ちょっと前に知人と話をしていて思ったのが、自分は割と頻繁に夢を見るほうなのかなあということで、一週間のうちの三、四日、多いときは五日くらいみているような気がしています。というのも、夢の内容がどのようであったかということはその夢がかなり強烈なそれであるか、そうでなければ起床したタイミングで記憶へ定着させるような何かを実践しないことにはすぐに忘れてしまいますけれど、一方で『夢をみた』という経験だけならしばらくの間は覚えていられるといいますか。なんとなくわかってもらえると思うんですけど、こういうの。その感覚に照らして物を語るのであれば、『夢をみない』状態が何日も連続することって自分はほとんどないような気がしていて。それこそデスマをやっているとかで、めちゃくちゃに睡眠が浅いとかでない限り。まあでも、ほとんどは綺麗に忘れてしまうのですけれど。最近みた夢で面白かったものといえば、実家の目の前にどこまで続いてんだってくらいの螺旋階段が生えていて、それをただ昇っていくだけの、それだけの夢ですね。五月の初め頃に友人と出かける機会があって、そのとき久しぶりに大きめの螺旋階段を見つけたのがもしかするとトリガーだったのかもと思うんですが。その夢の途中、階段の上から誰かがこっちを見ていて、たしか。その誰かを見上げたタイミングで目が覚めたような違ったような。少なくとも自分が記憶しているのはそこまでで、まあたったそれだけの夢なんですけど。なんだろ、これはまた別の話で最近気になっていたことなんですけど、現実の事柄が夢の世界へ輸入されるための基準みたいなものってあったりするんでしょうかね? いや、知らないんですけど。たとえば、現実世界での知り合いが夢の中に出てくることがあるじゃないですか。でも、これは経験則で語るんですが、自分の場合、知り合って間もない相手がそのように登場することってあんまりなくて。皆無ということもないんですが。では知り合ってから日の長い相手ばかりが出てくるのかと言えば、当然そのようなこともなく。というか、多分ここに相関関係は無くて。……みたいなことをどうして考え始めたのかといえば、話は遡ること二ヵ月前、とある音源を購入したんですけどインストールするのが面倒で(というかしばらく編曲作業をする予定もなかったので)、どうしていたのかといえばまあずっと放置(後回し)してたんですよね。それが、五月の半ば頃だったかな、『めっちゃくちゃ良い曲思いついた』みたいな夢をみて、普段の自分がそうしているように夢の中の自分も PC を立ち上げ、そうして思いついた曲を形にしようとするんですが、そこでこう思ったんです。「そういえばこの音源、まだインストールしてないから使えないじゃん!」って。目が覚めてからそのことに気がついてちょっと感動して、感動というと大げさですけれど。その、『直近の変化は夢へ反映されにくい傾向にある』という経験則的な前提が自分にはあったので、一ヵ月ちょっと前に手に入れたばかりの(しかも全く使っていない)道具が夢の中に出てきたというのは、なんかちょっと意外だったというか。その頃から「『ここまでは現実、ここから先は夢』みたいな基準ってあるのかなあ」と考えていたりいなかったりします。思えば、実家付近の土地がバグることは(さっきの螺旋階段みたいに)あるものの、実家の中が鏡の大迷宮になっていた、みたいな夢の記憶は少なくとも現状なくて。実家によく似た別の場所にいた、という夢ならみた覚えがありますけれど。みたいなことを考えていたら、この頃口癖になっているフレーズで会話をする夢を最近みたりして、ベッドから起き上がるたびに「おもしろ~」という気持ちになったりならなかったりしています。なんだろ、二、三ヵ月に一回くらいは本当に最悪の悪夢をみたりすることもあるんですけど、夢って基本的には面白いものだと自分は思っていて。右も左もバグりまくった風景を歩けるのが単純に楽しいというか、明晰夢とかではないんですけど。ただ、目の覚めた瞬間に湧き上がってくる「さっきまで見てた風景、今思えば明らかに異常だったな……」という、日常生活を送るうえではおよそ縁のない感覚がただただ新鮮というか。数日前にもブログに書きましたけれど、『仮想現実と現実との差』とか『 2D の街』とか、そういった『あり得ない感覚』を探しながら歩くのが自分は割と好きで、それが夢だとお手軽に手に入るっていうか。どうせすぐに忘れちゃうんですけど、でもまあ、異常と付き合う分にはこれくらいがちょうどいい距離感なのかもしれませんね。