20220320

 

 先日の話。インターネットで様々について調べている最中、とある匿名ブログにぶち当たって。何となしに開いてみて、該当記事をとりあえず一通り読んで、それからブログトップへ飛んだ、いつもの癖で。トップページって、この記事を読んでいる人なら分かると思うけれど、そのブログの最新記事が同時に表示されるんだよね。だからその、行き当たった初めの偶然とはもはや何の関係もない、ただ同じ人が書いた最新の文章というだけのそれが自分の目に留まることになって。最終更新は二年半前。死にたいんだってさ。なんか、めちゃくちゃな気持ちになってそれで、阪急電車、梅田駅へ向かう途中。すごく嫌だなと思って、その通りになっていたとしたら。辿れるところまで辿ってみようと思って、そしたら今度は別のブログに行き当たって。同じ人の、最終更新は一年半前だった。とりあえず一年間は生きていてくれたらしい。よかったと思う。でも今度は、死ぬことに決めた、って。なんか、なんかさあ。めちゃくちゃ嫌なんだよな、こういうの、自分、本当に。本当に嫌。ここでいう嫌は、マジで自分勝手なそれ。相手に向かって言っているのではなくて、もっと漠然とした何かに対して。いや、分かってるんだよ、分かってはいる。単に自分が知らないってだけで、この国だけでも年間自殺者なんてどれだけいるんだって話だし、分かってるんだって、それくらいのことは。それはそれとして、じゃん。知らないから、目に映らないから。そうやって片づけることのできる人とできない人がいて、別にどっちがどうとかではなく、大きく分けてその二パターンがあって。何ができるわけでもない、いまの自分がそれを知ったって。遠くの戦争がどうにもできないのと同じで。なのに、どうにもできないのに、どうにかできればよかったのにと思わせられるのが嫌というか。嫌。どちらかというと虚しいが近いかも。なんか、なんかね。誰も不幸になってほしくないんだよな、身近な全員は勿論、観測範囲の外でだって。全部がうまくいけばいいのにって、本当にそう思ってて。そう思い続けるのは、それが叶わないことを知っているから。知ってるけど、知ってるけど。交通整備、飛び降りたゲーム制作者。どうにもならない、だって赤の他人だし、縁も所縁もない。どうにもできない。たった一度の偶然で行き当たってしまうくらいには、どうにもできないってことの証明で溢れかえっている、この世界は。同じ中学の先輩とか、ずっと一緒だった友達とか。身近にいる人ですらどうにもできないし。いや、自身のことを過信しているわけではないけれど。どうにもできない。どうにもできないや。商店街の交番の、年間死亡者数を知らせる数字。もう何年もみていない、通らなくなったから。あれだって同じ。自分以外の全部が、自分にとってはどうにもならないということの証明の一つ。