アンビバレント

 

 

 小さい頃からどうにも苦手なものが一つある。それは悪意だ。わずかでもあいつに触れてしまったその瞬間に、中空から不意に生じた言い表しようのない感情が内側へ染み込んでくる。その毒は他の何物よりも強力で、数秒もしないうちにあらゆる感覚を麻痺させてしまう。僕はあいつが苦手だ。端的に言って、怖い。自分へ向けられた刃はもちろんのことだけれど、他人へ向けられたそれにしたって、僕にとっては同じくらい怖い。だけど、それ以上に立ち会いたくないのは、ごく身近にいる人間がナイフを振りかざしている瞬間なのだ。あれだけは本当に苦手で、幾度となく体験してもなお耐性なんてまるで身につかない。よく分からないというのなら、誰でもいいから、たとえば自分の親がリビングで笑いながら包丁を振り回している様でも想像しながら読んでくれればいい。これがオーバーなんてことは決してない。僕の目にはそれとほとんど同じように、あるいはそれ以上に酷く映っている。

 自分の中に住んでいるその人物像が鮮明に縁取られていればいるほど、彼ないしは彼女が嬉々として他人を切り刻もうとする光景は脳裏に色濃く焼き付けられる。そこから先は想像の世界だ。その場面からいくら目を逸らしても、意識を夢に押し込めて忘れてしまおうとしても、頭の中では継ぎ接ぎの仮面を棄てた誰かが隠していた理想を片っ端から切り捨てていく。そんな妄想を端末の向こうに幻視しては、勝手に傷ついて、いっそのこと死んでしまいたいなんてことをいつしか考えるようになる。忘れられないのなら消えてしまえればいいと考えるようになる。現実が振り回した刃は、架空によって僕へと向かってくるのだ。こんな風に、手に余る想像力はよく暴走する。その起爆剤は分かりきっているのに、どうやっても避けられない。悪意なんてものはさながら小石のごとく自然にそこら中を転がっていて、つまりは珍しくも何ともなくて、なのに僕は頻繁に躓いて転ぶ。転んで怪我をする。痛みにも全く慣れないままだ。

 悪意はそこら中に満ち満ちている。一時の感情に身を任せて架空の誰かを攻撃し、そうして溜飲を下げることは最も簡易なストレス発散法の一つだからだ。小学生も、中学生も、高校生も、大学生も、社会人も、老人も、多くの人がその麻薬に頼っている。自分の理解が及ばない言動に対し何ら建設的でない言葉を投げかけ、さも自分は全てを理解しているかのような顔をする。歳だけは一丁前に食って、それ故に肥大したプライドの重さから逃げられない。だから、自分自身へはまるで目を向けない。顧みない。他人を攻撃してばかりいる。それが楽だから。楽しいから。わずかなコストで自分の器をいっぱいに満たせるから。そのくせ、他者を貶めることで得られる優越感に満たされる程度のちっぽけな器しか自分は持っていないのだということには全く気がつかない。まったく愚か極まりない。

 昨日の夜、久しぶりにかなり大きな石に躓いた。その衝撃があまりにも耐え難くて、その勢いか、僕の中の誰かがこう囁いた。大学生にもなってそんな小学生みたいなことで気晴らししてんのかよ。馬鹿じゃねえの。何歳だよ、お前。ネットの玩具で遊ぶ暇があるんなら、その貧相な頭を補うための勉強でもしたらどうなんだよ。そう吐き捨てた。切り捨てた。直後、鈍く尖った銀色の塊が一直線に物凄い速さで飛んできた。架空の刃だ。それは胸の奥深くへ突き刺さった。痛い。痛い。痛かった。これでもかと危険信号を発する意識をそれでも振り払って、僕へナイフを投げつけてきた奴の方を思い切り睨みつけてやった。そこに立っていたのは僕だった。向こう側の僕もまた、僕のことを鋭く睨みつけていた。

 胸に仕舞っていたはずの理想に深く突き刺さった刃は、紛れもなく僕自身が振りかざしたものだった。誰かが誰かを殺す。その誰かを僕は殺す。そうして理想は傷を負う。これ以上はもう傷つかぬようにと、免疫作用の如く現れたもう一人の自分が僕を殺す。そういう図になっている。だから、石に躓いて転ぶたびに、多かれ少なかれ、死んでしまいたいという気持ちになる。痛くて、辛くて、苦しくて、虚しくて、一度転んでしまえばなかなか起き上がれなくて、だったらいっそこのままでいいんじゃないかという諦めが嫌でも意識を掠めてゆく。もう起き上がりたくない。だって、どうせまた転ぶ。どうしようもない。どうしようもないだろ。どうしようもないんだよ。どうしろってんだ。こんなにも窮屈で息苦しい場所であと何十年も生きていけだなんて、まさか本気で言ってるのかよ?

 

 

 

さっさと死ねばいいのに

 

自分は生きている。

呼吸をしている。

吸って吐いてを繰り返している。

そんな当たり前を、ふとした瞬間に思い出す。

たとえば夢から覚めたとき。

目覚めが誘う感覚はあまりにも鈍くて、怖いくらいに鋭い。

目が覚める。

呼吸をする。

呼応するように心臓が脈を打つ。

耳元を通う血流が声高に叫ぶ。

身体は何事もなく生きている。

そんな当たり前が、酷く恐ろしく感じられる夜がある。

耳を塞ぐ。

その音は身体の内側でなおも響き続ける。

耳を塞ぐ。

何も聞こえなくていい。

耳を塞ぐ。

なにも無くていい。

 

  午前一時半に目が覚めた。何時間寝ていたのか覚えていないけれど、多分三時間くらいだと思う。それからはずっとレポートをやっていた。教科書を片手に五時間くらいかけて全部解いた。何やってんだろと思った。馬鹿らしい。

 大学をやめたい。やめたとして何をするんだろう。分からない。まあ多分死ぬと思う。ならさっさと死ねばいいのに。でも死ぬ勇気なんてない。だからレポートを書き切った。それだけ。

 浪人時代の自分は一体何に突き動かされてあれほど馬鹿真面目に勉強していたのだろうと思う。心底不思議だ。そこまでしてようやく入学した京都大学を、いまのお前はこんなにも退学したくて仕方がないと思ってるんだぜ。ウケるよな、マジで。

 

 

 

好きな音楽の話

 

 どういう曲が好きかって基準はどうにも人によると思うのです。いくら「俺はこれが好き!」と言ったところで、だからといって全人類がその歌を肯定するわけではありませんし、だからつまり自分が好きな音楽を他人へ強要するのは必ずしもいいことだとは言えないでしょう。それは価値観の押し付けです。僕は楽曲に対して強いだの弱いだのといった客観的な言葉を宛がう人間のことが割と苦手ですが、これはそういう理由から来ています。一方で、自分が好きなものは広めていきたいという気持ちもないわけではなくて、いやまあほとんど無いんですけれど、でもたまにはそういう話をしてもいいかなあとは思うのです。そういう話って、上に記したような事情から誰かと共有することが滅多にありませんし、ブログで書くくらいしか発散法がないんですよね。というわけで、今日は好きな音楽の話をします。全部を挙げるのは不可能なので、適当にピックアップして話します。含蓄があるわけでも何でもなくただの趣味の話なので、興味のない人はブラウザバックしてください。

 

 

①The Endless Love - HSP

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 個人的には、こういうときに一曲目へ何を持ってくるかで人となりが分かりそうな気がするのですが、僕は172.6°くらい斜に構えているのでこれを最初に挙げます。僕はボーカロイドを用いた楽曲が割と好きで、と言っても自分から掘ることはあまりしないのですが、よく聞く曲を順に挙げていくと圧倒的にボカロ曲が多いです。どうでもいいんですけど、iPhoneに入っている曲だと再生数上位30曲中22曲がボカロを用いた曲でした。残り8曲のうち2曲はインストです。僕がボーカロイド楽曲をより好む理由はめちゃくちゃにはっきりとしていて、これは僕が散々に話していることでもあるのですが、作曲者の普段見ている世界が曲中のいたるところで垣間見られるからなのです。ボカロ曲は大体の場合、最初から最後までを一人の人間が全て創るわけで、そう思うと歌詞だけでなく、音の配置や曲の構成なんかからもその人らしさみたいなものが窺えるような気が勝手にしています。

 当楽曲『The Endless Love』は音楽ジャンル的にはTranceに分類されるかと思うのですが、世界観が厨二全開でめちゃくちゃ好きです。音もいい。ちなみに作曲者はエロマンガ先生の挿絵を描いている人です。天はこうも容易く二物を与えます。

 好きなボカロ曲はいくらでもあるのですが、何でこれが埋もれてんねんというようなものを挙げるとすると、たとえば次のようなものがあります。

・Artificial Fantasia – くろずみP

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 めちゃくちゃいい。世界観が好き。

 

②Veritas - Nhato & Taishi

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 『The Endless Love』の説明でTranceという音楽ジャンルを持ち出してきましたが、僕はTranceがめちゃくちゃに好きだったりします。大好物です。BPMは大体140前後で、綺麗な感じの音をバーッといい感じに並べて、最後の最後で激ヤバメロディを引っ下げてフロアを火の海にするというような音楽ジャンル(適当)なのですが、それが好きな理由は偏に想像力をバリバリに掻き立てられるからです。中でもこの『Veritas』はドヤバいです。機械に囲まれた都市を歩いているような気分になります。

 Tranceは特にメロディを重視するジャンル(諸説あり)なので僕好みの音楽が固まっているというだけで、独自の世界観が確立されているものであれば別にTranceでなくてもよく聴きます。たとえば『Iustitia - Yooh』辺りがオススメです。暇な人は聴いてください。別に聴かなくてもいいです。

・『Iustitia - Yooh』

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③hope - dai

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 世界観という視点から言えば、僕の主観ではこの『hope』の右に出る楽曲はありません。僕のiPhoneに入っている楽曲群で堂々の再生数1位を誇る曲(どうでもいい)で、『うみねこのなく頃に』というノベルゲームのBGMに使用されていた曲です。これほどに心を動かされる楽曲には今後一生出会わないだろうなんてことを、僕は割と本気で信じています。この曲を聴きながら知らない道を歩くのが本当に大好きで、どこか遠くの異世界にいるんじゃないかという錯覚を起こしては、そんな想像上の街をつまらない現実へ落とし込んで、周りのすべてを意識外へ追いやるということを僕はよくやります。この曲が意識を支配している間だけは、この世界の何処からも自分の存在が消えているような気がして、その感覚に溺れることが癖になってしまっているのです。

 この曲を聴いていると、自分が海辺にいるような気がしてきます。空は橙を浮かべて、日没が近いことを示している。腰くらいの高さがある堤防沿いに造られた車道の上を歩いている。堤防の向こうにはテトラポッドが無造作に積み上げられていて、底の近くでは穏やかな波が打ち付けている。そんな物寂しさが漂う場所に一人で立っている気分になります。

 完全に余談ですが、dai氏の曲だと多分『you』が一番有名だと思います。

・『you - dai』

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④Fire and Rose – The QUEEN of PURPLE

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 世界観が伝わってくる曲が大好物的な話をこれまでにしてきましたが、そうでなくとも好きになりがちな曲の傾向があって、それが何かっていうと、ボーカルがハチャメチャにカッコいい曲なんですよね。ここで挙げた『Fire and Rose』とか、よく聴くやつだと『運命ジレンマ田所あずさ』とかがそれに当たります。何を以てカッコイイと言っているのかみたいなアレがありますけれど、端的に言って息遣いの入っている曲が堪らなく好きです。いま正にすぐ目の前でその誰かが主張を叫んでいるような気がしてくるので。

 ころあずの曲だとこれも好きです。

・『ストーリーテラー田所あずさ

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⑤Mighty Obstacle(「イースVI ナピシュテムの匣」より)

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 カッコいいボーカル曲の話ついでにカッコいいインスト曲についても話をします。僕はそもそもゲームミュージック(インスト)が好きで、だからってまあ深く聴いたりはしないわけですけれど、これだけは外せねえって曲がいくつかあって、『Mighty Obstacle』はそのうちの一つです。サビの解放感がヤバイです。ぶち上がります。暇な人は聴いてヤバさのあまりブレイクダンスを踊ってください。別に踊らなくてもいいです。

 これはやべーってゲームミュージックなら、次のも好きです。

・『こすいちのかくすらなきくどっとえぐぜ(「BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣」より)』

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 全体的に綺麗な音が並べられている一方で、ところどころにエグい音が割り込んでくるのがめちゃくちゃにいい。

 

⑥透明飛行船 – BUMP OF CHICKEN

 さてこれまでの話をまとめると、僕は「世界観が見えてくる曲」と「何かを叫んでいるような曲」を好きになりがちということになるのですが、そいつらを二つとも兼ね備えているやべーやつが『透明飛行船』です。

 マジでただのにわかなんですが、僕は最近になってBUMP OF CHICKENの楽曲にハマっています(今更かよ感がすごい)。バンド形態ゆえに作詞作曲がメンバー内で完結しているという点がボカロ曲のそれと類似していて、だから特段不思議なことでもないなあと思います。ただそれだけなら他のバンドやシンガーソングライターでもいいじゃねえかって話なんですが、理由らしいものは他にもあって、それは彼ら(作詞のクレジットは藤原基央)の綴る詞がめちゃくちゃいいからなんですよね。その話をするためだけにこの記事を書いていると言っても過言ではありません。

 僕がBUMPの曲をそれと認識して聴いたのは、たしか最初が『ラフ・メイカー』で、その次に『才悩人応援歌』、次に『セントエルモの火』という順だったと思うのですが、これやべえなと最初になったのは『才悩人応援歌』を聴いたときでした。高校三年生の時だったと思います。その衝撃と言えばもう凄まじいもので、藪から棒が出てきたかと思えば足元からは煙が立ち上がりそうして煙が青へ消えてゆく天の彼方では霹靂がこれでもかと飛び交っていたときくらいの驚きでした。これほどのリアリティを伴った人間らしさをこうも綺麗に吐き出せる人間がこの世にはいるのだなと思いました。

 そんな彼らの作る楽曲はどれもこれもリアリティが凄くて、つまりポップス特有の薄っぺらさ(雨の後には必ず虹が架かる的なやつ)が全くありません。それでいて、大衆に媚びるような感じも斜に構えるような姿勢もない。それが堪らなく好きです。中でも『透明飛行船』はヤバいです。全人類、今すぐに歌詞を読んでひっくり返ってください。

 にわかなので、これはやべーってなったBUMPの曲をいくつか挙げます。歌詞のリンクを貼っておくので、暇な人は読んでください。そして転げまわってください。

 ・『透明飛行船』

http://j-lyric.net/artist/a000673/l02397a.html

伏線回収が上手すぎる。頭おかしい。

 

・『ハンマーソングと痛みの塔』

http://j-lyric.net/artist/a000673/l00be37.html

比喩の鬼。何食ってたらこんなん思いつくねん。正気を疑う。一番と最後で「誰にも見えてないようだ」の意味が変わってるのが好き(藤原基央、やりがち)。文章上手お。

 

・『かさぶたぶたぶ

http://j-lyric.net/artist/a000673/l00be38.html

比喩の鬼。頭おかしい。歌詞を書くのが普通に上手い。

 

・『プラネタリウム

http://j-lyric.net/artist/a000673/l0046d9.html

いちいちリアリティが凄い。歌詞に具体性を持たせるのが上手すぎる。

 

・『HAPPY』

http://j-lyric.net/artist/a000673/l020153.html

ぶっちぎりで頭がおかしい。比喩や伏線回収が上手いどころじゃない。「優しい言葉の雨は乾く 他人事の様な虹が架かる」って、いやいやいや、何語だよお前。天才か?

 

・『記念撮影』

http://j-lyric.net/artist/a000673/l041279.html

馬鹿。

 

・『セントエルモの火

http://j-lyric.net/artist/a000673/l023978.html

伏線回収の鬼。具体と抽象の織り交ぜ方がめちゃくちゃ上手い。

  

 

 以上で終わりです。藤原基央の書く詞がヤバすぎるって話をしようと思ったら、自分の好きな音楽を列挙するだけの回になりました。僕はあまり本を読まないのでアレですが、今度は音楽以外でこういう話ができたらいいなあと思います。好きなものについての話題はいくら話しても話し足りないものなのです。

 

 

 

透明

 

 よく分からない何かに背中を強く押されて、ほとんど弾けるように家から飛び出した。家の中が酷く窮屈に思えてしまって、あるいは自分がいてもいい場所ではないように思えてしまって、行きたい場所なんてどこにもないくせに、それでも行きたい場所を探しに外へ出た。京都造形芸術大学がすぐ近所にあるということ自体は以前から知っていた。横幅も高さもやたらと大きめに設計された階段が歩道に面していて、その近くを歩いていれば嫌でも目につくのだ。赤信号一つだけを挟んだ向こう側に立ってそれを眺めてみると、それはまさしく空想上のアカデミアを切り抜いてきて現実に貼りつけたようだった。その瞬間、僕はなんだかその階段を上ってみたくなったのだ。きっと理由なんて特にない。自分の行為に動機をあえて当てはめるのであれば、そこに一度も上ったことがなかったから、ということになるのだろうけれど、だから上ってみようだなんてそんなことを今日に限って思ったのは、多分ただの偶然だ。

 これは遥か昔の話だけれど、芸大のような空間に憧れていた時代が僕にはある。中学生の頃だ。いや、高校生の頃でもまだ考えていたのかもしれない。はっきりとは覚えていないけれど、でもそういう憧憬を持っていたことだけはちゃんと覚えている。今日が日曜日だからか、階段の先に造られた構内に人は少なく、全体的にがらんとしていた。どんどんと先へ進んでいくと、色々な道具の置かれている部屋が見えてくる。卒業制作とかで使用されるのだろうか、なんて意味のないことを考えた。ノコギリがあるし、マネキンがあるし、画用紙のようなものや布の切れ端が落ちていたりもした。それを見て、なるほど、と思った。なるほど。芸術っていうのは何も音楽や絵に限った話じゃない。

 もしかしたら芸大へ進学していたような未来もあったのだろうか? いやあ、あまり想像がつかないからこればかりは無いだろうな。あったとしても、多分もう終わっている。これは想像に難くない。その世界線での僕はきっと早々に見切りをつけて自殺しているに違いないのだ。実際に部屋の中へは入らなかったけれど、あちこちを歩き回って色々な部屋を覗いた僕はそう思った。これはとてもじゃないけれど、僕が生きていける環境ではない。何というか、次元が違う。そう感じる理由は割とはっきりしている。僕は芸術がやりたいというわけでも、芸術の道に進みたいというわけでも別にない。だから、この場所にいるべきではないのだ。相応しくないから。

 この場所にいるべきでないというのなら、では僕はどこにいるべきなのだろう? 大したことなんて何も出来やしない僕は、いったいどこにいればいいのだろう。いったいどこであれば、存在を許してもらえるのだろう? 京都造形芸術大学構内を適当に歩き回っていると、広場とすら呼べないようなちっぽけな空間へ出た。腰の高さほどの柵がぐるりと設けられていて、小さな階段が二ヵ所にある。階段と階段との間は、控えめに見積もっても十五歩程度で事足りそうだった。二人座りがやっとの横に長いベンチが四つ、未だ点灯していない街灯の下で肌寒そうに身を寄せ合っていた。ベンチの向かいでは吉田松陰銅像がどこか遠くを見据えていた。ふと気になって、その目線の先を僕も追ってみる。何か見えるのだろうかと期待したけれど、すぐ近くに生えていた幹の細い木の枝葉が邪魔で何も見えやしなかった。それがどこか可笑しくて、少しだけ笑った。

 この世の全てとの関わりを失う代わりに自分が飽きるまで生きていられるか、あるいはこのまま人間らしく寿命を全うして生を終えるか、どちらか好きな方を選ばせてやろうと言われれば、僕は間違いなく前者を手にとる。これまでの不遇を詫びるつもりなのか、大学に入ってからの自分は嫌に恵まれていて、色んな人たちに出会って、色んなことを話す機会があった。炎の話、水の話、言葉の話、想像の話、お互いの話。思い出せないくらいには多くのことを話したと思う。まだまだ話足りないと思うし、もっと多くのことを話したいと思っている。それは本当のことで、つまり僕の本心なのだけれど、それでも、僕は幽霊になることを選ぶのだと思う。好きな人も、嫌いな人も、尊敬できる人も、心底軽蔑する人も、こっちへ来てからはたくさんの人と知り合ったものだけれど、でも、そんな奴らのことは全部どうだっていいと吐き捨てる自分が心のどこかに棲んでいて、どうしようもなく意思の弱い僕は、だからこそ前者にこそ手を伸ばすに違いなかった。それは他人を見下そうとする傲慢さゆえの決断では決してなくて、もっと惨めでみっともない感情ゆえの諦めだ。

 特にすることもなかったから、適当に写真を数枚撮って黄昏終えたら階段を降りた。帰り道の途中で夕暮れの空を見上げた。珍しく彼のことを頭の片隅で考えていた。行きたい場所なんてない。そんなことは家を出るよりも前から分かっていた。生きていたいともあまり思わない。それは死にたいという意味ではない。どっちでもいい。生きていようが死んでいようが、きっとこれ以上はもう何も変わらない。どうでもいい。僕がいて、彼がいて、自然があって、人工があって、それ以外の人間がいて、それが僕の認識下にある世界で、彼の存在によって僕という存在は十分に満たされたから、生きることに対してあまり未練がない。一方で死ぬことへの恐怖は存分にあるから、だから今日も僕は死なない。いつも通りに息を吸い込んで、そうして言葉を吐いている。

 家を飛び出したのは行きたい場所が欲しかったからじゃない。ただ居場所が欲しかったからだ。彼の隣に立っているのは僕じゃない。それはそれで構わない。だから、他のどこか、遠く離れた世界へまで歩いてゆこうと思っていた。そこに広がる空の色を僕は未だ知らないけれど、辿りついたその場所でこの世界が創り出す全てをただ不思議そうに眺めていたかった。そうは言っても性根はやっぱり人間で、孤独はどうしようもなく嫌で、誰かと話がしたくて、なのに誰とも話せなくて、やっぱり自分の居場所なんてものはどこにもないのだと不貞腐れている。誰も見つけてくれないというのならいっそのこと空気にでもなって、あるいは幽霊にでもなって、そうやって誰にも見えないような存在でいられたらいいのになんて、最近はそんなことをよく考える。過ぎたことを願う自分さえも殺して、透明な概念のままでこの空を漂っていられたらいい。誰もいないどこかに立って、頭上に薄く広がった橙を眺めながら、そんな夢をぼんやりと宙に描いた。

 

 

空っぽでなにも無い。

 

 こと想像力という能力一つを取り出してみたときに、神海隣空無よりもそれが抜きん出ているように思われる人間と僕は未だかつて出会ったことがないし、また今後出会うことも決してないだろう。そうはっきりと断言できてしまうほどに彼女は異常で、異様で、異質で、千差万別多種多様の人間を許容しうる大学という空間であっても、あるいはこの広大な世界そのものでさえ、彼女の特殊性を覆い隠すにはまるで遠く及ばない。一見すると普通の大学生でしかない彼女は、しかし僕らが認識しているそれとは完全に隔てられた次元に生きているのだと、一度でも彼女と話した経験のある人ならばきっと誰もがそう思うに違いなかった。そして、それ故に彼女は他の何物とも交わることがない。どうしようもないほどに超越的な彼女は、だから、他の誰からも理解されることがない。神海隣空無という人物について、僕が知った風に話せることといえばその程度のものだった。

「空っぽでなにも無い。私はそういうつまらない人間なんですよ」

 記憶の中にしんと響く彼女の声はどれを取っても形容しがたい色味を帯びていて、それでいて、しかし耳にはよく馴染んでいた。空っぽでなにも無い――彼女が口癖のように唱えるその言葉は、彼女に与えられた名前に引っ掛けたものであるということはさておき、果たして彼女がどこまで本気でそう言っているのか、僕はどうにも測りかねる。たしかに知る限りにおいて、彼女は運動神経がずば抜けているというわけでも、並外れた頭脳を兼ね備えているというわけでもない。それでも、彼女には想像力という他の何物をも寄せつけない唯一無二の武器がある。先天的か否かはさておき、それほど強大な道具を与えられておきながら、なにも無い、だなんて言い草はないだろうと僕は思う――けれど、彼女は自分が何も持っていない人間なのだという、ともすれば聞こえの悪い冗談を、恐らくは本心から信じているのだろうとも思う。たとえば、彼女は僕の話を、どんなに些細なことでもいいから、とやたらに聞きたがる。その理由を以前彼女に訊いたことがある。曰く、

「この世界がどんな表情を他に隠しているのかとか、ふと興味が湧いたりはしませんか?」

 たしか、僕はそのとき首を横に振った。あるいは曖昧な笑みを返しただけかもしれない。あまりよく覚えていないけれど、何にせよ、肯定しなかったことだけは間違いない。というのも、彼女が何を言っているのか、正直全く分からなかったから、だから僕は頷くことができなかった。

 一方の彼女はといえば、そんな僕に対してもまるで無邪気な笑顔を向けていた。

「他の誰かが見ている世界を一瞬だけでも覗いてみたいんです。だってそこはきっと私なんかが見ている世界とは全く違うだろうから。電線がない世界、公園がない世界、信号がない世界。あるいは年中ずっと青空の世界に、幸せばかりが転がっている世界や、いつだって星の見える世界だって。可能性は無限にあります。でも、私は現時点でこの世界にしか生きていないし、これからもこの世界でしか生きられない。そんなの、つまらないじゃないですか。だから、その世界に生きている人へ是非とも話を伺ってみたいと強く思うのですよ」

 彼女は、だからこそ、空っぽでなにも無い、という言葉をそんな自分への呪いのように幾度となく口にするのだろう。彼女の眼にはきっと、見えなくてもいいはずの暗い影や誰も気がつかないほどに些細な光まで、正負善悪様々な概念が犇めきながらもはっきりと映り込んでいるに違いない。それらすべてに触れてみたいなんてことを彼女は本気で考えているから、だから、いまの自分はまだ何も手に入れていないのだと、あの言葉には多分そういう意味があるのだろうと、彼女とよく行動を共にさせられる僕にはそう思えて仕方がない。まあ、彼女のそういう厄介な性質が災いして、彼女が呼吸をしている様はどうしようもなく生き急いでいる風に、あるいは生き急がされている風に、誰の目からもそう映ってしまうのだろうから、彼女が不満げに話すその点について僕が思うことは特にない。

 ああ、でも――。

 すぐ隣に座っているようで、いつもどこか遠くを眺めている彼女の横顔を認めるたびに、少なくとも僕の全てが終わる一瞬まではそのままの彼女であってほしい、なんてことを僕はよく考える。消えてしまわないでほしい。彼女の生きている世界は何物よりも輝いていて、何物よりも汚れていて、きっと何物よりも真実らしい――そんな彼女がいつまでも彼女のままでいられるというのなら、それだけでいい。それがいい。その他には何も望まない。僕の隣に彼女がいる必要はもとより、彼女の隣に僕がいる必要さえない。彼女の空を少しでも埋められたならいいけれど、でもそれは僕じゃなくたっていい。僕と彼女がいまは二人でいることに、それでも意味なんてものはない――なくていい。

 彼女と出会ってからというもの、僕はずっとそんなことばかりを考えている。ずっと、ずっと、ぐるぐるぐるぐると、絶え間なく頭から爪先までの全身をゆっくりと通っている。熱くもなければ、冷たくもない。どこまでも無温の透き通った赤。

 この感情の色を、しかし僕は未だ知らない。

 

 

 

ルールはいつだって絶対的に正しい。

 

「たとえば先輩は、指定最高速度が何のために存在するのかということを考えたことがありますか? ん……、ああ、ほら。あれですよ、あれ。赤い円の中に青色の数字が書かれている標識で指定されている速度のことです――常日頃から見ているでしょう? そこら中にありますし、何ならすぐそこの大通りにも設置されていますからね。あの標識はその区間内での最高速度を指定することを目的にされていて、だから一般にその制限速度のことを指定最高速度と呼ぶわけですが――まあ、そんなことはどうだってよくて、いま僕が先輩に問うているのは、その目的の裏にあるのであろう何かしらの意味についてなのですよ。きっと先輩ならば僕と同じ考えを答えてくれるはずなので、先輩の返事を待たずに僕の考えをざっと述べてしまいますけれど、結局のところ、あれがないと困るからなんですよね――いやいや、そこに捻くれた理由なんてあるわけないじゃないですか。流石の僕でも、こんなところで変な理念を持ち出したりはしませんって。指定最高速度や法定最高速度という概念が存在しないと、僕ら人間は非常に困るわけです。だって、それを排した先に待っているのは純然たる無秩序ですから――当然ながら誰もそんな混沌とした日常を望んではいないわけで、だからこそ人間は法律という制限を、あるいはルールという境界線を作り上げたわけです。この世に数多とある決まり事は束縛のためのものなのだと、愚かな勘違いをしている人がこの国には結構いらっしゃいますけれど、全然そんなことはなくて、あれは僕らの快適な生活を保障するために存在しているのです。そういうわけで、何のためにかと問われれば、返すべき言葉は、快適に生きていくため、となるのでしょうね。だからこそ、ルールはいつだって絶対的に正しいのです。法によって保たれる秩序を享受することの代償として法の絶対性は生じてしまうわけで、それ故に僕らはその事実を受け入れなくてはならない。認めなくてはならない。法は常に正当で、真っ当で、その前提を疑ってはならないのです。一応断っておきますけれど、僕は法の柔軟性を否定しているわけではありませんよ。時代の遷移に伴って、法は作り替えられていくべきですし、古の掟を守り続けることが正解だとは全く思っていません。しかし、それはそれとして、法というやつは基本的には一定であるべきだと、僕はそう言っているのです。例外があってはならないし、例外を認めてはならない。それこそが、法の下に生きる僕らが最低限理解しておくべきことなのです」

「ところで、ここまでの話を踏まえてですが――先輩はこんな思考実験を聞いたことがありますか? 線路を走っていたトロッコが突如として制御不能となり、このままいけば前方の線路で作業をしている五人は間違いなく死ぬという状況で、しかし先輩は日頃の行いがよかったのか、偶然にもトロッコの進路を変更することができる分岐器の近くに立っていたのです。もしそれで線路を切り替えるとその先で作業中の一人が代わりに死ぬんですけどね。さて、ではその場面で先輩が取るべき行動はいったい何でしょう? ただし、先輩がどのような行動を起こそうと法的な責任は問われません、という但し書きを最後に添えて、これがこの思考実験の全設定です。実際問題、そんな状況はあり得ませんけれどね――ああ、これは、法的な責任が問われない状況はあり得ない、という意味です。先輩がどのようなアクションを起こそうが、その場に立ち会ってしまった以上はもう既に巻き込まれているわけですから、何かしらの社会的非難が向けられることは避け得ないでしょうね。それを踏まえた上で、先輩ならどうしますか? 五人を助ける? 何もしない? 僕みたいなやつからすれば、この問題は最も正しいとされるべき答えが一意に決まっているのですけれど、それって何だと思いますか? まあ、あんまり長引かせてもなんですのでさっさと答え合わせを済ませてしまいますが、最も正しい答えは、何もしない、です。何もしないことが、何よりも正しい選択であるべきなのです。それは、五人を救うために一人を犠牲にすることは許されない、だとかそういった正義感に基づいた主張では決してありません。何もしないことが正当であるのは、ルールこそが絶対的に正しいから――たったそれだけの根拠からですよ。人を殺してはならない――小学生でさえ知っている、最も基本的な法の一つですね。この思考実験の状況において分岐器にはたらきかけてしまったが最後、先輩はその五人と一人の生死に関与してしまったことになります。そこに殺意があろうがなかろうが、あるいは正義感や葛藤があろうがなかろうが、先輩が分岐器を動かしてしまった瞬間に、本来死ぬ必要のなかった一人が死んでしまうのです。だったらそれは、先輩がその一人を殺したのと何ら変わりがないでしょう? 過程なんて関係ありません。だから、触れるべきではないのです。何もせずにいるべきなのですよ。こういうことを言うと、それは見殺しにしているだけだ、などと非難したがる人がいますけれど、しかしそれは全くの的外れでしょう。法よりも優先されるべき人命なんてものはどこにもないし、あってはならない。だから、これは見殺しなどではなく、ある種の不可抗力ですよ。運命と言ってもいい。その五人は其処で死ぬ。そういうことになっていた。先輩は偶然居合わせただけで、それ以上でもそれ以下でもない。ただの舞台装置ですよ。たったそれだけのことなのに、それなのに、やれ義務感だの倫理観だのと、考える頭もないくせに小難しい要素まで拾おうとするから、こんなにも分かりやすい答えの一つすら掴めないのです」

「それで、何の話でしたっけ? ああ、そう、飲酒運転ですね。条件を一度整理しますけれど、ええっと――物凄く腕の立つ名医が一人いて、近場だとその医者にしか到底扱えないような病に侵されている患者が一人いて、さらにはその患者の病状が突然悪化したとして、しかし医者は六時間ほど前に飲酒をしており、意識は明瞭そのもので運転にも支障は全くなかったが、運悪くも道中の検問で引っかかってしまい、その場で逮捕されたとする――このとき、医者の行動は果たして正しかったのか、という先輩が受けたのはそういう問でしたっけ? 結論から言えば、正しくないでしょう。それを正しいと認めてはなりません。いくら意識がはっきりしていたといっても、それは飲酒運転をすることの免罪符にはなり得ませんし、当人にはそのつもりがなくともそんなことは関係ありませんからね。結果として、彼は法を犯した。犯してしまった。ならば、彼は正しくない。法によって裁かれるべきで、社会から非難されても文句は言えない。ルールはいつだって絶対的に正しいのですから。それに、代案ならいくらでもあるでしょう。近くにいた人に代行運転を頼むとか、タクシーを呼ぶとか、何なら救急車でもいいですよ――人命にかかわるほど急を要するというのであれば、本来の用途とは異なりますが、それでも救急隊員の方々が不平を零すことはないでしょう。飲酒をしてしまったという事情を説明すれば納得してくれるはずです。要するに、医者側のミスなんですよ、結局は。自覚があろうがなかろうが、いま自分が車を運転することで罪を犯してしまうかもしれない、そういう可能性を考慮できなかった医者の落ち度です。だから、彼は正しくない。先輩だって、そう答えたのでしょう? ほら、やっぱり、ちゃんと分かってるんじゃないですか。だったら――先輩が僕に尋ねたいのはその先なのでしょうね。ふふ、図星ですか? いえ、まあ、そんな大したことじゃないんですけれど――っていうか、その問に対して先輩がどう返すかなんてことは今更分かりきっていますし、その答えに先輩なりに筋の通った信念を宿していることも僕は熟知しています。だから、それだけならば、僕なんかにわざわざ訊く必要はない。なのに、わざわざ僕に訊いたということは、つまり、それだけではなかったということです。ごく簡単な想像ですよ、推理ですらない。先輩が尋ねられたのは、たとえばこういうことでしょう? 『では、自分がその立場に置かれた場合、いまと全く同じ思考に基づいて、全く正しい行動を起こせるか』。想像するに、先輩はその問には即答できなかった。だから、僕の意見を窺ってみようと考えた。あるいは、もう既に自分なりの解答を用意していて、しかしその答えの正当性を自分では認められないから、それを僕に任せようとお考えになったのでしょうか。まあ、どっちでもいいです。僕がその問を向けられたとしたら、僕はたった一言だけでこう答えるでしょうね。『無理だ』。どうです? 同じ答えでしたか? はは、そうでしょうね。先輩なら僕とまったく同じことを考えると思っていました。だって無理ですよ、そんなことは。考えるまでもありません。ここで、自分ならばそれができる、などと平気で吐かす人間は想像力が欠落しているどころではなく、ただの馬鹿ですね。できるわけがない。家族、友人、恋人、誰でも構いません。自分にとって大事な人へ強大な障害が降りかかっているとして、その状況下でルールなんてものを重んじる人間が、一体この世界のどこにいるというのです? まあ世界は広いですから、隈なく探せば小学校の一学年分くらいはいるかもしれませんけれど、そんなものはマイノリティです。大体の人間はルールを破ります。だから、僕らは決して正しくない。そして、だけれど、決して間違ってもいない。そうではないですか? こればっかりは幾度となく言っていることですけれど、完璧な人間などどこにもいないのです。僕らは正しくない。正しくはあれない。どう足掻いたところで正しい存在では決していられない瞬間がいつかは訪れる。僕の挙げた思考実験や、あるいは先輩が受けたような思考実験が正しくそれです。何を選んでも手が汚れてしまいそうな、どの道を進んでも足を踏み外してしまいそうな、そういう一瞬が誰のもとへも平等にやってくる。その瞬間に自分が選び取るべきは、分岐器を操作するための正義感でも、暴走するトロッコを無視するための諦観でも、どちらでもありません。どちらを選んだところで、それは間違いです。では、その瞬間に手にするべき何かとはいったい何なのでしょうね? って、先輩のことだからもうとっくに分かってるか――それが答えです。仮定の話ですが、飲酒運転をしてしまったという件の医者が、もしそれを手にした末にその行動を起こしていたのであれば、彼は正しくないにせよ間違ってもいなかった、ということになりますね。それは第三者である僕たちが知り得る情報では決してありませんが、でも、それでいいのです。だって、それを手にできるのは、そういう強い人だけですから、だから、それでいいのですよ」

 

 

 

言葉の裏に隠した言葉

 

 先日「一葉が何を書いてるのかが全く分からない」的なことを言われまして、「まあ、不特定多数に何かを伝えるために書いてるわけじゃないから、そりゃあな」みたいな感じで答えたのですけれど、それに際して改めて自分の綴ってきた文章やら何やらを振り返ってみて、「まーた似たようなこと言ってるよ、こいつ」なんてことを思ったわけです。好きな言い回しとか言葉とか、文字を書く人間ならそういうものが一つくらいあるだろうと思うのですが、折角なので、この機会にそれについて記しておこうと思います。別に解釈されたいわけじゃないのですが、こういう話をするのもたまにはいいだろうと思いますし、ちょっとくらい言葉の裏に隠した言葉に触れてもらえたいという気持ちもあるわけですし。こういうことはあまり書くべきではないとは一応思っているのですが(二回目)。

 

 

 「星」

 好きな言葉というやつを具体的にはどう判断するのかということだけれど、何かを吐き出そうとしたときにパッと手にとってしまうような単語や表現こそがそれに当たると僕は考えている。その基準に従えば、「星」という名詞は僕が好きな言葉の筆頭として挙げられる。僕が書いた文章で星が出てくる何かしらをざっと並べてみる。

 

・『奈緒「これって恋なんかな?」志保「は?」』(SS)

……いつか、あの星まで届けばいいな。

・『キグナス』(ブログ)

だから、あの星はいつかの憧憬ではあったけれど、だけど未来ではなかった。

・『スカイブルー・ナイトメア』(曲)

僕らは今日も迷いながら いつか見えた星を目指す

 

 僕の中で「星」という存在が獲得しているイメージはずっと一貫している。「星」という概念を僕はいくらなんでも使いすぎだろというくらいに使っていて、しかもどれにしたって似通った意味でばかり使っている。だから、自分からするとこれほど分かりやすい主張もないなあと思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしい。

 星は遠くにあるもので、どんなに背伸びしても決して届かない。それでも人はそれに向けて手を伸ばす。その手が、たとえ指先少しででも届けばいいなんてことを考える。それは、夜空に浮かんでいる星々が何よりも眩しいからで、どこまでも真っ直ぐだからで、故に僕らは夜空の煌めきを見上げ、焦がれ、憧れる。それに、星は絶対に無くならない。いつだって其処に在る。何年も昔からの光を、いまの自分へまで届けてくれる。誰だって一度くらいは子どもの頃にその白に吸い込まれたことがあるはずだ。忘れているだけで。

 僕が言う「星」は多分「夢」だとか「憧れ」だとか、あるいはその具体的対象だとかに置き換えられる。誰だって見上げたことのあるはずの星空を、いまはもう見えなくなった星空を、何かと共通項の多い夢という対象へ僕は置き換えているのだった。まあ先に挙げた三つにしたって、上から順に「思慕の対象」「小さい頃の夢」「有り得ない未来」のことだし、こうやって答え合わせをしてみると何だか味気ないというか、僕という人間の思考の薄っぺらさが露呈した感が些か否めないけれど、まあ今日はそういう気分だからいいということにしておこう。

 

 

「夜明け」

 僕の書いたものに『夜明け色の空を探して』という作品があるのだけれど、そこでは鬱陶しいくらいに「夜明け」という言葉が出てくる。実は好きな言葉。まあ、それにしたって、これがそのまま夜明けそのものを指しているというわけではなくて、「星」と同じように別の何かへ置換できる。この作品はまだサークルの会誌としてしか世に出ていないので、ここで詳細を話すことは避けるのだけれど、というかそれが公開できるようになったらまた話すのだろうと思ってはいるのだけれど、いい流れなので思わせぶりな話だけ書いておこうと思う。

 とりあえず曲のリンクを貼るので、暇な人は聴いて。

soundcloud.com

 

途切れてく 記憶の音

遠くの声は 夜明けに消えた

閉じてゆく 氷空の下で

今は もう……

 

降りそそぐ 時の中で

キミに出会えた そんな奇跡も

いつか見た 流れ星も

此処にいた キミのことも――

 

 僕が作った曲に『キミとボクと時の箱庭』というものがあって、その歌詞の一部が上に書いたそれなのだけれど、「夜明け」という言葉を初めて使ったのはここだと思う。僕は元々夜明けという概念が、正しくは、顔を覗かせた太陽が辺り一面に広がった空や海を次第に照らしてゆく様が好きだった。

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 これは去年の九月末に家族で鹿児島へ行ったときに撮った写真(実は日没)で、上の曲のサビで使ったメロディと歌詞はこの旅行中に思いついたものだった。だから、この曲での「夜明け」は上の写真のイメージがそもそもにあって、さっきの「星」と同じく、そこから派生した色々をいまでは纏っている。『夜明け色の空を探して』のタイトルに「夜明け」が与えられたのは全くの偶然で、ルーツはBUMP OF CHICKENの『ナイフ』という楽曲にあるのだけれど、作中で使った「夜明け」の意味については、『キミとボクと時の箱庭』とそもそものイメージが原点だったりする。

 上で「いい流れ」と言っていたのは、これが「星」の話と繋がっているからだ。というのも「星」というやつがいよいよ「見えなくなる」、それが「夜明け」という時間帯の意味するところであり、つまり僕が持っている「夜明け」の印象は「星」に対して持っているそれを引き継いだようなものになっていたりするのだけれど……、まあここから先は秘密ということで。

 

 

 僕はこういうことを意識的にも無意識的にもよくやる人間で、だから、自分の言葉をあまり額面通りに受け取りすぎるときっと意味不明なんだろうなあと思います。だからといって、しっかり考えて読んでくださいね、なんて傲慢極まりないことが言いたいわけでは決してなくて、結局、最初にも書いたように、分かる人にだけ分かればいいんですよね、こんなことは。まあ、なんか今後僕がまた「星」だの「夜明け」だの言い始めたときには、「まーた似たようなこと言ってるよ、こいつ」と思ってください。