アップデート

 

 なんていうか、自身の中で消化しきれず宙に浮いたままでいるような、有体に言うとそれの意味するところがよく分からないままの概念というのが、何年も生きていればまあ一つや二つくらいは出てきたりするじゃないですか。一つや二つどころじゃありませんけれど、まあそういうのがあるにはあって。たとえば自分は衣服の類にあんまり関心がなくて、それ自体をイコールでオシャレと結び付けてしまうのは些か強引すぎるような気もしますけれど、より広い概念で表すなら所謂オシャレに関心がなくて。その例ひとつだけで一般論チックに語ろうとするのもまた強引ですけれど、ただまあ、こういうのって気が付いたら手が届くようなところまで降りてきているようなものでもあるような気がしていて。関心が持てないのは、単にその対象に付随する諸々について多くを知らないからというのが大きいような気がしていて、経験則的に。これまでの家庭環境だったり人間関係だったり、そういったものの重なり方によっては興味を持てるような機会がそもそもなかったりするのかなと思うし、ごく自然に関心を持てた人からすると言い訳みたいに聞こえるかもしれませんけれど。というか、先述の通り、実際に自分がそういったことにあまり関心を持っていなかった人間の一人ではあったんですが、最近はそうでもなくなってきているというか、それがだから気が付いたら手が届くようなところまで降りてきているということですけれど。たとえば、これは Twitter なんかでたまに言及してるんですけど、いわゆるインナーカラーがかなり好きで。自分じゃ絶対にしないんですけど、街を歩いていてそれに類する頭髪の人間がいたら何となく目で追ってしまうし。その指向性がどこに端を発したものかといえば、まあ、はい、芹沢あさひさんです。いや、そもそもの話、インナーカラーとかいう概念をそれまで知らなくて。ビジュアル公開時に「え、めっちゃいいじゃん~~」となり、それからしばらくしてインナーカラーという概念の存在を知り、「もしかしなくてもこれが好きなのでは?」となり、実際にそうだったという話です。最初は格好いいってイメージだったんですが、現実のそれを見てみるとお洒落だなあという印象へ次第に切り替わっていき、何度も言うように自分じゃ絶対にしない(なぜなら染髪禁止のバイト先に務めているため)んですが、いいな~って思います(雑なまとめ)。それから、あれか。ピアスとか? 自分の知り合いにそういうのが好きっぽそうな人がいて。正直に言えば、自分はその類にマジで興味がなかったというか、なんなら「穴を開けてまでするもの?」と普通に思っていたんですが(失礼)。でも、そういったものを好んで身に着ける人の話を聞いているうちに、なんていうか、目線が変わってきますよね、色々と。自分のことに限って言うならば、興味を持てない理由の大半を占めているのは、マジで有体に言ってしまうと『何が良いのか分からない』という感情で。勘違いされないように言っておくと、『その対象に何の魅力も感じない』と言っているのではなく、これはそもそも自分の解像度が及んでいないという話で、だから『その対象のことを、その実何も知らない』と言っているのとほとんど同義なのですが。裏を返せば、それの面白みというか良さというか、そういったものを既に知っている人から話を色々と聞いてみるというのは、自身の関心を、拡大解釈すれば自身の認識世界を拡張するための最短経路というような気がしていて。ピアスだったり何だったりに対するそれは、たとえばその知り合いの影響が大きかったのかなと今では思います。ただ、自分と多少なりとも接点のある人なら分かるように、自分は基本的に相手の顔を直視しないので、普通に生活していてもピアスやら何やらの類に目が行くことって全くないんですよね……。悲しい。あとは、アレです、ネイル。ちょっと前にめちゃくちゃ綺麗な青をしたネイルを目にする機会があって。それまでは何の興味も関心もなかったし、なんならその類をみた記憶すらなかったんですが(これは嘘で、興味の薄いものは視覚情報として認識されにくいため、記憶として残っていないだけ)、そのものについて思わず訊ねてしまうくらいには綺麗な青だったんです、それが。いや、本当に。以来、ネイルとかもめちゃくちゃ良いな~と思うようになったという話をこの前に人としたんですが、これまた自分ではできないものの一つではあります。そのために毎日爪を整えるとか絶対に無理なんで……。いや、だからなんていうか、そういった分かりやすい綺麗さの裏に隠れているであろう日頃の努力なんかを思えば、マジですげえとならざるを得ないっていうか。その、いやだから本当に恥ずかしい話なんですけど、衣服だとか装飾品だとか、諸々をひっくるめたオシャレとかいう概念が、その個人のパーソナリティの一部分であるという認識が致命的に欠けていたんですよね、自分。最近になってようやくそういった風に考えるようになり、「この 23 年間、マジで何してた?」と改めて自己を顧みるなどしました、本当に。自分が誰かと話すのが好きだって話は、そしてその理由もまた、もうこのブログでは散々に書かれてあることで、簡単に言えば、相手の言葉遣いや表現を通じて自分のじゃない世界を覗き込む、その行為自体が好きなんです。……というのは、マジで何度も書いたことなんですが、一方で最近になって感じたことは何かといえば、「オシャレとかいう経路でもそれは実行可能なのでは?」ということで。というか、恐らくは任意の概念で可能なんだろうと思います、どうしたって会話は伴わざるを得ませんけれど。だからこれは要するに、自分の側にその電波をキャッチするだけの受容体がなかったというだけの話で、そういう意味での「この 23 年間、マジで何してた?」なんですよね。もう少しでも早くからそういった考え方を持てていれば、これまでに知り合った色んな人のもっと別の側面を知ることができていたのでは? という話で。……いや~、マジで勿体ないことをしてしまっていたような気がしています、いま。みたいなことを最近考えていました。

 なんていうか、という言葉から書き始めるのが癖みたいになっちゃってますけど、なんていうか、上のほうで『自分のじゃない世界を覗き込む、その行為自体が好き』みたいなことを書きましたけれど、でもこれって多分正しくなくて、……ということには随分前から気が付いていたのですけれど。いや、間違っているというわけではないんですが、ただ、より的を射た表現があるような気がするというか。自分が好んでいるのはどちらかといえばその行為自体ではなく、その結果として顕れる『自分の目にみえる世界が広がった感覚』なのだろうなあ、っていう。以前の記事でたしか書いたような記憶があるのですけれど、イラストで流水を描くために色々調べていたら、いつもの散歩道の脇を流れている川の見方が変わった、みたいな話。この記事ですね。

kazuha1221.hatenablog.com

そこでも同じようなことを書いていますけれど『世界がアップデートされていくような感覚』、上のほうでは『自身の認識世界を拡張する』とも言っていましたけれど。……これは別に自分が勝手に思っていることなので他人に押し付けるつもりは全くないんですが、抽象的な意味での世界の在り方を決定づけるのは他でもない自分自身というように自分は考えていて。だって、これは逆説的な物言いになってしまいますけれど、今の自分が知らないものを知ることはできないじゃないですか、何をどうしたって。たとえば、髪を染めている人なんて生まれてから何百人も目にしているはずなのに、インナーカラーの概念を知るまではまるでそもそも視界に映っていないみたいに気にも留めていませんでしたし、自分。でもなんていうか、それに付随する魅力だとか何だとか、そういった類を手にする機会が偶然あって、その結果として街を歩くときに感じることがまた少し変わったという話であって。そんなことを繰り返すたびに、やっぱり自分の側の問題なんだな~と思ってしまうというか。世界は今の自分が思っている何十倍も面白くて、楽しくて、美しくて。ただ、自分の側にそれを認識するためのアンテナがなかっただけなんだな、みたいな。……こんなことを言うとアレですけれど、自分もまあ普通に人間なので、自分のあまりよく知らないもので盛り上がっている人たちを目にすると、「何がそんなに面白いんだろう?」と思う瞬間はままあって。思うっていうか、なんだろ。隠さずに言うなら、ちょっと冷めた目で見てしまうというか。いや、でも、これがマジでよくなくて。なんなら早く捨てたいんですけど、こういうつまんない自分。でもまあ、そう感じる瞬間があること自体はもうどうにもならないっぽいので、そこは一旦諦めるとして、だからせめて抗う意思くらいは強く持っていないとなーと思っていて。自分の世界に閉じこもるのは簡単ですし、いま自分の手に収まっているものこそが最も価値のあるものだと定義してしまえば話は早くて。でも、自分はやっぱりつまらないと思ってしまうんですよね、そういうの。何度も言うように、これは全部自分ひとりに限った話で、別に誰に押し付けるつもりもないんですけど。だからまあざっくりとまとめに入ることにすると、この夏、というか 2021 年度前半戦を振り返って思うこととしては、そういう、『自分のまだ知らないもの』に対して興味を持てるような機会が増えそうな方向に頑張っていこう、という感じです。興味を持つこと、それ自体を目的にするのは前述の通りに無理っぽいので、だからそれに手の届くような機会を逃さないようにしたいということです。前半戦に獲得したアンテナはいくつかあって、上で取沙汰したインナーカラーだったりピアスだったりはもっと以前のことですけれど、最後のネイルなんかはそうですし、他に興味を惹かれたものとしては煙草とカメラ、あとはキーボードやベースなんかがあります。キーボードは恐らくそのうち買いますし、ベースは既に購入したんですが、一方の煙草は健康的な問題で、カメラは金銭的な問題でまだちょっと無理かなという感じ(煙草は金銭面のほうがヤバいらしいけど)。いやマジでここしばらくずっと「夜のコンビニでひとり煙草を燻らせつつ、空を見上げて溜息つきたすぎ?」と思っていますし、それはそれとして「バカみたいに重いカメラを構えて風景の写真撮りたすぎ?」とも思っていて。マジでただカッコつけたいだけのアレなんですが、それらを趣味(趣味か?)にする知り合いをみて「良いじゃん……」と思ったことを未だに覚えていて。でもまあ現実的なラインから攻めていったほうがいいことは確かなので、煙草やカメラは将来的な目標として据えておくことにして、とりあえずはオーバーサイズの黒パーカーを買いに行くところから始めようと思います。いやマジでいまありえないくらいほしくて。衣服の類に対して「ありえないくらいほしい」と思うこと自体はいつかの自分にとってはあり得ない話なのですが、いやでもマジでいまめちゃくちゃにほしくて。……という感情がどこから生じたかという話を最後にしめようと思うのですけれど、何を隠そう、小糸侑さんです(オタク)(実はここまで一息で喋っている)。8 巻 42 話。アレになりたすぎる、普通に。