人生振り返り


 なんていうか、「そろそろ大学生活も終わるな~」と思いながら散歩していると、釣られて謎の人生振り返りタイムが始まったりして、だからここ最近はそういうことを考えている時間が少しだけ長いような気がする。自分はなんとなく抽象的な存在でありたいというか、いや、別にそんな大層に気取った考えを有しているわけでもないのだけれど、ただ、同世代の人たちと比べればインターネットコミュニティの中で育ってきた側の人間だろうから、どうしても自分の身の上話を他の人へ進んで伝えようという気にはならず。ところで、それ自体に興味を持っている人ってそんなに多くないだろうし、そもそもの話。というのもあって、だから、自分のこれまでを知っている人ってマジでいないよなと思いながら。それはそれとして、最近の脳内事情としては先述の謎めいた人生振り返りがあり。良い機会かもということでいまブログを書いている。というわけで人生振り返りをやる。

 

 小学校入学以前のことは、なんていうか、正直にいえば嫌な思い出のほうがずっと多い。家庭環境は普通だったと思うのだけれど、自分の場合、親戚関係の人たちと折り合いをつけるのがあんまり上手くなかった。ここら辺の話は昔ブログに書いたと思う、少しだけだけど。有体に言うと、よく分からなかったんだよな、相手のことが。たとえば誕生日にはめちゃくちゃ良い人そうな顔で祝ってくれるのに、一方でまた別の日にはめちゃくちゃキツく当たってきたりして。どういうこと? って。いまにして思えば「まあ、機嫌の良い日と悪い日くらい誰にだってあるよな」と納得してしまえる程度のことでしかないのだけれど、子どもの自分にとってそれは随分と困難なもので。だから、関わらないで済むならそうしていたいというのが当時の心境で、ところで幼少期の人間関係の大部分を親族が占めているので、もう本当にどうしようもなかった。親族関係での嫌なエピソードは本当に山ほどあるのだけれど、嫌なことばっかり話しても仕方がないので割愛。当時の印象をいまでもかなり引きずっているところがあって、というのも自分は親族と顔を合わせる機会を徹底的に避けている。なんていうか、やっぱり苦手意識があるんだと思う。

 実はこの頃がインターネットらしいインターネットに最も触れていた時期だったりする。当時はもう最盛期を過ぎて落ち着きつつあった FLASH 文化だけれど、それに触れたのがちょうどこれくらいで、当時、そうやって何かを生み出して発信する人たちの存在について何を思ったのかは覚えていないけれど、そうして生み出された作品たちの世界観……みたいなものには随分と憑りつかれた。その頃にはもう鉛筆と自由帳が友達で、パソコンの前にいないときは、インターネットから拾ってきた世界の断片みたいなものを白紙の上へ書き起こしてって、そういうことをずっとやっていたような気がする。もう全然覚えてないけど。

 他には、なんかあったかな。同じ保育園へ通っているメンバーとその家族(と言っても、だいたい母親だけ来る)とで、一泊二日の小旅行みたいなのをやったことがあった。たぶん、ギリギリ小学生じゃなかった気がする。嘘かもしれないけど、でも、小学生だとしてもかなり低学年の頃。日中に何をしたのかはあんまり覚えていなくて、いや、たしか、大きめのアスレチックみたいな、自然公園っぽい施設だったかな。そこで遊んだ。電車があった気がする、固定されて動かないやつ。どちらかというと夜時間のほうが印象に強い。二段ベッドが両側にそれぞれ置かれた部屋へ通じた扉が廊下の片側に連なっていて、もう片側は大きなガラス張りの、おおよそ草や木しかみえない窓になっていた。廊下を進むと少し開けたスペースがあって、橙の照明と、小さなテーブルと、あと自動販売機。とんでもなく深い夜だったように記憶しているけれど、でも、それはきっと幼少期の錯覚で、時間的にはまだ 21 時とか、それくらいだったんだろうなと思う。そのテーブルを数人で囲んで、そうして何かを話していた記憶がある。そこに誰がいたのかも、あるいは何について話していたのかも、いまとなっては全く覚えていないのだけれど、でも、それでもそういう記憶がたしかにあって。その夜を、いまでもたまに思い出したりする、深夜散歩のときなんかに。その開けた場所をさらに少し進むとフロアとフロアを区切るための大きな扉が廊下を遮っていて、それもたしかガラス張りだった。なんか、めっちゃ印象に残ってるな、あの扉。なんてことないただの扉だったのに、その日の夜の、なんていうか、日常から断絶されている感みたいなものを端的に表していたような、そんな気がする。

 

 小学生の頃。この頃もこの頃で良い思い出はあんまりないな。……嘘で、どうしたって嫌だったことのほうが先に思い出されてしまって、良かったことや嬉しかったことはなかなか思い出せないっていう、ただそれだけの話なんだけど。

 まず最初に書くべきは、やっぱり勉強のことなのかな。幼少期からずっと塾へ通っていて、そこでは数学だけを学んでいたのだけれど、だいたい所属学年より五つ六つくらいは上の内容をやっていた。どうなんだろ、当時はマジで凄いやつみたいな扱いをされていたけれど、ところで京大理学部数学科ともなると小学生の頃から高校数学やってましたくらいの人間、普通にいるしな。だからってまあ、昔の自分の努力を否定するわけではないのだけれど、ところで努力していたかと言われたらそれも微妙で。当時からもう既に自分の『課題をちゃんとやらない病』は始まっていて、いかに効率よくサボるかだけを考えて生きていた(三年生の頃には夏休みの課題を出さなくなっていた)。それでもなんだかんだで数学はずっとやっていたし、上へ上へと昇っていくこと自体は好きだったので、いまにして思えば、どうせ音楽習わないんだったらせめてそっちを真面目にやっとけよと思わなくはない(裏設定として、自分は「ピアノの習い事」と「塾」とを天秤にかけ後者を選択したという経緯がある)。思わなくはないけれど、当時の自分も当時の自分なりに自分にとって大切なものに時間を使っていたんだろうなとも思うし、だからやり直したいとかは別にないな。

 小学校へ入学すると何が起こるかというと、当たり前だけれど、活動の場として小学校という空間が解放される。当時の自分が好きだった場所は三つあって、中庭、非常階段、体育館裏。中庭は一、二年生の頃だった。一年生の詰められている校舎、職員室や保健室などの集まった校舎、さらにそこから直角に曲がって図書室やコンピュータ室なんかが集まった校舎。その三つで囲われている区画が中庭(と自分が呼んでいる場所)だった。そこまで広くはないけれど、とはいえ狭くもない。子どもの足で鬼ごっこをするにはちょうどいいくらいの、それくらいの広さだった。だいたいの小学生は中央玄関(縄跳びや花いちもんめをやっていた)や運動場(こっちは球技系)へ行くので中庭はいつも人が少なくて、それがお気に入りだった。あとはなんか微妙に遺跡っぽいというか、他の場所と比べてちょっと異質な雰囲気だったんだよな、中庭。それも気に入っていたのかも。他には、朝顔が置かれていたのもたしかこの中庭だったか。夏休みの前日に持って帰るのがめちゃくちゃ面倒だった記憶がある。次、非常階段。これは三、四年生のとき。三、四年生が詰め込まれている校舎は、さっきの一年生が詰め込まれている校舎と同じで、上階側だった。四年生のとき、自分たちのクラスはその最上階で、そこから音楽室などがある校舎へ繋がる連絡通路の途中に非常階段があった。他の階段みたいに綺麗に整備されたような感じではなくて、赤く錆びまくった、逆に何でここだけこんなに古いんだよってくらいのそれ。三、四年生の頃はそこが自分の、自分たちの居場所だった。楽しかったな。中庭よりもずっと明確に「ここが自分の居場所なんだな」と理解していたように思う。思えば当時から、自分は名前のある場所よりもこういう、なんでもないような場所のほうが好きだったのかも。名前っていうか、目的? 図書室では本を読むし、運動場では運動をするし、でも非常階段ってそうじゃないじゃんか。何をしなきゃいけないとか別になくて、そういうの。そういう場所が好きだったのかもしれない。体育館裏も、これは五、六年生のときだけれど、いってしまえば同じ理由で好きだったのかも。人は滅多に来ない。たまに鬼ごっこで逃げてきた人が迷い込んでくるくらい。体育館裏は秋のイメージがとても強くて、というのも秋になるとイチョウの葉がたくさん落ちていて綺麗だったから。体育館裏へは二通りのアクセスがあって、運動場に面した体育館の入り口側から裏へ回るか、あるいは六年生の校舎へ繋がる通路から(なかば段差を飛び降りていく形で)直接行くか。自分は後者の手段でよく足を運んでいた。イチョウの葉がたくさん落ちているのはそっちの道だった(入り口側は毎日、生徒の手によって清掃されるから)。

 この頃、とても仲の良かった友人が一人いた。彼は自分と同じくらい、というのは見栄を張っていて、自分よりもずっと頭が良かった。頭が良い上に人付き合いもよく、それでいて音楽やイラストの方面にも長けているという、自分の完全上位互換みたいなやつだった。自分は小学校の音楽発表会的なそれで弾いたこともないキーボードを志願したことがあるのだけれど、それはこの友人の影響だった。描いた漫画をみせあったりもしてたかな。とにかく自分と気質の合う相手だった。今後一生、彼と同じくらいに波長の合う相手と出会うことはないんじゃないかって、冗談でもそう思えるくらいには。ところで、彼とはもう何年も会っていなくて。今年で……、何年になるんだろ、八、九? いや七? 最後に会ったのがどこだったのか、それすら曖昧になっちゃってきてるんだよな。高二のときだったか、浪人のときだったか、そのどちらかだとは思うのだけれど。顔と名前はいまでも覚えているけれど、声や話し方まではもう思い出せないかも。会えるものなら会いたいな、と思うし実際に家の前まで行くことはこの数年で何度もあったけれど。なんだかなあ。たとえば喧嘩別れみたいに何か明確な理由があったならむしろ話が早かったのに、そういうのでもなく。これまでに構築した人間関係の中で最もどうしようもなく終わってしまったものの一つ。そう思う。

 そういえば、小学四年生のときに学校行事の一環でタイムカプセルを埋めた。一〇年後の自分へ宛てるメッセージということで。そして一〇年後、だから二〇か二一のときだったと思うけれど、地元の友人たちに「あのタイムカプセルを回収しに行くか?」と誘われたことがある。断った。明確な理由はあまり覚えていないのだけれど、ただ、そのタイムカプセルに埋めたメッセージ、そこに何を書いたのかをいまでも割とはっきり覚えてるんだよな。だから回収しに行かなかったんだと思う。ざっくり要約すれば『いまの自分が好きなものを一〇年後の自分には覚えていてほしいし、たまに思い出してほしい』みたいな、そんな感じのことを書いた。ほんとかよ、と思うけれど、たしかな記憶として刻まれているので間違いないはず。人間って変わんないなと思う、自分でも。

 

 中学校。自分は校区の小学校からそのまま同校区の中学校へ進学するという形をとり、また多くの同級生もそうしたので、中学に入ったからといって日常生活の枠組みで何かが大きく変わったということはなかった。強いて言うなら好きな場所がまた新しく生まれたくらい。今度は裏門に通じる傾斜 10°(たぶん)くらいのスロープ(車一台が通れる幅)だった。グラウンドや中庭といった、多くの生徒が利用する場所からは明らかに断絶されていて、その場所でぼんやりと時間を潰すのが何となく好きだった。あとは、中学生になったら同級生の数人が消えていて、そのときに初めて中学受験とかいうものの存在を知った。当時は、わざわざ別の中学へ行くなんてそんな物好きがいるんだな、くらいにしか思っていなかった。

 大きく変わったのは、塾か。たしか、姉が通っていたのと同じところだったと思う、通う塾が変わった。そこでは数学だけでなく、国語、英語、理科、社会も学ぶことになった。当たり前か、中学生だし。ところで自分は相も変わらず『課題をちゃんとやらない病』を患っていたので、それはもうめちゃくちゃに怒られた(当たり前だけれど中学校でも怒られており、だから評定は最悪だった)。当時の自分は捻くれていて、「でも、ちゃんと成績取ってれば文句ないでしょ?」というほうへ徐々にシフトし、いわゆる実力テストでは上位の成績をキープしつつ、ところで課題は全くやらずの姿勢を貫き、塾講のバイトをする身となったいまでは「相手したくねえ~~~」と思う中学生をやっていたな、と思う。要領だけはよかった、昔から。その塾で自分に数学を教えてくれた先生が、聞くところによれば京大出身らしかった。教え方が上手かったというか、なにかと親しみやすい人だったこともあって自分はその先生のことがかなり好きだった。だから京大という場所を意識したりもして、思えばそれが全部の起点だったのかもしれないな。あの二年間、あの小さな塾の一室にその人がいなければ、自分は京大へ来ていなかった可能性が非常に高い。

 ともなって友人関係も変わった。同じ塾へ通っている人と遊ぶ機会が格段に増えた。そのうちの一人がボーカロイド文化を追いかけていて、その人を経由して当時流行っていたボーカロイド楽曲を色々聴いていた。この頃になると昔ほどはインターネットを使ってはいなくて、だからニコニコ動画を観たりすることもなかった。ボーカロイドを用いた楽曲が、なんていうか、それまで自分の世界にあった音楽とはかけ離れていて、それで強く惹かれたというのはあったかもしれない。初めて借りた CD であるところの『初音ミクの消失』はめちゃくちゃに聴き込んだ。ボーカロイドを経由して DTM という概念を知った。当時、中学校で付き合いのあった知り合いにその手の分野に興味があったらしい人がいて、domino という MIDI シーケンサを紹介してもらった。それで何曲か作ったのが、実は自分の DTM の原点だったりはする。とはいえ当時作った音源は(一時期はインターネットに公開していたのだけれど)完全に消滅してしまったので、もう誰も聴くことはできない。

 中学三年生へ進級するタイミング、そのときに塾が解体された。解体っていうか、吸収なのかな。少なくとも、自分の通っている校舎はなくなるとのことだった。どうしたものかと思っていたところ、その校舎のいわゆる元締め的な、英語の先生だったのだけれど、その人から「別の校舎へ移らないか」と提案され、そしてそのようになった。移った先の校舎には、以前の校舎で理科と社会とをそれぞれ教えていた人たちもいて、人見知りを極めていた自分としても完全にアウェーという感じではなかった。そのどちらかが言っていた、「たぶん、あの人は自分の手で最後まで〇〇(自分の名前)を育てたかったんじゃないかな」。別の校舎へ移らないか、という提案に対する第三者の意見。当時は「へえ~」くらいにしか思わなかったけれど、でもまあいまでは、たしかにそういうことだったんだろうなって気がする。たぶん、それなりに期待をされていたんだろうと思う、中学の頃の自分は。課題を全然やらないくせに成績だけは無駄にいいから。ちゃんとやればもっと伸びるのに、みたいな気持ちがあったんだろうと思う、教える側には。

 授業時間自体は移る前と移った後とで変わらなかったのだけれど、単純に距離が変わった。最寄駅から電車で一〇か一一駅分くらい離れた場所まで通っていて、その塾自体も駅からそれなりに離れた場所に建っていたから、要は中学生ということも踏まえれば夜道が少し不安だった。というのがあって、塾から駅までは手の空いている先生(だいたいその理科の先生か、社会の先生かだった)が毎回付き添ってくれていた(いま思えばめちゃくちゃ面倒だったろうな、先生)。歩いて二五分くらい。片道二車線の大きな通り、歩道橋と橙の街灯があって、帰るくらいの時間になるともう車通りもそんなになくて。歩きながらいろんな話を聞いた。前の校舎でのこととか、学生時代のこととか、バンドをやっていたって話を聞いて驚いたこともあった。あとは、よく怒られた、課題をやってこなさすぎる件で。まあ、先生の側も半分くらい諦めていたのか冗談交じりって感じだったけど。これもいまにして思えばでしかないけれど、誰かと深夜散歩をするのが好きであることのルーツってここら辺にあったりするのかもなって思ったり思わなかったりする。

 中学生の頃、インターネット上のとある場所で小規模なコミュニティに属していた。属していたっていうか、……こういう書き方を自分でするのも変な感じだけれど、自分を中心に人が集まっていたような感じだった……のかも。自分専用のページみたいなものがあって、そこに毎晩数人が集まってチャットでやりとりするみたいな。そのうちの何人かとは実際に顔を合わせたこともあって、というのも比較的近く、自転車で数十分くらいの距離に住んでいたから。もちろん遠方に住んでいる人もいて、だから全員が全員そうだったわけではないのだけれど。あの時間が、割と自分の根本には根付いているのかも、といまでも思うことがある。ああやって偶然そこに居合わせただけの、顔も名前も声も知らない誰かと毎晩話をするっていう経験が。中学のどこかのタイミング。遠足で大阪城だかどこかへ出た日の夜だった。様々な事情が重なりに重なって、自分の手元からインターネット環境が一時的に失われた。するとどうなるかというのは想像に難くなくて、そのコミュニティは崩壊した。それはそう、中心にいた人がある日突然に音沙汰なくなったらそうなる。しばらくしてインターネット環境が復活し、それでいつものページへ飛んだときにはもう遅かった。たしか、一人だけ連絡のつく人がいたのかな。その人は、なんて言ってたっけ。……思い出せないな。たしか、自分より一つ年上で、あとは 1925(ボカロ曲)が好きって言ってた気がする。それくらいしか覚えてない。もしあのとき自分のインターネット環境が消滅するみたいな、そういう事態が起きていなかったらどうなってたんだろうと、当時はよく考えた。でも、変に一人ずつ消えていくみたいな、そういう悲しい終わり方をするくらいならああやって一瞬で終わらせてしまったほうがいっそ良かったのかもな、といまは思う。

 中学の頃にはまるで運命的な出会いがいくつもあって、そのうちの一つ。これもインターネットを介して出会った人だった。その人の趣味は作曲で、当時から自身の制作した楽曲をインターネット上で公開したりしていた。これが、たぶん自分の人生の中では一、二を争うレベルで大きな分岐点だったと思う。この人と出会っていなければ、自分が作曲に手を付けることなんてほとんどあり得なかっただろうから(万に一くらいの可能性はあったけれど)。中学から高校の間にかけて、その人には多くを教えてもらった。たとえば自分が FL Studio という DAW を使っている理由は、その人が当時使っていた DAWFL Studio だったから、ということ以外にない。めちゃくちゃ基礎的なところから応用まで、色々と。その人、いまではめちゃくちゃ有名な作曲家になってて、いや、本当に凄いんだよな。完全に雲の上。そんな人と中学の頃に出会って、しかも作曲の道へ自分を連れ出してくれたってのはなんていうか、別に信じてはいないけれど、運命なんて。でも、まるで運命的だな、と思わなくはない。これがなかったとして、そしたらいまの自分は一体何をやってたんだろうな。数学?

 

 長くなりすぎたので、とりあえずここまで。高校入学以降のことはまた気が向いたら書くかもしれない。