星を繰り返す

 

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 リスティラを英語で書くと restella になるということは、制作に関わったメンバーたちは恐らく共有していたファイル名か何かで知っていたりいなかったりするのかもと思いつつ。11 月ライブの途中、外へ食べに出た帰り道に、うち一人とそういう話をしたりした。re は英単語の接頭辞で「~繰り返す」の意味。stella はラテン語で「星」の意味。だから、リスティラという単語をそのまま訳すと「星を繰り返す」になるのだけれど、繰り返すって何を? そういう話。これ、note かあるいはあふきちかにそのうち書こうと思って、実際に途中まで書いていたのだけれど、でもなんていうか、あんまりありきたりに書きすぎるのもよくないのかもと思って、結局ゴミ箱へ捨ててしまった(嘘で、ちゃんと残している)。星。全部で三回。

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星という概念はこの曲にとってそれなりに大切にされているもので。歌い出しにも歌い終わりにも、そして曲名にも組み込まれていることから分かってもらえるはず、たぶん。でも、その辺りにどういった裏話があるのかを話すには、自分がどんな感じのスタンスで作詞をしているかについてをまず説明する必要があるのかも。作詞。自分は実体験ベースで歌詞を書くことが多く、というかほとんど全部がそれ。ところで、自分のみているものをそのまま歌詞にしたってしょうがないよなと思う自分がいて。自分じゃない誰かがそれをやっていたとしても別に何とも思わないのだけれど、ただ、自分がそれを実行するという一点に限っていえば、意味がないよな、と思ってしまったりする。意味がない、は言い過ぎかもだけど。自分は、たとえばこんな風にああだこうだと書き散らかせる場所を持っていて、表現さえ選ばないのであれば、だから本当はどんなことだって言葉に直してしまえるはず。実際、そうすることはある。たとえば、つい先日の散歩で感じたこととか。ああやって、全部を言葉にしてしまってもいい、別に。でも、それじゃ意味がないんだよな、と思うこともある。だってそれなら Twitter で事足りるし。思っていることを言葉に直すという作業は、悪く言えば消費だと思う。消費。消化、でもいい。自分の内側にしかないものって、そのままで放っている限りは色も形も持っていないはずで。それを与えるためにあるのが言葉だと思っている、少なくとも自分は。みえないはずのものを言葉によって区切って、染めて、可視化して。その行為を整理という表現によって理解することもできる。だけど、それって消費でもあるわけじゃん、と思ってしまう、自分は。そういうことをたくさんやってきたから、尚更。なので、しないときはしない。するときはするけれど、それこそ数日前みたく。そんなわけで、手付かずのまま留まっているものがたくさんあって、内側に。そのまま言葉に起こすよりももっと適切な方法で、もっとちゃんとした色と形を与えられるんじゃないかなと思う瞬間もあって、そういうのがたとえば歌詞になったりする、という話。歌詞が歌詞として在るためには音楽が必要で、そこから作り始めないといけなくて。安易に消費してしまいたくもないから、わざわざ手間暇をかけて可視化するっていう、言ってしまえばまあそれだけの話。バンド部。いやだから、「バンド部最高でした! めっちゃ感動しました!」ってツイートするだけで済む話だし、というか実際にそういったツイートはしたかもしれないし、なんならブログにだって書いたけれど、ライブ直後に。でも、それだけで片づけてしまいたくもないっていうか、薄まってしまうような気がして、自分の中で。だから曲を作ろうという発想。言葉を信用していない。大して感動していなくたって、それでも感動したとは言えるから。そうでないことの証明みたいな、自己満足の。ちょっと逸れすぎたかも。とにかく、自分は実体験ベースで歌詞を書くことが多くて、でもその経験をそのまま出力することってなくて、上に述べたような理由などから(他にもたくさんある)。なので何をするかというと、いわゆるレイヤーのような。自分の実体験を下に敷いたまま、その上に架空の光景をなぞるみたいにして。そんな気持ちで歌詞を書いたりする。リスティラ。他の人たちはどう読むんだろう、この歌詞。自分は裏側を全部知ってしまっているから、何も知らない人がみたときにどう映るのかの想像が、あんまり上手くできていない。……この先、この記事の最後までずっとネタバレが続きそうなので注意。一応。思うに、どうなんだろう、マジで分かんないな。どんなストーリーとして映るんだろう、これ。数日前に人が Twitter で言及しているのをみて、リスティラの歌詞に。いや、分かんない。もしかしたら同じようなフレーズのある、全く別の曲について触れていたのかもしれないけれど。『いつかの帰り道』と『あの日の帰り道』。どう映ってるんだろうな、と思った。そういうことを思って、数日前に。だから、いまになって思い出したみたいにこういうことを書いている、という裏話。閑話休題。とにかく自分の歌詞の下地には明確な実体験があって。別に言ってしまってもいいんだよな、このくらい。だって八か月前に書いた歌詞だし、時効よ時効。このくらい埋めておけばネタバレ阻止は大丈夫? たとえば歌い出し、『星に眩んだ一瞬』に始まるフレーズ。何に何をレイヤーしたかという話で、上に乗っかっているほうは分かりやすい。「星をみたことがあって、とても綺麗な。ちょっと昔のことだけど、だけどいまでもちゃんと覚えている」って、素直に読むのならそれだけのこと。ところで、下に敷かれているもの。こっちは自分しか知らない。星。冒頭でも言っていたけれど、リスティラにおいて「星」はとても大切な言葉で。受験生の頃によく言われた、現代文はタイトルと最初の一文と最後の一文を読めって。全部に入っている、「星」。それって、つまりはバンド部のことなんよな、結局。11 月ライブのときに話したと思う、二人くらいに。『遥か向こうに見上げた空』、これはライブステージのこと。自分は少し離れて客席側にいたから、それでも見上げるって程ではないけれど、でも若干の高低差があって。『眩んだ』のは、たとえばステージのライトが眩しかったから、物理的に。そこに別のものがレイヤーされている、感動だとか、憧憬だとか、そういうの。だから、ここまで書いてしまえば結構なネタバレだよなという感じがしてくるけれど、「バンド部最高でした! めっちゃ感動しました!」でしかないんだよな、この歌い出し。歌い出しに限らないけれど。もちろん、バンド部のことだけじゃない、たくさんの文脈が其処にあって。でも、何よりも大きなものの一つとしてバンド部があったっていう、そういう話。リスティラ。re+stella、「星を繰り返す」。繰り返すということは、つまり最初の一回目はもう既にあったということ。みつけあう合言葉。そんなものは必要ないけれど、でも、だからちゃんとあるんよな、ここに。そういう曲、「リスティラ」は。これだけ書いても、まだ言ってないことのほうが、それでも多いような気がするな。そんなことないのかな。いやでもだって歌詞だけでもこんななのに、音楽的なアプローチから詰め込んでいるものも幾つかあって。足りないなあ、と思う。足りない。なんていうか、だからこれが真ん中あたりでだらだらと言っていたことで、安易に言葉にしたくないっていう、それ。言葉じゃ足りないから。最近そういう歌詞を書いて、でもこれ自体はずっと前から思ってること。それこそ、「じゃあね、また明日」とかを作ったくらいの、学部二回生の頃から。言葉を信用していない、もそうだけれど。思ったこととか言いたいこととか、目にはみえない何かに適う言葉を探してみて、近似値的なものならいくつだってみつけられるけれど、でも所詮は近似値っていうか。無限回の近似ができるならそれでよくて、だけど自分たちに扱えるのは有限のものだけだし。足りない、どんなに選んだって。だから音楽なんだよな~、という感じ。一切の説明を放棄した、いま。でも、まあそんな感じ。せっかくだし、あともう少しだけ書こうかなという気持ちになってきた。誰にも話していないし、どこにも書いていない。リスティラで自分が一番気に入っているのは、いや、だからこの話をしようと思ったんだろうな。その、数日前に言及されているのをみた、『あの日の帰り道』。正確にはその近辺だけれど。歌い出しでは『空』、一人称の見上げているものが。一番サビではもう少し具体的に、それは『夜空』だったんだと分かって。そこから転調、間奏を挟んで元の調に。転調先のコードを使うから、ここでの『まだ覚えている』は高めのメロディで歌う。二サビでは言及しない。最後。ラスサビでは『見上げた夜空は』と言った後に、それを補う形として『星空は』というフレーズが入ってきて。最後は転調しない、だから『まだ覚えている』はそれまでの二回よりもずっと低い。リスティラのことを「まだ覚えていると確かめるための唄」という風に紹介した記憶があって、そのフレーズ自体は全部で三回ある。歌い出しと、一サビと、ラスサビで三回。でも、最後のそれだけが明確に違うというか、自分の中では。心情の変化って言ってたっけ。あくまで自分の中のイメージとして、高いトーンのフレーズはなんだか遠くへ叫んでいるみたいに聞こえて。逆に低いトーンのフレーズはなんだか独り言みたいというか、まるで何かを確かめるみたいな。BUMP ばっかり聴いているせいかもしれないけれど、そう思うのは。あとはまあ単純に声量の問題とか、あるいは帯域的な話もあるのかな、よく分かんないけど。でもまあそういうイメージがあって。音と歌詞の調和。自分がよく言っているアレ。自己満足だけど、それがめちゃくちゃ上手く機能したなと思ってて、曲のテーマ的な視点からみたときに。あの日、みていたものは星空だった。その呟きが遠くの誰かまで届く必要はなくて、自分ひとりに聞こえたらそれでいいことだから。「いつも」と「あの日」の話も最後に。いまでも覚えてる、その日はめちゃくちゃに眠くて。どうしてかというと、当日の朝までアートワーク作成のデッドラインに追われていたから。半分寝てる頭でライブへ行って、でも当日はそんなのがどうでもよくなるくらいに楽しくて。遅くまで話したりして、初めましての人もたくさんいたし、あの日は。それで後始末のゴミを BOX まで運んで、でも、そこで睡魔が来たんよな、ようやっと。ゴミの分別なんかをやるフェーズがあったんだと思う、恐らくは。一方で自分はめちゃくちゃに眠かったから、だから BOX へは上がらずにそのまま帰らせてもらうことにして。大学に入ってから数年あまり、もう何度歩いたんだって道。空を見上げていたことも、あの辺りは電線がたくさんあって楽しいから。ひとりきり、いつもの帰り道。いつもと言ってしまえばそれまでじゃんと思っていて、自分たちの一日なんて。いつもの繰り返しでしかないし、昨日も今日も、きっと明日も。でもなんていうか、「今日だけは」と思った自分が、ほんの一瞬だったとしてもたしかにちゃんといたはずで。忘れたくない、そういうのを。いつもの繰り返しだって知っていても、それでも。だから『あの日の帰り道』。無数に通り過ぎてきたものの一つに名前をつけたかったっていう、それだけ。裏話。調子に乗って書きすぎたかも。