19971030 - 20230208


 そういえば一月末から二月の初めにかけての頃、昨年の振り返り記事を結局書かなかったことに今更のように気がついた。2023 年も始まってもう一ヶ月が経つ。そんな時期に 2022 年の振り返り文章をちまちまと書くのもどうなんだろうと思いつつ、一方で過去の出来事を過去の出来事として出力しておくことは、記憶の整理という意味でも、あるいはこれから先のことを考える上でも大切なことかもしれないなと思うので、だから今回はそういう話をしようと思う。それはそれとして、月ごとに区切って起きた出来事を逐一書き出すなどのことはするつもりがない。振り返ってみるに、この一年を経る間に自分の考え方は大なり小なり変化したと感じていて、それがいつどのタイミングで何によって発生したものなのか、ということを書き残せたらと思う。とはいえ、実際に書き起こしてみるまではどんな文章が生成されるかなんて予測できないけれど、最後の一文まで読み終えたときに、上で話したようなことがちゃんと読み取れるものになっていればいいなと思う。……このブログを指して「鍵の掛かった宝箱だらけ」と言われたことがある。その比喩自体は、自分がいつかの記事で用いたものを流用してのそれだろうけれど、とにかく「特定の事実(=鍵)を知っていないと読み解けない文章(=宝箱)が多い」という意味。まあ、そう。誰にだって知られてもいいことしか書かないと言いながら、内側へは易々と踏み込めないような文章を自分は書きがち。これは癖。なので、人によってはよく分からない文章が羅列されることになるかもしれないけれど、そこは許してほしいと思う。ここは、そういう場所なので。……まあ、当時のブログを遡って継ぎ接ぎすれば、だいたい半分くらいのことに関する鍵はみつけられると思うけれど。

 

 一月。ブログを辿ってみると、「ああ、そういえばそんな感じのことを考えていたな」と思い出した。それよりも一つ前の年、2021 年、その終わり頃に端を発する問題意識で、それは自分の立ち位置に関することだった。なんていうか、自虐風自慢に聞こえるかもしれないけれど、当時の自分は周囲の人間から好感を向けられるということに、あるいはそういった状態へ置かれていること自体に対して、ある種の苦手意識があった。苦手意識。2021 年の末頃といえば、覚えている人は覚えているだろうけれど、諸々の制約が解除されて他人との交流が復活し始めた頃。気づけば自分はそういうポジションにいて、よく分からないけれど周囲の人からちやほやされる現状。何だこれ? と思った。……いや、自惚れを許してもらえるなら「よく分からないけれど」というのは嘘だと思う。普通に、これまでの自分がやってきたことが評価されたというだけの話なはずで、それはたとえば作った作品であったり、あるいは普段の立ち回りであったり、そういうのが自分の知らないところで、周囲の人たちによって承認されたというだけのこと。ところで一方それはそれとして、果たして自分はその承認を受け取るに足る人間だろうか? という疑問。漠然としたちぐはぐ感、苦手意識、そのルーツ。その正体を明らかにすることは、自分のためというよりも、まずもって自身の周りにいる人たちからの好意を裏切らないためにも必要なことだったと思う。だって、なんていうか、傍からじゃ見分けがつかないだろうと思ったから。当時の自分は、自身へ向けられる好意そのものを疑っていたわけではなくて、好意を向けられている自分自身のほうを疑っていた。ところで、そういった意識から出力される結果は、たとえば過剰な謙遜であったり、あるいは無意味な卑下であったりで、見分けがつかない。自分がそういった態度を取り続けていることで、自分のことを好意的にみてくれる人たちのそれを裏切ってしまうのは嫌だし、事情を何も知らない第三者に「お前はこんなにも認められているくせに」だとかって難癖をつけられるのもなんかムカつく。そういう問題じゃないんだって。だからこれは、いまの自分がちゃんと向き合わなくてはならないことだと思って、2022 年の初め頃は、だからずっとそういったことについて考えていた。年始、暇だったし。

 

 一月の続き。三条駅、バスターミナル、横断歩道前。信号待ち、あるいは渡っている途中、運命を信じるかどうかと尋ねられた。真冬。正確な文言は思い出せないけれど、否定的な回答をしたことは覚えている。相手もまた、自分の返答に頷いた。昨年の一月を振り返ってみて、真っ先に思い出すのがこの夜のこと。そのくらい、自身の記憶に深く刻まれている出来事ということだと思う。なんていうか、それまでは画面の向こう側にある事象と思ってたんだよな。画面の向こう側っていうか、架空。そんなことない、たしかにこの世界にありふれているはずのものなのだけれど、一方で、自分の目に映る世界に現れることはないだろうと思い込んでいたもの。だから、驚いた。驚いたし、何よりも、当時の自分にとってもそれは他人事ではないはずのことで。なのに、どこか他人事のように思いこんでいた自分がいて、これって何なんだろうと思ったりもした。これは、だから、そのきっかけの一つ。

 

 一月のさらに続き。誰かを愛するっていったいどういうことなんだろうな、と考えていた。当時、何度か言われた言葉でかなり引っ掛かっていたのが、「(貴方には)愛がある」というもの。言葉の定義。よく分からない。だから、逆に訊き返したくもなった、「貴方の言う『愛』とはいったい何ですか?」って、そんなことしないけど。向き合わなくてはならないことの一つ。誰かのために何かをしようとしたとき、でもそれって本当に他人のためを思っての行動なのか? みたいなの。エゴ、自意識、自己満足。翻って、あるいは愛。自分の目からじゃ到底見分けなんてつけられない。一方で、だからって考えることをやめてしまっていいというものでもない。なので、考えた。愛。愛ねえ。そんなものあるのかな、本当に。懐疑的。だからってわけでもないけれど、一冊の本を読んだ。当時のブログでは、タイトルを明記しなかったんだっけ、たしかそうだったと思う。『愛の試み / 福永武彦』、知人を経由して知った本だった。当時の自分は、その知人の世界に対する考え方、捉え方、向き合い方なんかに一定量の好感を持っていて、そんな相手から、……どういう経緯で知ったんだっけ、とにかく名前を聞くことになって。だとすれば、きっと自分にとっても有益な書物だろうと思い、購入へ至ったのだった。開いてみると、まあまあよく知った話が書かれていた。「本当に?」と首を傾げる個所もいくつかあったけれど、概ねは。孤独、欠落、双方向性。もとより自分の中で言語化されきっていたものを、第三者の言葉で再構築するみたいな感覚。興味のある人は、是非とも読んでみるといいと思う、良い文章であることには違いなかったから。でも、ところで読み終えてみての感想としては、だとすれば愛なんてどこにもないな、というものだった。これは、振り返ってみるにその半分が正解で、残りの半分は間違っている。当時の自分は、まだそこまで自分を信じることができていなかったから、だから。そんなに悲観的になるようなことでもなかったんだな、と今では思う。でも、それでも半分は正解だったんだよな、とも思う。欠落に、孤独に向き合うということ。誰かを愛するとか、あるいは誰かに愛されるとか、でもそれって、自分自身を満たすためだけの手段であってはならないんだよな。それと同時に、相手の孤独を、欠落を埋めるようなものでなくてはならなくて。だから、その形が揃わない限り、相手がどんな特別だとして、恋愛とかって関係になると、どうしようもなく上手くいかなくなってしまうのかもな、とも思った。結局、自分は最後の最後まで相手の内側に在る孤独を正しく認識できなかったし、たぶん向こう側も。こういう全部、どうしようもないのかもなって思う、いまとなっては。だって、分かんないよ。自分が知っているものと同じでない限り、他人のそれに寄り添うことってたぶんできないし。……みたいなことを、今年の、つまり 2023 年の一月に入ってから同書籍を読み返してみて感じた。『孤独の所有』。その前段階、孤独の所在を明らかにすること。恋愛とかに限らず人間関係全般、多分、それが一番難しいんだろうな。

 

 三月。三月ライブ・追いコンに関連して色々なことを考えた。同時に、来年は自分が追い出される側になるんだな~とか、卒業する人たちとの関係はここで一区切りつくけれど、だから、だとすれば自分が追い出される側になったとき、後輩たちとの関係性はいったいどんな風に落ち着くんだろうな~とか。あと、だからそうか、いつチルバンドが結成されたのもこのときだっけ。あれは、だから自分にしてみればかなり珍しい働きかけだったんだよなと思う。何て言ったっけ。正確には覚えてないけれど、当時はまだ初心者も初心者だった某後輩に向かって「自分が曲書くから、楽器弾きなよ」みたいなことを言ったような気がする。これは、それまでの自分の言動と照らし合わせてみれば、かなり解釈不一致な行動。だって、なんていうか、……これはいまはもうそうじゃないって断り書きをした上での話だけれど、自分は誰かから慕われていいような人間じゃなくないかって、本気でそう考えてたし(これは、向けられる好意に対して懐疑的だったのではなくて、それを向けられている自分自身の在り方に対して懐疑的だったという話)。でも、そういう認識が変わりつつあったのが、だからこの辺りなんだよなって思う。自分がどんなに捻くれていたって、周りの人は何ら変わらずに接してくれるし。だからって、そんな簡単に吹っ切れるようなものでもなかったけれど、でも、それでもこんな自分なんかに向き合い続けてくれる(当人たちにそんな意識はないかもしれないけれど、これはこっちの主観)人たちがいて。なんかなあ、みたいな。いつチルバンドに書いた曲、『Answer to』。大例会でその紹介をするときに、「自分を好きでいてくれる人たちのことを考えながら作った」みたいなことを言ったような言わなかったような気がするけれど、あれはだからこういった裏事情を踏まえての言葉でもあって。というか、本当に。自分がどれだけ周囲の人たちの存在に救われてきたかって話で、当人たちは何一つも知りはしないだろうけど。いや、知らないままでいいんだけど、そんなの、自分が勝手に救われてるだけだし。でも、「まあ関係ないな」と思いながらいまこれを読んでいる、画面の前の誰かにだって自分は助けられてるんだってことは、一度くらいちゃんと伝えておきたいなって思う。

 

 五月から六月にかけて。『やがて君になる 佐伯沙弥香について』を読んだ。この作品は小説版で、原作漫画とは別の人が、具体的には入間人間先生が執筆を担当している。その流れで、同著者の『安達としまむら』も読むことになった。2022 年を振り返ってみるに、この年のターニングポイントの一つは恐らくここだったと思う。「誰かが誰かを恋愛対象として好きになるって、どういうことだと思う」。2022 年 12 月 29 日、歩道橋。その問題意識が、だからそもそもこの二作品に端を発している。『安達としまむら』の話。自分は、しまむらの立ち振る舞いに対して一定以上の納得感があった。ところで、安達の言動にもかなりの部分で見覚えがあって、その正体はかつての自分だった。欠落を自覚するよりも以前の自分。そう書いてしまうと、これはもうほとんど他人だって感じがするし、実際に他人だなってくらい考え方は変わってしまっているのだけれど、それでも記憶としてはちゃんと残っていて。読み進めていくうちに、だから、そういった感覚が思い出されてゆくこととなった。「誰かを好きになるって、たしかにこういうことだったような気がするな」みたいな。内側を探してみても愛なんてどこにもないと思った一月、からの六月。昔の自分はちゃんとそれを持っていて、けれどどうやら失くしてしまったらしいという理解。欠落。ちゃんと欠け落ちていたもの。その穴の存在に自覚的になりさえすれば、もしかすると拾い上げることだってできるのかもしれない。六月以降の自分の意識はそんな風に、ある意味でポジティヴな方向へとシフトすることとなって。これが、だからターニングポイントの一つだった。周囲の人からの好意に対する向き合い方にせよ、なんにせよ。自分の中で停滞していた色んなものが動き始めたのが、思うにちょうどこれくらいの時期だった。

 

 六月の続き。幸福の本質は移動らしい。何度目かの夜、帰り道、大好きな作品の中に書かれていたその一文を思い出した。正直に言うと、眩しすぎた。幸福であることへの執着。その言葉には頷けるけれど、なのに自分の中には見当たらない。横断歩道前、そう伝えた記憶がある。死にたがっているわけではなくて、死ぬのは怖いし、普通に。でも、もしも明日にでも死んでしまうとして、死神がそう伝えに来たとして、それでも「仕方ないか」って簡単に割り切ってしまえそうな、当時の自分のことを思い出すにそんな感覚がある。ボーナスステージ。当時のブログにある一文、『昨日も今日も明日もエンドロールの延長線上でしかないって、流石にそこまで割り切っちゃいないけれど。』。いないけれど、でも、似たような感覚はたしかにあるという話。嫌いになったんじゃなくて、単に眩しかっただけなんだよな。そうやって、未来に向かって歩こうとしている姿勢が。自分の中にはそれがなかったし。幸福を手放してしまうことを恐れるくせに、幸福であり続けることには執着できない。ちゃんと欠け落ちたままなんだな、って思った。欠落のままでだって生きていける。生きていけはする。でも、こうなった今だって、まだ何も埋まってなんかいなかったんだと思った。そう思わせられた。だから、このままでいいのかな、と考えたりもした。考えたけれど、でもところで、じゃあどうすれば埋められるんだって話だよな、この欠落を。不明すぎ。少なくとも、自分ひとりでどうこうできる問題って気は全然しなかった。それでも、手掛かりは多分掴んだんじゃないかという感じがあって。『Answer to』の歌詞を書いたのは、だからちょうどこれくらいの頃だった。欠落の埋め方はまだ分からないけれど、でも、埋めた結果として何が手に入るかについては恐らくちゃんと分かっている。その答え合わせ。

 

 八月。鴨川沿い、代理戦争。振り返ってみると、この夜に話をしたことによって、明確に自分の中での意識が変化したと思う。具体的には、他人からの好意を素直に受け止められるようになった、と思う。たぶん、面倒な質問をしたなと思う。もう随分と前のことだから正確には思い出せないけれど、「自分が周囲の人間に慕われるのは何故か」みたいな、テキストだけを目で追うと何様だよって感じのことをたしか尋ねた。でも、それは本当に当時の自分にとってはクリティカルな問題で、いまとなっては解決したことだからこのくらいオープンに話せるけれど、でも当時は誰に相談することでもないしなあ……と思いつつ一人でずっと抱えていたもの。誰にだって、そこまで本気で相談しようというつもりはなかったけれど、この夜は、何故かそれに関する話題が自然と浮かんだ。結果としては、正解だった。相談相手も、時期も場所も時間帯も、何も間違えなかったと思う。結局のところ、自分は自分のことをそれほど認められていないというか。なんていうか、何かにつけて「自分なんかが」とか「自分なんかに」とか言ってしまいがち。それは周囲にあるものを疑っているのではなくて、自分自身に対する不信。実はめちゃくちゃネガティヴだし。周囲の人から向けられる好意を素直に受け取れないのは、結局、自分自身を認めることができていないからだなとは思っていて。そのことが解決したのが、だからこの夜だった。そのとき自分の話に付き合わされていた誰かは、まさか自分がそんな風に考えていたとは思いもしていないだろうけれど。でも、あの夜のおかげでめちゃくちゃ救われたなって思いますよ、自分は。

 

 八月の続き。大阪港、京都駅。嫌いになるはずなんかない、という自分の言葉を今でも覚えていると言っていた。この時点で、自分の意識は少しづつ変化していて。その変化を齎したきっかけといえば、たとえば『愛の試み』であったり、『やがて君になる 佐伯沙弥香について』であったり、『安達としまむら』であったり、あるいは六月に歩いたときに話してもらったことであったり。八月、鴨川沿い。これは記憶から抜け落ちていたけれど、当時の自分は「とても感謝している」と言っていたらしい。忘れていた手前でこんなことを言うのもアレだけれど、まあ、そうだろうなと思う、普通に。そういった変化自体は自分の内側で勝手に起こったことで、だから誰の手も及び得ない領域での出来事なのだけれど、けれど一方で、その一瞬に気づくためのきっかけはといえば、それは自分でない別の誰かに貰ったものであって。だから感謝しないはずがないし、だから嫌いになるはずもない。そういう話。曰く、その日の自分は、出会った直後から色んなことをペラペラと話していたらしいけれど、そりゃまあそうだろうなと思う。当時の自分にそういった意識が明確にあったかどうかは別として、でも、自分を変化させた様々のルーツにいる人だってくらいの認識はあっただろうから。

 

 九月。星降のパレーシアという楽曲を、同年の二月頃にサークルの先輩と一緒に作ったのだけれど、その小説版みたいなのをさっと書いてみた。自分は勝手に『アナザーパレーシア』と呼んでいる。真似事とはいえ、こういった形式で文章を書くのは一年ぶりとかだったから、当時の感覚を思い出しながらの作業だった。これは自分の場合に限った話だけれど、わざわざ時間をかけてまで何かを生成するとき、そこには明確に意図が宿るなと思う。それが小説であれば、たとえばシチュエーション、設定、ストーリー、登場人物の関係性、そういうの。アナザーパレーシアを書いていく中、やっぱり自分にとっての理想的な関係性ってこういう距離感なんだよな、と思ったりした。本質的なことは何一つも口にしなくたって、相手の言葉を、意図を、あるいはその先にある何かを、お互いに汲み取ることのできる関係性。憧れ、とかではない。そんなの、現実的にはあり得ないと思うから。だから、あくまで理想の上での話。昔からずっとそうで、このことは以前の自分が書いた小説もどきを、ブログなり pixiv なりから引っ張り出してきて読んでみればすぐに分かること。そもそもの話、このブログを読んでみれば分かるように、自分のコミュニケーションの土台がそうやって多くを明言しないようなものとして構築されているから、だからそういった距離感に安心感を覚えるっていう、それだけの話ではあるんだろうけど。

 

 一〇月から一一月にかけて。2022 年を振り返ってみて、フィジカル的にもメンタル的にも大変だったのは、思うにこの辺りがピークだったような。某感染症を患って病床へ伏したことに始まり、からの M3 の締め切りに追われ、それが過ぎたかと思えば修論の諸々が始まり、ところでバイトは週三日で入っていて、みたいな。色んなものに追われまくっている中、人間関係的な問題も抱えてしまったり。なんていうか、正直、普通に余裕がなかった。形の違う鍵。そのことに意識的になったのが、この時期だった。なあなあにしていてはいけないものだから、考えなきゃいけない。でも、考えれば考えるほど、いまの状態は誠実じゃないんじゃないかって答えにしか行き着かなくて。だったとして、そのことをどう伝えればいいのかもよく分からないし。家庭、収束、世界の終わり、真夜中の公園で話したこと。その結末に否定的な立場でいるということは、つまりはそういうことだよなと思ってしまった。失礼な話。このことに自覚的になれば、何かを変えることができるだろうかと思った。だから多少の行動を起こして、でも、やっぱりそれは無理そうだと感じさせられたのが一一月の末。形の違う鍵。だから、ちゃんと終わらせなきゃいけないなと思った。

 

 一〇月。話は戻るけれど、誕生日のこと。祝ってもらえて本当に嬉しかった。これはまあ、たまたまたくさんの人が集まるタイミングだったということも関係ありそう。M3 前で、みんな東京にいたしね。でもなんか、あれだけの数の人に祝ってもらえたのって、本当に生まれて初めてのことだったんだよな。なるべくはしゃぎすぎないようにしてたけれど、でも普通に嬉しかった。いや、当たり前のことだけれど数は本質的な問題でなくて、単に自分の周りにいる人から直接そのことを伝えられるのが純粋に嬉しくて、ところで、ただそれがあり得ない数一斉に飛んできたから閾値を超えたという話。晩御飯のお店を出ての路地、おもむろに渡されたコンビニのツナマヨおにぎりとかいまでも覚えてるし。マジで嬉しかったな、ほんと。それに、ああいう時間を素直に享受できるようになっている自分自身についても、ちょっとだけ驚いた。昔の、それこそ二月頃の自分とかだったら、どちらかといえば困惑のほうが先だっていたかもしれない。2022 年 10 月 29 日の夜。自分なんかに、とはもう思わなかった。これまでの自分が、それらを受け取るに足るような人間であったかどうかはその実問題でなくて、これから先の自分が、こうして受け取った好意を裏切らないような人間であり続ければいいってだけの、それだけの話なんだなっていまではそう思うから。

 

 一二月。修論の負担が大きかった一ヶ月。この一ヶ月をやり切れたことについては、毎週のように自分を連れ出してくれた後輩であったり、あるいは長らく会っていなかったにもかかわらず予定を合わせてくれた古くの友人であったり、そういった人たちの存在に助けられたという側面が強いように思う。でなければ、普通にメンタルをやっていた可能性が高い。そのくらいしんどかった。無事に提出できてよかったとは思うけれど、でももう二度と書きたくない。

 

 一二月の続き。イルミネーション。観に行ったというよりは、時間が余っていたのでついでに立ち寄ったという感じ。初めてだった。会社帰りの人とか、カップルとか、あるいは同性同士の、友人なのだろうなという感じの集団とか、とにかく色んな人たちが歩道に沿ったイルミネーションの群れを眺めていた。素敵な空間だなと思った。普段、自分は色んなものをスマートフォンで撮影するけれど、空とか木とか電線とか。けれど、多くの人はそうでもないよなと思っている節があって、実際にどちらがマジョリティかとかはどうだっていいのだけれど。でも、この夜だけはみんながスマートフォンを宙に翳していて、だから素敵だなと思った。その人たちと自分とが接点を持つことはまあないだろうけれど、たとえば自分がいまその灯りを綺麗だと思っているのと同じような何かが、その誰かの内側にもあるんだろうなって思えたから。同伴者。転換点。形の違う鍵。ずっと感じていたこと。孤独。それは、今に始まったことじゃない。一月も、八月も、一一月も、たしかに視えていた虚像の繰り返し。ただ、その夜の強度が尋常でなかったというだけ。意識の変化。思えば、自分はいつだって連れ出される側で。鍵の掛かった部屋。外れた南京錠。内から外へ出るという行為。これほどにたくさんの変化を貰っていて、なのに、自分からはこの人に対して何をすることもできないというある種の断絶。螺旋階段を昇りながら、こんなにも分かりやすく、自分と同じ形のそれがいま目の前にあることは分かっているのに。無力感っていうのとは、また随分と違う。なんていうか、もっと別の何か。転換点。だから、ここがそう。振り返ってみれば、これまでに積み重ねた全部があったから、だからそれほどに強く思えたという話のような気もしていて。何か一つでも欠けていたら、そこまでの感情には至らずに通り過ぎてしまっていたのだろうな。でも、そうじゃなかったから、そうはならなかった。ずっと引っ掛かっていた、この夜の出来事が。

 

 一二月の続き。その点に関して、自分の知る限りにおいては最も信頼のおける相手と思ったから。当時、理由を尋ねられた際には誤魔化したけれど、仮に複数の候補先がいたとして、そうであってもまずはその相手に連絡を取っていたと思う。これは本人にも直接伝えたこととして、いまにして思えばそれってどうなんだって感じはするけれど、だから、まる一日迷った。まる一日迷って、結局、自分は連絡をした。一二月の間、ずっと考えていたこと。誰かが誰かを好きになるとはどういうことか。人として、あるいは恋愛対象として。自分の中での答えはもう決まっていた。だから、その質問に何を返されようと結末が変わることはなかったし、だから別に、訊きに行く必要もなかったといえばなかったのだけれど。でも、いまこのタイミングで訊いておきたいと思ったから、それで。2022 年 12 月 29 日、歩道橋、降りた向こう側、橙の街灯。何パターンか想定していた回答は、結論から言えばどれも外れたし、相手の回答がその後何らかに直接役立ったかといえば、そんなことも多分ない。けれど、商店街を抜けながら、それでも話ができてよかったと思ったことは覚えている。続く 2022 年 12 月 30 日、大阪港、全部を終わらせることになった。自分の立ち振る舞いを振り返ってみると、本当にロクでもない人間だったなと思うし、それはなんていうか、自分が大いに反省しなくてはならない部分。誰かが誰かを人として好きになるということ。誰かが誰かを恋愛対象として好きになるということ。両者の区別。形の違う鍵。結局、一年半を通じて自分が手に入れたものはそれであって、その識別が最初からはっきりとしていれば、こんなことにはならずに済んだのかもなと思った。欠け落ちたままのもの。埋まらない穴。それでも外れていく鍵。ちぐはぐな日常。未熟だったし、無知だった、あまりにも。これはだから、ずっと背負っていくべきもの。

 

 一月、2023 年の。昨年の一月にも話したこと、「誰かにとっての登場人物になりたくない」。他人からの好意を素直に受け取れないこと、今が人生のボーナスステージであるという認識でいること、幸福であり続けることに執着できないこと、他人となるべく目を合わせたくないこと。自分の観測世界では自分以外の全員が等しく登場人物であって、それはただ道ですれ違っただけの人や、横断歩道の向こう側で信号待ちをしている人、踏切が上がるのを自転車片手に待っている人だってそう。目に留まった全員が登場人物として登録されていて、けれど、そのリストの中に自分がいる必要は必ずしもないという感覚。というより、いなくてもいいという感覚。他人と関わりたくないわけではなくて、ただ、他人の人生の中に自分がいる必要はそれほどないんじゃないかという、これは単に、自分のことをそれほど好きになれないからというだけの、生来のネガティヴ思考に端を発する感覚。これは、実際のところ、大学へ入って以降に随分と改善された。吉音に入って、アイマス研に入って、色んな人と出会って知り合って仲良くなって。一緒に何かを作ったり、どこかへ出掛けたり、頼りにされたり頼ったり。そういった日常を繰り返しているうちに、幼少期ほど強烈な、いなくなりたさにも似た何かを感じる機会は次第に減っていった。けれど、知り合った誰かとの関係性が深まってゆくにつれて、どこか一歩引いてしまう自分がいるということへも当然のように気がつくわけで。……自分と何度か話したことのある人なら分かるはず、自分が、そもそも自分自身の話をあまりしようとしないこととか。自分の目に他人の姿を映したくないのではなくて、他人の目に自分の姿を映したくない。登場人物になりたくないから。結局自分は、最初から最後までそういうスタンスを崩すことができなかった。けれど、そういったある種の線引きを、それでも何かにつけて飛び越えようとしてくる人がいた。たとえば、自分のブログに書かれていた内容について繰り返し何度も言及してきたのはその人が最初だった。自分を色んなところへと連れ出して、いま眼前に広がっている風景についてくどくどと尋ねてきたのもその人が最初だった。あるいは、おおよそ他人と目を合わせようとしない自分と、なのにあんなにも目を合わせようとしてきたという奇特な人も、これまでにはいなかったような気がする。あれをしたい、これをしたい、あそこにも行きたいし、ここにも行きたいって、次から次へと自分を巻き込もうとするし、登場人物にさせようとしてくるし。いったいなんなんだ、と思う。思いながら、自分の内側に目を向けてみると、役目を終えた南京錠の残骸の群れ、覗き込んだ欠落の底。あるいは、鏡合わせの寂しさ。何もできなかった夜と、そしていま。踏み出すことに迷いはなかったし、疑いもなかった。可能性がたった一つに集約されてしまうことへの、あるいは何かを明確に変化させてしまうことへの躊躇い。一昨年の夏に覚えた恐怖。誰かが誰かのことを恋愛対象として好きになるということ。愛と依存の違い。大学生活の六年間を通じてみつけたものの一つ。ちゃんと届いて、間違えなくてよかったと本当に思う。

 

 二月、2023 年の。修士論文の審査会も無事に終わって、ちゃんと確認してはいないけれど(なんで?)卒業要件もちゃんと満たしているはずだから、あとはもう卒業するだけという身の上。となれば、思考は必然的に人生を振り返るほうへと向くことになる。だって、分かりやすすぎるくらいに節目だし。大学卒業というのもそうだけれど、他にも、たとえばいまがちょうど四半世紀なんだよな、生まれてから。この先、あと何年生きていられるかとかって全然分かんないし、当たり前だけど。冷静に考えて、四半世紀もの間を死なずに生きてこられてるのって全然当たり前じゃない、奇跡的なことだと思うから。それに、死にたくない。これは、昨年六月頃の自分が言っていた「死にたくない」とは全く異なる、もっと別の。ちゃんと、もっと先のほうを向いている死にたくなさ。いま自分の手元に在る幸福を、本当に手放したくない。そういう、肯定的な。こういうの、まだちょっと早いかなって気はする、正直。どうせ三月が終わる頃になったら、また同じような振り返りをするのだろうし。っていうか、やらなきゃいけないことはまだまだあるんだよな、山ほどに。だから、そんな振り返りムードにばかり浸っている場合でもないし、けれど、出力しないことには抜け出せなさそうだったから、そこそこの時間を割くことになるとしても、いまこうして文章の形で残しておきたかった。

 

 本当に、ありがとうございましたという気持ちでいっぱいです。読んでいる人からしたら、いきなり何? って感じだと思うけれど。というか、こんなところまで真面目に読んでる人いるのかな。篩ってわけじゃないんだけど、上のほうに結構な長文を積み重ねちゃったしな。まあ、いいや。ここまで読んでくれている人は、そのこともありがとうございます。いや、今回の文章を書き始めたときから、というよりこれを書き始めるよりも前から、一月の中旬頃からずっとそういう気持ちで。なんていうか、色んな人たちの言葉とか行動とかがあったから今の自分がここにいるんだなって感覚。これは嘘じゃなくて、本当に、大学へ入ったばかりの頃の自分はどうしようもないくらい最低な人間だったし、昨年にしたって今ほどは素直になんてなれなかった。それでも、たとえば初めて自分の文章を褒めて、もっと書くよう勧めてくれた先輩とか、たとえばベストアルバムの投票時に自分の楽曲へ入れたと感想とともに伝えてくれた先輩とか。自分が凹んでるときに付き合ってくれた同期とか。目の前にいる他人と向き合うということを教えてくれた後輩とか。社会人になってからもちょくちょく顔を合わせに来てくれる先輩とか、距離が離れても変わらずに深夜いきなり作業通話を掛けてくる友人とか。マジで何か、なに? これは卑下でなく言葉通りの意味として用いるのだけれど、自分なんかが作った音楽を、それでも好きだと言ってくれた人たちとか。自分の曲を聴いて、それでサークルに興味を持ったとかって聞いたときは本当に嬉しかったし。一回限りでもバンドを組んで、一緒にステージに立った人たちとか。あるいは自分と一緒に音楽をやってくれる人たちがいることも、本当にありがたいことだなって思ってる。学部一回生の頃の自分に教えても絶対信じないよ、そんなの。いやさ、分かってるんだよな。別に、周りの人たちは自分のことを幸せにしようと思って行動しているわけではなくて、当たり前すぎる話。こんなの、自分が勝手に救われているというだけ。でも、だけど、だからそういうものだとも思うんだよな、人間関係って。誰かのためを思って何かが果たされることはあまりなくて、だいたいは無意識の内にある言動のどこかに、立ち会った個々人が各々勝手な何かを見出して、そういった積み重ねが築き上げていく類のもの。自分は、この六年間で本当に色んなものを貰ったなと思っていて、これまでだってずっとそう思ってたけど、終わりが近づいている今、より一層。いろんなものを貰って、伴っていろんな変化をした。そのひとつひとつを取捨選択したわけでも、それができたわけでもないけれど、でも、いまの自分はいまの自分のことを、昔の自分よりもずっとずっと気に入っていて。そういう風に変わることができたのは、これまでに自分と関わろうとしてくれた大勢の人たちのおかげだし、だから、二五年と何ヶ月かを経た今、こんな場所へまで来られていることもまた同様に。本当に大切にしたいと思える人がいる、いま。そんな誰かに出会えたこととか、あるいはいま一緒にいられることとか、そういうの、全部が奇跡的だなって思うけど。でも、その偶然を思えば思うほど、これは自分ひとりでは決して辿り着くことのなかった結末のはずという気持ちが強くなっていって。大概捻くれていた自分の文章とか、音楽とか、思想とか。そういった自分自身に付随する部分部分を、それでも認めて、受け入れて、一緒にいようとしてくれた人たちのおかげでしかないなっていう、そういう気持ち。だから、そういう気持ちなんですよ、ずっと前から。

 

 人生、まだまだ長いのか、それとも直に終わってしまうのか。そればっかりはもう分かんないし、一個人にとってはどうしようもないことだけれど。でも、二五年間を生きてきて、そうして辿りついたこの場所からいまみえている風景が本当に大好きで、だからここに来ることができて本当によかったと思うし、なんていうか、これまでを生きてきた意味があったなって。馬鹿みたいですけど。これから先、今日に至るまで自分のことを諦めないでいてくれた人たちのためにもちゃんと幸せでありたいなと思うし、それに、自分自身もまた自分のことを諦めないでいたいなって思います。意思表明ってわけじゃないですけど、これは。でも、なんていうか、なんだろ。これからもちゃんと幸せになるから、だからそこでみててくださいって感じの、そういう気持ち。身勝手な、一方通行の。でも、だから、そんな、自分以外の全員にとってはどうだっていいことを、それでもこうして伝えたくなるくらいには感謝してるんです、色んな人に、あるいはいまこの文章をここまで読んでくれている貴方に。二五年。二五年か。何回繰り返すんだよって話ですけれど、でも何回だって繰り返したくなるくらいには。今日まで生きてきて、生きてこられてよかったなって思います、本当に。