20220803


 ツイートするほどでもないこととか、ツイートするようなことでもないこととか、最近思ったそういうことを書く。

 

 

 京都の夏、基本的に暑すぎ。「暑すぎだろ!」と思ったので半袖でバイト先へ向かったところ、帰りの電車が死ぬほど寒くて本当に後悔した。羽織るものを持って行けという教訓ではあるのだろうけれど、いや、うん、まあそう。自分が悪いな。

 

 修論とかいうの、めんどくさいな~ってずっと思ってる。数学は好きだし、勉強も好きだし、新しいことを学んでいくこと自体は嫌でも何でもないのだけれど、他にやりたいこともっとあるんだよなあ……っていう。「大学に入ったんならちゃんと勉強しろよ」みたいなことを訳知り顔で言う人は山ほどいるけれど、自分は懐疑的。大学へ入ってから勉強以外に大切なものをみつけて、そうして人生の舵を切った人を何人か知っているから。そりゃまあ勉強は大事だけれど、何をどう優先するかなんてその個人が勝手に決めればいいことなんだし。勉強しろだとか何だとか、少なくとも他人が他人にとやかく言うようなことではないよね、と思う。

 

 何を思い立ったのか、一昨日昨日今日とゴールデンボンバーの曲を聴き漁っている。面白い。なんか、メタル調のオケに重たいボーカルが歌を乗せる傍ら、謎の女性陣が「もっと酒飲め!」みたいなコールを延々と入れ続ける曲とかあった。どういうコンセプト? 歌詞全文が中国語のやつとかもあったな。そうかと思ったらめちゃくちゃ染み入ってくるようなバラードなんかも混じっていて、なんだかよく分からない。でも、自分はかなり好きだな。ボーカルの人(鬼龍院さん)、きっと音楽が好きなんだろうなあと思う。

 

 ギターの楽譜って手書きのほうが断然早くね? と悟った結果、musescore を破壊してしまった。同様に数式も手書きのほうが早い。TeX を破壊。

 

 同性相手なら特に抵抗はないのだけれど、異性が相手となると流石に話が違うよなあと思う。なんていうか、ぞわぞわする。気にしすぎ? 「最近、色んなものがおかしくなっていってるよね」だとか、遠くの空を眺めたりして、炎天下。頭の片隅ではそういうことを考えてた。

 

 攻撃と批判は別だとか言うけれど、それってある種の信頼関係が前提だよねと思う。深夜、友人と通話をしながらたまーに話す、「あのアーティスト、最近同じネタ擦りすぎじゃない?」「最近、流石にちょっとやりすぎだよね」「別に悪い曲ではないけれど、でも良くもないよな」。相槌を打ちながら、そのアーティストを好きだと言っていた人のことを思い出す。その人の前じゃこんな話できないな、と思いながら(するつもりは勿論ないし、したいとも思わんけど)。相手を選んでいる、お互いに。自分はその友人の言葉に不快感を覚えない。相手がどういう気持ちで言っているのかを(ある程度)分かっている(つもりだ)し、つまり、相手のことを一定以上には信用しているから。攻撃か批判かを決めるのは、それらに限らずともあらゆる心象を決定するのはいつだって受け手の側なんだよな。自分はその友人のことを信用しているから、その信用に基づいて発言を区別することができる。でも、同じことを全然知りもしない人が言っていたとしたら「はあ、そうですか」って受け流すだけだろうなと思う。説得力の話よな、要するに。人って信じたいものだけを信じて生きているらしい、みんなもそうでしょ?

 

 バイトに寝坊した。働き始めてもう五年くらいになるけど、二度目かな。やってしまった~~と思ったけど、端末の時計表示を目にしたときは一周回って冷静だった。「いやもう、どんな焦ったところで手遅れだし」みたいなテンションで、逆に気持ち悪いくらい落ち着いていた。ちゃんと時間通りに起きたんだけどね。まだ微妙に寝れるな~と二度寝してしまったのがよくなかった。二度寝のときにアラームをかけなかったのもよくなかった。いや、本当のことを言うと前日に夜更かしで作業をしていたのが何よりもよくなかった。次の日に予定があるときは早く寝ようね。

 

 バイト。そういえば、いまのバイト結構気に入ってるんだよな。塾講なんだけど。院試ゼミやってたときも感じたけど、誰かに何かを教えるのが好きなんだろうな~って思う。相手の理解度に合わせて「どう説明すればうまく伝わるかな~」って考えてるときもなんだか楽しい。そういう目線で教科書を読み返していると、思いのほか漏れなく記述されていてすごいな~ってよく思う。そりゃまあ、国レベルで使われているものなんだから出来がいいのは当たり前っちゃ当たり前なんだけど。いやでも、すごいことだと思う。すごい。

 

 高校生の頃、自分の作った曲を可能な限り詰め込んだ CD を渡したら喜んでくれた人がいて。今年の春、MIRINN として作った CD を、つい先日、その人に渡してきた。八年越しくらいだと思う。どうして音楽なのって、その日にも訊かれた。「分かんないだよね」と返した。実際、分からないから。昔から歌は好きだったけれど人並みだったと思うし、幼少期の自分に馴染んだ創作道具は紙とペンだった。音楽を選ぶ必然性なんてどこにもなかったなと思うし、これは本当に心の底から。とはいえ、だからそうやって、昔の自分が作った落書きみたいな音楽でも喜んでくれた人がいたから、だからいまも続けてられてるんだよなっていう、そっちの理由はちゃんと解ってる、ずっと前から。流石に本人に直接言うのは無理だったけど、恥ずかしすぎて。でもよかった、ちゃんと渡せて。奇跡みたいな一瞬だったな。高校生の自分に教えてやりたい。

 

 書き始めてから一時間で終わろうと思ってたけど、こんなもんかな。もっと書けることありそうだけど。

 

 そういえば、一時期はバカみたいに顔を合わせていたのに最近はめっきりだった後輩と会う機会があった。心配(?)してくれていたらしい、自分のことを。それが意外だったというわけでは全くないのだけれど、「そういえば、こいつはそういうのを直接言ってくる奴だった!」と思い出して、返す言葉も見つからず適当に誤魔化してしまった。いや、良いところだと思う。そういう真っすぐさはずっと大事にしてほしいとも思う、本当にね。というかまあ、心配してくれ~アピでしかないしな、あれは(アピではないが、でもまあ部分的にそう)。ところで、心配してくれ~って声をあげたはいいものの、いざ誰かに心配されると申し訳なくなるっていうか。自分があまりにも人間的に未熟なせいですまねえ~~~~って気持ちになる。すまん、マジで。でも、ちゃんと終わらせたのは本当だから心配御無用わよ。

 

 アップロードしようとブログを開いたら「今月の PV 数が 100 を超えました!」って書かれてて笑った(みてみたら 150 くらいあった)。今月、まだブログ動かしてないんだけど。どこの誰が読んでるんだよと思いながら、でもまあ、流石にちゃんと分かってるって。いやほんと、ありがとうございます、いつもいつも。拙い文章ですけれど、生きている限りはこれからも生きていますアピをしていこうと思います、ここで。