僕の話?

 

「僕のことなんてわざわざ取り立てて話さなくとも、先輩ならばよくご存知でしょう? いやいや、そんなご謙遜をなさらないでくださいよ。傷つくなあ。これはいつもの揶揄なんかではなく、本心からの言葉です。僕がいったいどういう存在で、どういう人間で、どういう後輩なのかは、他ならぬ先輩が誰よりも知っているはずです。熟知しているはずです――そうでしょう? 最早語り尽くしてしまいましたからねえ。だから、僕の身の上話なんて今更話すことではありません。それでも話してほしいと仰せになるのであれば、一後輩の僕としては何かしらを適当に話さざるを得なくなってしまうわけですけれど、しかし、可愛い後輩の頼みを聞いてくれるだけの良心が先輩に残っているのなら、僕はもっと別の、あるいはいつも通りの会話をしたいと提案させていただきます。こうして先輩と話すことのできる折角の機会を、僕みたいなつまらない人間の紹介だけで終わらせたくはありませんからね。そういうわけで、いつも通りに取りとめもない話をしましょう――先輩の話をしましょう。先輩は自尊心ってやつについて、何か思うところがありますか? ああ、自尊心という言葉から何も思いつかないのなら、こう言い換えましょうか――自分自身を周囲とは異なる特別な存在であると思い込む人間の心理に、何か思うところがありますか? その感情は程度の差こそあれども、誰しもが有するものだとは思いますけれど、しかし、いま述べた程度の差というやつこそが問題なのです。いますよねえ、過剰なまでに自分を特別視している人って。その向きは様々ですけれど、一例を挙げるのなら、さっき先輩とコンビニへ行ったときにいた中年男性の方が典型的ですかね。ああいう人です。何か思いませんでしたか? ええ、そうです、何とも思わないのが普通なのでしょうね。あの程度のことに頭を使っているような余裕は現代人にはありませんから――それは見慣れた光景で、自分には無関係で、だからどうでもいいのだと、そうして無意識のうちに切り捨てるのが普通でしょう。でも、本当にそれでいいのでしょうか? いえ、そんな一般的な返答がほしいわけではないのです。僕は先輩自身の答えが聞きたいのですよ――それでも同じ答え、ですか? いまの先輩はそれでもいいのでしょうけれど、かつての先輩ならきっと全く違った答えを返していたのではないでしょうかね。ああ、こんなのはただの憶測です。僕が先輩と出会ったのは、先輩が大学に入学してから二年経った時ですから、だから、僕はそれ以前の先輩がどうだったかなんてことはほとんど何も知りません。だから、当てずっぽうです。しかし、先輩と話をしているとよく思うのですよ。何かを隠しているような気がするなあ、と。どちらかと言えば、無理をしている、ですかね。大人ぶろうとしている、と言ってもいいです。思ってもいないようなことを、それでも自分は本当にそう思っているのだと信じ込もうとしてはいませんか? 声に出すことで、自ら引けない状況を作り出し、そうやって体裁の整った自己像を組み立ててはいませんか? そんな風に、先輩は自分を特別視するのではなく、むしろ自分は普通でなくてはならないと強く思い込んではいるのではないかと、僕はそんな気がしてならないのです。まあ適当なことを言っているだけなのですけれど、その反応を見るに図星って感じですかね。さっきだって、本当は間違っていると思っていたのではないですか? どうしようもなく間違っていて、なのにどうしようもないからといって、叫ぶ心を切り離したのではないですか? 誰も気にしないから、それが普通だからと、諦めたのではないですか? 悪いことだとは思いませんけれどね。たしかにそれも成長の一つではあるのでしょう。社会に馴染むためにはそういう能力も必要でしょうし、大人であることをそんな風にも定義できるのでしょう。しかし、それでいいのですか? 本当に? 悪いことではありませんけれど、正しいことでもないでしょう。間違っているのです。正しくないということは、先輩が最も嫌っていたものではありませんでしたか? 普通という概念を受け入れるために、あるいは周囲へ溶け込むために、それを強く拒む自分自身を殺して――そうまでしてようやく完成する自己がいわゆる大人というやつなのですか? それが果たして大人になるということなのですか? 本当にそう思っていますか? 思ってなんかいないでしょう。もし仮に本心からそう思っているのであれば、僕みたいなやつと友人になんてなりませんよ――僕みたいに、かつての先輩と同じことを言っているようなやつとは、話すどころか関わろうとすら思わないでしょう。しかしそうではないということは、つまり、先輩は未だ昔の自分を捨てきれていないというわけです。間違っていますか? まあ先輩がしたいようにすればいいと思いますけれど、僕から言わせてもらえるのであれば、特別な人間などどこにもいないのと同じように、普通の人間などという存在もまたどこにもいないのだと、先輩は知っておくべきです――もう知っているかもしれませんが、ならばいま一度思い出すべきです。先輩は普通でありたいと願っているようですけれど、しかし、そんなものはありませんしありえないのです。そもそも普通って何ですか? それこそ、先輩はかつて、普通という言葉を大層嫌っていたのではありませんでしたっけ? 駄目ですよ、そういう自分を蔑ろにしては。以前にも話しましたけれど、完璧な人間などいないのです。世の中に異を唱えるなんてガキっぽい? 正義の味方気取り? 社会のことを何も知らないお子様の言うこと? 言わせておけばいいじゃないですか、そんなことは。いったい何を気にしているのです? かつての先輩はそういう人間のことを一番嫌っていたはずですよ――間違いを間違いだと知ってなお受け入れる社会を憎んでいたはずでしょう。流石に大学を出てしまうと就職せざるを得ないわけで、いよいよ近づいてきた社会への扉を前にそういった気の迷いを起こすのも分からなくはないですけれどね――しかし、一度冷静になってみてください。拾い上げろとまでは言いませんけれど、完全に捨てきってしまうよりも前に、本当にそれでいいのかをちゃんと考えてみてください。もういい歳なんですから、そのくらいは一人でもできるでしょう? 僕がいなくとも、僕みたいなやつの助けは借りなくとも、自分自身のことくらいは自分の手で救ってやってくださいね」