st_r+rai_


『startrail』という楽曲について、今更のようにいろいろと書いてみようと思います。

 

kazuha1221.hatenablog.com


 というのも、学部二回生から四回生の間にかけて制作し、かつニコニコ動画なり YouTube なりへ投稿した楽曲については、以前の記事でだいたいのことを話してしまい、それですべてではないにせよ、文章に残しておきたかったことは概ねこのブログのどこかにあるという状況になっています。一方、『startrail』についてだけはまだ何も話せていないままというか。それはまあ、この楽曲が自分にとって特殊な立ち位置にあるからという理由もあるのですが、なんというか、それにしても、いい加減に言葉にしてしまってもいいのかなと数日前にふと思って。なんだろ、言い訳みたいになっちゃいますけれど、自分は自分の作ったものをできればそれ単体で評価してほしいと思っていて。自分がここであーだこーだと書いた内容だとか、あるいは普段の自分の言動だとか、そういったものに左右されてほしくないというか。だから、別に自分がどういうことを考えてこの曲を作ったのかとか、そんなことは本当にどうだってよくて、関係がなくて、だけど、それでも知ってほしいと思う自分がいて。なので、大っぴらに公言することはありませんけれど、こう、公開から結構な時を経た今更になって、『startrail』の話をブログの片隅に残しておこうかななんて、そういうことを思ったりしたわけでした。

 

 

 この曲の原案ができた日付を自分は今でも覚えていて、(記憶が間違っていなければ)それは 2019 年 12 月 23 日のことです。その前日に所属サークルの忘年会がありまして。それが終わってめちゃくちゃな気分のまま家まで帰ってきて、買ったばかりのギターをどうにもなんないなって気持ちで適当に鳴らして、そのときに浮かんだフレーズを次の日に目が覚めてから再構築して。原案と完成版とでは、やはりメロディの動き方だったりコードワークだったりが若干異なるものの、ワンコーラスはもうその時点で出来上がっていて。思えば、『startrail』は自分が初めて楽器を片手に制作した楽曲ということになるんですね。

 

 忘年会の会場やら帰り道やらで色々あって。まあ、色々。それはどこにでもあるような当たり前の話というか、別にこれまでの人生で一度も経験したことのないような出来事でもなかったはずなのに、当時の自分はそのことに酷く動揺してしまって。動揺っていうか……、適切な言葉が見つからないんですが、ともかくめちゃくちゃなアレになってしまって。なんだろう、これはただの例え話ですけれど、漫画とかでありがちな展開として、仲の良い友達から突然「実は転校するんだ」と告げられる、みたいなのがあるじゃないですか。当時の気分的には、あれが三連続で降りかかってきたような感じで。「もっと何かできたんじゃないのかなあ」みたいなことを思ったりもして、実際、その出来事が不可避なものであったとしても、それまでの自分にできたことは山ほどあったはずで。デッドラインを見誤っていたというか。現実的な側面から離れ離れになってしまうことが必然であるとして、だったらそれまでを目いっぱいに楽しみたいし、最後には手を振ってお別れしたいなと思ってもいて、なのに急に最終回がやってきたみたいな。「明日、貴方は死にますよ」なんて教えてくれる親切な死神がどこにもいないのと同じように、明日も今日と同じ景色が続くのかどうかなんて本来誰にも分からないはずで、だから言ってしまえばそれだけの話なのですけれど、当時の自分はそこを本当の意味で解っていなかったというか。あるいは、解ったような気になっていたことを教えられたというか。なにがって、この曲の直前に制作した『未完成の春』で『もう出会えなくたっていい』みたいなことを言っていたんですよね、当時の自分は。要するに今度こそは大丈夫だって気がしていて、なのにまた同じことを繰り返すんだなって。それが一昨年の末の出来事でした。

 

 どのくらいぐちゃぐちゃだったかというと、当時、いっそサークルを辞めてやろうかとも思っていたくらいで。なんていうか、意味がないと思ってしまったんです。その、誰かがいなくなってしまったあとの居場所に。「なんで俺、ここにいるんだろう?」みたいな。自己嫌悪っていうか、どんな顔してその場所にいればいいのかもよく分かんないし、何かをみて笑っている自分自身にすらムカつくっていうか。何ヘラヘラしてんの、みたいな。そんな感じの日が数日ほど続いて、少しづつ消化でき始めてきたのと同時に『startrail』の歌詞を書き始めて。サビの歌い出しは原案ができたのと同タイミングで頭の中にあったのですが、とはいえ、最初は本当に書き切れる気がしなかったっていうか。いつもそんな感じですけれど、自分は手に持っていないものについては書けなくて、それを無理に書こうとすると嘘になるし、嘘は書きたくないし。でも、なんだろう、そのときの自分が持っていたものといえば、それはもうぐっちゃぐちゃのめちゃくちゃでしかなかったわけで。何を書くべきなのかとか、そもそも何を書きたいのかだとか、そういうのをずっと考えて、罪滅ぼしみたいに。そうして言葉を並べてみて、でも何を書こうとしても溜息みたいになるっていうか、嫌な風に映りそうな、あるいは呪いのような。なにも自分は溜息を吐きたいわけじゃなくって、ただ、今更間に合わなくても何かをしたかったというだけで。そこを履き違えられたくはなかったというか、今みたいにこうして何千もの文字数を割いて説明するのではなく、歌詞という媒体に頼るというのであれば、そこだけは絶対にまっすぐ伝えなきゃいけないと思って。『自分だけのための唄』というフレーズはその辺りから浮かんできたものだったり。結局、誰かのために何かがしたいだなんて高尚なことは微塵も考えていなくって、曲を作って歌詞を書いて、どうしてそんなことをしているのかといえば、それは自分がそうしたかったからというか。ただ単に自分が苦しかったからという、ただそれだけの話で。『startrail』で書こうとしたものが当時の自分にとって酷く重大な事態であったからこそ、それだけは絶対に間違えちゃいけないという気がして。だからあの曲は『自分だけのための唄』でしかないというか、自分の作る曲なんてどれにしたって自分だけのためのものでしかありませんけれど、そんな当たり前をわざわざ歌詞にまでしたのはそういった理由がありました。

 

 特殊な立ち位置にあるだけあって、核心に触れるようなことはやっぱり何も書けませんでしたけれど、『startrail』という曲が結局はどういうものだったのか、これくらいの字数を割けば分かる人には分かるくらいのものになるんじゃないかなって。『青』も『透明』も『君』も『夜明け』も、そのどれもがただの手癖で入れた言葉ではなくって、それ相応の意味と理由を以て、結果として歌詞の一部に組み込まれたものだったといいますか。とはいえ、なんだろ、これだけのことを散々書いておいてどの口がという感じですけれど、はじめにも言ったように、自分がどういった思いでこの曲や詞を作っていようがそれは作品の価値には一切の関係がなくて。だからまあ、それくらいのアレで適当に忘れてもらえればと思います。