エピローグって

 

 昨日の続き。かつての書店、いまとなっては物置小屋も同然となったそれに背を向けて改札へ。普段から持ち歩いているわけでもないけれど、その日はたまたまノート PC が鞄の中にあったから、降りたホームの隅に腰かけながら開いてみた。ついさっきの気持ちを書き残しておこうと思って、それで。白紙のワードパッドを前に、上着のポケットからイヤホンを取り出して、ここへ来るまでもずっとそうしていたみたいに。スマホを操作して、そしたら今度は気づくとか気づかないとかでさえなかった。左。左側から音が聞こえない。断線? 断線だろうな、と思った、真っ先に。いますぐに確かめる術はないけれど、とはいえスマホの端子が何らかの原因で突如として破損したという可能性よりは、そっちのがよっぽど現実味のある話。なんか、なんだろうな。これがいつもなら「あー、ついに」で片付けていたかもしれないけれど、抜け殻と化した書店になんだかんだと考えさせられた直後だったせいか、「お前もか」って感覚が先行した。一時間ちょっと前までは問題なく使えていたのに、よりにもよってこのタイミングで。『ここにいるよ。』を作ったのは三回生の夏、つまりだいたい二年半前。最後の編曲を詰めてる段階、だから九月くらいか。その辺りでもイヤホンが断線して、昨日まで使っていたそれはそのタイミングで買い替えたものだった。いわゆる携帯型端末で音楽を聴き始めたのは、中学のころ両親からもらったウォークマンが初めてで、以来、色んなイヤホンを買っては壊し、買っては壊しを繰り返してきたけれど。でも、二年半ももったのはたぶん初めて。愛着。いや、愛着とかはないな、別に。粗雑に扱っていたわけでは勿論ないけれど、だからって必要以上に大切にしていたわけでもない。でも、なんか。行っちゃうんだ、って思うよね、なんかね。高校入学の頃から買い替えてない眼鏡とか、もう七年目になるスマートフォンとか、物持ちがいいってたまに言われるけど別にそんなこともない。基本的な機能性については問題なくたって、眼鏡のレンズは傷が入りまくりだし、スマホのバッテリーはもう風前の灯って感じだし、ロスタイムの延長戦を無理に引き延ばしてるだけで、延命治療みたいに。買い替えるための口実なんて山ほどある。でも、買い替えないための口実も同じくらいの数あるから、だからかえないだけ。このイヤホンも、本当のことをいえば微妙にローの出力が強くて、モニターヘッドフォンに慣れた耳だとそこそこ変な感じに聴こえるから、だから別のを探してみてもいいかもなって気持ちは少なからずあったんだけど。でも、これまでずっと一緒だったしなって気持ちだけで使い続けてたところがあり。断線。いや。どうしようもないじゃん、そればっかりは。ほんと、ほんとにね。どうしようもないことばっかり。書店とか、断線とか、寿命も社会も踏切も。終わりがあるからこそ美しいって、それはそう。花も人も街も青春も、全部そう。正しい。正しいけど、正しいけど。永遠なんてどこにもないから、だからこそ永遠と思えるものもあるって、それもそう。そうだけど、そうだけどさあ、って思うよね。思う。思った。

 

 三月。人と会うイベントが、大学へ来てからの五年間で最も多かったであろう月。イベントの数そのものというよりは、いや、機会自体の数も明らかに多かったけれど、それ以上に相対する人間の数が異常だった。一人と何度も会うというより、たくさんの人と一度ずつ会う、みたいな。理由としては、まあ偏に卒業する人が身の回りにたくさんいたことが大きかったのだろう。卒業に関連する出来事がたくさんあったから。密度。密度が凄まじかったんだな、だから。『三月がずっと続けばいい』って曲があるけれど、いや、その楽曲自体はいまふと思い出しただけで、この話とは何ら関係がないのだけれど、なんか、「まだ終わらないのか」って感じだった、今年の三月は、最初から最後までずっと。二九日、火曜日。記憶が正しければ、最後に他人と会った三月の日。梅田から新大阪駅まで。新幹線で帰るらしかったから、せっかくだし歩こうって。高架下、駐車場、螺旋階段。こちら側と対岸とは電車や車で行き来する人が多いのだろう、通行人とはほとんどすれ違わない。平衡感覚を微妙に損なって橋の上。傾いた夕陽の赤が綺麗だった。歩く。あまりに狭い道幅。たまに対向から自転車がやってくるから、縦一列になって。自分のほうが前方にいた。歩幅が違うから、どうしてもそうなりがち。海の入り口みたいな河を眺めながら「ああ、これでやっと三月も終わるんだな」と思ったり、「何かあったんだろうな」と思ったり。言いはしないし、訊きもしないけれど。行き交う自動車の走行音にぼんやりと考えながら、どうしたって思い出す。二年前、炎天下、河沿いの木陰、口約束。次はきっとあの橋を渡ろうって。自分は覚えていた、渡りたいと最初に言ったのは自分だったから。彼も覚えていた、きっと渡ろうと言ったのは彼のほうだったから。あれもこれもって並べ立てるだけ並べ立てて、そのままベンチの上に置いてきたみたいな口約束がたくさんあって。叶わないって知ってるのに交わす、嘘みたいな約束。人に依るだろうけれど自分にとってのそれは、だけどとても大きな希望で。どんな嘘みたいでも嘘じゃないって思う。思える。それは簡単なことで、だからつまりは忘れ物のような。他人の家に物を忘れたら、それを口実に会いに行ける。どうしたって叶わない約束でも、ないものねだりでも、たったそれ一つあれば言葉を交わす理由にはなるから。だから嘘じゃないって思う。思うんだけど。でも、叶えちゃったな、口約束。「次はきっと」って。もう子どもじゃないんだし、お互いに。だから、次なんてないと思ってたんだけど。二年前、まだ覚えてる。ブログにも書いた、そんなのなくたって忘れやしないこと。二年前の、だからその口約束が生まれた日にも思ったんよな、「あの日の続きって今日のことだったんだ」みたいな。大人になってみえなくなって、声は聞けないし届かないし。そんな昨日までの続きにあるのがこんな今日なのか、みたいな、そんな感じの。断線。『ここにいるよ。』の完成間際に買い替えて、そして昨日に壊れたイヤホン。口約束を叶えて、三月と一緒に夏を終わらせて、少し遅れてイヤホンも。そのおかげで思い出した、地元駅のやたらと寂れたホームの隅。どこへでも行けるよって、そんなの普通に嘘じゃん。どこへでも行けるなんてことはないし、なんにでもなれるなんてこともないし。永遠はなくて、絶対もなくて、それ自体があるいは一つの大掛かりな証明みたいに、どうしようもないことばかりが転がっていて。空っぽの書店とか、断線したイヤホンとか、若い人の姿が全く目につかないこの町の風景とか、そんなふうに。そうだけどさあって思う瞬間だって、昨日の駅前みたいに、たくさんある。でもなんか、だけどそれでもって思っちゃうな、やっぱり。そうやって消えていくものと同じくらい、どこかしらへ続いていくものもあるんだなって思うし、だから。どこへでも行けるだとか、それ自体は嘘だけれど、だとしても。そんな馬鹿みたいな嘘ひとつで、誰一人いないような小さな駅からだってどこへでも行ってしまえそうな、そんな感じがする。した。昨日の午後三時。