20220727


 なんか、ずっと昔から本当に受け入れられない考え方が一つあって。受け入れられないっていうか、正しくは自分の中にない思考回路ってことなんだけど。なんだろうな、変に例え話へ持ち込んだりすると却ってややこしくなりそうだから直接的に記すことにするけれど、「生きていてはいけない」とか「死んで当然」とか、そうやって他人の命を一方的に値踏みする考え方のこと。まだ小さかった頃、そういった考えを言いふらす人がものすごく身近なところにいて、そのたびに嫌な気持ちになっていた。そういうのを思い出した、今朝。

 怖いんだよな。なんていうか、まあ、そう。怖いって表現が最も感覚に適っていると思う。別に死刑制度に反対だとか、そういう話をしたいわけじゃない。というか、倫理面での諸問題とか持続可能性とか、そういうのを考慮していけば順当に同じ結論へ辿り着くんじゃないかとも思うし。だから、そのシステムについて思うところは特にない。そればかりはどうしようもないことだから。問題は、そうして死刑宣告を言い渡された人、いわゆる死刑囚に対して冒頭で書いたような「死んで当然」みたいなことを(思うのは勝手だとしても)なんでもないような顔で口にする人が事実として一定数いるということ。マジで怖いし、胸の辺りがざわざわする、その手の発言を見聞きすると。で、今朝くらいにそういうのを偶然見かけてしまって、ぞわってなったって話。と書いてみたはいいけれど、でもこういうの、分かんない人は一生分からないままなんだろうなとも思う。なんていうか、それ自体が一番の恐怖なんだよな、本当は。

 同じ直線上にいるな、と思う。思ってしまう。想像力の欠如だとか、そんな風に揶揄されるのもなんだか心外だから断るけれど、被害者側の気持ちを汲めないわけではない(とはいえ想像を遥かに絶している、当たり前だけれど)し、自分をその立場に置くことができないわけでもない(正しくは、その立場に置かれたつもりになるくらい。実際にその立場へ置かれることは叶わない(叶ってほしくもない)ので、どこまでいっても「分かったつもり」でしかない)。そんな大前提の話はしていない。なんていうか、まずもっての話だけれど、そもそも見分けがつかないんだわ。被害者および遺族のことを心から想って「死んで当然」という言葉を発しているのか、それとも、単に社会的弱者の立場にいる相手を扱き下ろしたいという利己的な事情のために「死んで当然」という言葉を発しているのか。本当に見分けがつかない、外からじゃ。前者ならいい。ところで、本心では後者の動機に基づいていながらも、自分自身は前者の立場を取っているのだと信じて疑えない人。疑わないんじゃなくて、疑えない。そういう人が一定数いる。いるようにみえる、自分の目には。そのことが本当に怖い。だって、証明じゃん、それは。どこかの誰かが一連の犯行へ至った経緯が、その実何も間違ってなんかいなかったって、そんな救いのない結論を人類規模で証明しているようにしかみえない。だから、同じ直線上にいるな、と思う。同じ。同じでしょ、だってさ。その二つって実際に人を殺したか、そうでないかの違いしかないじゃんか。あるいはもう殺したか、まだ殺していないか。その一点の差異でしかない。怖すぎる、普通に。自分は殺人なんて罪に手を染めませんって、だからその思い込みが一番怖いんだよ。

 

 いつだっけ。なんか、どこかの誰かが何らかの方法で自殺して(情報量、無)、それで一時期インターネットだか映像メディアだかで「死ぬなら一人で勝手に死ね」って言葉が流行ってたんだよな。その当時と似た感覚。本当に嫌だった。そうやって社会に蔓延った思想の澱が、どこかの誰かを自殺へと駆り立てるに違いないのに。……いやまあ、実際のところ、別にどうだっていいんだわ。そういう考え方の人がいたところで、どうだっていい。彼らの存在を認められないとかそんなことは全くないし、否定したいわけでもないし、感覚的に怖いとは思うけれど、でもまあ怖いだけだし。そもそも関係ない他人だし、たぶん一生の間に関わることもないだろうし。身近なところにいても問題なく、だって人間関係を構築する段階でちゃんと選んでいるから。誰だってそうだろうけど、自分だってそう。仲良くする相手は選んでる。自分にとってはそれで十分で、だから別にどうってことでもない、こんなの。