流れ星


 近況報告。一月頃から制作を進めていた楽曲が完成しました。公開までにはまだ少し時間を要すると思われますが、どこかしらでそのうち発表されると思います。その際は是非に。それと、これはつい先日のことですが、めでたく学部卒が確定しました。いや~、頑張ったと思う。まあ、頑張らざるを得なくなったのは過去の(主には三回生の)自分のせいなので、自業自得もいいところですけれど……。四回生前期開始時点で卒業には残り 36 単位が必要、という状況を認識したときには、さしもの自分も「いくらなんでもヤバくね……?」と震えたものですが、今となっては「追い込まれれば、案外何とかなるものだな」と他人事のように感じてしまいます。喉元過ぎればなんとやら。……実際は、卒業者名簿を確認するまで内心ビビッてたんですが。終わり良ければ総て良し、ということで。

 

 ここ最近考えていたことについて書きます。

 

 京都に越してきてから、この三月でちょうど四年目になるかと思うのですが、なんとなく感じることとして、そこら中に思い出が散らばっているような。なんていうか、どこを歩いてみても、その場所をいつか一緒に歩いた誰かの姿を思い出してしまうというか。どこを歩いてみても、なんていうのは本当は嘘で、一人でしか行ったことのない場所なんていくらでもあるのですけれど、でも、そうしてたしかに在るはずの隙間を不意に忘れてしまうくらいに、誰かの声が聞こえてくるような。僕の地元は比較的近いので、向こうの道もそこそこの頻度で歩くのですけれど、「感覚が全然違う」と以前思って。地元の道を歩いてみても、かつての自分はその場所に誰といたのか、という情報が部分的に欠落してしまっていて。今でも覚えていることはそれなりにあるのですけれど……、なんだろう、強度が足りないというか。それは、もしかすると単純に『昔のことだから』で片づけてしまえることなのかもしれないし、あるいは、自分がそれほど他人に関心を持っていなかったからなのかもしれないし。理由は定かでないものの、しかし結果としてはそうなっていて。そういうのってなんか寂しいなって、そんなことを考えていました。
 自分が歌詞を書くときにやたら使うことで有名な『声』という名詞は、なんていうか、より普遍的な言葉に翻訳するとすれば『想起される』という意味になるのですけれど、でも、自分の感覚的に言えばそれは『声』なのかな、という話で。信号とか、カーブミラーとか、上り坂とか、店のシャッターとか、横断歩道とか、河沿いとか。認識する方法は何だってよくて、ともかく、その対象に触れてしまうと関連して浮かび上がってくる記憶のような様々の総称。特に、誰かとの会話に基づく記憶のことを自分は『声』とラベリングしているような気がして。これは一部の人間にしか伝わらない一文ですけれど、だから、流星にだって声を聴く。あの曲の歌詞はそのワンフレーズをトリガーにして書かれたものでした。話題が飛んじゃいますが、この世界って嘘ばっかだなって思うことが昔は多くって。昔というのはだいたい高校生から学部二回生くらいの頃にかけてのことで、今ではそんなことは全くないのですけれど。そんな中で、「これは本物に違いない」と信じることさえもしない、「これが本物であると私は知っている」と言ってしまえるようなものが一つだけあって、それが自分にとっては他者との関係だったという話で。建前も、本音も、嘘も、本当も。そんなのは全部どうだってよくて、自分と誰か、それらがちゃんとどこかにはあったのだということ。思えば、自分はずっとそういう歌詞ばっかり書いていて、初めてちゃんとした歌詞を書き上げたときからもうずっと。こればっかりはこの先も変わらないような気がします。それこそ、パラダイムシフト的な何かが降ってこない限りは。

 

 言葉にすると嘘っぽくなるので抽象的な話ばっかり書いちゃいましたけれど、まあそんな感じでした。
 新曲が公開されたときは、是非ともよろしくお願いします(二回目)。