完璧とは何か、ですか?

 

 

「頭脳明晰博学多識、天上天下唯我独尊、才色兼備の八方美人として校内で名の通っている先輩でも、そういったいかにも凡人が頭を悩ませていそうなことをお考えになるのですね――ああ、なるほど、よくあるあれですか? 世間知らずのお嬢様が何らかの手違いで庶民の生活に興味を持ち、付き添いの黒服執事にこの世の有象無象について尋ねるような――そういう感じのやつですかね? ということはつまり、僕は凡人代表というわけですか。なるほどなるほど。そうなると流石の僕でも俄かに緊張してきました。一人でカラオケに行くときの一段階下ぐらいの緊張です――なんて、冗談ですよ、冗談。そんなに悲しそうな顔をしないでください。いえいえ、馬鹿になんてしてませんよ? 本当ですって。やだなあ、僕みたいに従順で忠実で模範的な後輩のことを疑うんですか? 僕はきちんと先輩のことをお慕い申し上げておりますよ。後輩らしく、です。それで――何でしたっけ? そうそう、完璧についてでしたっけ。藪から棒にそんなことを訊かれてもという感じですけれど、しかし他ならぬ先輩からのお言葉ですからね――努めて模範的後輩を演じている僕としては、答えないわけにはいきませんか。誠心誠意答えさせていただきましょう。その前に、そもそもの話ですけれど、先輩はこの『完璧』という言葉をどういう文脈で話しておられるのでしょう? これを確認しないことには、話を始めようにもどうしようもありません。たとえば、美しい包丁という名詞句における『美しい』の意味とは、恐らく機能美的なことなのでしょうけれど、一方で、美しい人という名詞句における『美しい』が表すのは、十中八九、機能美のことではないでしょう――読みも書きも文法的な用法も全く同じ言葉といえども、文脈次第によってその意味合いは様々に変化するわけです――当たり前のことですけれどね。ならば、その前提を共有せずして意見を交換しようとするのはあまりにも不毛――というよりはただただ愚かなだけです。先日の行間の件ではありませんけれど、しかし、そういう根本的なところはきちんとしておかなくては、無駄な論争を繰り広げる羽目になりかねませんからね――互いが互いに異なる定義に基づいて物事を語るせいで、議論はまるで平行線のままで一向に進展しないなんて光景、そんなものはこの世にありふれているでしょう? いえ、その場合は議論ですらありませんけれどね。ただの口喧嘩です。そういうわけで、まずは先輩の話を聞かせてくださいよ。どういう経緯でその質問を僕にするに至ったのか――までは流石に話さなくていいですけれど、せめてどういった意図で僕に訊いているのかくらいは教えてください。……ふむ……はあ、なるほど? そういうことでしたか。そういう意味合いでしたか――ああ、別に構いません。先輩が話してくださった前提に不満があるわけではないのです。そうではなくてですね――いやはや、かように思慮深い先輩のことですから、それはもうきっと高度に哲学的で形而上学的な思考を経た上での発言でしょうし、僕なんかじゃ話し相手どころか暇つぶしの役目すら果たせないのだろうな、面目ないな、と気を揉んでいたのですけれど、いざ蓋を開いてみると思っていた以上に普通のことで、如何ほどかと期待していた僕としては肩透かしを食らったような気分ですよ。やれやれ。いったいどんな高論卓説が飛び出てくるかと思えば――って、冗談ですよ、冗談。そそくさと会話を切り上げようとしないでください。器の小さい先輩ですねえ、まったく。まあ、先輩想いの後輩なりにそれらしいフォローを一応挟んでおくと、それが先輩の良いところだと僕は思いますよ。変に衒学的でないところのことです――偏に衒学的でない人間と言っても、自覚を以て慎んでいる人間と、単純に馬鹿で何も考えていない人間との区別は明確にしておかなくてはならないところですけれど。それはさておき。人間に求められるべき完璧さとは何か、ですか。あえて言い換えるとするなら、完璧な人間とはなにか、ってことになるんですかね? ここまでに相当な時間を割いてしまっていますし、いまさら勿体ぶるのもあれなので結論から先に言ってしまいますけれど、不完全な人間であることを認められる人間――それが僕の想定する、完璧な、つまり完全な人間であることの必要十分条件です。数学において求められる完璧さとは既存の定理に何一つ矛盾しないことですが、しかし、人間にそれを求めるのは不合理でしょう。不合理であり、そして不可能です。僕らはコンピューターなんかでは決してないのですから、完璧なんてことはありえないのです。それでも完璧でありたいと願うのなら、完璧な人間など存在し得ないのだと、自分は決して完璧などにはなれないのだと――そうして自分の中にこびりついている自惚れを排斥していこうとする努力からまずは始めるべきでしょう。おや、何です? お前がそんなことを言うなんて意外だ、とでも言いたげな顔をしていますね。そういえば先輩は自分のことをクールキャラか何かだと勘違いしているような節がありますけれど、これは先輩の将来を慮って進言しておくのですけれど、先輩って表情にすぐ出るのでかなり分かりやすいですよ? いえ、本当ですって。そういうわけで、その厨二チックなキャラクターだけは大学卒業までに矯正しておいた方がいいと、僕からは申し上げておきましょう。身の程なんてまるで弁えずに、知ったような口ぶりで申し上げておきましょう。それで――何の話でしたっけ? 先輩が変な顔するから忘れちゃったじゃないですか、もう。えーっと、ああ、そう。僕は別に完璧主義者というわけではないのですよ――それこそ先輩は僕のことをそのように捉えているかもしれませんが、だとすればそれはただの買い被りです。あるいは、見る目がないと言ってもいい。僕はずっと完璧を追いかけてはいますけれど、しかし、完璧な存在でありたいなどと願ったことは、生まれてこの方一度としてないのですよ。ほんのこれっぽっちもありません。むしろ、言わせてもらえるのであれば、僕は完璧主義者というやつが嫌いですね――心底嫌いです。ああいう人たちは完璧という概念が自分の手の届く範囲にあると考えているのですよ。だからこそ、他人にも完璧であることを平気で強要するのでしょう。自分ができているのに、どうしてお前らは出来ないんだ、とこんな風なこと言う。お年寄りを見たら席を譲れだとか、歩道はなるべく広がらずに歩けだとか、そういった文句を、他人に向かって、あるいは壁に向かって、ごちゃごちゃと言う――ええ、たしかに、僕も似たようなものかもしれません。やっていることは彼らと似たり寄ったりですからね。しかしそれでも反論するとすれば、僕が完璧を求めているのはあくまでも世界に対してだけ、ということです。彼らのように、無責任に、一方的に、独善的に、自分と同じであることを他人に無理強いし、つまらない自己陶酔で刹那的な優越感に浸って満足しているような人間とは、間違っても一緒にしていただきたくないですね」