未完成の春

 

 なんというか、自分はこれまでにこのブログで色んなことを書いてきたわけだけれど、最近はあまりそれをしなくなってきたな、という風に感じる。別に悪いことじゃないと思う。そうなったからといって、特段困ることは何もない。そんなわけでここのところはwordを立ち上げる機会も目に見えて減っている。一方で、以前の自分の中にあった話したがり精神というか、話したがるくせに何も教えたがらない精神というか、そんな感じの何かしらは未だ残っていて、それがいまは音楽のほうへ向いているのだという気がする。比喩だとか情景だとか、そういった道具を使って何かを表現することよりも、メロディだとか歌詞だとか、音楽に密接したそれらを使って何かをしたいという気持ちが、いまのところは強い。言葉を書き連ねるのが嫌になったわけでも、嫌いになったわけでもないし、勿論その逆の、音楽よりも文章で表現したいと思うことだってたくさんある。でも、この夏休みの間だけは、なんとなく音楽のほうへ意識がより傾いていたように思う。そういう話。

 

 こうじゃなきゃいけない、という強迫観念みたいなものが自分の中にある。この気持ちは言葉でしか言い表せない。この気持ちは音楽でしか言い表せない。そのどちらもたくさんある。絵を描くことを楽しむ人の中にもまた、自分と同じ風に考える人が大勢いるんじゃないかと思う。そういう意味で、特別なことではないと思っている。他人にとっての創作が一体何なのかは知らないけれど、自分にとっての創作はいつだってそういう、何かを表現するためのものだった。いまもそう。成長するにつれて、自分にもできることが少しずつ増えていって、表現する方法も少しずつ多様化していって、だから時には迷うこともある。このことを表現するには、どれに頼るのがいいんだろう? みたいな。箸とスプーンみたいに分かりやすければいいけれど、生憎そんなことはない。大体ギリギリまで悩んで、最後の最後には何とかなっている。経験則。

 

 夏休みの間に『ここにいるよ。』という曲を作った。あれはメロディを思いついたのが七月の初め、深夜近く、知人の家へ向かう途中にある交差点で赤信号に立ち止まっているときだった。サビのフレーズがふっと湧き上がってきて、でも一旦忘れて、数日後にベッドの上で思い出して、それからPCを立ち上げた。歌詞を書ききったのは、八月一日を少し過ぎた頃だったような気がする。メロディを思いついたのと同時期あたり、いよいよ訪れた夏の空を北部構内から見上げて、その青があまりにも高くて眩しくて、そういう歌を作りたいとふと思った。そのときの意識がそのままで歌詞になった。といっても、無茶苦茶に苦労したのを覚えている。どの言葉をあてがっても、なんだか違っているような気がして。何とどう違っているのかということは説明できないのだけれど、とにかくこれは違うという感覚だけが拭えなかった。

 

 あれほど真っ直ぐで歪んでいた彼も、いまとなっては真っ当な人間であることを選んだようで、曰く、遠くの地に就職するらしい。ここで用いた、遠く、という形容詞は本当に、遠く、だった。これまでも十分に離れていたけれど、そんなのとは比にならないほどの。それを聞き知ったのが果たしていつ頃だったのかは覚えていないが、だからこの曲を作ることになったのは確かだった。同じ空の下にいるとか、離れていても一人じゃないとか、そんなわけがないだろうと思いながら歌詞を書いていた。誰一人として同じ空の下にはいないし、どれほど近くにいたところで僕らは独りぼっち、それが正しい。少なくとも自分はそう思っている。だからこそ、あの日出会えたことが何よりも嬉しくて、いまの自分がここにいるんだという気がした。夏休み、彼と歩く機会があった。何も話さなかったし、色んなことを話した。これからはいま以上に会えなくなるのか、と笑いあった。曲名はその日に決めた。

 

 恋という単語は、多分、自分があまり好んでは使いたがらない類の言葉だと思う。恋だとか、愛だとか、友情だとか、絆だとか、何というか、どれにしたって軽すぎる。中高生の頃、愛だ恋だを軽やかに唄うJ-POPのことが心底嫌いだったことを覚えている。陳腐だと思っていたし、何なら見下していたまである。その感情は否定できない。たしかにあった。いまも当時ほどではないにせよ、その類の曲は特段好きではない。いまでも思う。軽すぎる。

 

 夏休みよりも前、七月中、夏コミに向けたり向けなかったりしてあれやこれやを書いていた。芹沢あさひの話。思えばあのときからずっと地続きで、恋も、言葉も、空の色も。消えてなくなったいつかの影も。かけがえのないものなんてこの世には一つとしてなくて、それは世界の捉え方が十人十色だから。自分にとって必要なものが誰かにとっては邪魔だったりする。その逆もある。自分が本当に大切にしているものは、そのままにしておきたいと願う。そして、その逆もある。破壊衝動ではなくて、もっと純粋な、それはたとえば雨上がりの空に走る虹を独り占めしたくなるような、それでいて誰かに共有にしたくなるような、何よりも綺麗な感情。自分が感じているほどの質量が、触れた指先に伝わらなくたって構わない。それでも、誰かに、その鮮やかな色を、知っていてほしい。そういう感情。だから、それは、恋だった。

 

 これは文章ではなく、音楽でないと全く意味のないことだった。少なくとも自分にとっては。伝えたい何かが初めにあったとして、それを比喩の奥底へ沈めるのか、あるいは音の隙間に埋め込むのか、という話。どちらでもいい場合もあるし、どちらかでないといけない場合もある。どちらも、同じくらいたくさんある。

 

 灯火だと思う。いつまでも温かいわけじゃないし、数日もすれば忘れてしまう。それでもたしかに残っている、青い炎。どれだけ拙くたって、脆くたって、その光を誰かに伝えたいと思う自分がいる。この夏休み、ステージに立った。二回。両方で歌を唄った。

 

 一回目はバンドとしてだった。BUMP OF CHICKENコピーバンド。それを言い出したのは、自分よりも二つか三つくらい上の、サークルの先輩だった。唐突だった。ギターを持ってはいるという後輩一人を巻き込み、ドラム経験ゼロの後輩一人を巻き込み、その場にいた先輩二人がギターとベースで巻き込まれ、もう一人、キーボードの上手い後輩一人を勝手に巻き込んで、七人編成のチームだった。それだけいれば練習中も本番も、ところ狭し、犇めきあうという感じだった。練習で感じたことといえば、大勢でやる音楽は頗る楽しいということだった。あとは、ステージで唄っている人間は全員凄いということ。実際、そこで唄った曲は普段からよく口ずさむものだったけれど、ギター、ベース、ドラム、キーボードが混ざると、もうなんのこっちゃという感じでね。自分がいま何を唄ってるのかが全く分かんないの。で、音が上下に飛ぶ。しっちゃかめっちゃか。他の楽器も多分そうなんだろうなと思うけど。でも、楽しい。楽しかった。テーマは女子高生バンド。『Catch The Youth』。ユニット名は最後の練習の日にノリで決まった。普通にダサすぎる。でも、それでよかった。ずっと忘れないと思う。

 

 二回目は一人で立った。あんなにも狭かったステージが、嘘みたいに広がって感じられた。本番中にも口走った気がするけれど、舞台の上は本当に寒かった。スポットライトが照っているし、声を出しているわけだから汗もかく。暑い。でも寒かった。一回目のときは、ギターがいて、ベースがいて、キーボードがいて、ドラムスがいて、だから大丈夫だったんだと思う。なんというか、あれは心強かったし、普通に唄えた。楽しめた。でも、二回目は無理だった。一人で立つステージはとても怖かった。向こう側にいるみんなが敵ってわけじゃない。ここで失敗したって誰かに責められるわけでもない。そう分かってはいたけれど、それでもどうしようもないくらいに怖くて、声は震えるし、歌詞は飛ぶし。こうして当日のことを振り返っていると、どこかの歌の途中に聞こえてきた手拍子を、声を何となしに思い出す。嬉しかった。誰にも言わなかったけれど。誰にも言えなかったけれど。あれがなかったら本当にダメだったかもしれない。

 

 二回目のステージは失敗したけれど、あの恐怖があったから、あのとき、バンドとして在ったことの意味を何となく理解したような気になっている。自分も含めて、あの七人であることの必然性は全くなかったのだろうけれど、だけど、あの七人で同じ一瞬を共有出来てよかったといまは思う。未完成の春。『失った青春を取り戻せ』なんて言って、そうして過ごした時間が果たして青春なのかどうかは分からないけれど、その一瞬に名前なんかなくたって、それでも僕らは同じ場所に立っていた。それだけで、なんかもういいやって気持ちになる。なった。

 

 文章にすると、全部嘘っぽい。これは自分にとっての哲学みたいなもの。だから、この気持ちは、できることなら。