余命


 嫌な夢をみた。本当に嫌な夢だったから、ここに書き残しておく。

 

 たしか、家にいたんだと思う、少なくとも屋内だった。いま住んでいる家ではない。内装は、曖昧ながらもなんとか思い出してみるに、祖母の家のそれに近かった。玄関に繋がる扉、その向かいに置かれた椅子の上に自分は座っていた。部屋の中、恐らくは大勢の人がいた。この時点では、彼らのことをそれほどは意識していなかったように思う。自分の視界に大きく映り込んでいたものはといえば、そのなかの一員である黒猫の姿だった。夢をみるとき、そこに出てくる誰かは自分の中で最終アップデートとして登録されている姿で登場しがち、という話を数日前に人とした。中学以来顔を合わせていない同級生は中学の頃の風貌で登場するし、いまなお交流の続いている相手なら現実世界とほとんど同じ状態で登場する、という話。黒猫は、いまの自分がよく知る通りの姿をしていた。自分の場合、夢をみている最中にそれが夢であると知覚することはできない。いわゆる明晰夢というやつ。そんな夢は生まれてこの方一度もみた覚えがない。今回も例に漏れずそうで、だから、その夢はその瞬間の自分にとっては間違いなく現実だった。

 自分と黒猫を含む大勢は、その家を後にした。結構な坂道の上にそれが建っていたということを、ここで初めて知った。斜面を下る。幅の広い道、その両側にはほどほどの民家。視界は大きく開けていて、眼下に街を望む。綺麗な朝だと思った。思って、隣を歩く黒猫にそう伝えた。なんて返されたっけな、覚えてない。でも、たしか頷いていた。自分はその風景を写真に収めようとして、でも止めてしまった。何か違うな、と感じてそうしたことを覚えている。これは現実世界でもよくある話で、スマートフォンのレンズ越しだと伝わらないもの、風景。朝に特有の、紫がかった空。結局、それらは眺めるだけに留め、ただ真っすぐに斜面を下っていった。

 その山を降りること自体が、一つの区切りだったのかもしれない。本来であれば、この時点で自分を含む大勢たちの目的は果たされていたのだろう。だから、あとは解散するだけ。そういう口ぶりだった、黒猫が言った、「これが最後の我儘だから」。明確な、どこかの場所へ行きたい、とは言わなかった。ただ、どこかへ向かって歩いていきたいと言っていた。その場に居合わせた全員が、黒猫の提案に同意した。最後。どのタイミングでその言葉の意味を明らかにしたのかは思い出せないけれど、ただ、これも黒猫から直接教えてもらったことだった。自分だけでなく、その場にいた全員がそう。曰く最後という言葉は、つまり余命という意味らしい。黒猫の振る舞いが、自分の中にあるそれと乖離することは一度もなかった。要するに、いつも通りだった。いつも通りの口調で、いつも通りの表情で、いつも通りのトーンで、最後という言葉を黒猫は持ち出した。誰も何も言わなかったわけでは、たぶんないと思う。これは、単に思い出せないだけ。あるいは、夢あるあるの、妙にリアリティがあるくせに雑なところは徹底して雑、というやつかもしれない。何にせよ、周囲の大勢が何と言っていたのかは分からない。自分は、……たぶん準備をしていた。これから結構歩くのか、と思って。荷物の中身を精査して、不必要なものは捨てに行ったりとかなんだとか。黒猫の言葉に、何とも思ってなかったのかな。分からない。でも、何かを思ったという覚えはない。覚えているのは、そうして準備に手間取っているうちにみんなが出発してしまったということだ。これに関しては、解釈不一致かもな。そんなこと起こらないだろ、と思う、現実世界なら。ところで、これは夢であり、その中では現として自分は置いていかれたのだった。

 まあ慌てた。急ぎで歩を進めると、何人か見知った顔の集団に追いついた。思い返すに、本当に見知った顔ばかりで面白い。現実世界において関係を持っている複数の相手が、こんな風に出てくる夢はなんだか珍しかった。その集団の中に、黒猫はいなかった。話を聞くに、黒猫は最前列の集団と一緒に歩いているらしい。そりゃそうか、と思った。それと同時に、なんとしてもそこまで辿り着かなくてはならない、とも思った。黒猫と話したかったからだ。夢の中の自分にとって、黒猫は特別な存在だった。だから、こんなにも焦っていた。そこからは、まあまあなスピードで走っていった。あんなに急いだにもかかわらず、息を切らした覚えはまるでない。夢だしな。なんでもありだった。途中、元々同じ家にいた大勢とは全く何の関係もない、自分たちとは何ら無関係な人たちともたくさんすれ違った。めちゃくちゃな距離を走った、たぶん。辺りはいつの間にか陽が落ちて、深い夜の藍色が空を覆っていた。黒猫と、あと二人。その三人組をみつけたのは、とても大きく造られた公園の端っこ、陰った森の麓だった。黒猫は、やっぱり笑っていた。あとの二人は、どうだったんだろうな。片方については、表情を視認できなかった。もう片方については、珍しいなと思った。特に沈んだ言動をしていたというわけではないのだけれど、ところでいつも通りというわけでもないようにみえたから。まあ、自分同様に二人もまた黒猫の言葉を聞いていたのだし、それはそうなるだろうという話だ。そこから、どういう流れがあったのかという詳細は不明だけれど、黒猫と二人だけで話す機会がやってきた。あんなにも話したいと思っていたのに、いざ顔を合わせてみると話せることなんて何もない。黒猫は、ずっと笑っていた。余命。だから訊けなかった。延長戦の結末が、具体的にはいつやってくるのかということ。一週間は流石に急すぎるとか、じゃあ一ヶ月あれば足りるのかとか、数年単位ならどうかとかって話は様々あるけれど、でも、そうしてどんな答えが返ってきたとして受け止めきれるはずもなく。なのに黒猫が笑うから、だから訊けなかった。結局、この期に及んではどうだっていいことばかりを話していたように思う。それもまあ、いつも通りといえばいつも通りだった。話の途中、お互いにしゃがみながら、視界の隅、夜景の向こう側に観覧車をみつけた。しかも三つ。「観覧車が三つもみえること、あるんだね」と言ったのを覚えている。自分の目線は風景のほうへ向けられていたから、そのときに黒猫が何をしていたのかは知らない。ところで、直前に発した言葉が誤りであることはすぐに分かった。遠くのほうにみえていた円形の光が崩れては浮かんでを繰り返して。その正体は観覧車ではなくて花火だったわけだ。「花火だ!」と思い、振り向いて黒猫にそう伝えた。けれど黒猫は、花火をみてはいなかった。俯きながら、足元に茂った雑草をみていたのだと思う。そうして、黒猫が言った。「花火とか、そんなのもうどうだっていいですよ」。ここで目が覚めた。

 

 本当に嫌な夢をみた、と目が覚めた直後に感じた。いまこの場所が現実かどうかということを急ぎで確かめたくなる類の夢ではなかったけれど。満たされた最期、そんなものが果たして本当にあるのだろうかと思った。言ってしまえば、自分たちは平均寿命から考えれば余命 70 年くらいと宣告されているも同様の状態なわけで、しかも全体の上振れを引いてそれだ。実際はもうちょっと短いし、事故や病気等によってさらに短くなる可能性もある。一方で、長くなる可能性は医学がめちゃくちゃに進歩するとかでない限りはない。そのうえで考えてみる。70。70 って、言うほど長いか? どうせ足りなくなるんじゃないかって気がする。した、今朝の夢で。……いや、まあ、別にそれ自体は大した問題ではない、実際のところ。遅かれ早かれ、人はいずれ死ぬ。それ自体はどうしようもないことだし、どうだっていいこと。どうにかしたいなんて思ってもいない。だから結局、自分が嫌だったのはいったい何なのかといえば、そうして最期が差し迫った夜、打ちあがった花火を指さして「綺麗だ」と言う、それが叶わないような未来がやってくること、なのかもしれない。たとえその瞬間が最後だったとして、だからって、これまでの自分がずっと追いかけてきたものの価値を疑いたくないというか。なんていうか、そんな結末は寂しすぎると思う、あまりにも。だから目が覚めた直後、本当に嫌な夢をみた、と感じたのだろうな。そんな気がする。

 自分の人生をちゃんと生き切ること、という話なのかもな。70 じゃ足りないかもしれないと不安に思うのは、結局、長ければ長いほど生き切れる率が上がるから。生き切れる率、つまりは後悔を一つでも多く減らすこと。自分が消える瞬間とか、あるいは自分にとって大切な誰かが消える瞬間とか。いや、夢にみただけでこんなにも嫌なんだから想像を絶するはずと思うけれど、実際にそれが眼前に迫ったとしたら。でも、だからって目を逸らしたくないし、逸らしちゃいけないとも思うし、なにより諦めたくない。物語ではよくある結末、いわゆるハッピーエンド。最後の一行に「幸せだった」と書き記すこと、それ自体を絶対に諦めたくない。諦めたくないなって、そう思う。