今週読んだ本についての話2+a

 

 

 これは割と切迫した問題なのですけれど、只今僕の下宿に設置されているエアコンを操作するためのコントローラが絶賛不調中でして、ここ数日間ほど暖房がつけっぱなしになっているんですよね。消せないんですよ、エアコンを。しかも昨日まで僕は大阪の実家にいたので、本当に何の意味もなしにつけっぱなしだったんですよね。無人の空間を三日間も暖めてくれていたエアコンのことを想うと非常に申し訳ない気持ちになってきます。ごめん。換気したいなあと思ってもエアコンを消せない故に窓を開けるのが何だか勿体ないように思えて、そのせいか何だか部屋全体が息苦しいです。明日にでも管理会社の方へ連絡するつもりです。覚えていれば。

 

 今週は『サクラダリセット1 猫と幽霊と日曜日の革命 / 河野裕』を読みました。

www.kadokawa.co.jp

 以前、階段島シリーズをまだ手元に置いていなかった頃、それらの作品が気になっているという旨のツイートをした際にとある方から「作者はサクラダリセットの方ですよ」と教えていただいて、それからずっと気になっていたんですよね。サクラダリセット。名前だけは知っている。たしかアニメだったと思う。世界をやり直す、的なあらすじだった気がする。当時の僕はその程度の情報しか持っていませんでした。気になってはいるけれど、そこまで積極的に読もうともしていなかった僕は、しかし先週紹介した風牙を購入したのと同じ日に、大きめの本棚に陳列されたサクラダリセットを偶然目にしてしまい、そして特に躊躇うこともなしにレジへと向かったのでした。こうして積読は重なってゆくのです。

 

 内容についての話も少しだけ。

 全体的に「はい、河野裕~~~~~」って感じでした。比喩と情景描写と回想と謎がドバドバ流れてきて、気がついたら最後の頁まで辿りついてしまっていた、って感覚は相変わらずだなあと思います。物語の終わらせ方もよかったです。何もかもが幸せに終わる終幕よりも、幾らかのどうしようもない不幸が残る結末の方がキャラクターに誠実であると僕は思います。ハッピーエンドもそれなりに好きですけれどね、勿論。

 

 木曜日から今日の朝までにかけて馬鹿みたいな量の文章を書いていたので、文字を書こうという気力がいま全くありません。サクラダリセットの話がしたいのに。俺はゴミだよ。それに、もうあと一冊くらいなら余裕で読めたと思うのですけれど、しかしそれのおかげで全然でした。むーん。

 

 

 +aの話をします。アドカレに書いたことの補足です。

 絶好の聞き手でありたいというのが僕の主張でしたが、より本心に近いことを言うのであれば、誰かの理解者でありたいと願っています。理解者。なんとも胡散臭い言葉ですね。「趣味:人間観察」と同レベルには信用なりません。大体、理解者って何なんでしょうね。「あいつは俺のことを分かってくれているはず」みたいなアレですか。いや、そんなのありえないですって。人間が如何ほどに自分のことしか考えていないかということは、これまでの人類史が雄弁に物語ってくれているじゃないですか。誰かが他の誰かを理解するなんて土台無理な話で、まあ何かしらの技術特異点が訪れてそれこそSFの世界みたいな感じにでもなれば話は別なのでしょうけれど、そんなことはほとんどあり得ないわけで、車は空を飛ばないし、秒針は同じ向きにしか回らないし、他人を理解することも当然できないわけですよ。だから、理解者っていうのはそういうのじゃないんです。僕が『理解者』という言葉に与える定義は、分かり合えるはずのない他人を理解しようとできる人、です。そんな人間になれればいいと思います。

 なれればいい、と言っているということはつまり僕はまだまだその域へ達せていないということです。何もかもを理解したいわけではないので外野のことはどうでもいいのですけれど、身の回りの誰かにしたって、自分には理解できないからと言って一方的に嫌うことがそれなりにあります。本当に駄目な奴だと思います。周りの人たちを見ている限りでは、どうにもその思考はあまり一般的ではないようで、だから、それは僕の弱さなんです。強くなりたい、と考えたことはないですけれど、あまり弱いままでもいたくないな、と最近は思います。まあ僕は愚かなので、しばらくしたらまた同じことを繰り返すのでしょうけれど。

 僕が誰かの理解者でありたいと願うその動機は、他ならぬ僕が理解者に助けられた経験を持っている故です。彼の話です。言葉の意味を教えてくれたのも、遠い世界の話を聞かせてくれたのも、自分に名前を与えてくれたのも、彼が何もかもの始まりだったと僕は本心から考えています。彼と僕はまったくの真逆で、意見が合うことなんてほとんどなくて、それでも彼は僕と話すことを選んでくれて、たったそれだけのことに僕は救われていたわけです。こんなことを幾ら書き捨てたところでもう手遅れなんですけど。彼が僕の理解者であろうとしてくれていたことに気づくのがいくら何でも遅すぎたと後悔しています。いまにして思えば、なんてことはいくらでもあります。だから僕は理解者でありたいと願うわけです。あの記事にはそういったメッセージを込めています。

 半年以上前にも似たような話をしているんですよね、実は*1。でも、あのときよりは少しだけ成長できているような気がします。少しだけ、ですけれど。

 

 

 

今週読んだ本についての話1

 

 暖房を23℃に設定すると快適に起床できるという事実が最近の個人研究により明らかとなったのですが、本日早朝、当研究に対するアンチテーゼとして『暖房が快適過ぎてベッドの上から動かなくなる問題』という論文が発表されたようです。自分の風向き調節が下手なのか、あるいは元からそういった設計なのか、我が下宿の暖房くんはベッド周辺を温めることばかりに躍起になっていて、肝心の作業スペース周辺は依然として南極ばりの冷気に包まれています。作業机と窓がべらぼうに近いということも寒さの一因にはあるのでしょうけれど、しかし、おかげで全く作業する気になれません。まあ、やるべきことはちゃんとやってるんですけどね。

 

 嘘です。来週提出のレポートが二つほど残っています。ガロア理論、何も分からん。

 

 

 今週は『風牙 / 門田充宏』を読みました。

www.tsogen.co.jp

 工業規格によって定められた用紙の大きさを区別することが僕は未だにできないのですが、宛てにならないことに定評のある僕の勘が正しければB6サイズです。比較してみたところ物語シリーズと同じサイズでした(でかい)。そのうえで本書は350ページ近くあるので、それはもう読むのに結構な時間を使いました。と言っても八時間弱ほどのような気がしますけれど。

 

 とりあえず購入に至った経緯なんかを書いてみようと思います。毎週一冊、本を読もうぜ的な企画を絶賛進行中*1だというのは先週の記事で触れた通りなのですが、本書を購入したときにはそのような思惑は一切なくて、諸事情あって梅田に在る某書店内をうろうろしていた際に、不意に「いや、SF読みてえな」と思い立ったその勢いに押されるがまま購入しました。某書店はめちゃくちゃに広いので、偏にSFと言っても候補は他にも大量にあったのですが、その中でもこれを選んだのは表紙のイラストに釣られたからです。主人公の女性で、関西弁を話します。可愛い。イラストに釣られたというのは二割くらい冗談だとして、帯に書かれていた謳い文句が気に入ったから、というのがより大きな要因です。『あなたの記憶をお預かりします。』というやつです。これはちょっとした自分語りになってしまうのですけれど、一年半ほど前の自分はいわゆる感情だとか心だとか、もっと言えば自己という認識だとか、そういった非論理的な代物は実際問題この身体のどこにあるのだろうかということを考えるのに少しハマっていて、それで脳科学だとかの本をちょっとだけ読んで――まあ普通に投げ出したわけなんですが*2、だからというか何というか、根源的に興味のある話なんですよね。記憶とか何だとかって話題は。そういうわけで購入した次第です。

 

 内容についても話します。まだ一度しか読めていないので、どこか間違えたことを書くかもしれません。許して。

 本作はSFなので例に漏れず科学技術がめちゃくちゃに発展しているわけですが、この世界では、本来は個人の中にしか残らない代物である記憶を第三者にも観測できるように抽出し変換するという技術が存在しています。そして、それを執り行うのがインタープリタと呼ばれる記憶翻訳者たちであり、本作品の主人公である女性、珊瑚はその中でもエース級の技術を有しているとされています。誰でも彼でもインタープリタになれるのかといえばそういうわけでもなくて、彼らは先天的あるいは後天的に獲得した過剰共感能力というものを駆使して翻訳作業を行うので、それだけが必要不可欠です。まあもちろん訓練とかも要るんですけれど。「過剰」という言葉から想起される通り、この能力は本来社会を生きていく上では障害としか見做せない代物とされています。しかし、類稀なるその力を有効活用しようと試みたのが不二という男性であり、その不二が設立し、かつ珊瑚の職場でもあるのが九龍という会社です。作品名にも冠されている「風牙」という物語は、九龍内で起こったとある問題にいざ立ち向かおうとする場面から幕を開けます。

 

 書評って苦手なんですよね。以前書店を訪れた際に陳列されていたそれ系の本を興味本位で読んでみたのですけれど、「いや、もう、ただ嫌いなだけならわざわざ読むなよ」と言いたくなるくらいに他人の作品をめちゃくちゃに貶していて、こんなに稚拙な本でも出版できるんだなあ、と出版業界の寛容さにただただ驚嘆するばかりでした。著者をみたら東大出身の方でたしか五十歳前後でしたね、ウケる*3。理性的な批判こそは読者によって行われ、著者はそれを受け止めるべきだろうと思いますけれど、しかし、にちゃんねるの片隅に書き殴られている様が何よりも相応しいであろう凝り固まった思想の結晶を、理性的なそれなのだと勘違いして悦に浸っている人間だけはどうも苦手です。一生言葉に踊らされてろ、と思います。

 

 話が逸れた。本を読んだ感想についても少し話します。ブログへ公開するだけなら上に書いた分だけでも十分に事足りるのですけれど、知見というか、通じて得たものを書いておかないと自分のためにならないんですよね。すぐ忘れるんで。

 話の始まり方がめちゃくちゃに唐突でした。いやもう、マジで。「誰?」って人がポンポン出てきて、「何?」って概念がドカドカ出てきて、気が付けば中盤に差し掛かっていた、みたいな印象を受けました。普通の小説でもまあこれくらい普通にやってる事なんですけれど、SFは特殊設定が頻発するので未知の概念が多すぎて、自分の中でうまく想像しきれなかったというのがあります。単に自分がSFを読み慣れていないから、という原因も考えられます。というか多分それが正解です。とはいえ、二十ページを過ぎる頃には大まかな輪郭がぼんやりながらも掴めてきます。世界を構成している法則を言葉でなく具体的な状況描写で説明するってのは、なるほど、それもそれでアリだな、という気がしました。それに、風牙内での設定を最も効果的に伝えようと思えば、開幕はああいうような展開にするのがたしかに最適なのかもな、と思います。自分は物語の書き出しでめちゃくちゃに迷う人間なので、説明なんか後回しでとりあえず始めちゃおうぜ、という姿勢*4は自分にとって大事にすべきなのだろうなあ、という気持ちになりました。

 水と魚の話です。この比喩は伝わる人間にしか伝わらないので、割と本心に近い事が言えますね。暗号かよ。めちゃくちゃ水が少ないです。思い返してみれば、なんですけれど。でも、読んでる途中は全く気にならなかったんですよね。状況の描写や、システム周りの話、それと要所要所で挟まれる珊瑚の内心描写のおかげでしょうか。SFだとこういうことができていいですね。

 

 これくらいしか話せそうにないなあ、という気がします。あまり踏み込んだ話をするとネタバレになっちゃいますからね*5。本作は四つの短編*6からなる作品ですが、僕は特に三番目の話が好みでした。このブログだったり、あるいは普段からだったり、自分が言っていることと同じようなことを考えている人がいて、そしてそんな人の綴った物語がいま一冊の本として自分の手元にあるのだという事実に、僕にはとても嬉しい気持ちになります。第二話は特にその毛色が強かったですね。いやあ、よかった。いい買い物をした。本を買うときに僕は値段を見ることなしに会計へもっていくようにしているので、レジで2,000円越えの支払金額が表示されたときにはギャグマンガかよってくらい目を見開きましたが。

 

 このペースなら、文庫本サイズであれば一週間で二冊くらい読めそうな気がしますね。気がするだけなので、読めるとは言いませんけれど。

 残りの積読数は6です。

 

 

 

*1:参加者一名。

*2:生物学の基礎知識が無さすぎて終わった。物化勢はゴミ。

*3:こういうのを老害って言うんだよな、マジで。

*4:門田先生がそういう意識で書いたとは言っていない。

*5:ネタバレは悪という立場。

*6:全然短くない。

これまで読んだ本についての話

 

 本当に突然ですが、これまでに読んだ小説作品の中で特に面白いと感じたものや心に残っているものについて、自分が考えているあれこれを少しだけ書いてみようと思います。大した数は読んでませんし、読書量が徐々に増えつつある今でも多分ライトノベルの方が読んだ数は圧倒的に多いです。僕はそういう人間です、よろしくお願いします。

 

 

・『鬼物語』:西尾維新

 まあ、そういう作品を順に挙げていけと言われれば、真っ先に答えるのはきっとこれになるのだろうと思います。僕が物語シリーズに心酔しているのは先日の記事でも話した通りですが、その中でも特に印象深く記憶されているのは鬼物語です。あまり詳しく言うとただのネタバレになるので詳細を語ることは避けますが、御都合主義のハッピーエンドだけが物語というわけでは決してないんだなと痛感したのはこの作品が最初でした。そんな僕の感動は、あるいは人によっては薄っぺらなものとして映るのかもしれませんが、しかし当時中学三年生か高校一年生ほどだった僕にとっては非常に価値のある経験だったのです。最後の一文が大好きです。

 

・『いなくなれ、群青』:河野裕

 次点で挙げられるのは多分これです。ちょうど一年くらい前、大学生協の書籍コーナーで偶然目に留まって購入した一冊です。いや、この作品に巡り合ったのは本当にただの偶然で、手を伸ばし購入したのもただの気まぐれだったのですが、しかしながら、もしもこの作品に出会ってなかったらどうなってたんだろうなあというのが全く想像できないくらいには、僕の内にはっきりと息衝いている物語の一つです。西尾維新の次くらいには影響されていると思います。ちょっとした自分語りをすると、僕は作品のタイトルにめちゃくちゃ拘りたいタイプの人種で、『いなくなれ、群青』に出会うよりも前に『その一言だけで』『あの日殺した少女はきっと』というタイトルの作品を書いていたのですが、なんというか、似たような何かを感じたんですよね。シンパシーというか。購入した理由はそれだけです。こればかりは色んな人に読んでほしいなあと僕は思います。比喩表現がいちいち綺麗です。

 

・『さよなら神様』:麻耶雄嵩

 これもタイトルとあらすじだけで買ったやつです。まだ実家から大学へ通っていた頃、僕は大学の帰りに何の目的もなく駅前のTSUTAYAへ入って小説が陳列されている棚の前をうろつく不審者のコスプレをよくしていたのですが、その際に目に留まったのが『さよなら神様』でした。第15回本格ミステリ大賞受賞作品らしいです。ミステリなのでこれも多くを語るとネタバレになるのですが、当たり障りのない範囲で話すと、この作品には「何でも知っている神様」という存在が平然と出てきて、しかも作中で順に紐解かれていく殺人事件の犯人を最初のページの一行目で教えてくれるのです。親切な神様です。犯人の分かってるミステリなんて面白くなくね、って思うじゃないですか。めっちゃ面白かったです。色々と逆なんですよね。何というか、本来は負の側面が強すぎるはずの要素を、これでもかってくらいに上手く使ってくるんです、この作品は。それらに説得力を与えているのは、プロットだったり舞台設定だったりなのでしょうけれど。大して読んでない奴が言っても説得力ないでしょうけれど、純粋にミステリとして楽しめました。おすすめ。

 

・『リカーシブル』:米澤穂信

 最近読んだミステリです。クローズドサークルというと孤島だとか山荘だとかが一般的には連想されますが、閉鎖的なムラ社会というのもミステリに十分相応しい舞台だと思います。不可解な伝承だったり奇妙な信仰だったり、あるいは部外者が受けるそこはかとない疎外感、解り易く不穏な気配、ムラ社会というやつはそういったものに言葉で説明するよりもずっとはっきりとした説得力を付与してくれます。めっちゃ強い。この『リカーシブル』もその手の舞台設定で、最初から最後までずっと作中には奇妙な空気が漂っています。目の前の茂みにはたしかに何かが隠れている気配がするのに、一方でその姿はおろか影一つとしてまるで見えやしないような、そういった朦朧とした薄気味悪さが頁を捲る手を止めさせません。しかも読めば読むほどに意味が解らなくなっていく。いや、すごい、マジで。是非読んでみてください。

 

 

 以上、四作品でした。作品の話は全然してませんけど、まあ『物語シリーズ』と『階段島シリーズ』については今更取り立てて話さなくてもいいだろ、という甘えがあります、許して。

 ちょっと真面目な話、いきなりこんなことを始めた経緯についてですけれど、僕は現在とある目的意識の下、読書量増やしていかなきゃダメだよなあ、と薄らぼんやり考えているのですが、しかし勉強机に高く積み上げられた本の山は一向に低くなりません。これはまずい。そういうことで、毎週日曜辺りを目安にその週に読んだ本について話す記事を書いていこうと思います。とりあえず今回は初週としてこれまでに読んだ本について話しました。来週からはその週に新しく読んだ本について話します(ちゃんと読めたら)。これで年間読書量、とりあえず五十冊くらいを狙っていこうという魂胆です。僕は愚かで怠惰なので、こうでもしないと本を全く読まないんですよね。はあ。

 最後に現在の積読数(怠惰の象徴)を公開して終わりにしようと思います。

 

・現在の積読数:7

 

 来週から頑張るぞー。

 

好きなものについて色々1

 

 

 はい。本日もやってまいりました、お馴染み「好きなものについて色々」のコーナーです。本コーナーでは僕が好きなものをひたすら挙げていきます。飽きたらやめます。

 

・好きな色:黒、白、青

 最初に思いついたのが色でした。パッと出てくるのが多分それに当たるので正直に書きますけれど、黒色と白色、それに青色が好きです。というか好きな色って何なんでしょうね。好きとか嫌いとか、そういう量で測れるものではそもそもないような気が薄々としています。まあそれはそれとして、僕は上の三色が好きです。あくまでベースとしての三色ですから、たとえば青と白を混ぜた水色とか、黒と白を混ぜた灰色だとか、その辺の色合いもお気に入りです。というか、純粋な白があまり好きではないのかも。よく分かりません。

 

・好きな季節:冬

 たとえば春と秋は虫が多いから苦手だとか、あるいは夏はただ単純に暑いから嫌だとか、そういう理由もなくはないのですけれど、でも周囲が大なり小なり変化するという側面を切り出せば春はいいものですし、夏はたしかに暑いですが長期休暇に合わせたイベント等が多く催されているので退屈しませんし、秋にしたって歩道に落ちた紅葉の層を踏みしめながら歩くあの瞬間は何物にも勝ると考えてはいますけれど、それらを十分に加味した上で考えても冬が一番好きですね。冬独特の空気感というか何というか、僕は基本的に人混みが大嫌いなのですが、でも冬の匂いを一帯に纏った都会は割と好きです。この季節だけは意味もなく街を歩きたくなります。冬は至高。

 

・好きな音楽:割となんでも

 この前、自分が好きな音楽について語る記事を書きましたけれど、まあぶっちゃけた話、割と何でも聴きます。自分から進んで聴くのは、たとえばあの記事で語ったようなボカロ曲だったりゲームBGMだったりなんですけれど、それは単に新しく探すのが面倒だからであって、別にアイドルソングだろうが洋楽だろうが勧められれば多分聴きます。日本語のラップだけはあまり好きじゃないなあと思っていたんですけれど、よく考えてみたら昔はORANGE RANGEとかよく聴いてましたし、何ならいまでも普通に好きなので本当に何でもいいんだと思います。いや、でも、歌詞が段違いでかっこ悪いやつだけは一度ならまだしも二度は聴かないかもしれないな。

 

・好きな四字熟語:換骨奪胎

 言葉の意味は好きでもなんでもなくて、単に字面が好きです。ヤバくないですか? 骨をとり換え胎を奪う、ですよ。いや、何語だよ。比喩にしても限度ってもんがあるだろ。なあ。

 

・好きな果物:林檎

 宗教上の理由で、林檎以外を果物として認識することができません。嘘です。林檎くらいしか食べた記憶がないからです、って書こうとしたんですが、いや、よく考えてみたら蜜柑の方がその数倍は食べてるなあ、と思いました。あとは梨とか。まあ梨はそんなに好きじゃありません、比較的さっぱりしているので。蜜柑は……何でだろ。林檎の方が自分にとっては美味しかったからかなあ。

 

・好きな飲み物:お茶全般(それ以外だとリンゴジュース)

 宗教上の理由で、お茶と水以外を口にすることができません。マジです。宗教上の理由ではありませんけれど、紅茶もコーヒーも全く飲めません。前者は甘すぎるし、後者は苦すぎる。飲めるようになりたいともあまり思っていません。だってお茶で事足りるし。お茶以外だとリンゴジュースが好きです。次点でカフェオレ。

 

・好きな作品:物語シリーズ

 恐らくは僕の知り合いであればそれなりの人が知っていることだとは思いますけれど、僕は物語シリーズが大好きです。めちゃくちゃ好きです。好きが高じて高校生の頃にクラスメイトから「まよい」と呼ばれていたという話はあまりにも有名です(物語シリーズでは八九寺真宵というキャラクターが登場する。可愛い)。文章を書くという面ではかなりの影響を受けていると思います。たとえば僕がこんな文体で物を書くようになったのは物語シリーズの地の文がこういった書き方をしているからですし、ダッシュ記号とか、あるいは接続をやたら使いたがるのとか、その辺も物語シリーズ(というか西尾維新)の影響ですね。人格面でも少なからず感化されていて、たとえば終物語とかは当時高校生ながらかなりの衝撃を受けた記憶があります。老倉さんのやつね。僕の家には原作が偽物語以外は揃っているので、気になった方はいつでも声を掛けてください。貸します。

 

・好きな作品:うみねこのなく頃に

 これはあまり公言していない、というのも何年も前に完結した作品だから話題に上がることがそもそもないのですが、僕はうみねこも大好きです。物語シリーズと違って、こちらは知らない人が多そうなので概要を大雑把に話そうと思います。

 ジャンルは一応ミステリで、クローズドサークル(名前は六軒島)において二日間にわたって行われた連続殺人の真相を暴く、というものです。島には初め十八人の人間がいて、「右代宮」という姓を有する金持ち一族と「右代宮」に雇われた支配人が数人います。で、最後には全部で十三人が死にます。この時点で結構すごい。殺意どんだけだよ、ってなる。一応ミステリ、と紹介しましたがここで一応と断ったのは、作風としてはファンタジーの側面がかなり強いからです。魔女が出てくるし、魔法が出てくるし、悪魔が出てくるし、何なら先の十三人は全員魔法で殺されます(それ故にかなり悲惨な死に方をする)。「ミステリ VS ファンタジー」という構図がうみねこという作品の特徴であり、「十三人は魔法によって殺された」というファンタジー側(魔女)の主張を退け「十三人は人間によって殺された」と証明する、というのが主人公の主なる目的です。これだけでも面白そうじゃないですか? でも、うみねこの特徴といえばもう一つあって、それが何かと言えば、この作品って純粋な推理ゲームなんですよね。というのも、魔女(犯人)が作中において「絶対に正しい」と保証された真実をいくつか教えてくれるのです。これはちょっとした愚痴なんですけれど、つまらない作品だとよくあるじゃないですか、「実はアイツは死んでいなかった」とか「隠し通路があった」とか「密室だと思ってたら本当は密室じゃなかった」とか、そういうアンフェアなやつが(伏線がちゃんとあれば別)。そういったことを綺麗さっぱり否定してくれます。だから本当にただの推理ゲームになっています(もちろん対等ではないけれど)。その上でよく分からん密室とか不可能殺人とかが次から次へと出てくるので、一度立ち止まって考えてみるのがめちゃくちゃに面白いです。

 というわけで、以上が「うみねこ」の紹介でした。気になる人はsteamとかで販売されていると思うので購入してみてください。ノックスの十戒とかヴァン・ダインのニ十則、モンティ・ホール問題を最初に知ったのもたしかうみねこだったなあ。話し過ぎた。

 

・好きな国:ノルウェー

 別に好きでも何でもないです。北欧が好きなだけです。

 

・好きな定理:グリーン・タオの定理

 一回生後期に思いついた整数問題があって、それは次のようなものでした。

 

正の整数からなる等差数列a[n](n=1,2,…)があって,その公差は正とする。次の条件を満たす公差が存在するような整数kの最大値を求めよ.

 (条件):a[1],…,a[k]はすべて素数

 

 実際にやってみたら全然見つからないんですよね、これ。k=5くらいまではすぐなんですけれど。そこで条件を少し変更して「a[1]は素数で,任意の素数pについてa[1],…,a[k]のうちpで割り切れるものは高々一つしかない」とすると、この場合は数列に合成数が許容されるので条件が緩くなったのかなあと思えば、これだと答えが出てくるんですよね(高校数学範囲で普通に解ける)。そういうわけでまた上の問題に取り組むことになったんですが、まあ解けなかったんですよ。当たり前ながら。というか素数であることを全く活かせてないからな。等差数列て。そこでTwitterにてこういう問題を考えているというツイートを流してみました。何か知ってる人がいたりしないかなあという淡い期待を込めての行動だったのですが、これが見事に功を奏して、実は上の問題、2004年にBen GreenとTerence Taoという数学者によって証明されていたんですよね。本当に驚きました。やっぱりみんな同じことを考えるんだなあと思いました。というわけで、グリーン・タオの定理が主張するのは次の事実です。

 

「任意の自然数kに対し,k個の素数からなる等差数列が存在する.」

 

 これだけでも十分意味不明なのに、この定理はさらに次のように拡張されています。

 

「k個の一変数整数値多項式P1(x),…,Pk(x)(ただし定数項は0)に対し,x+P1(m),…,x+Pk(m)が同時に素数となるような整数x,mが無数に存在する.」(Pi(m)=imとすると先の定理に一致する.)

 

 なで?

 ちなみに証明の全貌は以下のサイトにて日本語で読めます。すごい。

integers.hatenablog.com

 

 以上「好きなものについて色々」のコーナーでした。好きなものについての話は聞くのも楽しいですが、話すのも楽しいです。ブログってこういう用途で使うのが普通なんですよね、多分。気が向いたらまたやりたいです。とりあえず今は時間が押しているので一刻も早く百万遍へと向かいます。

 

 

 

スカイブルーナイトメア

 

 

楽曲『スカイブルーナイトメア』を投稿しました。

www.nicovideo.jp

 

mp3、wav、オケなどの音源は以下のリンクからダウンロードできます。

https://drive.google.com/open?id=1Qo1e1V3kblqXszxDQZQZM_PFWIe0gRZv

 

 

【歌詞】

数年前の夏影 一緒に飛び込んだ星空

見えないふりをした傷 見えなかった涙

 

誰にも触れられたくなくて だけどそれでも知ってほしかった

青に塗れた落書きを 夜明け色の空に 唄う

 

数年ぶりの夏空 通り過ぎていく飛行機が

蝉時雨をかき乱す あの夏のように

 

ずっと其処に在ったはずの 暖かな思い出だって

陽炎のように消えるんだ 解っていたよ

 

いつか触れた君の声は いまじゃとても遠いけれど

僕はそれがただ怖くてさ 空を見上げられなかったんだ

 

そう 僕らは今日も迷いながら いつか見えた星を目指す

指先にそっと触れた白も掴めないよ 僕なんかじゃ

 

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に いつまでも溺れていようよ

 

数年前の夏空 通り過ぎていく飛行機を

不思議そうに眺めていた あの夏の日のこと

 

空っぽだったはずの 二人掛けのベンチにさ

君が座っていたんだ 気付けばずっと

 

いつか触れた君の言葉は いまも此処に置き去りのまま

僕はそれを手放せなくて 空に背を向けていたんだ

 

そう 僕らは今日も迷いながら いつか見えた星を目指す

指先にそっと触れた白は 君と暮れた夏の色さ

 

そう 僕らはいま目を覚ました いつか見えた夏はもう来ない

だって知っていたんだよ 解っていたんだよ 君はきっと消えてしまうんだって

 

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に いつまでも溺れていたかった

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に さよならを

 

スカイブルーナイトメア

 

 

【コード】

・イントロ

Bm – Bm – G – G – D – D – A – A

Bm – Bm – G – G – D – D – A – [A – B♭dim]

Bm7 – Gadd9 – D – A – Bm7 – Gadd9 – D – A

Bm7 – Gadd9 – D – A – Bm7 – Gadd9 – A – A

・Aメロ(1)

Bm – Bm – G – G – D – D – Asus4 – [Asus4 – B♭dim]

Bm – Bm – G – G – D – D – A – [A – B♭dim]

・Bメロ(1)

Bm – G – D – A – Bm – G – D – A

Bm – Gm/B♭ – D/A – A♭m7-5 – G – Gm – D – D

・サビ(1)

Bm7 – Gadd9 – Asus4 – [D – G♭/D♭] – Bm7 – Gadd9 – [Em – Asus4] – [D – G♭/D♭]

Bm7 – Gadd9 – Asus4 – [D – G♭/D♭] – Bm7 – Gadd9 – [Em – Asus4] – [D – G♭/D♭]

G – A – B♭dim – Bm – B♭ - C -Dsus4 -D

・Aメロ(2)

Bm – Bm – G – G – D – D – Asus4 – [Asus4 – B♭dim]

Bm – Bm – G – G – D – D – A – [A – B♭dim]

・Bメロ(2)

Bm – G – D – A – Bm – G – D – A

Bm – Gm/B♭ – D/A – A♭m7-5 – G – Gm – D – D

・サビ前(2)

Bm – G – Asus4 – [D – G♭/D♭] – Bm – G – [Em – Asus4] – [D – G♭/D♭]

Bm – G – Asus4 – D – Bm – G – [Em – Asus4] – N.C.

・サビ(2)

N.C. – A♭add9 – B♭sus4 - [E♭ - G/D] – Cm7 – A♭add9 – [Fm – B♭sus4] – [E♭ - G/D]

Cm7 – A♭add9 – B♭sus4 - [E♭ - G/D] – Cm7 – A♭add9 – [Fm – B♭sus4] – [E♭ - G/D]

A♭ – B♭ – Bdim – Cm – B – D♭ - Cm – Gm/B♭

A♭ – B♭ – Bdim – Cm –N.C. - B – D♭ -E♭sus4 -E♭

・アウトロ

Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭ - Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭

Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭ - Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭

Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭ - Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭

Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭ - A♭ - A♭ - B♭

 

 

【コメント】

 自分一人で完成させた歌モノとしては二曲目に当たります。歌詞やメロディ、コードの原案は以前からあったおかげで、直近一週間くらいでババーッと作れました。久しぶりに思い通りの作曲が出来て楽しかったです。

 

・曲について

 サビでボーカルと同じメロディをなぞっているベル(Aメロにもちょっとだけ入ってる)、サビでコードの和音を鳴らしているシンセ以外は全部komplete付属のkontaktに入っている音源です。いわゆるサンプリング素材を全く使わなかったのは初めてでした。あと、ピアノを曲中に一度も入れなかったのも多分初めてじゃないかな?

 ボーカルは闇音レンリさんです。「Synthesizer V」というフリーソフトウェアを使って打ち込んでいます。めっちゃくちゃに使いやすかったので「フリーの合成音声使ってみたいけど、UTAUの操作は全く分かんねえ」って人はとりあえず導入してみてください。世界が変わります。ちなみにAメロ以外ではUTAUの方の闇音レンリさんも主にサイド成分で重ねており(2サビ前のところが一番分かりやすい)、またサビのハモリもUTAU側の闇音レンリさんです。「Synthesizer V」はめちゃくちゃ調声がしやすいんですが、一方で僕はUTAUの闇音レンリさんの声がかなり好きで、折角だしということで両方入れました。ちなみに歌詞が先で曲は後です。

 コードを載せているのは気分です。特別なことは何もやっていません。単に6415をぶん回しているだけです。Bメロの下降していくところは後付けなんですが、割とお気に入りです。

 バンドサウンドは自分の中で到達点の一つでした。打ち込み故の荒さや安っぽさはあっても、最後まで形に出来て本当によかったです。またやりたい。

 

・歌詞について

 詞を書こうとなったときにテーマとかは特に考えてなかったんですが、全体の象徴として「青空」を使うことはだけは決めてから書き始めました。朝起きたときに窓から不意に見えた空がめちゃくちゃ綺麗だったんですよね、たしか。それでバーッと書いたという経緯です。「空」、「声」、「星」、「白」と、自分の好きな言葉がこれでもかというくらいに入っているあたり、勢いだけで書いた感がすごい。

 イントロの歌詞だけは三、四時間くらいかけて考えました(たった四行なのに)。だから、この曲で言いたかったことは最初のフレーズに全部詰まっているのだと思います、多分。

 曲の最後でも言っている通り、お別れの唄です。多くを語り過ぎると些か陳腐なものになってしまうような気がするので避けますが、あえて俗っぽく言えば失恋の唄ということになるのかもしれません。いや、ならないと思いますけれど。

 

 以上です。よろしくお願いします。

 

 

 

透明

 

 よく分からない何かに背中を強く押されて、ほとんど弾けるように家から飛び出した。家の中が酷く窮屈に思えてしまって、あるいは自分がいてもいい場所ではないように思えてしまって、行きたい場所なんてどこにもないくせに、それでも行きたい場所を探しに外へ出た。京都造形芸術大学がすぐ近所にあるということ自体は以前から知っていた。横幅も高さもやたらと大きめに設計された階段が歩道に面していて、その近くを歩いていれば嫌でも目につくのだ。赤信号一つだけを挟んだ向こう側に立ってそれを眺めてみると、それはまさしく空想上のアカデミアを切り抜いてきて現実に貼りつけたようだった。その瞬間、僕はなんだかその階段を上ってみたくなったのだ。きっと理由なんて特にない。自分の行為に動機をあえて当てはめるのであれば、そこに一度も上ったことがなかったから、ということになるのだろうけれど、だから上ってみようだなんてそんなことを今日に限って思ったのは、多分ただの偶然だ。

 これは遥か昔の話だけれど、芸大のような空間に憧れていた時代が僕にはある。中学生の頃だ。いや、高校生の頃でもまだ考えていたのかもしれない。はっきりとは覚えていないけれど、でもそういう憧憬を持っていたことだけはちゃんと覚えている。今日が日曜日だからか、階段の先に造られた構内に人は少なく、全体的にがらんとしていた。どんどんと先へ進んでいくと、色々な道具の置かれている部屋が見えてくる。卒業制作とかで使用されるのだろうか、なんて意味のないことを考えた。ノコギリがあるし、マネキンがあるし、画用紙のようなものや布の切れ端が落ちていたりもした。それを見て、なるほど、と思った。なるほど。芸術っていうのは何も音楽や絵に限った話じゃない。

 もしかしたら芸大へ進学していたような未来もあったのだろうか? いやあ、あまり想像がつかないからこればかりは無いだろうな。あったとしても、多分もう終わっている。これは想像に難くない。その世界線での僕はきっと早々に見切りをつけて自殺しているに違いないのだ。実際に部屋の中へは入らなかったけれど、あちこちを歩き回って色々な部屋を覗いた僕はそう思った。これはとてもじゃないけれど、僕が生きていける環境ではない。何というか、次元が違う。そう感じる理由は割とはっきりしている。僕は芸術がやりたいというわけでも、芸術の道に進みたいというわけでも別にない。だから、この場所にいるべきではないのだ。相応しくないから。

 この場所にいるべきでないというのなら、では僕はどこにいるべきなのだろう? 大したことなんて何も出来やしない僕は、いったいどこにいればいいのだろう。いったいどこであれば、存在を許してもらえるのだろう? 京都造形芸術大学構内を適当に歩き回っていると、広場とすら呼べないようなちっぽけな空間へ出た。腰の高さほどの柵がぐるりと設けられていて、小さな階段が二ヵ所にある。階段と階段との間は、控えめに見積もっても十五歩程度で事足りそうだった。二人座りがやっとの横に長いベンチが四つ、未だ点灯していない街灯の下で肌寒そうに身を寄せ合っていた。ベンチの向かいでは吉田松陰銅像がどこか遠くを見据えていた。ふと気になって、その目線の先を僕も追ってみる。何か見えるのだろうかと期待したけれど、すぐ近くに生えていた幹の細い木の枝葉が邪魔で何も見えやしなかった。それがどこか可笑しくて、少しだけ笑った。

 この世の全てとの関わりを失う代わりに自分が飽きるまで生きていられるか、あるいはこのまま人間らしく寿命を全うして生を終えるか、どちらか好きな方を選ばせてやろうと言われれば、僕は間違いなく前者を手にとる。これまでの不遇を詫びるつもりなのか、大学に入ってからの自分は嫌に恵まれていて、色んな人たちに出会って、色んなことを話す機会があった。炎の話、水の話、言葉の話、想像の話、お互いの話。思い出せないくらいには多くのことを話したと思う。まだまだ話足りないと思うし、もっと多くのことを話したいと思っている。それは本当のことで、つまり僕の本心なのだけれど、それでも、僕は幽霊になることを選ぶのだと思う。好きな人も、嫌いな人も、尊敬できる人も、心底軽蔑する人も、こっちへ来てからはたくさんの人と知り合ったものだけれど、でも、そんな奴らのことは全部どうだっていいと吐き捨てる自分が心のどこかに棲んでいて、どうしようもなく意思の弱い僕は、だからこそ前者にこそ手を伸ばすに違いなかった。それは他人を見下そうとする傲慢さゆえの決断では決してなくて、もっと惨めでみっともない感情ゆえの諦めだ。

 特にすることもなかったから、適当に写真を数枚撮って黄昏終えたら階段を降りた。帰り道の途中で夕暮れの空を見上げた。珍しく彼のことを頭の片隅で考えていた。行きたい場所なんてない。そんなことは家を出るよりも前から分かっていた。生きていたいともあまり思わない。それは死にたいという意味ではない。どっちでもいい。生きていようが死んでいようが、きっとこれ以上はもう何も変わらない。どうでもいい。僕がいて、彼がいて、自然があって、人工があって、それ以外の人間がいて、それが僕の認識下にある世界で、彼の存在によって僕という存在は十分に満たされたから、生きることに対してあまり未練がない。一方で死ぬことへの恐怖は存分にあるから、だから今日も僕は死なない。いつも通りに息を吸い込んで、そうして言葉を吐いている。

 家を飛び出したのは行きたい場所が欲しかったからじゃない。ただ居場所が欲しかったからだ。彼の隣に立っているのは僕じゃない。それはそれで構わない。だから、他のどこか、遠く離れた世界へまで歩いてゆこうと思っていた。そこに広がる空の色を僕は未だ知らないけれど、辿りついたその場所でこの世界が創り出す全てをただ不思議そうに眺めていたかった。そうは言っても性根はやっぱり人間で、孤独はどうしようもなく嫌で、誰かと話がしたくて、なのに誰とも話せなくて、やっぱり自分の居場所なんてものはどこにもないのだと不貞腐れている。誰も見つけてくれないというのならいっそのこと空気にでもなって、あるいは幽霊にでもなって、そうやって誰にも見えないような存在でいられたらいいのになんて、最近はそんなことをよく考える。過ぎたことを願う自分さえも殺して、透明な概念のままでこの空を漂っていられたらいい。誰もいないどこかに立って、頭上に薄く広がった橙を眺めながら、そんな夢をぼんやりと宙に描いた。

 

 

空っぽでなにも無い。

 

 こと想像力という能力一つを取り出してみたときに、神海隣空無よりもそれが抜きん出ているように思われる人間と僕は未だかつて出会ったことがないし、また今後出会うことも決してないだろう。そうはっきりと断言できてしまうほどに彼女は異常で、異様で、異質で、千差万別多種多様の人間を許容しうる大学という空間であっても、あるいはこの広大な世界そのものでさえ、彼女の特殊性を覆い隠すにはまるで遠く及ばない。一見すると普通の大学生でしかない彼女は、しかし僕らが認識しているそれとは完全に隔てられた次元に生きているのだと、一度でも彼女と話した経験のある人ならばきっと誰もがそう思うに違いなかった。そして、それ故に彼女は他の何物とも交わることがない。どうしようもないほどに超越的な彼女は、だから、他の誰からも理解されることがない。神海隣空無という人物について、僕が知った風に話せることといえばその程度のものだった。

「空っぽでなにも無い。私はそういうつまらない人間なんですよ」

 記憶の中にしんと響く彼女の声はどれを取っても形容しがたい色味を帯びていて、それでいて、しかし耳にはよく馴染んでいた。空っぽでなにも無い――彼女が口癖のように唱えるその言葉は、彼女に与えられた名前に引っ掛けたものであるということはさておき、果たして彼女がどこまで本気でそう言っているのか、僕はどうにも測りかねる。たしかに知る限りにおいて、彼女は運動神経がずば抜けているというわけでも、並外れた頭脳を兼ね備えているというわけでもない。それでも、彼女には想像力という他の何物をも寄せつけない唯一無二の武器がある。先天的か否かはさておき、それほど強大な道具を与えられておきながら、なにも無い、だなんて言い草はないだろうと僕は思う――けれど、彼女は自分が何も持っていない人間なのだという、ともすれば聞こえの悪い冗談を、恐らくは本心から信じているのだろうとも思う。たとえば、彼女は僕の話を、どんなに些細なことでもいいから、とやたらに聞きたがる。その理由を以前彼女に訊いたことがある。曰く、

「この世界がどんな表情を他に隠しているのかとか、ふと興味が湧いたりはしませんか?」

 たしか、僕はそのとき首を横に振った。あるいは曖昧な笑みを返しただけかもしれない。あまりよく覚えていないけれど、何にせよ、肯定しなかったことだけは間違いない。というのも、彼女が何を言っているのか、正直全く分からなかったから、だから僕は頷くことができなかった。

 一方の彼女はといえば、そんな僕に対してもまるで無邪気な笑顔を向けていた。

「他の誰かが見ている世界を一瞬だけでも覗いてみたいんです。だってそこはきっと私なんかが見ている世界とは全く違うだろうから。電線がない世界、公園がない世界、信号がない世界。あるいは年中ずっと青空の世界に、幸せばかりが転がっている世界や、いつだって星の見える世界だって。可能性は無限にあります。でも、私は現時点でこの世界にしか生きていないし、これからもこの世界でしか生きられない。そんなの、つまらないじゃないですか。だから、その世界に生きている人へ是非とも話を伺ってみたいと強く思うのですよ」

 彼女は、だからこそ、空っぽでなにも無い、という言葉をそんな自分への呪いのように幾度となく口にするのだろう。彼女の眼にはきっと、見えなくてもいいはずの暗い影や誰も気がつかないほどに些細な光まで、正負善悪様々な概念が犇めきながらもはっきりと映り込んでいるに違いない。それらすべてに触れてみたいなんてことを彼女は本気で考えているから、だから、いまの自分はまだ何も手に入れていないのだと、あの言葉には多分そういう意味があるのだろうと、彼女とよく行動を共にさせられる僕にはそう思えて仕方がない。まあ、彼女のそういう厄介な性質が災いして、彼女が呼吸をしている様はどうしようもなく生き急いでいる風に、あるいは生き急がされている風に、誰の目からもそう映ってしまうのだろうから、彼女が不満げに話すその点について僕が思うことは特にない。

 ああ、でも――。

 すぐ隣に座っているようで、いつもどこか遠くを眺めている彼女の横顔を認めるたびに、少なくとも僕の全てが終わる一瞬まではそのままの彼女であってほしい、なんてことを僕はよく考える。消えてしまわないでほしい。彼女の生きている世界は何物よりも輝いていて、何物よりも汚れていて、きっと何物よりも真実らしい――そんな彼女がいつまでも彼女のままでいられるというのなら、それだけでいい。それがいい。その他には何も望まない。僕の隣に彼女がいる必要はもとより、彼女の隣に僕がいる必要さえない。彼女の空を少しでも埋められたならいいけれど、でもそれは僕じゃなくたっていい。僕と彼女がいまは二人でいることに、それでも意味なんてものはない――なくていい。

 彼女と出会ってからというもの、僕はずっとそんなことばかりを考えている。ずっと、ずっと、ぐるぐるぐるぐると、絶え間なく頭から爪先までの全身をゆっくりと通っている。熱くもなければ、冷たくもない。どこまでも無温の透き通った赤。

 この感情の色を、しかし僕は未だ知らない。