M3春2022

 

 M3 という同人音楽即売会へ出展側で参加しました。という書き出しは「 M3 ってなんぞ?」という人もきっといるはずと思ってのもので、要するに、他人に読まれることを想定した文章を久しぶりに書いています。なんていうか、本当の本当に久々なので、ところどころに変な言い回しがあったとしても大目にみてください。

 

 まずは M3 おつかれさまでした。そして、自分たちの作品を手に取ってくださった方々、本当にありがとうございます。当日、自分は大学構内で試験を受けていたのですが、昼休みの合間にみたメンバーからの売上報告に対して「想像の二万倍売れてる。」と返信したくらい。後述する話題のこともあって、それはもう本当に多大な驚きと感謝とが入り交じり、よく分かんない気分のままで昨日一日を終えました。繰り返しになりますが、本当にありがとうございました。

 マジ頑張って作ったのでマジ色んな人に聴いてほしく、そしてよければマジ買ってほしく。現物ではなくダウンロード販売になるのですが、以下のリンクから 600 円で購入可能なので、マジ試聴だけでもしてもらえるとめちゃくちゃ嬉しいです。自分は Tr.05『cor』、Tr.06『リスティラ』の作詞作編曲を担当しています。他の四曲もマジ最高で「いいアルバム作れたな〜」って気持ちです(他の四曲は残りのメンバーの力によるものですが)。

ダウンロード販売のサイト

mirinn.bandcamp.com

・XFD(試聴用音源)

youtu.be


 話しておきたいことは本当に星の数ほどあり、というのもこの半年間くらいずっと、水面下ではこのアルバムに関する諸々が動いていて。そしてそればかりでなく、もっと多くのたくさんが今回の一件には繋がっているなという感覚が自分にはあり。ところで、その全部を一から説明しようとするととんでもないことになってしまうのは想像に難くないので、今回は一先ず思いついたものから順に、具体的にはアルバム制作の動機やその関連事項について書き残しておこうかなと思います。

 

 改めまして、M3 おつかれさまでした。MIRINN のメンバーは勿論のこと、当日売り子をやってくれた二人、楽曲のミキシングについて何度も意見をくれた人たち、アルバム制作の動機をくれた同サークルの面々。先にも少し話した通り、様々な人々との繋がりがあってこそというか、月並みな表現に頼るとすれば、多くの人の助けによってようやく辿り着いたのが昨日だったんだなって気持ちです。アルバム制作の動機について話します。高校時代、マジの音楽未経験状態から作曲というものに手を出したのが自分で、当時、僕に DTM 関係の諸々を教えてくれたのが同人音楽界隈の方々でした。自分の曲が初めて M3 で販売されたのは、実は高校二年生の春にあった M3 のことなのですが、当時、コンピレーションへの参加を強く後押ししてくれた同人音楽界隈の方々がいなければ、とっくの昔に DTM なんてやめちゃってたかもなってくらいで。関西在住の高校生にとって、東京という場所はあまりに遠く、現実世界での交流はほとんど皆無だったのですが、インターネット上でのそれは間違いなくいまの自分まで繋がっているな、と実感することが大学進学以降も多々あり。「大学の作曲サークル、楽しそうだな」と初めて感じたのも、その辺りからだったような。そのくらい、って言葉にするのは簡単で、でもこれだと全然気持ちに追いついてないなって感覚はあるんですが、どんな言葉を割いても足りない気がするので、ここではそのくらいという言葉で片付けることにします。なにはともあれ、そのくらい、かつて過ごした三年間はいまの自分の在り方に深く関係していて。なので、有り体に言えば、ある種の憧れめいたものがあって。即売会的な場所で自分たちの音楽を売るという行為、あるいはそれによって生まれる関係性に対して。大学へ来てからもそんな感覚を漠然と抱えたまま、ただ自分も自分で結構卑屈なところがあって。卑屈という表現は違うかもだけど、なんだろ。「自分は別に大した人間じゃないしな」みたいな、いや、実際その通りなんですけど、実際にその通りだしなって気持ちにプラスアルファしてそう感じてしまう面があるというか。人間性的な部分でも、あるいは音楽的な部分でも。これには、だから自分のルーツ的な部分が多少は関係していて、音楽未経験だったんですよ、本当に。楽器を一瞬習っていたとかでもなし、右も左もドレミも分からない状態から作曲を始め、soundcloud とかに残ってるんですけど、当時の曲がまだ。自分は自分の曲大好きマンなので、昔の曲も当然のように好き(いまでもたまに聴く)なんですが、ただ、客観的には有象無象の一つだよなって感覚が当時からずっとあって。有象無象っていうか、有象無象にさえなれない何か? なんていうか、かつての自分が作ったものなのでなんとでも言えるんですが、それこそたとえば子どもの落書きのような、そんな感じの。それでいて、自分に作曲の楽しさを教えてくれた先述の同人音楽界隈人間たちは、それはもう本当に素敵な楽曲を手がける人たちばかりで。なんか、その界隈についてほとんど無知でも名前を聞いたことくらいはある、みたいな立場にまで現状上り詰めている人が結構数いるんですけど、そんな彼らは当時からずっと凄いままで。つまるところコンプレックスですよね、ある意味において。楽器経験有りとかズルじゃん、と思ってましたし、高校生の頃は本気で。「そんな自分が作った音楽だし」って気持ちが、だからずっとあったといえばずっとあったという話で。なんか、なんだろうな。同サークルならもしかすると心当たりのある人がいるかもしれませんが、対外的な音楽活動に対して自分があまり乗り気でなかったのも、割とこの辺りの感覚に由来するような気がしていて。……という裏話があるんですが、っていう紹介をするためだけに文字を割きすぎましたね。要するに、ポジティブとネガティブが同時に存在していて、どちらかといえば後者のほうにずっと傾いていたという話です。だから、ここで冒頭の話題へと戻り、様々な誰かとの繋がりがあってこそ、という気持ちが、だからいまの自分にはとても強くあります。本当に、自分ひとりだとこんな感じになっちゃうので、何事もなければ何事もないままで学生を終えていたのだろうなという感じがしていて。一年前。ちょうど一年前だねって話を昨夜したんですが、2021 年の 4 月 24 日、所属サークルの新歓ライブ。あの日、バンド部の五人が『未完成の春』を演奏してくれたあの瞬間から、だからもう全部が始まってたんだよなって感じで。一年越しに盛大な伏線回収をするみたいな。本当はもっとずっと前から始まっていて、たとえば自分が大学サークルへ所属した五年前から現在に至るまで、自分の音楽を何度も褒めてくれた同サークルの人達。何ひとつだって忘れていないとは言えませんが、それでも覚えていられる限りのことは覚えているつもりで、上に書いたような考え方をしていた自分に踏み出すための一歩をくれたのは、そういった、自分の周りにいてくれた人たちに他ならないというか。なので、当たり前のように感謝だってしています。それから、昨日の M3 に自分たちと合同スペースで参加した Pollaid さんも。

・Pollaid アルバム

pollaid.bandcamp.com

「 MIRINN でアルバムを作ろう」という話になった最大の要因は、大例会代替ライブが終わった後、鴨川沿いで駄弁るだけの夜で Pollaid アルバムの話がなされていたからでした。あれがなければ春M3に出ていた可能性は限りなくゼロに近いだろうと思うので、あの夜があって本当に良かったです。それと、言わずもがなですが MIRINN の人たち。彼ら彼女らは今回の一件に最も貢献してくれた方々で、もう本当に頭が上がりません。自分の進行がめちゃくちゃだったこともありほとんど全員にとんでもないデスマを強いる結果となってしまったのですが(マジ申し訳)、M3 が終わったあと「またなんかやりたいですね〜」みたいに話してくれたのは本当に嬉しかったです。またなんかやりましょう。あと、すべてが終わったら打ち上げをやりましょう、絶対に。……というのがアルバム制作の動機に関する事柄のおおよそです。なんか、なんだろうな。『リスティラ』にまつわる話はこのブログに限らず現実世界においても無限回しているので、またかよって自分でも思うんですけど。踏み出す一歩を信じて、その先にあったのがだから昨日という一日だったって話ですよね、結局のところ。MIRINN のメンバーとなら、マコトシアカ君、imanishi 君、りっか君、nion 君、なずしろさんの五人となら、絶対にもっと面白いことが出来るはず! と思った一年前の自分が昨日の今日まで見越していただなんて予定調和は当然なくて、ただの予感、あるいは衝動でしかなかったような感覚ですけれど。「信じる」という言葉を歌詞に使ったのは『リスティラ』が初めてだって話もたしかどこかで書いたはずで、だからつまりそれは、一年前のあの日がやってくるまでは何かを信じることなんてできなかったという話で。「そんな自分が作った音楽だし」。本当は何ひとつだって信じたくなんかなくて。最初から誰も何も信じたりなんかしなければ、翻って誰かや何かに裏切られたりすることもないという話で。正真正銘紛れもない真実と、そう断じてしまえるものに対して「信じる」なんて言葉を充てがうことはおおよそなく、信じたいと思うのはそれと同じくらいに強く疑っているから。疑うという行為は自分にとって何よりも大切なもので、一方で「信じる」という言葉はそれをまるで都合よく覆い隠してしまうような、そんな気がして。だから、その言葉を口にすることに対して結構な抵抗がありました。伝家の宝刀ではありませんけれど、ここぞというときにしか言いたくない類の言葉っていうか。その考え自体はいまも何ら変わりませんけれど、ただ、だからなんか、これも多分ブログに書いたり誰かに話したりをしたと思うんですけど。一年前のあの日、それから二週間あまりが経過した五月、当時はまだ曲名のなかった『リスティラ』の歌詞を真夜中の鴨川デルタでぼんやりと考えていたとき。「いまはまだ信じていたい」ってフレーズを不意に口ずさんだのは、だからもう自分にとっては本当に有り得ないことで。信じたっていいという気持ちは、だから本来、裏切られたっていいという気持ちと等価なはずで、少なくとも自分にとっては昔からずっとそうで。だって、顔を合わせたのはあの日が最初だったし、いまほど仲良くもなかったのに、それなのに、って。歌詞を書いた当時からいまに至るまでずっと、このことについては考えていて。裏切られたっていいだとか、そんな風に思える瞬間なんて滅多にないのに、それが今なのかっていう。でも、その先にあったのが、だから昨日という一日で。あるいは『リスティラ』が完成したことも、それを大学の学園祭テーマソングとして選んでもらえたことも、全部。その全部が、裏切られたっていいとあの日の自分に思わせてくれた MIRINN メンバー各位のおかげだって、そういう話です。だから、これだけ書いてもまだ全然足りないなって感じですけど、だからマジで本当にめちゃくちゃなくらい感謝しています、吉音バンド部にも MIRINN にも。書けば書くほど嘘っぽくなっちゃうので、これで最後にしますけれど、今回は本当にありがとうございました。ちゃんと完成させられて良かったし、嬉しかったです。これからもやっていきましょう、音楽を。

 

 本当は今回制作した楽曲の話とかも書きたかったんですけど、でもなんかこの時点で結構な文量になってしまっているので、それはまたの機会にしておきます。ありがたいことに、この M3 周りの諸々をきっかけにまた新しい話が進んでいて。大学生活の幕引きもついにカウントダウンが始まったって感じの頃合いですが、手元に残された時間の限りを使って、いまやれることを全部やりきりたいなって気持ちです、いまは。万物やっていきです。よろしくおねがいします。