感じが一気に消し飛ぶ感じ。いまでもこの曲を聴くとあの言葉を思い出して、その光景が再生されて、そういう意味でもこの曲はお気に入りです。何の話。

 

 

ビアンカ / さよならポニーテール

 良い!!!!!!!

 さよならポニーテール、これは……どういうユニットなんですか? Wikipedia 以上の情報を持っていないんですが、アイドルユニットという括りで構わないんでしょうか? メンバー同士がお互いの素性を知らないアイドルユニットというのも、なんていうか、なんていうかって感じですけれど。作曲はふっくんという方らしいんですが、Wikipedia を見た感じ、この人も正体不明ということなんでしょうか?(何も分からん)

 初めて聴いたときの感想は「めっちゃ III7 使うやん」です。全体的に明るい曲調なんですが、III が使われる部分だけ一瞬だけ影が差したみたいに暗くなるのが良( B メロ五、六小節目、サビ三、四小節目など)。明るいだけじゃない、というか歌詞もそんな感じですね。でも最後はイントロ(間奏)と同じリフで明るく終わるっていう。サビもですけれど、一番はオク下のレ→ド(2→1)、二番はラ→ソ(6→5)、最後はオク上のレ→ド(2→1)なので、最後のサビの明るさが際立ってますね(というか二番サビが不完全燃焼すぎて、それも良い)(不完全なのは直後に間奏へ入るから)。同じ歌詞を唄っているはずなのに、最初と最後とで言葉の受け取り方が変わるってやつ、型に嵌った繰り返しを多用する J-POP ならではの楽しみかたではあると思うんですが、どうですか?(ポップスはワンコーラスだけでよくね派への問いかけ)(でも自分もツーコーラスくらいが一番好き)。

 同ユニットの楽曲を他にも聴いてみるかとなり『新世界交響楽 / さよならポニーテール』を聴いたんですが、こっちもめちゃ良かったのでシェアしておきます。サビのワクワク感が良い!

 

〇WENDY / ビレッジマンズストア

 めっちゃくちゃ良い!!!!!!!!!!!!!

 ビレッジマンズストア、名古屋のロックバンドらしいですね。寡聞にして知りませんでした。というか、この企画を初めてからというもの多聞であった試しがなく、世界には自分が知らない Good Music が大量にあふれているのだなあということを知らされるばかりです、いや、本当に。

 良いと感じた要素は恐らくいくつかあるんですが、とりあえずは編曲だと思います。リンクへ飛べば分かるんですが、まずボーカルの声がめちゃくちゃに強烈(ロックとかだと普通なんですかね?)(PENGUIN RESEARCH のボーカルを個性極振りにした感じ)。なんですが、ギター、ドラム、ベースが頗る大人しい音をしているので、曲全体としてはちょうどいいです。特に全員が最大限はっちゃけるサビの心地よさったらないですね。ラスサビにもなると、それはもう爆発的ですよ。いや、それには他にも後述の要素が絡んでいたりするんですが、とりあえず聴けば分かります、この身体が勝手に縦に揺れる感じ。

 上で「自分もツーコーラスが好き」みたいなことを書いた直後でアレなんですが、ツーコーラスです、この曲。しかもちょっと変則的で頭から順に、Aメロ→間奏→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Bメロ→Aメロ→ラスサビ→後奏、です。B→A→ラスサビ、ですよ、分かりましたか? なんか自分、こういう変則的な構成をした楽曲がかなり好物で、変則的と言っても新しくCメロを追加するとかではなく、こう、繰り返しのはずなのにズレたタイミングで襲ってくるというか、要するに『AB逆転』とか『Aメロ終わり』とかのことなんですが。一番サビの間奏明けで「Aメロへ戻るのか」と思わせておいて、しかし間奏をちょっと間延びさせる(上昇感を出す)ことで「おや、これは?」となったところでBメロへ飛び、「さてはツーコーラスか!?」と期待させてからのAメロ、「!??!」と脳内パニックになっているところでハモリのリードギターを引っ提げてボーカルが曲名を叫んで最後のサビへ突入するんですね、分かりますか? いや~~~~、めちゃくちゃ良い~~~~。

 グッド変則ミュージックインフォを持っている人が他にいれば、是非ご一報ください。

 僕の好きな変則ミュージックはこれです(サビ→間奏→Aメロ→ラスサビ)。

 

 

〇スーパーハッピーソング / 赤い公園

 めっちゃ良い!!!!!!!!

 赤い公園、名前は何度か聞いたことのあるバンドです。何故か解散したものだと自分は記憶していたのですが、それは誤りで、正しくは『ボーカルの人が変わった』です。たしかに、赤い公園について言及していた某氏もそういえばそのように言っていた。

 めちゃくちゃ楽しそうに唄いますね、このボーカルの人(これが特に良いポイント)(入れ替わり前のボーカルと思われる)。いきなり別コンテンツの話になりますけれど、自分は『アイカツ!』の楽曲も少し齧っていて、それらの楽曲に対して思うこととして(曲調に依るという前提は当然として)「唄ってる人たちがみんな楽しそう」ということがあり、この世界には様々な楽曲があると思うんですが、自分の中の評価基準にそういうものが大なり小なり関与していそうということを思ったり思わなかったりしました。

 これとか、自分が聴いた限りの『アイカツ!』楽曲だと断トツで好きなんですが、めちゃくちゃ楽しそうな笑顔で唄ってる光景が容易に想像できて本当に良いです。あとは、これはサブスクにないので貼れないんですが『おまじない / 矢吹可奈』とか『ロケットスター☆ / 伊吹翼』、『START!! / 天海春香』なんかも同基準で好きの上位に食い込んできている感じがします(いずれもアイドルマスターの楽曲)。楽しそうに歌えるって才能の一種だと思うんですよね、個人的には。正確には『感情をこめて歌える』ですけれど。

 あとはコード! 先述の『ビアンカ / さよならポニーテール』もそうでしたが、やっぱり I→III→VIm ってめちゃくちゃ良くないですか? 明るさの中に切なさがあるっていうか。それはセツナ極振りの IVm とはまた違った切なさですけれど、うーん、伝わってますか? あと、同じような形に1736って形もありますけれど、個人的にはこっちのが好きです(何故?)。それと、これも『ビアンカ / さよならポニーテール』と同様なんですが、めちゃくちゃ II7 が出てきますね。VIm の後に続くと嬉しいものランキング第三位であるところの『VIm→II7(→IIm7→V)』が大量に摂取できます。ちなみに二位は『VImVm→I』で、一位は『VIm7→#Vm7→Vm7→I7』です。

 

 

〇パリパリパーリー / メグとパトロン

 良~~~~。

 メグとパトロン、『メグ』っていうのが『さよならポニーテール』で作曲の一部を担当している人らしいですね。この曲の作曲者も Megu(敬称略)らしいです。

 第一音から気持ち悪い!! 最初の「パリパリパリ」がレ→レ#→レ→レ#→レ→レ#です。いきなりどういうことだよ。他には特に変なことしてないと思うんですけど、どうしてここだけ……? Aメロのド→ソの跳躍が好き(RPGのところ)(この曲自体はFメジャー)(ド= F )。「この手の曲、最後で転調するんだろうな~~~~~~」と思いながら聴いていたところ、本当に転調して笑ってしまった。

 

 

G.O.A.T. / ポリフィア

 普通に怖い。

 ポリフィア、テキサス州のバンドらしいです(Wikipedia にそれ以上の情報がなくて泣いてしまった)。

 ジャンル的には、これは何になるんですか? Wikipediaには『プログレッシブ・メタルバンド』と書かれていたんですが、この曲に限って言えば然程プログレって感じもしないし、かといってメタルな感じもせず、うーんという感じ。なんていうか、どっちかというとトラップみたいなクラブミュージックの文脈に近くないですか? いや、とやかく言えるほどプログレもメタルもほとんど聴かないんですが。でも、このアーティストの spotify の再生数は断トツで当楽曲が桁一つほど抜けているので、アーティストの代表曲ではあるんですよね、きっと。ますますどういうことなんだ。……とまで書いたところで『プログレッシブ・ロック』の定義を確認しに行ったんですが、『演奏技術重視・シンセサイザーなどテクノロジーの使用』といった側面もあるんですね(知らなかった)。自分は『プログレ変拍子や転調の多用』という理解しか持っていなかったので、本日の知見でした。でもメタルっぽくはないですよね(この曲だけかもしれないけど)。ダークな感じはするけど、『メタル=ダーク』ってわけでもないだろうし。

 Spotify で再生数上位にいた『40oz / ポリフィア』もついでに聴いてみたんですが、こっちは自分好みのプログレにかなり近い領域にいました(めちゃ良かった)。

 プログレ、ギターもベースもドラムスも、全員が平等に常時カッコよくて良いですよね。普通のロックみたいに役割分担されてる感じも好きなんですけど、こっちはこっちで聴いてて楽しいです。ちなみにですけれど、自分が一番好きなジャンルはポストロックです、多分。オススメがあったら教えてください。

 

 

〇虹のソルフェージュ / 石原夏織

 良~~~~~。

 石原夏織、声優の方なんですね(「この声、どっかで聞いた気がするな~」と思って調べてみたら『アイカツ!』の音城セイラだった)。作曲は佐藤純一(敬称略)。fhána の人ですね。最近、田中秀和との対談動画で観た人なんですが、クリエイター目線だと結構興味深いことを色々と話していたのでシェアしておきます(前半は音楽の話してた)。

www.youtube.com

 メロとボーカル、めっちゃ良~~~~~~。編曲ですけれど、Spotify で聴いてる自分が悪いのか、自分の耳が悪いかあるいは自分のイヤホンが悪いかのいずれかだと思うんですが、全体的に色々とごちゃついているような印象が強くって。なんだろ、ベースの上とギターの下、ギターの上とピアノの下、ピアノの上とストリングスがそれぞれぶつかってるような(全体的に音がモコモコしてるような気がする)(というか潰れすぎ?)。そのせいかドラムが何してるのかもあんまりわかんなくて、いや全然聴きとれるんですけど、それ以上に周りのやつらが目立ってるっていうか。んー、CD 音源でちゃんと聴き直してみたいです(同アルバム、他の曲のいくつかも若干音が籠ってるような印象を受けるので、ミックスではなくマスタリングがよくないのかもしれない)(頑張ってくれ~~~~~)。

 

 

〇そんなの僕じゃない / 下地紫野

 良い!!!!!!!!!!!!

 下地紫野アイマスに出てる人だなという印象しかなかったんですが、『アイカツ!』の大空あかり役の人でもあるんですね。作編曲は白戸佑輔(敬称略)。よく名前の見る人ですね。アイマスだと『乙女よ大志を抱け!! / 天海春香』や『想いはCarnaval / 島原エレナ』なんかの作曲を手掛けている人です。

 ところどころで効果音的に使われているブレスの音が好きなんですが、それはさておいて、曲の終わり方が一番好きです。最後の『そんなの』のところに入っているブレス、分かりますか? 最強です、アレ。語尾で息を抜くみたいなのはよくあるテクニックだと思うんですが、そうではなく、ここぞというところでああいう息の混ぜ方をする唄い方がかなり好きだったりします。『僕じゃない』も最後だけ『い』のロングトーンになっていて、それで高音域に突っ切ったあと、落ち着いたトーンで最後のワンフレーズを唄う。それです。それでしかない。

 

 

チューリングラブ feat.Sou(TAKU INOUE Remix) / ナナヲアカリ,Sou

 良い!!!!!!!!!!!!!

 ナナヲアカリ(敬称略)を何故か Vtuber だと思っていたんですが、普通に実在の人物らしいです( Vtuber も実在してはいるが)。この Remix を手掛けているのは Taku Inoue ですが、作曲を担当したのはナユタセイジ、ナユタン星人らしいです(知らなかった)。ナユタン星人っぽくないなあと思ったんですが、それは確実に自分が Remix のほうしか聴いていないからであり、原曲のほうを聴いてみたら思わず笑っちゃうくらいにはナユタン星人でした(全体的にそうだけど、サビ後から間奏へ入るまでのフレーズが一番それっぽい)(というか原曲、バリバリの短調で笑った)。

 よく聴いたら(原曲における) B メロの部分でドロップのリズムだったりコードだったりを既に提示してあるんですね。ドロップの唐突感の無さはそこら辺が関係していそうと思ったり思わなかったりしました(何も分からん)。

 

 

〇Wylin – Original Mix / Cesqeaux

 めっちゃくちゃ良い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 Cesqeaux、オランダの人なんですね(セスコーと読むらしい。本当?)。Wikipedia には『EDM・Trap』と書かれていたんですが、Spotify で一番人気らしい曲(『Booty Time / Aazar,Cesqeaux』)を聴いてみたら、たしかに Trap の人っぽい感じではありました。

 さっきのチューリングラブもそうだったんですが、ダンスミュージックって何について語ればいいんですか?(耳というよりは全身で楽しむものという感覚が強すぎる) 自分の場合、気持ち悪い音が好きというのは前提としてあるんですが、2nd ドロップで Jersey Club になる(そして元に戻る)のがめちゃくちゃ好きです。いつの頃からか Jersey Club が大好物になってしまっているので、Good Jersey Info.を持っている人がいれば、是非ご一報ください。

 ちなみに『気持ち悪い音が好き』の一例です。

 

 

 今日はここまで!

 

 次回:Recommend_5 - 感情墓地

 

 

 

ガチの近況報告回

 

 ガチの近況報告回です。と言いつつのアレなんですが、これまでにも近況報告回は何度もやっており、しかしながら「近況報告するか~」というモチベーションで書き始めたことは滅多にないんじゃないかと思います。何ていうか、頭の中で考えていた諸々と結びつく何かが直近に発生し、その事実に託けて自分の考えをベラベラと書き散らかす、みたいな動機のほうが正直言ってかなり強いです。いやまあ実際、自分の近況なんて誰も興味ないだろうし、百歩譲って、よしんば自分のことに関心を持っている第三者がいたとして、そもそもの話、他の誰よりも自分自身が興味を持っていないわけで。いついつに何々をしましたって、いや、誤解されないように断っておくと、他人の日記は結構楽しみながら読むんですよ、僕。それは何ていうか、自分の近くにいる誰それが自分の知らない場所でどのような一日を送っていたのかが気になる、という知的好奇心の類ですが。だから、それで言うと、過去の自分がどういう一日を送ったかなんて書き起こすまでもなく分かっているわけで、興味がないというのはそういった意味です。まあ書くんですけどね。

 

 院試が終わりました、実は。何を勘違いしていたのか、一次合格者発表から二次試験まで三日ほどの猶予があると思っており、しかし実際には発表の翌日には二次試験があったので、あのときの自分の焦りようと言ったらありませんでした。嘘です。全く焦っていませんでした。形式も何も分からない以上、焦っても仕方がないだろうという気持ちで夏休みの大半を過ごしてきたので、その日もそんな感じでしたね。二次試験は90分あったんですが、カメラの前で道化を演じていたら一瞬で終わりました。教授陣を何度か笑わせることができたので大阪人的には花丸満点なんですが、大学院受験生としてはどうなんでしょうかね。受かっててほしいですが、別に落ちててもまあいいやって気持ちです。まあいいやっていうか、それはそれで何とかなるだろっていう。レールを外れることに対する恐怖っていうか、自分は留年に対する危機感とかが全くない人間なので(その証拠として、それらに対する危機感が備わっているならば、もっと真面目に単位を取っているし、もっと真面目に勉強をしている)。ただ、そうなると両親に迷惑をかけること必至なので、できれば受かっててほしいなあとは思います。

 

 マイクが届きます、明日。うぃる。七月末くらいに注文したものの、在庫切れのままで一向に入荷しなかった代物なんですが、いまは普通に在庫あるみたいですね。それと同じタイミングで「発送するよ~ん」というメールが届きました。マイク。マイクかあ……。中学生の頃、というと自分にとってのボカロ最盛期ですが、自分はかなり受動的な楽しみをしていた側の人間で、というのもインターネットがあまり自由に使えず(小学生の時にやりすぎて半分禁止された)、知人づてに聴くかレンタルショップへ行くかくらいの手段しか持ち合わせていなかったためです。あとは、別にそこまでボーカロイドニコニコ動画?)という文化に親しんでいなかったというのもありますね。アイマスを知ったのは高校三年くらいの頃ですし、東方は今でもよく知りません。況やボーカロイドをや。それでもまあ、そんな自分をも引きずり込む程度には、周りに熱心な人たちが複数いたわけでして、その中には歌い手をやりたいという人もいたわけです。当時の自分にそういう感情は全くなく、っていうか今もありませんが、当時「マイクって高そうだなあ」程度の認識しか持っていなかった自分が、よもや大学卒業間近となった今、マイク購入に踏み切ることになろうとは……って感じです。僕の家、一年半余り誰一人として足を踏み入れていないのでアレなんですが、いつの間にか音楽関係の機材が微妙に増えていて、マルチエフェクターとかギターとか、あとは10Wくらいの小さいアンプと、実はMIDI鍵(使えない)もあり。ここにそのうちマイクスタンドとマイク本体と、たぶんリフレクションフィルタもそのうち導入されるはずで、それもまた「こんなことになろうとは……」って感じですね。自分は「楽器は弾けないけど、音楽をやりたい」という理由からDTMに手を出した人間なので、ソフトではなくハードのほうがどんどん増えていくのは奇妙な感じがします。あー、あとカポを紛失してしまったっぽくて。最近やっていた部屋の大掃除には実はカポを捜索するという目的もあったんですが、まだ完了していないとはいえ、床を覆いつくしていたペットボトル600本あまりを掃討したにもかかわらず、未だ発見されていませんね。ついぞ見つからなかったという結末だけは避けたいものです(今更どうしようもないが)。

 

 Recommend っていう spotify のプレイリストがあって、自分が作ったものなんですが、今でもちょくちょく入れてくれている人がいて嬉しいです。

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 嬉しいですと言いながら Recommend の記事をしばらく更新できていないんですが……。いや、違うんですよ。違くはないんですが、弁明を、言い訳をさせてください。情状酌量。あれ、一記事を書くのに結構な時間を割く必要があって、どのくらいかというと大体五、六時間かかるんです。五曲くらいしか紹介しないのにどうしてそんなって話なんですが、これはただの自己満足で、やっぱオススメしてくれって言った以上はちゃんと聴かなきゃいけないよなという多少の義務感と、あと単に良い曲ばかり、かつ普段聴かないような曲に相対する分だけ発見が多くて、先へ進もうにも進めないという嬉しい悲鳴の二つがあり、曲を一通り聴くというだけならもう既にあのプレイリストのは全部聴いていて、ただまあそうではなく真剣に向き合う時間を別途確保する必要があるという話でして、そういうわけで院試の諸々が終わるまでは放置することにしていました。なので、九月辺りからはまたゆるゆると再開できたらなあ、という感じです(後期が始まればまた忙しくなるので、更新が滞るのではという説がある)(否定できない)。Good Music Info. 自体は常に募集しているので気軽に投函してください。三か月後くらいには感想がここに載ります。

 

 Recommend に触れたついでに、最近聴き始めたアーティストを数名(数組?)、軽くですが紹介しておきますね。紹介したいので。

 まずは『三月のパンタシア』。聴き始めたと言っても『あのときの歌が聴こえる』というアルバムを通しで、あとは二、三曲気になったのを聴いたくらいのものですけれど。名前は以前から聞き及んでいたものの、特に機会がなかったので触れていなかったアーティストです。聴いてみたらドレッドノート級に良くて人生観が180°ひっくり返りました。嘘です。お気にの曲は既にいくつかあるものの、全部書くと余白が足りないので二曲だけ貼り付けておきます。

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『風の声を聴きながら / 三月のパンタシア』。スローテンポの曲。河沿いを歩きながら聴きたい。

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『サイレン / 三月のパンタシア』。こっちはアップテンポです。曲、詞、編曲、三部門の総合点でいまのところ一位のお気に入りです。

 次が『凛として時雨』。「おいおい今更かよ?」と思われてそうですが、今まで通ったことなかったんですよね。ああいや、実は一つだけ接点があって、それは何かといえば太鼓の達人に『Telecastic fake show / 凛として時雨』が収録されていたことですね。100には足りないと思うものの割と何度もプレイした楽曲で、それは中高の頃の話ですが、つまり曲そのものを結構気に入っていたのでした。つい最近そのことをふと思い出し、改めて聴いていたところで紆余曲折がありベストアルバムから入門した、という次第です。自分は今でこそ BUMP ばかり聴いていますけれど、ルーツ的にはこっちのほうが近いはずなんだよなあ、と思いつつという感じでした。

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『illusion is mine / 凛として時雨』。ベストアルバムの中で一番のお気に入りでした。音作りがとても素敵(≒好み)。

 最後に『鹿乃』。いま wikipedia を確認して仰天したんですが、2010年から活動されているんですね。その名前を最初に聞いたのは 4th アルバム『yuanfen』が発表されたタイミングでした。ほとんどすべての収録曲を田中秀和が手掛けているということで、界隈(?)で瞬く間に広まったのと同じくして知ったという感じです。同アルバムに収録されている『罰と罰 / 鹿乃』という楽曲が頗る好みで、というかその一曲のインパクトが強すぎて他をちゃんと聴けていなかったんですが、最近になってようやく向き合い始めました。

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『午前0時の無力な神様 / 鹿乃』。『罰と罰 / 鹿乃』に眩んでいた自分を正気に戻した曲がこれです。めちゃ良。

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『CAFUNE / 鹿乃』。聴いたの、今日の朝です。これもめちゃ良。

 

 八月のどこかで三条の書店へ行ったときに買ったきりで放置していたんですが、『儚い羊たちの祝宴 / 米澤穂信』を読みました、一昨日。短編ミステリ集なのでどこまで話していいのかという感じで、っていうか何も話せないんですが、安心してください、ネタバレの類は書きません。これはつまりネタバレにならない程度で書くという意味ですが、二番目と四番目の作品がめちゃくちゃに好きでですね(でも、正直どれも良かった。僅差)、この文章を読んだ全員に今すぐ書店へ足を運んでもらいたいんですが、あの、なんていうか、はい。いや、だからそうなんですよ、内容に関して何一つとして言及できなくてですね。ネタバレってただでさえNGな感じがあるのに、ミステリともなればなお一層じゃないですか。馬を水飲み場まで連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできないと言いますけれど、連れていくこともできないんですよ、こっちは。なので、この話はここで終わりです。自分と近いところにいると思っている人たちにはそのうち個別にでも勧めると思うんですが、このご時世、いつ会えるのかも分からないし、会えたとしても本の話題にならないと切り出せませんし、なったとしても切り出せませんし、八方塞がりってやつです、これが。

 

 行動力の鬼なので米澤穂信の本を五冊買いました、昨日。著者の作品は一年ほど前に二作読んでいて、『ボトルネック』と『リカーシブル』なんですが、それらが結構好みだったということもあり名前を憶えていて、それで書店へ足を運んだ際に気まぐれで一冊購入し、それもまたかなり好みのところを抉ってきたので、「これはもう権利ではなく義務(『スパークル』)」と半ば駆り立てられるような思いで書店まで歩きました。暑かった。正午に行くんじゃなかった。これもまた機会がないので読んでいなかった『氷菓』シリーズも二冊買いました。アニメも観てないので、本当に何も知らないんですよね。多分面白いんだろうなと思いつつまだ読んでないんですが、じゃあまた放置してるのかと言えばそんなこともなく、昨日のうちに『さよなら妖精 / 米澤穂信』を読みました。が、そこでマジで精神を焼かれ、体調を一瞬で崩し、今日も朝の八時までしか眠れませんでした。快眠です。こっちもミステリですが、どちらかと言えばボーイ・ミーツ・ガール、いわゆるセカイ系に近い作品です。オススメ。何ていうか、自分の中での「良い作品」の基準の一つに「読み終わりたくない、と思うかどうか」みたいなものがある気がしていて、いや、あくまで自分の中の話なので他の人がどうかは知らないんですが。ましてや自分は大して本を読まないので妄言と思ってもらって構わないんですが、それはさておき。紙媒体だと残りページ数がどうしても分かってしまうじゃないですか。数字なんか見なくたって、文字通り、手に取るように分かるじゃないですか。何だろ、そうやって嫌でも意識してしまう結末に抗いたいという気持ちを読者に与えつつ、それでいて頁を捲る指を止めさせない作品っていうのが、読んだ後に自分が「良かった!」と思うものの基準の一つとしてあるのかなあ、っていう。そういうことを『さよなら妖精』を読み終えた後に考えました。「良い」という言葉があくまで主観的なものであるということは、再三断っておきますけれど。

 

 

 そんな感じでした。夏季休暇、後半戦は作曲に追われる一ヶ月になりそうな気がします。

 

 

 

続き

 

 世界が明日滅んでしまうとしたら、という設問、誰でも一度くらいは尋ねられたことがあるんじゃないかなあという気がしており、例に漏れず自分にもそのような機会が幾度となくあったようななかったような気がするんですが、それに対して自分がどういった答えを返してきたのかをその実まったくと言っていいほど覚えていません。どうせ自分のことなので「いや、特段何もしないけど」という感じの当たり障りのない返事をしていたのではないかという予想があるんですが、覚えていないということはつまり、少なくとも真剣には考えていなかったということです。いやまあ、真剣に考えるような問いでは恐らくないでしょうし、訊いた側としても真剣に答えられても困るだろうとは思うんですが。

 

 先のことを予め決めてしまうのが自分は苦手で、これは嫌いという意味ではなくて不得意という意味ですけれど、先の行動を一度決めてしまうと後はそのシナリオ通りに動かなきゃいけないというような気がして、というか実際そうで、それが上手くやれないっていうか。いや上手くやらなきゃいけないときは出来る限りで上手くやろうとするんですが、上手くやろうとしなきゃいけないというのがもうダメな感じで。逆に、突発的に行動を起こすのは……得意って形容詞は不自然ですけれどまあ好きで、先日、流星群が極大だった夜、大学の知り合い数人(と初対面の一人)で急遽ドライブへ行くことになり、そういうのは全力で楽しめるっていうか、実際に超楽しかったんですが。いや、予め決まっている用事だと全く楽しめないってわけじゃ勿論なくて、それもまた行動へ移してしまえばそれまでの憂鬱なんて消し飛んでしまうわけですけれど。だからまあ、「やらなきゃいけない」と考えさせられる時間の有無ですかね。学校や会社なんかは別として、何でもないプライベートな一日の行動を、まるで遠足のしおりみたいに一から十まで決めた上で過ごすことはあまりしたくない、というわけです。

 

 先日、散歩をしていたときに階段をみつけて、河川を跨ぐ二、三メートルほどの橋の傍でした。初めて訪れる場所だったので、その階段に出会うのも当然初めてだったわけで、そうなると、何となくそこを下りてみたくなるっていうか。これもまた上で述べた突発的行動の一つですけれど。下は普通にただの川で、幅の広い鴨川のような歩行可能なスペースがあるわけでもなさそうな風貌で、だからまあ階段を下りたところで何があるわけでもなさそうな、強いて言えば水と雑草と石がありそうな感じでした。だからこそ、一見無意味なところに階段が敷かれているからこそ下りたくもなるわけですけれど。自分一人だけなら考えるまでもなく秒で下りるんですが、ただその日は連れが一人おり、なので特に何事もなく通り過ぎようとしたところで相手が「下りてみようよ」と言ってくれて。自分は橋のほうに数歩ほど踏み出していたので多少驚き、結局下りて、そこでみつけたのが謎のベンチでした。車や人の行き交う橋の真下、陰にすっぽりと隠れるみたいに置かれた、三人くらいは座れそうな木製のベンチ。雨が降ったわけでもないのに足元は濡れていて、それは何故かと言うと、川の流量があと三ミリでも増加すれば完全に浸水するんじゃないかってくらいの高さしかなかったからですが。自分たちはまさかそんなものが橋の下にあるとは思っていなかったので、揃いも揃って「どうしてこんなところに?」と言い合い、しばらく考えてみてもその答えは出ず。「この場所で本を読むとしたらどの季節だろう?」みたいな話もしたんですが、そちらのほうは秋という結論で一先ず落ち着きました。

 

 ベンチのあった橋下には人の手が施された形跡のある道のようなものが西へと続いており、それを歩いていくのも選択肢としてはあったんですが、対岸の道はこちら側の道と違って東のほうへと続いていました。「向こうにも道がある」と言ったのが自分、次に「向こうのほうが気になるね」と言ったのが相手。というのも、向こう側の道は途中で南の方角に折れていて、その先に何があるのかがその場所からでは分からなかったからです。曲がり角があると曲がりたくなる、というのは自分もそうだったので、そういうわけで階段を上り、橋を渡り、向こう側の階段を下って、じゃあ歩いてみようということになりました。先ほどのベンチの正体はその途中でおおよそ判明して、実はその川は舟に乗って往復することができるらしかったんですね(いま調べたら普通に観光スポットっぽかった)。舟といっても小さな木造船で、自分たちが通りかかったときに停まっていたのは一隻だけでしたが。例のベンチはだからもしかすると、休憩所だったり乗り継ぎ場だったり、あるいはそれらの名残だったりするのかなあという感じです。あと、その川沿いを歩いているときに羽の黒いトンボを生まれて初めて目にして「これは何??????」となりました(最初は「あれはトンボ?」「胴体長いからトンボじゃない?」「本当に?」という感じだった)(結構な数いた)。『ハグロトンボ』って種類らしいですね。『神様の使い』なんて表現もされるみたいで、それは単純に黒色をしているからでしょうか?(みられる時期とかも関係ありそう) 黒猫が不幸の象徴という文化は西洋からの輸入で、古くの日本では縁起の良いものとされていた……みたいな話もありますし。とはいえ完全に真っ黒というわけでもなくて、自分が見たのは胴体が青緑色をしたものが多く、それがオスでメスのほうは完全に黒いらしいですね。

 

 来た道を引き返すまでもなくゴール地点には同じような階段があって、そこから地上へと戻り、さてここはどこだろうとなりました。とはいえ、それほど長くも歩いておらず、というか歩いてきた川に沿って逆行していけば最初の場所へ戻れはするわけですけれど、そもそも目的地があるわけでもなかったので、別にどこへ向かってもいいなという感じでした。階段は東側にあって、そこから北、西、南の三方向(厳密には少し違う)へ道が一本ずつ。そのときの自分はなんとなく西へ行きたいなあという風に考えていて、どうしてかというと、それは西へ向かう道もまた曲がり角っぽくなっていたというのが一つあるんですが、それ以上に西の道は夕陽がいい感じに差し込んでいて、暗と明のグラデーションっていうか、一歩踏み込んでみたら何かが始まりそうな感じの雰囲気を醸し出していたということがあります。なのでこれもまた繰り返しですけれど、自分一人だけなら迷わず西へ向かって歩き始めるんですが、その日はそうではなかったので「ここからどうする?」と意見を仰ぐことにし、しかし結局、もう一人も西のほうを向いて「こういう光の差し方をしてると気になるよね」と言い、それでやっぱり西へ向かうことになるわけですが、そのときに思ったのが冒頭の『世界が明日滅ぶとしたら、こういう今日が良い』みたいなことで。そういうことを半ば本気で考えたのは(多分)その日が初めてで、どうしてだろうと自分でも思うんですが、なんていうか、これほどに通じた感じのする相手と友人でいられるってこと自体がもう何だか奇跡的で、自分は院試間近だし、もう一人は社会人だし、知り合ってから片手じゃ足りないくらいの年が経っているのに、まだあの頃みたいに道に迷っていられるんだ、みたいなことを思ったり思わなかったり。それが彼でなかったら階段を下りることはなかっただろうし、謎のベンチに出会うこともなかっただろうし、黒い羽根のトンボを目にすることもなかっただろうし。だから、こういう一日が最後だったらと思ったり思わなかったりという感じでした。

 

 そのとき歩いていたのは伏見桃山という駅の周辺なんですが、そこは日本酒の諸々で有名な場所らしく、なのでその後無事に全部が終わりました。十八種の日本酒を呑み比べられるという店があり、それは知人づてに聞き及んでいた事実だったんですが、ともかくそういう店があることを知っていたので足を運び、結果、マジの酔いをしました。そもそもお酒をそんなに飲まない(この日も五ヶ月ぶりとかだった)というのがあるんですが、酔っていることを自覚したという経験が自分にはなくて(乗り物酔いはめちゃくちゃする)、勿論のこと、若干熱っぽくなってるな~、頭がぼーっとするな~くらいのアレは何度もあったんですが、足元がふらつくとか記憶が消し飛ぶとか、そういうレベルのアレに陥ったことが未だかつてなく、しかしこの日はマジの酔いをしたために本当に真っ直ぐ歩けず、慣れない浮遊感に半ば感動しつつ、覚束ない足取りで店内の階段を下ったのを覚えています。とはいえ流石に理性が効いていたので、店を出る頃には普通に真っ直ぐ歩けるようにはなっていたんですが、でも貴重な経験でした。他の知り合いと呑むときは絶対にラインを越えないようにしてたんですが、それもまあ、外すならここなんだろうなあという気はずっとしていて。酷いことにはならなくて本当によかったんですが、朝起きたとき(というか就寝途中から)両腕がマジの激痛を発していて終わりました(午後には治った)。

 

 二二。「『現実を見なきゃいけない』じゃなくて『現実が見えてくる』が正しいんじゃないか」みたいなことを言った記憶があり、おおよそその通りかもしれないと後で改めて思ったんですが、なんていうか、夢のような選択が手の届きそうな範囲に現れてくるというか現実まで降りてくるというか。たとえば結婚とかって高校生の頃は(当然、人に因るだろうけれど)全く考えられないと思うんですが、これくらいの歳になるとそれは夢物語ではない一つの可能性として映り始めるんだなあと思って。「『現実を見なきゃいけない』じゃなくて……」というのはそういう意味です。「来年はあの橋を渡ろう」って口約束みたいにこれからもそうであれたら良いと思う一方で、変わらなきゃいけない部分もあるんだよなと思ったり思わなかったり。見えない何かに対して誠実でありたいと思う一方で、たった一つだけを選ばなきゃいけないんだなと思ったり思わなかったり。ちょうど一年前くらいに作った『ここにいるよ。』って曲を今日たまたま聴き返してて、それで『手を振って じゃあねって笑いあった あの日の続きに 何度だって出会えるから』って歌詞を書いたときのことを思い出して、あれは「もしかしたらそうじゃないかもしれない」と疑い、「そうであってほしい」と願い、そんな宙ぶらりんの状態で書いたフレーズで、でも、たしかにその通りだったかもと今になって思えた気がして。昔の自分が書いた歌詞に対して何かしらを感じることって自分は割とあるんですが、一年前の続きにあったのがあの階段だったり、あのベンチだったり、あのトンボだったり、あの分かれ道だったりするんだろうなあと思ったり思わなかったり思ったり。『何度だって出会える』なんて見え透いた嘘を今に変えていけるなら、自分にとって最上級の幸福ってもしかするとそれのことなのかもしれませんね。

 

 

 

夏、蟻と蝉と

 

 蟻。蟻って夏へ差し掛かると目にし始めるよなあ、という印象があり、逆に冬の時期はどうなんだろう? と思って調べてみたんですが、そんなことをするまでもなく『アリとキリギリス』の流れを思い出せば十分でしたね。すべての蟻が食糧を貯えるというわけでもないらしいですけれど、とはいえ、冬になるとあまり目にしなくなる(逆に、夏へ差し掛かると途端に目にするようになる)、という印象は概ね正しかったようです。へえ~。

 

 ここしばらく考えていた諸々について書こうと思います。

 

 先日の午前中、だいたい九時くらいの事ですけれど、諸々の所用があり最寄りの駅から電車に乗り込みました。自宅から駅までの、その道中での話です。自分の移動手段は主に徒歩でして、というのも自転車を持っていない(厳密にはどこかへ消えた)からなんですが、それはさておき、炎天下のアスファルト上を「あっつ~~~~」と思いながら歩いていたわけです(これは自分が未だに春服用のパーカーを着ているから、という説もある)。炎天下と言っても、先日までの梅雨と夏のタッグ攻撃に比べたら頗る快適で、外に出るのが苦だとは特に思いませんけれど……。からっとしてる感じで良いですよね、この季節(だから無意味に着込みたくなる)。こういう暑さ、何て表現するんですかね? それもさておき、まあ歩いていたわけです、道を、歩道を、西の方向へ。歩道と車道とを隔てている白線、といってもその白線に従っているとめちゃくちゃに狭い歩道の幅を進む羽目になるんですが、だから自分はその若干外側を歩いており、そのとき白線の上に見つけたんですね。何をかと言えば、蝉の死体を、です。八月ともなれば蝉の死体なんて然程珍しくもありませんけれど、そこに大量の蟻が群がっておりですね、白線の上ということもあってその様子がそこそこはっきりと見えたんです、普通に歩いていても気がつく程度には(気にならない人は気にならないと思うけど)。文章の流れ的には、この後では自分がその光景に対して抱いた何らかの感情について記述する、というのがお約束っぽいですけれど、特に何とも思わずに通り過ぎたので書くことは何もありません。強いて言えば「ああ、これが理科の教科書の。サイクル的な、分解的な」くらいのことは考えましたけれど、駅の階段を降りる頃には蝉の死体のことなんてすっかり忘れていました。ちなみに電車は自分が改札前に着いたくらいで出発していきました(目的の電車はその一〇分後のやつだったんですが、それに乗れていれば早めに着けた)。

 

 用事は午前中で終わりだったので、午後二時半になったかどうかというくらいの頃には最寄り駅まで戻っていました。それでまあ、当たり前と言えば当たり前なんですが、行きに通った道と同じ道を通って帰ろうとしました。いや、来た道と全然違う道を通って帰ることも普通にありますし、当たり前ということは全くないですけれど……。でも、最寄り駅から帰る道ってそんなに数がなくて、いや、道自体は幾らでもあるんですが、歩いていて楽しい道となるとそれほどなくて、それに帰宅途中に諸々(昼ご飯など)を済ませてしまおうとなるとほとんど一通りに定まってしまうのです、残念ながら。それが行きに通った道そのものだということですね。まあ、特段楽しくもない道を歩こうとはまず思わないので、普段から使っている道はほとんどイコールで歩いていて楽しい道ということにもなりますが。閑話休題。多くの人はここまでの流れで想像がついていると思うんですが、だからつまり『なるほど。帰り道、同じ道を通ったとき、朝にみつけた蝉の死体のことを思い出して、そのときに何らかの何かがあったということだな?』ということですが、残念ながらその推理はハズレです。実際に起きたことはこうで、まず最寄り駅に到達した先日の自分は、行きと同じ道で帰宅を試み、その道中では何も思い出さず、そして帰路にあるチェーンの飲食店で呑気に昼ご飯を食べていました。繋がらねえ~。

 

 どうして気がつかなかったのか、分かりますか? こう訊いてみると何だか軽い日常系ミステリっぽいですよね(偏見)(読んだことない)(怒らないで)。自分の注意力が散漫だったから、ではありません。自分の記憶力は超ド級ポンコツでしたが、通れば必ず思い出したはず……というか行きと同様に嫌でも気がついたはずです。行きと帰りで同じ道を通ったはずなのに、じゃあどうして気がつかなかったんでしょう? こういうの、出題者である自分は答えを知っているので簡単な謎とおもえるわけですけれど、何も知らない側からしたら割と理不尽だったりしますよね。当てさせる気あんのかよ、みたいな。まあ十分に推理可能だとは思うんですが、だからって別に謎解きがしたいわけではないので答えを言ってしまうと、それは行きと帰りで同じ道を使ったものの、歩いている場所が行きと帰りで異なっていたからです。車線のない少し広めの車道の両側に白線があって、行きも帰りも自分はその左側を歩いていました。行きは西へ向かって、帰りは東へ向かって、それぞれ左側です。蝉の死体があったのは西へ向かっての左側だったので、帰りに通った東へ向かっての左側、つまり西へ向かっての右側を歩いているときには蝉の死体に気がつかなかった……というのが事実ですね。腑に落ちましたか?

 

 蝉の死体に気がつかなかったんなら、じゃあ今までの話はいったい何だったんだよ、ということになりますけれど、呑気に昼ご飯を食べ終えた後、自分はつい先ほど通り過ぎたばかりの道を、もう一度通ることになるわけです、所用で。このときには初めの行きと同じように西へ向かっての左側を歩いていたので、なので帰りと違って気がつくことができたというわけですね(上の『通れば嫌でも気づいたはず』という記述は、実際に気がついたのでそう断じることができる)。そして、ここでやっと何らかの何かが起こりました。蝉の死体、朝に見つけたときから五時間余りが経過していました(電車の時刻などがあるので、おおよその経過時間も分かる)。朝には蟻が群がっていたという話をしましたけれど、では五時間後に再発見したときはどうなっていたかと言いますと、そこには蝉の死体の跡だけが残っていました。的確な例が思いつかないんですが、人間で喩えたほうが幾分か分かりやすいと思います。というか、その蝉の死体の跡をみつけたときに自分で思ったのが「これ、アニメでみるやつだ」でした。言って伝わるかは微妙ですけれど、まあ何でもいいです。浴びた人間を液体に変えてしまう光線銃みたいなものがあったとして、それを浴びてしまった人間がいたとして、その誰かがいたはずのところに液体と衣服とだけが落ちているような、そんな感じです。伝わりました? まあ液体はなかったんですが、衣服にあたる殻だったり羽だったりがそこに落ちているばかりで、中身はすっかり蟻に運ばれてしまったんだなあ、という風の。二十何年も生きていたら、そういうものは一度や二度じゃない回数目にしていると思うんですが、まじまじと観察したことはなかったかもしれません。いや、まじまじとは見ていませんし、しゃがみこんだりもしていませんが。その様子から特別な何かを受け取った、ということもあったりなかったりという気がしたりしなかったりという感じでした。それで何ていうか、そういえば去年の今頃も同じようなことがあったなあ、ということを思い出していました(ブログに書くと、こういうときに自然と浮かび上がってくるのがいい)。そのときは抜け殻でしたが、ともあれ、蝉にまつわる諸々について考える時期が来ると「いよいよ夏だなあ」って感じがしてきますね。夏ですよ、夏。院試のせいで楽しくない!(これは嘘)

 

 蟻。蟻をみるたびに頭の片隅で何となしに思い出す話があって、それは『自分たちは無意識のうちに多くの命を殺めている』ということです。突然何の話だよ、と思われるかもしれませんけれど、別にこの主張自体には何の意味もなくて、「そういう話を思い出すなあ」というだけのことです。いや、本当に。先の主張自体はまあ、そりゃそうだろう、って感じですし。この事実が果たしてどれほどの知名度があるのか分からないんですが、学部一回生の頃に仏教を齧っていた時期がわずかながらにあって、さっきのはそこで聞いた話です。『私たちは気がつけないけれど、外を歩いていたら蟻の一匹くらいは踏んでいるはずだよね』という感じの。一寸の虫にも五分の魂と言いますけれど、でもまあ当時から思っていたこととして、万人にとってもそうなのかと言えばそれはどうなんだろうという感じでして。全生命は等価値であるとする人がいれば、イルカが好きなので人間の次に価値があるのはイルカという人もいるでしょうし、イルカではなくて犬や猫の人、あるいは人間中心主義的な人も。全生命が等しく等価値であるという思想そのものは素晴らしいと本心からそう思うんですが、でもその考えに共鳴できない人に対してその主張は通らないんじゃないかなあ……っていう。反発を持っていたわけではなく、「それもそうだなあ」と思う一方でそんな感じのことも思うわけで。ほんの小さなことでも全員の思想を統一するということができないことを思えば、『命の価値』の定義を統一するなんてことは土台無理な話でして、だから『全生命は等価値である』という思想を強要することにも大した意味はなくて、じゃあ「多くの命を殺めている」ことはいったい何に繋がるんだろうっていう。『これは悪いことですよね? 私たちは無意識のうちにこのような罪悪をはたらいているのです』じゃなくって、もう少し別の結論を導くことももしかしたらできるんじゃないかなあと、当時からそういうことを漠然と考えていました。考えていただけですが。

 

 彼と少しだけ話す機会が最近あって、そのときに「自分たちの命の価値って普遍的に定義できるのかな」みたいなことを若干考え、「他人の命についてどうこう言うこと自体が烏滸がましいよなあ」という結論に落ち着きました。それは『生きている意味のない人間』という言葉に(ある意味で)端を発した会話だったんですが、「そこで言われる『意味』は誰にとっての意味なんだろう?」という。自分たちは全員違ったフィールドの上で生きているはずで、子どもは学校、主婦は家庭、芸能人はテレビの中、政治家は議会、個人個人で自己を見出す場所は異なっているはずなのに、誰かの言っていた『意味』という表現は、果たして正しく機能しているのかなあと思ったり思わなかったり。たとえばの話、通り魔的な犯行に及んだ人が『自分は価値のある人間だ』と声高に主張していたとしたら、それに対して反感を覚えるのは至極真っ当なことだと思うんですが、だからってその人の主張が否定できるのかと言えばそんなこともないだろうと、少なくとも自分はそう思います。なんていうか、個人個人が勝手に定義したらいいと思うんですよね、命の価値なんて、別に。本人が『自分は価値のある人間だ』と思っているならそれはそれでいいし、『自分は無価値な人間だ』と思っているならそれもそれでいいんじゃないかなって。前者に対して「いや、お前は何の役にも立ってないだろ」と思うことは勿論あるし、後者に対して「いや、お前は十分すぎるくらい役に立ってるだろ」と思うこともありますけれど、それは自分が勝手に思っているだけで、結局のところを決めるのは本人なわけですし、だからって手を差し伸べる行為が全くの無駄だとも思いませんし思えませんけれど、『命の意味』について本人以外が口出しするのってどうなのかなあ、って思ったり思わなかったりしました。まあ、他者の言葉によって肯定的に変化できた自分のような例もあるので、これもまた一概には言えないことだと思いますけれど。ともかく自分はそのような考えに基づいているので、人間中心主義だろうが動物愛護団体だろうが博愛主義者だろうが、その存在自体は許容されて然るべきという立場です。自己を定義するためだけに宿った思想は、それがどのような内容であれ気高く立派なものであると、自分はそのように思うので。

 

 なんか、久しぶりにこの手の記事で長文書いちゃいましたね。お疲れさまでした。

 

 

 

Recommend_3

 

 突然ですが、以下の URL にある共用プレイリストに曲を追加することで、僕に楽曲のダイマをすることができます。入れてくれたものは全部聴くので「これ良い曲なんだよな~」ってやつがあれば随時追加していってください(順でも斜でも構いません)(僕の好みとかは考慮しなくてよいです)(考慮してくれても当然よいです)(最初の五曲は自分で入れたものなので、好みを推測する際はその辺りを参考にしてください)。

 オタクサークル、作曲サークルに加えて、両者のいずれにも属さない Twitter 上の知り合いまで参戦してきて「待ってた~~~~」って感じです、いま。

 

 前回:Recommend_2 - 感情墓地

 

 

〇彗星のパラソル / Endorfin.

  僕がはじめにプレイリストへ入れた五曲のうちの一つ、『彗星のパラソル / Endorfin.』です。作曲が sky_delta(敬称略)、ボーカルが藍月なくる(敬称略)の二人ユニット。実は自分がずっと追いかけている数少ない同人アーティストグループの一つでもあります。というか数少ないも何も、今も昔も追いかけている同人作家って彼らのほかだと Neru や cosMo@暴走P くらいのものだと思いますが……(あとはじん(自然の敵P)とか kemu とか)。たしか高三の夏ですけど、『Luminous Rage / Endorfin.』を初めて聴いたときの衝撃をいまもまだ覚えてるんですよね。

 Endorfin.、めちゃくちゃ表現の幅が広くて(凄い)、カッコいい系以外にもカワイイ系の曲、バラード調、はてはポエトリーリーディングみたいなのまであるんですが、『彗星のパラソル / Endorfin.』は若干カッコいい系へステを振った綺麗系という感じの曲調ですね。この楽曲の収録されている『Horizon Claire』は 1st アルバムへの原点回帰的な側面もあるという話を作曲者・ボーカリストの二人がしていたようなしていなかったような気がして、その点で言えば『彗星のパラソル / Endorfin.』は『Spica / Endorfin.』の系譜なのかなあという気がします。どちらかを気に入ってくれたかたはもう一方もきっと好きになるはずなので是非。

 Endorfin.、曲が頗る良いんですが、歌詞もとても好きです。「歌詞が良くない(=好みでない)と聴けない」みたいな中二病期はとうの昔に過ぎ去ったものの、やっぱり歌詞が良い(=好みの)曲はついつい何度も聴いてしまうといいますか、たった一つのフレーズを聴くためだけに再生ボタンに指が触れたり、なんてことが結構数あります。前回紹介した『Aurora / BUMP OF CHICKEN』がそうですし、今回の『彗星のパラソル / Endorfin.』がそうですし、次回紹介するであろう『14歳のサマーソーダ / サンボンリボン』もそうですね。

 

 

〇bath room_ / Maison book girl

 めっちゃ良い!!!!!!!!!!!

 Maison book girl、だいたい六年前に結成された女性アイドルユニット。作曲はサウンドプロデューサーでもあるサクライケンタ(敬称略)。現代音楽にルーツのある人らしいという紹介が Wikipedia ではなされていましたが、曲を聴いてみると、たしかにその片鱗があるような気がします。

 七拍子! 四拍目の頭にあまり音が置かれないので 3+1+3 拍子って感じに聴こえますね。開幕からずっとリズムがめちゃくちゃにノリやすくて、変拍子特有の躓きをまるで感じさせないのが凄い。サビ、ボーカルとエレキと木琴(?)とベース(多分)が小節頭に同じ上昇形で動くのがマジでツボ。あと、前半と後半とでエレキの聴かせ方が変わってますよね。たとえばサビ、一度目は左右同じタイミングで鳴らしつつ、最後の一振りだけパンが中央に寄る(空間も消える)んですが、それが二度目と三度目は左右でタイミングが八分ズレる(右が八分音符ひとつ分遅れる)。A メロも何度か繰り返されますが、そこでも同じようなことをやっていますね。また B メロだと一度目は左右両方でエレキが鳴っていて、一方の二度目では左でしか鳴っていません。そういう聴き手を飽きさせない遊びが随所に感じられて、「そういうのもあるのか~」という気持ちになりました。

 めちゃくちゃ良い曲! 同アーティスト Maison book girl の曲だと、これのほかには『闇色の朝 / Maison book girl』を以前勧められて聴いたことがあります(言うまでもないけれど、勧めてきたのはこの曲を Recommend に入れたのと同一人物)。

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 これもめちゃくちゃに良かったので是非。曲単体でも十分に評価できるんですが、MV 込みで鑑賞するとより一層良いです(この作品については総合芸術という感じがする)(個人の感想)。

 それと変拍子っていうか、これはもしかしたらポリリズムなのかもしれませんけど、その区別もつかないくらい何をやっているのか分からないのにめちゃくちゃ良い曲の例として『ribbon / sora tob sakana』があります。「 spotify ねえよ!」って人は Youtube へ飛んでください。

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 それとついでに、僕の好きな変拍子曲についても載せておくと、たとえば『三ツ星カルテット / BUMP OF CHICKEN』があります。

 BUMP、実は変拍子をたまにやるんですよね(最近はそうでもないんですが)。この曲は間奏①(イントロ)→ A メロ→間奏①→ A メロ→サビ→間奏②→ A メロ→間奏①→ A メロ→サビ→間奏②(アウトロ)という構成で、そのうち『間奏①』だけが 6/4 拍子で、それ以外の『 A メロ』、『サビ』、『間奏②』は 5/4 拍子、それでいて『間奏②』は 5/4 拍子の中にしれっと 6/4 拍子が紛れていたりと、作曲センスの溢れる一曲だなと個人的には思っています。なのでオススメ! 演奏時間も 2:30 と短めでサッと聴けます。

 あとは『量子の海のリントヴルム / 黒猫ダンジョン』も絶対に推しておきたい。音楽ゲームjubeat』初出の楽曲です。

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 上の『三ツ星カルテット / BUMP OF CHICKEN』と比べると、さらに高度な作曲例ですね。上の動画をみればどんな拍子推移をしているかは分かるので説明は割愛させていただきますが……。音ゲー曲って基本的に原曲を聴く方法が購入かプレイ動画かしかなくて、他人に勧めづらいのがちょっと難点ですよね(まさか無断転載動画を勧めるわけにもいきませんし)。

 自分も全然知らないんですが、音ゲー曲、ゲームの性質上、簡単な変拍子から難しい変拍子まで色々とあってオススメです。個人的には『STAGE 0.ac11 / 増渕裕二』や『Innocent Tempest / Diceros Bicornis』も好きですね。

 

 

〇COMETIC SILHOUETTE / メルティックスター

 めっちゃくちゃに良い!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 アニメ『キラッとプリ☆チャン』の楽曲、ということで『My Secret heArtbeats / さら(cv.若井友希)』を入れたのと同一人物ですね(誰にでもできる推理)。作曲は矢鴇つかさ(敬称略)。アイマスでもよく目にする名前で『PRETTY DREAMER』の作曲者であり、音楽ゲーム『Cytus』なんかにも楽曲提供をされているみたいです(『Total Sphere / TSUKASA』の作曲者と同一人物であることを、僕はいまこの瞬間に初めて知りました)。

 A メロの『Longing For, … Chu Chu La』( 6→5→5# の半音移動を繰り返す)のとこも好きなんですが、それより B メロ! 曲名通りにマジの宇宙ですよ、これ。誇張とかじゃなくて、無重力空間みたいな浮遊感があるっていう話。

 B メロは(多分)IIIm7 始まりのメロディが 2(『今ラッと 空に踊る』)。頭から和音に対する第七音をぶつけて、そもそも浮遊感ありがちな 2 が際立っててめちゃくちゃ良い! その後は IV(M7?) を挟んで IIm が来るんですが、メロディは 5(『今キラッと 空(そ)に踊る』)。和音に対する第四音ですね。IIm の上の 5 って IVadd9 の上の 5 の強化版みたいなイメージを持ってるんですが、主音からの跳躍ということもあって割とイメージ通りに空を裂いて消えていく流れ星みたいな、どこか切ない尖った響きですね。良い!!!!! 『(星みたいに)』ではメロディが 4→3→4→3→4→3 の半音移動をします。これが好きだって話も前回しましたね。最後、『(星みたい)』のタイミングで(多分)IIIm/V に着地しています。安直に I へ行かないのが本当に良い! B メロでは I の和音が(多分)一度も出てきません。それと、所謂ビルドっぽい役割を担っている『(Up And Shooting Song,…)』の部分は IVM7 に対して 3 の音をぶつけていて(ベースとの半音衝突)、加えて臨時で入ってくる 2# を使ってメロが半音移動をするので、「いまからサビに行きますよ~」感が凄くてそれもまためちゃくちゃに良い! サビ直前、ボーカルが切れたところで入ってくるシンセが 2→2→1→3→2→1 で動くんですが、他に比べて 3 がロング(四分音符)になってるのも超良い。コードが V なので 6th shell っぽい感じの響きをしつつ、このシンセは 2 へ順次下降で解決するんですが、直後にボーカルが 3→4→5(『COMETIC SILHOUETTE』)と駆け上がる形で割り込んできて、一瞬の緊張と直後の解決感の全部を裏切ってサビへなだれ込むんですね。ここがマジで良すぎる。しかも、サビの頭のコードは IV(add9) なんですよ~~~~。IV の上の 5 から始まるサビ。これまで圧し掛かっていた重力を一気に振り切って大気圏外へ飛び出す感じ? 良い~~~~。

 B メロに文字数を割きすぎてサビや後半の間奏パートに触れるだけの余力がない。いやでもこの B メロはマジで良い! マジで良いです。是非聴いてください。

 

 

 今日はここまで。一曲あたりに文字数書きすぎちゃいました。良い曲ばかりで本当に頭があがらない。

 

 次回:Recommend_4 - 感情墓地