緩やかな


 死について考えている。希死念慮とかじゃなく、もっと現実的な死について。たとえば、体調を快方へ向かわせようとする努力をここで止めてしまったとして、そうすればまあ運が悪ければ死ぬかもしれないし。たとえば、明日の朝に目が覚めて何らかの理由で自宅のインターネットが利用不可になったとして、これはまあ結構な確率で死ぬ気がする。いや、自分でコンビニまで行けばいいといえばそうなんだけど、いまはちょっと立ち上がる気力もないし、単純に身近な人たちへヘルプを出せないのがヤバすぎる。前に一度あったんだよな、朝起きたらインターネット環境の全てが絶たれていたこと。まあ、あれはあれで特殊な事情があってのことだったから、今回そういったことが起こることはまずないだろうと思うけれど。

 

 緩やかな死へ向かっていっているという気がする。大袈裟だろって笑ってくれていい、自分もそう思うから。大袈裟。そう、大袈裟なんだよな、明らかに。でも、そんな気がしてる、さっきからずっと。三、四年くらい前の自分はよく倒れていて、原因はよく分からない。貧血とか、栄養失調とか、睡眠不足とか、多分この辺りのなにか。外出中に倒れて救急車で運ばれたこともあって、でも、それはまだよかったんだと思う。不幸中の幸いというか、自分の身に異常が起きたことを察知してくれる人がすぐ近くにいたという意味で。ところで、自宅で倒れたことも何度かあって、こっちがちょっとまずかった。なんていうか、「あ、もしかしてこのまま死ぬ?」みたいな。「やば、倒れそう」と思ったときにはもう動けなくて、スマートフォンを操作するとかじゃないし、なんなら手元にないし。だからこのまま目が覚めなかったとして、そのことに気づくことのできる人ってどこにもいないよなと思って、そういうことを思いながら意識がフェードアウトしていって、頭にスタンガン食らったみたいな激痛と一緒に。結局、その後にちゃんと目が覚めたからよかったんだけど、あのときは何十分くらい倒れてたんだっけな。あれは、なんていうか、急激な死だと思う。本当に、こればっかりは大袈裟ではなく、死が目の前にあった気がする。実際にはそうでなかったとしても、当時の自分の目にはそうみえていたのだから、それはもう自分にとっての現実と言ってしまっていいはず。

 

 緩やかな死という言葉は、そのときの感覚を念頭に置いて、その対比として使っている。なんていうか、まず M3 どうするんだろうなって話がある。これはまあ本当に最悪の場合は新譜を落とせば最初から何もなかったことにできる。次に、修論どうするんだろうなって話がある。最低限、前期を終えた時点でそれまでの内容をまとめれば修論はかけると思うと言われていたので、これもまあ新しいことを過剰にやろうとしなければなんとでもなる。最後に、バイトどうするんだろうなって話がある。自分は塾講で担当生徒が数えるのに両手が必要な程度にはいて、休んだ分の埋め合わせをしなきゃいけない、当然ながら。これもまあ 11 月を犠牲にすればまあ何とかなりそうな気はする。いやだから、全部どうにでもなるんだよな。どうにでもなる、マジで納得のいかない選択肢をそれでも選べば、全部どうにでもなる。どうにかなったということにできる。ところで、そこからさらに一歩踏み込んで、実際にその選択をしたあとの自分について想像してみる。それから、これこそが緩やかな死だな、と思ったりする。音楽とか数学とか、まあバイトはどっちでもいいといえばどっちでもいいけど、でも生徒を受け持つことの責任があるからバイトも含めるとして。なんか、自分が好きでやっていることの全部を手放して、そうしてなんとか締切の先の時間を歩いていくことが出来たとして、それっていったい何の意味があるんだろうと思う。思う、思ってしまうな。マジで生きてる意味ないって、そんな自分。……みたいな気持ちがずっとぐるぐるしてる。死なないことがまず何よりも優先されるべきで、それは本当にそう。早くよくなった方がいいし、そのためにもいまは何もせずに休むべきだし、それも本当にそう。でもなんか、こうしてただ寝転がっている間にも残り時間は削れていっているわけで、つまりは緩やかな死が徐々に現実味を帯びていくわけで。みたいな。熱がどうこうよりも、こういうことを考えざるを得ないのに何も出来ないという状況を強いられることのほうがよっぽどしんどいな。いますぐにでも曲作りたいのに、身体起こすのも結構だるい。

 

 自分のことをよく知っている人なら知っているかもしれないこととして、メンタル、別にそんな強いわけじゃないんだよな。なんていうか、自分の周囲にいる人たちを思い出してみてもそうだけれど、その多くが、自分の弱みとか辛いこととか悲しいこととか、そういうのを上手く隠して生きているようにみえる。ふとしたきっかけでその悩み事の断片に触れたりして、「この人にもそういうのがあるんだ」と思うことなんて幾らだってあるし。向かい合った他人が、悩み事なんて何一つもないという風にもしみえるのなら、それは多分、その相手がよっぽど上手くそれを人目につかないよう隠しているからだと思う。というので、だからまあ、思うにこういったことは誰だって大なり小なりやっているはずのことで、別に自分が特別だって訳でもなく。メンタル、そんなに強くないどころか普通に弱いほうだと思うんよな。他人のそれとは比較できないから知らないけど。普段はそういうことを知られないようにって自分なりにうまくやってるつもりなんだけど、なんていうか。こういう、マジでどうしようもないわってときに本当にダメになるなって自覚がある。数時間前も、昨夜も、発症直後の夜もそうか。なんか、なんかな。他人の優しさに触れていないと、いまにも緩やかな死の暗がりに飲み込まれてしまいそうで、それが本当に怖いんだよな。

 

 幸いなことに、これまでに自分のことを助けてくれた人はたくさんいて、本当に助かってる。ありがとうございます。物資とかはまあ勿論そうなんだけど、メンタル面でのアレとして。なんか、二時間くらい前に目が覚めて、そのときはまだ 38.4℃ くらいあって。それでまたメンタルがヤバいことになってたんだけど。いまは解熱剤飲んで imanishi の買ってきてくれた冷えピタ的なそれを頭に貼ってるからか 37.1℃ まで落ちており、ここ数日のメンタル乱高下ファクターを文字媒体で吐き出したこともあってかなり気が楽になった気がする。うん、そんな気がするな。とりあえずいまも横になってはいるけれど、まあ眠れはしないよね。昨日だってほとんどずっと寝てたし、「眠い」って感覚が全然ない、ここ数日。眠くなくても寝てるから。というか、ずっと横になっているせいか、全身がめちゃくちゃに痛い。関節痛とかじゃなく、硬めのソファで一晩眠った直後みたいな感じの。部屋は真っ暗で、枕のすぐ隣に解熱剤の残骸とか体温計とかが放置されていて。除湿で動き続ける空調の音の、その隙を縫って窓の外にいる秋の虫の鳴き声が聞こえてきたり。もう秋か〜って感じ。……なんていうか、文章の終わらせどころを完全に見失っているな。だって、書くのを止めちゃったらまた何もすることのない夜が始まるし。ところで、どうだっていいことをだらだらと書き連ねても仕方がないしみたいなところもあり。まあ、そうね。この辺りでやめとくか、とりあえず。