20221215


 近況。ずっと修論を書いている。それとバイトとへ割かねばならない時間量が半端でないので、ブログの更新をずっとサボっている。よくないな~と思って、思ったのでこうしていまワードパッドに文字を打ち込んでいる。いや、よくないってことは何もないんだけど。でも、何かしらで記録に残しておかないと、未来の自分が過去を振り返ったときに「こいつ、2022 年の 12 月にはいったい何をしていたんだ?」と疑問に感じるかもしれないし。それに、文字媒体として出力することで自分の記憶に焼き付けるという目的でも、やっぱり言葉は残しておいたほうがよいなと思う。自分にとっては。というので、ここ最近考えていたことについてババ―ッと書く。

 

 改めて数ヵ月前の自分の文章を読み返してみると、なんだかびっくりする。なんというか、まるっきりの別人という感じがして。自己の連続性みたいなものを、だからあんまり信じてはいないんだよな。いやまあ、信じていないわけではないか。疑ってもいない、ただ実感することがないというだけで。それこそ、たとえば昔の自分が残した日記なんかを読んでみたりして、あの頃はこんなことを考えたんだって思い出したり、ところでそんな気持ちはもうどこにもないなって思ったり、そういう風に、つまりは離散的に、そうして自己の継続を認識してばかりだよな~みたいな。実際のところは、そりゃまあ連続的に変化しているのだろうけれど。気づいたら髪や爪が伸びてるのと同じ感じ。本当に?

 鍵が掛かってるな~って最近よく思う、自分の中の色んなところに。いったいどんなときにそのことを自覚するのかといえば、それは向かい合った相手に伝える言葉を誤魔化してしまったな~と思う瞬間。そもそもの話、誰かと話すときには一対一であれ多人数であれ自分は聞き役に回ることが多いのだけれど(少なくとも昔はそうだった。いまはどうだろ、微妙かも)、だから、自分の中にある鍵の存在を自覚することはそんなに多くなかった。誤魔化すも何も、まずもって何を話そうともしないから。いや、多くはなかったというのはあんまり正しくなくて、もう少し手前にある、人間関係を形成する上で直面せざるを得なかった鍵なら幾つもあった気がする。手前。まあ、手前だな。それはそれとして、ところで、だから、最近はそうでもないという話。その原因もそれなりには明々白々で、自分の考えていることやみているものについてを尋ねられる機会が急に増えたからだろうと思う。そういったコミュニケーションの在り方が構築された、どこかで。訊かれて、正直に答えることが七割くらいあって、嘘を吐くことが三割くらいある、体感。実際は何かしらを考えていたにもかかわらず、咄嗟にとかでもなくそれが自然というように、何も考えていなかった、と返事したりする。あんまりにも文脈がなさすぎるから、という理由で飲み込んだりすることもあるけれど、そうでない場合も少なからずある。そのたびに、嘘吐いちゃったな~と思う。思って、つまりこれはいまの自分には口にできない類のものなんだな、と思ったりする。鍵が掛かってるな~って思う、そういうときに。踏み込まれるたびに迷ったり迷わなかったり、躊躇ったり躊躇わなかったりで、そんなことを考えたり考えなかったりする。それはそれとして、ここ最近の自分は秘密という言葉をそこそこの頻度で使うようになったな、とも思う。関係なくはない話。何も言わなければなかったことにできる類のものを、わざわざ秘密だとか言ったりする。明確な変化だな、これは流石に。秘密をわざわざ公言するということは、(自分がそうする場合に限っては)いずれは話すかもしれないという意思表明だし。でないなら、最初からなかったことにしておけばよいのだし。……いや、ちょっと違うか。だから、それも鍵ってことなのかもな。開けてみたいな~と思う鍵があって、あと一息くらい自分が頑張ったならそれだけで開けられるのかもしれないなって思えるときに出てくる言葉が、秘密、なのかも。秘密とさえ形容されないものは、開けたいと思ってもちょっと固すぎてびくともしないわってくらいに重たい鍵か、あるいはそもそも開けようとしていないものか、まあそのいずれかなのかなって感じがする。だから、話すではなくて話せるが正しいという気がする。いずれは話せるかもしれないという意思表明。そう考えると、結構な数の鍵をこの短期間で開けられたのかもって思えてくるな。秘密の数と同じくらいは開いているはずだし、……本当かな? まあ、然程大きくは外れていないだろうってことくらいは本当か。自分のことを知ってほしいと思うか。どっちだろ。でも、そういう気持ちが多少なりともあったから、どうすればって疑問だって湧いてくるのだろうし、恐らくは。微塵も考えていないなら、気に留まることだってないだろうから。だから、それもまた鍵が開いた感じ。開いた? 開けた? 開けられた? どれなのかははっきりしないけれど。ちょうど一年前の自分の記事とか読んでみたら、だからびっくりする、本当。相手に自分のことを教えようって気持ち、あんまりないらしい。たしかに、言われてみればそうだった。そうだったはずなんだよな~。もっと知りたいだとか、面と向かって言われたって、昔の自分ならたぶん適当に聞き流してたんだろうなって思う。それができなくなるくらいには何かが変わってるんだなと思うし、何かを変えられているのだなとも思う。悪い気はしない、全然。こんなのはまあ人に依るだろうけど、鍵を一つまたひとつと開けるたびに、少なくとも自分の目には色んなものが良い方向へ向かっていっているようにみえるから。信じていたいって歌詞なんかも、そんな風に鍵の掛かっていた扉の向こう側から飛び出してきたのだし、もとはといえば。だから、悪い気はしないよな、本当に。

 鍵を開けるという行為、内から外へ出ていくみたいな感覚なんだよな。中へ入るっていうんじゃなくて、なんていうか、鍵の掛かった部屋に閉じ込められていて、その空間から出ていくような感じ。そういった感覚が漠然とあるから、だから鍵を開けるという行為は自分にとって、知ってほしいという気持ちの露骨な顕れなのかもなって気がしてる。密室の中に隠れていれば、扉の外へ出なければ、そのまま誰にも気づかれずにいられるわけじゃん、ずっと。なのに、わざわざ外へ出ようとする営みだとするのなら、それってつまりは扉の外に何かがあることを期待しているのだろうなっていう。という理解が正しいかどうかはさておき、でも、あながち間違いでもないように思う。ちょっと前にも、鍵が掛かってるな~、と感じた瞬間があって。次いで、あのときにちゃんと開けられていたらよかったのにな~、と思った。「まあ、知れるものなら知りたいよね」。鍵、明らかにそう。昔の自分にとってのそれは鍵でも何でもなかったのだろうけれど、だけどいまはそれがどうみたって鍵の形にしかみえないんだから、人間って不思議な生き物だよな~って気持ち。離散的すぎる、変化が。追いつかない、理解が、自分のことなのに。相手のことを知りたいと思うか。知りたいなって思う、自分も。知れるものならとか、そんなのじゃなく。知るという言葉を果たして同じ意味で使ってるかどうかは相応に疑わしいけれど、自分に向けられたそれと同じであればいいというくらいには。って、ちょっと後になってから思ったというか、思えたというか、だから。最初はそれを鍵だと思ってなかったから、気づいた瞬間は、これって開けられるものだったんだ、って驚きでまあまあ面白かった。これ以上の景色って何があるんだろうと思ってたけど、実際。でもなんか、案外まだまだありそうな気がする。鍵と思ってない鍵はきっと他にも無数にあるし、これからどのくらいの秘密を解き明かせるんだろうな~ってわくわくがある、ここ最近は。

 

 

 

2022.11_1


2022.11.1.(火)

 10/30(日) に開催された M3 に伴う諸々に囚われつつ、ベース練を一日中やっていた。これまでの人生において家族以外の人から誕生日プレゼントを貰ったという経験がそもそも片手で足りるほどしかなく、そんなこんなだったのに、今年は謎の上振れを起こして色んな人から色んなものをいただいた。ありがとうございます。貰ったものを取り出して並べてみたりして、「いいのかなあ」と思ったりもした。

 

2022.11.2.(水)

 MIRINN のサブスク準備とベース練をしていたら一日が終わった。準備に際して改めて MIRINN 1st Album を聴いていたのだけれど。なんていうか、めちゃくちゃ 1st 感あっていいな~と思ったな、収録曲の雰囲気とかバランスとかが。メンバー各々のその人らしさが出てるというか。あと、Lazy*Plankton の新譜を聴いた。『りんでみっく☆ぱんでみっく』、本当に好き。MIRINN のサブスクは 11/17 に始まる予定なので、みなさん何卒よろしくお願いします。

 

2022.11.3.(木)

 普段なら木曜日はバイトなのだけれど、この週は特例的に休みだった。前日の夜に知り合いの話を聞いたこともあり、早起きして映画館のチケットを取り、朝一番の回で SAO の映画を観た。がらがらのシアターには名状しがたい趣があった。この日は全体的に、いつも通りに生活していたら絶対に起きないパターンの予定を実行できて、いま振り返ってもかなり良かった一日だった。帰ってから MIRINN 2nd Mini Album "stella" について色々と話した音声を録った。自分の喋り方、やっぱり結構好きかもしれない。

 

2022.11.4.(金)

 一日の区切りを秒針に従って厳密に行うのであれば、この日は深夜散歩から始まった。大切な話をたくさんしてもらったし、そういう誰かの存在や優しさに助けられているなと本当に思う。ところで、無意識のうちに引金を引いたり引かなかったりしてしまって、曖昧な自己嫌悪。その日の朝に連絡を入れて、その日の夜に話し合いを済ませた。自分の周りには(方向性は違えど)誠実な人たちが数多くいて、そんな誰かや誰かが自分のほうへ気持ちを向けることを選んでくれているという事実に、自分は今以上に意識的になるべきだなと改めて思った。

 

2022.11.5.(土)

 MIRINN の公式サイト的なものがあればいいなと思って、前日の 23:59 にまで及んだ話し合いの後はそういうものを作っていた。過集中のまま朝になり、そのままバイトへ行き、帰ってきたら夜だった。その後は作業通話でわいわいやっていたら一日が終わったという、そんな感じだった気がする。

 

2022.11.6.(日)

 この日はスタジオ練があり、午前中からずっとベース練をして、そのまま京都河原町のスタジオへ行った。誰かと合わせて音楽をするのは大例会以来、だから一ヶ月半くらいぶりだったけれど、いや、やっぱりめちゃくちゃ楽しかったな。一曲だけ練習が間に合わなくて棒立ちで聴くだけだった曲があったのだけれど、それでみてた感じ、他のみんなも演奏中はなんだかんだ楽しそうで良かった。こういうのをもっと集めていきたい、人生。練習が終わってから寿司を食べに行った、新京極のくら寿司

 

2022.11.7.(月)

 起きてからまずブログを書いて、そのあと米澤穂信の最新作であるところの「栞と嘘の季節」を読んだりしていた。Twitter のトレンドをみて男女間の意識差というか、直近に近しい話題を扱ったという事情もあって、そういうことを考えたりもした。夜は知り合いと通話しつつ、最近知った良い曲をお互いに教え合った。なんとなく勧めた『白日より淡く / effe × nayuta』に相手がドハマりし、そのまま二人でアルバムを通して聴いたりした。そういう存在にも、当然救われている。

 

2022.11.8.(火)

 昨夜話した相手との約束が、この日にあった。昼過ぎに難波駅で待ち合わせて、相手が好きだったらしいカレー屋に行った。このカレー屋は以前にはるまきごはんとコラボしていて、それでお互いの会話中に以前一度だけ登場したことがあった。地図をみないで四年近く前の記憶だけを頼りに、「こんなオシャレ住宅街に怪しいカレー屋があるわけなくね?」と言い合ったりしつつ歩いた。店内では『ヴァンパイア / DECO*27』が流れていた。それからアメ村の古着屋を回ったり、梅田まで歩いたり(このときも地図はみなかった。そのほうが楽しい)、時空の広場よりもさらに上にある天空の農園へ行ったりした。この日は皆既月食が観られる日だったそうで、一人だけカメラを構えた女の人がいたけれど、なのにそれ以外には全然人がいなかった。隠れスポットだったっぽい。月は綺麗にみえた。こんな風に一緒に歩くことのできる相手が、まだもう少しは続きそうな人生が終わるまでに何人かいてくれたらかなり幸せかもしれない。

 

2022.11.9.(水)

 たぶん、一日中ずっと曲を作っていた。次の M3 用の曲で、コンセプトみたいなのが薄ら固まってきたからそれで。最後まで作り切れるかどうかは微妙だけれど、完成したら自分の曲の中だとダントツで暗い曲になるかもな~って気がする。あと、それとは別の曲の制作が始まったりもし、その連絡をしたりしなかったりもした。こっちはちゃんと完成させたいな。

 

2022.11.10.(木)

 研究室の修論打ち合わせに寝坊した。朝、なんていうか、普通に寒すぎて。9:00 には目覚めたのに、そこから 10 分おきに寝ると起きるをアラームによって繰り返し、どこかのタイミングで飽きてアラームの音量を限りなくゼロに近くした結果、順当に寝坊した。打ち合わせを程々に、そのままバイトへ行った。研究室の打ち合わせがあったのでこの日は奇跡的にノート PC(と時刻確認用のモバイル Wi-Fi )を持ち歩いており、それで突発発生型のイベントを見逃さないで済んだ(この時点で自分のスマホは完全に故障していた)。結局、この日は家へは帰らずに、夜の京都を歩き回ることになった。

 

2022.11.11.(金)

 前日の続き。普段は時間なんて確かめないのだけれど、この日だけはときどき時計に目をやっていた。日付が変わった時点でいたのはたぶん、京都水族館前の梅小路公園だった(ついさっき名前を知った)。だだっ広いのに誰一人もいない夜の公園で、庶民の味方ぶっている癖に値の張るマクドナルドへ文句を言ったりした。そのまま西へ下って、北へ上がって、東へ上って。後になって知ったこととして、この夜だけでだいたい 16 km ほど歩いているらしい。バイトの日は普通にしていても 9 km くらい歩くから、たぶんこれにプラスで 3-4 km くらいは歩いてそうだなと思う。帰り際、夜の 2:30 頃、あり得ない場所であり得ない時間にあり得ない相手と会ったので、そこでもまたイベントが発生した。少し前から心配してはいたのでちょうどいい機会だった、こんな偶然って本当にあるんだね。一時間ほど話し込んでから帰り、軽く寝て、そのままバイトへ行って、それで終わり。この日からまだ一週間が経っていないの、流石にちょっと信じられないな。

 

2022.11.12.(土)

 珍しく遅刻しなかった。最近とんでもない頻度で顔を合わせている気がするなと思いながら電車へ乗り込んだ。こんな上振れ方をするのかというくらいに美味しいうどんを食べ、町(街ではない)を適当に歩いたりした。13:17 と言っていた気がする、まだ昼過ぎなのに夕方の匂いが満ちていた。不思議なくらいに暑くて、夏でも秋でも冬でもない、謎の季節に迷い込んだみたいだった。大阪のモノレールへは初めて乗った。ホームから伸びる線路(?)が素敵で、コスモスクエア行のホームを思い出した。二つ目に訪れた街(町ではない)は完全に秋だった。木漏れ日と落ち葉の公園に子どもの忘れ物がたくさんあって、なんだか夜が怖かった頃のことを思い出したりもした。抹茶ラテは、たぶんホットのほうが自分の好みに合っていると思う。最後の街に着いた頃には日が暮れかかっていて、ほとんど群青の空に仄かなグラデーションがかかっていた。この街について語るには語彙があまりにも不足していて、この数日、何度も言語化を試みて諦めた。ただ思ったこととして、こんなにも人工的なのにまるで現実世界のものではないみたいだった。物語を書く際なんかに自分が夢想するような景色と、とても似通っていた。終電の時間なんて気にしなくたっていいと最初は思っていたけれど、そんなこと全然なかったな。

 

2022.11.13.(日)

 日付が変わったときにいたのは、神宮丸太町駅を上がってすぐのところにあるベンチだった(前日の 23:45 に時計を確認していた)。自分のことばかりを話したような気がするし、相手からみた自分自身についても話をしてもらった。そういうのは珍しい。良い変化ばかりを貰っているという気がする。言葉ではあまりに軽すぎるからいまさら感謝なんて書かないけれど、でも本当に仲良くなれてよかったと思う。帰ってから寝て、それから故障した携帯を買い替えに行った。買い替えに行ったとさも簡単なことのように言っているけれど、これは後輩に介護されつつのイベントであり、孫から電子機器の説明を受けるお爺さんお婆さんってこういう気持ちなんだろうなと終始思っていた。某後輩はとても頼りになるやつで、本当に良い奴だな~と改めて思った。結局、スマホは無事に新しくなったのだけれど、目下の用途は Twitter しかない。その後は集まった数人で一升の日本酒を消化した。良い話をたくさん聞き、ところでお酒を飲んだせいでとても眠くなり寝た。

 

2022.11.14.(月)

 BUMP OF CHICKEN のライブで zepp osaka bayside へ行った。この日は朝からバイトがあって 7:30 には家を出なくてはならなかったのだけれど、普通にライブが楽しみすぎてまったく眠れず徹夜で挑む羽目になった。楽しみすぎてバイト先の生徒に「このあとライブ行くんだよね~」という話をしたら、「そういえば全日本フィギュアのチケ当たったんですよ~」とお返しの自己開示がなされ、なんとなく嬉しかった。三年ぶりの BUMP だったけれど、前回と違ってブロックが固定されており、後方彼氏面観戦ができなかったのはちょっと残念だったな。ライブハウスは後方彼氏面が一番楽しいんですよ。でも『宝石になった日』と『グロリアスレボリューション』を回収できたのでオッケー。どっちも、収録アルバムの中だとぶっちぎりで好きな二曲なので。ライブが終わった後、感情がヤバすぎたので桜島散歩部を敢行した。帰りの電車で USJ 帰りの乗客群と鉢合わせたが、桜島パワーにより感情の整理が既に済んでいたので事なきを得た。

 

2022.11.15.(火)

 なるべくすぐには帰りたくなかったので鴨川散歩部もやることにした。鴨川に限った話ではないけれど、京都でも何でも、どこかを歩くとそこで誰かと何かをしたという記憶が呼び起され、そのたびに感情がめちゃくちゃになる(めちゃくちゃにはならない)。帰り道にはずっと『蛍はいなかった / はるまきごはん』を聴いていた。最近のリピート曲。夏ならこの時間でも誰かいるのに、あり得ないくらい寒かったからか、三条から出町柳までの 30 分間ほど、本当に誰一人ともすれ違わなかった。百万遍のセブンでひと房のバナナを買い、起きてから食べた。美味しい。これをいま書いている時点では未来の出来事だけれど、次の M3 へ向けた会議が今夜ある。こんなにも今が楽しいのに半年後にもまだまだ楽しいことが待っているなんて、ちょっとずるいよなって思う。

 

 

 

20221107


 夢の中で遺書を書いていた。具体的にどんなことを書いたのかは覚えていないけれど、「なんか」という言葉を使ったことと、あと、書き出しは両親に対するものだったことだけは思い出せる。……遺書ねえ。夢の中では死がものすごく身近なものとして在って、どういう理屈だったんだろう。なんらかのルールが設けられていて、それに抵触した場合に死という代償が降りかかってくるみたいな、そういうシステムだったのかも。とはいえ、明らかに人を食事対象としかみていないようなサイズ感の生命体とかもわんさか出てきてたけど。蛇みたいな見た目で、口の中にさらに口がある感じの、これで伝わるかな。夢の中の自分は、と書いたところで思い出した。たしか、なんらかのイベントに参加するために命を懸けることが求められていて、そのレースを勝ち残れるのがたしか一人だけだったんだよな。そう書いてみると、なんていうか、よくあるサバイバルものだなって感じがしてきた。なんでそんなものに参加したんだよというツッコミが当然あるわけだけれど、それは夢の中の自分も疑問に思っていたことではあって、実際、何の目的があって今自分がその場に立たされているのかは最後の最後まで明らかにされなかった。夢の中の自分は、と同じ書き出しを続けるけれど、夢の中の自分はかなり生に執着していたっぽい。そこそこ必死だった気がする。目が覚めて真っ先に「なんか、変な夢みたなあ」とありきたりな感想を浮かべた後で、「夢の中の自分、面白いくらい必死だったな」と思った。別に現実世界でだって死にたくなんかないけれど、とはいえ夢の中のそれは死のスケール感が違いすぎて比較対象にもならない。あんな怪物みたいな蛇に出くわす機会なんて日常生活にはないし、ここは日本だから。ただまあ、そういう風に振舞う自分を主観的に体験できたのは、かなり有意義なことだったかもなと思う。自分だってあれくらいは必死になれるものなんだな、という意味で。

 

 先月末、28 日かな、初めて人身事故に巻き込まれた。初めて、だったと思う、記憶が正しければ。人身事故の発生を意識させられた場面ならこれまでにもたくさんあって、ただそれらはたとえば、駅へ行ってみたら何故か電車が止まっていた、くらいの余波でしかなく、あの日くらい強烈に影響を受けたことはなかったと思う。その日、自分の乗っていた列車よりもちょうどひとつ前に出発したそれが事故を起こしたらしかった。全線の運転が見合わせになる中、自分たちの乗りこんだ列車は事故現場のすぐ手前で停車させられることとなった。運転再開見込み時間を知らせるアナウンスが車内に響いたとき、周囲から驚きの声が漏れていた。ところで、自分のスマートフォンは(経年劣化により)バッテリーが壊れていて起動せず、つまり時間を確かめることもできず、どのくらいの時間をここで費やすことになるのか、いまいちピンと来ていなかった。ただまあ、周囲の反応からして一時間以上はあるのだろうというくらいの当たりはつけられた。スマホが使えないだけならまだしも、生憎その日は読書用の本もノート PC も計算用の紙も持ち歩いておらず(なぜなら M3 前のデスマ期間で、電車での移動時間を休息に充てようと思っていたため)、本当にすることがなくて困った。結論としては二時間弱を線路の上で過ごすことになったのだけれど、そのうち眠っていたのは(体感)五分くらいのもので(電車って揺れるから眠れるのであって、一切揺れないと全く眠れないらしい。個人差あるかも)、ほとんどずっと眠ることもなくぼんやりと辺りを眺めていた。バイト先から帰るときは必ず進行方向最前の車両(のなかでもさらに最前の座席)に乗り込むことになっていて、その日もそうだった。最前車両以外は駅のホームへ降りられないような停車の仕方になっていたため(思えば、どうしてなんだろう。あれが一般的な対応なのか、それともそれよりも先へ車両を進められなかったのかな)、逆に言えば、運転手さんと警察の人のやりとりなんかが全部聞こえてくるわけで。慌ただしかったな。野次馬的に前方のみえる窓へ駆け寄る人もいたし、そっちのけで映画観てる人とか、スマホでマンガ読んでる人もいたし。まあ、自分みたいに寝てる人もいたし。外では救急車だかパトカーだかのサイレンが忙しなく鳴り響いていて、窓から差し込む橙がかった赤の色も、結局、ホームから電車が発つそのときまで止むことはなかった。なんていうか、怖かったな、めちゃくちゃ。って話を既に何人かにしている。怖かったわ、本当に。誰かの死がすぐ近くにあって、でも、乗り込んだ車両の中では少しズレたくらいの、それでも日常の一部として包含してしまえるくらいの時間が流れていて、それは自分も含めての話。なんかなあ。そういうものだよなって思って、そういうものだよなって感想が何よりも怖かったって気がする。……みたいなぐちゃぐちゃの気持ちを抱えたまま、それとは別に私情としてその日は徹夜から二〇時間余りを経過したことによる疲れがあり、ところで帰ってやらなきゃいけない作業も山ほどあるという差し迫った状況下で、気持ちの置きどころがないな~~~と思いながら帰宅していたところ、家の階段のすぐ前に見知ったような顔があった。「いや、こんな時間にこんなところで知り合いが突っ立ってるわけないな」と思いスルーしようとしたところ名前を呼ばれた、めちゃくちゃ大きい声で。状況が掴めず「なんだなんだ」と思っているうちに、向こう側からもう一人の知り合いが駆け寄ってきて、その相手の言葉でようやく何が起こっているのかを把握した。その日、『 20:30 までには連絡をする』という約束があり、ところであらゆる文明から切り離されていた自分にはそれが叶わないことを伝える術もなかったわけで、など。そのほか様々な要因が重なりに重なった結果として、自分が部屋の中で倒れているんじゃないかと心配されていたらしい。なるほどな、と思った。自分にはその実績があるし、何回か。不要な心配をかけてしまったことは純粋に申し訳なく、というか家までわざわざ来てくれた二人以外にも結構な数の人にそうさせてしまっていたみたいで、普通に反省(実際には何も起きていなかったわけだけれど、日頃の行い)。ところで、当事者がこんな風に言ってしまうのはあんまりに良くないなと思うのだけれど、と断った上で言うのだけれど、嬉しかったな、かなり。人身事故巻き込まれによるメンタルダメージの直後だったというのもあると思うけど、なんていうか、まあ、そうね。ところで、他人に心配をしてもらうこと自体に喜びを感じているわけではなく(そういう意味ではない、当然ながら)、余計な心労はかけないにこしたことがないので、ちゃんと気をつかおうという気持ちにもなった、より一層。すみませんでしたとありがとうございましたの気持ちでいっぱいです、本当に。

 

 優しさって何だろうな、というのが最近のトピックで、でも多分、優しさってこういうもののことなんだろうなと思う。誰かのためを思って動くだとか簡単に言うけれど、それが本当に誰かのためになるかどうかなんて分かんないし、それを決めるのはその『誰か』自身なわけであって。だから、それが優しさかどうかを決定するのは行為者ではなく、被行為者の側なんだよなっていう。そういう意味で、誰かと誰かの間にしかないものだとも思う。自分の側にだけに在処を規定された優しさなんてただの独善でしかないというか。そもそも、区別できるものなのかな、そういうのって。相手のためを思って動いているのか、自分のために動いているのか、そこを明確に区別することが果たして主体側にとって可能であるのかという話。自分は、できないと思っている。『誰かのため』って言葉の裏には無数の私利私欲が隠れているような気がしていて。というか、多くの場合において実際にそうで。だから、たとえば自分の中にそういうものがあったとして、それそのものを優しさだとか何だとかって呼びたくないというか。ところで逆に言えば、たとえば自分が嫌だからという理由だけに基づいた行動であったとしても、受け手側がその様を優しさだと判断したら、それはその行為者が優しい人間だったということにもなり得るんだよな~っていう。自分は『優しさ』とかいうふわふわワードをそういう風に理解していて。その定義でいくのなら、自分の周りにいてくれる人たちは優しい人ばかりだなと思う。誕生日とかも相まって、この数日はそういう気持ちがずっと強かった。恵まれてるなって思う、本当に。

 

 

 

20221005

 

 熱が引いて一定時間経ったので、一瞬だけ地元へ帰ることにした。目的は、行きつけの美容院へ行くこと。というか、それ目的でしか地元へ帰ることがない、この数年くらいはずっと。夕方だった。乗り換えで降りたホームの屋根の隙間に覗く空が、鮮血をクリームに滲ませたみたいな殺戮的な色をしていて面白かった。殺戮的だな、と思った。諸事情で予約の時刻へ微妙に遅れ、申し訳ないな~と思いつつ店内へ入る。数秒ほど待つと受付の人が現れ、予約時刻と名前を伝える。それから手荷物なんかを渡すタイミングで、思った。なんていうか……、こんなだっけ? こんなだっけ? という感想は手荷物受け渡し等、一連のシステムに対して抱いたわけではなく、お店の内装でも流れている BGM でもなく、自分の手荷物を受け取ってくれた店員さんに対してのものだった。なんか、なんだろうな。第一印象としては、喫茶店の店員さんかと思った、アニメーション世界の。なんていうか、服装が少しメルヘンチックというか、色味自体はくすんだ朱と明るめのベージュの二色を主体とした、どちらかといえば落ち着いた印象を受ける組み合わせだったのだけれど、装飾がなんだか自分のイメージする日常から少し乖離していたというか。地毛っぽい黒混じりの薄い金の髪を後ろ側で編んでいたのも、ちょっと影響してるかも。全体的に「アニメっぽいな」という印象が先行した。諸々が終わって最後に会計をするという頃には、「不思議の国のアリスみたいだな」という結論に落ち着いていた。不思議の国のアリスの 2P カラー。ところで、他人の衣服に対して少しでも「良いな」と思うことがあれば積極的に発信していこう、というのをちょっと前からやっていて(どのくらい前だっけ?)、なので会計が終わってから「不思議の国のアリスみたいですね」と伝えた。すると「褒め言葉として受け取っておこうかな」と返された。褒め言葉です、ともちゃんと言っておいたので誤解はされていないはずと思う。

 

 美容室に行ってちょっと目についた店員さんがいただけでこんな文章書くのかよと思われていそうだけれど、いや、そうではなく。それで終わっているなら、別にわざわざブログへ起こしたりはしない。「なんか、今日は変わった店員さんが迎えてくれたな」と思ってそれで。ところで、だからここで終わらなかったからいまこうして文章を書いているという話であり、以上のそれは、ただそういう第一印象だったという話を並べ立てているだけで、要するに本題はここからだった。

 

 美容院か、衣料品店か、それ以外には裕福な家の脱衣所にしか置かれてないだろというサイズ感の鏡の前に座りながら、「これはもう髪が長いとかの話じゃないな」と考えていたときだった。背後から唐突に中学時代のあだ名を呼ばれ、肩が跳ねた。第一印象がアニメ世界の喫茶店店員であり、今回のカットを担当してくれることになっていたその人は、どうやら小中学校時代の同級生だったらしい。突然のことに、ええ……となった後、こういうことって本当にあるんだと思った。地元だし、そりゃまあいつかは起こり得る事態だったのだろうけれど、そもそも地元へ帰る機会が少ないからな……。向こうはどういった客が来るかをリストで判断しているはずだから、自分の名前を知ることができて、そこから思い出したのだろうと思う。でなければ、半年近く髪を伸ばし続けていたほとんど不審者に近い人間を、小中学時代の知り合いであると同定できるはずがない。そうしていきなり始まった試合開始のコールを聞き流しつつ、どういう対応を取るのが正解なんだろうなと考えていた。問題は、相手が誰なのかを自分が全く特定できないという点だった。小中学時代の知り合いでいまも連絡を取り合っているのなんて片手で足りるくらいの相手しかおらず、そうでない誰かのことを一〇年以上前の記憶をもとに照合してみせろと言われても困る。というか、そもそも自分は他人の顔を必要以上にみないので、顔での照合はほとんど不可能だった。「相手は自分のことを判定できた以上、名乗ってくれというのは失礼だよな……」と思いつつ、「でもできればそっちから名乗ってくれ~~」と思いつつ。とりあえずは「今日はどういうカットにしますか?」のルーチンを済ませるくらいまでの間にできるだけ思い出しをやってみるかと思った矢先、「どういうカットにしますか」の洗礼が繰り出されるよりも前、試合開始から三〇秒もしないうちに「誰か分かる?」と訊かれることになった。普通に頭を抱えた。

 

 全く思い出せないという旨を伝えると「じゃあ頑張って思い出して」という話になり、それから美容院恒例のやり取りが始まった。程なくしてカットが始まって、それから一つのヒントをもらった。曰く小学校六年生のときに同じクラスだったらしい。って言われても。小学校六年生のとき、同じクラスの女子に誰がいたかなんて覚えていない、普通に。男子すら思い出せないのに。というか、そもそも名前が微妙に怪しかった。クラスの中心的な部分にいた男女数名は、特に大きな接点のなかった相手でもフルネームで記憶していたけれど、それ以外は「聞いたら思い出せるけど、聞かないと思い出せない」みたいな感じだった。敗色濃厚かもな、と思いつつ、ところで頑張って思い出せと言われたので頑張って思い出さざるを得ず。ヒントはもう一つあって、中学時代からあまり変わっていないと言われる、だった。こっちかもな、割と。たしかに、言われてみればこんな喋り方をする人間が小中学時代の知り合いにいたような気がするな、と思って。それと、入店時に確認した顔立ちの印象も考慮し、とはいえ大した確証もない状態で浮かび上がった名前を口にしてみた。すると、それが正解だった。案外分かるもんだねえ、という話で一頻り盛り上がり、自分も自分でそこまで冷たい人間じゃなかったか~とちょっとだけ安心した。

 

 大学へ来てからも交流の続いている小中学時代の知り合いが片手で足りるくらいにはいるという話をしたけれど、そのうちの一人が同じ美容院へ通っているらしく、そいつ経由で自分の話を聞くことがたまにあると言っていた。滅多に現れないとはいえ自分も一応通っている身なので、「もしかしたらそのうち会えるかもね」みたいな話を一ヶ月ほど前にしたばかりだとも言っていた。とにもかくにもそのような事情があったので、自分が現在も学生の身分であることは既にその友人づてに伝わっており、なので話題は自然と小中学時代の知り合いたちの現在というほうへ移っていった。ここからが本当にヤバかったな。まず、初手で今度結婚するらしい人間の話をされた。聞いたことのある名前だった。一発目から大きい話題を持ってくるなって、と思っていたら、三階建ての一軒家を買って次の年度には子どもが小学校へ入るという二児の母親がいる話も聞かされた。これも知っている名前だった。流石に食らった。時の流れとかじゃないだろ最早、どうなってんの。あの子とはいまもたまに出掛ける、あの子はこの店によく来てくれる、あの子は前のお店で働いていたときによく来てくれていた、みたいな話が延々と続き、ところで全部知っている名前で。「みんな、意外と地元に残ってるんだな」と思いつつ。中学時代、テストの点数を別に競っていたわけではないけれど、自分と同じくらいの点数を毎回取っていた知り合いとは、毎朝出勤のときに必ずすれ違うと言っていた。へえ~と思いながら聞いていると、「たぶん先生だと思う」と付け加えられて流石に声が出た。教職? あいつが? ……いや、結構似合ってるとは思うけども。よく遊ぶというほどには仲良くもなかったけれど、なにかがあれば一緒にわいわいやるというくらいの立ち位置だった男子の一人は、いまは東京で救命救急士をやっているらしい。マジか。いや、それも何となく分かる気がするな、似合ってるし。あとは、なんだっけ。自分が来店するつい数時間前に二人組の男女が店に来たという話も聞いて(本当にただの気まぐれだったけれど、通常よりも遅めの時間に予約しておいてよかった)、それ自体は普通に美容院の予定だったらしいけれど、その二人は今度結婚するらしい。そして、両方とも知っている名前だった。現実世界の事象に対して、そことそこがそうなるのか……、なんてことを真面目に思う日が来るとは思ってもみなかった。何があったんだよ、自分が一切の付き合いを放棄していた一〇年の間に。みたいな。そういう話をしていた、一時間くらいずっと。

 

 会計を終えて、外へ出て、夜空をみて。あまりにデカすぎる人生イベントが急にやってきたな……という気持ちになった。自分は小中学時代に築き上げたものを色々と放棄しているという自覚があって。主には人間関係を。それはなんていうか、そもそも人間関係の大切さに気付いたのが大学へ入ってからだったから(遅すぎる)という、単に自分が愚かだったという一点に尽きる理由でしかないのだけれど(だから、高校時代に築き上げたものも、その多くは放棄されている)。それでも、みんなちゃんと生きてるんだな~~~~~~、と思った。『それでも』というのは『自分との関係が断たれた後でも』という意味。こんなのは当たり前の話で、けれど、これはどうしようもない意識の問題として、もう会わなくなって意識にも上ってこなくなった人たちは、自分にとってはいなくなったも同然の存在というか、どうしたって。まあ、それは向こうにしても同じことだろうからお互い様。ところで、実際にはいなくなったわけじゃないんだな、と思って。これもまた当たり前の話だけれど。なんか、普通に嬉しかったかもな。今日の今日まで本当に名前すら忘れていたような人ばっかりだったけど、どうやらみんなちゃんと生きているらしい。あまり、普段は感じない類の嬉しさ……嬉しいで合ってるのかな、が手元に残っていたような気がする。たぶん死ぬまで会うことはないんだろうと思うけど。でも、どうだろ。今回偶然再会したみたいに、どこかで何かの機会に顔を合わせることがないとは言い切れないな。言い切れなくなってしまったな。なんていうか、そのときにもまたこんな感じの話を聞くことができるのかなと思うと、それはかなり楽しみかもしれないな。

 

 カットの途中、タイミングを見計らって訊いてみた。これはまたとない機会だなと思って、とある知り合いの現在について知っているかどうかを。成人式のとき、当然のように地元の連中とは同じスペースにいたわけだけれど、自分は割とその知り合いに会うことを目的にして足を運んだという側面があり、ところで結局会えずじまいだった。というか、多分そもそも来てなかったんだと思う。集合写真のときにもみつけられなかったから。聞くに第一印象アニメ世界喫茶店店員の交友関係はかなり広そうだったので期待したのだけれど、少なくとも現在の交流はないとのことだった。「まあそんなにうまくいくわけないよな~」と思いつつ、けれど「町を歩いているとたまにすれ違うことがある」と教えてくれた。一番嬉しかったのは、それかもな。あいつ、まだこの町にいるんだなと思って。というか、生きてるんだなと思って。いや、中学以降のことを全然知らないし、自分の中で勝手にいなくなった認定されていただけだけれど。というか、中学のときも別にそれほど強固な関係があったわけではないし。でも、中学時代の諸々が入っている棚をぐーっと引っ張ると一緒になって記憶の中から引き出されてくる名前ではあり。そんな誰かは、いまもちゃんと生きているらしい、この町のどこかで。駅前の TSUTAYA も、思い出のゲーセンも、カラオケも、保育園も、小学校も、バス停も。色んなものが跡形があったりなかったりで消えていったけれど、それでも生きているらしい。生きてるらしいわ。なんていうか、それが一番嬉しかった。良い日だった、今日は。

 

 

 

緩やかな


 死について考えている。希死念慮とかじゃなく、もっと現実的な死について。たとえば、体調を快方へ向かわせようとする努力をここで止めてしまったとして、そうすればまあ運が悪ければ死ぬかもしれないし。たとえば、明日の朝に目が覚めて何らかの理由で自宅のインターネットが利用不可になったとして、これはまあ結構な確率で死ぬ気がする。いや、自分でコンビニまで行けばいいといえばそうなんだけど、いまはちょっと立ち上がる気力もないし、単純に身近な人たちへヘルプを出せないのがヤバすぎる。前に一度あったんだよな、朝起きたらインターネット環境の全てが絶たれていたこと。まあ、あれはあれで特殊な事情があってのことだったから、今回そういったことが起こることはまずないだろうと思うけれど。

 

 緩やかな死へ向かっていっているという気がする。大袈裟だろって笑ってくれていい、自分もそう思うから。大袈裟。そう、大袈裟なんだよな、明らかに。でも、そんな気がしてる、さっきからずっと。三、四年くらい前の自分はよく倒れていて、原因はよく分からない。貧血とか、栄養失調とか、睡眠不足とか、多分この辺りのなにか。外出中に倒れて救急車で運ばれたこともあって、でも、それはまだよかったんだと思う。不幸中の幸いというか、自分の身に異常が起きたことを察知してくれる人がすぐ近くにいたという意味で。ところで、自宅で倒れたことも何度かあって、こっちがちょっとまずかった。なんていうか、「あ、もしかしてこのまま死ぬ?」みたいな。「やば、倒れそう」と思ったときにはもう動けなくて、スマートフォンを操作するとかじゃないし、なんなら手元にないし。だからこのまま目が覚めなかったとして、そのことに気づくことのできる人ってどこにもいないよなと思って、そういうことを思いながら意識がフェードアウトしていって、頭にスタンガン食らったみたいな激痛と一緒に。結局、その後にちゃんと目が覚めたからよかったんだけど、あのときは何十分くらい倒れてたんだっけな。あれは、なんていうか、急激な死だと思う。本当に、こればっかりは大袈裟ではなく、死が目の前にあった気がする。実際にはそうでなかったとしても、当時の自分の目にはそうみえていたのだから、それはもう自分にとっての現実と言ってしまっていいはず。

 

 緩やかな死という言葉は、そのときの感覚を念頭に置いて、その対比として使っている。なんていうか、まず M3 どうするんだろうなって話がある。これはまあ本当に最悪の場合は新譜を落とせば最初から何もなかったことにできる。次に、修論どうするんだろうなって話がある。最低限、前期を終えた時点でそれまでの内容をまとめれば修論はかけると思うと言われていたので、これもまあ新しいことを過剰にやろうとしなければなんとでもなる。最後に、バイトどうするんだろうなって話がある。自分は塾講で担当生徒が数えるのに両手が必要な程度にはいて、休んだ分の埋め合わせをしなきゃいけない、当然ながら。これもまあ 11 月を犠牲にすればまあ何とかなりそうな気はする。いやだから、全部どうにでもなるんだよな。どうにでもなる、マジで納得のいかない選択肢をそれでも選べば、全部どうにでもなる。どうにかなったということにできる。ところで、そこからさらに一歩踏み込んで、実際にその選択をしたあとの自分について想像してみる。それから、これこそが緩やかな死だな、と思ったりする。音楽とか数学とか、まあバイトはどっちでもいいといえばどっちでもいいけど、でも生徒を受け持つことの責任があるからバイトも含めるとして。なんか、自分が好きでやっていることの全部を手放して、そうしてなんとか締切の先の時間を歩いていくことが出来たとして、それっていったい何の意味があるんだろうと思う。思う、思ってしまうな。マジで生きてる意味ないって、そんな自分。……みたいな気持ちがずっとぐるぐるしてる。死なないことがまず何よりも優先されるべきで、それは本当にそう。早くよくなった方がいいし、そのためにもいまは何もせずに休むべきだし、それも本当にそう。でもなんか、こうしてただ寝転がっている間にも残り時間は削れていっているわけで、つまりは緩やかな死が徐々に現実味を帯びていくわけで。みたいな。熱がどうこうよりも、こういうことを考えざるを得ないのに何も出来ないという状況を強いられることのほうがよっぽどしんどいな。いますぐにでも曲作りたいのに、身体起こすのも結構だるい。

 

 自分のことをよく知っている人なら知っているかもしれないこととして、メンタル、別にそんな強いわけじゃないんだよな。なんていうか、自分の周囲にいる人たちを思い出してみてもそうだけれど、その多くが、自分の弱みとか辛いこととか悲しいこととか、そういうのを上手く隠して生きているようにみえる。ふとしたきっかけでその悩み事の断片に触れたりして、「この人にもそういうのがあるんだ」と思うことなんて幾らだってあるし。向かい合った他人が、悩み事なんて何一つもないという風にもしみえるのなら、それは多分、その相手がよっぽど上手くそれを人目につかないよう隠しているからだと思う。というので、だからまあ、思うにこういったことは誰だって大なり小なりやっているはずのことで、別に自分が特別だって訳でもなく。メンタル、そんなに強くないどころか普通に弱いほうだと思うんよな。他人のそれとは比較できないから知らないけど。普段はそういうことを知られないようにって自分なりにうまくやってるつもりなんだけど、なんていうか。こういう、マジでどうしようもないわってときに本当にダメになるなって自覚がある。数時間前も、昨夜も、発症直後の夜もそうか。なんか、なんかな。他人の優しさに触れていないと、いまにも緩やかな死の暗がりに飲み込まれてしまいそうで、それが本当に怖いんだよな。

 

 幸いなことに、これまでに自分のことを助けてくれた人はたくさんいて、本当に助かってる。ありがとうございます。物資とかはまあ勿論そうなんだけど、メンタル面でのアレとして。なんか、二時間くらい前に目が覚めて、そのときはまだ 38.4℃ くらいあって。それでまたメンタルがヤバいことになってたんだけど。いまは解熱剤飲んで imanishi の買ってきてくれた冷えピタ的なそれを頭に貼ってるからか 37.1℃ まで落ちており、ここ数日のメンタル乱高下ファクターを文字媒体で吐き出したこともあってかなり気が楽になった気がする。うん、そんな気がするな。とりあえずいまも横になってはいるけれど、まあ眠れはしないよね。昨日だってほとんどずっと寝てたし、「眠い」って感覚が全然ない、ここ数日。眠くなくても寝てるから。というか、ずっと横になっているせいか、全身がめちゃくちゃに痛い。関節痛とかじゃなく、硬めのソファで一晩眠った直後みたいな感じの。部屋は真っ暗で、枕のすぐ隣に解熱剤の残骸とか体温計とかが放置されていて。除湿で動き続ける空調の音の、その隙を縫って窓の外にいる秋の虫の鳴き声が聞こえてきたり。もう秋か〜って感じ。……なんていうか、文章の終わらせどころを完全に見失っているな。だって、書くのを止めちゃったらまた何もすることのない夜が始まるし。ところで、どうだっていいことをだらだらと書き連ねても仕方がないしみたいなところもあり。まあ、そうね。この辺りでやめとくか、とりあえず。

 

 

 

大例会2022


 様々を忘れないうちに大例会にあった諸々を記録しておきたく。ということで、大例会感想戦をやる。やります。感想戦っていうか、ただの備忘録だけど。

 

 

 一日目。

 

 家でギリギリまで作業をしていたら想像の五億倍くらいギリギリになって笑った。走る必要はなかったけれど、荷造りの時間が 10 分ほどしか取れなかった。ところで、そもそも 10 分程度の荷造りで事足りるくらいのものしか持っていく予定がなかったので、結果的には何の問題もなかったという話がある。ノート PC や途中で買った 1.5L のペットボトル、数日分の着替え諸々に加えてベースの重量も合わさって、想像する限りではまあまあの地獄だけれど、バンド練のために三条鴨川間を往復することで慣れていたというのがあり、なぜか得をしたような気分だった。

 バス移動の時間は、某後輩の隣の席だった。すぐ隣でオタク二人(社会人+後輩)が爆音で『らき☆すた』を視聴しており、これはこれで修学旅行感があって良いなと思った。移動中に話したことは、正直あんまり覚えていない。消えてなくなった駅のこととか、好きな街のこととか、好きだったアニメのこととか、あとはパンフに載っていた写真のこととか、そういうのを話していたような気がする。千里中央、久しぶりに行ってみたいかもな。たしか千里中央だったと思うんだけど、あの坂道がある街。パーキングエリア、車窓から見える「踊りだこ」という食べ物の意味がよく分からなくて首を傾げていたところ、実際に食べた人から「タコが丸ごと一匹入っていた」と教えてもらった。それを聞いて、自分も食べればよかったな、と少し思った。ところで、そのとき財布はバスの荷台の中にあったわけだけれど。

 フェリー乗り場は、まあまあ海だった。海をみに行く余裕があればいいなーと思ったが、昼食へ時間を割くことに。メロンパンとあんぱんを買った。「シャナだ」と言われたことを覚えており、以前にも同じような会話をしたような気がするなと思った。

 フェリーの移動時間中は、何をしてたっけ。音源の書き出し作業をしつつ、好きな小説の話をしたりした、たしか。

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本当に好きなのは第三巻だという話もしたような気がする。してないかもだけど、したということになった、いま。あとは甲板へ上がって早々に寝っ転がるなどした。以前からやってみたかったことの一つで、空がとても広々としてみえてよかった。太陽の光が眩しかった。そのうち自分以外の数人も寝っ転がり始めたので面白くなって写真を撮っていた。数人の内の一人が見上げながら、「(空は動いているのに)一葉さんは動いてない」と言っていた。当たり前だろ。

 宿に着いてから部屋決め。権力でゴリ押すことにより某後輩二人と同じ部屋にしてもらった。207 号室。告げられた部屋番号とパンフに掲載されたマップとを照らしてみて「あれ?」と思い、自由行動が可能になった瞬間に鍵を使って部屋へと立ち入った。マップに記載されていた通り、207 号室と 206 号室は鍵がなくとも行き来の可能な構造になっていて、ところでたしか 206 号室は女子部屋だったような。「これは流石にまずいよな~」ということで、運営人間に部屋替えを提案するなどしていた。こういうところにばかり気がつく。ところで、別に自分が提言しなくとも 206 号室の鍵が開けば直に分かることだったけれど。

 たしか、すぐに温泉へ行った。初日の夜だけは大人数でぞろぞろと銭湯へ押しかけた。その場でタオルがレンタルできるということを知り、「じゃあわざわざ持ってこなくてよかったじゃん」と思った。自分は割と短時間で湯舟に満足してしまう人間なので、温泉に浸かっていた時間は 2,3 分くらいだったと思う。身体を洗っていた時間のほうが圧倒的に長い。そのせいで某後輩に「本当に入ってました?」と疑われた。髪濡れてただろ、ちゃんと。下の自販機で売っていたコーヒー牛乳を飲みながら他の人たちが上がってくるのを待った。その途中で某後輩と会話をし(たしかこの日だったと思う)、「(自分の都合上)吉音の人たちとこんな風に過ごせるのが初めてで嬉しい」という話を聞いた。なるほど、そういうのもあるのかと思った。その後、数人と休憩室でだらだらしていた。今頃、宿のほうでは花火大会が開かれているはずと言いながら外を歩いて、星をみた。びっくりした。目を疑うくらいの数の星が空に浮かんでいて、なんなら天の川のようなものさえみえていた。ロータリーっぽい場所に寝転がって、何となく。そしたら星がもっと綺麗にみえるかなって。そのうち車がやってきて、未だかつてない瞬発力で起き上がった。車通りがないとはいえ、道路で寝転がるのは危険。その場に居合わせた数人の内の誰かが遠くに花火が打ちあがっていることに気づいて、自分は二人目だったかな。ものすごく遠くの花火。置かれた状況も相まって、なんか、ものすごい感情になった。初日の夜からこんなのでいいのかな、と思った。

 宿へ帰る途中だったと思う、朝焼けをみにいこうという話になった。言い出したのは……自分だっけ? 覚えてないけど、いかにも自分の言い出しそうなことだなとは思う。夜を手に入れて、それなら一緒に朝も手に入れたいよねって気持ちがある。それで、今夜はなるだけ早く寝て、翌朝の四時に出発しようということになった。

 宿へ帰って、都合により遅れて島へやってきた某先輩と偶然すれ違った。行きのバスで『らき☆すた』をみていた社会人も一緒にいて、これから二人で公園まで星をみに行くとのことだったので、先ほどまでの自分たちが星を見上げていた場所を勧めておいた(正しく伝わったかは怪しかったけれど)。その後、諸事情により部屋が入れ替えになったので荷物をコテージへ移すなどした。306 号室が睡眠者専用部屋になるとのことだったので、そこを根城にすることにした。「睡眠を妨害されたときだけはマジでキレる」という話を某後輩にしたら、めちゃくちゃにウケていた。二一時半前には寝た。

 

 

 二日目。

 

 三時半に起きるつもりだったけれど、何を間違えたのか一時過ぎに目が覚めてしまった。寝直してもよかったのだけれど、妙に意識が冴えてしまっていたので「これはこれでいいか」と思い外へ。すると某後輩が前方から歩いてきたので、普通に驚いた。その相手がどうやら寝付けていないらしいことは知っており、どうしたものだろうなと思ってぶらぶらしているうちに何故か山を下っていた。「これ、どこに向かってるの?」と訊いた記憶があるけれど、とはいえこのまま下ったらどこに出るのかは知っていて、海。なにかと海に縁があるな、と思いながら二時間弱くらい話し込んでいた。星がとても綺麗だった。欄干に腰掛けながら眺めた遠くの山に並ぶ街明かりがあまりにもゆらゆらと揺らめいていて、それがなんだか幼い頃に拾い集めた石のようだったから、その流れで「自分の好きな宝石は何だと思う」という話をした。ノーヒントで当てられるはずもなかったから、そこそこ有名なはずの宝石で、自分が持っていたのは岩肌から直接削り取ったようなもので、とヒントをいくつか出した。考察の過程で相手が答えをふと口にし、ところで自分がそれに目立った反応を示さなかったので、それは答えではないと思われたらしい。結局、相手は全く違う答えを口にしたのだけれど、自分の正解を聞いて「ズルですよ」と言っていた。好きな宝石の話なんて、たぶん生まれてから誰に話したこともなかったからかなり新鮮だった。とはいえ、初日のうちに紫色が好きだって話を聞いていたから、それ繋がりでもあったんだけどな、実は。

 帰ってきて、三〇分ほどスタジオに籠ってベース練習をし、そろそろ四時になるかなと思ってスタジオを出たところでちょうど某後輩と出くわした。わざわざ呼びに来てくれたらしい。最終的には先ほどの眠れなかった後輩を除く朝焼け部全員が集結し、さっき登ってきたばかりの山道を再び下ることとなった。どこから朝焼けをみるのかという問題があって、ベストポジションを探すべく少しだけ歩いた。途中、『野生のフライパンを観察しよう』に始まる謎アイデアの数々について話を聞く機会があり、普通に怖かった。いや、面白かったけど。普段あんまり話せない人たちとも気軽に話すことができるというのは、大例会という空間の魅力の一つかもしれないなと思う。なかでも、深夜散歩だったり早朝散歩だったりでは会話が生まれやすいので、誘ってよかったなとこの時点で既に思っていた。諸事情によりランキング人狼が開催されなかったので、誰に何点をどういった理由で入れたかについての話をした。とはいえ、今後に開催される可能性も考えられたので、本戦で使われる予定のなかったほうについてだけ話をした。結局、スタート地点の砂浜が一番いいのではという話に落ち着き、ぞろぞろと引き返した。雲が程よくかかっていて、日が昇るにつれて空が真っ赤に染まっていくのが分かった。思うに、多分、かなりコンディションが良かったんだと思う、空の。スマホの電池が切れていて写真を撮れなかったのが残念だけれど、ところで写真に撮ってみても「なんか違うな」ってなってた気がする。たぶん、生の迫力に勝てない、ああいう空は。

 帰って、某後輩と二人でスタジオに入った。当日にライブがあったのでベース練習をしていたのだけれど、指がもう動かないのなんのって。睡眠不足だろうなって気がしたので、朝食までの三〇分を睡眠へ当てることにした。朝食を済ませてから最後の合わせ練を一度やり、それからリハまでの間はリハ準備とベース練習とを行ったり来たりしていた。そのうち指も動くようになってきたので、「まあ、何とかはなりそうだな」という感じがした。

 ライブ本番。初手が自分たちの出番で、ベースのチューニングがまだ終わっていないのに開演の流れになり、普通に焦った。ちゃんと練習通りに弾けていたかというと、……いや、かなり怪しいな。普通にミスりまくってたし。ところで「楽しみながらやるぞ!」という気持ちがあり、ベースを弾きながら暴れ回りたいという欲求もあり。なるべく落ち着いてミスをしないように演奏するか、ちょっとミスをしてでも暴れまわりながら弾くかの二択なら後者のほうが面白いかもなという気持ち。マジで楽しかったな~、大例会ペンリサ。これは三月ライブのときにも感じたことだけれど、演奏って楽しいわ、やっぱ。ところで、手元が暗いと指板の認識力が落ちて普通にミスるという話もある。これからは明かりを暗くしてもちゃんと演奏できるかどうかの確認をしたほうがいいかもな。

 他の人たちの演奏も途中まで聴いていたのだけれど、ピアノソロタイムが始まった辺りで眠気がピークへ到達。DJ 型出演者たちに泣く泣く背を向けて、コテージで睡眠をとった。自分が眠っている間に『夢と色でできている』を流した大馬鹿者がいたらしく「なんで起こしに来てくれないの!」と言っておいた。自分勝手すぎる。

 BBQ を程々に済ませ、作曲者当てクイズの正解発表が始まるくらいのタイミングで温泉へ向かった。なんとしてでも汗を流しておきたいという気持ちがめちゃくちゃに強かったので、これもやむなし。自分を含めて六人の少人数編成で、うち三人が社会人組だった。露天風呂に浸かりながら「裸眼、五年ぶりくらいにみた」と言われたので、最近は結構眼鏡外してるけどなあと思いながら、「いや、山登りに行った帰りの温泉でみてませんか?」という話をした。肝心のその山の名前は忘れていたけれど、伊吹山らしい。なんとなく温泉の湯を手で掬って掛けたら、そこそこ驚かれた。お前がそんなことをするなんて……的な反応。たしかに、普段の自分だったら絶対にしないことのひとつではあるな、と思いつつ。なんだか、その光景がやけに印象に残っている。

 帰ってきてすぐに夏曲コンピの聴き大会があった。その直前にあった出来事。以前から某先輩に「パレーシアやりましょう」ということを言われていたのだけれど、どうやら自分はその意味を履き違えていたらしくて。「弾き語りしますよ」みたいなことを言っていたから、てっきりそういうことをするのかとばかり思っていたのだけれど、普通にドラムやギター(二人目)の方々にも声を掛けていたらしかった。そんなマジなあれだったのか! と思い、ところで自分はパレーシアのベースを完全に忘れていたので、夏曲コンピの聴き大会へは参加せず、外で楽譜の思い出しをやっていた。ところで、食堂からの音漏れで微妙に曲が聞こえてきたり、あるいは拍手の音が聞こえてきたりして、これはこれでエモいかもなと思った。

 だいたいの運指は思い出せたのでいいだろうと思ってベースを片付け、それでコテージ前の椅子に腰かけていたところ、聴き大会が終わって何人かが食堂から出てきた。それからしばらくしてギターを構えた某先輩が隣の椅子に座ったので、「パレーシア、割とマジでやるつもりだったんすね」という話を振った、たしか。するとパレーシア演奏の流れが発生したので、急いでベースを取りに行った。そのうちもう一人のギター先輩とボーカリスト後輩も登場し、星空の下でパレーシアを合奏するとかいう、極大すぎるイベントが発生。レコーダーの中にそのときの音源があるはず。人生だな~と思いながら、ベース片手にテニスコートへ降り、その際に例のアー写が撮影される運びとなった。

 その後、社会人組はスタジオ練へと飲み込まれ、残された自分はといえば一足先に社会へ出た後輩と話す機会がテニスコートで発生。聞きながら、みんながみんな、自分なりの人生を生きているんだなということを改めて認識した。ところで、同性の目からみても某後輩はとても魅力的な人だと思うので、きっとうまくいくでしょうと思いながら聞いていた。このときも星が綺麗だった気がするな。

 さらにその後、合唱イベントが発生したので参加。自分が昔に作った『signal』という楽曲の A メロをなぜか男声四部合唱に編曲した人がいて(本当に何故?)、それを実際に合唱するというのがおこなわれていた。自分はメインメロディを歌うだけでよいとのことだったので、特別な練習をすることはなく、他の人たちの練習に後から合流するという流れになった。自分とその編曲者も含めて六人が集まっており、これだけでもかなりありがたい話ではある(一応、自分の曲ではあるので)。リズムの合わせ方をどうするかということにそこそこ難航したけれど、時間に追われて合わせた最後の一回がかなり気持ちよくハマったような気がして、めちゃくちゃに良かった。合唱、アリかもな。なんていうか、これまでに経験したことのないタイプの感動があった。

 この日、眠ったのは午前四時のことらしい。何してたんだろ。合唱イベントは日を跨ぐ頃には終了したはずなので、就寝までに四時間ほどの空きがあるのだけれど、本当に記憶がない。と思ったけど、あれか。『消えたポラリス』の話をしたっけ、たしか。三月ライブの夜に消えポラをやろうという口約束を遠くの昔に交わしていて、ところでそれが果たされなかったのでいま回収しようという話をした。パレーシアやったしな。ところで、諸々により難しいかも~という話になったので NF ライブのときに回収するぞ! という話になった。なんとしても回収したいな~。消えポラもパレーシアも、作ってたときはそんなこと一切考えてなかったけど、気づいたら自分の中で大きすぎる存在になっていてすごい。どうしてこんなことに。

 

 

 三日目。

 

 寝起きの某後輩がアメーバみたいで面白かった。

 二日目までで自分が大きくかかわるイベントはすべて終わってしまったので、この日はとにかくやることがなくて。朝食を済ませてからは、テニスコートのベンチに腰掛けて文章を書こうとするなどしていた。ところで「いや~、何も言葉が出てこないな」となって早々に諦め、ぼんやりと空を眺めるなどしていたところ、某後輩がやってきたので少しだけ話をした。何を話したっけ。今朝みた夢の話? だったかな。そんなのを聞いた気がする。

 そうしているうちに別の後輩に呼び出され、様々をするなどしていた。こいつも色々大変だろうな~と思いながら、そこまでしなくていいだろうにとも思いながら。フェンス越しに見上げた青空がやけに綺麗で、写真を撮ったことは覚えている。その後、一日目の夜に熱で倒れた某人の対応をどうするかということが話題に上がり、ヒアリングを行うなどの活動に回った。様々を考慮し、病院へ連れて行ったほうがよいだろうという結論が出たのが昼食前のこと。ところで誰がいつ連れていくねんみたいな話の調整をああだこうだとやっているうちにライブの開演時間が差し迫っていた。

 自分も自分で様々をしているうちにライブの開演時刻には遅刻したのだけれど、本館を出るとき、下駄箱に見慣れた靴が置かれたままだったことが引っ掛かった。その場では一旦スルーしてライブ会場へ向かい扉を開くと、ちょうど一曲目が終わって某先輩が結成の経緯的なそれについて話をしている最中だった。微妙に薄暗い中、目視で某後輩の後ろ姿を探したものの見つからず。ということは、あの下駄箱の通りにまだ本館にいるのかと思い、それで引き返した。眠っている可能性が高いなと思って声を掛けてみたら、普通に起きていたのでびっくりした。「ライブ、もう始まってるけど」と伝えた瞬間の相手のほうがよっぽど驚いていたので、面白かった。

 三日目のライブは(フジタファブリックの一曲目を逃したことを除けば)最初から最後までちゃんとみることができた。各々の出演者について触れていくと恐らくキリがないので、とりあえずいつチルバンドにだけ言及することにする。そもそも、これが結成されたのはたしか三月ライブの夜のことで。ベースを始めたいと言っている後輩がいたので、その場のノリで「自分が曲書くからバンドやりなよ」みたいなことを言ったような覚えがある。結果生成されたのは、およそ初心者向けでなさすぎる高難易度楽曲だったわけだけれど……。いや、申し訳なかった、本当に。その日の夜のどこかでネタばらしをしたように、まあ勿論それ一つだけというわけではないのだけれど、『 Answer to 』は自分のことを好きでいてくれる人たちのことを思って作った楽曲というか何というか。少なくとも歌詞はそういった気持ちに基づいて書かれていて。そんな楽曲をいつチルバンドという、一見ふざけた名前の、けれど本気で取り組んでくれている後輩たちに演奏してもらえたというのは、それ自体、割と普通に嬉しかった。みたいな話、ちゃんと言えてなかったかもな。言えてなかったかもしれないのでいまここに書く。書いた。

 ライブが終わって、諸々があって時間別に夕食をとるという手筈になったので、コテージ前の椅子に座って今後のことを考えたり、だらだらしたりするなどをした。夕食を済ませて、それからやっぱり温泉へ行って、三度目のコーヒー牛乳を片手にだらだらタイムを満喫した後で帰った。このときの帰り道に「あれとか、なんだか天の川っぽくないですか?」と某後輩が指さしたそれをみて、「ああ、たしかにそうかも」と思ったことを覚えている。天の川なんて、生まれてから一度もみたことがないからそうだと思うこともなかった。

 大吉発表。準備している人たちを横目に、自分と某後輩と某先輩との三人は、上からテニスコートの外れまで自分たち用の椅子を運び、それに腰掛けて結果発表を待つことにした。遠くのほうで某後輩二人組が「さよならとは?」みたいなことについて話をしているのが薄らと聞こえてきていて、それで、なんとなく意識がそういった話題のほうへ引っ張られた。『focus』に関する話は合わせ練をしていた頃からいくつか聞いていて、一方で『さよならライカ』に関する話はあんまり聞いたことがなかったかもなと思い、色々と話を振るなどした。『さよならライカ』は自分が本当に好きな楽曲のひとつで、予選投票でも本戦投票でも 3 点を入れた。だからと言って、大吉に収録されることになるかどうかはまた別の話だけれど、とはいえ、いまこのタイミングで聞いておかないと一生機会を逃し続けそうだという気持ちがあり。なので、結果発表までの間はその楽曲に付随する話題をあれこれ聞かせてもらうことにした。

 大吉発表。自分の曲が入ったことは当然のように嬉しかった。振り返ってみると、本戦の対象になった曲はすべて収録されることになったっぽく、嬉しい話。『星降のパレーシア』が意味分かんないくらい高順位にいたのも嬉しかったな。あの楽曲は、以前から自分を含めた数人の内に限っては大きな存在で、ところでそれはしかし普遍的な価値ではないわけで。それがなんていうか、認められたみたいで嬉しかった。「価値が一般化される瞬間」と某先輩が言っていた。「好きだと思って作ったものに、好きだと言ってもらえるとやっぱり嬉しい」とも言っていた。その通りだなと思う。自分も、『星降のパレーシア』に限った話ではなく、『Finalizer』も『リスティラ』も『消えたポラリス』も、自分の好きな人たちと一緒になって作った音楽をこうして認めてもらえて、本当に嬉しいです。ありがとうございました。

 という話はあるのだけれど、それと同じくらい嬉しかったのがサトルイケ、周辺、Rakuno.α あたりの、かなり付き合いの長い人たちの楽曲が入っていたことだった。スライドでの公開が始まって何枚目かに Ashedmoon の名前がみえたとき、普通に嬉しすぎて隣にいた周辺の肩叩きまくったし。っていう話を本人たちに伝えて回った気がする。いや、回ってはないか。回ってはないけど、でも、とにかくそういう気持ちが強かった。なんていうか、なんだろうな。ベスト盤というある意味での区切りのような立ち位置のそれで、好きな人たちの楽曲と一緒に自分のそれも収録してもらえるっていうのが、なんか、単純に嬉しかった。サトルイケや周辺が月吉に曲を出すことはきっともうないだろうし、これが最後の機会だったから尚更。あと、『sempai』が収録されたのが何気にかなり嬉しかった。実はかなり推しているので。

 大吉発表が終わって、夜。某後輩と「この後、みんな何をするんだろうね」という話をしているときだったと思う。不意に「なんなら散歩でもしますか?」と言われ、じゃあそれで、と思った。大吉発表後の熱が冷めないうちに話をしておきたかった数人に声を掛け、ああ、だからこのタイミングでさっきの話をしたんだった。コテージへ戻ったら、某後輩がいまから眠ろうとしているところだったから。それからテニスコートで刺身を食べたり何だったりをしている人々を横目に出発し、例のごとく山道を下る。途中、「『signal』、めっちゃ好きです」という話を聞き、嬉しかった。海に出るとすっかり潮が満ちていて、二日目に朝焼けをみにきたときとはまた違った雰囲気だった。宴会場から盗んできたお酒を各々開けて、そのときの写真が周辺の note に公開されている。何を話したのか、正直あまり覚えていない。あんまりにも眠かったから。あんまりにも眠すぎて、普通に一五分ほど眠ってしまっていたらしい。目が覚めた直後に「眠っているうちに重大な話し合いがなされましたよ」という話を聞かされ、「え、なになに?」となった。何度だって言うけれど、口約束なんて星の数ほどあればいいと思うから。だから、その重大な話し合いによって決定されたらしい内容について聞いて、思い切り笑った。実現すればいいなと思う。面白すぎるから。

 帰り道。生憎の曇り空で、あまり星はみえなかった。「あっけなく寝過ごした夜の名残を思い出せるように今夜星をみたかったのに、晴れてないな~」みたいなことを言った気がする。『focus』も『focus』で、自分の中ではそこそこに大きめの存在となっている楽曲で、だから、あの曲で描かれていたのってまさしくこの帰り道そのものじゃんかと思いながら。いやまあ、楽曲の正しい時間軸は夕暮れだろうと思うけれど。その途中では多分色んなことを話したのだけれど、某後輩の一言に全部持っていかれたような気がするな。それくらい印象的な一言だった。居合わせた某先輩も数秒ほど絶句していたし、自分も言葉を失った。小説なんかじゃありがちな描写だけれど、とはいえ人間、本当に驚くと声が出せなくなるものなんだなと思った。いや、でも、かなり嬉しかったかもな。知り合って五年目にして、そんな言葉が聞けるなんて思ってもいなかったし、自分だってそうであれたらいいと思うから。

 二三時頃には宿へ戻った。朝焼けのリベンジをするぞという話になり、なのでなるはやで寝ようという話になっていたのに、なぜかコテージ前の椅子に座りこんでしまい、普通に夜更かしをした。意味が分からない。ところで色々と大切な話を聞くことができたし、大切な話をすることもできた。友達という言葉に対する理想がかなり高くて、ところでそんなものを護りたいわけではなかったんだなという話。正しくは、護りたいと思っていた理想の先にこそ、より確かなものがあるということに気付かされたというか。友達になれたらいいと思うし、友達のままでいられたらいいと思う。そういう話をした。あとはポップコーンを食べまくった。

 

 

 四日目。

 

 朝焼け部のために早起きを試みるも、失敗。隣で眠っていた某後輩に起こされる形で起床。某先輩1に押し入れの中で眠っているらしい某先輩2を叩き起こすことをお願いし、自分は自分で某後輩を起こしに行った。15 分くらい起きてこなかった。数時間前に登ったばかりの山道を下って海へ降りる。生憎の曇り空が続いていて、朝焼けをみることはできなかった。踏み込んだ話は前夜に済ませてしまっていたから、さて今度は何をしたものかなと思いつつ、やはり寝っ転がったりしていた。ところで夜にしかないものを拾い集めることはできたなという気がしていて、水面の影とか、みえない彗星とか、そういうのを探して回ったりもした。そうこうしているうちに朝が来て、自分たちとは別に早朝散歩部をやっていた某後輩と合流。そのまま「あの、シティポップの木のところ行こうよ」と言い出した某先輩に従って歩き始めた。シティポップの木の根元には自販機とバス停があり、逆に言うと自販機とバス停以外は何もなかった。しばらくの間、そこで海を眺めて過ごした。防波堤に腰掛けて、『マリンブルーに沿って』や『hope』を聴いたりもした。海に行ったら毎回やるやつ。

 その後、朝食をとり、わちゃわちゃした後、帰りのバスに乗る。「わちゃわちゃ」という表現にすべてを詰め込んだけれど、実際わちゃわちゃしていたのでまあいいでしょう。

 帰りの船で、大例会パンフに載っていた「謎」を解こうかなと思って少し考えてみるも、難しすぎて断念。某後輩に意見を仰いだら、自分よりもかなり進んだところまで考えていて、そのままめちゃくちゃ大きなヒントを貰うも、睡魔に負けて睡眠の選択を取る。結局、どういう答えだったんだろう、あの謎。

 

 

 以上、こんなところかな。他人の書いた大例会日記を読んでみた感想として「群像劇っぽくて面白いな~」というのがあった。同じ四日間を同じ場所で過ごして、ところでやっていることは全員まちまちだったわけだし、それはそうって感じ。

 やりたかったことのほとんど全部を回収できた四日間だったと思う。運営人間たちへの感謝と、この四日間で自分の我儘に散々付き合ってくれた人たちへも多大な感謝を。ありがとうございました。楽しかったです、本当に。

 

 

 

another parrhesia


 某に勧められた『少女妄想中』を読み終えてから書こうと思っていたのだけれど、しばらく外出できなさそうなので、このタイミングで書いておくことにした。

やがて君になる』の微妙なネタバレが存在するので、読んでいない人かつネタバレを気にする人は、以下を読み進めないほうがいいかもしれない。

 

kazuha1221.hatenablog.com

 

 ジャンルで区別するのなら恐らく百合ということになるだろうと思うけれど。ところで、世間一般で言われるようなそれとは少しだけ乖離しているかもしれないという気がする(百合エアプなので分からない)。このことを説明するためには、まずもって自分が百合というジャンルのどこを気に入っているのかという話をしなくてはならないのだけれど。なんていうか、男女の恋愛関係を取り扱う作品においては、どうしたって性的なニュアンスが強調されがちだよなというのがあって。いや、嘘で、全部が全部そうってわけじゃないけれど。ただ、たとえば『アオのハコ』とか『ホリミヤ』とかを読んでみても、自分はそういった感想を少なからず抱く。……性的って言い方があんまり正しくないかもな。身体的、くらいでいいのかも。とにかく、男女間の恋愛って割とその身体的な差異が前提とされているよなというのがあって、ところで、こと恋愛に対して自分が求めているものは恐らくそうではないという話があり。ここで誤解が生じないように断っておくと、そういった作品を楽しめないという意味ではなくて、『アオのハコ』も『ホリミヤ』もかなり好きだし(後者はまだ途中までしか読めていないけれど)。ただ、それはそれとして自分の理想はまた別のところにある、という話。そして、その正体を探るために、百合というジャンルはものすごく適しているように思う。

 

やがて君になる』という作品が自分の中ではかなり来ていて、最初に読んだとき「自分の思考回路を読まれている?」と感じたくらい。それで作者のインタビューを読み漁っていた時期があり、その途中に見つけたこの文章のことをよく覚えている。

www.excite.co.jp

「はい。そういう欲求は二人ともあるよ、ということは、ごまかす必要もないことだし、ごまかさない方が良いと思っていました。」の部分。百合という関係性においても身体的なそれが切り離されるわけではないんだな、という意味で記憶しており、ところで、そうした欲求の発露が全七巻にも渡る長大な、お互いの「好き」を確かめ合うための過程を経た上でようやく訪れるという点で、自分はこの作品を気に入っているのだと思う。「そっちが先であるべきだよな」という安心感があるというか。一方、男女の恋愛においてはこの順序が逆転し得るというか、身体的なそれが先にあって、その介入によって「好き」が形成されてゆくことがあるという話。それ自体は悪いことではないし、というかいたって自然なことと思うのだけれど、けれど、なんていうか、誤魔化されているような気がしてしまう。なので、百合という関係性を自分が気に入っているのは、身体性に基づく好意が表面化しにくいから、ということになる。ところで、そうでない百合作品が存在することも知っており、一概には言えないという話も当然ある。

 

 佐々木と由夏のような関係性が、思うに自分の理想とするところにかなり近くて。締め切りまで余裕がほとんどなかったので手癖全開で書いたところ、本当にただの手癖みたいな二人が出力された。全人類とこうなりたいとは思わないけれど、自分の好きな人たちとはこれくらいの距離感に収まれたらいいかもなと思う。これくらいの距離感っていうか、具体的には、最後の夜にどうだっていいことを話しながら歩けるような、それくらいの。本当に大事なことはほんの一言二言交わすだけでよくて、好きな恒星とか、夜が怖い理由とか、残りの全部はそういったことを話していたい。そういう意味で、大例会四日目朝の散歩はかなり良かった。ああいう永遠を集めて生きていきたいなって思う、思った。……話が脱線した。大例会の感想戦もそのうちやる。

 

 短編版『星降のパレーシア』のことを自分はアナザーパレーシアと呼んでいるのだけれど、アナザーパレーシアを書く上で心掛けていたのは、佐々木も由夏もお互いに相手への好意的な感情をほとんど口にしないということ。「好き」という言葉を軽々しく扱いたくなくて、……みたいな信念的な何かがにじみ出ているなと思う、この部分については。由夏に対する佐々木の立ち振る舞いとか、それに応じる由夏のスタンスとか、そういったものに「好き」を介入させられるだけの分量を割く余裕がなかったから。『やがて君になる』の例でいうなら、第一巻から第七巻に相当する部分を描写せずに第八巻の内容をいきなり描くみたいな。過程の提示されない「好き」には重みが宿らないから、だから却って軽くみえるような気がして。それで気をつけていた。逆に、「嫌い」という言葉は何度も使った。自分なら、他人相手にはまず使わない言葉の一つかも。けれど、それによって描くことのできる関係性もあるよなと思って。「好き」が使えない分、真逆の言葉を効果的に組み込むことで「好き」を表現できないかな、と思ったり思わなかったりしながら書いていたような気がする。こういうのも全部、恋愛感情がどうだとかそういう話ではなくて、そういう話ではないから男女二人で描くことはしたくなかったというのがある。これもまた、「そういう話ではない」ということを説明するだけの余裕がなかったからという話ではある。そのことを読み手に知らしめるだけの情報が 100,000 字分くらいあれば、男女で描いても同じ結果になると思う。だから本当は百合でなくともよいのだけれど、今回はそうするしかなかったという話がある。

 

 ブログへアップロードした原稿は大例会パンフに載せてもらったものと同一で、ところでこれらは初稿から一部修正されているという話がある。何をどう変更したのかというと、初稿の段階では最初から最後までを一通り読めば、どんな雑に読み進めたとしても物語の構造がある程度分かるような構成になっていたというか。佐々木がいつものように手を繋ごうとした理由とか、どうして由夏は佐々木に会いたくなかったのかとか、そもそも二人はどこへ向かって歩いていたのかとか。そういう全部に、誰がどう読んでもおおよその当たりがつくような構成にしていた、意図的に。別に、作品の意図について考察されたいわけではなかったし、大例会中の暇つぶしになればいいや程度の気持ちでしかなかったから、当初は。ところで、完成した原稿を何度か読み返しているうちに「いや、本当にこれでいいのか?」みたいな気持ちがどこかで芽生え、結局、いま現在人の目に触れている形に落ち着くことになった。なんていうか、最初は何が何だか分からないけれど、読み進めるうちに徐々に構造が明らかになっていくタイプの作品が自分は好きで、米澤穂信のリカーシブルとか。なので、あの作品を読んでくれたという人(ありがとうございます)の中でも、「結局、これって何だったんだ?」と思っている人は少なからずいるだろうな~と思っている。いるので、こんなどうでもいい文章をここまで読んでくれた人へ向けてその辺りのことに関するヒントを書いておこうと思うのだけれど、『七月一四日』。初稿から修正するにあたって書き加えた言葉のひとつがこれで、それと『八月三一日』。こちらは初稿時点であった設定。作中で登場している日時の情報がこの二つだけで、だから、自分としてはこれでもあからさますぎるかなという感じで、実際、読む人が読めばすぐに気づきそうだなという気がするのだけれど。ところでまあ(作中では言わないようにしたけれど、作品の外では)別に隠すことでもないしな……と思って、なのでいまここに書いておくことにした。

 


 文章を音楽へ変換するのは『アイ』でやっていたのだけれど、逆をやるのは今回が初めてだった。かなり楽しかったので、これくらいの分量でいいなら今後も機会があればやりたいな~と思わなくはない。ないけれど、はたしてその機会があるかだよな、問題は。二、三日を犠牲にすればある程度は生成できることが今回判明したけれど、ところで二、三日を犠牲にする覚悟はそう簡単に決められるものではないという問題があり。むず~。