星降のパレーシア

 

 佐々木はいつものように、私と手を繋ごうとした。
 河沿いの涼しさに紛れて、右手のすぐ近くに彼女の体温があった。見慣れたワンピースの袖が、返事を待つみたいに視界の隅で小さく揺れていた。
「八月も、今日で終わりだね」
 あと五時間くらいかな。そう言いながら、時計をたしかめることはせずに、私は彼女へと手を差し出した。佐々木の細い指が、繋ぐというよりは確かめるみたいに、弱々しく私の指先に触れる。まるで真冬のような冷たさだった。佐々木は私よりもずっと体温が低くて、ときどき心配になる。
 佐々木は張り詰めた水面のような少女だった。とても綺麗で、澄み切っていて、だからこそ些細なきっかけ一つで大きく揺れ動いて、二度とは戻らなくなってしまいそうだった。ぴたりと凪いだ海と同じくらいに奇跡的で、あまりに現実味がない。それが彼女、佐々木深冬に対する印象のすべてだった。
 できることなら、私は彼女の内に宿る純粋をそのままに留めておきたかった。
 佐々木深冬という静寂を破ってしまうくらいなら、私はずっと何も言えないままだって構わなくて。押し入れにしまいこんだままのアルバムの一頁のような思い出になれればそれでいいと思っていた。
 なのに今、私と佐々木は二人きりで夜の中にいる。その偶然が意味するところを私は、十分すぎるほどに理解していた。
 だから私は、なるべく普段通りに笑う。
「佐々木の手、やっぱり冷たい」
 佐々木の指が微かに跳ねた。擦れる一瞬のくすぐったさも、佐々木のものと思えば不思議と悪い気はしない。
「けど、安心する。ああ、佐々木の体温だな、って」
 みると、佐々木はなんだか困ったような表情を浮かべていた。それから何かを言おうとして、けれど途中で諦めたみたいだった。
 私たち以外に人の気配はどこにもなかった。名前の知らない、耳に馴染んだ声の虫がすぐ近くの草むらで鳴いている。流水が段差を落ちるときの、ざらついた音が遠くのほうから聞こえている。頼りのない街灯、眠ったままのベンチ、ほんのわずかに欠けた月明かり。夜にしかないものだけがあって、他には何もない。私たちの足音と会話がやんで、たったそれだけのことで、まるで世界中が息をひそめたみたいに錯覚する。それはどこまでも凪いだ水面のような、佐々木のような夜だった。
 佐々木はそれほど口数の多いほうではない。少なくとも私に比べればずっと寡黙で、こんなにも詩的な夜が、だからとてもよく似合っていた。通学路のバス停でも放課後の教室でもなくて、たとえば今のような、すっかり陽の落ちてしまった暗がりの帰り道にこそ私にとっての佐々木がいる。
「佐々木」
 と私は彼女の名前を呼ぶ。すると、目が合った。前髪の隙間に覗くふたつの黒い瞳は、こんな暗闇でだってはっきりとみえる。
「歩こうよ、いつもみたいにさ」
 佐々木はやはり何かに困っている様子だった。
 返事はすぐにはこなかった。私は離れたところにある信号機を、なんとなしに眺めていた。車も歩行者もない横断歩道を守る小さな信号の灯りは、何度か明滅した後、コインが裏返るみたいに一瞬で色を変える。
 夜には鮮烈な赤も似合うな、と考えているときだった。ようやく、佐々木が口を開いた。
「わかった」
 そう言って、佐々木は小さく頷いた。
 そんな彼女の仕草をみて、安心する。夜の静寂は私たちに何も強制しない。だから、進むにせよ留まるにせよ、それは佐々木自身の意思であるべきだ。佐々木が私の提案に乗るという選択をしてくれたことが、ほんの少しだけ嬉しかった。
 私は微笑む。
「佐々木の声、久しぶりに聞いた」
「私だって、由夏の声を聞くのは久しぶりだよ」
「七月一四日の教室が最後だよね。勿体ないことしたな」
 緩い風が辺りをすっと通り抜けて、佐々木の整った黒髪を微かに揺らした。枯れ木と青空が真っ先に思い浮かぶ、およそ夏らしくない風だった。
「いこう」
 それから、私は歩き出した。
 手を引かれるままに、佐々木が後をついてくる。
 私は足早にならないよう気をつけながら、あてもなく空を見上げた。
 私と佐々木の立っているこの道が、お互いにとっての帰り道であることには違いなかった。私は私の帰るべき場所へ帰るのだし、佐々木は佐々木の帰るべき場所へ帰る。当たり前のことだ。そんな当たり前のために私たちはここにいて、そんな当たり前のためにこんな夜がある。だとすれば、こうして彼女の手を引くことがきっと、私の果たすべき役割なのだろう。
 佐々木は歩きながら、ときどき何かを言いたそうにしていた。繋いだ指の先に込められた力が、まるで遠くの星が明滅を繰り返すみたいに強まったり弱まったりしていた。それは私に宛てた信号だったのかもしれないけれど、流石にそこまでは読み解けない。
 歩調を緩めて、佐々木の隣に並ぶ。彼女と二人きりでいるときの沈黙が、私は好きだった。思い返せば、記憶の中の彼女はいつだって口を閉ざしている。知り合って以来、話をした時間よりもお互いに黙っていた時間のほうがずっと長いはずだ。
 けれど不思議なことに、今夜は話をしていたい気分だった。
 私は尋ねる。
「夏休みの宿題は済ませた?」
「うん。約束したから」
「やっぱり。佐々木が私との約束を破ったことなんて、これまでに一度もなかった気がするな」
「そうだっけ」
「ああ、嘘、一度だけ。たしか、待ち合わせに寝坊したことがあった。連絡にも返事がなくて、それで佐々木の家まで歩いた覚えがある」
「中学の頃だよね」
「たぶん。だから二、三年前かな。そう、そのときも思ったんだ。あの佐々木が約束を破るはずがない。ましてや返事がないなんてことはあり得ない。もしかしたら、なにか危険なことに巻き込まれたんじゃないか、って」
「ただの寝坊だったのに」
「でも、おかげで寝ぐせだらけの佐々木がみれたから。写真に撮っておけばよかったかな」
「やめて。はやく忘れてよ」
 佐々木は拗ねるみたいに口を尖らせた。彼女にしては珍しく子どもっぽい表情で、私はつい笑った。
 佐々木の視線はほんの少しだけ下を向いている。
 そんな彼女の横顔を眺めながら、私は歩く。
「由夏だって」
 と佐々木がおもむろに私の名前を呼ぶ。
 指先の力がわずかに強くなる。そこから伝う佐々木の温度を、どうしても意識してしまう。
「由夏だって、私との約束は破ったことないよ」
 そう呟いて、佐々木は足を止めた。
 続いて、私も足を止める。前方、視線の先、横断歩道の向こう側にある信号機は赤を示していた。夜道を照らす街灯とは距離が離れていて、橙の灯りは私たちのところまでは届かない。そのせいで、進入禁止を示す赤の色が過剰に目立っていた。
 佐々木は続ける。
「今夜だって、私のことを待ってくれていた」
 それは誤解だ。
 私は佐々木のことを待っていたわけではない。正直なところ、できることなら会いたくないとさえ思っていた。
 頭をよぎった言葉の多くを飲み込んで、私は答える。
「佐々木のせいだよ。もしかしたら来るかもしれないと思ったら、待たないわけにはいかないでしょ」
 佐々木が私との約束を決して破らないことを、私は知っていた。そして今夜、八月三一日、まだ果たされないままで残っている約束のことも私は覚えていた。だから、誰もやってこないことを願いながら、それでも彼女を待つしかなかった。ただ、それだけのことだ。
 でも佐々木は首を振った。
「違う。それは由夏が優しいから」
「そんなことない。私、佐々木が思っているほど良い人じゃないよ」
「知ってる。由夏の嫌いなところなら、いくつもある」
「へえ、佐々木からそんなことを言われるとは思ってなかったな。たとえば?」
「そうやって、私のことばかり心配するところ」
 佐々木の声はいつになく鋭利で、尖っていた。
「由夏は優しすぎる。私のことを、いつだって考えすぎてくれる。嬉しいよ。でも私は、もっと由夏自身のことを考えてほしい」
 佐々木がこんな風に話すのは珍しいことで、しばらくの間、私は言葉を失った。返す言葉がなかなかみつからなくて、視線を空へ向けるしかなかった。
 違う。私は別に、優しくなんかない。こうして佐々木と付き合っているのだってとても個人的な都合からであって、本当は彼女の顔なんてもう二度とみたくなかった。私の事情を知らないから、だから佐々木はそれらを優しさと勘違いしているだけだ。すべてが許されるのなら、そう言ってしまいたかった。
 けれど、できなかった。佐々木の指が、あまりに弱々しく震えていたから。
 信号が青に変わる。だけど私たちは無言で立ち尽くしたまま、お互いに歩き出そうとはしなかった。誰も渡らない横断歩道、その向こう側で青色の点滅が始まるまでを、私はただ茫然と眺めていた。
 やがて、信号はまた赤へ変わる。
 私は、私自身の考えを佐々木に押し付けてばかりいる。これまでだって、いまだって、佐々木深冬という静寂に対する感情を、都合を、理想を一方的に押し付けてばかりで、佐々木自身のことなんてほとんど何も考えていない。いつだって私の目に映っているのは佐々木深冬であって、佐々木ではない。
 なのに、彼女はそれを優しさだと言う。その言葉を聞いた途端に、自分の中にあるはずのそれがいったい何だったのか、よく分からなくなってしまった。
「連れていってくれていいんだよ、私のこと」
 声がして、ふと佐々木のほうをみる。いつからだろう、彼女の視界は私の姿を中央に捉えていた。気を抜けば吸い込まれそうなほどに深い黒の瞳から、私は目を逸らすことができなかった。
 震えたままの指先を隠すこともしないで、それでも佐々木は言った。
「私は、由夏のこと、独りきりになんてしたくないよ」
 それはまるでなにか巨大な存在に祈るような、こんな暗闇でも真っすぐに届く流れ星のような声で。
 そして紛れもなく、私がよく知っている佐々木深冬の声だった。
「私も、佐々木の嫌いなところが一つだけある」
 と私は言った。
 佐々木は小さく首を傾げる。揺れた前髪が、彼女の左目にわずかにかかった。
「一つだけなんだ? ちょっと意外」
「意外ってこともないんじゃない」
「そうかな。私と由夏は、そこそこ真逆の考え方をしていると思うから。探せば、たくさん出てきそうだよ」
「たしかに佐々木の言うように、気がつかなかったり忘れたりしているだけかもしれないけれど。でも、ずっと昔から今の今まで思っているのはたぶん、これ一つだけじゃないかな」
「それって私、聞いたことある?」
「ないと思う。話した覚えがないから」
「なら、教えて。とても聞きたい」
 佐々木は、クラスメイトの誰にも秘密の内緒話を教室でするときのような声色で言った。
 進入禁止を表す赤色が消えて、曖昧な緑の光が視界の端にちらついた。私たちは今度こそ横断歩道を渡る。
 頭の中でだけ言葉を整理して、それから小さくため息をついた。いまが冬でなくてよかったと思う。ため息の行方なんて、佐々木にだけは絶対に知られたくないことだった。
 何を否定するでもなく首を振って、私は言う。
「いまみたいに、私の前でだけは強がるところ」
 佐々木は小さな声で笑った。
「それは、お互い様だよ」
「怖いなら怖いって言えばいいのに。なのに、真っ先に手を繋ごうとしたりする」
「それも、お互い様かな」
「佐々木のそういうところは、あまり好きじゃない」
 やっぱり。
 私は、佐々木の言うような優しさなんか持っていない。彼女が本心では何を望んでいるのかを、私はきっと知っている。なのに、その願いが決して叶わないように動いている。今夜、私と彼女が出会うよりもずっと前から。それは私が、佐々木ではなく佐々木深冬のことを、つまりは私自身の都合を優先しているということだった。
 ――連れていってくれていいんだよ、私のこと。
 こんなものが優しさだと、私は思いたくなかった。だから今度は明確に、佐々木の言葉を否定するつもりで首を振る。
「これも佐々木は知らないだろうと思うけれど」
 私は微笑みながら言った。
「私にとっての佐々木がいるのは、陽が落ちた後の帰り道なんだ」
 佐々木は黙っていた。
 普段の彼女がそうであるように、彼女は私の言葉の意図を汲み取ろうとしてくれているのかもしれなかった。由夏の話は難しい、と佐々木はよく言っていた。そのたびに私は、自分がどういった意味でその言葉を使ったのかを佐々木に説明する。それはいつものことだった。
 けれど、私は構わずに続ける。
「だから、私たちはこのまま帰るんだよ、佐々木。それに、ほら。約束だって、もうじき叶っちゃうしさ」
 私は視線で東の空をさす。ちょうど佐々木の立っている方角だった。
 夜の底は仄かに明るい。きっと遠くの高層ビルが照らしているのだろう。その上空、あまり雲の出ていない空にはわずかに欠けた満月が浮かぶばかりで、星のひとつだってみえはしない。
 それでも私たちは、そんな何もない空から目を離そうとはしなかった。その理由はあまりにも明白で、お互いに分かりきっている。
 示し合わせたように、二人分の足音がやむ。
 きっといまだけは世界中が息をひそめて、その一瞬を待っている。
 これからあの向こう側で起こることを、私たちは知っていた。
「始まった」
 瞬間、鮮やかな閃光が東の空を一面に染め上げた。
 群青の粒子が宙を舞う。その隙を、橙の軌道が放物線を描きながら消えてゆく。ひとつ、またひとつ。たった一度の瞬きをする間に、それらはどこにもみえなくなってしまう。
 たくさんの光たちよりもずっと遅れて、銃声のような爆発音が辺りに響き渡る。その頃には違う色の明かりが夜空を彩って、するとまた身体の中心を直に揺さぶるような乾いた轟音が、まるで消えた光の後を追いかけるみたいに虚空へと散ってゆく。何度も何度も繰り返されるその様を、私たちはただ眺めていた。
 ひたすらに、美しかった。
 都会の夜空を照らす打ち上げ花火は、なにもかもが嘘みたいだった。作り物の映像みたいで、説得力がなくて、現実味がなくて。でも、だからこそ、こんな夜の中で何よりも本物のように思えて仕方がなかった。
「綺麗だね」
 と私は言った。
「うん」
 と佐々木は答えた。
 私は、佐々木と繋いだままの右手をじっとみつめる。記念写真のようにいまこの瞬間だけを切り取って、それを永遠にしてしまえたならどんなに幸せだろう。最後の約束を叶えて、直後に舞台の幕が下りるのだとしたら、その結末はきっとハッピーエンドに違いない。すべての物語がそうであれるのなら、そんなにも平和な世界はないだろう。
 夏の終わりを告げる花火はあまりにも鮮烈で、いつまでも見飽きることはなかった。けれど、ここで立ち止まったままでいるわけにもいかなくて、だから私は彼女の名前を呼んだ。
「佐々木」
 彼女の後ろ髪が揺れる。振り返って、目が合う。そして私は、ひどく混乱した。
 佐々木深冬が泣いていた。
 私の目の前で、声を上げることもなく涙を流していた。
 佐々木が泣いているところをみるのは、これが初めてのことだった。それなのに、彼女の泣き顔はとても自然に整っていて、澄んでいて、記憶の中だけにある佐々木の印象と何ら食い違わない。まるでそれ自体が夜を構成する一つの要素であるみたいに、ただ静かに佐々木は泣いていた。
 初めて目にする彼女の表情に、私は多分、心を奪われていた。
「由夏」
 とほんの小さな声で、佐々木が私の名前を呼んだ。
 あまりにも静かだったから、佐々木の呼吸する音さえはっきりと聞こえた。数えられるくらいの時間をかけてゆっくりと息を吸い込んで、吐き出して、それから彼女は言った。
「嬉しかった。由夏と一緒に、こうして花火がみられて」
 佐々木の言葉は涙声交じりで、震えていて、掠れていた。くしゃくしゃに丸められた便箋の上に並ぶ文字みたいで、こんな夜でなければきっと聞き逃してしまっていた。
 それでもやっぱり真っすぐに、途切れることなく私のもとまで届く。
「約束。守ってくれて、嬉しかったよ」
 佐々木の声が、瞳が、あんまりに純粋で、私は思わず目を逸らす。
 だから、会いたくなかったんだ。花火のことも、私のことも、佐々木の中にあるすべてがなかったことになって、そのまま八月が過ぎ去ればいい。この夏休みの間、私はずっとそのことばかり考えていた。それこそが私たちにとってのハッピーエンドなのだと信じていた。それなのに。
 佐々木の指はまだ震えていた。
 遠くの星明かりみたいに微かな力で、けれどこの世界にあるどんなものよりも強く、私の右手を捕えていた。
「言わないんだね」
「何を?」
「たったの一言、佐々木がそれを口にすれば、きっと私は佐々木を連れていってしまうと思う。けど、佐々木は絶対にそうはしない。人のこと言えないよ。佐々木だって、私のことばっかり考えすぎだ。もっと、自分を大切にしなよ」
「由夏のせいだよ。由夏が私のことを考えすぎるから、私だって由夏のことを同じくらい考える」
「佐々木のそういうところ、やっぱり嫌いだ」
「うん。私も、由夏のそういうところは嫌い」
 顔を上げる。直後、彼女の背後で大きな花火が打ちあがって、ほんの一瞬だけ、佐々木の表情が分からなくなる。
 佐々木はもう泣いてはいなかった。拭われないまま頬に残った涙のあとが、佐々木に代わって何かを訴えるみたいに、暗闇の中で小さくきらめいていた。
 息苦しかった。彼女の手を思い切り振り払って、そのまま黙り込んでいたかった。佐々木深冬という静寂を破ってしまうくらいなら、私はずっと何も言えないままだって構わなくて。幼い頃から隠し続けてきたその感情は、紛れもなく私の本心に違いなかった。
 けれどそれと同じくらいに、佐々木と繋いだままの手を、私は離したくなんかなかった。誰も知らない夜の底を、もっとたくさんのことを話しながら、ずっと遠くの遠くまで二人きりで歩いていたかった。そんな当たり前の欲求が、当たり前のように私の内側にも残されている。最後の最後まで、できれば知らないふりをしていたかった。
 なのに、佐々木のせいだ。目の前に立っている彼女があまりにも真っすぐに笑うから、たった一つの理想だって、ふと見失ってしまいそうになる。
 お互い様だと、佐々木は言っていた。私が佐々木の望みを知っているように、佐々木もきっと私の我儘を分かっている。なのに、彼女はそれを口にしない。そんな彼女の優しさが、いまはどうしようもないほどに痛い。
「ごめん、深冬」
 それはあまりに言葉足らずな、けれど疑いようもない懺悔だった。
 佐々木は驚いたように肩を跳ねさせる。それから、ほんの小さく笑った。まるで真冬の湖畔のように透明な、とても彼女らしい笑顔だった。
「まだ、その名前で呼んでくれるんだね、私のこと」
 佐々木の体重が、私の全身にゆっくりと寄りかかる。避けることなんてできなくて、私は彼女のことを受け止めるしかなかった。彼女の華奢な身体は信じられないくらいに軽くて、拠り所がない。ほんの少しの力を込めて手を引いたなら、本当に遠くまで連れ去ってしまえそうだった。
「由夏だって、何も言わない」
 胸の奥、その中心に彼女がいる。これまでに経験したことのない、不思議な距離感だった。
「本当は寂しいくせに。私のことを、連れていってしまいたいくせに」
 私は、佐々木に笑っていてほしいとは思わない。一緒にいてほしいとも思わない。私はただ、佐々木深冬が佐々木深冬として生きてさえいてくれればそれでよくて。それだけが、私の理想のすべてだった。
「嬉しいんだ、私。由夏は私のことを、佐々木深冬のことを何よりも大切にしてくれてるんだなって。とても悲しいけれど、でも、それと同じくらい嬉しい。だから、由夏」
 寡黙な彼女にしては長すぎるほどの前置きを終えて、佐々木はようやく結論を口にする。
「できれば、何も言わないままでいてほしい」
 私の胸元へ頭をうずめたままの佐々木の表情は、当たり前のように私からはみえなかった。そのことの意味を、けれど私は知ってしまっている。だって、同じだったから。それは、私がため息の行方を佐々木から隠そうとしたことと、きっと同じだったから。
 東の空では、いまもたくさんの花火が浮かんでは散ってを繰り返していた。でも、佐々木も私も、もうそれらの光を眺めてはいなかった。
 いつかに交わした約束は、打ち上げ花火が終わるまでのものだ。だから、街に覆い被さった夜が普段の静寂を取り戻したなら、きっとそれっきりになってしまう。こんな夜の出来事だって、初めから何もなかったかのように消えてしまって。そうして佐々木が目を覚ましたとき、やっぱり私は、佐々木に笑っていてほしいとは思わない。けれど、泣いていてほしくもない。ただ前を向いて、いつものように歩き始めてほしい。
 彼女の後頭部に手のひらを添える。できるだけ優しく、彼女の中にあるどんな感情もこれ以上は傷つけてしまわないように。右手が塞がっていたから、これがいまの私にできる精一杯だった。
「佐々木」
 と私は彼女の名前を呼ぶ。
 返事はない。たぶん佐々木は、私の言葉を待ってくれていた。どちらを選ぶかなんて分かりきっているはずなのに、それでも佐々木は、結末の決定権を私に委ねてくれていた。
 ――ああ、きっと。
 あのとき佐々木の指先が震えていなかったなら、あるいはそもそも最初から手を繋いでなんていなければ、もしかすると、私と彼女が一緒になる未来もあり得たかもしれない。私はそこまで良い人じゃないし、佐々木のように強くもなれない。たった一つの理想だって、彼女の手を振り払ってまで追い求める価値が、意味があるのかなんて、私にはもう分からない。けれど。
「帰ろう」
 と私は短く言った。
 たとえ意味なんかないとしても、それでも、私は佐々木深冬という少女を護りたかった。
 佐々木はしばらく黙っていた。どうしようもなくて、私は東の空へと視線を向ける。はるか彼方から光と音が交互に届いては、まるで互いが互いを追いかけあうみたいに消えてゆく。それは綺麗なことだと思う、とても。けれど、その光景からは現実が抜け落ちている。真っ暗闇の中ではどんなに本物みたいであったって、これからの佐々木が生きていくのは現実だ。だから、これがやっぱり私の果たすべき役割だった。
 どれほどの時間が経ったのか、分からなかった。やがて彼女は、くぐもった声で「うん」と頷いた。
 寄りかかっていた重さが失われて、私たちの距離はまた元通りになる。ふたたび顔を上げたとき、佐々木はいつものように凪いだ表情を浮かべていた。たったそれだけのことが何故だか嬉しくて、私はつい笑う。すると、つられたように佐々木も小さく笑った。
 夜空を染め上げる花火を横目に、手を繋いだまま、私たちはどこかへ向かって歩き出す。明確な目的地があるわけではなかった。けれどそれは、今度こそお互いにとっての帰り道だった。私は私の帰るべき場所へ帰り、佐々木は佐々木の帰るべき場所へ帰る。そんな当たり前を果たすためだけの暗闇を、私たちは並んで歩いてゆく。
 一歩ずつ、これまで辿ってきた道を確かめるみたいに進む。佐々木が、実は夜道があまり得意でないことを私は知っていた。それでも彼女は私の前でだけは強がろうとするから、あまり周囲を確かめることなしに歩いて、そうしてふとした隙間に暗闇をみつけるたび、危険を察知した子猫のように後ずさるのだった。その様子がなんだか可笑しくて、私は笑う。対する佐々木は恥ずかしがるみたいに目を逸らすばかりで、それはきっと私しか知らない、彼女の内に隠されている一面だった。
 帰り道の途中も、私たちは互いに重要なことは何一つだって言わなかった。代わりに、これまでには一度だって話したことのないようなどうでもいいことばかりを、まるで大切な宝箱の中身を教えあうみたいに話しあった。佐々木は冬の星空を見上げるのが好きで、なかでもシリウスを特に気に入っているらしい。彼女の中に、好きな恒星という概念が存在することそのものが意外で、私はずいぶん驚いた。いまが夏で、だからこの場所からみつけることのできないのが少し残念だった。
 私はきっと、佐々木と出会ったその瞬間から彼女のことばかりをみてきたのだと思う。けれど、それでもまだ知らないことのほうがずっとずっと多い。たとえば、佐々木があんな風に泣くことを、私は知らなかった。たとえば、佐々木があんなにも真っすぐに私をみていてくれたことを、私は知らなかった。佐々木のことなら、私は何だって知っておきたい。佐々木となら、私はいつまでだって話をしていたい。
 八月三一日。夏が終わる日。
 だから今夜、佐々木が来てくれて、本当は嬉しかった。
 会いたくなんてなかった。会えて嬉しかった。相反する二つは、けれど何も矛盾なんてしていない。
 どちらも確かな質量をもって私の中に在る、本物の感情だ。
「この辺りかな」
 足を止めて、私は言う。
 そのまま視線で前方をさした。
「ここを真っすぐに行けば、いつもの通りに出る。人通りも、この時間ならまだたくさんあるはず。あとは、佐々木ひとりでだって帰れるでしょ」
「うん。帰れると思う」
 佐々木はこくんと頷いた。
 私たちはなんとなく見つめあう。あとはどちらかが手を離すだけで、全部が終わってしまう。それもまた、お互いに分かりきっていることだった。
 佐々木はこういうのがきっと苦手だろうと思ったから、私は空を見上げて、最後を切り出すための言葉を考えていた。けれど、そうはならなかった。ようやくみつけた言葉を私が口にするよりも先に、佐々木の体温が右手から不意に抜け落ちる。
 視線を落とさなくとも、起こったことは瞬時に理解できた。
 思わず、私はため息をつく。ため息の行方を知られる心配は、もうなかった。
「なるほど。本当にギリギリだったわけだ」
 見上げた先、東の空には一面の群青とわずかに欠けた満月だけが取り残されている。それはつまり、私と佐々木との約束が完全に果たされてしまったことの証明だった。
 佐々木は、だからちょうどいま私が立っている場所で目を覚ますことになるのだろう。そのとき、彼女はちゃんと帰り道を歩くことができるだろうか。できることなら、きちんと見送って終わらせたかった。けれど、それを確かめるための術はもう、私の手元には残されていない。
 花火は終わった。だからそのまま八月が終わって、夏休みが終わって、私と佐々木とのことも終わる。これは、私の望んだとおりの結末だった。
 視線を落とす。それからもう一度だけ、私はゆっくりとため息をついた。
 そのまま振り返って、歩いてきた道をまた戻ることにする。目的地はない。佐々木と違って、私には帰るべき場所なんてものはないのだ。それでも強いて挙げるなら、佐々木の迷い込んでしまった、この夜道こそがそうだろう。
 ここまで歩いてきたはずの夜道はどこか、いっそう深い影を増したように思えた。佐々木が隣にいないだけでこんなにも変わるものかな、と内心でつぶやく。
 ――本当は寂しいくせに。
 と佐々木が言った。
 私は小さく笑う。
「お互い様だよ、それだってさ」
 私以外に誰もいない。私以外の誰も知らない。どこまでも凪いだ水面のような夜を、私は一人でただ歩いてゆく。
 佐々木みたいな夜だ、とまた思う。それから、願った。たぶん、何かを。
 果たして何を願ったのか、不思議なことに、自分自身よく分からなかった。ただ、その正体が何であれ、佐々木のもとへだけは決して届かないでいてほしかった。でないと、意味がないから。こんな夜が在ったことの、佐々木の感情を酷く傷つけてしまったことの、全部の意味がなくなってしまうから。だから、私の願いなんて、目覚めた後の佐々木は全部忘れてしまったままでいい。
 視線を上げる。もうじき九月を迎えるはずの空は、けれど八月のそれと何が違っているのか、私の目には分からない。
 もしかすると、と思う。
 もしかすると、ここからみえる空はずっと八月三一日のままなのかもしれない。
 私はずっと、終わらない夏の夜を歩き続けることになるのかもしれない。
 それは、さほど突飛な想像でもないように思えた。なにぶん、何もかもが初めてのことなのだ。これから先、私自身がどうなっていくのかなんて予想できるはずもない。
 だとすれば、佐々木に宛てるはずだった最後の言葉は、私たちが同じ八月三一日を過ごしている間に棄てておくべきなのかもしれなかった。でないと、まるで呪いみたくなってしまいそうな、そんな気がした。
 吹き抜けた風が辺りを小さく揺らす。なんだか、言い訳みたいだ。これがいわゆる未練というものなのかもしれないけれど、だとしても構わない。
 私はできるだけゆっくりと息を吸い込む。
 それから、誰の耳にも届かないくらいの、なるべく小さな声で言った。
「またね、佐々木」
 佐々木深冬。
 私が護りたかった、たった一つの理想。
 いまもどこかにいるはずの少女のことを、それでも胸いっぱいに思いながら。
 私は、目を伏せる。
「楽しかったよ」

 

 

 

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 まだ幼かった頃、と言ったはいいものの具体的にいくつの頃だったのかが思い出せない。そのくらいには幼かった頃の話。記憶がたしかなら一度きりだったと思うのだけれど、実家から少し離れた駅発の電車に乗ったことがある。たぶん、海遊館に行ったのだと思う。覚えていないけれど、でも、両親だったり祖母だったりに連れられながら、大阪港駅に降りた瞬間の高架を眺めたような記憶があるから。終点、コスモスクエア。その名前を知ったのは、だからたぶんその日のことだったのだろうと思う。コスモスクエア行きと記された列車に乗り込んで、けれどその駅まで着くことはなくて、だから、たぶんそう。ひとつ前の大阪港駅で降りて、やっぱりそのまま海遊館へ行ったのだと思う。その日に行ったであろう海遊館での出来事は何一つとして覚えていないのに、大阪港駅から眺めた高架に加えて、コスモスクエアという固有名詞を今の自分が強烈に記憶しているのは、だから、その頃からもう、そういうものに囚われていたって話なのかもしれないな。果たして当時の記憶かどうかは曖昧だけれど、大阪港駅のホームからコスモスクエア駅に向かって真っすぐに伸びる線路を、ぼけーっと眺めていたような覚えも微かにある。まさか二五を目前にして訪れることになろうとは、まったく想像していなかった。

 

 大阪港へ行きたいと思うようになったのは、今年の三月だったのかな。海遊館へ足を運ぶことに決めた理由はいくつかあったけれど、そのうちのひとつがそれだった気がする。改札を抜けるとすぐ目の前に高架が通っていることを幼少期の記憶と共に覚えていて、その様を確かめたいと思ったのが最初の動機、だったような。海遊館自体も普通に楽しんだけれど、高架を前に「ああ、記憶通りの光景だな」と思えた時点で、自分の主目的は割と果たされてしまっていたような感じもある。その日はついでに桜島へも行ったのだけれど、生憎の雨だった。生憎の雨っていうか、大雨だった、普通に。傘を差していても尚歩きたくないレベルの。自分にとっては桜島それ自体もとても好きな場所なのだけれど、だからそれだけが微妙に不完全燃焼という感じで、ところでまあ自分以外のメンバーにとっては別にどうでもよかっただろうと思うけど。自分は人並み以上には高所恐怖症っぽいなのでアレなのだけれど、陽が沈んだ後の大観覧車に乗るとか乗らないとかで、それまでの時間を適当に潰そうということになって、その途中のどこかで例の場所を訪れることになった。Twitter で調べてみると、これが三月二六日のことらしい。こうして振り返ってみると、本当に偶然の連続って感じだ。その一週間前に USJ へ行っていなければ、そもそも USJ へ行こうと言い出すような人が身近にいなければ、その帰りに某回転寿司屋へ寄っていなければ、その場に特定の数人がいなければ、上の全部が揃っていたとして「海遊館へ行こう」なんて気まぐれを起こさなければ。そうでなかったら今年の夏はどこにもなかったのかもしれないなと思うと、嬉しかったり怖かったりって感じ。人生ってそんなことの積み重ねなのかもしれないなとは思うけれど、でも、だとしたら尚更だな。

 

 三月の桜島が不完全燃焼だったことが、だから効いていたのだろうなと思う。別にそんなつもりではなかったというか、ああ、だから、それもそうなのか。だから、今年の初めに初日の出をみに行ったくらいの頃から全部が始まっているのかも。いや、全部ってことはないか。でもまあ、だいたい全部かもしれないな。だって、あの夜がなければ「寂しくなるね」とだけ言って三月までを終わらせてしまっていた可能性が非常に高いし。曲を作ろう曲を作ろうとだけ言って、実際にどうなっていたかなんて分からない。それが生まれていなければ、だから自分が声を掛けることもなかったし、ということは八月の桜島と大阪港もなかった。すごい話だな、本当に。未来のことなんて何一つも考えていないけれど、もう通り過ぎてしまったいつかの今日から今の今まで様々が繋がっているんだなと思うと、これは普通に嬉しい。なんか、報われてるなって気持ちになる。何がと訊かれると答えに窮してしまうけれど。ところで、自分は花火大会へ行くというイベントを立案した人にものすごく感謝すべきだな、とここまで書いていて思った。あの曲がなければ、というのなら、花火大会だってそうで。あの夜、淀川で花火大会を運営してくれていた人たちへも同様に。群像劇。人生って、七〇億を一斉に巻き込んだ大掛かりな群像劇なのかもしれない。自分ひとりの手には到底負えないくらい膨大な数の思惑の上になんとか立っている、そんな気がする。

 

 そもそもどこかへ行くという話ではなかったし、そのうえで行き先の候補として桜島を上げてくれたのは、まあまあ嬉しかった。まあ、直近に Twitter で一度言及していたし、それでついでにってことなのかもしれないけれど、だとしても。桜島、自分はめちゃくちゃに好きなんだよな。物語の結末って感じがする、町全体から。観客が席を立った後のシアターみたいな。曰く幸福の本質は移動らしいけれど、停滞の中にだってそれはあるのではという気がしていて。なんていうか、古本屋の陳列棚かも。大きな書店の、それこそ梅田の丸善とか、そういったところの本棚よりも、古本屋のそれのほうが自分は好きで。とか言いながら、古本屋へ立ち入ったことは一度もないのだけれども。停滞。自分の好きなものを多くの人と共有したいという欲求は、実際のところ自分にはあまりなく。というかむしろ、隠しておきたい、どちらかといえば。星空が、雲で隠れされていたほうが安心するのと同じ心理かもしれない。誰も知ろうとしないなら、誰にだって知られないよう切り離されていればいいという話で。終点って、つまりはそういうことだよなと思う。どこへも繋がらない果ての駅までわざわざ足を運ぶ理由なんて、そうそうない。そういう意味で、星空を遮る雲と同じかもなのかもなって。ところで、雲の隙間に星が瞬いていたら嬉しいし、その一瞬を誰かと一緒にみつけることができたら楽しい、当たり前のように。どんな気持ちですかって、咄嗟に答えられないから誤魔化してばかりだったけれど、そんな気持ちかも。

 

 どこかで桜島のことを話題に上げる機会があったのかもしれない。なかったかもしれない。覚えていない。けれど、どこかのタイミングで大阪港と桜島とを結ぶ連絡船があることを、人から教えてもらって知った。連絡船の存在が話題に上がったことは、記憶の中では少なくとも二回あって。大阪港からみえる夕焼けから夜にかけての風景がとても綺麗だという話を、そのうちのどちらかで聞いていたのだと思う。海遊館の日、つまり三月二六日時点で自分はその情報を(記憶通りなら)知っていて、向かいながら「ああ、あの、夕方が綺麗と言っていた場所か」と思った覚えがある。先述の通り、その日は大雨が降っていて、ただ、その場所へ着いたときにはもう止んでいたか、あるいは降ったり降らなかったりを繰り返していた。雨は上がっていたけれど、決して晴れてはいなかった。だから当然のように夕焼けもみられなかった。別に、そのときはそれほど心残りでもなかったような気がする。残念だなとは思ったけれど、それ以上に、その場所の雰囲気は自分の好みにずいぶんと近くて、そちらのプラス分のほうがずっと大きかったから。陽が完全に沈んで、辺りが暗くなりきるよりも前にその場所を後にした。観覧車へ乗って、そのまま晩御飯を食べに行く必要があったから。スマホのカメラロールを振り返ってみると、だいたい二〇分ちょっとしか滞在していなかったらしい。写真を撮りまくっていると、こういうときに時間の使い方が確認できて便利で良い。

 

 夕陽をみたいと思ったのは、だからなんだよな。二回行って、その二回とも結局みられなかったから。好きな人たちの好きな場所を知りたいという欲求があるにはあって、なんていうか、好きな場所ってものすごく決めづらいというか、何の手がかりもなしには決められないというか。好きな食べ物や好きなスポーツなんかとは違って、いや、その二つも大なり小なりそうでこんなのはグラデーションの問題ではあるのだけれど、とはいえ個人の経験や価値観の影響をものすごく強く受けて決定されるものだと思う、好きな場所、というか決めづらいもの全般って。だから知りたい、そういうのを。その他人の人となりに、多少なりとも触れられるような気がするから。大阪港は足の届く距離にあるし、それに自分もすっかり気に入っていたし、行けるうちに行っておきたいかもなと思って。できれば、その場所を好きだと言っていた人と一緒に。とはいえ、結局みられなかったけど、夕陽。一日中曇ってたし、というか雨降ってたし、普通に。暴風の下に傘さして座り込んで、自分はともかく、この雨のなかで立ち上がろうとしないなんてどうかしてると思ったけど、正直。でもなんか、それでも想像した通りだった。思うに、好きな相手の好きな場所をその相手と一緒に巡るという行為、もっと色んな人とやっていったほうがいい。あまりにも気づくのが遅すぎたけれど、でも、いまこのタイミングで気づけてよかったという話でもある。人生、もう少しくらいは続きそうだし。

 

 自分を振り回してくれる人のことを好きになる傾向がかなり高い。みたいなことを口にした記憶がある。そして、それは実際にそう。そっちのほうが楽しいから。手を引かれながら、今度はあっちのほうへ行ってみようよって。そのまま右へ左へと進んでいって、そしたら道に迷ったりもして、帰り道はどっちだっけって。そういう風に過ぎていく時間がたぶん、めちゃくちゃに好きなんだと思う。昨日も、だから、改札をくぐった後になって失くし物に気づいて、すぐに同じ改札を抜けてエスカレーターを上がって、くすんだ空の下で「いま来た道を同じように辿ればどこかでみつかるでしょ」って。そうやって笑っているときが一番楽しかった。なんていうか、余計なことばかりを気にする癖があって。他人とはできる限り目を合わせたくないし、物理的に距離を置いておきたいし、誰からも嫌われたくないし、歩きながらでだってずっと考えていること。でもなんか、そういうのを全部忘れさせてくれる瞬間がもしかしたらそれなのかもなと思ったり。だから、自分を振り回してくれる人のことが好きなのかもしれないな。あのとき、手を振りながら「全然」と返した覚えがあって、実際に全然気にしてなんかいなかった。だって、心底楽しかったから。やりづらいのは本当だし、困るのも本当だけれど、でも、それ自体を楽しんでいるのも本当のことなんだよなって思う。なんか、そういう風にできている人間らしい、自分って。

 

 

 

20220917


 日没を待ったことって、生まれてこの方一度もないかもしれないな、と思った。比喩的な話ではなく、普通に、現象として。夜明けを待ったことなら何度もある。深夜散歩という趣味を持っている手前、誰かと出かけた際に帰宅へ舵を切るタイミングとして日の出が選ばれたりだとか。そうでなくとも、初日の出とか。でも、日が沈み切るのを何もせずにただ待っていた経験ってあったっけなと考えてみて、ぱっとすぐには思い当たらない。日没ほどいつの間にかそうなっているものって、自分の中にはあまりないというか。講義やバイトが終わった後、電車での移動、家での作業をいったん中断して買い出しに出るとき、そうして外へ出て初めて陽が沈んでしまっていることを知るというのはざらにある。けれど、だから、ただ茫然と日没を待ったことって、ないのかも。いや、かもじゃなくて、たぶんない。少なくとも、大学に入ってからは一度もないはずと思う。自由に動くようになった大学に入ってから一度もないんだったら、それまでの人生にもなかったはずと思う。まあ、昔は夜のことがあまり得意でなかったし、という話もある。

 

 帰ろうって言葉を口にするのが苦手だから、というか嫌だから、結末の決定権をすべて相手に委ねている。これは自分と長時間座りこんだ経験のある人なら一度は聞いているはずの台詞で、「帰りたくなったら、その瞬間に立ち上がってくれていい」みたいな。そうして実際に相手が立ち上がったなら、その意思に従うことに決めている。随分と自分勝手な物言いだなと自分でも思いはするけれど、そういう風にしか長い夜を終わらせられないことがままある。お互いに何も言い出さない場合は、もっとどうしようもないものがタイムリミットになったりする。空腹とか、体力とか、眠気とか、夜明けとか。自分の歌詞ではなにかと夜明けがタイムリミットの象徴として登場しがちだけれど、これは明確に自分の中にそういった意識があるからだろうなと思う。帰ろうって、その一言が言い出せなくたって別によくて、じきに訪れる夜明けが勝手に全部を終わらせてくれるから。思うに自分は、夜明けに対してもっと感謝したほうがいい。

 

 見送った夕空、過った流星。ふと思い出して、「いや、だから、見送ったことないんだよな、夕空」と思った、いま。流れ星ならみたことがあるけれど、一度だけ。でも夕空を見送ったという経験は、改めて振り返ってみてもやっぱり一度もないんじゃないかって気がするな。

 

 

 

20220903


 センシティブというか、人を選ぶかもという話題について書くので「無理だ~」と少しでも感じたらブラウザバックしたほうがよいです。

 

 高校生の頃、というとそれほど昔のことでもないように感じてしまうけれど、具体的な数字で言えばだいたい八年から九年くらいの話、痴漢を経験したことがある。当然ながら自分は加害者の側ではなく(いうほど当然か?)、また、たまたまその現場に居合わせたとかでもない。そうではなく、被害者側として経験したことがある、痴漢を。あらゆる読み手を億光年の彼方へ置き去りにする書き出しだよな、これ。でも、どうなんだろう。実際のところ、男性でもそういう立場に立たされたことのある人って、決してマジョリティではないだろうけれど、とはいえ思っているほどは少なくもないんじゃないかという気がする。梅田の交差点かどこかで一日中街頭アンケートをしてみたら一〇人はみつかりそうな、いや、そんなことはどうだってよくて。あれは、何のときだったんだっけ。普段あまり使わない路線に乗っていたと思う、クラスメイトの家へ向かう途中だったのかな。たしか昼過ぎ、車内はかなり空いていて、ところで自分は座らずに扉のすぐ近くに寄りかかりながら、いつも通りに。相手がどんな風貌だったかも覚えてない、というか、そんな余裕はなかった。男性だったことだけは覚えている。最初はなんていうか、なんだろ。なんか、やたら手が当たるなと思って。相手の手が、自分の身体に。最初は、いやまあ電車だしな、と思ったのだけれど、でもよく考えるとそれはおかしくて。だって空いてたし、自分以外ほとんど誰も立ってなんかいないくらいには。それでわざわざ扉横の、というかすぐ向かいの扉横が空いているのに自分の立っている側に来て、その上やたらと手が当たるなんてことある? という話で。いまはもう流石に喉元を過ぎすぎているからこんな風に書けるけれど、被害に遭っていた瞬間はもはや気が動転とかですらなく。痴漢って概念の存在自体は当然知っていて、ニュースや駅のポスターなんかでみるから。いやでもだけど、自分がその被害者側に回るなんて思ってもいなかったし(ここに固定観念が存在する)。というか何よりの話、本当に気持ちが悪かった、心底。不気味だし、怖いし、意味わかんないし。そういう一切の隙を縫って意識に介入してくる触覚が、もう本当に気持ち悪すぎて。後のほうはもはや手が当たってるとかの次元じゃなかったし、自分が強めの抵抗を何もしなかったからなんだろうけど。あの、いや、あのさ。想像だけで物を語るのって実はめちゃくちゃに簡単で。持ち合わせた想像力の限界までしか想像できないし、人って。自分だってそう。だからなんていうか、気持ちは分からないでもないのだけれど、いやでも、あれって思ってる以上にどうしようもないんよな。どうしようもなかったし、実際。声は出なかった。ちょっとくらいなら抵抗した覚えがあるけれど、手首を握り返したりとかはできなかった。それどころじゃなさすぎて、本当に。マジで早く次の駅に着いてくれとしか思わなかったし、降りてからだって通報なんかはしなかった。なんていうか、当時から痴漢の類ってときどきニュースで騒がれていたし、いまだって駅のポスターなんかで普通に見かけるけれど、啓蒙の文章を。でも、そうして真っ当に裁かれた加害者よりもずっとたくさんの黙殺された被害者がいるんだろうなって思う。思った。どうなんだろう、当時考えたことで明確に覚えているのは「ここで仮に『痴漢です!』と叫んだとして、ところで自分は男性なので周囲からは『何言ってんだコイツ?』の目で見られるだけでは?」ということなのだけれど。だからもしもの話、自分の性別が女性だったなら声を上げられたのかな、みたいな。いやまあ、想像するまでもなく絶対に無理だっただろうけれど。なんていうか、別にそれだけがきっかけだったってわけじゃないけれど、そういった様々があって、概念としての男性(これは大切なことで、特定個人を前にして何かを思うことはほとんどない)に内包されうる性的欲求に対する拒絶感がもう、本当に凄い。世の中の男性の全員が全員そうってわけじゃないのは分かってるし、それは当たり前のこととして。一方で、何かが外れてしまっている男性も世の中に一定数いて。ところで誰がそうなのかなんて分かりっこないし、それはもちろん自分自身だってそうで。怖すぎる、普通に。怖すぎると思ってる、本当にいつも。

 

 貞操の危機、って男性が使う言葉ではないような気がするけれど(これも固定観念)、みたいな話もあった、昔。あれもあれで本当に怖かった、なんか、意味がわかんなかったというのも当然あるけれど、なまじ知り合いだったから尚更。無理に襲われたというわけでもないから、危機という言葉のニュアンスからは少し外れるかもしれないけれど、いやでも、どっちにしても同じことなんだよな、受け手側からすると。一瞬で詰め寄られるか、あるいは一歩ずつにじり寄ってこられるかくらいの違いしかなくて。引いたはずの境界線を踏み越えてくるという点では同じだし、過程や手段が違うだけで。だから怖い、どっちも。たとえば自分が、それこそさっき上で話していたみたいに見境のない人間だったらどうするつもりだったんだ、と思う。いや、どうもこうもなく、その場合は相手が望んだ通りの結果になって終わりって話なんだろうけれど。二〇分くらいだったと思う、改札前、なんて言えば諦めてくれるんだろうなと思いながら。最終的には向こうが折れて、だから別に何ともなかったのだけれど。呆れ半分だったのか何なのかは分からないけれど「真面目だね」と言われたのは覚えていて、「いや、そういう話じゃないでしょ」と思ったことも覚えている。あれは、ああ、だからそもそもの話、今回の記事自体が少し前に書いた性別の話から連想されてここ数日くらい考えていたものなのだけれど。あれはだからその性別の話のときに書いたみたいな、性差の存在がかなりのところで利いていた。その後の人間関係に目を瞑れば走って逃げられるだろうし、最悪の場合、正当防衛という大義名分のもとに殴りかかっても勝てそうだったし、しないけどそんなこと。でも、最悪の場合、そういった手段に頼れば何とでも打開できそうという余裕があって、だから先のときほどは混乱しなかった。でもだから、これがもし逆だったらと考えると本当にぞっとする。つまり自分が女性の側で、ちょっとした知り合いと思っていた男性から遊びに誘われて。日中は普通に遊んで、晩御飯も食べて、「よし、そろそろ帰るか」くらいの時間になって突然関係を迫られる、みたいな。考えたくもない話すぎる。さして珍しくもなさそうな展開に思えるのが考えたくなさに拍車をかけている。なんていうか、だからこれで結局手に入れたものはといえば、概念としての男女に内包されうる性的欲求に対するかなり強めの拒絶感、というか恐怖感のほうが正しいと思うけど、をより強固にする楔だったという話。別に毎日毎日考えているわけじゃないけれど、こんなことを。でも、一番嫌なのは、というか考えないでいられないのは、自分が同じことをしない保証がどこにもないということで。いや、絶対にしないけど。絶対にしないけどさ。でもそれは、だからいまの自分が勝手にそう思っているだけで、信じているだけで、ところで未来のことに対して絶対なんて言えるはずないし、実際にどうだったかは死ぬ間際の走馬灯でしか分かんないじゃん。っていう。絶対にしないけど。でもいつかは死ぬということ以外の絶対なんてこの世にないし。加害性と被害性。本当に疑ってる、こればっかりはずっと。

 

 

 

20220830


 一年とちょっと前、夜に人を呼び出したことがある。とだけ書くとなんてこともない出来事のように思えるけれど、「深夜一時を過ぎた頃」に「ほとんど話したことのない相手」を呼び出したことがある、と書けばこれはもうなんていうか、一般常識という一線を優に越えている。越えてるな~と思う、他人事みたいに。誘った側がこんなことを言うのはアレだけれど、正直なところ、まさか本当に来るとは思っていなかったから。当時のことについて改めて話をする機会が少し前にあって、なのでそのように伝えたら思い切り笑われた。だって本当のことだから、と自分も笑った。一年前の夜のことは覚えていて、たしかあのときも御池通り近くの階段にいた。「これ、送っても大丈夫かなあ」という理性と「まあ別に断られてもノーダメだしな」という開き直りのジレンマがあったのはそうで、ところでああいうのは多分、言葉にして伝えること自体に意味があるんだと思う。なんていうか、仮にそれが社交辞令だったとして。そうであっても、その言葉のために動くだけの意思が自分にはあるという、そういう表明。うまくいかないことのほうがずっと多いように思うけれど、こういうのは。ところで、「うまくいかないことのほうがずっと多いよな」と思って何も行動せずにいたら、うまくいったかもしれない未来だってきっと見逃してしまうという、これはそういう話で。そんな気持ちで気まぐれに動いてみたら、なんかよく分かんないけどうまくいったっていう、ただそれだけの話でもある。万に一つくらいの可能性で乗ってくるかもしれないし、そうしたら今よりはもう少し仲良くなれるかもしれないし、くらいの。リスクとリターン。とはいえ、冷静に考えたらプチ踏み込みどころじゃないけど、こればっかりは。

 

 感情墓地というタイトルに付随するあらゆることについて、これは照れ隠しとかではなく本当に一切の記憶がない。たまに人から訊かれることがあって、そのたびに「いや、覚えてないんですよね」と返しているのだけれど、これは本当に事実として覚えていないからそのように答えている。なんなんだろう、感情墓地って。ちょっと昔の記事を掘り返してみたら「五秒くらいで適当に決めた名前のはず」と書かれていて、でもそれすら覚えていない。いやでも、ブログのタイトルをつけるときに迷ったような記憶は一切ないから、実際に五秒くらいで適当に決めたんだろうなって気がする。とはいえ別にタイトルに意味なんかなくたって構わないし、より大切なのはこの場所がどういうものかってことだろうし。このブログの存在意義についてはかなり昔、それこそブログを立ち上げた初期も初期の頃には既に書かれていて、大昔のことすぎて恥ずかしいので直接リンクを貼ったりはしないけれど。曰く「『友人』に出会えることを期待して」らしい。なにカッコつけたこと言っとんねんという感じでしかないけれど、四年前の自分なんてまあそんなものか。友人。そう、まあ、そうなんだろうな。要は色んな人と仲良くなりたかったんだよなって、当時の気持ちを(もうほとんど忘れてしまったけれど、書いた文章なんかを伝手に)振り返ってみて、いまはそう思う。仲良くなりたかったというか、仲良くなれる確率を少しでも上げたかった? 人間関係の始まりは興味、あるいは同じことだけれど関心の萌芽だと思う。「この人はどういう人なんだろう」って、それくらいのことから始まるのが人間関係で。それくらいのことでも、それ一つが欠けていれば同じクラスでも大学でも会社でも、どこにいつ居合わせたところで何も始まらないというのが人間関係で。ところで、それってほとんど運任せなんだよな。単純な接触回数をどんなに増やしたところで、そうすれば興味や関心が沸き起こるのかといえば必ずしもそうではなく。運任せ。状況によるし、相手によるし、偶然による。自分の場合、途方もないくらいの会話量がそれだった。三年間ずっと毎晩のように話をして、そうしてようやく他人の世界に興味を持ったのが自分。ところで、全人類を相手にそれを実行するのは不可能で。そもそも、その段階へ至るまでに既に一定以上の人間関係パラメータが必要で。じゃあどうすればいいんだろうという話で、その答えがこのブログ。壁に向かって話し続けているみたいな、感情墓地の正体がつまりはそれ。「不特定多数へ向けて一方的に話し続けることなら誰にでもできるよな」っていう。ずっと続けていたらいつかは誰かが自分に興味を持ってくれるかもしれないし、そうすれば『友人』にだってもしかしたらなれるかもしれないし。なんか、それくらいの雑な期待から始まったのがこのブログで。まさかこんなにも長く続けることになるとは思ってもみなかったけれど。もう五年目らしい、とんでもない話すぎる。でもなんていうか、このブログを立ち上げて、これまで継続してきて、よかったなーって思うことがここ一年くらい明らかに多い。最初からいままでずっと、一人で壁に向かって話しかけている感覚なのは変わらないんだけど。最初の頃は「ブログ読んだよ」って言われるの、めちゃくちゃに恥ずかしくて。誰かが聴いてくれたらいいな~って思いながら書いてるくせに。でも、ここ一年くらいは嬉しいな~って気持ちのほうがずっと強い。聴いてくれている人がちゃんといるんだなというのもあるし、それ以上に、こうして書き続けている謎文章のおかげで自分に興味持ってくれたのかなと感じる機会が少し増えたから。報われてる。報われてるな~って、そう思う。

 

「プチ踏み込みが上手い」と言われて、その瞬間は首を傾げた。自分じゃあんまり分かんないな、と思って。ところでしばらく時間が経ってから考えてみて、そうかもしれないな、とも思った。距離感、立ち位置、境界線。そういう類のことを指しているんだと思う、多分。他人から見下されているように感じるのは、自分自身が他人のことを見下しているから。自身の世界に根付いている感覚だからこそ、他人の世界にある似たようなそれにも気付くことができるのかも。だったら、あれもプチ踏み込みなのかもなって思う。思った。曰く「そういうことをされると大抵の人は嬉しいはずで」。ところで自分はどうだろうって、それについてをまず何よりも先に伝えるべきだったな~と帰り道に思って。マジでこんなのばっかだ、帰り道。こんなことばかりだから帰り道ってフレーズが歌詞における頻出語句なんだよな。いやまあそのことはこの際どうだってよくて、いや、嬉しかった、割と本心から。なんて返事したかあんまり覚えてないけど、眠すぎて、あと脚が痛すぎて。どうだろ、なんらかの絶望的事件が発生して、マジで超絶不仲の絶縁状態に陥るという可能性もなくはないけれど。だとしたらまあ、そうならないように心掛ければいいってだけの話なのか。散歩したいしな、普通に、来年の夏だってまた。いやさ、口約束なんて、本当にいくらだってあればいいって思う。叶ったり叶わなかったり、それは仕方のないことだけれど。でも、だからこそ、こういうのって言葉にして伝えること自体に意味があるんだろうと思うし。だから、受け取った分はちゃんと言葉にして返すべきだよなって、そういう話でもある。

 

 

 

20220828


 群像劇が好き……というのは多分これまでのどこかで書いていたはずと思ってブログ内検索を掛けてみたところ、意外なことに「群像劇」という言葉自体が一度も使われていなかった。群像劇というのはいわゆる作品形態の一種で、とある一つの出来事に立ち会った複数の登場人物それぞれの視点から物語を描写するというもの。読んだことのある人にしか伝わらない話をすると、『とあるシリーズ』や『デュラララ!!』、最近に読んだものなら『空の境界』も近かった(これより登場人物がもう少し増えるとより群像劇っぽくなる)。そういった形式を好んでいることについて、どうしてだろうと考えたことはその実あまりないのだけれど、思うに、それが世界の構造として当たり前に起きていることであるのにも関わらず、一方で自身の日常に一切存在しないためだろうという気がする。何か一つの事件があって、いや別に事件ではなくとも、たとえば同じ遊園地にたまたま遊びに来ていたとかでもいい。そんな顔も声も名前もなにも知らないような相手は日々の中にたくさんいる。「世界の構造として当たり前に起きている」はそういう意味。ところで、そうして偶然同じ場所に居合わせただけの人たちが何の目的でここへ来たのかだとか、あるいはもっと簡単な何をみているのかだとか。そういった事実に触れる機会はほとんど皆無で、「自身の日常に一切存在しない」はそういう意味。いま一瞬すれ違っただけの誰かにも誰かなりの意図があり、目的地があり、人生があり、世界があり、でもそういうのを知ることって絶対にできないんだよなって。普段からそんな考えがあったりなかったりすることと、自分が「群像劇」という作品形態を好いていることは、強固な相関があるかと言われれば微妙だけれど、でも全くの無関係だともあまり思えない。だから、意外だった。一度もブログでそういう話をしたことがなかったんだな、と思って。とはいえ、「文章作品に関する話題を自分と何度か交わしたことのある相手なら、もしかしたら知っているかもしれないな」くらいの情報で、大げさな意味合いは特にない。実際、すこし前に話をした相手は、そういった自分の好みを記憶していたらしかったから。

 

 人の数だけの世界がある。より正確には、同じ時間を共有している集合の数だけの世界があると、そう思う。一人で街を歩いているとしたら、その個人だけにみえている世界がまず一つあり。それが二人になったならその二人にだけみえている、つまりは共有されている、そんな世界がたった一つだけあると思う。とはいえ、多くの場合において自分たちは同じものをみてはいなくて、「あの雲の形、良いね」と言われて目で追って、だけど隣の誰かの指先がどこを示しているのかがまるで分からないというのはよくある話。視界情報は主観の影響を強く受けるから、たとえばポイ捨てされたペットボトルたちをみて、「ちょっと嫌だな」と思う人がいて「これはこれで」と思う人もいて。そんな二人が街を一緒に歩いたとして、そうしてポイ捨てされたペットボトルをみつけたとして、これはこれで極論的だけれど、でもだからこの場合って「同じものをみている」わけではないよな、と思う。情報源は同じでも、それから受け取っている印象が違うから。みたいな考え方を前提としてみると、二人という最少人数でさえ、他人同士の間に共有され得る世界なんてほとんど皆無なのではという気持ちにもなる。二人で一緒に街を歩いたとて、みているものが違ってるんじゃそれって結局は一人と一人ってことじゃん、みたいな話。でも、なんていうか、自分はその前提に立った上でもそんな風に考えることはなくて。「世界の共有」という言葉をどのように定義するかに依るのかなと思う。自分にとってのそれは、同じ一つの世界の中に相異なる他人が同時に存在しているという意味ではなく。どうしたってぴったりには重ならない他人同士の世界の間に、互いに結び合う一つのゲートを通すみたいな。自分にとっての「世界の共有」という表現はそんな風の意味の言葉として登録されているし、同様に「世界」という単語もそういったことが可能であるものとして定義されている。要は、違いを較べあうこと。「あの雲の形、良いね」に対して「どの雲のこと?」と返すのは、相手の世界にあって自分の世界にない、そういった無数にある細かな差異のひとつひとつをお互いに照らしあうという行為なんだよな、みたいな。そんな感じの認識。それが三人になっても四人になっても、あるいはもっと大人数になっても同じことで。そうやって違いを較べあうことで生まれる世界が、それら複数人の間にたった一つだけあるはずという、そういう話。

 

 三年前。当時所属していたサークルでなにか一つの作品を作ろうという話になり、それで群像劇を提案したことがある。自分にとっては音楽における合作なんかもそうなのだけれど、それぞれがそれぞれの好きなように作品を作って発表して、それはそれで普通のことというか。ところで、せっかく同じ場所に同じ趣味の複数人が会しているのに、なのになんにもしないのはちょっと勿体ないな、みたいな気持ちもあり。それで、群像劇。一つの大きなイベントを設定して、各々の好きな視点からその出来事を観測した物語を一冊の本にしようという、そういう企画。提案した手前、全作品に共通する大きめの設定まわりは自分が考えることになり。様々を考慮した結果、2019 年 10 月 5 日(土)に開催される花火大会を「共通の事件」にしようということになった。つまり、各々の好きな視点からその花火大会に関する物語を作ってくださいということ。そういう話があった、三年前に。

 

 昨夜、2022 年 8 月 27 日(土)、淀川の花火大会へ行った。実を言うと花火大会そのものはかなり久しぶりで、久しぶりというか実質的に初めてで、まだ幼かった頃、地元で開かれた花火大会へ両親に連れていってもらったのが最初で最後だった。当時の記憶はあんまりない。曇ってはいない、ありきたりな紺を敷き詰めたみたいな夜だったように思う。恐らくは母親に手を引かれながら、幼少期に特有な日没後への高揚感と警戒心と、あと、自分よりもずっと背の大きい人間が周りにたくさんいて、花火なんかなくともずっと上を見上げていたような、そういう覚えがある。ところで、そんなどうでもいいことを覚えているのに肝心の花火については一切記憶していなくて、それが本当に花火大会だったのかさえ怪しい(たしかそうだったと思うけど)。というので、花火大会を中心にした群像劇を提案した人間が、実際には花火大会へ行った記憶が全くないというエアプもエアプの状態で(三年前の話で、いまは昨夜の経験があるのでエアプではない)。さて、当時の自分はいったいどんな作品を書いたんだっけなと思い読み返してみた、ついさっき。実際には花火大会の会場へ入場して、一面に芝生の敷かれた斜面に何とか座って、特有のディレイが効いたカウントダウンを聞き流しているときにはもう「そういえば、三年前に花火大会をテーマにして話を書いたことがあったな」と考えていたのだけれど、そのことを思い出したのが今朝に目覚めてからだった。その作品について、全体の大まかなストーリーは当然ながら記憶していたものの、一方で細かな描写だとか地の文だとかはすっかり忘れていて。九億年ぶりに pixiv を開いて、該当作品のリンクを踏み、真っ先に目に飛び込んできた書き出しからして驚かされた。そんなことあるんだ、と思って。

 

 終着駅。そのホーム。銀河鉄道。途絶えた線路の先にある高架橋。壮大な物語のために用意された舞台。知らない人たちの知らない一日。花火大会。本当の行き止まりみたいな場所。物語にとって理想の結末。気まぐれに折れただけの曲がり角。星が降る。同じ列車に乗って、同じ駅で降りる誰か。桜島、大阪港、河川敷、京都駅。浜に打ち上がった漂着物みたいなペットボトル。人のいない海、満たされた最後。同じ空間に居合わせた、各々がそれぞれに持っている世界について。乗客のいない列車と意味のない夜明け。

 

 そんなことあるんだ、と思った。なんていうか、まるで日記を読んでいるみたいな。これが三年後の自分が書いたものであれば何とも思わないのだろうけれど、三年前らしい。なんか、なんだろうな。思うにそれは誰の意図によるものでもない、ただ偶然が重なった故の結果で。それぞれがただ目についただけの曲がり角をそれぞれに曲がったり、あるいは曲がらなかったり、それを繰り返しただけ。それらの合流地点に昨日という一日があって、でも、だとしたら尚更、それってものすごく奇跡的なことだなって。少なくとも自分にとってはそうで。別に欲しがったわけではないと思う、三年前の自分は、そこに書かれているような何かを。でも、そんな世界がどこかしらにあればいいのになって気持ちは多分あって、そうでないと作品なんて作らないから。そうして三年前に思い描いたっきりすっかり忘れてしまっていた風景の全部が、昨日という一日には在ったような、そんな気がしていて。それで、そんなことあるんだ、と思った。そんなことってあるんだね、本当に。

 

www.pixiv.net

 

 

 

daikichi18_第二回投票

 

 大吉 18 で投票した作品について言及するやつ、第二回です。

 

 前回はこちら。

kazuha1221.hatenablog.com

 

 どの曲に何点入れたかが目次をみた瞬間に分かるの、前回やってみてちょっと味気ないな~と思ったので、今回は入れるかどうかを迷いまくった曲も含めて収録 CD の曲目順に紹介しようと思います。どの曲に何点を入れたでしょうクイズ。

 

 

 

 

〇曲一覧

・176_4:Express / Σ

youtu.be

 入れるかどうかを迷いまくった曲。カッコ良すぎる! ドロップ(サビ?)終わりに入っているキメがマジで好きです。あの場所を聴くためだけにでも何度だってリピートしたい。

 

 

・176_11:sunset grow / マコトシアカ

www.youtube.com

 入れるかどうかを迷いまくった曲。サビが気持ち良すぎる~。なんか、たしか聴き大会かなにかのタイミングで「締め切りまで時間あるしって気持ちで作りました」みたいなことを言っていたような記憶があり、「軽い気持ちで良い曲を作るな~」って思いました(ところで、これは架空の記憶かもしれない)。

 

 

・176_17:帰り道 / 柳生一樹

youtu.be

 2 点曲。聴き大会で初めて聴いたとき、めちゃくちゃに衝撃を受けたことを覚えています。なんていうか、オーケストラならでは……なのかな。楽曲自体にもちゃんと一定以上の強度があり、それでいて楽曲そのものの立ち位置も明確になっているっていう。いや、ほんと凄いです。

 

 

・176_18:退場 / nion

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 3 点曲。このあとに紹介するある楽曲とどちらを 3 点曲にするかでそこそこ悩んだんですが、様々を考慮した結果、こちらに軍配があがりました。なんか、なんだろ、nion 君の持ち味が余すところなく組み込まれている(ように感じる)楽曲というかなんというか。歌詞も含めて、楽曲の構成要素全てが。ほんと、めちゃくちゃに好きです。こんなにも素晴らしい楽曲をありがとう。

 

 

・ピコピコンピ_13:ハコビヤ / melY

youtu.be

 2 点曲。2 点以上を入れるかどうかで迷う曲は一聴したときのインパクト(=自分が受けた衝撃、主観)という判断要素がそこそこ支配的で。この楽曲は単純なメロディラインの美しさにやられました。ものすごく感情を揺さぶられるっていうか、たとえば子どもの頃に遊んでいたゲームなんかで聴いていたとしたら、きっと一生忘れられないくらいに好きになっていただろうなっていう。そういう気持ちで選びました。もっと色んな人に聴かれてほしい~! って思います。

 

 

・合作コンピ_3:colorful sky highway / air

youtu.be

 1 点曲。めっっっっちゃ好きです。思わず「これだよこれ!」って言いたくなるようなグッとくるポップスポイントが色んなところに散りばめられていて、聴いていて飽きないというか、最初から最後までずっと楽しい! この三人でまた曲作ってほしい~(良いので)。

 

 

・合作コンピ_4:鴨川夜行 / レペゼン吉音

youtu.be

 2 点曲。「退場 / nion」とのどちらへ 3 点を入れるかで迷っていた曲です。院生になってから開かれた聴き大会を振り返ってみて、思うに一番くらったんじゃないかってくらいに衝撃を受けた一曲というか。合作による意外性の爆発をちゃんと操縦しているどころか、むしろこなれている感さえみえてくるのが本当に凄くて。「俺たちこれまでもずっとこんな感じの音楽やってましたけど?」みたいな、なんていうか、余裕さ? マジで凄いです。

 

 

・合作コンピ_6:good day good bye / マコトシアカ+mamezo

www.youtube.com

 1 点曲。すごい。すごいの一言に尽きる。A メロの夜を歩く感、からの B メロのどこかに迷い込んだ感、からのサビの前を向き直す感(でもコードとメロのアレから微妙に後ろ髪引かれるみたいな感じもする!)。一連の流れが展開として完璧すぎて、「すげえ~~~~」以上の感想が出てこないです。もちろん展開だけじゃなく各楽器のフレージングや構成音のまとまり具合(一貫性?)もいつも通りに素晴らしく、いや~、すごすぎる。

 

 

・177_1:イロヅクセカイ-encore- / imanishiaka

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 入れるかどうかを迷いまくった曲。本当に迷った。らしさがめちゃくちゃ出てる曲だな~と思い、それでいて「ここはこうでしょ!」というポイントはしっかりと抑えられていて。アウフヘーベン? 作家性と大衆性がちょうど心地良いところで交わってるな~~~って思います。

 

 

・177_4:Kamogawa Somato / kosamega

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 1 点曲。kosamega 名義の楽曲、自分の好みドストレートな部分を一定以上のクオリティで貫いてくるので毎投票ごとにリスト上で睨めっこしてるような気がします。前回の記事で書き切ってしまったのであんまり書けることないんですけど、情景描写としての音楽ですよね、だから。自分の知っている鴨川とは似ても似つかないような鴨川があるんですけど、この楽曲の中には。でも、そんな知らない風景の中に連れていってくれるような気がして、そんなところがめちゃくちゃ好きです。……あと、言わずもがなすぎてもはや誰も触れないけど、普通にクオリティが高い。シンプルにそれもまた加点ポイントの一つでした。

 

 

・177_6:Starry Sky / なあむ&ソニオル&Noctavation

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 入れるかどうかを迷いまくった曲。「イロヅクセカイ-encore- / imanishiaka」と同じく、作家性と大衆性がうまく調和している楽曲だなと思います。その作家性の中にも三人それぞれの "らしさ" が喧嘩しない領域で反映されていて、それが本当に好きです。全然関係ない話をすると、一個上の先輩三人組から出てきた曲という文脈も込めて個人的な好きポイントが激高の一曲です。

 

 

・177_7:No Room / motakine

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 入れるかどうかを迷いまくった曲。本当に迷った、というかギリギリまで 1 点を入れるつもりでした。自分は根が音ゲーマーなのでこういうテイストの楽曲がめちゃくちゃに好物なのですが、そういった私情を抜きにしても一つ一つの音の完成度や展開の魅せ方なんかがあまりにも素晴らしいなと思って。いや~~~、マジで好きです。ピアノはピロピロしていればいるほど良い!(あとリズム隊がマジでキマリまくっていて好き)

 

 

・177_8:夜の公園 / あげまそっく

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 1 点曲。「自分が大吉に収録されてほしいと思う楽曲を選んでください。」とのことだったので。なんていうか、カッコいいとかカワイイとかオシャレとか最悪治安とか、それらはたしかに音楽の一要素ではあるけれど、でもそれだけが音楽というわけではないよな~という気持ちがあり。素朴だからこそみえてくるものみたいな、精進料理? 違うけど、でもそんな何かを感じさせる楽曲がひとつでも大吉に入っていたらそれって素敵だな~って。そして、この楽曲にはそれだけのポテンシャルがあるな~と(個人的に)感じたので、そういった理由から選びました。

 

 

・177_12:中途半端なマイノリティ / さめこうもり

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 1 点曲。普通に好きすぎて選びました。特別な仕掛けは一切ないのに、なのに頭の中へ一発で入ってくるメロディーラインがマジですごいなと思って。なんか、魔法みたい。よく分かんないです。よく分かんないけど、それでもめちゃくちゃに好きです。

 

 

・177_15:薄明 / nazushiron

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 入れるかどうか迷いまくった曲。様々を考慮した結果として選べなかったんですが、でも聴き大会で初めて聴いたときにはかなりくらったという記憶があります。特に B メロ。必要十分すぎる。

 

 

・177_16:Ulysses / motakine

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 1 点曲。前回の「 Dummy Head /  MOAN Sound 」と同じような理由から選出しました。なんていうか、あまりにストイックすぎる。耳まで届く音のひとつひとつに楽曲のストイックさに適うだけの強度が宿っているみたいな。異世界の洞窟から拾ってきた闇をそのまま閉じ込めて音楽にしました、みたいな。……だし、後半から入ってくるバイオリンのフレーズが本当に綺麗すぎる~! 完全に光と闇の調和。めっちゃくちゃに好きです、本当に。マジでもっと色んな人に聴かれてほしい!!

 

 

・177_18:Over the Sky / arakistic

 3 点曲。今回の投票で迷わずに点数を決められたのは「帰り道 / 柳生一樹」とこの楽曲の二曲だけだったと思います。「夜の公園 / あげまそっく」でも同じようなことを書いたのですが、素朴な音で紡がれる楽曲だからこそ内側に想起される感情ってあるよなと思っていて。仮にこの楽曲がそれこそプロクオリティの編曲をなされていたとしたら、自分は恐らく「あ~、いいね」くらいで止まっていたんじゃないかなと思います(分からず)。なんていうか、それこそ DS とかの、幼い頃に遊んでいたゲームの BGM に当時感じていた情緒に近いものがあるというか。これは「ハコビヤ / melY」のところでも同じことを書きましたが、仮に子どもの頃にこの楽曲に出会ったとしたら、きっと自分は人生を歪められていたに違いないなと思って。……という感じで、これまでに紹介した点数曲のいくつかに感じていた要素を全部拾っていた(もちろんただの主観)ので、だから 3 点を入れることに迷いがありませんでした。本当に好きです。

 

 

・177_19:Anti-pleroma / Σ

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 2 点曲。マジでめちゃくちゃカッコいい!!!!! カッコいいの一言に尽きる。「 "カッコいい" って音楽の一要素ではあるけど、でもそれだけが全部ってわけではないよね」みたいなことをこれまでのどこかで書いたんですが、いやでも良いものは良いんだよな……って気持ちにさせられるというか。聴き手にそう思わせるだけの威力? 強度? 説得力? 説得力だ。そう、説得力があるなって。クリエイターは作品で語ってこそと思うんですが、それでいうなら「 Anti-pleroma / Σ 」は段違いだなと思い、なので 2 点曲に選びました。めっちゃくちゃ好きです。カッコいい!

 

 

〇終わりに

 というわけで、投票先は以下の通りです。

 

・3 点曲
176_18:退場 / nion
177_18:Over the Sky / arakistic

・2 点曲
176_17:帰り道 / 柳生一樹
ピコピコンピ_13:ハコビヤ / melY
合作コンピ_4:鴨川夜行 / レペゼン吉音
177_19:Anti-pleroma / Σ

・1 点曲
合作コンピ_3:colorful sky highway / air
合作コンピ_6:good day good bye / マコトシアカ+mamezo
177_4:Kamogawa Somato / kosamega
177_8:夜の公園 / あげまそっく
177_12:中途半端なマイノリティ / さめこうもり
177_16:Ulysses / motakine

 

 曲数自体は前回よりも少ないはずなのに、前回と比べてはるかにしんどかったです。あと二回! やってくぞ~。