20220324

 

 ここ最近考えていたことについて、時系列無視で色々。

 

 雲と観覧車って似てるなあと思って。自分のバイト先はというと梅田で、梅田って街のド真ん中に真っ赤な観覧車があるんだよね。乗ったことはないんだけど、バイトが終わって駅へ向かう途中、どうしたって目につく場所にあって。この頃、ようやく冬が終わって春が来て、日は徐々に長くなっていって。仄かに橙の滲んだ、それでもまだ青いままの空をバイト終わりの時間でもみられるようになって。だから久しぶりにみたんだけど、その、観覧車と雲のペアを。似てるなあと思った。なんていうか、自分とよく話す人はもしかしたら一度くらい聞いたことがあるかもしれないなと思う話題がいくつかあって、これは少し話が逸れるけれど。たとえば信号機が一斉に赤になる瞬間のこととか、あの話、自分はめちゃくちゃ好きで交差点を通るたびに思い出す。だから、そのとき隣を歩いている誰かへそのことを話したりする。まあそんなの相手に依るし、話さないことのほうがずっと多いけれど。ともかくそういった話題がいくつかあって、これもその中の一つ、雲の速度の話。空に浮かぶ曇の動きってめちゃくちゃにゆっくりで、それでいて数秒目を瞑ったら全然別の形になっていたりするから面白いなと思うのだけれど。あれが本当は、自分たちが歩くよりもずっと速いスピードで動いているって事実が自分はとても好きで。距離が離れている分だけ遅くみえるってだけで、そんなの当たり前のことなんだけど。でもなんか好きで。交差点へ差し掛かるたびに赤信号の話を思い出すのと同じで、雲を、特に青空を背に風と流されている白い雲をみるたびに、そういうことを思い出したりする。それがだから、観覧車だってたぶん同じだよなと思って。観覧車ってほとんど微動だにしないようにみえるけど、でもよくみたらちゃんと一定のスピードで動き続けているし、それはきっと自分が思っているよりはずっと速くて。観覧車、最後に乗ったのがたぶん中学の頃とかだからあんまり覚えてないんだけど。そういうところ。似てるなあと思った、この前のバイト帰り。

 

 新五百円玉ってあるじゃん。あれ。あれがずっと財布の中に入っていて、一枚だけ。去年の、いつだっけ。一二月末の時点では既に持っていたはずで、それよりももう少し前くらいにどこかで偶然手に入れたような記憶があるから、まあ一二月のどこかかな。こういうのって往々にして賛否両論あるのだろうけれど、自分は結構好きなデザインだなと思っていて。好きっていうか、なんか、真ん中にもう一つ円があるのがオシャレでいいなあって、それくらいのざっくりとしたやつだけど。あとは、単純にキラキラしてる。流通し始めたばかりのものだから当たり前なんだけど。ともかくそういうのがあって、ずっと使わないで残してる。短歌ブームが周囲の人間に起こっているらしくて、近頃。自分もノリだけで書いてみてブログへ載せたりしたけれど、あの日は朝から電車に乗ってバイトへ行っていて。改札で切符を買うために財布を開くのだけれど、するとどうしても目に入るんだよね、新五百円玉が、意識しておかないと使っちゃうからそれで。短歌が何なのか自分はよく知らない(某歌集の後書き曰く、短歌といえば恋歌、らしい)けど、日常の些事をその人なりの言葉で表現することに意味があるのかなと思ったりもして、だからその一日は目に映る事象に対して、特に意識的に頭を使っていたのだけれど、そこで新五百円玉。それまでは何となく残しているだけだったのに、改めて考えてみると今更のように疑問に思って、なんでこんなことしてるんだろ? って。なんでも何も、なんとなく、以上の理由なんてありやしないのだけれど、とはいえ。綺麗だからとか珍しいからとか、それが一度始まるとああだこうだとどんどん潜ってしてしまう人間だから、自分は。だから色々考えてたんだけど、その途中でふと思い至って、あれと同じじゃんって。昔、これは本当に昔で小学生とか、あるいはそれよりももっと幼かった頃のことだけれど、石が好きだったんだよね。それくらいの年齢なら珍しいことでもないと思う。両親に連れられていった河辺とかで丸っこくてつるつるの石をいくつか集めて、その全部を持って帰るわけにもいかないから一つだけって。完全にあれと同じだわ、と思って。実家の机の引き出しの上に石が並んでた時期、そういえばあったわ、みたいな。そういうことを思い出したりして、新五百円玉のおかげで。なんか、ちょっと嬉しかった。いやさ、童心に映る世界ばかりが正しいものだとも思わないけれど、ただ、歳を重ねるにつれてそういった、なんていうか、子どもっぽい物の捉え方? みたいなのが出来なくなっていくとしたら、それはかなり嫌なことだなと思っている節が自分にはあって。いつまでも子どもでいるわけにはいかないというのはそれはそうなのだけれど、だからって心の内に飼っている幼さを無下にする必要は必ずしもないわけで。その辺りをうまく両立できるような大人になりたいというのが三、四年くらい前の、「大人になるって何なんだ?」と考え続けていた頃の自分が得た回答のおおよそなのだけれど。ともかく自分はそんな感じの考え方をしているから、だからちょっと嬉しかったっていう、それだけの話なんだけど。なんていうか、いまじゃもう石なんて拾わないし。拾うことならまだあるかもしれないけれど、いや実際にあったけど、つい最近。でも、持ち帰ることは流石にない。そうやって、昔の自分がみていたはずのものを次第に忘れていって、忘れているということにも気がつけないまま。だけど、それってなんだか悲しいじゃんか。だから、そのことを少しでも思い出せて嬉しかったっていう、そういう話。新五百円玉。たぶん、まだしばらくは使わないと思う。なんか、なんとなく、まだ他にも思い出せそうな気がするから。

 

「一葉さんってよく他人の話を覚えてますよね」みたいなことを言われた気がする、三月ライブのタイミングで。そうかなあと思って、そうかもなとも思った。いやでもそれは、単に記憶のリソースをそういう方向へ割きがちというだけの話で、記憶力が人一倍あるとかそういう話ではないだろうと思うけど。忘れていることのほうがずっと多いだろうとは思うけれど、でもたしかに、他人に纏わる諸々を比較的よく覚えているほうなのかもしれないと思うことはある。「前にこういうこと言ってたよね」という風に話を振ってみて「そんなことあったっけ?」と返されることは割とあるし、いやでもそれって自分とは別の誰かが経験している回数と比較することは絶対にできないから。あれだな、性格診断の結果をみて「そうかもしれない」と思うのと同じだわ。同じだな。同じということを踏まえた上で、でもまあたしかにそうかもなとは思う。関心値の低いものは記憶に残らないがちで、どうしても。たとえば誕生日とか。こればっかりは本当に覚えられない。自分に近い人と、あとは特徴的な数字の並びをしている人くらい、これはもう諦めてる。ただ、なんだろ、そういう他人の人となり的な部分に自分はそこそこの興味があって。たとえば単に好きな食べ物という情報だけでは記憶できないのだけれど、それに付随してどういったところが好きなのかとか、あるいは好きになったきっかけとか、その料理に纏わるエピソードとか、そういった個人の性質を表現しうる情報が付加されていると途端に覚えやすくなるというのはあるかもしれない。いや、誰だってそうなのかもしれないけど、少なくとも自分はそうという話。なんていうか、これたぶん去年の七月くらいにも書いたと思うんだけど、こういうことを書いたなって記憶があるから。なんだけど、その、なんて書いたっけな。中学時代の友人の家へ行く最短経路を忘れたとか、その頃よく遊びに行っていた施設が廃墟になっていたとか、なんかそういうことを書いたと思うけど。その、心肺が停止するという物理的な死に対応するものが概念的な領域にも存在するとしたら、それって忘却なんじゃないかと思う、自分は。あの夜が怖かったのも、というかあの夜に「死ぬの怖いな~」って気持ちになったのも、だから結局はそれが原因で。どんな大切な一瞬がいつかのどこかにあったって、その瞬間に立ち会った全員が忘れてしまったとしたら、それはそもそも初めからなかったのと同じじゃんかって気持ちがめちゃくちゃ強いっていうか……。なんかさあ、悲しすぎる、いくらなんでもそれは。みたいなアレがかなりあるから、誰かと何かをしたとか、あるいはこういうことを話したとか、そういうのを意識的なり無意識的なりに記憶しようとしているのはあるのかもな、と考えている、割と何年も前から。そうはいっても色んなことを忘れていくし、どうしたって。だからたまに思い出したくなって、外へ出掛けたりする。あの夜もそうだったし。いつも通りなら絶対に歩かないようなルートをわざわざ選んで、ここではこんなことがあった、あんなことを話した、って思い出しながら。色々ある。地元の公園、小学校の非常階段、商店街、市役所。鴨川沿いだってそうだし、それこそ京都の街には山ほどある、思い出の断片みたいなのが。そういうの、忘れたくないんだよな。忘れたら、最初からなかったのと同じになっちゃうから。みたいな。大学に来る前からこんな考え方をしていたわけじゃないけれど、大学へ来て、色んな人と知り合って、そういう気持ちが強くなって、だから余計に他人のことを記憶するようになったってのはあるかも。二回生の三月ライブ。深夜の泊まり込み、それなりに寒い寮食でストーブを囲みながら。細かな言い回しは流石に思い出せないけれど、「せっかく出会えたんだからちゃんと知りたい」みたいな。本当に言ってたっけ、そんなこと。捏造してるかも。でもたしかに言っていたと思う、それに類することを。あの一言が本当に刺さっていて、いまでも。それがなくたって元からそうだったんだろうけど、自分の性質はどちらかといえば。だからそれがきっかけで世界の見え方が 180°変わっただなんてこともないのだけれど、それでも。より意識的になれたという話、他人のことについて。蛇足。以上の話とは全く何の関係もないけれど、彼もいよいよ卒業かーと思う。三月末の死ぬほど忙しそうな時期にわざわざ時間を作って会ってくれて、それはそれで嬉しかったのだけれど、最後の最後に紙パックの野菜ジュースを三本渡されて面食らった。ちょうどいまそれを飲んでるんだけど。こう……、なに? なんていうか、マジでもう今後滅多なことでは会えないだろうっていう最後の最後、たぶん一生忘れないだろうなって場面で伝えられるのが自分の健康面に対する心配なんだなと思って、かなり反省した、流石に。なので 2022 年度の目標へ「健康に生きる」を追加。大丈夫。昨夜、自炊マスターに健康的な食生活について色々と教えてもらったから。これを書き終わったらその調達に出掛けるつもり。いや、なんか、本当にね。他人事みたいに言うけれど、あまりにも色んな人に心配をかけすぎているなとは思っていて、特に 2021 年度になってから。今月だけでも 10 人近くから言及されたと思う、食生活について。そういう心配っていうかなんていうか、ある種の負担的なものを他者から向けられる現状を喜ぶような悪趣味も別にないから、いい加減に改めなきゃいけないなって気持ちはこれまでもずっとあったんだけど。っていう言い訳。いやでも、そうだよな。なんか、自分のことが一番どうでもいいっていうか、自分にとっての優先順位で。この世界から自分がいなくなったとしてもまあ別に、みたいな考えが割とずっとあって、たぶん昔から。でもなんか、最近はそうとも言ってられないなって気持ちになってきた、流石に。自分のことを特別だなんて、そんな風には思っていないけれど、別に。でも、自分に何か大きめのアレがあったらきっと悲しい思いをするんだろうなって人にまるで心当たりがないだとか、そんなことは絶対にないから、絶対に。だから少しずつでも変えていけたらいいなって。一昨日の夜の帰り道はそんな感じのことを考えてた。

 

 現在の自分と多少なりとも接点のある人で、自分の過去についてもある程度知っているという属性をも兼ね備えているという人は、まあ想像するにほとんど皆無なはずで。それはそう。何故なら、自分は自分の話を滅多にしないから。というのは半分嘘で、このブログにおいては断片的に記されているのだけれど、とはいえ、高校時代の具体的なエピソードなんかを載せたことはほとんどないように思うし。「そういえば昔はこんなことを考えていた」とか「あの頃よく通っていた場所へ行った」とか、そういうのばっかりで。なんだろうな。誰にでも話しているレベルのことって、中高は帰宅部で、音ゲーにハマっていて、兄弟は姉が一人いて、とかそのくらい? いや、たぶん本当にそのくらいしか話していないような気がする。コロナ禍以前は高校時代の友人と年末に集まって年越しをしていた、という情報を記憶している人がこの前いたけれど、よく知ってるなと驚いたくらいには。余談だけれど、中高帰宅部というのは一割嘘で、本当は中一の三ヶ月間だけ科学部なるものに属していたという裏設定がある。その間に法に触れたり触れなかったりし、その後、幽霊部員を経由して帰宅部という運びになった。閑話休題。ともかく、ほとんどの人が知らないんだよな、昔の自分のことを。それはそれとして、自分も自分で昔のことを多かれ少なかれ切り離して考えるような癖があって、というのも名前? 名前がばらばらなんだよね、その、中学までと、高校と、あとは大学へ来てからとで、呼ばれていた名前が。中学までは本名をもじった綽名、誰もが通る道。大学へ来てからはずっと『一葉(いつは)』。ところで高校時代の自分は『まよい』と呼ばれていて、何でだよって感じだけど。みたいな風に、名前が違うこともあって自分の中で分かりやすく切り替わってしまうっていうか。この名前で呼ばれていた頃の自分、みたいな。記憶の引き出しを開けてみて、人に依っては小学校の思い出とか中学校の思い出とかがその中でごちゃ混ぜになっていたりするのかなと思うけれど、自分の場合は呼ばれていた名前でラベリングされて整理されている感じというか。そんな感じのアレなので、ということが本当に関係しているかどうかは不明だけれど、大学へ来てから知りあった相手に自分の過去編について話すことに若干の違和感があったりなかったり。ブログへ書く分には、引き出しを開けて箱から取り出すだけだから支障ないんだけど。ところで現在の自分の生活の中心は大学にあるわけで、だから高校以前のことを知っている人が極端に少ないという話へ戻るのだけれど、昨夜、そういう特例的な領域にいる相手と話をしていて。向こうの部屋が寒いって話になって、暖房つけてるのに。半袖だから。そりゃ寒いでしょって。ところで自分は相手の服装に対して半袖のイメージが全くなかったから、半袖を着てるところなんてみたことないなって、ダウト。そんなことはないらしい。五年前、浪人時代、上本町、エスカレーター。訊けば思い出すかと思ったけど、全然そんなこともなく。当時の自分が何かを言ったらしくて、相手の服装に関して。それが印象的だったから覚えていて、そのときに着ていたのが半袖だったからそっちもみているはずと。本当に思い出せなかったから答えを聞いて、曰く「よくみたら可愛い服着てるじゃん」らしい。いや、誰? マジで誰だよ、と思った、心の底から。あまりにも知らない自分すぎて一頻り笑ったけれど、いや、だからそのときに思ったんだよな。上の方でも書いたけれど、自分は割と色んなことを覚えているほうなのかもしれないなと思いながらしばらくの間を生きてきて。でも昨夜、自分が忘れてしまっている自分以外の誰かは今でも覚えているという過去を突き付けられて、「あー、たぶん他の人たちってこんな気持ちなんだな」みたいな。「そんなことあったっけ?」って。そう言われるたびに「いや、あったよ」と思うんだけど、自分はいつも。でも、本当に忘れてしまっていることに対して思うことって「そんなことあったっけ?」でしかないんだなって。自分が気づいていないというだけで、他にもたくさんあるんだろうなあこういうこと、という気持ちになり。一方で、自分が忘れてしまっていても他の誰かが覚えていてくれれば嬉しいという気持ちもあって。自分がその、忘れている側に立つことがあんまりなかったから、ものすごく新鮮だった、それが。人間関係。生きる意味って何だろうなって思うんだけど、よく。どうせ何もできやしないのにって。でも、こうやって自分以外の誰かの生きた痕跡を記憶に刻んだり、あるいは自分の生きた痕跡を誰かの記憶へ留めてもらったり。自分にとってのそれって、だからこれなんだろうなって気がしてる、四年くらい前から。「感情墓地って名前、いいですよね」といった旨のことを言われたのを覚えていて、数日前に。どうしてこんな名前なのかとか、理由は本当にない。記憶がたしかなら、五秒くらいで適当に決めた名称のはずだから。でもまあ、だから、このブログだって結局はそういうものっていうか。自分の考え方について発信して、誰かが受け取ってくれたらいいなって思いながら。このブログを立ち上げて、かなり最初期のほうに書いてるはずだし、そういう存在意義について。生きる意味。抽象的な死とはつまり忘却。そんな深いことを考えているわけでもない。でも、さっきの年越しの話みたいに、どこかの誰かが勝手に拾っていって、そのことを覚えていてくれたら嬉しいよなって思う。その分だけ寿命が延びるじゃん。どうせなら長生きしたいし。だからこうやって、書こうが書くまいがどうだっていい文章を、今日も今日とて生成してるんだよなって話。