20220803


 ツイートするほどでもないこととか、ツイートするようなことでもないこととか、最近思ったそういうことを書く。

 

 

 京都の夏、基本的に暑すぎ。「暑すぎだろ!」と思ったので半袖でバイト先へ向かったところ、帰りの電車が死ぬほど寒くて本当に後悔した。羽織るものを持って行けという教訓ではあるのだろうけれど、いや、うん、まあそう。自分が悪いな。

 

 修論とかいうの、めんどくさいな~ってずっと思ってる。数学は好きだし、勉強も好きだし、新しいことを学んでいくこと自体は嫌でも何でもないのだけれど、他にやりたいこともっとあるんだよなあ……っていう。「大学に入ったんならちゃんと勉強しろよ」みたいなことを訳知り顔で言う人は山ほどいるけれど、自分は懐疑的。大学へ入ってから勉強以外に大切なものをみつけて、そうして人生の舵を切った人を何人か知っているから。そりゃまあ勉強は大事だけれど、何をどう優先するかなんてその個人が勝手に決めればいいことなんだし。勉強しろだとか何だとか、少なくとも他人が他人にとやかく言うようなことではないよね、と思う。

 

 何を思い立ったのか、一昨日昨日今日とゴールデンボンバーの曲を聴き漁っている。面白い。なんか、メタル調のオケに重たいボーカルが歌を乗せる傍ら、謎の女性陣が「もっと酒飲め!」みたいなコールを延々と入れ続ける曲とかあった。どういうコンセプト? 歌詞全文が中国語のやつとかもあったな。そうかと思ったらめちゃくちゃ染み入ってくるようなバラードなんかも混じっていて、なんだかよく分からない。でも、自分はかなり好きだな。ボーカルの人(鬼龍院さん)、きっと音楽が好きなんだろうなあと思う。

 

 ギターの楽譜って手書きのほうが断然早くね? と悟った結果、musescore を破壊してしまった。同様に数式も手書きのほうが早い。TeX を破壊。

 

 同性相手なら特に抵抗はないのだけれど、異性が相手となると流石に話が違うよなあと思う。なんていうか、ぞわぞわする。気にしすぎ? 「最近、色んなものがおかしくなっていってるよね」だとか、遠くの空を眺めたりして、炎天下。頭の片隅ではそういうことを考えてた。

 

 攻撃と批判は別だとか言うけれど、それってある種の信頼関係が前提だよねと思う。深夜、友人と通話をしながらたまーに話す、「あのアーティスト、最近同じネタ擦りすぎじゃない?」「最近、流石にちょっとやりすぎだよね」「別に悪い曲ではないけれど、でも良くもないよな」。相槌を打ちながら、そのアーティストを好きだと言っていた人のことを思い出す。その人の前じゃこんな話できないな、と思いながら(するつもりは勿論ないし、したいとも思わんけど)。相手を選んでいる、お互いに。自分はその友人の言葉に不快感を覚えない。相手がどういう気持ちで言っているのかを(ある程度)分かっている(つもりだ)し、つまり、相手のことを一定以上には信用しているから。攻撃か批判かを決めるのは、それらに限らずともあらゆる心象を決定するのはいつだって受け手の側なんだよな。自分はその友人のことを信用しているから、その信用に基づいて発言を区別することができる。でも、同じことを全然知りもしない人が言っていたとしたら「はあ、そうですか」って受け流すだけだろうなと思う。説得力の話よな、要するに。人って信じたいものだけを信じて生きているらしい、みんなもそうでしょ?

 

 バイトに寝坊した。働き始めてもう五年くらいになるけど、二度目かな。やってしまった~~と思ったけど、端末の時計表示を目にしたときは一周回って冷静だった。「いやもう、どんな焦ったところで手遅れだし」みたいなテンションで、逆に気持ち悪いくらい落ち着いていた。ちゃんと時間通りに起きたんだけどね。まだ微妙に寝れるな~と二度寝してしまったのがよくなかった。二度寝のときにアラームをかけなかったのもよくなかった。いや、本当のことを言うと前日に夜更かしで作業をしていたのが何よりもよくなかった。次の日に予定があるときは早く寝ようね。

 

 バイト。そういえば、いまのバイト結構気に入ってるんだよな。塾講なんだけど。院試ゼミやってたときも感じたけど、誰かに何かを教えるのが好きなんだろうな~って思う。相手の理解度に合わせて「どう説明すればうまく伝わるかな~」って考えてるときもなんだか楽しい。そういう目線で教科書を読み返していると、思いのほか漏れなく記述されていてすごいな~ってよく思う。そりゃまあ、国レベルで使われているものなんだから出来がいいのは当たり前っちゃ当たり前なんだけど。いやでも、すごいことだと思う。すごい。

 

 高校生の頃、自分の作った曲を可能な限り詰め込んだ CD を渡したら喜んでくれた人がいて。今年の春、MIRINN として作った CD を、つい先日、その人に渡してきた。八年越しくらいだと思う。どうして音楽なのって、その日にも訊かれた。「分かんないだよね」と返した。実際、分からないから。昔から歌は好きだったけれど人並みだったと思うし、幼少期の自分に馴染んだ創作道具は紙とペンだった。音楽を選ぶ必然性なんてどこにもなかったなと思うし、これは本当に心の底から。とはいえ、だからそうやって、昔の自分が作った落書きみたいな音楽でも喜んでくれた人がいたから、だからいまも続けてられてるんだよなっていう、そっちの理由はちゃんと解ってる、ずっと前から。流石に本人に直接言うのは無理だったけど、恥ずかしすぎて。でもよかった、ちゃんと渡せて。奇跡みたいな一瞬だったな。高校生の自分に教えてやりたい。

 

 書き始めてから一時間で終わろうと思ってたけど、こんなもんかな。もっと書けることありそうだけど。

 

 そういえば、一時期はバカみたいに顔を合わせていたのに最近はめっきりだった後輩と会う機会があった。心配(?)してくれていたらしい、自分のことを。それが意外だったというわけでは全くないのだけれど、「そういえば、こいつはそういうのを直接言ってくる奴だった!」と思い出して、返す言葉も見つからず適当に誤魔化してしまった。いや、良いところだと思う。そういう真っすぐさはずっと大事にしてほしいとも思う、本当にね。というかまあ、心配してくれ~アピでしかないしな、あれは(アピではないが、でもまあ部分的にそう)。ところで、心配してくれ~って声をあげたはいいものの、いざ誰かに心配されると申し訳なくなるっていうか。自分があまりにも人間的に未熟なせいですまねえ~~~~って気持ちになる。すまん、マジで。でも、ちゃんと終わらせたのは本当だから心配御無用わよ。

 

 アップロードしようとブログを開いたら「今月の PV 数が 100 を超えました!」って書かれてて笑った(みてみたら 150 くらいあった)。今月、まだブログ動かしてないんだけど。どこの誰が読んでるんだよと思いながら、でもまあ、流石にちゃんと分かってるって。いやほんと、ありがとうございます、いつもいつも。拙い文章ですけれど、生きている限りはこれからも生きていますアピをしていこうと思います、ここで。

 

 

 

 

 

20220729

 


 最近思っていたことについて雑多に書く。

 

 ついさっきまで眠っていた。なんか、妙な夢をみた。中学生くらいの小さな女の子と夜、どこかの一室にいてそのまま一緒に眠るだけの夢。自分はいわゆるアニメ調の夢をみることが昔から多くて(アニメ全然観ないのに)、今回もそうだったのだけれど、その女の子の顔に見覚えはなかった。夢の中ではそれなりに親しい間柄だったようで、ただ目が覚めてから「あれ、いまの誰だ?」ってなって。自分が忘れてしまったのか、そもそも知らない相手だったのか、どっちなんだろうと考えてみたり前者だったら嫌だなあとか思ったり、目が覚めてからの一〇秒弱。誰かと一緒に眠ると安心できるっていう、たぶん自分の中にはそういう感覚が在って、本当に幼かった頃からずっと。昨夜はそこそこ嫌な、というか不安定な気持ちのまま眠ったから、だからこんな夢をみたのかもなと、身体を起こした後、室温に馴染んですっかり温くなったアクエリアスを口にしながら思った。だとしたら感謝しないといけないな~とか思ったりもして、あの女の子に。だけどもう、夢の中でどんな表情をしていたのかさえ忘れてしまった。あんな近くにいたのに。……まあ、夢ってそんなもんだよな。

 

 昔の自分は、ここでいう昔とはほんの三、四年ほど前のことだけれど、自分の嫌と思うものに対して、割と明確に嫌ということを発信していたように思う。ように思うっていうか、実際そうだった。最近は、ここ二年くらいは、そういうのが極端に減った。これは世界から自分の嫌なものが一斉に消滅したというわけではなく、まあ自己の許容ラインが大幅に改善されたというのは事実としてあるけれど、それはそれとして。単に、嫌だな~、って気持ちを内側に溜め込むようになった。嫌なものを嫌だと発信することは、それ自体が誰かのことを傷つける可能性があるし、何よりも、ただ自分が気持ち良くなりたいがための行為でしかないなと思って、大学へ入って以降のどこかのタイミングで。どこかにストレスがあって、抑圧があって、その当て擦りとして嫌なものについて嫌と言う。最悪の一種。だからあんまり言わないよう心掛けるようになった、そういったことを。だけど、それはそれとして心は摩耗していくんだよな、と思う。その『嫌』が自分の失敗だとか、あるいは性格上の問題だとか、そういったものに起因しているのなら納得もいく。仕方ないと割り切れる。でも、そうじゃない、外界から一方的に割り込んでくる負の情報によって擦り減っていく部分が明らかに多くて、ここ一年くらいは。それが本当にしんどい。しんどいな~ってよく思う、最近。

 

 何かを心底憎んで、嫌って、嘲笑って罵って蔑んで。そうしないと呼吸のできない人たちが大勢いることは知っている。高校まではそんな人、インターネットでだってほとんど見かけなくて、だから大学へ来てから知った、そういう人たちがいることを。そのうちの何人かと交流を持っていた。なんていうか、同情って言葉も気持ち悪いな。なんだろ、共感……でもないか。境遇? その個人の背景事情に理解を寄せるというか、そういったことはできる、ある程度なら。だからそうやってさ、自身と相容れない存在、主義、思想に対して暴言を吐きたくなる気持ちも、まあ何となく分かる。何となくでしかないけれど、その不明を根拠に突き放すような真似をするつもりはない。でも、いや、それでもやっぱ無理だ、ごめん。これは二〇と数年を生きての経験則なのだけれど、他人の負の感情に触れすぎると本当に良くなくて、自分は。自分と同じような人はたくさんいるだろうし、そうでない人もたくさんいると思う。どっちがどうとかはない。ないのだけれど、ただ事実として、自分は誰かの負の感情にやたらと飲まれがちな傾向がある。毒される。暴言を吐くなとは言わないよ、別に。それは自由だから。でも、こっちにだってお前のことを嫌いになる自由があるんだぞって、最近はそんなことばっか考えてる。誰かを、何かを嫌いで居続けるなら、自分も同じように嫌われることへの覚悟をしろよと思う。思ってしまう、自然な感覚として。それで、そういうことを考えている自分を認識するたびに嫌な気持ちになる。そういうのが溜まっていく。本当に最悪。なんでこんなことを繰り返さなきゃいけないんだ、本当に。

 

 嫌だなあと思ったことをこうやって吐き出している。どこかで吐き出さないと本当に心臓をやられてしまうから。それにブログってそういうものだしな、と割り切ってもいる。アクセスするもしないも、最後まで読むも途中で止めるも全部、読む人のほうへ任せている。自分から「読んでくれ」と言うことなんてないし、喧伝したりもしない。というか読まなくていい、こんなの。誰かに読んでほしいというわけじゃなく、ただ単に負荷が閾値を超えそうだから出力しているってだけで、読んでて楽しいようなものでもないだろうしさ。それに、自分と同じようなタイプの人はたぶん読んでいて良い気分はきっとしないだろうと思う。ごめんなさい。いるかは分かんないけど、そういう人が。なんにせよ、読みたくなくなったところで止めたほうがいいと思う、本当に。自分は最後まで書くけれど。

 

 なんていうか、某感染症が流行し始めて、全員が等しく不自由を背負うようになって、そうしてしばらく経った頃から色んなところの歯車が狂い始めてきたなって感覚がある。それくらいの時期からだと思うんだよな。なんでもかんでも安易に結びつけてしまうのはよくないけれど、なんていうか、やたらと攻撃的な人たちが散見どころじゃなく日常生活の中にすら現れ始めたのって。それまでは現実世界のあらゆる要素によって何となく取れていたバランスが、とはいえ何となくでしかなかったから、だから簡単に崩れてしまったのかなあ、とか。自分がそうでない側にいまいるのは、単に運が良かったってだけの話なのかもなとも思ったりする。運が良かっただけ。まあ、そうなんだろうな、きっと。

 

 右にも左にも、正義なんてその実ないのかもな、と思う。思った。なんていうか、これまでは別にそんなこともなかった。いわゆる右翼には右翼なりの理念があって、いわゆる左翼にも左翼なりの理念があって、その二つはたしかに相容れないかもしれないけれど、それでも自分たちなりの正しさを信じて生きているんだなと思っていて。こと政治的な領域において、自分にはそういうものがなかったから、本当に。右でも左でもないし、なんていうか、それを決定せしめる数直線の上にさえ乗っかっていないような気がする。たった一本の綱を引き合っている様を観戦席から眺めているみたいな、そういう気分。それは、いや、本当のところがどうなのかは分かんないけど、それは自分が真剣に生きていないからなのかなと思ったこともあって。だから逆に、彼らは真剣に生きていてすごいなと思ったりしたこともあって。でも、なんか、なんかなあ。

 

 っていうのは嘘なんだよな。嘘、というか錯覚。ノイジーマイノリティって言葉があって、それ自体、自分はあまり好きではないのだけれど。なんていうか、ものすごく排他的だなと思うから。ただ、そういった副産的な心象は一旦抜きにして、文字通りの意味としてのノイジーマイノリティ。結局はこれ。右翼にせよ左翼にせよ、理性的な人はきっといるはずで。インターネットで大声で騒いでいる人たちが悪目立ちしているだけっていう、それだけの話なんだろうなと思う。そういう意味で嘘。なんか、そういう一部のノイズだけを摘まみ上げて「これだから△△は~」だとか言ってしまうのは、その界隈の人たちとやってること変わんねえなとも思う。名前を出すと怖い人が寄ってきそうだからしないけれど、フェから始まる六文字のアレも、きっとそうだったのだろうな。正しい理念を持って戦っている人はきっと大勢いて、それと同じくらいの数、欲望の捌け口として利用している人もいて(尤も、本人にはその自覚がないかもしれないけれど)、後者が悪目立ちしているっていう。なんていうか、だとしたら誰も幸せになっていないな。正しさを信じる人たちも、蚊帳の外にいた人たちも。傷つけることでしか証明できない人たちですら。こういう、もはや誰の手にも負えなくなってしまった構造を思うたびに胸が痛くなる。どうしようもなさすぎて。

 

 自身と相容れない思想を攻撃する心理。それは結局、自身にとっての正義に与える証明を欲しているからなのだろうなと思う。正しさを証明するためには大きく分けて二通りの手段があって、直接法と背理法。まあ、どっちのほうが楽かって話だよな、体力的にも精神的にも。そりゃ背理法、つまり自身と相容れない側の思想を否定する方がずっと楽だろうと思う。直接法……って例えばなんだろう。その手の組織を作ったり、論文を書いたり著書を出版したり、あとは選挙へ出馬したり、そういうのかな、全然想像つかないけど。排斥する方が楽なんよな、実際、あらゆる場面において。だって、話し合いで解決することなんてないし、選挙に出たからって必ず勝てるわけでもないし。直接法を実践したところで正しさが証明されるとは限らないわけで。一方、排斥だとその辺りが容易に達成できる。だって、それらを自分の世界にとっての異物と定義して、たったそれだけで自分が正義の側に立てるから(この場合の正義は「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな」でしかないという問題があるけれど、それでも目標は一応達せられている)。あと、気持ちがいい。自分の嫌いなものを扱き下ろす快感って、大なり小なり誰にだって備わってるはずのものでしょ、たぶん。そこを制するのが理性の役割、のはずだけれど。

 

 ……自身にとっての正義というのが何処に由来するかに依るんだろうなと思う。それが右ないしは左、あるいは自身の信じる理想、そういったものに基づいている人たちは多分暴走しない。そういう例はちゃんと知っている。一方で、それがプライベートな問題に基づいている人たちは往々にして暴走しがちだなとも思っている。ストレス発散としての証明。いやまあ、そりゃそうだろうな、とも思う。ストレス発散のためにやってるなら直接法で証明しようなんて思いもしないはず、だって本末転倒だし。まあ、本人たちにそんな自覚はないんだろうけど。

 

 椅子取りゲームだよな、と思う、結局。自分は友人に恵まれているし、環境に恵まれているし。学業も趣味もそれなりには上手くいっていて、不満はあんまりなくて。そんな人間が何を言ったところで、と自分でも思う。だから言わない。Twitter とかじゃ絶対に言わないし、こんなこと。外でも言わない、よっぽど気の知れた相手じゃない限りは。いやでもさ、それでも削れていくものは削れていくんだって。そういう話がしたくて、いまこの記事を書いている。何かを傷つけることで存在証明を果たそうとする人たちが、かつて他の何によって傷を負ったのかは知らないし分かんないし、そういう事情がもしかしたらあるのかもしれないなって理解しようと試みるくらいのことはする。でもなんていうか、なんていうか。だとしても、と思う。思った。思ってしまったよな、ここ最近に発生したすべてを受けた結果として。自分だって嫌なことなんて、それこそいっそ死にたいなって思うくらいのことなんてこれまでに山ほどあったし、いまもたまにあるし。余裕がないってのは分かる。無理を言ってるなってのも分かる。だとしても。

 

 嫌われることへの覚悟をしろよ、と思う。自分は自分以外の何一つも愛しはしませんが、貴方たちはどうか私のことを深く愛していてくださいって。いくらなんでも都合が良すぎるよ、それは。

 

 

 

20220727


 なんか、ずっと昔から本当に受け入れられない考え方が一つあって。受け入れられないっていうか、正しくは自分の中にない思考回路ってことなんだけど。なんだろうな、変に例え話へ持ち込んだりすると却ってややこしくなりそうだから直接的に記すことにするけれど、「生きていてはいけない」とか「死んで当然」とか、そうやって他人の命を一方的に値踏みする考え方のこと。まだ小さかった頃、そういった考えを言いふらす人がものすごく身近なところにいて、そのたびに嫌な気持ちになっていた。そういうのを思い出した、今朝。

 怖いんだよな。なんていうか、まあ、そう。怖いって表現が最も感覚に適っていると思う。別に死刑制度に反対だとか、そういう話をしたいわけじゃない。というか、倫理面での諸問題とか持続可能性とか、そういうのを考慮していけば順当に同じ結論へ辿り着くんじゃないかとも思うし。だから、そのシステムについて思うところは特にない。そればかりはどうしようもないことだから。問題は、そうして死刑宣告を言い渡された人、いわゆる死刑囚に対して冒頭で書いたような「死んで当然」みたいなことを(思うのは勝手だとしても)なんでもないような顔で口にする人が事実として一定数いるということ。マジで怖いし、胸の辺りがざわざわする、その手の発言を見聞きすると。で、今朝くらいにそういうのを偶然見かけてしまって、ぞわってなったって話。と書いてみたはいいけれど、でもこういうの、分かんない人は一生分からないままなんだろうなとも思う。なんていうか、それ自体が一番の恐怖なんだよな、本当は。

 同じ直線上にいるな、と思う。思ってしまう。想像力の欠如だとか、そんな風に揶揄されるのもなんだか心外だから断るけれど、被害者側の気持ちを汲めないわけではない(とはいえ想像を遥かに絶している、当たり前だけれど)し、自分をその立場に置くことができないわけでもない(正しくは、その立場に置かれたつもりになるくらい。実際にその立場へ置かれることは叶わない(叶ってほしくもない)ので、どこまでいっても「分かったつもり」でしかない)。そんな大前提の話はしていない。なんていうか、まずもっての話だけれど、そもそも見分けがつかないんだわ。被害者および遺族のことを心から想って「死んで当然」という言葉を発しているのか、それとも、単に社会的弱者の立場にいる相手を扱き下ろしたいという利己的な事情のために「死んで当然」という言葉を発しているのか。本当に見分けがつかない、外からじゃ。前者ならいい。ところで、本心では後者の動機に基づいていながらも、自分自身は前者の立場を取っているのだと信じて疑えない人。疑わないんじゃなくて、疑えない。そういう人が一定数いる。いるようにみえる、自分の目には。そのことが本当に怖い。だって、証明じゃん、それは。どこかの誰かが一連の犯行へ至った経緯が、その実何も間違ってなんかいなかったって、そんな救いのない結論を人類規模で証明しているようにしかみえない。だから、同じ直線上にいるな、と思う。同じ。同じでしょ、だってさ。その二つって実際に人を殺したか、そうでないかの違いしかないじゃんか。あるいはもう殺したか、まだ殺していないか。その一点の差異でしかない。怖すぎる、普通に。自分は殺人なんて罪に手を染めませんって、だからその思い込みが一番怖いんだよ。

 

 いつだっけ。なんか、どこかの誰かが何らかの方法で自殺して(情報量、無)、それで一時期インターネットだか映像メディアだかで「死ぬなら一人で勝手に死ね」って言葉が流行ってたんだよな。その当時と似た感覚。本当に嫌だった。そうやって社会に蔓延った思想の澱が、どこかの誰かを自殺へと駆り立てるに違いないのに。……いやまあ、実際のところ、別にどうだっていいんだわ。そういう考え方の人がいたところで、どうだっていい。彼らの存在を認められないとかそんなことは全くないし、否定したいわけでもないし、感覚的に怖いとは思うけれど、でもまあ怖いだけだし。そもそも関係ない他人だし、たぶん一生の間に関わることもないだろうし。身近なところにいても問題なく、だって人間関係を構築する段階でちゃんと選んでいるから。誰だってそうだろうけど、自分だってそう。仲良くする相手は選んでる。自分にとってはそれで十分で、だから別にどうってことでもない、こんなの。

 

 

 

人生振り返り


 なんていうか、「そろそろ大学生活も終わるな~」と思いながら散歩していると、釣られて謎の人生振り返りタイムが始まったりして、だからここ最近はそういうことを考えている時間が少しだけ長いような気がする。自分はなんとなく抽象的な存在でありたいというか、いや、別にそんな大層に気取った考えを有しているわけでもないのだけれど、ただ、同世代の人たちと比べればインターネットコミュニティの中で育ってきた側の人間だろうから、どうしても自分の身の上話を他の人へ進んで伝えようという気にはならず。ところで、それ自体に興味を持っている人ってそんなに多くないだろうし、そもそもの話。というのもあって、だから、自分のこれまでを知っている人ってマジでいないよなと思いながら。それはそれとして、最近の脳内事情としては先述の謎めいた人生振り返りがあり。良い機会かもということでいまブログを書いている。というわけで人生振り返りをやる。

 

 小学校入学以前のことは、なんていうか、正直にいえば嫌な思い出のほうがずっと多い。家庭環境は普通だったと思うのだけれど、自分の場合、親戚関係の人たちと折り合いをつけるのがあんまり上手くなかった。ここら辺の話は昔ブログに書いたと思う、少しだけだけど。有体に言うと、よく分からなかったんだよな、相手のことが。たとえば誕生日にはめちゃくちゃ良い人そうな顔で祝ってくれるのに、一方でまた別の日にはめちゃくちゃキツく当たってきたりして。どういうこと? って。いまにして思えば「まあ、機嫌の良い日と悪い日くらい誰にだってあるよな」と納得してしまえる程度のことでしかないのだけれど、子どもの自分にとってそれは随分と困難なもので。だから、関わらないで済むならそうしていたいというのが当時の心境で、ところで幼少期の人間関係の大部分を親族が占めているので、もう本当にどうしようもなかった。親族関係での嫌なエピソードは本当に山ほどあるのだけれど、嫌なことばっかり話しても仕方がないので割愛。当時の印象をいまでもかなり引きずっているところがあって、というのも自分は親族と顔を合わせる機会を徹底的に避けている。なんていうか、やっぱり苦手意識があるんだと思う。

 実はこの頃がインターネットらしいインターネットに最も触れていた時期だったりする。当時はもう最盛期を過ぎて落ち着きつつあった FLASH 文化だけれど、それに触れたのがちょうどこれくらいで、当時、そうやって何かを生み出して発信する人たちの存在について何を思ったのかは覚えていないけれど、そうして生み出された作品たちの世界観……みたいなものには随分と憑りつかれた。その頃にはもう鉛筆と自由帳が友達で、パソコンの前にいないときは、インターネットから拾ってきた世界の断片みたいなものを白紙の上へ書き起こしてって、そういうことをずっとやっていたような気がする。もう全然覚えてないけど。

 他には、なんかあったかな。同じ保育園へ通っているメンバーとその家族(と言っても、だいたい母親だけ来る)とで、一泊二日の小旅行みたいなのをやったことがあった。たぶん、ギリギリ小学生じゃなかった気がする。嘘かもしれないけど、でも、小学生だとしてもかなり低学年の頃。日中に何をしたのかはあんまり覚えていなくて、いや、たしか、大きめのアスレチックみたいな、自然公園っぽい施設だったかな。そこで遊んだ。電車があった気がする、固定されて動かないやつ。どちらかというと夜時間のほうが印象に強い。二段ベッドが両側にそれぞれ置かれた部屋へ通じた扉が廊下の片側に連なっていて、もう片側は大きなガラス張りの、おおよそ草や木しかみえない窓になっていた。廊下を進むと少し開けたスペースがあって、橙の照明と、小さなテーブルと、あと自動販売機。とんでもなく深い夜だったように記憶しているけれど、でも、それはきっと幼少期の錯覚で、時間的にはまだ 21 時とか、それくらいだったんだろうなと思う。そのテーブルを数人で囲んで、そうして何かを話していた記憶がある。そこに誰がいたのかも、あるいは何について話していたのかも、いまとなっては全く覚えていないのだけれど、でも、それでもそういう記憶がたしかにあって。その夜を、いまでもたまに思い出したりする、深夜散歩のときなんかに。その開けた場所をさらに少し進むとフロアとフロアを区切るための大きな扉が廊下を遮っていて、それもたしかガラス張りだった。なんか、めっちゃ印象に残ってるな、あの扉。なんてことないただの扉だったのに、その日の夜の、なんていうか、日常から断絶されている感みたいなものを端的に表していたような、そんな気がする。

 

 小学生の頃。この頃もこの頃で良い思い出はあんまりないな。……嘘で、どうしたって嫌だったことのほうが先に思い出されてしまって、良かったことや嬉しかったことはなかなか思い出せないっていう、ただそれだけの話なんだけど。

 まず最初に書くべきは、やっぱり勉強のことなのかな。幼少期からずっと塾へ通っていて、そこでは数学だけを学んでいたのだけれど、だいたい所属学年より五つ六つくらいは上の内容をやっていた。どうなんだろ、当時はマジで凄いやつみたいな扱いをされていたけれど、ところで京大理学部数学科ともなると小学生の頃から高校数学やってましたくらいの人間、普通にいるしな。だからってまあ、昔の自分の努力を否定するわけではないのだけれど、ところで努力していたかと言われたらそれも微妙で。当時からもう既に自分の『課題をちゃんとやらない病』は始まっていて、いかに効率よくサボるかだけを考えて生きていた(三年生の頃には夏休みの課題を出さなくなっていた)。それでもなんだかんだで数学はずっとやっていたし、上へ上へと昇っていくこと自体は好きだったので、いまにして思えば、どうせ音楽習わないんだったらせめてそっちを真面目にやっとけよと思わなくはない(裏設定として、自分は「ピアノの習い事」と「塾」とを天秤にかけ後者を選択したという経緯がある)。思わなくはないけれど、当時の自分も当時の自分なりに自分にとって大切なものに時間を使っていたんだろうなとも思うし、だからやり直したいとかは別にないな。

 小学校へ入学すると何が起こるかというと、当たり前だけれど、活動の場として小学校という空間が解放される。当時の自分が好きだった場所は三つあって、中庭、非常階段、体育館裏。中庭は一、二年生の頃だった。一年生の詰められている校舎、職員室や保健室などの集まった校舎、さらにそこから直角に曲がって図書室やコンピュータ室なんかが集まった校舎。その三つで囲われている区画が中庭(と自分が呼んでいる場所)だった。そこまで広くはないけれど、とはいえ狭くもない。子どもの足で鬼ごっこをするにはちょうどいいくらいの、それくらいの広さだった。だいたいの小学生は中央玄関(縄跳びや花いちもんめをやっていた)や運動場(こっちは球技系)へ行くので中庭はいつも人が少なくて、それがお気に入りだった。あとはなんか微妙に遺跡っぽいというか、他の場所と比べてちょっと異質な雰囲気だったんだよな、中庭。それも気に入っていたのかも。他には、朝顔が置かれていたのもたしかこの中庭だったか。夏休みの前日に持って帰るのがめちゃくちゃ面倒だった記憶がある。次、非常階段。これは三、四年生のとき。三、四年生が詰め込まれている校舎は、さっきの一年生が詰め込まれている校舎と同じで、上階側だった。四年生のとき、自分たちのクラスはその最上階で、そこから音楽室などがある校舎へ繋がる連絡通路の途中に非常階段があった。他の階段みたいに綺麗に整備されたような感じではなくて、赤く錆びまくった、逆に何でここだけこんなに古いんだよってくらいのそれ。三、四年生の頃はそこが自分の、自分たちの居場所だった。楽しかったな。中庭よりもずっと明確に「ここが自分の居場所なんだな」と理解していたように思う。思えば当時から、自分は名前のある場所よりもこういう、なんでもないような場所のほうが好きだったのかも。名前っていうか、目的? 図書室では本を読むし、運動場では運動をするし、でも非常階段ってそうじゃないじゃんか。何をしなきゃいけないとか別になくて、そういうの。そういう場所が好きだったのかもしれない。体育館裏も、これは五、六年生のときだけれど、いってしまえば同じ理由で好きだったのかも。人は滅多に来ない。たまに鬼ごっこで逃げてきた人が迷い込んでくるくらい。体育館裏は秋のイメージがとても強くて、というのも秋になるとイチョウの葉がたくさん落ちていて綺麗だったから。体育館裏へは二通りのアクセスがあって、運動場に面した体育館の入り口側から裏へ回るか、あるいは六年生の校舎へ繋がる通路から(なかば段差を飛び降りていく形で)直接行くか。自分は後者の手段でよく足を運んでいた。イチョウの葉がたくさん落ちているのはそっちの道だった(入り口側は毎日、生徒の手によって清掃されるから)。

 この頃、とても仲の良かった友人が一人いた。彼は自分と同じくらい、というのは見栄を張っていて、自分よりもずっと頭が良かった。頭が良い上に人付き合いもよく、それでいて音楽やイラストの方面にも長けているという、自分の完全上位互換みたいなやつだった。自分は小学校の音楽発表会的なそれで弾いたこともないキーボードを志願したことがあるのだけれど、それはこの友人の影響だった。描いた漫画をみせあったりもしてたかな。とにかく自分と気質の合う相手だった。今後一生、彼と同じくらいに波長の合う相手と出会うことはないんじゃないかって、冗談でもそう思えるくらいには。ところで、彼とはもう何年も会っていなくて。今年で……、何年になるんだろ、八、九? いや七? 最後に会ったのがどこだったのか、それすら曖昧になっちゃってきてるんだよな。高二のときだったか、浪人のときだったか、そのどちらかだとは思うのだけれど。顔と名前はいまでも覚えているけれど、声や話し方まではもう思い出せないかも。会えるものなら会いたいな、と思うし実際に家の前まで行くことはこの数年で何度もあったけれど。なんだかなあ。たとえば喧嘩別れみたいに何か明確な理由があったならむしろ話が早かったのに、そういうのでもなく。これまでに構築した人間関係の中で最もどうしようもなく終わってしまったものの一つ。そう思う。

 そういえば、小学四年生のときに学校行事の一環でタイムカプセルを埋めた。一〇年後の自分へ宛てるメッセージということで。そして一〇年後、だから二〇か二一のときだったと思うけれど、地元の友人たちに「あのタイムカプセルを回収しに行くか?」と誘われたことがある。断った。明確な理由はあまり覚えていないのだけれど、ただ、そのタイムカプセルに埋めたメッセージ、そこに何を書いたのかをいまでも割とはっきり覚えてるんだよな。だから回収しに行かなかったんだと思う。ざっくり要約すれば『いまの自分が好きなものを一〇年後の自分には覚えていてほしいし、たまに思い出してほしい』みたいな、そんな感じのことを書いた。ほんとかよ、と思うけれど、たしかな記憶として刻まれているので間違いないはず。人間って変わんないなと思う、自分でも。

 

 中学校。自分は校区の小学校からそのまま同校区の中学校へ進学するという形をとり、また多くの同級生もそうしたので、中学に入ったからといって日常生活の枠組みで何かが大きく変わったということはなかった。強いて言うなら好きな場所がまた新しく生まれたくらい。今度は裏門に通じる傾斜 10°(たぶん)くらいのスロープ(車一台が通れる幅)だった。グラウンドや中庭といった、多くの生徒が利用する場所からは明らかに断絶されていて、その場所でぼんやりと時間を潰すのが何となく好きだった。あとは、中学生になったら同級生の数人が消えていて、そのときに初めて中学受験とかいうものの存在を知った。当時は、わざわざ別の中学へ行くなんてそんな物好きがいるんだな、くらいにしか思っていなかった。

 大きく変わったのは、塾か。たしか、姉が通っていたのと同じところだったと思う、通う塾が変わった。そこでは数学だけでなく、国語、英語、理科、社会も学ぶことになった。当たり前か、中学生だし。ところで自分は相も変わらず『課題をちゃんとやらない病』を患っていたので、それはもうめちゃくちゃに怒られた(当たり前だけれど中学校でも怒られており、だから評定は最悪だった)。当時の自分は捻くれていて、「でも、ちゃんと成績取ってれば文句ないでしょ?」というほうへ徐々にシフトし、いわゆる実力テストでは上位の成績をキープしつつ、ところで課題は全くやらずの姿勢を貫き、塾講のバイトをする身となったいまでは「相手したくねえ~~~」と思う中学生をやっていたな、と思う。要領だけはよかった、昔から。その塾で自分に数学を教えてくれた先生が、聞くところによれば京大出身らしかった。教え方が上手かったというか、なにかと親しみやすい人だったこともあって自分はその先生のことがかなり好きだった。だから京大という場所を意識したりもして、思えばそれが全部の起点だったのかもしれないな。あの二年間、あの小さな塾の一室にその人がいなければ、自分は京大へ来ていなかった可能性が非常に高い。

 ともなって友人関係も変わった。同じ塾へ通っている人と遊ぶ機会が格段に増えた。そのうちの一人がボーカロイド文化を追いかけていて、その人を経由して当時流行っていたボーカロイド楽曲を色々聴いていた。この頃になると昔ほどはインターネットを使ってはいなくて、だからニコニコ動画を観たりすることもなかった。ボーカロイドを用いた楽曲が、なんていうか、それまで自分の世界にあった音楽とはかけ離れていて、それで強く惹かれたというのはあったかもしれない。初めて借りた CD であるところの『初音ミクの消失』はめちゃくちゃに聴き込んだ。ボーカロイドを経由して DTM という概念を知った。当時、中学校で付き合いのあった知り合いにその手の分野に興味があったらしい人がいて、domino という MIDI シーケンサを紹介してもらった。それで何曲か作ったのが、実は自分の DTM の原点だったりはする。とはいえ当時作った音源は(一時期はインターネットに公開していたのだけれど)完全に消滅してしまったので、もう誰も聴くことはできない。

 中学三年生へ進級するタイミング、そのときに塾が解体された。解体っていうか、吸収なのかな。少なくとも、自分の通っている校舎はなくなるとのことだった。どうしたものかと思っていたところ、その校舎のいわゆる元締め的な、英語の先生だったのだけれど、その人から「別の校舎へ移らないか」と提案され、そしてそのようになった。移った先の校舎には、以前の校舎で理科と社会とをそれぞれ教えていた人たちもいて、人見知りを極めていた自分としても完全にアウェーという感じではなかった。そのどちらかが言っていた、「たぶん、あの人は自分の手で最後まで〇〇(自分の名前)を育てたかったんじゃないかな」。別の校舎へ移らないか、という提案に対する第三者の意見。当時は「へえ~」くらいにしか思わなかったけれど、でもまあいまでは、たしかにそういうことだったんだろうなって気がする。たぶん、それなりに期待をされていたんだろうと思う、中学の頃の自分は。課題を全然やらないくせに成績だけは無駄にいいから。ちゃんとやればもっと伸びるのに、みたいな気持ちがあったんだろうと思う、教える側には。

 授業時間自体は移る前と移った後とで変わらなかったのだけれど、単純に距離が変わった。最寄駅から電車で一〇か一一駅分くらい離れた場所まで通っていて、その塾自体も駅からそれなりに離れた場所に建っていたから、要は中学生ということも踏まえれば夜道が少し不安だった。というのがあって、塾から駅までは手の空いている先生(だいたいその理科の先生か、社会の先生かだった)が毎回付き添ってくれていた(いま思えばめちゃくちゃ面倒だったろうな、先生)。歩いて二五分くらい。片道二車線の大きな通り、歩道橋と橙の街灯があって、帰るくらいの時間になるともう車通りもそんなになくて。歩きながらいろんな話を聞いた。前の校舎でのこととか、学生時代のこととか、バンドをやっていたって話を聞いて驚いたこともあった。あとは、よく怒られた、課題をやってこなさすぎる件で。まあ、先生の側も半分くらい諦めていたのか冗談交じりって感じだったけど。これもいまにして思えばでしかないけれど、誰かと深夜散歩をするのが好きであることのルーツってここら辺にあったりするのかもなって思ったり思わなかったりする。

 中学生の頃、インターネット上のとある場所で小規模なコミュニティに属していた。属していたっていうか、……こういう書き方を自分でするのも変な感じだけれど、自分を中心に人が集まっていたような感じだった……のかも。自分専用のページみたいなものがあって、そこに毎晩数人が集まってチャットでやりとりするみたいな。そのうちの何人かとは実際に顔を合わせたこともあって、というのも比較的近く、自転車で数十分くらいの距離に住んでいたから。もちろん遠方に住んでいる人もいて、だから全員が全員そうだったわけではないのだけれど。あの時間が、割と自分の根本には根付いているのかも、といまでも思うことがある。ああやって偶然そこに居合わせただけの、顔も名前も声も知らない誰かと毎晩話をするっていう経験が。中学のどこかのタイミング。遠足で大阪城だかどこかへ出た日の夜だった。様々な事情が重なりに重なって、自分の手元からインターネット環境が一時的に失われた。するとどうなるかというのは想像に難くなくて、そのコミュニティは崩壊した。それはそう、中心にいた人がある日突然に音沙汰なくなったらそうなる。しばらくしてインターネット環境が復活し、それでいつものページへ飛んだときにはもう遅かった。たしか、一人だけ連絡のつく人がいたのかな。その人は、なんて言ってたっけ。……思い出せないな。たしか、自分より一つ年上で、あとは 1925(ボカロ曲)が好きって言ってた気がする。それくらいしか覚えてない。もしあのとき自分のインターネット環境が消滅するみたいな、そういう事態が起きていなかったらどうなってたんだろうと、当時はよく考えた。でも、変に一人ずつ消えていくみたいな、そういう悲しい終わり方をするくらいならああやって一瞬で終わらせてしまったほうがいっそ良かったのかもな、といまは思う。

 中学の頃にはまるで運命的な出会いがいくつもあって、そのうちの一つ。これもインターネットを介して出会った人だった。その人の趣味は作曲で、当時から自身の制作した楽曲をインターネット上で公開したりしていた。これが、たぶん自分の人生の中では一、二を争うレベルで大きな分岐点だったと思う。この人と出会っていなければ、自分が作曲に手を付けることなんてほとんどあり得なかっただろうから(万に一くらいの可能性はあったけれど)。中学から高校の間にかけて、その人には多くを教えてもらった。たとえば自分が FL Studio という DAW を使っている理由は、その人が当時使っていた DAWFL Studio だったから、ということ以外にない。めちゃくちゃ基礎的なところから応用まで、色々と。その人、いまではめちゃくちゃ有名な作曲家になってて、いや、本当に凄いんだよな。完全に雲の上。そんな人と中学の頃に出会って、しかも作曲の道へ自分を連れ出してくれたってのはなんていうか、別に信じてはいないけれど、運命なんて。でも、まるで運命的だな、と思わなくはない。これがなかったとして、そしたらいまの自分は一体何をやってたんだろうな。数学?

 

 長くなりすぎたので、とりあえずここまで。高校入学以降のことはまた気が向いたら書くかもしれない。

 

 

 

 

20220707


 夢をみた。あんまり詳しくは覚えていないけれど、世界は数年後にそこそこヤバい状況になるということを夢の中の自分は知っていて、「この区画も、あと何年かしたら立ち入れなくなっちゃうんだよな」みたいなことを考えながら歩く、そういう夢。一人きりではなく自分の後方にもう一人、よく知った顔が立っていた。いま思い返すと、それはなんだか珍しい。というのも、自分が誰かの前を歩くことはそんなに多くなくて、せいぜい横並びか、でなければ最後列だから。夢に出てきたその人の、前を先んじて歩いたことって一度でもあったかなあと考えてみるけれど、ちょっと思い出せない。ほとんどないような気がする。夢の中、入り組んだ、それでいて高く上へ伸びた、ゲームなんかにありがちな情報量がやたらと詰め込まれた街の一角を歩いていた。すると、雪が降ってきて、そこで一言二言くらいのやりとりをしたような。何に対しての返答だったのかは分からないけれど、「自分もいるんですから」と笑って返されたような気がする。それからまた少し歩いて、屋内へ立ち入った辺りでふと目が覚めて、ベッドの上。変な夢だったなあ、と思いつつアクエリアスのボトルを手に取って、それから考えた。なんとなく。なんとなくだけれど、顔と声とが微妙に一致していなかったような気がして。夢の中では何の疑問も持たなかったものの、目覚めた瞬間に振り返った限り、声はたしかによく知った誰かのもので、でも顔の雰囲気がなんだか少し違ったような。なんていうか、幼くみえた。いまこうして、現実世界で会えるはずのその誰かよりも、少しだけ。知り合ったのがもう五年くらい前のことで、ところで当時から顔立ちなんかの印象はいまと変わらないような気がするなと思ったり。そうこうしているうちに今度は昔のことへ意識が向かったりして。知り合って間もない頃って、いったいどんなことを話してたっけな―とか。あとは、誰だって最初は赤の他人から始まるのに、いまこうして、自分の大して広くもない交友関係の一部分をその誰かが占めているのってなんだか変な感じだなーとか。今朝目が覚めてからは、というか昨夜眠る前にもたしか、そんな感じのことを考えていた。

 

 

 

20220629


 六月ライブのあと、明け方、「できる限り多くの人と仲良くしたいじゃん」みたいなことを咄嗟に口にしたような記憶があって、その数分後には「いや、そんな気持ちは全くないな」と思い直した。ただ、その頃には訂正するタイミングをとっくに逃してしまっていたのだけれども、自分の考えとしては「できる限り多くの人と敵対したくない」のほうが正確だった。それはまあ、仲良くできるならそうであるに越したことはないけれど、仮に仲良くなれないとしてもなるだけ敵対はしないように。そういう気持ちで生きている気がする。とはいえ、普通に生きていればどこかの誰かに嫌われることは当然あって、「ああ、この人、たぶん自分のことを嫌っているな」という相手なら何人も思いつく。そのことを踏まえてだけれど、敵対しないというのは誰からも嫌われないようにという意味だけではなく、誰のことも嫌わないで済むようにという意味でもある。たとえ他の誰かに嫌われたって、自分がその誰かのことを嫌いにならない限りは敵対なんかしない。そういう意味。そうは言っても自分は普通に人間で、要するに限度があって、どうしても嫌いになってしまう相手もいるけれど。それはそれとして、でも、どうなんだろうね。そうであっても、だからといって必要以上には敵対したくないんだよな。相手は自分のことが嫌いで、自分は相手のことが嫌いで、それならそうでそのまま終わりにしておきたいというか。なんていうか、たとえば悪口とか。自分の嫌いなものについて口汚く罵るのって、多くの人間にとって恐らくは快楽の一種なのだろうなという気がしていて。それはまあ匿名掲示板とか Twitter とか、あるいは学校の教室ででも経験則的に知り得る程度の、それくらいの。必要以上の敵対とは、たとえばそういうもの。一度そういう状態に陥ってしまうと、敵対関係の解除ってめちゃくちゃに難しくなると思うんだよな。……というのは高校時代に属していたコミュニティでの諸々を受けての知見。恋は盲目ってよく言われるけれど、あれ、悪口とかでも同じ現象が起きてるよなって思う。何にせよ、ある対象の特定の側面ばかりに目を向け続けていると、ある種の思い込みが始まるっていうか。その対象自身に向き合うことをしなくなるような気がする。もっと分かりやすく言うと、相手自身ではなく、自分の頭の中にいる相手の像ばかりをみて考えるようになってしまうっていうか。そして多くの場合、そうなっている自分自身の在り方に気がつけない。思い込み。いやまあ、日常に付き合っている限りでだって「あの人はああいう人だ」って思い込みは積み重なっていくものだけれど、恋だとか憎悪だとか、そういった類の感情はそれを一層加速させるような。なんか、そうやって勝手に作り上げたイメージと向き合い続けている限りは、和解なんてどうしたって起こり得ないのではと考えるのが自分で。だって、和解は現実世界に存在する相手と自分との間に生まれ得るものなわけだし。だからまあ、必要以上の敵対はしたくない。自分はそういう感じで生きている。なんていうか、だから別に優しいわけではないんよな。この前も言われたけど、なんでこんな奴に、って。でもそれは、誰からも嫌われたくないし、誰のことを嫌いになりたくもないからそうしているというだけで。というかむしろ、って感じ。たとえばの話、自分のことを嫌っている人間に対して一番有効な方法が何かって、それは、自分の側からは決して嫌わないことなんだよな。お互いに嫌いな同士ならなにかと楽でしょ? 悪口だって言いたい放題だし、どんなに嫌ったところで相手もそうなんだからお互い様だって思えるじゃん。でも、だからこそこっちからは嫌いになってやらないんよな。相手から飛んでくる憎悪の矢印と取り合わない。お互い様と思わせない。土俵へも上がらない。敵対しないという姿勢は、つまりはそういう意味でもあるにはあって。だから別にって感じ。怒りを持て余した人間がどういう風に感じるかって、そういうのをある程度分かった上で、それでもなおこのスタンスでいるわけだし、自分は。だからまあ、まあまあ酷いって思うよね、他人事みたいに。

 

安達としまむら』を読んだ、とりあえず最新刊まで全部、数日に分けて。なんていうか、色々と思うところがあるなあって感じ。主な登場人物は二人いて、それがタイトルにも冠されている安達としまむら。八巻まで読んだ段階で人と会って話す機会があって、自分はしまむらの立ち振る舞いに共感するかも、と所感を伝えたところ「解釈一致です」と返された。まあ、そうだろうなと思う。でも、そう、だから、そこで解釈一致と返されたことをきっかけに改めて考え直してみたのだけれど、先の所感は微妙に間違っている。いや、間違えてはいないのだけれど、だとしても言葉が足りなかった。正しくは、いまの自分はしまむらの立ち振る舞いに共感するかも、なんだよな。逆に、向こうはどちらかというと安達っぽい。なんていうか、熱がある? やたらと電話したがるところとか、電話の前に必ず断りを入れてくるところとか。それでいて、こちらへの迷惑を必要以上に考慮するところなんかは特に。でも、以前はそうでもなかったはずなんだよな。以前というか、高校生の頃。いま自分の周囲にいて、それでいて高校生当時のことを知っている人なんて皆無だから、きっと誰にも想像つかないだろうけど。なんていうか、完全に逆だったかも。自分と向こうの立ち位置が。だから、きっと高校生当時にこの作品を読んでいたら、自分は安達のほうにより強く共感していたと思う。解釈不一致? でも、こればかりは間違っていないような気がする。一方いまの自分はといえば、こんな感じの考え方が馴染んでしまってからもう随分長くて、だからってわけでもないけれど、以前のことを忘れてしまっていたというか。いや、忘れていたわけではないのだけれど、でも押し入れの奥へしまい込んでしまったような感覚。忘れはしないけど思い出しもしない、そういうの。むかしはさ、もっと長く話してたいな~とか、今度の休みに会えたらいいな~とか、いまよりももっと素直に感じられていたような気がするし、それを伝えることも大して躊躇わなかったような気がする。気がするだけだけど、でも、少なくともいまよりはずっとそうだったと思う。約束が果たされればまた作ればいいと思っていたし、旅行だって。なんか、なんだろ。なんていうか、こんな自分にもそういう時期がちゃんとあったなあって、『安達としまむら』とか、あとは『やがて君になる 佐伯沙弥香について』なんかを通じて今更みたいに思い出したっていう、ただそれだけの話。だから、そのことを思い出せたいまなら、もう少し素直な気持ちで話ができるかもな~って思ったり、思わなかったり、思ったり。分かんないけど。六月の間はずっとそういうことを考えてた。別に喧嘩したわけでもないのに、結局、六月中は一度も声を聞かなかったなあって。そういうのと一緒に。

 

 

 

20220615

 

 幸福の本質は移動らしい。随分と前に読んだ本に書かれていたことで、以来、ずっと忘れないでいる。とはいえ、その小説ではもう少し詩的な風に書かれていたような気もするな。「つまり、風を感じることなんだ」みたいな、そんな感じで。

 深夜散歩、今月に入って二回目の。大学生になってからのことを思うと、すっかり機会が減ってしまったなと思う。それはそうで、みんな京都からいなくなっちゃったし。誰かと歩くという行為が自分は恐らくかなり好きで、時間帯は問わないものの夜ならずっといい。歩きながらでないと話せないことがたくさんあって、夜でないと話せないこともたくさんあって。深夜散歩はその両属性を兼ねているから、だから特段気に入っているのかもしれない。いや、分かんないけど。でも、歩きながらでないと話せないことがあるというよりは、歩きながらでないと話せないというほうが正しいのかもしれないな。これまでのこととか、これからのこととか、そういったものへ真面目に向き合うのは別のところですればよくて。一方で、散歩中に生まれる会話はそういった輪から随分と遠く外れたところにあるような気がして。自分は後者みたいな会話しかできないから、だからっていう話なのかもしれないな、知らないけど。

 昨夜は、結局どういう話に落ち着いたんだろう。帰り道、いつも通りに鴨川沿いを歩くことにして、「この時間はまだ意外と人がいるんだな」と思ったり「結構曇ってたんだな」と思ったり。月は一応みえた、南の方に、薄い雲に隠れてぼんやりと。相手にも依るけれど他者との会話はだいたいの場合が異世界交流の様相を呈していて、それはそう、自分は相手のバックグラウンドを知らないから。いや、ほんの少しくらいなら知っていることもあるかもしれないけれど、それは本当にほんの少しでしかなくて、氷山の一角でさえないというか。たとえば昨日にも顔をあわせたという誰かだって、今日までの何時間かを自分の知らないところで生きていたわけで、自分がそうであるみたいに。だったらそれはもうほとんど別人なのでは、という気持ちが何となくどこかにあって。そういう考え方をしているから他人と関わるときには、自分はこの人のことを何も知らない、のスタンスでいることがあったりそうでもなかったりで、だから異世界交流。既知のものなんて基本的にない。ただ、その過程で「以前もそう言っていたな」とひっかかる瞬間もたまにはあって、そういうときには安心に似た何かを覚えたりもする。海外に行って日本食の店をみつけたみたいな気持ちなのかな。海外行ったことないから知らないけど。

 相手の話していることは、たぶん九割以上分からなかった。これは大袈裟な譲歩を含んでいて、本当は九割九分くらい分かっていないと思う。というのが帰り道に下した結論で、というか、それらを「分かる気がする」なんて風に雑に処理してしまうのは、なんていうか、ものすごく失礼な気がする。誠意がないというか、あらゆるものに対して。まあ、分からないものに対して適当な相槌を打つこととどちらのほうが、という問題はあるけれども。そういうわけで「何も分かんなかったなー」という気持ちのまま、会話の中で引っかかった部分から逆算的に片していって、その結果が「幸福の本質は移動らしい」。幸福の本質は移動らしい。そういう話をしていたのかもしれないし、していなかったのかもしれない。ただ、自分の中で昨夜の話はそういう風にラベリングされた。

 二〇年ちょっとを生きてきて思うこととして、人間の原動力って「ここではないどこかへ」という感情なんだな、というのがある。それがどういった形で発露するかは人に依るだろうけれど、ともあれ、そういう気持ちがベースにあるような気がする。旅行とか、学生運動とか、就活とか、戦争とか。何のために生きるんだろうって、それ自体に解答を持ち合わせている人はそう多くなくても、現状を少しでもより良い方向へもっていきたいから動いている、と理解している人はそんなに少なくないような気がする。目的地はないけど目的はある、みたいな。それがだから、幸福の本質は移動、ということの意味なのだろうなと思ったり。みんな、そういう風に生きていて、だからそんなにも熱意をもって社会へ立ち向かえるのだろうな。すごいと思う、本当に。皮肉なんかではなく、心の底から。今日が幸せで、なら明日はもっと幸せであってくれたら嬉しい。それはとても自然なことだなと思った、言われた瞬間に。素直に頷けなかったのは、自分の中にそれがないから。自然なことだとは思えるのにな。

 幸福であることへの執着。言われて、結局はそれなんだろうな、と思った、帰り道に。ボーナスステージ。このブログを読み返せば、遅くとも二年くらい前には書かれてあるはずの言葉。自分の人生、なんていうか、もう全部が全部そういう風の認識になってるんだよな、いつの頃からか。たとえば双六で、みんなが我先にとゴールを目指してサイコロの出目に祈っているのに、自分ひとりだけスタートを出て少しのところで止まっているみたいな。いや、止まっているわけではないか。止まっているんじゃなくて、スタートを出てすぐのところにゴールがあったのかも。ボーナスステージという認識は、まあそういうことなのだろうなという気がする。この言葉を初めて意識したのは八九寺真宵の台詞だったように思うけれど、でも、だからそういう感じの理解なのかもしれない、自分の中では。人生、もうやりきっちゃったな、的な。昨日も今日も明日もエンドロールの延長線上でしかないって、流石にそこまで割り切っちゃいないけれど。現状や未来に対して危機感も何も本当になくて、これって何なんだろうと不思議に感じていたけれど、この数ヶ月くらい。でも、「ああ、そういうことだったのかも」と初めて思えたのが昨夜のことだった。とはいえ、それでも死ぬのは怖くて。死にたくないとは思っているのに、でも、そうならないための努力はできないんだもんな。どうなっちゃうんだ、本当に。