夜明けと魔法

 

 夢日記はあまり好ましくない、という旨の言説は頻繁にとは言わずとも、誰もが一度は目にしたことがあるのではというように思うのですけれど、どういった理由でそのような結論が広く知られているのか、よく考えていると全く耳にしたことがないなあという気がします。いえ、正確には聞いたことがあるようなないようなといった具合でして、いやだからまあ結局のところ知らないんですが。どうしてこんな話を始めたかというと、ここしばらく、というのはおよそ一ヶ月ほどですけれど、眠っているときにみる夢の設定が何だか随分と似通っていて、といっても何日か、あるいは何週間かおきくらいにみる程度ですが、それが一言で言ってしまえば『死にゲー』でして、しかもその舞台が自分の地元とプラスアルファという。死にゲーといっても実際に死ぬわけではなく、いや死に至りかねない諸々が夢の世界では跳梁跋扈してはいるものの、場面の切り替わりそのものが訪れるのはいわゆる詰みに差し掛かった瞬間でして、なんだろう、死亡フラグを踏んだ瞬間に「あ、これ終わった」となり、またスタート地点へ戻るといった感じの。その、夢の内容にかかわらず夢から醒めたときには、つまり目が覚めたときには、自分がいま夢の中にいるのか現実にいるのか分からなくなって混乱するといった話を以前書いたような気がするのですけれど、怖い系といいますか、今回の場合は別に怖くはないんですが、ただ同じようなシチュエーションの夢を何度かみているといよいよ極まってくるといいますか、そういった次第なので二度寝を決め込むのも何だか億劫で、そうしていまは睡眠時間が圧倒的に足りていないにもかかわらずとどのつまり時間を持て余しており、やることねえ~と思いつつブログの記事を書いています。夢って、ここでの夢は眠っているときにみる夢ですけれど、自分の中であんまり概念的には定着していなくて、それはつまりどういうことかといえば、たとえば歌詞なんかを書くときに夢という言葉を使って何かを表現しようとはまずならないなという意味でして、逆にいえば空とか青とかは随分と原義から離れたところにカテゴライズされており、なんていうか、そこら辺の違いって何に由来するものなんだろうといまふと思いました。空とか青とか、そういったものに特別な思いを馳せたことがあるかと言われれば、いやまあ勿論無いとは言いませんけれど、外を歩いてるときとか空を見上げますし、しかし夢に比べて目に見えた大差があるかと言われればそれは無く、毎晩とは言わずとも週に一度はみますし。これも結局は好みの話だったりするんでしょうか。だったらその好みというのがどこから形成されているのかということになりますけれど。うーん。

 

『夜明け』という言葉に対してプラスの印象はあまりなくて、だからってマイナスの印象も特にないんですが、どちらかというと若干マイナスに偏ってるかなあという、49:51 くらいで、自分の中で夜明けの類義語を探すのであればそれはタイムリミットということになったりします。タイムリミット。時間切れ? いったい何の時間が切れたのかといえば、なんだろう、かくあるべき時間みたいな……。いま自分は悲しんでいなきゃいけないんだっていうとき、ないですか? 悲しくもないのに無理に悲しんだふりをしているというわけでは決してなくて、実際、わけがわかんないくらいぐっちゃぐちゃになったはずで、それなのに時が経って気がついたときにはいつも通りの毎日に戻っていて、そのことをふと自覚して「こんなのでいいのかな」ってなる、そういうときってないですか? 自分の中での夜明けはつまりそういうことで、タイムリミットで、勝手にやってくる解決といいますか、だからといって感傷の海に沈んだままでいるのが正常だとは到底思えず、そんなわけで若干マイナスに偏った、とはいえほとんど中立の用語という風の認識をしています。一方で『夕焼け』については若干プラスに偏った印象をもっているのですが、それはさておき。これまでの活動時間を総計するとほとんどすべての人類は、いかに不健康な生活を送っていたところで圧倒的に昼型だということになると思うのですが、そこにある種の優劣をつけるというわけでもないんですが、昼の時間に多くの思い出があるのと同じくらい、夜の時間にも大切な思い出がたくさんあって、本当にどちらかといえばという程度の差で自分は夜のほうを好意的にみており、だから夕焼けは若干プラスで夜明けは若干マイナスなのかなあと思ったり思わなかったりしています。どうなんでしょう。

 

『魔法』も自分の中で概念的に定着している言葉の一つです。ステッキを振ったら変身できるみたいな、そういう分かりやすいものではないのですけれど、なんていうか、先ほどみたいに類義語を探すのであれば嘘になるのかなという気はします。嘘。いや、若干違うのかな。嘘っていうか、伝説? この雨は雲の上にいる神様が降らせているのです、みたいな。それもまた嘘と言えばたしかに嘘ですけれど、しかしそれは範囲を広めにとりすぎている故といいますか、まだまだ精密化できるといいますか、だからまあそんな感じです。伝説。魔法が実在するのだと信じていたという時期は、もしかすると幼少期とかにはあったのかもしれませんけれど記憶の限りでは無く、一方でしかしながらどこかにあればいいのにとはいまでも少し思います。ないんですけどね、そんなの、どこにも。でも、魔法がどこにもないことがつまり魔法の一つなんだよなという錯覚が自分の中にあり、かなり感覚的な話ですけれど。空を見上げてふと誰かのことを思い出してしまうのって、それは別に魔法なんかじゃないですし、何度も繰り返すように魔法なんてどこにもないわけですけれど、それを分かった上でそう呼ぶのは、だからとても素敵なことだなと思うことが少なからずあり、自分では思いはしても言いはしないですけど、物語の中だとそういうことをついやってしまいがちです。心臓を取り替えてでも忘れてしまいたかった何かが、いつの間にか手放したくない何かになっていて、それは夜明けのタイムリミットにも通じるところがありますけれど、だからそれを、夜明けを乗り越えた先のお話といいますか、一方的に与えられた解決を自分のものとして受け入れたときの何かを言い表す言葉が、それが自分にとっての魔法なのかなあという気がします。だから、魔法がどこにもないことが、つまり魔法の一つなんだよなっていう、そういう話でした。

 

 ブログってなんかオチがないとダメみたいな気持ちになってよくないですね。これ以上は特に何もないです。おやすみなさい。