代理戦争


 夜、ありえないくらいに月が綺麗で雲も散り散りで、なんていうか、空が凪いでいた。川沿いのベンチから星を探して、代理戦争みたいだな、と思ったりもした。代理戦争の正確な意味を知らないまま雰囲気で使っているけれど。実際、何の代理なんだよって感じはするし、そう考えると別に的を射た表現でもなんでもないなって気持ちにもなる。マジで向いてないな、こういうの。なんていうか、いったい何が誠実で何が不誠実なのか、分かんなくなってくる。というか、考えれば考えるほど少なくとも誠実では決してないよな、こんなの。単に、そのままだと何となく嫌だから、って理由しかない。なかった。いやだから、そう、だから代理戦争なんだよな。戦の相手は自分自身だけど、だとしたら鏡の向こう側はいったい誰の代理なんだろうな。

 

 秘密。誰にだって秘密にしていることの一つや二つはあるよなと思っていて、それはそう。その秘密を共有することになった人は可能な限りその存在を秘匿すべきだろうし、それもそう。でも、これはもうどうしようもないこととして、人間はたとえば機械のように定めた通りにのみ動くような代物ではなくて、要は他人の口に戸は立てられず。いやもちろん共有者の秘匿意思が薄弱という場合だけじゃなくて、「この人には話してもいいかもしれない」みたいな、そういった前向きな判断に基づいて秘密の在処が伝播することだってあるはずで。そんなの、共有者が勝手に判断していいことではないのだけれど、とはいえ、そういうことが起こり得るのが人間関係だろうとも思うし。でも、だからそうなった場合、次のような構図が生まれ得るわけで。『 A さんの秘密を知っている B さん』と『 B さんから A さんの秘密を教えてもらった C さん』と『 B さんしか秘密を知らないと思っている A さん』。A さんと C さんが全くの無関係なら、まあ不都合らしい不都合は何も起こらないだろうと思う。けれどそうでなかった場合、なんか、なんだろうな。率直に言って、対等でない。対等じゃないじゃんか、だってあまりにも。こういった非対称に陥ることは先に言ったように、人間関係を構築していく上で珍しくもないはずと思っていて、でも、だからこうなったとき、次にどう動くかというのは選びようがあるよなと思っていて。責任の取り方っていうか、B さんにはそれを決定する義務があると思っていて。これまでに C さんの位置に立たされたことは何度かあってそのたびに、どうするんだろう、と思っていた。その秘密を自分が知っていることを元々の持ち主に教えなくていいのかな、って。というか、そのようにしてほしくて。自分が A さんと接触するときに色々考えちゃうから。「自分はこの人の秘密を知っているけれど、この人は自分が秘密を知っていることを知らないんだな」みたいな、後ろめたさにも似た何か。そういうの。あくまで自分に限った話だけれど、純粋な友達同士ではいられなくなるんよな。なんていうか、そういう非対称性があると。だから、自分が秘密を知っていることを、ちゃんと元々の持ち主に知らせていてくれていたら、自分はかなり安心できる。対等なままでいられるなーって思う。思った。いま、天を衝く勢いで自分自身を棚に上げている。

 

 何をどうすることが誠実なのかって、そんなの自分の言動ひとつを切り取ってみても判断できないし、ましてや。そもそも人に依るはず、そういうのは。だから、自分が正しいと信じられる結果を選び取っているならそれでいいんだよなとは思う。たとえ他の誰かの目にはそうみえなくたって。でも。でもなあ。でもなあって思うこともある。対等と非対称。場合に依るし、人に依るし、気分に依るし。そうして並べたいくつかの中の、じゃあいったいどこに誠実さは宿るんだろうって考えることも、そういう夜もあるにはある。