野良猫、口約束


 ここ数日考えていたことについて。雑記。

 

 猫。野良猫を世話していた時期がある。世話していたというのは嘘で、……どこから話せばいい? 小学生当時、たぶん三年生とかそのくらい? もう少し前かもしれない。自分の住んでいた場所の近くにあった公園に、猫が住み着いていた。白と茶の毛が均等に混じった、本当に一般的な猫だったと思う。首輪もない。野良猫だなと思った。話は逸れるけれど、もう少し別の場所にも野良猫が山ほど住み着いている場所があって、裏路地のようなところなのだけれど。そこがお気に入りで、よく自転車を引っ張り出しては、停める場所もないのに一人で通っていた。野良猫。公園でみるのは初めてだった。公園といっても、それほど広くはない。どのくらいかというと、大学生が敷地内で鬼ごっこをしたとして、きっと五秒おきには鬼が入れ替わる。そのくらい狭い。子供の目にはいまの運動場と同じくらいに思えたけれど。ともかくある日、公園に野良猫がいて、彼は二、三日経ってもまだそこにいた。いまにして思えばよく分からないけれど、だから段ボールで家を作ってやった、居合わせた三人で。本当に分からないな、別にそれで寒さが凌げるわけでもないのに。でも、当時は何の疑問も持たなかった。そこにずっといるのなら、家があるのが自然。父親だか母親だか、たぶん母親、いや姉だったかもしれないけれど、猫が食べられるご飯を用意できないかと訊いたような記憶がある。嘘で、自分はそういうことを伝えたと思うが、向こうがどう受け取ったのかは知らない。聞き入れてもらえなかった気がする、たしか。別に飼いたいって言ってるわけじゃないのに、これだから大人は。そのまま公園へ戻って、野良猫に謝った。これはよく覚えている。日の暮れた公園が暗くて怖かったから。段ボール作りに参加していた一人が、家から何かを持ってきて、そのことに安堵したことも覚えている。その猫はしばらく公園にいた。学校から帰ってきたら、真っ先に向かうのは公園。そんな感じの数日が続いて、ある日の朝、野良猫はどこかへいなくなった。通学の途中に覗いた公園。ちっぽけな段ボールだけが残っていて、別になんてこともなかったけれど。放課後には帰ってきているかもしれないと思いもして、だけどそんなこともなかった。「ああ、いなくなっちゃったね」。自分を含めた三人は口々に言いあって、それからさらに数日もしたら誰も話題に出さなくなった。小学生の毎日なんて、まあそんなもの。それで大学生になった今。なんとなく、一年に一度くらいは思い出す。そういう野良猫がいたことを、一年に一度くらいは誰かに話す。あの猫はどこへ行ったんだろう。流石にもう死んでいると思う。少なめに見積もっても一五年は前のことなんだし、生きているとは思えない。野良猫なら尚更。でも、だけど、いまもどこかで生きていてくれたらいいなと思う。そんなわけがないけれど、願うだけなら勝手だし。「いまも思い出すから、だから生きている」。ついこの前、どこかで聞いた言葉。思い出すだけの相手はたくさんいて、それは人であっても猫であっても、最初から生きていなくたって。会いに行くことはできる、いつだって。野良猫にはあんまり触らないようにしていたけれど、でも公園に住み着いた彼には何度か触れたような気がするから、撫でることもできると思う。空の色も思い出せない、いつかの公園。生きているといえば生きている。……この言葉の意味を、意味というか意図を、あるいは裏側を、自分はあんまり呑み込めていないんだろうな。生きていてほしいと思う、やっぱり。いまもどこかで呼吸をしていてほしい、会えなくたっていいし、思い出せなくてもいいから。

 

 小学校から中学校までの間、一番仲の良い相手を一人連れて来いと突然言われたとして、それでも当時の自分は迷わなかったに違いないと思う。初めて接点を持ったのは、たぶん小学三年生の頃。同じクラスになったのがきっかけだったはず、あんまり覚えていない。彼、……でいいか。野良猫も彼と呼んでいたから紛らわしいけれど、どっちも別人だ。まあ、猫と混同することは流石にないだろうけれど。彼は、当時から認めていたこととして、自分よりも圧倒的に頭が良かった。頭が良かったというのは勉強ができるという意味でもそうだけれど、なんだか考え方が小学生っぽくないというか。いや、いまの自分が当時の彼と話をしたら「こどもだな」と感じるのだろうけれど、当時の彼は明らかに周りのクラスメイトと違う場所にいたように思える。それでいて、純粋な子供っぽさも持ち合わせていて、クラスの中心からは外れた場所にいたけれど、でも、何かがあればいつだって中心の輪へ飛び込んでいって、それでいて歓迎されるタイプの、とにかく変な奴だった。彼は自分に色んなものを教えてくれたと思う。たとえば、絵。自分は小学校から中学校にかけての間、よく絵を描いていた。元々好きだったというのはある、当然。でも、それはそれとして、彼の存在も大きかった。彼は漫画を描いていた。それをたまにクラスメイトにみせてはめちゃくちゃに面白がられていた、もちろん良い意味で。自分にそういう欲求があったわけではないけれど、凄い奴だなとは思っていた。というか、絵が上手かった、普通に。あとは、音楽。自分が作曲を始めたのは高校一年生、厳密には中学三年生の頃だけれど、音楽に興味をもったのはもう少し前のことで、たぶん小学六年生のとき。自分たちの教室には何故か電子キーボードが置かれていた。先生の趣味だと思う。楽器を習っている女子がたまに弾いていたそれを、彼が弾いてみせたことが何度かあった。彼はピアノを習っていて、そのとき「こいつ、マジで何でもできるな」と思ったのを覚えている。見様見真似で鍵盤を教えてもらった。まあ当たり前のように何にも身につかなかったけれど、だけど、その年度の音楽発表会で自分はキーボードを弾いている。自分から立候補した。いま思えば意味が分からないけれど、それは彼のおかげだ。それから中学生になって、二年生の頃だったと思う、彼の右腕を折った。故意ではない、不慮の延長線上にある事故だったけれど、とはいえ明確に自分が加害者で、彼は被害者だった。あんなにもあからさまに他人を傷つけてしまったのは、たぶんあれが初めてだと思う。当時の自分がどんなことを考えていたのか、あんまり思い出せない。彼の病室までお見舞いに行くのが、なんだかものすごく怖かったことだけ覚えている。不便を強いるわけにもいかないから、毎朝、登校時刻から逆算して彼の家まで行って、彼の分の荷物を持って歩いた。たまに明らかに遅刻しそうになって、彼の母親に車で送ってもらったりもした。そんなことをしているうちに高校生になり、彼と自分とは別々の高校へ進学した。いまとなってはそんな感覚もないけれど、高校生当時の感覚で言えば彼のほうが上のランクの高校に。学校が別々になると、接点は自動的に減っていく。それでもたまの休日に予定をあわせてゲーセンへ行ったりしていた。高校生になってからいつかの夏祭り、彼と久しぶりに話す機会があった。その頃にはもう進路のことを薄々考えていたのだろう、自分は訊いた。「どこの大学へ行こうとかあるの?」。彼はたしか曖昧な答えを返した。それから「行こうと思えば阪大でも京大でも行けるでしょ」。自分はその頃からなんとなく京大を志望していて「だったら一緒に京大へ行こう」と言った気がする。彼は、……どうだったんだろう、頷いたのかな。笑っていたような気もする、あんまり覚えていない。自分が京大を志した理由はいくつもあって、彼はその中の一つだった。だけど、たしか自分が浪人していたときだったと思う。突然、彼との連絡が一切つかなくなった。自分だけじゃない、同じコミュニティにいた全員が。誰も連絡が取れなくて、だけど自分たちは彼の家を知っているから、用があるなら直接会いに行けばいいだろうという話になって、だからインターホンを鳴らしてみた、一度だけ。でも、会えなかった。そのあと自分は京大に受かって、嘘みたいに。夏祭り、最後の最後。それっきり会えなくなるならもっと話すことはあっただろうに、ついでで交わしたどうだっていい口約束をひとりで叶えて、なんていうか、なんていうか。実家へ帰る機会はそれほど多くもないけれど、そのたびに彼の家の前を通る。遠回りなのに、わざと。歩きながら考える。いまならもう一度インターホンを押せるかな。表札も、自転車も、閉じっぱなしのカーテンも。小学生の頃から何も変わらないなと思って。何も変わんないのになと思って。ずっとそのまま。