20211022

 

 最近服を買って、以来、外を歩くという行為そのものが一層楽しくなったような気がしてならないのですが、なんとなく思うこととして、これって音楽と同じだなあというのがあります。いや、これはもちろん自分に限った話なのですけれど、外出中にイヤホンで聴く音楽が結構好きで、家の落ち着いた環境やクラブの爆音で聴くのもそれはそれで好きなんですが。なんていうか、そう、これについてはかなりの大昔にブログへ書いたような記憶があって、あの、没入していく感覚が好きっていうか。イヤホンをしていると、普段歩いている最中に意識へ介入してくるような一切の音が遮断されてしまって、当たり前ですけれど。誰かと誰かの話し声、雑踏、流水の音、エンジン音。そういうのが意識の内側にはなくて、でも一方で風景の中にはそれがあって。少し離れた場所を誰かと誰かが歩いていたり、あるいは人ごみの中にいたり。河沿いを歩いたりすることも、すぐ近くを車が走り抜けていくことだって当然あるわけで。だから、風景の中にはそういうのがちゃんとあって、でも自分の意識の中にはないという状況。代わりにあるものが何なのかといえば、それがだから音楽であって、イヤホン越しの。気分的には、なんていうか、少し前の RPG なんですよね。最近のだとそういった環境音の類もちゃんと用意されていたりするのですけれど、昔のそれってたとえばエリアごとに BGM が設定されていて、この街はこの曲、この草原はこの曲、みたいなのあるじゃないですか。まあ、自分がイメージしてるのはポケモンとかその辺なんですけど、そういったゲームの街中で BGM 以外の音を耳にする機会ってそれほど多くなくて、メニュー操作の効果音やモンスターの鳴き声などはあっても、環境音の類はあんまりないなって(水の音はあったりしますけど)。そう、だからこれなんですよね、イヤホンを着けて街を歩いているときの感覚って。……というのを一言で集約してしまうと、『世界と切り離されたような感覚』ということになるのかなと思います。たしかにずっとの間、自分はこの切り離されたみたいな感覚を気に入っていて、高校生くらいの頃から。そもそもの話、この習慣の発生には対処療法的な側面があったようなという話も、昔どこかで書いたように思うのですけれど、だからまあ、当然の帰結といえばそうという感じで。そうですね。だから、こう、より深く沈んでいけるっていうか。イヤホン越しの音楽へというよりは、むしろその音によって表現されている世界に? いやだから、あれなんですよね。たとえばの話ですけれど、歌詞とうまく嚙み合ったロケーションで音楽を聴くという行為がかなり好きで。そのためだけに少し遠くまで移動するのも吝かではないかな、くらいの。ちょっと前に特に何のあてもなしに三宮、正しくはポートターミナル近辺まで行ってみたんですが、これは一人で音楽を聴くという目的を果たすためというのが動機の七割くらいを占めていたという裏話があったり。他にも、人通りの少ない夜道を歩きながら聴く trance があり得ないくらい好きで、最近全然やれてないんですけど。でも、まあ、そうですね。音楽がそんな感じで、だから要は内面的な領域に潜っていけるのがかなり好きという話になるのですけれど、それって衣服の類も同じじゃね? というのが冒頭で言っていたそれです。いやまあ、これも人に依ると思うのですけれど、自分は別に、こう、周囲から良い感じに見られたいという理由により服を購入したというわけではなく、というか、そういった思考を持てるならそもそももっと早い段階で衣服の類へ興味を向けているはずという話で、むしろ逆に、自分は人からどう見られているのかをあんまり意識していない側だったりしました。人の目を一切気にしていないという意味ではなくて、衣服というただ一点に限ればということです。じゃあどうして今更になって服を買おうとか思ったんだよという辺りについて考えてみると、それはまあ様々な要因があるにはあるのですけれど、一番大きなものとしては少し前の記事でも書いたように、小糸侑さんになりたかったからなんですよね。

kazuha1221.hatenablog.com

いや嘘で、なりたいわけではなく、なんだ、憧れ? 彼女が身に纏っている衣服をみた直後に「めちゃくちゃ良くね?」となり、「これを着るともしかして良くなる?」ともなり、ついには「これ着たすぎるな~」以外に何も考えられなくなり。いや、自分、影響受けやすすぎ? って感じですけど、でも、昔からフードのついている服は結構好きだし、あと黒寄りの紺も色としてはかなり好きな部類で。というか、こうなってくると、もう少し早い段階でファッション誌かなにかを目にする機会があれば何か変わっていたんじゃないのかといま一瞬考え、いやでもしかし、それを着ていたのが小糸侑さんだったからこそ自分はこれほどまでに惹かれたのではという気はかなりしていて、顔も名前も知らないモデル(これは嘘で、顔は知っている)がオシャコートを身に纏った無数の写真群を眺めることで同じ効果を果たして得られただろうかというとちょっと不明なところがあり、でもそれはそれとして、良い感じの黒服を探すためにインターネッツサーフィンをしているときは超絶楽しかったので、知らない人が着ていても問題ないような気がするなと思ったり。これは悪癖なんですが、めちゃくちゃ長い一文を書いているときは基本的にテンション高めで文字を打っているときです。それはさておき、だから結局、いやもう、そうですね。オタクであることを最早包み隠さずに話すんですが、いやもうマジで小糸侑さんになりたすぎるな。なりたすぎる、本当に。なんか、マジで一瞬気の迷いみたいなものを起こしてクリーム色のニットみたいなのを買おうかと思ったんですが、「いやこれはマジで気の迷いだな」と思い普通に陳列棚へ戻しました。いやでもほしい~~~~。マジでほしいです。いや、あの、『いや』が連続しまくっているところから「ああ、こいついまノリだけで文章書いてんな」と察してもらえればと思うのですが、いや、あの、そうなんですよ。買ってみてから気づいたんですけど、世界には恐らく『年相応の服装』みたいな共通観念があるじゃないですか。それはまあ従うも従わないも自由なのでしょうけれど、でもそういうのが恐らくはあるにはあって。そうなると、「これ着たすぎ?」と後になって思い始めたとしても、「いやでも、(年齢的に)ちょっとなあ~」みたいになっちゃうとしたらあまりにも勿体なさすぎるなと思って。いや、『思い立ったら即行動 2021 』です、本当に。ほしいと思ったタイミングで買い、着たいと思ったタイミングで着ましょう、マジで。この話は以上です。ご清聴ありがとうございました。

 この一年間、というか四月初めくらいからですけれど、他の人からの影響で明確に変わったなと感じる自分自身の要素が少しずつ増えてきて。別にこれまでにそういった経験が全くなかったってわけでは勿論なくて、これまでにもたくさんあったんですが、それにしたってこの半年くらいはその類のものが特に多いなと思って。実際、服なんてこれまで興味の欠片もなかったし。漫画とか、小説とか、音楽とか、食や建造物といった文化面でもそうだし、あとはアウトドア系の趣味なんかもそう? なんか、マジで世界が急速に広がっていっているような感覚があって、現在進行形で。もっと色んなものを知りたいし、色んなものを取り込んでいけたらいいなーと思ったり思わなかったり。周りの人の好きなものを知っていきたい 2021 後半戦。対よろ。