試験嫌すぎ。

 

 

 ハロ~。

 

 このブログ、気づけば三週間近くも放置していたんですね。ああ、いや、放置してたって言い方はあまり正しくないんですけれど、後回し? それもなんか違いますね。ブログを書かなきゃいけないという、その、義務めいた何かを背負っているというわけではないので。ともかく、最後に記事を書いてからそれなりの時間が空いたなあ、という話です。この間、色々とやらなきゃいけないことがあってそれで書けなかったというのがあるんですが、そのあれこれがとりあえず片付いてある程度落ち着いたのでこうしてまたブログを動かし始めようとしており、しかしまあ、久しぶりすぎて自分がどんな感覚で書いてたのかをうまく思い出せないっすね。昔の自分、めちゃくちゃすごい頻度で更新していたりして、なんだそれ? そんなに書くことあるかなあ。あったんだろうな。分からんけど。

 

 忙殺、ってほどでもなかったんですけど、ここ一か月半ちょっとの間に考えていたことが色々とあって。といっても、それはその期間だけの話じゃなくて、去年の夏あたりから拾ってきたやつらをぐっと凝縮させた何かという感覚なんですが、いや、何言ってんのか分かんないな、自分でも。とりあえず、去年の夏から考えていたあれこれを直近一ヶ月くらいでより深く考えることになった、みたいな話です。

 色々あるんですよね。本当に色々。自分でも思い出せないくらい。誰だってそうだと思いますけど。たとえば、何だろう。どれにしたってこれまでに一度通った道なので、ブログのどこかしらにはその断片が転がってたりするとおもんですが、それこそ、死ぬってどういうことなんだろうなあ、とか。誰かの死って自分が思っていたよりもずっと軽くて、母方の祖父が亡くなってその葬式で感じたこととか、あるいは某有名ボカロPの訃報もそれに続く形で自分のもとに入ってきて、それにしたって三日もすれば頭から抜け落ちそうになっていたりして、なんだかなあって。自分が思うに多分、軽いんじゃなくて重たすぎて抱えていられないだけなのかなあとか。どうしたって忘れていってしまうものは仕方がないんですが、それでも忘れたくないものってあるじゃないですか。だからこう、その誰かの死をふとした瞬間に思い出すことのできるいまはまだいいんですけれど、それさえも忘れてしまったら嫌だなあとか思うことがあって。祖父との関係とかは実を言うとほとんど記憶になくて、wowakaさんにしたって彼の曲を一方的に自分が聴いていただけだし、それも別に熱狂的なファンだったってわけでもなく、だから、わざと口を悪くするならほとんど赤の他人なんですが、でも、何だろうな。死という現象に対して考えることなんて、それが自分でも身内でも他人でも大差ないだろうという思いが少なからずあって、自分とは特に何の関係もない他人の死について何も考えない人は、自分の死についてもほとんど考えたことなんじゃないかなあ、とか思ったり思わなかったり。そんなことないのかな。分からないけれど。

 自分にとって大切な誰かの死というものを自分は未だに体験したことがなくて、たとえばそれはどんなものなんだろうと思いながらここ一か月を過ごしていました。どうなんだろう。案外同じなんじゃないかな、という気がするんですよね、死と消失って。なんか、なんだろうな、当たり前にそこに在った何かが突然消えてしまう瞬間があるじゃないですか。その瞬間はめちゃくちゃ悲しくて、何が悲しいのかも分からないくらい。大声で泣けたらいいのに、無駄に歳を食ったせいで泣けないし。でも、こう、最初の一年は本当に何もかもが虚しくて、事あるごとにその影を探そうとしていたんですけど、去年の十一月だったか、京都から知り合いが全員消えた日に芸大(だっけ?)のキャンパスに潜り込んで夕陽を眺めたことがあって、その帰り道、夕焼け空を見上げながらどっかに消えていったアイツのことを思い出して、そのときにやっと受け入れられたんだという気がして。それから思い出してみて、たしかにあのときみていたのは夕焼け空だったんですけど、青空でも、星空でも、なんなら曇り空でもいいなって気持ちになって、それが多分ぜんぶの答えなのかなあって。いや、悲しいのは当然で、こうはならない選択肢がどこかに転がっていたのならそれを拾いたかったし、そんなものは多分どこにもなかったんですが、それはそれとしてあってほしかったし。だけど、まあこれはこれでいいかな、って気持ちにやっとなれた瞬間があり、だから、死ってやつもきっとそんな感じなんだろうなって思うんですよね。合っているか間違っているかはさておき、個人的には。乗り越えたわけでは全くなく、一昨日かそのさらに一日前くらいにもアイツの夢を見たばかりで、なにが引っかかったのかめちゃくちゃ虚無な気持ちになりましたし、いまでもどこかにその影を探しているし、でも、それでも何か、何て言うんだろうな、ただ悲しいだけじゃないみたいな、痛いのは痛いんですけど、病院へ行ってお金を払って、そうして綺麗さっぱりお別れしたいかといえばそんなことは全くないという類の痛みで。伝わりますか? 何かそんな感じのことを考えてました。一ヶ月くらい。一年くらい。

 といっても、死ぬのはやっぱり怖いっすね。ちょっと前、彼の地元で死亡事故が起きた時、報道されていた死者の情報、といっても性別と年代だけなんですが、それがぴたりと一致していたせいでめちゃくちゃ怖くなって、連絡してみても全く反応は返ってこないし、まさか本当に巻き込まれたりしてないだろうなと思って、あのときはマジで何か気が気でなかったんですけど。それはそれとして、彼の無事が確認され(単に連絡をみていなかっただけっぽかった)、一先ず胸を撫でおろして、そんなこんなで何事もなく会えるうちに会っとかなきゃなという気持ちになったはずだったんですが、そのときの圧し潰されそうな圧迫感もけろりと忘れちゃってて。死の理由なんてその辺りにいくらでも転がってるはずなのに、そのうち会えたらいいね、なんて言って終わるだけで。そんなもんだよなあ、結局、みたいな気持ちもあります。本当にいなくなったらなったで徒に心を苛むんでしょうけれど、そのくせいまこうして呑気に呼吸をしているので、なんだかなあという感じです。

 

 話は変わるんですけど、夏コミの原稿をようやく書き終えてですね、ここ一か月のほとんどをそれに費やしていたので、次に何をしたらいいのかが全く分かりません。助けてくれ。

 真面目な話、書きたかったものをとりあえず三割くらいは書き出せたと思ってるんですけど、どうなんでしょう。自分が書いたものを自分で読んでもその辺は分からないし、だからめちゃくちゃに感想を聞いて回りたいんですが、それはそれでどうなんだよみたいな思いもあり、だからなんか、それを読んでくれてなおかつ頗る暇という稀有な人種がいらっしゃればこっそり感想ください。真面目な話ね。

 自分についていえば、SSじゃなくて小説を書きたいという気持ちがかなり強くあって、今回のやつはその感覚がいたるところで滲み出ているようなそうでもないようなという気がします。といってもSSと小説の境界線なんて知らないんですけど。地の文形式だからといってイコールで小説とはなりえないことは当然として、台本形式でもまるで小説みたいだと感じる作品だって僕のかなり狭い観測範囲に限っても幾つかありますし、だからこう、厳密な定義とかは割とどうでもよくて、結局、自分が「小説を書いた!」と思えるようなものを書きたかった、という意味での話だったりします。

 今回のは……、どうなんでしょう。割と意識していたつもりなんですけど、いざ書きあがって校正を通してみるとガバっている部分があったりして、それでまあいまは血反吐を吐いているんですが(嘘です)、前回から意識した点としては、話の密度とか繋がりとか、比喩の感じもなるべく(でもこれは割と失敗した)、あとは体裁的なところでいえばダッシュ記号をなるべく使わないとか、「……」や「!」の類を使わないとか、漢数字云々その辺り。ちゃんとうまくいってるんですかね。自分では割と上手くかけたな~と思っていて、この自信も多分半年もすれば跡形もなく崩れてるんでしょうけれど、(自分が思うところの)小説には近づけたんじゃないかなという気持ちがあります。でも全然足りない。何がって、何もかもがなんですけど。だからまあ、次があればもっと頑張ります。次っていうか、そろそろ普通に自分だけの何かを書きたいんですけどね。真面目な話。

 

 最後に、これはマジでどうでもいいんですけど、このままいくと今期の取得単位数が4になりそうで面白いな~って顔してます。いや、マジで。解析学、何も分かんね~。

 

 

 

最後に空を見たのはいつですか?

 

 今更になって考えることといえば、以前の僕はもしかしたらミサトを嫌っていたのかもしれない、ということだった。こんなのは本当に今更すぎる話で、とっくの昔に思い出になってしまった過去で、ともすればわざわざ拾い上げるほどのものでもないのかもしれないけれど、これまでミサトに向けてきた感情の一つひとつを、しかし僕はいずれも忘れたくなかった。それは、あるいはリストカットのような自傷行為と同義なのかもしれないと思う。だけど、ミサトがいまも生きている以上、ミサトがいまも僕の近くにいる以上、僕はこういったことを考えずには青空の下を歩くことが出来ない。彼女と青空の関係はたとえばアスファルトに落ちた影と太陽のようなもので、ミサトのいるところに青空が必ずあるわけではないにせよ、青空のあるところには彼女の面影が必ずどこかにある。少なくとも、僕にとってはそうだ。空の下を歩くとき、だから僕はほとんど無意識のうちに考えを巡らせてしまう。ミサトと僕の関係性、みたいなものに。

 僕がミサトと青空とを強く結びつけて認識しているという事実は、やはり彼女がよく口にする台詞に起因しているようにも思えるけれど、多分それだけじゃない。

 僕らが知り合ったあの夜。極大の流星群に攫われた夜の、その続き。以来、僕とミサトは校内で偶然すれ違ったときに挨拶を交わすほどの仲になった。逆に言えば、お互いに相手のことを深く知ろうとはしなかった。それはそうだ。僕らの間にはあの夜に同じ流れ星を見たという程度の事実しかなく、そのときに印象深いやりとりが幾つかあったものの、言ってしまえば、真夜中の話し相手のその正体なんてものには然程興味がなかったのだ。あの夜、訪れた公園に女の子がいて、彼女はラナという名前で、自分と同じように星が好きで、そう短くもない時間、天体にまつわる色んな話をした。当時の自分にとってはたったそれだけの存在だった。だから、僕とミサトとの関係を決定的にした出来事は、それと別のところにあった。

 あれは放課後だった。特別なことなんて何もない、三六五分の一でしかなかったはずの一日の、その放課後だった。僕はいわゆるクラブ活動みたいなものに全くの無縁で、だから大抵の場合、最後のホームルームが終わると同時に教室を後にしていたのだけれど、その日だけは少し事情が異なっていた。その日の朝、両親が酷い言い争いをしていたせいで家に帰りづらかったのだ。喧嘩の火は時間の経過に伴って収まっていき、最終的には母が泣き崩れ、父は逃げるようにして鞄片手に仕事へ出て行った。どうすればいいかも分からなくて、僕も結局何も言わずに学校へ向かった。このまま帰ると、家には母がいる。できることなら、いまは会いたくない。母の苦労なんて自分は何も知らないけれど、自分が家にいるせいで母に母親であることを押し付けるのが嫌だった。だから、帰りたくなかった。

 しかし、放課後の校内は思っていた以上に暇だった。放課後になるとほとんどの人が帰路に就くか、あるいはクラブ活動に精を出すかのどちらかになる。校内で暇を潰すなんて物好きはそうそういない。そうなることは事前に分かっていたから、今日も集まって遊んでいるのであろうクラスメイトの家に行ってもいいかと思ったけれど、罪悪感に似た何かで胸が痛くなって、それもやめた。結局しばらくの間を無人の教室で潰し、それも飽きてきた頃、グラウンドで活動している陸上部の様子でも観に行こうかと僕は廊下へ出た。そのときだった。窓の外、裏門へと続く傾斜の上、ガードレールに背を預ける後ろ姿がそこにあった。不思議なことに、僕はそれが誰なのかを疑いようのないほどに理解していた。ミサトだ。彼女がそこにいた。

 僕はグラウンドとは真逆のほうに廊下を進み、鉄製のドアを潜って外へ出た。履き慣れた靴で黄土色の砂を踏んで、それからアスファルトの傾斜を昇った。ミサトは、僕があと数歩というところまで近づいた辺りで僕の存在に気がついたようだった。こんにちは、と言ったのは彼女のほうが早かった。遅れて僕も、こんにちは、と返す。それから寒くないかと尋ねてみた。寒いですよ、とミサトは答えた。気持ち程度のあいさつを終えてしばらく経った頃、僕は訊いた。

「どうしてこんなところにいるの?」

 言ってから、些か不親切な質問だったかもしれないと思った。これでは何を訊いているのか分からない。ミサトが学校にいること自体は何ら不思議なことじゃない。知りたいのは、どうして放課後の校内に残っているのか、だった。

 彼女は笑って答える。

「家に帰りたくないんですよ」

 どうやら彼女はこちらの意図を汲んでくれたようだった。

 これはミサトの存在を知ってからすぐに分かったことだが、彼女は頭がいい。総合的な意味ではなく学力的な意味での話だ。全五回の定期試験のランキングなんてものはその実存在しないけれど、しかし、そんなものをわざわざ作るまでもなく誰が一位なのかということをおおよそのクラスメイトは把握していたようで、それが彼女、ミサトだった。それに、ミサトは運動神経も申し分ないらしく、その方面での話題も幾つか耳にしていた。ミサトという名前を知らなかっただけで、知ってからは彼女の話題を聞かないことのほうが珍しいという感覚さえあった。

 それでいて、ミサトは誰とも深くかかわろうとはしないらしかった。たしかに言われてみれば、たとえば廊下なんかですれ違ったとき、彼女が他の誰かと一緒に歩いているという場面にはあまり遭遇しないような気がした。錯覚かもしれないけれど、だけどそういった印象が彼女にはつきまとっている。しかし、人付き合いが悪いといった様子でもないらしく、むしろ交友関係はかなり広いようで、後に聞いたミサト自身の言葉を使うとすれば、彼女は誰とも例外なくクラスメイトであろうとしていた。

 頭を整理してから、僕は答える。

「そっか。僕も同じだ。家に帰りたくない」

 するとミサトは不思議そうに首を傾げた。

「ユイ君はいつもすぐに帰っていませんか?」

「うん、帰っている。だけど今日はだめなんだ。両親が喧嘩していて」

「それは大変ですね」

「本当に。こういうとき、僕ら子どもはどう動くべきなんだろうね?」

 何気ない言葉のつもりだったけれど、ミサトは依然としてガードレールに腰かけたままの姿勢で黙っていた。

 途端に自分の口調がまるで憂さ晴らしをしているかのように感じられてきて、ごめん、と思わず僕は謝った。

「どうして謝るんですか」

 ミサトはやはり不思議そうに尋ねる。

「君にこんなことを言っても仕方がなかった」

 僕の言葉に、しかしミサトは首を振った。

「仕方がない、ってことはないと思います。言葉にして何かが解決する問題でもないでしょうけれど、それでも言葉に直そうとするのは決して無駄なことじゃない」

「仮にそうだったとして、その矛先を君に向けるのは間違っているだろ。それは、たとえば僕の両親なんかに向けられるべきだ」

「本来ならそれが正しいのかもしれませんけれど、だけど正しいことが相応しくない場面というのもあります。どう考えても間違った選択が正解になることだって」

 そう言い切ってから、それに、とミサトは続けた。その視線の先には空があった。

「そもそもユイ君だって勝手に巻き込まれたんでしょう。だったら、気にすることなんてないですよ。一方的に押し付けられた感情の行き先なんて、やっぱり何かに押し付けるしかないんですから」

 それはたとえば空みたいな空っぽにでも、とミサトはそう言った。

 そう言われて僕は、なんだか許されたような気になったのだった。何を、といわれても具体的には言い表せない感覚だったけれど、それでもあえて言葉にするのなら、こうして彼女と話をすることを、だ。

 僕は意識して笑う。

「君はいい人だね」

 すると今度は彼女が笑った。

「貴方も十分いい人ですよ」

 どういう意味、とは訊かなかった。何と答えられるかは、何となくだけれど想像がついたから。

 代わりの言葉を探す。それから口にするかどうか少し迷って、結局、僕は尋ねる。

「どうして家に帰りたくないの?」

 そもそも僕がミサトに訊きたかったのはそれだった。彼女がこうして放課後の裏庭に残っている理由は何なのだろう。

 ミサトは遠くを見たまま答えた。

「家にいづらいんですよ、何となく。ユイ君と同じです」

「君はいつもここにいるんでしょう?」

「どうして?」

「さっき、僕が帰りたくないと言ったときに、『いつもすぐに帰っているじゃないですか』と答えたから」

 ミサトは少し驚いたような表情でこちらをみた。彼女と初めて目が合った。

 それから、こう言った。

「頭がいいですね」

 その言葉に、僕は思わず笑ってしまった。彼女からそんな言葉を聞くことになるとは思っていなかったから。君ほどじゃない、と僕は適当に誤魔化した。

 まあ、とミサトはため息みたいな声で言う。

「家が特別、というわけでもないんですよ。自分の部屋も、教室も、学校も。どれも同じです。自分の居場所なんてどこにもないような気がして」

「それが、ここにいた理由?」

「ですね。ユイ君は知らないでしょうけれど、私、放課後はほとんどいつもここにいますよ。昨日も、一昨日も、その前もいました」

「ここは君の居場所というわけだ」

「そうなりますね。ここは結構お気に入りです」

「なら次に気になってくるのは、この場所がどうして君の居場所になり得たのか、ということだね。ここはほとんど何もない、名前もない、空き地みたいなものなのに」

「だからこそ、ですよ。この空間には固有の名称がないから、だから私はここを気に入っているんだと思います」

「なるほどね」

 僕は頷いた。ミサトの内側に通っている論理をわずかでも理解できたとは思えない。しかし、彼女にも彼女なりの行動原理のようなものがあるらしいということに、ひとまず僕は安心したのだった。

 一度こちらを振り向いたきりで、以来ミサトはずっと空を見ていた。思えば廊下の窓から傾斜の上に彼女の姿を見つけたときも、ミサトは多分空を見ていたのだろう。何か面白いものでも見えるのだろうかと思い、ぐいと首を逸らしてみた。だけど、そこにあるのはいつもと同じ、もうかなり日の傾いてしまった茜色の空だった。

 僕もまた同じように空を見上げていることに気がついたらしいミサトが、どこか楽しそうな声で尋ねてきた。

「何が見えましたか?」

 僕は答える。

「何って、空だろ」

「他には?」

「雲、鳥、青白い月。もう少し視線を落とせば、校舎、山、屋根、電線。太陽は西の果てだ。ここからじゃ校舎が邪魔で見えない」

「なるほど。ありがとうございました」

「どういたしまして」

 次第に首が疲れてきて、耐えられなくなった僕は視線を普段の高さまで落とした。その一方で、ミサトはずっと上ばかりを見ている。彼女は首以外に身体も逸らせているから、身体への負担が幾分か分散されているのだろう。まあ、それにしても、長時間その姿勢のままだと結構堪えそうなものだけれど。

 それから思いついて、僕は思い切って尋ねてみることにした。

「君には何が見えるの?」

 なんだか彼女はずっとその言葉を待っていたように思えたのだ。そんなのは気のせいかもしれないけれど、僕の自惚れかもしれないけれど、それでもあの瞬間の僕にはそういう風に見えた。だから、僕は彼女に訊いた。――君には何が見えるの?

 空の下でミサトはゆっくりと目を閉じて、それから俯きがちに、あるいは深く頷くようにして言った。

「水」

「水?」

 僕は思わず訊き返す。

「それから火花」

 ミサトは何も答えずに続けた。

 僕は彼女の次の言葉を黙って待った。

「なんでしょう。決して消えることのない線香花火を水の張ったバケツに入れて、その様子を水面の内側から眺めているような、そんな感覚です」

 わかりますか? とミサトは言った。

 わからない、と僕は答えた。

 それで構いません、とミサトは笑った。

「ユイ君」

 唐突にミサトが僕の名前を呼ぶ。

「何?」

 僕は校舎のほうを眺めながら答えた。時計の針はもうじき一七時半を回りそうだ。空の明かりが心許なくなっていくにつれて、肌を刺す寒さもなんだか強度を増していくように感じられた。

 ミサトの声が耳元を揺らす。透明に澄んだ冬の空気は、まるで彼女の声だけを切り取るみたく綺麗に伝える。

「最後に空を見たのはいつですか?」

 そして、その言葉こそが、つまり、僕がミサトと青空を強く結び付けている理由の一つだった。

 夕焼け色に染まった放課後で、だけど彼女の言葉はどこまでも青空の色だった。

 透き通っていて、突き抜けていて、透明で、孤高で。

 有体に言えば、僕はそんな彼女の言葉に、彼女自身に強く惹きつけられたのだった。

 僕は、今度は本心から笑って、答えた。

「いつだろう、分からないな。そもそも覚えてないよ、そんなの」

「なるほど。じゃあ、今度からはなるべく覚えておくようにしてくださいね」

「覚えて、それからどうするの?」

「ユイ君の暇なときにでも、またこうやって私に教えてください」

「それだけ?」

「それだけです」

 そう言い切って、ミサトはガードレールに預けていた背をひょいと持ち上げた。

「帰るの?」

「そうですね。ちょっと冷え込んできましたし」

「そっか」

 僕は頷いた。

「ユイ君はまだ帰らないんですか?」

「どうかな。気分的にはもう帰ってもいいかなと思っている」

「気分的には」

「でも、君と話していたら、もう少しだけ空を見ていたくなった」

 だから、ここに残るよ、と僕は言った。

 それを聞いたミサトは、どういうわけか嬉しそうに笑う。

「それじゃあ、またの機会があれば、これから見える空の話を聞かせてください」

「うん。またの機会に、きっと」

 そのやり取りを最後にして、ミサトは裏庭を去っていった。その日、僕は何時頃までそこから空を見ていたのか、正直なところ全く覚えていない。多分だけれど、僕はその日、生まれて初めて正面から空に向かい合ったのだろうと思う。自分が普段過ごしている町の夜空には、こんなにもたくさんの星が浮かんでいるのだということを、だって僕はそこで初めて知ったのだから。プラネタリウムみたいに分かりやすい星空では決してなかったけれど、少し目を凝らすだけで遠く微かな光点が幾つもあることがすぐに見て取れる空だった。

 あの日以来、僕はよく空を見上げるようになった。そして、そのたびに、ミサトもいま同じ空を見ているのだろうかと思う。彼女がよく口にする言葉の一つに、私たちは同じ空を見ているわけじゃない、というものがある。それはきっと正しいのだろう。僕らは一度だって、初めて空について話した放課後でさえ、同じ空を見てはいなかった。だけど、それでも、僕の個人的な願いを言うのであれば、僕は彼女と同じ一つの空を見ていたいと思うのだ。それは決して間違った感情ではないと僕自身は信じている。僕が未だにミサトと行動を共にしている理由があるとしたら、多分それだけで全部だ。

 すっかり息を潜めた夜の街を歩く。目指すは河川敷。ミサトはきっと今日もそこにいる。空を見上げた。薄い雲に隠れた月の周りが微妙に赤みを帯びている。あれも月暈の一種なのだろうか。分からない。ミサトに訊けば教えてくれそうだ。天体関係のことなら、彼女は大体何でも知っている。彼女は空が大好きだから。

 信号機だけの交差点を西へ下る。もうじきに河が見えるはずだ。まずは挨拶をするとして、その次はいったい何から会話を始めようかと考える。今夜の月の話題以外にも、彼女に話してみたいことが幾つかあった。そうして色々と考えを巡らせてみて、だけど最後にはいつもと同じ答えに至る。まずは空の話をしよう。いつも通りに。ミサトと話すのなら、最初はやっぱりそれだ。彼女は今頃、ベンチに腰掛けながら夜空を眺めているはずだ。彼女にとって、あの赤色はいったい何に見えているのだろう。返ってくる答えを一通り想像してみる。だけど、彼女が本当に言いそうなことは何一つとして思いつけなくて、そんな当たり前に僕は小さく笑った。

 

 

kazuha1221.hatenablog.com

 

 

 

それはそうとして期末試験がマジで嫌だ

 

 曲はできないし文章は書けないし、深夜三時ゆえ物理的にどこへも行けないし、明日の演義での発表問題を二問解き終え原稿に書き起こしたにもかかわらず全く眠くならず、そんなこんなでブログ用の記事を書き始めました。書きたいことはそんなにないんですが、とりあえず近況報告から入るとすると、Web広告が最近やたらと墓地に関する情報を表示するようになってめちゃくちゃ凹んでます。いや、まったく詳しくないんでアレなんですけど、Web広告って多分Cookieか何かを参照して提供する情報を選んでいるじゃないですか。一方で、文字書き勢としてはやっぱり調べ事が色々あるわけですよ。たとえば年代ごとに流行っている衣服の名称だったり、それは必要であれば男女問わず調べますし、あるいは都内から別の場所へ行くとして車で何時間ほど要するのかということだったり、ダンスレッスンに使う部屋には何が置かれているかとか、そもそもそういった施設はどういった階層構造をしているのかとか。他のところでいえば単に修飾技法やコロケーションなんかも調べますし、まあその辺りは感覚だけで書いてもいいかと思うんですけど、でも結果出来上がるのは(見る人が見れば)リアリティに欠けた稚拙な何かでしかないんだろうなという思いがあり、調べものなんて五分十分あれば終わるのだからそこで妥協するのはクリエイターのすべきことでは到底ないという思いがあり、それを他人に押し付けるつもりはありませんけど、しかしこと自分においてはそれを許すこともできず、そんなこんなで「これはどうなんだ?」と一瞬でも疑問に感じたことは片っ端から検索にかけるというだけのつまらない人生を送っているのですが、先日某所の墓地について調べていたらWeb広告が一面墓地の情報で染まりました。マジで助けてください。まだ死にたくないよ……(シリアス系アニメの第三話辺りで第一の犠牲者が発する台詞)。

 

 先日、もはや前期の節目になっているとさえ個人的には思っているイベントが無事終了し、「あとは期末試験だけだなあ」くらいの気持ちになっています。一回生は、何人くらい来てたんだろう、五人? 前日準備とかはもう少しいたような気がするけれど、本番の二日間はそれくらいだった気がします。結局、そんなにベラベラと何かを話したということもなかったんですが、まあ、また(良い意味で)癖の強い人(良い意味で癖の強い人って何? 分からん)たちが入ってきたなあ、とは思いました、前日準備のときに。特にPA組。PAって毎年そういう人が集まるようなアレがあるんでしょうかね? 不思議。

 同回の誰かとお酒を飲んだことって、いや、これまでにも何度か機会はあったように思うんですけど、個人的にはこれが初めてくらいの気持ちで打ち上げのときは過ごしていました。これまでにあったものといえば集団の飲み会とか何だかんだとかで、一対一ってのは間違いなく皆無だし、集団での飲み会にしても「いま自分はこの人と同じ場にいるのだな」みたいな気分で飲んだことは一度もありませんし、それでいえばまあやっぱり初めてのことだったのかなあと思います。楽しかった。機会はそんなに多くないだろうけれど、できればまた飲みたいね。

 ライブそのものもまあ楽しかったんですけど、まあっつうかめちゃくちゃ楽しかったんですけど、自分は割とその前後の空気感を楽しんでいる節があり、一日目前夜の泊まり込みで音楽流しながら誰かと話すだけの空間とか、打ち上げでご飯を食べながら人の曲を誉めまくるだけの空間とか、ああいった時間が本当に大好きで、あの一瞬に生かされているなあと思います。去年からは某後輩君がみんなの曲をキーボードで演奏してくれたりして、あの空間を自分なんかが享受していて本当にいいのだろうかという思いさえあります。二回生組とはようやく色んなことを話せるようになってきたという感覚があり、そんな二回生の多くは泊まり込みの場にいて、普段は見えないような一面を覗かせてくれたりくれなかったりで、別にそれを無理に覗こうとするつもりは全くないんですけど、なんか、生きてるなあ、みたいな気持ちになります。いや、普通に生きてますけど。

 あと、打ち上げのときに『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』という作品を吉田寮食堂に転がっていた謎のディスプレイで観たんですが、めちゃくちゃ良い作品だったのでメモ程度のつもりでここに記しておきます。これは円盤を持ってきた人も同じようなことを言っていたんですけど、あの作品を百合と一言で断じてしまう人間はマジでセンスがないです。

 

 これまでの話とは全く無縁のサークルのほうがどうやら夏コミに受かったようで、それ自体は全く関係ないんですが、関係ないというか、受かってようが落ちていようがいま書いている作品は仕上げるつもりだったので、そういう次第で七月まではまだ忙しい日々が続くのかなという予感があります。忙しいというか、何て言うんでしょうね、忙殺? 作曲とかもそうですけど、生み出す過程が何よりも辛くて、出来上がった瞬間が何よりも幸せで、六月中は辛い日々が続くのだろうという予感がある、といった表現のほうが、だからより正確です(そして辛い日々が続くとブログの更新も滞る(昨月がそれ))。作るのが楽しい段階なんてとっくの昔に飛び越えてしまっていて、そういった太古の感情を取り戻せるものなら取り戻したいなあという話は昨日の打ち上げでしたものの、しかしまあ不可能で、もがき苦しみながらでもやっていくしかないよな~みたいな気持ちです。でもまあ僕は「何で創作やってるの」と訊かれれば「楽しいから」と答えるような人間なので、諦めるってことは多分ないと思います、多分、こころが折れない限り。

 

 一時間くらいしたら眠くなるかなあ~と思いながらポチポチやってたんですが、いま無性にお腹が減ってきて死にそうです、マジで助けてください。今日は朝九時に起きてパン屋へ駆け込むという明確なビジョンを既に確定させてしまったのでコンビニへ行くわけにもいかず、そういうわけで空腹感と戦いながらなんとか眠ることにします。おやすみなさい。

 

 

 

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 百番目の記事らしいですね、これが。だから別に何があるって話でもないんですけど、今朝起きて思ったことを書こうと思います。

 

 何が綺麗で何がそうでないのか、なんか分かんなくなってきたなあ、というのが目覚めて真っ先に感じたことでした。何だろう。僕、朝起きてすぐにベッドから抜け出すのが無理で、だから目が覚めて最初にすることって音楽を聴くことなんですけど、今日は目覚めのアラームが『ray / BUMP OF CHICKEN』で、それから昨日買った『セブンティーナ / はるまきごはん』を聴いて、同じアルバムだからってことで『メルティランドナイトメア / はるまきごはん』を聴いて、何となく『Lemon / 米津玄師』を聴いて、それくらいの時間が経てば何とか思考できる程度にはなるんですが、そうは言っても考えることなんて、朝だなあ、くらいのもので、カーテンの外が明るいな、みたいな。多分晴れてるんだろうな、とか。そういえば、なんか工事の音が聞こえるんですよね。工事の音というか、金属をぶつけ合う音が。擦りつける以外の金属音はそんなに嫌いってわけでもないので、こういう朝もそれはそれで綺麗かもな、とか考えてたら、いや、綺麗って何が? みたいなことを考え始めて、それでいまですね。綺麗とか綺麗じゃないとか、結局、それは個人的な定規じゃないですか。僕、米津玄師はマジで凄い人類だと思っていて、尊敬してるかって言われると別にしてませんけど、でも、客観的に見て彼は凄いし(客観的には見ていない)、個人的にも好きですし、曲はそんなに知らないのでアレなんですが、それはそれとして、彼のことを毛嫌いしている人もそれはそれでいるわけじゃないですか。だから、分かんなくなってきますよね。絶対普遍的なものなんて存在しないことは理解してるつもりなんですけど、それでもこう、その事実をいざ突きつけられてしまうと怯んでしまうというか、自分が綺麗だと思っているものもそれが綺麗だと信じているだけなんだろうなと思ってしまうわけです。はるまきごはんはめちゃくちゃ良いトラックメーカーだと自分は思うんですけど、それも自分がそう思ってるだけだし。彼の作る音楽の良さは広く世に認められているわけですけれど、でも絶対的ではないよなあとか。それを嫌いな人がどこかにはいるんだよな、というだけの事実がもう十分すぎるくらいに辛くて、こんなにも綺麗なのになあ、とか考えて、それは自分がそう思ってるだけだよな、とか考えて、ぐるぐるぐるぐる、それでいま。自分にとっての綺麗なものが全人類にとってもそうであってほしいとか、そういうことを言っているわけじゃないんですが、何て言うんですか、ああでもそういうことを言っているのかもしれませんね。どうなんでしょう。知らないだけであってほしいな。好きだとか嫌いだとか、自分も結構言いますけれど、じゃあ嫌いな奴はどうでもいいのかといえばまあそんなことはないし、嫌いな相手だってできることなら好きでいたいし、好きになりたいし、だから、自分の知らない部分ではそうであってほしいなあとか考えてみるんですけど、でもこれについても以前言われましたね。人間はそんなに綺麗じゃない、とか。覚えてます。一応は自戒のつもりで。

  みたいなことを考えてたんですけど、どうやって飛んだのか、これまでにかかわってきた人たちのことを思い出したりして。大人からすれば二十年なんてまだまだなんでしょうけど、それでも二十年というそう短くはない時間を生きてきたわけで、主観で言えばそれは十分に長い時間で、自分にとっての綺麗なものというのはその道中で拾ってきた何かたちなんでしょうけれど、その中には誰かから分け与えてもらったものもあるんだろうなあと思ったりもして、というかそっちがほとんどなんじゃないかなあとか、自分で拾ったものなんてたったの一つでもあったのかなとか。そんなこんなでこれまでのことを思い出したりして、次の記事が百回目ってこともあったと思うんですけど、彼らのことについて書いてみようかなと思い立って、それでいまです。懐古とは違うつもりなんですが、それはそれとして、いまの自分がいるのは彼らのおかげだという気持ちはやはりそれなりに強いので、まあちょうどいいタイミングだったんじゃないかという気がしますね。

 

 とりあえず真っ先に思い出せるのは三人です。その三人について書こうと思います。

 

 一人目は、自分が確か中二のときにインターネットで知り合った相手です。もしかすると中三だったかもしれません。その辺りは曖昧です。高一か高二のときに一度だけ会ったことがあります。

 自分が作曲に関心を持ったのは中学に入ってから知ったボーカロイドという文化が直接の原因だったのですが、一人目の彼がいなければ多分関心を持ってそれっきりで終わっていただろうなと思います。彼は僕の一つ上で、僕が知ったときには既に作曲を始めていました。彼は今でこそ(音ゲーをそれなりにやってる人なら恐らく知っている程度には)超有名なコンポーザーになってしまったわけですけれど、その当時からめちゃくちゃカッコいい曲を作っていて、その様に憧れたというか、自分で曲作れたら絶対楽しいじゃん! となったのは彼の音楽に触れてのことでした。僕がいま使っているDAW(曲を作るためのソフト。文章でいうwordみたいな)は彼が当時使っていたのと同じものですし、それは彼に勧められて作曲を始めたからなんですが、曲を作るという行為は現状自分の生活のそれなりの部分を占めていて、なんか、あのとき彼に出会ってなかったら今頃どうなっていたのかとか、ほとんど想像できません。どうなってたんでしょうね、本当に。京大を志した理由の一つに、現在所属している『吉田音楽製作所』というサークルがあるんですが、だから、彼と出会ってなければいまここにいる理由が二つくらい消えてしまうんですよね。それは怖い。なんだかんだここへは辿りついていたのかもしれませんけれど、そうでなくてよかったと思うばかりです。

 まだあと二人残ってるんですが、三人のうち彼との付き合いが一番長く、中二のときに知り合ったから今年で九年目になるんですかね。近頃は流石に以前のように夜通しで哲学的(年相応)なこと話したりとかはしなくなりましたけれど、彼も忙しそうですし、それでもたまに通話したりすると、やっぱ変わってないなあ、と思ったりもします。彼も彼で壮絶な人生を歩んでいるようで、多分僕なんかよりもよっぽど辛く大変な道のりをいまも前に進んでいるんだろうなと思います。彼から貰ったものといえば、何でしょうね。音楽に対する姿勢は間違いなく彼から勝手に受け継いだものだと思うんですが、それ以外にも、たとえば創作は命を削らなきゃやってられないとか、この辺りも彼の在り方と自分の性質とか結びついて出てきた考え方な気がします。彼は本当に実力の伴った作曲家で、それは身内ゆえの色眼鏡を通した姿ではなく、彼の能力は実際に認められていて、それ自体は僕も自分のことのように嬉しいんですが、一方で、付き合いが中途半端に長い分、そんな彼の裏側も多少は知っていて、いや、ほとんど赤の他人ですしまったく知りませんけど、でも多少は知っていて、そうやって広く認められる以前の彼はとても辛そうで、力はあるのに機会がやってこない感じの、本当にどうしようもない行き止まりみたいな。成功している人間のことを才能の一言で片づけてしまうのは簡単ですけれど、そうやって辛そうにしていた頃の彼と、それでも多大な努力を払い続けた(いまもそう)彼のことを自分は多少知っているので、だから何かから逃げたくなったときとかには彼の姿を思い出したりします。努力は必ず報われるなんて言葉は真っ赤な嘘ですけど、報われた人間は彼のように死ぬ物狂いの努力を重ねているのでしょうから。自分も頑張らなきゃな、って気持ちになります。

 

 二人目は、高一のときに知り合った相手ですね。媒体はTwitter。会ったのは二回。

 彼は自分の三つ下です。だから、当時中一。僕が浪人してるので、いまは大学一回生。そう考えると、まあヤバいですよね。今年で七年目の付き合いというと一人目の彼よりも短いのでそうでもないように感じるんですが、その間に自分は高校一年生から大学三回生になり、彼は中学一年生から大学一回生になり、時間の流れを否応なく感じさせられます。でも一方で、それだけ付き合いの長い相手がいるというのはかなり幸せなことだな、とも思います。僕は彼のことをあまり知りませんし、彼も僕のことをあまり知らないと思うんですが、このブログで度々登場するほうの彼の次に交わした言葉の多い相手といえば、恐らく二人目の彼なんですよね。三つ下なんですけど、まあ会話する上で年齢なんて関係ないですよね。そりゃそうだ。

 彼は、というか、彼も、なんですが、例によって壮絶な人生を送っているようで、壮絶な人生を送っている奴としか仲良くなれない呪いに掛かってるのかってくらい。彼は、いわゆる不登校だったらしく、中学の頃から。知り合ったときにどうだったのかは知りませんけど。彼と最もかかわったのは、例に漏れず自分が高校生だった三年の間なんですが、その間彼は(立場上)中学生だったはずで、そのくせ自分なんかよりもずっと大人びた考え方をしているなと、当時の自分はそんな風に感じていたように思います。とても中学生とは思えないくらい。彼がどういった理由で中学へ通わなくなったのか、僕はまるで覚えていないのですが(そもそも聞いたことがないかもしれない。それすらも覚えていない)、いまにして思えば、いまの自分と同じような感じなのかなと思わなくはないです。勝手な想像ですけれど。生きにくさっていうんですか、あるじゃないですか、そういうのが。あるんですよ、普通の人は知らないかもしれませんけど。

 そんな彼も彼で創作(音楽)をやっている側の人間で、いまは距離を置いているようですけれど、また曲を作りたいみたいなことをそういえば先日言っていました。先日というか一昨日なんですが。久しぶりに通話しようよって話になって、向こうから、それでたしか八時間くらい。彼は多分自分と同じ類の人種で、向いている方向は割と正反対だったりするんですが、正反対なりに軸が一致していたりもするわけで、だから彼の性質には共感できる部分がかなりあるんですが、そういうわけで僕のほうも特に遠慮することなく話せたりもして、彼は自分の都合で相手を巻き込むことに多少気後れしていたようですけれど、まあ彼が何を気にするのかは彼が決めればいいんですが、僕の側から言えば彼との会話は他の人とはまた違った心地よさがあって好きですし、だから勝手に巻き込んでくれればいいと思うんですけどね。別に先輩面するつもりは全くないんですけど、今更そんなことを言うような付き合いでもないし、それに彼も自分と似たような感じだと思うので、助けになれるのならなりたいものです。自分は何度か彼に救われたことですし。

 

 書いている途中に一人思い出したので、間に挟みます。彼も例によってインターネット(Twitter)で知り合った相手です。彼とは何度か、少なくとも両手を使う程度の回数は会ったことがあると思います。

 彼は自分の、いくつ上なんですかね、三つくらい? 自分が高校生のときには既に成人していたような覚えがありますし、自分が一回生のときには社会人だったはずなので、三つ上ですかね。多分。彼とは創作の類で知り合ったわけではなく、音楽ゲーム繋がりでした。彼は嫌われ者、というとめちゃくちゃ失礼なんですが、二人目の彼とはまた違った意味で大人びた人でした。一つ上の層から物事を俯瞰しているような感じ。嫌われる。もう本当に思い出したくもないんですが、高校当時、特に一年生の頃とかの自分はマジの最悪で、彼には何度怒られたかことか分かりません。いや、多分そんなに怒られてないんですけど、でも覚えてるんですよね、色々と。後述の三人目が僕という個人を長い時間をかけて矯正してくれたとするならば、彼は何というか正論でぶん殴ってくる感じの、いまにして思えばそういう存在がいてくれたからこそ今の自分がいるんでしょうけど、うーん、って感じです。勿論感謝はしていますし、いまも好意的ですけどね。

 彼は別に壮絶な人生を送っているというわけではなさそうなんですが、でも就職してからの一年半くらいはめちゃくちゃ忙しそうにしてましたね。忙しそうにしてたというか、Twitterから消えちゃって。うわ、社会人怖、と思ったことを覚えています。彼は一応年上ですから、一応というか正真正銘疑いの余地なしにそうなんですが、だから彼にしか話せなかったようなこともそれなりにあって、そういう意味でも彼の存在はとても有難かったのだなと、本当にいまになってようやく思えます。三人目とのあれこれとか、僕と彼と三人目とはある意味で同じような空間で数ヶ月ほどかかわりあっていたので、その点、彼がもしいなかったらいまとはまた違った今があったんだろうな、みたいな気持ちになります。いまのほうが多分正解の未来だとも思います。彼とはまた会いたいんですけど、いや、一人目とも二人目とも三人目とも会えるものならいつだって会いたいんですが、でも彼についてはいまや普通の社会人なので難しそうだなあと思います。動機もないですし、場所も離れてますしね。僕は京都で、彼は広島。そんな簡単に会えるような距離でもないですね。本当に会おうと思えばきっとすぐなんでしょうけれど。

 

 三人目。ブログで度々登場する彼ですね。知り合ったのは高一のとき、Twitter経由の音楽ゲーム繋がり。同い年。

 といっても、彼について話すことなんてもう何もないんですよね。彼についてはこれまでに散々話してきましたし、何の意味があるんだろうなと思いながらも話してきましたし。意味。自分のことを話す上で彼の存在を避けて通ることはできない、ということは多分このブログの最初のほうで書いたように思いますし、そもそもこのブログを始めた動機だって彼との関係の延長線上にあるわけで、いまの自分が持っているほとんど全部は彼から貰ったものなんじゃないかとさえ思えます。でも、何だろうな。百回目にして言うことでもないんですけど、これって結局は思い出に浸ってるだけだよなあみたいな気持ちも心のどこかにはあるわけで、自分なりに前を向いて歩いているつもりなんですが、どうなんでしょうね。自分の内側を掘り進んでいくとどうしたところで彼の影に突き当たるし、歌詞とか文章とかを書いてるときにそれはよく感じるんですけど、自分がこれまでに書いたSSのほとんど全部が実はそれだって話はもうしましたっけ。ここではまだしていないような気がします。というかSSって名前も何だか軽くて嫌なんですけど、なんかこう、自分の中から何かを引っ張ってこようとするとどうしても一緒に出てくるんですよね、彼が。箪笥を引っ張ったら一つ上の段も一緒に引っ張られてくるみたいな。これは西尾維新物語シリーズで使っていた比喩ですが、たしか傾物語の冒頭辺りで、でも感覚としては正しくそれで、殊更話題に上げようとしているわけでもないのに、切っても切り離せない存在というか、三人目はそんな感じの人です。

 本当にもう何も言うことがないので別の話をするんですが、言うことがないっていうか、これまでに散々話してきたし今更書くこともないかなみたいな、そんな感じで別の話をするんですが、彼は彼で就活に忙しいらしいです。一方の自分はといえば、そっか、あいつも就活かあ、みたいな気持ちですね。どの辺りに就職するつもりなのかとかは全く訊いてないんですが、先日は東京まで行っていたようなので、そうなると来年以降はますます会えなくなるのかなとか考えたり考えなかったり。一人目の彼も、二人目の彼も、間に挟んだ彼も、こちらが少し勇気を奮えば友人と呼べる相手だと(少なくとも自分は)思っているものの未だにそう言えずにいるんですが、三人目の彼は、向こうがどう思っているかはさておき、僕は友人と呼んでいます。そうやって気兼ねなく友人と呼べる相手はさほど多くないわけで、それに彼とは会おうと思えばいつでも会えるような距離にあった分、来年以降のことを思うと結構心苦しくなるといいますか、何だかなあ、という気持ちです。変化が必然であることは百も承知なのですが、それはそれとして。会えなくても生きていてくれたらいいというのは本音なんですけど、でも会えるものなら会いたいですよね、やっぱり。

 彼のことを彼と呼んでいる理由とかは特にないように思うんですけど、というか最初にそう言い始めたのは去年五月頃の自分なので、当時の自分はどういった心理状態だったんでしょうね。あまり触れられたくないって感覚がまだ強かったんですかね、あの頃は。でも、いまの自分からすれば、それももういいかなって感じではあります。それは今更どうこうって話ではなくて、彼とのあれこれが軽くなったからとかでもなく、なんか、ようやく自分の中で消化できてきた気がするというか、二年近くかかりましたけど、この二年間で何度も文章に書き起こしましたし、音楽にもしましたし、夜明け色の空とか青空の夢とか、自分の中に在る彼へのあれこれはああいった感じで形になったし、だからもういいかなみたいな気持ちがあって、だからまあ、もういいって話なんですけど。彼のことを代名詞で指すのであれば本当は彼女のほうが正しくて、なんで最初からそうしなかったのかとかは本当に覚えてないんですが、何だろう、でも彼を彼女として語る必要がどこにもなかったというのはあるような気がします。実際ないですし。自分にとっても、彼にとっても、誰にとっても。性別が必要でないのと同じように、名前もまた必要でない。彼の実存的な正体が果たして何だったのかとか、そんなのは本当にどうでもいいんですよね。心底どうだっていい。僕は彼という概念そのものをずっと追いかけていたわけなので。

 多分今後もずっと追いかけていくことになるんだろうなあという気がします。青空と同じような感じで。それはそれで楽しいから構わないんですけどね。

 

 百番目の記事らしいですね、これが。だから何があったって話でもないんですけど、百番目に相応しい内容にはなったんじゃないかなあという気がします。いや、微妙かも。どうなんでしょう。

 

 

 

自己嫌悪なんて言葉を使う奴の話は真に受けない方がいい。

 

 いや、だから、これは結局つまるところ、左右どちらに舵を切るかってだけの話じゃないですか。違います? それはそうと、会話を否定から始める奴って本当に最悪ですよね、自分のことですけど。会話する気ないですからね。会話って相手の言葉に耳を傾ける作業だと思うんで、台詞の頭に否定語を持ってくる時点でそいつに会話の意思なんてこれっぽっちもないんですよ、自分のことですけど。それはともかく、だからまあ、そういう話じゃないですか? 分かれ道があって、どっちかを必ず選ばなきゃいけなくて、右へ行くか、あるいは左へ行くか。人間はどちらへ向かう習性があるんでしたっけ。左? たしか左ですよね。遊園地とかでも左回りにアトラクションを回る人が多いとか、たしか全体の七割くらいだったっけ。まあどうでもいいんですけど。そうなると、さて、僕らはいったいどちらへ進んだんでしょうかね。右? それとも左? まあどっちでもいいんですけど。

 

 自己嫌悪って言葉、最悪じゃないですか? なんだよ「自己嫌悪がすごい」って。知らねえよ、そんなの。勝手にやってろ。そう思いません? いや、これも自分の話です。ほかならぬ自分の言葉だからそれはもうボロ雑巾かのように扱うんですが、まあ最悪ですよね。だって、これって言い逃れみたいじゃないですか? 言い逃れっていうか、言い訳。「自分はちゃんと反省してます」みたいな。他の人にどう見えるかなんて知りませんけど、自分からはそう見えるんですよね。「こんなことをしてすみません。自分でも嫌なんです。でも、どうしても抗えなくて」みたいな。いや、小学生かよって。二十歳跨いでるんですよね、これでも。解ってんなら初めからするなよって、思いませんか? いやまあ思ってもらわなくて別に構わないんですけど、何から何まで自分の問題なんで。本当に最悪ですよね、マジで。自己嫌悪がやばいって、何がだよ。というか、いまこうして文章に起こしている瞬間も「お前何やってんの?」って感じがそれはもう途轍もなく圧し掛かっていてですね、やめちまえよって、そんなことしても誰も得しないじゃんって、いやまあそれはそうなんですけど、だからこれも全部言い訳みたいな、というか、みたいじゃなくて言い訳そのものですよね、言い訳ですよ、これは。ここにある全部が言い訳。他人が使う分には知りませんけれど、僕が使う限りにおいて「自己嫌悪」というのは逃げの言葉です。しかもかなり最悪に近いほうの。「謝ってんだから許してくれよ」みたいな、そんな感じのニュアンスですからね、これ。いや、本当に最悪だな。

 

 舵を切ったわけですよね、つまり。右であれ左であれ、どちらかへは進まなきゃいけなかったわけですし、別にそこに不満があるとかそういうわけでは決してなくて、いや、これは伝わる人にだけ伝わればいいと思ってるんでかなり暈して書いてるんですけど、その部分に対する不満とかは本当になくて、それだけは信じてもらいたいんですけど、それでまあ舵を切って、しばらくは潮の流れに従ってふらふらと進み、そしていま、みたいな感じじゃないですか。伝わる人にだけ伝わればいいって発言は割とマジで、というか逆に、余計な人間には伝えたくないって気持ちがあったりします。それはまあ、嫌われたくないからなんですけど。嫌われたくないじゃないですか、誰にだって。嫌いたくもないですし。何事もない感じで、それこそ水面下で波風を立てずにひっそりとやり過ごしたいじゃないですか。誰だってそうでしょう、多分、知りませんけど。いや、でも、何か、こう、駄目になりそうなときがあるじゃないですか。というか、いまがそれなんですよ。ジャストナウ。いまです。いや、本当に助けてくださいよ、誰か。誰でもいいんで。いや、誰でもよくはないけど誰でもいいんで。まあそんなテンションなんで怪文書を放つくらいの姿勢で書いてるんですけど。直接言わなきゃ伝わらないって、ああだからそれもマジですよね、分かってます。でも、それにしたって到底無理だって話もしたじゃないですか、散々。どれだけ真っ直ぐに受け取ってもらえたか分かんないんですけど、いや、無理なんですって、それも。無理じゃないですか? 嫌われたくないんですって、だから。嫌いたくもない。その解決策はそれほど簡単なことではないですし、というか、それが簡単だと思えるような人間はこんなことでいちいち立ち止まったりしませんし、こうやって文章を羅列するようなこともしないでしょう、多分。何やってんだ自分って気分になってきたな、いよいよ、マジで。自己嫌悪がすごいとか言いましたけど、いや、本当にすごいんですよ。2Lのペットボトルに詰め込んだら、それだけで十本は溶かせるんじゃねえかなってくらい。伝わります? めんどくさくないですか、だって。こう、自分の言葉一つも面と向かって言えないくせに、そのくせ文章では「伝わる人にだけ伝わればいい」とか。何様だよ、本当に。いや、でも、駄目なんですって。もうこれくらいしかできそうになくて、だから許してください。自己嫌悪というなら、そもそも多分誰もまともに読まねえだろうなあ、と思いながら書いてるってのもあります。いや、これはマジで刺さる。できれば自覚したくなかった。誰も読まないと思いながら、それでも書いてる理由はじゃあ何なんだって話になるじゃないですか。何のためって、それは勿論自分のためですよね。ほら、もう、だから駄目なんだよな。自分のことしか考えてないからさ、こんな風に。自分のことしか見てないんだって。嫌われたくないってのも、だから結局はそういう意味じゃないですか。自分が可愛いだけなんで。いや、なんていうか、そう考えてみるとここまでに書いた文章全部が塵に思えてきますね。いや、実際に塵ですよね、こんなの。真面目に読まなくていいですよ。真面目に書いてないですし。

 

 何が言いたかったのか、思い出せなくなってきました、そろそろ。自分のことしか見えてないよな、自分。いや、本当にさ。地雷みたいに見えるって言われたのをそこそこ引きずっていて、だからなるべく何も言わないようにしてたんですけど、いや、何て言うんですか、こう、その感情を押し留めようと必死になっている自分の存在を認識するたびに嫌になるというか、みたいに見えるじゃなくてそれそのものなんですよね、だから。的を射てるなあ、って感じ。だって実際考えたこともなかったし、そっちが何を思ってるのかとか。自分がどれくらい迷惑になってんのかとか。本当に自分のことしか考えてないんだなって。常日頃からですね。なんか、いやもうそれに尽きるんですけど。最悪だよな。最悪じゃないですか? 人のことをどうこう言うくせに自分のことしか考えられない奴。最悪すぎ。これも自分のことですけど。最悪ですね。最悪。

 

 右か左かとか、どうでもいいですよね、実際。どうでもいい。現にいまがこうなってるんだし、右へ進んだのか、それとも左へ進んだのかとか、そんな過去の話は関係なくないですか。関係ないですね。関係なし。でも、こう、選んだわけじゃないですか、少なくとも、何かしらを。なんか、それが何かなあ、みたいな。選んで、選んで、選んで、そうして辿りついたのが今なんだな、みたいな。だから結局、何がどうなったところでここに来ていたんだろうな、みたいな。伝わる人にだけ伝わればいいんですよ、こんなの。できれば誰にも伝わってほしくないですけど。それならこんなのはさっさとゴミ箱へ捨てろって話ですよね。本当に。解ってるつもりなんですよ、それくらいのことは。

 

 

 

output_20190531

 

 カレンダー曰く今日で五月が終わるらしいんですけど(本当に?)、今月、ブログを全く更新しなかったなあと思いながら(これは本当)、いまキーボードを叩いています。理由は明々白々で曲作ってたからなんですけど、このままいくと六月中も今月と同じような感じになりそうで、それはまあ夏コミの原稿があるからって話なんですが、うーん、どうなんでしょうね。別にブログを更新すること自体に対しては何の意味も価値も見出してませんけれど、こうして文字に起こすことで自分と対話できる貴重な時間を削っているのだなと考えると、もう少し趣味の時間配分を見直した方がいいかもしれないという気になってきます。といっても、自分の性格上、そんなのは土台無理な話なので、まあなるようになるだろ、って気持ちですけれど(本当に?)。

 

 今回は雑記です。最近考えていたことを前後関係無視で書いていきます。

 

 新歓シーズンが一段落して、そろそろ一回生の顔くらいは記憶に馴染んできた頃合いなんですが、とはいえ、名前とかは未だに全く覚えられていません。覚えようって気がないだけ、と言われたらそれまでで、まあ実際そうなんですが、このままじゃよくないよなあと思いながら新入生に話しかけてみたりみなかったり、最近はそんな感じで生きています(述語が大きい)。来週末にあるイベントで多分それなりの数の一回生とは話せると踏んでいるので、いまはそんなに頑張らなくてもいいんじゃないという気持ちがある一方、そのイベントまでに離れられると困るからやらなきゃなあという気持ちもあり、だったら動いた方がいいなと思ったり思わなかったり。いや、時すでに遅しですけどね。もう五月終わるって。そういえば、とある新入生が、服屋みたいに一人でいるときに話しかけられたりしないから楽、といった旨のことを言っていて、なるほど、そういう立場も当然あって然るべきだよな、と再認識したりしました。元来、自分もそっち側の人間だったような気がしますし、そうなると、むやみやたらに話しかけるのもある種一方的なコミュニケーションに当たるのかなあという感じがします(その一回生がそういった意図では発言していないことは勿論そうで、自分がそう感じただけ)。まあ、それだけです。でも、来週末は色んな人と話せたらいいなあ、と思っています。年に数回のイベントだしね。純粋に楽しみ。

 

「死にたいなら一人で死ね」って言葉が大衆の口から飛び出してくるの、本当に終わってるなあと思うんですよね――と書き始めると何か誤解されそうで嫌なんですが、それに纏わるエトセトラがTwitter上で議論されていた故にこんな話を書いているわけではなく、あの事件の朝、それを知ってすぐに感じたことです、これは。他の人たちの意見とかは特に関係ありません。そこは履き違えないでください。

 いや、上の言葉、本当に最悪の限りだと思うんです。思いませんか? 思わないなら多分僕がいま会話をしたいと思っている層ではないので読み飛ばしていただいて構わないんですが、なんでしょう、Twitterで議論をしていた(本当に?)彼らがそうであったように、僕だって殺人行為を肯定するつもりは毛頭ありませんし、それ自体は糾弾されて然るべき非道な行いだと思いますけれど、でもそれはそれとして、言葉に対して非道だなんだという概念をあてがえるのか否かはさておき、その言葉も非道と最悪の限りを尽くしてるよなあと思うわけです。思いませんか?

 この話ももう四、五回書いている気がするのでもういいかなって気持ちもあり、それでも多分何度も繰り返し主張することになるんでしょうけど、だから、ああいうのはどうしようもなく追い詰められた人間が選んでしまう最後の手段だと思うんですよ。その形は飛び込み自殺なり、あるいは公共の場での焼身自殺なり、今回のような通り魔なり(今回の事件は計画的なものであった可能性があるようなので、もしかすると該当しないかもしれませんけれど)、栄誉ある死っていうんですか? 絶対言いませんね。絶対言いませんけど、でも、もしかしたら似たような意味かもしれません。派手にやればやるほど大々的に報道されますから。そういう意味であれらの行為はある種の復讐じゃないのかなと思ったり思わなかったりします。何に対しての、と言われれば、まあ社会じゃないですかね。社会、環境、自分を追い詰めたこれまでのすべて。そいつらに対する復讐劇。無関係な人間を巻き込むなという主張は否定の余地なんてまるでないほどに正しくて、つまり僕が嫌に感じている部分はそこじゃなくて、被害者に感情移入するのであれば加害者にも公平に感情移入すべきで、だから結局、「一人で死ね」って言葉があまりにも無責任かつ無頓着かつ独善的すぎて、それが大衆の口から発せられたという事実が心底嫌だったんです(大衆、まあここでの『大衆』は『日夜Twitterで騒いでいる馬鹿』という意味ですけれど)。

 彼らは、多分考えないんでしょうね。周りにももしかしたら同じように苦しんでいる人がいるかもしれないとか、もしそんな人がいるなら自分には何ができるだろうかとか、あるいは自分が追い詰められる側に陥ってしまうかもしれないとか、そうなったら自分の手を引っ張ってくれる人は誰かいるだろうかとか。考えないでしょうし、考えられないんでしょうね、きっと。それはあくまでデジタルの向こう側で起こっているイベントだとしか思っていないでしょうし、あるいはそんなことさえ思いもせずに、そのくせ「一人で死ね」なんて言葉を平気で発信して、お前らみたいな人間のせいで追い詰められる人がいるんだってことも解んねえのかな、と思ったり思わなかったり。無関係に巻き込まれ亡くなった方々には掛けられる言葉なんてありませんし、僕はそんな立場にないし、あったとしても何も言いませんし言えませんけれど、それと同じくらい、加害者の側にだって掛けられる言葉なんてありません。そうするしかなかった加害者側のことを思えば、という意味です。倫理的にどうだとか、社会的にどうだとか、そんなのは論ずるまでもなく分かりきっているでしょう。被害者は被害者で、加害者は加害者です。それは紛うことなき事実で、だから語る余地があるとすれば、それは感情論だけです。みんな、被害者のほうにばかり感情移入しますよね。それって何だか不公平じゃないですか? 誰も加害者のことなんて考えなくて、誰もとは言いませんけれど、少なくとも声が大きいのは考えない側の人間ばかりで、そういった想像力の欠如が見知らぬ誰かを袋小路へと追い詰めていくんじゃないんですかね。と言ったところで、この程度のことも考えられない人は死ぬまで一生考えられないままでしょうから、別に期待なんてしませんけど、でも、悲しいですよね、それは何というか。あれだけのことをやって、それでもなお誰に振り向かれることもなくて、じゃあ、加害者にとっての救いってやつは一体どこにあったんでしょうね。分かりません。

 

 入学したての男子高校生みたいなことを言いますけれど、恋愛感情というやつの正体を未だに理解できていなくて、いや、あれはいったい何物なんでしょうね? 誰か知ってたりしませんか? そんなのは理屈で語るものじゃない、とか言われると、いやまあそうだけどさあ、と閉口する以外にないわけですが、それでも言語として落とし込みたくなるのが僕みたいなやつじゃないですか。ああ、いや、それはちょっと違っていて、別に言語として理解したいわけじゃないんですが、こう、手の中に在るものとして捉えてみたいというか、何かそんな感じの、欲しいって意味じゃなくて、どこか遠くにある名前も知らない一等星みたいな現状はちょっと物足りないから図書館へ行って調べてみようか的な、そんな感じのサムシングです。いまので伝わりました?

 人の恋愛経験とかはその実死ぬほどどうでもよくて、いやマジで心底どうでもよくて、というのもそれは僕の経験として消化できるものではないし、参考にはなるかもしれませんけれど、結局は参考止まりでしかないわけで、そういう意味でどうでもいいです。恋愛感情って何ですか。「あいつとはずっと一緒にいたい」みたいなそれですか? じゃあ、ずっと一緒じゃなくてもいい相手って誰なんだ、って話になりますよね。誰とだって、ある程度の関係があるのであれば、できることならずっと一緒にいたくないですか? 恋人とそれ以外とを区別する境界線がその程度のものでいいんですかね。いいかもしれませんけど、どうなんでしょう。なんか、分からないですよね。彼氏彼女元カレ元カノ、そういった関係性に名前を与えるという行為そのものが。いや、こんなことを言っているからいつまで経ってもここから動けないわけですけれど、それにしたって、名前のないものは存在できないなんていうのは偽の命題って感じがしませんか? 本当のことを言うと、自分の場合、周りの人たちのことを『友達』と表現するのも何だか嫌で、だからまあ『周りにいる人』とか、よくてもせいぜい『知人』くらいの言葉でしか表現しないんですが、それは「お前のことなんて別に友達とは思ってねえよ」みたいなアレでは決してなく、『友達』と表現してしまったが最後みたいな感覚が自分の中にあるせいだったりします。最後というか、いやまあ最後ですね。その言葉がいずれ呪いになるんじゃないかって恐怖がありませんか? ないですか。僕はあります。だから、誰かと自分の関係を言葉に直すことがあれば、いつだって慎重に言葉を探しています。自分への呪いになるのは当然嫌ですけれど、相手への呪いになることもまた本意ではないので。それでも気兼ねなく『友人』と呼べる相手なんて、多分二人くらいじゃないですかね。地元に一人と、もう一人は彼。それくらい。だからってわけじゃないですけれど、分かんないですよね、恋愛感情とかいうやつが。その、自分が相手に向けている感情を、これは恋愛感情だ、と同定してしまえるほどの何かがそこにあるんですかね。恋愛なんて理屈でするもんじゃないというのなら、恋愛と呼べない関係があってもいいだろうと思いますし、何でもかんでも『恋愛』と形容するほうがなんだか理屈っぽく感じられもします。そんな感じです、ずっと前から。

 

・追記 

『路地裏猫の正体 / TOKOTOKO(西沢さんP)』という曲があるんですが、全体的に歌詞がめちゃくちゃよかった(曲もめちゃくちゃよかった)ので暇な全人類は今すぐに読んでください(あわよくば聴いてください)。

www.kasi-time.com

 

 

 

想造世界のプレリュード

 

楽曲『想造世界のプレリュード』を投稿しました。

www.nicovideo.jp

soundcloud.com

 

【歌詞】

 

夕焼け色 初めて気づいた帰り道

宝石みたく光る 恒星を見つけた日

どこか嘘みたいで だけど眩しくて

その輝きの温度が 音符に変わった

 

言いたかった言葉が 不意に繋がって

伝えたかった景色が セカイに色をくれた

何度も思い想って 何度も描き殴った

落書き帳の続きを あの空に唄おう

 

誰も見えない透明を

蒼の彼方に 見つけたのなら

誰も知らない序章(こたえ)を

だけど僕らは きっと知っている

 

今 孤独なセカイの 風をとらえ駆けゆく

何ひとつありはしない空間めがけて

つたないウタで紡ごう このちっぽけな歩みが

僕らの最初の一歩になるように

 

夕焼け色 沈んだ暗闇の夜

何も見えなくなって 何も解らなくなった

ずっと追いかけて だけど届かなくて

あの輝きの行方も 忘れてしまった

 

言いたかった言葉は そんなに多くはない

伝えたかった景色だって きっと二つもない

何度も拾い上げて 何度も吐き捨てた

使い古したオトで 唄うのは誰のため

 

いつか触れたはずの星を

蒼のどこにも 見つけられない

いつか行き着く終章(こたえ)も

何も見えない 何も解らない

 

まだ見果てぬ真実 どこまで信じればいい?

偶然めぐり合うだけの言葉では

この愛しきセカイを失くしてしまうのだろう

今は立ち止まることさえできない

 

誰も知らないセカイを

いつかの僕らは きっと知っていた

はずなのに

 

夕焼け色 初めて気づいた帰り道

透明色の温度を いまも覚えていますか

ずっと届かなくて だけど追いかけたんだ

使い古したオトでいい 何度でも唄ってよ

 

今 孤独なセカイの 風をとらえ駆けゆく

何ひとつありはしない空間めがけて

つたないウタで紡ごう このちっぽけな歩みが

僕らの最初の一歩になるように

 

今 孤独なセカイに 確かな想いを描く

動き出した旋律(メロディ)のその先へ

響け この二度とはない虹の糸を繋いで

0が1になる 小さなプレリュード

 

僕らの最初の一歩がはじまる

 

 

【コード】

・イントロ

Key:D

|Gadd9======A|=|F7======Bm|=|

|Em==F#m==G=|=A==Bb===|Asus4|F#7|

|Bm|G|D|A|Bm|G|Asus4======A|N.C.|

 

・Aメロ1

|Dadd9/A|Dadd9/A==E7/G#==Em7/G=|Gm|Dadd9 F#7/E|

|Bm7/F#|GM7|E7/G#|A7sus4 A#dim7|

|Bm7|Gm7/Bb|Dadd9/A|G#m7-5|Gm|E7/G#|A7sus4|A7 A7sus2|

|Dadd9/A|Dadd9/A==E7/G#==Em7/G=|Gm|Dadd9 F#7/E|

|Bm7/F#|GM7|E7/G#|A7sus4 A#dim7|

|Bm7|Gm7/Bb|Dadd9/A|G#m7-5|Em7|F#m7|Gm7|A7sus2/G F#7|

 

・Bメロ1

|Bm7|GM7|F#m7/A F#7|Bm7/F#|E7|Gadd9|G#m7-5|A F#7/A#|

|Bm7|GM7|F#7/A#====Gdim7==Bm7/F#|=|Em7|F#7|GM7|A7sus4|A7|

 

・サビ1

|GM7|A|F#m7|Bm|Em7|F#7|Bm7|D9|

|GM7|A|F#7/A#|Bm|Em7/G|A7|Dsus4|D|

 

・Aメロ2

|Dadd9/A|Dadd9/A==E7/G#==Em7/G=|Gm|Dadd9 F#7/E|

|Bm7/F#|GM7|E7/G#|A7sus4 A#dim7|

|Bm7|Gm7/Bb|Dadd9/A|G#m7-5|Gm|E7/G#|A7sus4|A7 A7sus2|

|Dadd9/A|Dadd9/A==E7/G#==Em7/G=|Gm|Dadd9 F#7/E|

|Bm7/F#|GM7|E7/G#|A7sus4 A#dim7|

|Bm7|Gm7/Bb|Dadd9/A|G#m7-5|Em7|F#m7|Gm7|A7sus2/G F#7|

 

・Bメロ2

|Bm7|GM7|F#m7/A F#7|Bm7/F#|E7|Gadd9|G#m7-5|A F#7/A#|

|Bm7|GM7|F#7/A#====Gdim7==Bm7/F#|=|Em7|F#m7|Gm7|Asus4|

 

・サビ2

|GM7|A|F#m7|Bm|Em7|F#7|Bm7|D9|

|GM7|A|F#7/A#|Bm|Em7/G|A7|

 

・間奏

Key:F

|A#madd9|A#madd9|Fadd9/A|Fadd9/A|A#madd9|A#madd9|Am7|C7/Bb|

Key:G#

|C#add9/G#|D#/A#|C7/A#|Fm7/C|A#7|A#m7|D#7sus4|D#7|

Key:B

|F#7sus4|F# D#7/G|

 

・Bメロ3

|G#m7|EM7|D#7/G====Edim7=G#m7|=|C#m7|D#m7|Em7|F#7sus4|F#7|

key:D

|A7sus4|A7|

 

・Aメロ3

|Dadd9/A|Dadd9/A==E7/G#==Em7/G=|Gm|Dadd9 F#7/E|

|Bm7/F#|GM7|E7/G#|A7sus4 A#dim7|

|Bm7|Gm7/Bb|Dadd9/A|G#m7-5|Em7|F#m7|Gm7|A7sus2/G|A7/G|

 

・サビ3

|GM7|A|F#m7|Bm|Em7|F#7|Bm7|D9|

|GM7|A|F#7/A#|Bm|Em7/G|A7|Dsus4|Dsus4(9)/A Dadd9/A|

|GM7|A|F#m7|Bm|Em7|F#7|Bm7|E7|

|Gadd9|A|F#7/A#|Bm|Em7/G|A7|Bm7|E7/G#|

|Gadd9|A7|Dsus4|D|

 

 

【コメント】

 実に四ヶ月ぶりの新曲、かつ『Cloverteller』という合作名義での二曲目でもあります。バンドサウンドを作りたいと言い続けて早数年、少しずつ前進していけているような気はしますね、一応。

 それと、これはマジでどうでもいいんですけど、この曲の原案を作っていた頃にBUMP曲の研究(というほどでもないですが)をしまくっていたせいか、いたるところにそれっぽい要素が反映されていたりいなかったりします。暇な人は探してみてください(個人的にはAメロの進行とかが一番それっぽい)。

 

・曲について

 これまでに何度か尋ねられたんですが、どういう役割分担で合作を進めたのか、みたいなことを大雑把に書いておきます。

 コードとボーカルラインは、サビが霧四面体さんで、それ以外が僕です。編曲は、実際ミックスだとか何だとかをやっていたのは僕なんですが、ピアノだったりギターのアルペジオだったりピコピコだったり、そこら辺は全部霧四面体さんです。僕が打ち込んだのはドラムとバッキングのギターくらいです(かくいうドラムも霧四面体さんの案をもとに打ち込んだので、実質ギターだけ)。そんな感じです。この曲、裏でずっと鳴っているピアノのフレーズがかなりお気に入りなんですよね(二番Bメロとか最後のサビ前とか。Aメロのバッキングも好き)。まあ僕が考えたものではないんですが。

 前作『終末的存在仮説』ではコードとボーカルラインは全部霧四面体さんで、残りの編曲七割くらい(実はピコピコも半分以上)が僕、という風の分担だったので、つまり今回はそれが綺麗にひっくり返った感じです。意図して分けたわけじゃないですけど、結果的にそうなりました。

 

 ギターはElectri6ityとHeavier7Stringsです。後者はこの合作が編曲へ突入し始めた頃に導入したんですが、そのおかげで貧困が加速して第一宇宙速度を優に超えてしまい貧困故に酸素も買えず危うく死にそうでした。でも、めちゃくちゃ使いやすいですね、H7S。軽いし、音良いし。何より混ぜやすい。

 

 曲を作るときには、毎度何かしら新しいことをやるようにしているんですが(そのせいで時間がかかる)、今回でいえばギターのバッキングを頑張るぞってのがそれでした。エレキはボイシング考えないと音が死ぬので、そこでちょっと苦労しました。あれはバンドスコア片手に勉強するのが一番楽だったな。

 

 それと、前からやりたかった「短三度転調を四回繰り返して戻ってくるやつ」と「Bメロ→Aメロ→ラスサビで進行するやつ」ができたのでよかったです。後者はBUMPがたまにやるやつですね(『モーターサイクル』、『才悩人応援歌』、『真っ赤な空を見ただろうか』辺り)。

 

・歌詞について

 歌詞の分担は、サビが霧四面体さんで、それ以外が僕です。

 

 僕は基本的に特定の相手を一人想定した上で歌詞を書くんですが、つまりこれまでに書いた歌詞は全部そうだったんですが、今回は珍しくそれらしい対象がいません。本当はいたんですけど、考えてみたらあの人もそうだな、とか、自分もそうだったりしない? とか、それを繰り返すうちに輪郭がぼやけてしまった感があります。よく分かりませんけど。

 

・その他

 僕が好きなボカロPであるところの暴走Pからの影響で、「自分の曲に自分の絵を添えて公開する」というのが中学時代からの夢でして、半年ほど前に液タブを導入していた理由の一つにはそういった事情があったんですが、今回、ようやくそれが叶ったということで、それは純粋に嬉しいです、いまのところ。本当はもっと上手くなれていたならよかったんですけど、それは高望みというかなんというか、それならもっと量を熟せという話ですよね、いや本当に(量も何も、これが初めてちゃんと完成させた一枚絵なので)。次の曲でも同じことをするかどうかは考えてませんけど、次の機会があれば、そのときにはもう少し成長できていればいいなと思います。描けよ、自分。本当に。

  

 夢とか憧れとか。それらは真っ先に指の間をすり抜けていく連中だと思うんですけど、何て言うんですか、そういう思いを忘れてほしくはないなって気持ちが自分の中にずっとあって、モラトリアムだとか就活だとか、あるいは塾講をしてるときにもよく考えることで、これは。変化が必然であるということは疑いようもなく真で、だからいわゆる夢みたいなやつにしたって絶えず変容し続けていくし、あるいは形を失くしたり、見失ったり、それは自分自身のことにしたってそうで、本当になんて言うんでしょうね、こういうのって。自分でもよく分かってないんですけど、忘れたくないし忘れてほしくないって気持ちがどうやら内側にあるらしいということは確かで、なんかそんな感じのことを思いながら作った曲で、書いた詞で、描いた絵でした。

 

 

 以上です。聴いてもらえると嬉しさが天元突破して第n宇宙速度を軽々と飛び越えていくので、よかったら聴いてみてください。よろしくお願いします。