20220903


 センシティブというか、人を選ぶかもという話題について書くので「無理だ~」と少しでも感じたらブラウザバックしたほうがよいです。

 

 高校生の頃、というとそれほど昔のことでもないように感じてしまうけれど、具体的な数字で言えばだいたい八年から九年くらいの話、痴漢を経験したことがある。当然ながら自分は加害者の側ではなく(いうほど当然か?)、また、たまたまその現場に居合わせたとかでもない。そうではなく、被害者側として経験したことがある、痴漢を。あらゆる読み手を億光年の彼方へ置き去りにする書き出しだよな、これ。でも、どうなんだろう。実際のところ、男性でもそういう立場に立たされたことのある人って、決してマジョリティではないだろうけれど、とはいえ思っているほどは少なくもないんじゃないかという気がする。梅田の交差点かどこかで一日中街頭アンケートをしてみたら一〇人はみつかりそうな、いや、そんなことはどうだってよくて。あれは、何のときだったんだっけ。普段あまり使わない路線に乗っていたと思う、クラスメイトの家へ向かう途中だったのかな。たしか昼過ぎ、車内はかなり空いていて、ところで自分は座らずに扉のすぐ近くに寄りかかりながら、いつも通りに。相手がどんな風貌だったかも覚えてない、というか、そんな余裕はなかった。男性だったことだけは覚えている。最初はなんていうか、なんだろ。なんか、やたら手が当たるなと思って。相手の手が、自分の身体に。最初は、いやまあ電車だしな、と思ったのだけれど、でもよく考えるとそれはおかしくて。だって空いてたし、自分以外ほとんど誰も立ってなんかいないくらいには。それでわざわざ扉横の、というかすぐ向かいの扉横が空いているのに自分の立っている側に来て、その上やたらと手が当たるなんてことある? という話で。いまはもう流石に喉元を過ぎすぎているからこんな風に書けるけれど、被害に遭っていた瞬間はもはや気が動転とかですらなく。痴漢って概念の存在自体は当然知っていて、ニュースや駅のポスターなんかでみるから。いやでもだけど、自分がその被害者側に回るなんて思ってもいなかったし(ここに固定観念が存在する)。というか何よりの話、本当に気持ちが悪かった、心底。不気味だし、怖いし、意味わかんないし。そういう一切の隙を縫って意識に介入してくる触覚が、もう本当に気持ち悪すぎて。後のほうはもはや手が当たってるとかの次元じゃなかったし、自分が強めの抵抗を何もしなかったからなんだろうけど。あの、いや、あのさ。想像だけで物を語るのって実はめちゃくちゃに簡単で。持ち合わせた想像力の限界までしか想像できないし、人って。自分だってそう。だからなんていうか、気持ちは分からないでもないのだけれど、いやでも、あれって思ってる以上にどうしようもないんよな。どうしようもなかったし、実際。声は出なかった。ちょっとくらいなら抵抗した覚えがあるけれど、手首を握り返したりとかはできなかった。それどころじゃなさすぎて、本当に。マジで早く次の駅に着いてくれとしか思わなかったし、降りてからだって通報なんかはしなかった。なんていうか、当時から痴漢の類ってときどきニュースで騒がれていたし、いまだって駅のポスターなんかで普通に見かけるけれど、啓蒙の文章を。でも、そうして真っ当に裁かれた加害者よりもずっとたくさんの黙殺された被害者がいるんだろうなって思う。思った。どうなんだろう、当時考えたことで明確に覚えているのは「ここで仮に『痴漢です!』と叫んだとして、ところで自分は男性なので周囲からは『何言ってんだコイツ?』の目で見られるだけでは?」ということなのだけれど。だからもしもの話、自分の性別が女性だったなら声を上げられたのかな、みたいな。いやまあ、想像するまでもなく絶対に無理だっただろうけれど。なんていうか、別にそれだけがきっかけだったってわけじゃないけれど、そういった様々があって、概念としての男性(これは大切なことで、特定個人を前にして何かを思うことはほとんどない)に内包されうる性的欲求に対する拒絶感がもう、本当に凄い。世の中の男性の全員が全員そうってわけじゃないのは分かってるし、それは当たり前のこととして。一方で、何かが外れてしまっている男性も世の中に一定数いて。ところで誰がそうなのかなんて分かりっこないし、それはもちろん自分自身だってそうで。怖すぎる、普通に。怖すぎると思ってる、本当にいつも。

 

 貞操の危機、って男性が使う言葉ではないような気がするけれど(これも固定観念)、みたいな話もあった、昔。あれもあれで本当に怖かった、なんか、意味がわかんなかったというのも当然あるけれど、なまじ知り合いだったから尚更。無理に襲われたというわけでもないから、危機という言葉のニュアンスからは少し外れるかもしれないけれど、いやでも、どっちにしても同じことなんだよな、受け手側からすると。一瞬で詰め寄られるか、あるいは一歩ずつにじり寄ってこられるかくらいの違いしかなくて。引いたはずの境界線を踏み越えてくるという点では同じだし、過程や手段が違うだけで。だから怖い、どっちも。たとえば自分が、それこそさっき上で話していたみたいに見境のない人間だったらどうするつもりだったんだ、と思う。いや、どうもこうもなく、その場合は相手が望んだ通りの結果になって終わりって話なんだろうけれど。二〇分くらいだったと思う、改札前、なんて言えば諦めてくれるんだろうなと思いながら。最終的には向こうが折れて、だから別に何ともなかったのだけれど。呆れ半分だったのか何なのかは分からないけれど「真面目だね」と言われたのは覚えていて、「いや、そういう話じゃないでしょ」と思ったことも覚えている。あれは、ああ、だからそもそもの話、今回の記事自体が少し前に書いた性別の話から連想されてここ数日くらい考えていたものなのだけれど。あれはだからその性別の話のときに書いたみたいな、性差の存在がかなりのところで利いていた。その後の人間関係に目を瞑れば走って逃げられるだろうし、最悪の場合、正当防衛という大義名分のもとに殴りかかっても勝てそうだったし、しないけどそんなこと。でも、最悪の場合、そういった手段に頼れば何とでも打開できそうという余裕があって、だから先のときほどは混乱しなかった。でもだから、これがもし逆だったらと考えると本当にぞっとする。つまり自分が女性の側で、ちょっとした知り合いと思っていた男性から遊びに誘われて。日中は普通に遊んで、晩御飯も食べて、「よし、そろそろ帰るか」くらいの時間になって突然関係を迫られる、みたいな。考えたくもない話すぎる。さして珍しくもなさそうな展開に思えるのが考えたくなさに拍車をかけている。なんていうか、だからこれで結局手に入れたものはといえば、概念としての男女に内包されうる性的欲求に対するかなり強めの拒絶感、というか恐怖感のほうが正しいと思うけど、をより強固にする楔だったという話。別に毎日毎日考えているわけじゃないけれど、こんなことを。でも、一番嫌なのは、というか考えないでいられないのは、自分が同じことをしない保証がどこにもないということで。いや、絶対にしないけど。絶対にしないけどさ。でもそれは、だからいまの自分が勝手にそう思っているだけで、信じているだけで、ところで未来のことに対して絶対なんて言えるはずないし、実際にどうだったかは死ぬ間際の走馬灯でしか分かんないじゃん。っていう。絶対にしないけど。でもいつかは死ぬということ以外の絶対なんてこの世にないし。加害性と被害性。本当に疑ってる、こればっかりはずっと。