変わったこと


 実を言うと、自分はマスクというものがあまり好きではなくて。という話の発端がどこにあるのか、あまりにも昔のことすぎてはっきりとは思い出せないのですが、今でも覚えているのは小学校に入ってすぐのことです。自分の通っていた小学校は給食制でして、お昼ご飯の時間になれば週ごとにローテーションされる役割分担に従って、授業終わりのクラスメイト達が一斉に動き始めるわけです。その当時からもうずっと思っていたこととしては、そのときにいちいちマスクをつけるのが本当に面倒で。いまはどうなのか知りませんけれど、自分たちの頃に主流だったのはガーゼ(?)のマスクだったんです。あの、いかにも防御力のなさそうな。「これつける意味あるのかなあ」と子供心ながらに思っていて。結論としては『つける意味はある』だと思うんですが、しかしまあ小学生当時の自分としては「息苦しいし、耳痛いし、そもそも面倒だし」という風にしか考えることができず。以来、自分は大のマスク嫌いとなり、人並みの花粉症を患っているくせに、いま世間を騒がせている某ウイルスが流行し始めるまで、マスクとはほとんど無縁の生活を送っていました(風邪をここ数年ひいていないということもある)。いやもう、面倒ってのは何より大きな理由だったんですが、マスクってどうやっても眼鏡が曇るんですよ、特に冬場。なんか、もっとちゃんとした何かを購入すればその点も改善されるのかもしれませんが、しかし衛生的な性能が向上するのならまだしも、機能的な部分にお金を割けるほどの余裕もこだわりも持ち合わせていないので、「だったら別につけなくていいじゃん」っていう。世情が世情なので、昨今は外出時にマスクをしていないことのほうが稀ですけれど、仮に人間社会がこのような状況に陥らなかったとすれば、自分は今でもマスクを煙たがっていたのだろうなあということは想像に難くないですね。だってまあ、避け続けている以上はそこが好転する理由なんてありませんから。

 ところが最近はマスクをつけるのも楽しいなあと思えるようになってきて。きっかけは一一月の終わりに舞鶴へ行ったときなのですが、突発的に計画されたため、京都を発ち向こうへ着いた頃にはすっかり日が暮れていて。赤レンガだったり軍艦だったりを観るという目的はそれでも十分に達せられたので良かった(むしろ軍艦は夜のが映えるのかも)のですが、そろそろ帰ろうかとなり駐車場へ向かう途中のこと。一一月末の海沿いということもあり辺りは結構冷え込んでいて、その日も当然のようにマスクを着用していたので、マスクから漏れた息で眼鏡が曇っちゃって。今にして思えば、別にそれよりも前の日にも眼鏡が曇った夜なんてあったのかもしれませんけれど、少なくとも自分はそのときまで気づいていなくて。だだっ広い駐車場を点々と照らす白色照明を見上げて、曇ったレンズ越しに。そしたら光線が分散されるのか、普通に見たらただの真っ白な灯りなのに、赤、黄、青、スペクトルみたいに見えるんだってことにふと気がついて。それからはなんていうか、マスクのせいでレンズが曇ることもさほど嫌じゃなくなったというか。いやまあ、本当に光源以外の何も視界に映らなくなるので、車通りの少ないところとかじゃないと危険極まりないのですけれど。でも、本当に綺麗なんですよ、虹や月暈みたいで。それに光源の種類によって見え方が違っていて、信号だとか店の看板だとか教会の十字マークだとか。いろんな光源を曇ったレンズで覗き込んでみて、「ああ、これはこういうぼやけ方をするのか」みたいな。いつも通りの帰り道でも、ちょっとしたことで楽しくなるなあと思って。もう、二月頭の夜ともなれば鬱陶しいほどにレンズは曇るんですが、それでもまあ、それはそれで楽しいからいっかと思えるようになったのは、某ウイルスが流行し始めて以降の割と明確な変化の一つですね。

 

 近況。ここ最近、一日あたり十時間以上は作曲に向き合っているのですけれど、「良いじゃんこれ!」と「本当にこれでいいのか?」の間を反復横跳びし続けています。予め設定しておいた一次締め切りまで一週間を切っているので、今夜も泣き喚きながらの作業になりそうです。助けて~~~~。