花、卒業、秘密の在処


 家へ帰る。机の上へと目が向かって、それから「花って、本当に枯れるんだな」と思った。事実として知っていることと、経験として知っていることとは全くの別物。2023 年が始まって以降、何度も実感しているはずのそれをまた繰り返す。花って、本当に枯れるらしい。そういえば、小学生の頃に種を植えて持ち帰ったあのアサガオも、最後には結局枯れたのか。思い出せないな。少なくとも、当時はこんなことを考えもしなかったということだけが確か。最近は家にいる時間のほうがはるかに少ないような、そんな感覚、たぶん間違いじゃない。だからってわけじゃない、ずっと家に閉じ籠っていたところで変化なんて見分けられなかったに違いないけれど。あんなに綺麗だったのに、けれど、ほんの数日ばかり目を離していたうちに明らかに枯れてしまっていた。ちょっと、いや、かなり。かなり信じられない、かもしれない。本当に、太陽の下、あんなにも鮮やかにみえたのにな。いや実際に、あの切り取った一瞬においては本当に綺麗だったし、それは偽りじゃない。花瓶だなんて高等なインテリアが自身の下宿に用意されているはずもなく、ところで飲み切ったジュースの瓶(緑色で綺麗)が濯いだっきり棄てるのも億劫だからとシンク横に放置されていて、おあつらえ向き。あの形状がこれまた思いのほかちょうどよくて、渡されたブーケに収まっていたのとほとんど同じ形のままで、部屋の一角にちょこんと居座ることとなった。ちょっと勿体ないことをしたかもな、と思う。折角の貰い物だったのに、ここしばらくは外出続きの日々で、なんていうか、なんだろ。香りとか、色とか、そういうの。そういった、不可逆な対象へと意識を向けるための時間を取ることがあまりできなかった。そして、そんな花束は、気づけばもう枯れてしまいそうになっている。ぱっと見た感じ、まだあと数日はもつだろうという気はする。いつかのタイミングで好きだと言った薄紫色の、名前の知らない花。思うに、そこは流石の伏線回収力だった。明らかに普段の会話のレールから逸れた尋ね方だったから、だからなにか裏があるんだろうとはそのときから勘付いていたけれど、でも、それにしたって二ヶ月も前の話。その会話があったこと自体、渡された花の色に意識が向かうまではすっかり忘れてしまっていたし、その色を認識した瞬間に全部を思い出して、だから「してやられた」とも思った。用意周到すぎるんだよな、いつもいつも。そういうところはずっと前から変わらない。机の上。みると色素がところどころ抜けていて、なによりも花弁が心なしか俯いている。勿体ないことをした、かもしれない。この時期は一週間くらいでダメになる。話には聞いていたけれど、実際、誰がどうみたって近づいている、明確な終わりが。人間だって、と思う。過度な一般化はよくない癖。なんていうか、抽象的な思考に一度馴染んでしまうと、眼前の事象をなんでもかんでも手あたり次第に一般化しようとしてしまう。個々の事象は個々として発生しているのであって、一般論への拡張は事態の側面を却って曖昧にしてしまいがち、とはいえ。人間だって、人間だってそうか、と思う。寿命とかって、だってそうだもんな。事実としては知っている、どんな生命にだって終わりはある。ところで、事実としてしか知らない。少なくとも自分は、これまでに親しい人間の死を体験していないし。それに、仮にその経験があったとして、それはその個人に限った体験でしかないという話もある。親しい相手だろうが、ちょっとした顔見知り程度の相手だろうが、それが誰であれ、死という経験は一度しかやってこないわけで。どうなんだろう、そのたびに「人って、本当に死ぬんだな」って思うのかな。「そういえば、何年か前、〇〇さんもそうだったっけ」とかって、いつかのアサガオと同じみたいに。もっと時間を作ればよかったとか、いやでもそんなこと言ったってとか、そんな風に。終わりがあるものを、だからこそいま大切にしろとかって簡単に言うけれど、でもそれって全然簡単なことじゃない。言うは易く、ってやつ。だって、花ひとつをとったってこうなんだし、いや、これは自分の経験値がただ不足していただけかもしれないけれど。だから、なんていうか、ちゃんと胸を痛めていたいなって思う。自罰とかっていうんじゃなくて、なんだろ、感傷? ちょっと違う、いや、違わないか、どっちだろ。こういう感情のささくれを見逃さないでいたいっていう、伝わるかなあ。全然賢くなんかないんだよな、少なくとも自分なんかはさ。これは嫌味でも自虐でもなく、純然たる事実だけれど、だけどそういう意味でもない。花がいつか枯れることさえ知らないし、人がいつか死ぬことなんてもっと知らない。花は繰り返せば学習できるかもしれないけれど、さっきも言ったように、人の死は個々人との関係の間に在るという点において一度きりだし、学習なんてできない。商店街の、その年の交通事故による死亡者を計上した数字を眺めて、じゃあその三桁だか四桁だかの現実で、たとえば愛する誰かにもいずれ死が訪れるという事実を受け止めるに足るだけの何かを得ることができますかという話。無理だと思う、試してもないけれど、でも、試すって言ったってどうやって試すんだ。だから、見逃さないでいたい。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。その意味で自分は賢者ではないということを忘れないでいたいっていう、だからさっきのはそういう意味。何千、何万の客観的事実を並べられたところで、結局のところ、身をもって経験するまで本当のところなんて何も知らないんだって自覚。花が枯れるのをみて、「花って、本当に枯れるんだな」と思って、人間も同じだよなと思い出して、それから少しだけ寂しくなって。だから、そういう一瞬の感覚を忘れないままでいたい。忘れないままでいたいなって、そう思う。そう思って、だからメッセージをひとつ飛ばしてみた。特定の場合を除いては一瞬で返信が来るということを知っていて、ところで今日は来なかった。「さては寝てるな」と携帯を枕元へ投げて、それから花瓶の水を換えた。意味なさそうと思いつつ、ところでその薄紫を少しでも長い間みられるならその分だけ嬉しいから、だから、これくらいの手間はなんてこともない。

 

 三月中、全然ブログを書かなかった。三月はサークルの追いコンに始まり、広島旅行、卒業式と大きめのイベントがいくつかあって、それに加えて宅呑みや深夜徘徊といった小さめのイベントも複数あり、なんだか思い返せばずっとばたばたしていたように思う。そのうち文字に起こそうと思っていたものも、時を経るにつれて自分の内側でいい具合に消化されていき、そうこうしている間にタイミングを逃す。三月ライブとか、本当は忘れちゃいけないはずのものがたくさんあったと思うんだけど。でもまあ、あれはメモ帳へ起こしてツイートしたから、あれはあれでいいのか。卒業式の日の話だけ、最後に少し書いておこうかな、備忘録の意味も込めて。深夜、日付を跨いだ頃、google drive の URL が唐突に送信されてきた。驚いてリンクを開くと、.wav ファイルが 3 つ置かれていて、けれど、その内容が何であるかは開かなくても分かった。自分が、自分だけじゃないな、彼の演奏は色んな人が好きだと言っていた、きっとそれだ。合計時間にして、何分くらいだ、30 はたしか越えていたと思う。ライブの後のあの時間が好きだったんだよなって、数年後とか、あるいはもっと先でも、そんなことを話していそうな気がした。次の日が早かったから、残りは翌朝の道中へ預けることに。道すがら、在学中は着る機会のなかったスーツで、イヤホンと一緒に。.wav ファイルの途中、『スカイブルーナイトメア』と『アオルタ』がごっちゃに演奏されていて面白いなと思いつつ、そういえば、と思い出した。そういえば、自分が初めてちゃんと完成させた歌モノであるところの『スカイブルーナイトメア』は、吉音 OB であるところの霧四面体さんが制作した楽曲『アオルタ』を下地にしている曲なんだった。だから BPM もキーも同じ。そりゃ、同じ流れで演奏しようとしたらごっちゃになる。ポップス人格としての自分の音楽人生は霧四面体さんとの出会いから始まったという部分が少なからずあり、そしてそれはちょうど六年前の今頃、初めて行った吉音の新歓でもらった大吉音 14 というアルバムがきっかけだった。あんまりに卒業の日に相応しすぎる感慨があって、なのでツイート。霧四面体さんが反応を返してしてくれて、これもかなり嬉しかった。時の流れ~。過去から未来、他の誰かから自分、そして自分から他の誰かへと、いろんなものが繋がっていくような感覚。式の会場へは一時間半ほど早く入場したものの、あまりに早すぎた。『京都大学大学院学位授与式』と書かれた看板をボケーっと眺めながら、「そういえば、自分って京大生だったのか」とか「京都大学って名前、今更ながらめちゃくちゃかっけえな」とか、どうでもいいことを考えているうちに式は始まった。終わって、同期のらくのと合流。謎に写真撮影の列へ並んでしまうが、本当に謎だったので途中で抜けて適当なところで写真を撮った。最後にちゃんと会えてよかったなって思う、こういうのを、だから忘れないでいたいって話をさっきもした。それから、さらに別の人と合流。思えば、この人にとっては初対面で、自分にとってはよく知っているという相手を交えた三人で行動をするのはこれが二回目。自分はかなり美味しいポジション。ところで、これは自白しておくと自分も微妙に浮足立っていて、前半は会話の空気感をいまいち掴めていなかった。ところで、自分が途中一時間ほど席を外すタイミングがあったのだけれど、その間に二人はすっかり打ち解けていた。凄すぎだろ。また、その隙に大学同期であるところのしぶりん(個人名)と合流。積もる話がありまくるけれどすぐに先の二人と合流しなきゃいけないという自分の状況を鑑みて、別日の夜に会話の場をセッティングしてくれた。マジで良い奴。「世界中の善意を寄せ集めて溶かして鋳型へ流し込んで生まれたよう」という人物評を下したことがあるけれど、いまでも割とそう思っている。思うに、一番最初に仲良くなった大学同期が自分にとってはしぶりんだったし、それで本当によかったとも。その後、先の二人と合流し、晩御飯を食べ、解散。その後、三条でまた別の人と会って、それから鴨川散歩へ。いい天気だった。空気は澄んでいたし、気温もちょうどよかった。これからどうしようねって話をしたり、されたり、歩いたり、立ち止まったり。改札、切符売り場前、「いい加減、ホームへ降りないと終電を逃しますよ」の言葉でその場は解散。こんな日まであの人はあの人らしくて、それがなんだか可笑しかった。日付を跨ぐ。その一日のゴールはもう決まっていたのだけれど、けれどもう少しだけ 24 日を引き延ばしていたくて三条周辺をぶらぶらしていたところ、一件の電話。通知を切っているから気がつけたのはかなりの幸運、「三条大橋へ来てください」。なんで? と思った。思いつつ、行った。季節って巡るよね、という話をした。これは自分の人生だけれど、ところで自分ひとりだけの人生でもない、という話もした。桜並木、遠ざかっていく自転車を見送って。流石に今日はやり切ったかなとスマホを確認して、それから三条大橋を渡った。2023 年 3 月 24 日。あまりに長すぎた一日の、その断章。

 

 自分にとっての幸せの一部であろうとしてくれる人がいるということ。これは人に借りている言葉だけれど、でも、とてもしっくり表現だった。自分にとっての幸せの一部であろうとしてくれる人がいるということを、本当にとても嬉しく思っているし、かけがえのないことだとも思っていて。だから、それと同じくらい、自分もまた、他の誰かにとっての幸せの一部であれたらいいなと思う。この世界に生きる全員の幸福を祈ることは自分の手に余るし、嫌なことも嫌な人もそのどちらも自分にはどうしようもないことだけれど、でも、せめて手が届く範囲くらいは。そういう気持ちをずっと忘れないでいたいし、そういう気持ちを、この世界の隠している秘密の在処を思い出させてくれる、そんな人たちが周囲にたくさんいるというのは、だから本当に幸せなこと。本当、本当にね。あんなにも嫌っていたはずなのに、この世界のことを。こんな今日が、だけど今は、信じられないくらいに幸せなものだって思える。これはだからこの六年間で、二五年間でみつけた、みつけさせてもらったたくさんの、そのなかの一つ。