歌詞の話

 

 自分が書いた歌詞の裏話をします。こういうの、あまり好きじゃないんですけど、まあでももう書いちゃったし、ブログなら上げてもいいかなと思ったので公開することにしました。以前にも文章のネタばらしみたいなことをやりましたが、それの歌詞バージョンだと思えば、別にそんなに抵抗ないですね(嘘です)。

 

 多分間違いだらけだと思うので、話半分で読んでください。

 

 

スカイブルーナイトメア

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【歌詞】

数年前の夏影 一緒に飛び込んだ星空

見えないふりをした傷 見えなかった涙

 

誰にも触れられたくなくて だけどそれでも知ってほしかった

青に塗れた落書きを 夜明け色の空に 唄う

 

数年ぶりの夏空 通り過ぎていく飛行機が

蝉時雨をかき乱す あの夏のように

 

ずっと其処に在ったはずの 暖かな思い出だって

陽炎のように消えるんだ 解っていたよ

 

いつか触れた君の声は いまじゃとても遠いけれど

僕はそれがただ怖くてさ 空を見上げられなかったんだ

 

そう 僕らは今日も迷いながら いつか見えた星を目指す

指先にそっと触れた白も掴めないよ 僕なんかじゃ

 

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に いつまでも溺れていようよ

 

数年前の夏空 通り過ぎていく飛行機を

不思議そうに眺めていた あの夏の日のこと

 

空っぽだったはずの 二人掛けのベンチにさ

君が座っていたんだ 気付けばずっと

 

いつか触れた君の言葉は いまも此処に置き去りのまま

僕はそれを手放せなくて 空に背を向けていたんだ

 

そう 僕らは今日も迷いながら いつか見えた星を目指す

指先にそっと触れた白は 君と暮れた夏の色さ

 

そう 僕らはいま目を覚ました いつか見えた夏はもう来ない

だって知っていたんだよ 解っていたんだよ 君はきっと消えてしまうんだって

 

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に いつまでも溺れていたかった

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に さよならを

 

スカイブルーナイトメア

 

 

 

【コメント】

 最初に書いたのは一番サビの「そう僕らは…僕なんかじゃ」の件です。

 ここだけはマジで何も考えずに書いていて、何も考えずに書いたというよりは思考のステップを何段かすっ飛ばして出てきたフレーズで、「迷いながら」とか「星」とか「白」とか、自分の好きな言葉がこれでもかと詰まっている辺りにその雑さを感じます。だから「指先に触れた白」って何、みたいなことを訊かれても困るんですよね。知らんがな。

 修飾技法についてはあまり詳しくないのですけれど、ここでの「白」はおそらく換喩と呼ばれる部類のもので、前文の「星」に対応しています。換喩というのは、たとえば「白バイに捕まった」みたいな文章が正しくそれで、こいつは白バイに捕まったんじゃなくて白バイに乗った警察官に捕まったんですよね。でも、いちいち言わなくても伝わるから省く。こういうやつです。歌詞に限らず、何か文章を書くときに僕はこれをよく使います、主に色の描写で。便利だからというよりは、そっちの方が幾分か正しく相手まで届くと思っているので。

 ちなみに「星」は比喩なので、「白」が何なのかは「星」の意味を正しく汲み取れないと多分何も分かりません。というかこの一フレーズ全部が比喩なんですけれど、だからこの曲で言いたかったことの全部がここに詰まっているなあと、個人的には思っています。あとは全部、この部分の補足というかヒントです。

 

 次に決めたのは、たしか曲名でした。

 朝起きて、カーテンを開けて、そしたら空があまりにも綺麗に澄んでいたもので、それで青空にまつわる詞を書きたいと思って、でも先に出ていた歌詞があれだからあまり前向きにもなれなくて、というか別に前向きなことを書きたいわけでもなかったし。青空ってどうしたってポジティブなイメージがあるじゃないですか。だから、どうにかしたかったんですよね。ナイトメアが後ろにくっついているのは、そういう理由です。

 この直後に一番サビの後ろにくっついている「ああ…溺れていようよ」の件を思いつきました。あと、二番サビで繰り返せたら面白いよなあ、みたいなことも考えてはいました、薄々。

 

 次が多分一番Aメロ(「数年ぶり…解っていたよ」)だったと思います。

 この曲で語られているような情景を実体験として持っているわけではないのですけれど、青空から連想されるものとして思いついたのが、夏、公園、公共の時計、一本の樹、ベンチ、飛行機、蝉の鳴き声、その辺りだったので、その辺りの言葉を景色がイメージしやすい順に並べました。まずは季節を書いておいて、最初は空を見ているから次に来るのは飛行機、飛行機の次は音繋がりで蝉、最後にそいつらを全部まとめて思い出で括っています。

「数年ぶりの夏空」はちょっとだけ撞着法っぽい表現になってはいるのかな、と思います。撞着法というのは、たとえば「慇懃無礼」みたいに、真逆の意味の言葉をくっつけて文意を成立させる表現法です。一見すると矛盾しているので読み手の注意を引き付ける効果が期待できます。夏は毎年来るはずなのに、にも関わらずそれを数年ぶりと表現していることにはそれなりの意味があって、という話です。

 

 もうここからはずっと上から順に書いていっています。次は一番Bメロ(「いつか触れた…見上げられなかったんだ」)です。

「いつか触れた君の声」は共感覚法です、多分。共感覚法というのは五感同士での入れ替えを行う修飾技法で、たとえば「うるさい味」とかがこれに当たります、多分。声に触れるってなんだよって感じですけれど、ここでは聴覚を触覚に置き換えています。共感覚法のメリットは、別の感覚器官の言葉を使うことによって、自分のイメージを簡潔に言い表すことができる(ことがある)ということにあると個人的には思っています。ここの「触れた」にしたって、言ってしまえば「聞いた」でも十分に文意は通るのですけれど、「触れる」という言葉には、こう、優しくて柔らかいという風のイメージがあるじゃないですか。あとはなんだ、自発的な感じとか? 共感覚法を使うことで、わざわざ説明しなくとも「君の声」にそういった印象を添加させることができます、多分。まあ実際に書くときには、そんなことは全く考えていないわけですけれど。ドントシンクフィール。

 

二番Aメロ(「数年前の…気づけばずっと」)。

 ここから過去編です。

 歌詞を書くにあたって自分が大事にしていることがいくつかあって、同じような言葉を若干変えながら繰り返していくことがその一つです。歌詞はあまり多くを語れないので、これまでに挙げたような修飾技法だったり何だったりを使って、なるべく効率的に伝えようとするわけですけれど、繰り返しも有効な手法だと思います。聴き手に印象付けることができるので。まあ、狙いすぎはよくありませんが。だから、ところどころ一番Aメロと同じようなフレーズになっているのは、そういう理由です。

 

二番Bメロ(「いつか触れた…背を向けていたんだ」)。

 一番Bメロとの対比をやったりしています。「声」は「遠い」けど、「言葉」は「置き去り」になっている、という構造です。なんか、そういう感覚がありますよね、実際として。昔のことを思い返してみると、誰に何を言われたかは割と思い出せるのに、じゃあその誰かがどんな声色で話していたかということはまるで分からなくて、というか記憶の海を潜ってみたら聴覚的な要素だけが完全に抜け落ちていて、数ヶ月単位で会っていない相手の声なんて簡単には思い出せなかったり、でも言葉は覚えているからそれだけを大事に抱えてていたり、ありませんか? そんな感じのこと。

 

二番サビ前(「そう僕らは今日も…夏の色さ」)。

 ここで「白」の答え合わせみたいなことをやっているつもりです。文字の表面をなぞるだけじゃ到底読み取れないとは思いますけれど、ちゃんと歌詞を読むタイプの人はここで大体解ってくれるんじゃないかなあ、と思ってはいます。

 

二番サビ(「そう僕らはいま…消えてしまうんだって」)。

 ここで曲全体の答え合わせみたいなことをやっているつもりです。伏線回収というかなんというか、「数年ぶりの夏空」とか「青空の夢」とか、もっと言えば「星」も「白」も、じゃあそれは結局何だったんだよってことをここで洗いざらいぶちまけている感じです。

 その答えは言葉にすればたったの一言で片付いてしまうわけですけれど、だけどたった一言では片づけたくなかったから、だからわざわざここまで詞を書いたという、そういう話です。

 

二番サビ後半(「ああ…スカイブルーナイトメア」)

 二番サビの補足をしています。答え合わせの答え合わせみたいな。

 ここまで読んでくれた方には薄らと解ってもらえると思いますけれど、中心にある主張を隠すつもりなんて全くなくて、だからって探してほしいわけでもなくて、でも出来ることなら知ってほしくて、そんなどうにもならないジレンマをそのまま曲にしたという、これはそんな感じのやつでした。まあ、イントロの詞にもそう書いてますしね。

 

イントロ(「数年前の夏空…唄う」)。

 センター現代文でも言われるじゃないですか。筆者の主張って大体の場合は最初と最後にあって、そりゃまあ、普通は書きたいことから書き始めるし、最後はそのことをざっと要約して筆を置くし、なに当たり前のこと言ってんだって感じですが、この曲、実はイントロの詞が最後です。出来上がってみればたったの四行なんですけど、それでも三、四時間くらいかけて書いたのを覚えています。それくらい、この曲で言いたかったことを詰め込んでいます、ここは。

 夏空じゃなくて夏影とか、青空じゃなくて星空とか、そこへ一緒に飛び込んだとか、青に塗れた落書きって何なんだとか、どうして空は夜明け色なのかとか。まあ、いろいろあるんですけど、全体を通して読めばちゃんとわかるような作りにはなっているとは思います、一応。

 

 

 

 

「じゃあね、また明日」

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【歌詞】

青はやがて赤になり 月は夜空を忘れて

誰も消えた気がして 街を不意に見渡した

耳障りな静寂に 微か混じる呼吸の音

見慣れたはずの横顔にも 迷い 戸惑った

 

いつだって 何も見えない でも前を向いて

泣いていたって 仕方ないって 歩いてきたけど

何度 夜を凌げば 楽になれるのかなあ

なんて

 

いくつ交わした 言葉の奥の

本当のことはずっと 言えないままで

「じゃあね、また明日」 いつもの合図に

潜めた息をそっと 手放したんだ

 

君が消えた最初の日 午前二時を彷徨った

信号機は青ばかりで 全部 嘘みたいな

 

いまだって 何も見えない 見ようともしない

解ったふり 知ったふりで どこへも行けずに

何度 夜を重ねた 君にも会えないままでさ

 

いくつ交わした 言葉の奥の

本当のことは何も 知らないままで

「じゃあね、また明日」 いつもの合図に

呑まれた声がいまも そこに在るんだ

 

言葉なら何千何万と憶えたのに

たった一つの扉さえ開けないまま

「僕らは他人同士」なんて解っている

でも 一緒にいたっていい そうだろう?

 

いくつ交わした 言葉の奥の

本当の言葉なんて どうでもいいんだ

じゃあね また明日 いつもの合図で

明日も会える今日を 君がくれたから

 

明日も会える今日に 君と逢えたんだ

 

 

 

【コメント】

 この曲はサビのメロディーだけが最初にあって、次にとりあえず曲全体を二番くらいまでバーッと組み立てて、それから歌詞を考えたという順だったと思います、多分。

 その曲を組み立てている途中で、一番サビの「「じゃあね、また明日」」という部分のメロディーがやたらと頭に引っかかって、ここに詞を当てるなら「じゃあね、またいつか」とかかなあ、とメモを取ったことを覚えています。

 歌詞は思うことを思うままに書けばいいと考えているので、だから詞の方向性なんかを僕はいちいち考えたりしないんですが、この曲もそんな感じで、制作時期に考えていたことがそのまま全部並べられています。こっちはさっきに比べるとかなり素直に書いていると思います、多分。

 

一番Aメロ(「青はやがて…戸惑った」)から順に書きました。

「青はやがて赤になり」はスカイブルーナイトメアのほうでも書いていた換喩です。「青」とか「赤」とか、この時点だと何を言ってるのかさっぱり分からないだろうと思いますけれど、後のほうでわかります。一番の歌詞だけでも、想像力のある人なら分かるのかな。

「月は夜空を忘れて」は月が見えないってことを擬人法チックに言っただけなんですが、それとは別に、いまの時間が夜だということを夜という言葉を使わずに表現したかったという意図があります。「夜」という言葉はもう少し別の意味で使いたかったので。

「誰も不意に…見渡した」はそのままです。真夜中の大通りを歩いていたら、世界そのものが滅んだんじゃないかみたいな錯覚を起こす瞬間があるじゃないですか。あるんです。

「耳障りな静寂」は撞着法です、多分。

「微か混じる…戸惑った」はそのままです。あるよね、こういうこと。こいついま何考えてるんだろ、みたいな。

 

一番Bメロ(「いつだって…なんて」)。

 少し場面が変わりますが、言っていることはそのままです。あるじゃないですか、そんな感じの夜。何で生きてんだ、みたいに感じる夜。こういうときって「夜を越える」と書きそうなもんですけど、いやでも全然越えてませんし。なあなあでやり過ごしてるだけです。

 

一番サビ(「いくつ交わした…手放したんだ」)。

 ここもそのままです。文字通りの意味です。実際にこう、知り合いとかと会ってみたら、まあ話のタネはいくつもあって、それなりに笑ってそれなりに楽しんで、でも肝心なことは何も言えなかったみたいな、そんな感じのことがあるじゃないですか。この時期、正確にはそのちょっと前ですけれど、そういったことを経験する機会が多くて、なんかもやもやしてたのがここに出てきた感じです。

 ここでの「「じゃあね、また明日」」は相手側(君)の言葉ですね。一人称側は「潜めた息を手放した」と言っているので。

 

二番Aメロ(「君が消えた…嘘みたいな」)。

 そのままです。比喩とかじゃなく。人が何かの価値に気づくのはそれを失ったとき、みたいな文言がありますけれど、これは実際その通りで、いなくなって初めて必死で探し回ったんですよ、午前二時。どこにいるんだろうかって色々考えて、そんなの解るわけがないのに。どれだけ歩いても迎える信号機だけは何故か青ばかりで、だからどこへだって行けるのに、でもどこへ行っても見つからない。青ばかりが続くことも含めて、君がいなくなったこと自体が嘘みたいだって、そういう詞です。

 一番Aメロとの対比構造を若干入れています。一番では君が隣にいたけれど、二番ではいなくなって探し回っていることとか。一番では信号機が赤だけど、二番では信号機が青だとか。赤はどこへも行けないのイメージで、青はどこへでも行けるのイメージですね。まあ、それが本当は逆だったんだってことを、二番のサビ辺りで言うんですけど。

 

二番Bメロ(「いまだって…会えないままでさ」)。

 一番Bメロからの繰り返しをところどころでやってます。繰り返し、好きなんですよね、使いやすくて。

「いまだって」は一番Bメロの「いつだって」に対応してるんですけど、いつもそうだしいまもそう、ということが言いたくてこのように書いています。

「何も…ともしない」は一番Bメロとの対比、というか軽い否定になっています。何も見えていないんじゃなくて、自分が見ようとしていなかっただけだったという、ある種の心情の変化を書きたかったんです。

「解ったふり…行けずに」もそのままです。信号機は青だけど、でも、どこへも行けない。

「何度…会えないままでさ」も凡そ文面通りの意味ですけれど、ここでの「会えない」は二番Aメロでの具体的な事態を引き受けて、さらに抽象的な話へと持っていっているつもりです。だって、実際会ってますしね、一番のAメロやサビとかで。

 

 

二番サビ(「いくつ交わした…そこに在るんだ」)。

 ここも一番サビからの繰り返しが多めです。

 一番サビとの対比をやっていて、一番サビでは自分側の話ばかりをしているんですが、ここでは相手側の話をしています。たとえば「いくつ交わした言葉の奥の本当のこと」という言葉は、一番では自分の中にあるものを、二番では相手(君)の中にあるものをそれぞれ指しています。

 一番サビの「手放したんだ」に対して、二番サビで「いまもそこに在るんだ」と唄っていることには意味があります。そのヒントはもうこれまでに書いています。

 

Cメロ(「言葉なら…そうだろう?」)

 こう、あるんですよね、感覚として。小さかった頃に比べるといまの自分は本当に数多くの言葉を知っていて、そのくせ内側に留まった感情を言葉にしようとすると上手くいかなくて、涙を流さずに泣いている人に語り掛ける言葉の一つも見つけられない。言葉ってどこまでも無力だよなあ、という、そういう詞です。

「「僕らは他人同士」」に鍵括弧がついているのは、これが君の言葉だからです。

 

ラスサビ(「いくつ交わした…逢えたんだ」)

「どうでもいいんだ」という詞で心情の変化、というかこれまでのサビの否定を演出しているつもりです。それと、なるべく普段遣いに近い言葉を持ってくるように意識しました。変に気取った表現を使うのは違うな、と思って。扉を開くべきか否かとか、自分の言葉を伝えるべきか否かとか、自分なりに色々と考えてみて、そうして辿りついた結論がこれでした。それ以外、特にありません。

「じゃあね、また明日」に鍵括弧がついていないのは、これが一人称側の台詞だからです。

 最後の二行はもちろん自分がこの曲で伝えたかったことを書いているわけですけれど、簡単に解られても癪なので、「明日も会える今日」という言葉で色んなことを隠しています。別にそんなに難しいことでもありませんけれど。それと、助詞を変えて繰り返すやつをやったりしています。こういう繰り返しの使い方も好きです。

 

 

 

 こんな感じでした。こんな感じでした、という文章を書いている僕と、上の話を書いている僕とではおよそ一週間のズレがあるのでアレなんですが。

 修飾技法の話とか文章構成の話とか色々と書きましたけれど、歌詞を書く上でこんなのは別に必要なくて、というか後からついてくるので、誰かに何かを伝えたいと思うのなら、是非とも自分の深層心理へダイブしてみてください。そこで見つけた言葉こそがなによりも正しくて、たったそれだけが必要なものだと僕は思うので。

 

 

 

手紙

 

 生まれてこの方、手紙なんてろくに書いたことがないんじゃないかな、と思います。そもそも書く動機がありませんし、たとえば正月の年賀状なんかも、貰ったところで困るだけなので誰に欲しいとも言っていませんし、自分がそういう考え方なので出しもしませんし、要するに機会があったところで書かないことに変わりはないということです。これは昔、まだ小学生とかそれくらいの頃の話なんですけれど、年賀状を書くのが嫌で嫌で仕方がなかったんです。言いたいことも伝えたいこともみつからないのに、それでも何かしらを自分の言葉を添えなくてはならなくて、しかもそれが少なくとも数十人分はあるというのがもう既に地獄で、だから、たしか小学四年生の頃には年賀状を書かなくなっていたように思います。以降は来たら返すという姿勢を一応とってはいたのですけれど、まあ当たり前のように誰からも来なくなりましたね、年賀状。面倒の種が一つなくなったので、僕はそれで全く構わないんですが。

 

 文通という行為に若干の憧れがあります。このご時世だからこそということもありますけれど、純然たる好奇心として一度はやってみたいなあと思うんですよね。言葉は自分の想いを何一つも伝えてくれませんけれど、でも言葉でないと伝わらないような何かもきっとあるはずで、というか実際あって、同じように感じている人がもしいるのなら、たとえばそういった誰かと文字のやり取りをしてみるというのは面白そうだなあ、と思うんです。あるじゃないですか、電子書籍でも構わない派と紙の書籍じゃないと認めない派、みたいななのが。僕はどちらかといえば後者の人間なのですけれど、文通ということにも同じような何かを見出していて、いやまあそんなのSNSでいいじゃんと言われればそれまでなのですけれど、それじゃやっぱりだめで、なにがダメって推敲の過程が往々にして存在しないことなんですが、こう、もっとなんか、あるじゃないですか。解ってください、この辺の違い。手書きの文字が読みたいし、手書きの文字を読んでほしいという思いがあるんですよね。就活をしている方とかには鼻で笑われそうですけれど、でも、一対一ならそれくらいいいじゃないですか。

 

 大学に入ってから、自分の言葉を表現する機会がやたらと増えました。レポートもそうだし、一回生のときに参加していたゼミ的なところで毎週書いていた感想文とか、それに二回前期の頃に作ったこのブログとか、もっといえば自分で書き進めている作品だとか、本当に色々。このブログの記事はいつも大体原稿用紙六枚から八枚分ほど書いているんですが、昔からどうでもいいことをだらだらと書くのは割と得意で、読書感想文で苦労したことは多分ありませんし、修学旅行の感想文(うちの高校ではそういう文化があった)を出発前夜の回想だけでギリギリまで埋めて提出したこともあります。大学に入ってからもずっとそんな感じで、提出点の代わりにB5サイズの紙に感想文を書く講義とかでは、馬鹿みたいにペンを走らせたりもして、いやまあ実際馬鹿なんですが、どうせ返事なんて返ってこないのに、でも思いついたことは全部書き切らないと満足できなくて、結局、全部書いてしまうんですよね。なんか、そういうことだけは無駄に得意です。このブログを読んでくれている方には分かっていただけることかとは思いますけれど。

 

 何かを表現する機会が増えてきて思うことといえば、これも何度か言っていることですけれど、言葉は無力だということです。無力で、そして手に負えない。僕は、それがたとえばTwitterなんかでも、何かしらの発言をするときにはなるべく誤解が生まれないように配慮する、というかちょっとした推敲をするように心がけているのですけれど、それでも多分僕の知らないところで知らない誰かを傷つけているのだろうなあ、という思いがどこかにあります。それとは別に、感情が高揚しているとき、その多くは有体に言えばイラついているときなんですが、そういったときは自分が用意しているフィルターをすっかり忘れてしまうことがあって、しかも高確率で誰かを殴りつけるんですよね、その言葉が、あるいは自分が。冷静になってから後悔するんですが、まあ時すでに遅しって感じで、そうなったら誠心誠意謝罪するしかないわけですけれど、そんなことを本当に何度も何度も繰り返していて、手に負えないというのはそういうことです。

 これは本当にただの余談ですけれど、最近Twitterで『誰も傷つけない表現』ってワードが流行ってるじゃないですか。あれに関してはマジでどうでもいいなと思っていたりします。誰も傷つけずに何かを発信するのは不可能だし、それにたとえばそれが小説なんだとすれば、誰も傷つけない小説なんてものは凡そ無意味だと思うんですよね。泣きたくなる瞬間ってあるじゃないですか。本を読んでいて、たとえば物語のクライマックスとか、何もかもが終わりに向かって走り始める瞬間、あるいはすべてが終息を迎えた瞬間。アニメでもドラマでも映画でも音楽でも、何でもいいです。そういった、ありきたりな言葉でいえば感動らしい感動って、自分の心を傷つけられているのと全く変わらないと僕は思っていて、自分の内側が深く抉られているからこそ、悲しくもないのに泣きたくなるんじゃないかなあ、と考えている節があります。だから、そういった側面に限っていえば『誰も傷つかない表現』というのは、まるで無意味だなあ、と思います。あくまで、そういった側面に限っていえば、の話ですが。

 

 最近、手紙というほどの分量でもないのですけれど、ある人へ言葉を贈る機会がありました。というのは正しくなくて、僕はまだその人に贈る言葉を何も見つけられていなくて、いまも必死に探している途中で、もうじきにタイムリミットがやってきてしまうのですが、ともかくそういう機会がありました。白紙の紙を前に置いて、何時間も考えて、でもやっぱり何も見つからなくて、こうやって一年近くも文章を書き続けてきたのに、そのくせ肝心なことはずっと苦手なままで、何だかなあ、という気持ちです。僕とその人は言ってしまえばただの他人で、僕は彼のことを何も知らないし、彼は僕のことを何も知らないし、少しばかりを一緒に過ごしていただけの、本当にそれだけの関係なのですけれど、それを他人だと割り切ってしまえたのならこんなにも苦労するなんてことはなくて、他人だけど、やっぱり関係を持ってしまった以上は他人事だと思えなくて、だからずっと考えています。何を言うべきなんだろうか。そもそも何かを言うべきなのか。どうせ彼はこの手紙を読まないと思う。もし読んだとして、自分に何が伝えられるとも思わない。多分何も伝わらない。それでも何かが書きたくて、でも何も書けなくて、そんなこんなでここ二週間くらいはずっと右往左往って感じです。彼は夢を諦めたんです、きっと。諦めた、というのは正しくなくて、もしかしたらちょっと躓いただけなのかもしれない。何かに躓いて、転んで、起き上がれなくて、ずっとそのままで横になっているだけ。あるいは、僕の心配なんて素知らぬ顔で元気に生きているかもしれない。それならそれでいいけれど、でも、多分そうじゃないと思う、これは勝手な推測だけれど。そうやって何かを捨てて、諦めて、もしかしたら泣いているかもしれない誰かにかけるべき言葉って、いったい何があるんでしょう? そのことをずっと考えています。なまじ僕は一応夢が叶った側として立っている人間なので、そんな奴が何を言っても、という気さえしてくるんですよね。無責任な言葉ならいくつも思いつきます。他人事みたいな励ましも、嘘みたいな綺麗事も。恐らくこんなことで悩むのはおおよそ馬鹿のすることで、本当にただの他人なのだから当たり障りのない言葉を適当に並べて、それで終わりにすればいいんですよね。それで終わりにしてもいい。でも、嫌なんですよ。何というか、そんな風に見捨てるのが。それだったら、何も言わずにいたほうがずっといいとさえ思います。だけど、書かなきゃいけないんですよね、僕は、その空白に、自分の言葉を。到底見つけられる気がしません、正直。何を書いても彼を深く傷つけるんじゃないかと思います。本当の言葉を伝えたいという気持ちがあって、でもそれは自分のエゴじゃないのかという気持ちもあって、昨日も寝る前に布団の中で少し考えて、気づいたら朝になっていて、いまもこうして断続的に考えていて、でもそれもあと数日でどうしようもなく終わりが来て、そのとき自分はどんなことを書くんだろうな、と思います。できることなら、たったの一文でも納得のいく言葉を書きたいものですけれど、まあ無理だろうな。

 

 

 

コード進行について色々2

 

【2019/12/18追記】

 google 辺りから思いのほかアクセスがあるので、追記しておきます。

 この記事は『コード進行について知識の全くない自分が、勉強用にまとめたものをついでにブログへアップロードした』というものです。なので、的外れな指摘であったり不勉強ゆえの何かしらが多々あると思われます(実際、いまの自分からみてそう感じるので)。

 というわけで、あくまで参考程度に読んでください。追記時点での最新記事は下記のものです。

kazuha1221.hatenablog.com

 この記事のひとつ前はこちらです。

kazuha1221.hatenablog.com

【2019/12/18追記ここまで】

 

 

 今回はほとんどBUMPの曲についてです(最近はBUMPの曲のコード進行ばかりを勉強しているので)。

 

VIm – V – IV – I – IIm7 – IIIm7 – IV – V

『アリア / BUMP OF CHICKEN』のサビ(「見つけたら鏡のように~」)のコード、16小節。聴くと「なんか変な動きしてるなあ」と思うのだけれど、VからIVへ進行してるのはマジで何(Bメロ→サビの切り替わりとかならわかるけど)。

 頭がIじゃなくてVImだから暗めの雰囲気が出てて、次のVは別に暗くないけどかなり不安定な響きで、そこからIへ進めば解決するけれど、さらにIVを経由することでサビ全体に不安な空気感を纏わせているような感じがする。このあとに続く進行はI – IIm7 – IIIm7 – IVになっていて、サビのこれもあってか開放感が半端ない。

【2019/12/18追記】VIm - V - IV の形はカッコいい系の曲で結構出てきます。『Lemon / 米津玄師』の A メロ( VIm - V - IV - I )、『美に入り彩を穿つ / 羽衣小町』( VIm - V - IV - IV )の B メロ、『月光 / 鬼束ちひろ』のサビなど( VIm - V - IVadd9 で終止)。他にも『XROSS INFECTION / BlackY vs. Yooh』はほとんどこの進行だけですね( VIm - V - IV - III7 )。個人的には(いい意味で)あまり盛り上がらない進行だなあ、と思っています。なので B メロとかにはうってつけ。【2019/12/18追記ここまで】

 

・IVadd9 – I – IVadd9 – [VIm – V – I – VIm]

セントエルモの火 / BUMP OF CHICKEN』のCメロ(「言いたいことはないよ~」)のコード。個人的に好きな部分。

 

・Iadd9 – IVm/I – Iadd9 – IVm/I

chocolate insomnia / 神前暁』のCメロ(「言いたくて言えなかった言葉~」)のコード。ツーファイブで動きつつもベースがIで一定なので、Cメロにはもってこいという感じがする。『セントエルモの火』の作り方と合わせて覚えておきたい。

 

・[I – V/IV] – [I – IIm7] – [VIm – V] – [I – IIm7] – [I – IV] – [V – VIm] – [IIm7 – V] – I

『車輪の唄 / BUMP OF CHICKEN』のサビ(「笑っただろう~」)のコード進行。五小節目のIはI/IIIじゃなくていいのかなあと思う(サイトを参照しているのでわからない)。もしI/IIIなら四小節目から六小節目にかけてが上昇進行になっていて綺麗だし、I – IIm – I/IIIって進行は前回取り上げた『サザンクロス』や『firefly』でも使われているから、あってもおかしくない。

 前半のI – IIm – VImの動きは『真っ赤な空を見ただろうか / BUMP OF CHICKEN』のAメロで使われていたりする(前回取り上げた部分の直前にIのコードがある)。

 

・IVadd9 – V – [I – IIm7] – I – V – III – [VIm7 – V – Iadd9] – VIm7

『カルマ / BUMP OF CHICKEN』のサビ(「必ず僕らは~」)のコード進行。後半部分は『セントエルモの火』の[VIm – V – I – VIm]と同じ作り。ぶっちゃけ何も分からない。五小節目のV何?

 【2019/12/18追記】「何?」もなにも普通に V だろって感じですね。[ 1 mod 4 ] 小節頭に V を持ってくるのってあまり見かけないので、当時は「何?」となったんだと思います。同じ BUMP の曲でいえば『ダンデライオン / BUMP OF CHICKEN』の B メロ、『歩く幽霊 / BUMP OF CHICKEN』の B メロなんかが V スタートです。【2019/12/18追記ここまで】

 

・IV – I/III – [IIm7 – #Vdim] – [VIm – #IVm7-5] – IV – I/III – [IIm7 – V] – VIm

『Spica / BUMP OF CHICKEN』のAメロ(「名前ひとつ~」)のコード進行。

 IV – I/III – IIm7はベースラインの下降構造がある。IIm7 – #Vdimはマジで何、Vに進みたくなかったのかな?(普通に IIm-III7 の III 省略では?) 一応構成音が二つ同じだし。#Vdim – VImはパッシングに近しいアレだと思う、特に問題はない。VIm – #IVm7-5 – IVは『アリア』のAメロでも使われている進行。構成音がほとんど変わらないので綺麗に動く。#IVm7-5 – IV – I/IIIはベースラインが半音下降する、綺麗。I/III – IIm7もベースの下降。IIm7 – V – Iはツーファイブの終止。

【2019/12/18追記】普通に IIm - III7 の III 省略です。パッシング。【2019/12/18追記ここまで】

 

・I – I – I – [I – V/VII] – VIm – #IVm7-5 – IV – V

『アリア / BUMP OF CHICKEN』のAメロ(「曲がって落ちた~」)のコード。#IVm7-5が『Spica』でも使われていたので、一応こっちも載せておく。

 どちらも比較的最近の曲。ハマってるのかな。

【2019/12/18追記】ちなみに『Aurora / BUMP OF CHICKEN』では VIm - V - #IVm7-5 の形で使われています。【2019/12/18追記ここまで】

 

VIm – [VIm – V/VII] – I – [I – I/III] – V – V – I/III – IV

シリウス / BUMP OF CHICKEN』のサビ(「これは誰のストーリー~」)の進行。V – I/IIIの部分が、若干『カルマ』に似てるなあと思った。

 

・I – I – VIm – IIm7 – III – bVII – I – I

『望遠のマーチ / BUMP OF CHICKEN』のAメロ(「何を言おうとしたの~」)の進行。

 IIm7 – III – bVII – Iは前回取り上げた『運命ジレンマ / 田所あずさ』にも似たような形が出てきていて、それはIIm – IIIm – bVI – Vで、この場合のbVIは多分IVm7の代理でつまり2m-3m-4m-5という動きがあるようにおもうのだけれど(いま気づいた)、その理屈で言えば今回のbVIIはVmの代理で、2m-3m-5m-1の動きをしていることになる。あってるのかな?(ドミナントモーションでの飛び先を半音上げるってのもある。I7 - #IVm7-5 みたいな。それかも) 一応最後はドミナントモーションっぽくなるけれど。

【2019/12/18追記】『望遠のマーチ / BUMP OF CHICKEN』はブルーノートスケールが随所に組み込まれた曲です。なので、ここの bVII は多分それですね。作曲担当である藤原基央がブルース出身らしいので、BUMP の曲には bVII が結構出てきます。『ディアマン / BUMP OF CHICKEN』、『セントエルモの火 / BUMP OF CHICKEN』、『ダンデライオン / BUMP OF CHICKEN』など、いずれもサビ直前のアクセント的に組み込まれています。【2019/12/18追記ここまで】

 

・IIm – IIIm – IV – V

 特に何というわけではないけれど、BUMP藤原基夫が(主にBメロで)好んで使う(印象がある)進行。(最近の曲は特に)よく見る気がする。

【2019/12/18追記】というかポップスではめちゃくちゃみかけます。派生形としては、すべてをマイナーに変えた IIm - IIIm - IVm - Vm(この場合、IVm - Vm は部分転調っぽくなる)や、それを最後だけ V に戻したものなんかがあります。あとは直接の派生ではないですが IIIm - IV - V - VIm なんかも上昇形だとたまに見かけます( 6345 の III スタート形)。【2019/12/18追記ここまで】

 

・[VIm – IV] – [I – V] – [VIm – II] – [IV – IV – Vsus4 – V]

『fire sign / BUMP OF CHICKEN』のBメロ(「星は廻る~」)の進行。6415!

 前回取り上げた『君の知らない物語 / supercell』でも使われていたII – IVの進行も使われている。

【2019/12/18追記】そんなことより VIm - II はツーファイブですね。【2019/12/18追記ここまで】

 

・[I – V] – [IV – V – I – V] – [VIm – V] – II – [V – V/IV] – [I – V] – [IIIm – IV – #IVm7-5 – II] – [IV – V – I – I]

『fire sign / BUMP OF CHICKEN』のAメロ(「いつか聞こえた泣き声を~」)の進行。後半の動きがめちゃくちゃ綺麗。

 

・I – I – IVadd9/I – IVadd9/I – I – I – IVadd9/I – IVadd9/I – IIIm7 – IIIm7 – IVadd9 – IVadd9 – IIm7 – IIm7 – IVadd9 – IVadd9/V

『虹を待つ人 / BUMP OF CHICKEN』のサビ16小節の進行。前半八小節は進行もフレーズも繰り返し。1-2、5-6、13-14は同じフレーズを歌っている(掛け声的なのが入っている)のだけれど、最後だけIIm7に変わっていて、そういう拘りが大事なんだよなあ、という気持ちになった。15-16小節はIV – IV/Vの終止。

 

・[V – VIm7] – IV – [V – VIm] – [IV – V/II] – [I/III – IV] – [V – V – VIm7 – I/III] – [IV – IV/V] – [Isus4 – I]

『友達の唄 / BUMP OF CHICKEN』のAメロ(「あなたが大きくなるまでに~」)の進行。最初からIV、V、VImばかり出てくるので若干の切なさというか、不安定な感じがある気がする。VIm – IVからベースをII→IIIで上昇させるのは、たとえば『サザンクロス』のAメロなんかで使われている。I/III – IV – V – VImはベースラインの上昇。VIm – I/IIIで緩く着地して、I/III – IV – IV/Vで上昇するとともに解決へ向かって、Isus4で一旦間を持たせてからIで終止。

 

・IV – V/IV – IIIm7 – VIsus4 – IIm7 – Iadd9/III – IV – [Vsus4 – Vsus4 – V – #VM7/#VI]

『友達の唄 / BUMP OF CHICKEN』のBメロ(「空の冷たかった手が」)の進行。前半はVI終わりの王道進行(前回『Star!! / 田中秀和』なんかでも出てきた)。VIsus4 – IIm7はツーファイブ。IIm7 – Iadd9/IIIは藤原基央がよくやるやつ。何ならIIm7 – Iadd9/III – IV – [Vsus4 – V]までは2m-3m-4-5の形になっているので、これも藤原基央がBメロでよくやるやつ(ベースラインが上がっていくから、サビへの期待感が強くなるんだよな、多分)。

 #VM7/#VIについては後述。

【2019/12/18追記】V から #V へは割と自然に入れます( #V というよりは bVI ?)。【2019/12/18追記ここまで】

 

・I – [V7/I – V/VII] – [VIm7 – VIm7/V] – [IV – V/IV] – I/III – [IV – II/#IV] – [I/V – VIm7] – [IV – V] – V7/I – [I - II]

『友達の唄 / BUMP OF CHICKEN』のサビ(「今 私が泣いていても~」)の進行。ディグリーで書き下してみたら、あまりにも綺麗でびっくりした。

 まずIからのスタート。AメロがV、BメロがIVからのスタートでどちらも不安定だったから、サビの安心感がすごい。そこから四小節かけてベースラインがIからIVまで下がる。4-5の[IV – V/IV] – I/IIIは一応終止の形になっている(I/IIIは解決感が弱いのでそこまでしっかりとは終わらない)。五小節目からはベースラインがIIIからVIまで上がる。一小節目から七小節目まではベースラインがずっと綺麗に繋がっているから、それもまたサビの安定感を支えることに一役買っている感がある。

 AメロからBメロまでとサビとで曲の雰囲気が劇的に変わっている(風に感じる)理由はもう一つあって、それはBメロからサビに入るところで短三度転調しているから(長調単調の区別をあまり考えない人種)。Bメロの最後にあった#VM7/#VIは短三度転調(上)の合図で、これは転調先のスケールでみるとIVM7/Vのダイアトニックコード、しかもベースがVだからIV/V – Iの終止の形になっていて、結構綺麗に転調できるような印象がある。前がVだから#Vへの半音進行はわりと自然。

 

・[IV – V] – [VIm – IIIm] – [IV – V] – #VM7

『藍 / スキマスイッチ』の二番サビ(「どうかいなくなれ~」)の進行。これも最後の#VM7を合図に短三度上へ転調する(ちなみに#VM7の小節から間奏に入る)。

 

 

 

とある数学の問題について

 

 

 ほとんど二日を費やしたくせに大した進捗もなくてあれなんですが、とりあえず一区切りついたのでブログに張り付けておきます。

 問題の出典は上のツイートです。

 最後の予想だけまだ示せていないので、多分もうしばらくは考えると思います。そんなに難しくないとは思うんですけど……、どうなんでしょう。

 

・pdf:Dropbox - シャッフル問題について.pdf

 

 

 

コード進行について色々1

 

 

 これらはあくまでも自分用のまとめであって、そのついでにブログへも貼っとくか程度のアレでしかないので、かなり適当なことを書いてます。誤りも多々あると思います。というか、なんでそうなるねん、と思いつつ書いてるところもいくつかあります。何かしら気づいた人は、よければTwitter(ID:@1TSU8)か何かで僕に教えてください。喜びます。

【2021/4/15追記】

 google 辺りから思いのほかアクセスがあるので、追記しておきます。

 この記事は『コード進行について知識の全くない自分が、勉強用にまとめたものをついでにブログへアップロードした』というものです。なので、的外れな指摘であったり不勉強ゆえの何かしらが多々あると思われます(実際、いまの自分からみてそう感じるので)。

 というわけで、あくまで参考程度に読んでください。追記時点での最新記事は下記のものです。

kazuha1221.hatenablog.com


【2021/4/15追記ここまで】

 

 

VIm – IV – I - V

 6415。最強。

【2019/12/18追記】これの派生で一番好きなのは『Fallen / EGOIST』のサビに用いられている VIm7 - IVM7 - I - III7 - VIm7 - IVM7 - I - VII7 - III7 です。二回目(繰り返し)で VII7 を挿入してるところがポイント高め( 1-7-3 なので嬉しい)。【2019/12/18追記ここまで】

 

VIm – IV – V - I

 6451。小室進行。

 

VIm - IV- V – [I – IIIm/VII]

 上の派生。循環させるとベースラインが1→7→6で下降する。ボカロ、多いがち(偏見)。

【2019/12/18追記】もしかしなくても VIm - IV - V - [ I - V/VII ] が正しい解釈ですか?(不安になってきた)。あと、これはマジでどうでもいいんですけど、この進行で真っ先に思い出すのは『鎖の少女 / のぼる↑P』です。【2019/12/18追記ここまで】

 

・VIm7 – IVadd9 – Vsus4 - I

 『変わらないもの / 奥華子』のサビで使われてる進行。綺麗。

【2019/12/18追記】add9 と sus4 の合わせ技。こういう sus4 の使い方、あまり見ないので参考にしたいです。似たようなのだと『(please)forgive / BUMP OF CHICKEN』のサビが IVadd9 - [ Vsus4 - V ] - I/III - VIm という進行です。【2019/12/18追記ここまで】

 

VIm – IIm – V - I

 『残酷な天使のテーゼ / 高橋洋子』のサビ。ツーファイブと強進行の鬼。

 

・VIm7 – II7 – IVadd9 – V

 『君の知らない物語 / supercell』の一番Aメロ「明かりもない道を」の部分。IImからIVへ飛ぶと違和感が半端ないけれど、II7からだとめちゃくちゃ自然に飛べる。V→bV→IVの下降構造が入っているせいか?

【2019/12/18追記】実際、IIm から IV へ飛ぶ場面ってあんまり思いつかないです(しかしこれは偏に僕の記憶力がポンコツ & 知識領域が狭いというだけです)。逆の IV から IIm とかは、たとえば VIm - IV - IIm - V - III7 とかで見るんですが……。【2019/12/18追記ここまで】

 

・VIm7 – VIm7 – IVadd9 – [I – IIm] – I/III – II/bV -Vsus4 – V

 IImではなくIIを使っている曲といえば、身近なものだと『サザンクロス / BUMP OF CHICKEN』のイントロがある。これは別にIImでもいいのかもしれないけれど、実際に置いてみると「IIだな~」ってなる。なんでだ?

 IIm→I/IIIとかいうコードが紛れている。IImのあとってVが来るもんだと思ってたけど、転回形にしたらIへも繋げられるのか。

【2019/12/18追記】「なんでだ?」はメロのせいです(アホ?)。【2019/12/18追記ここまで】

 

・IIm7 - IIm7 – I/III - I/III – IVadd9 - IVadd9 – V - V

 『サザンクロス / BUMP OF CHICKEN』のBメロ。VのあとはIが来てサビへ入る。Bメロだからサビで盛り上げるために上昇形にしてるのだろうけど、綺麗だなあ、と思う。

【2019/12/18追記】IIm - IIIm - IV - V 形ですね。よくある。【2019/12/18追記ここまで】

 

・VIm7 – IIIm7 – IIm7 – V - I

 『粉雪 / レミオロメン』のサビ終わり。これは教わったやつ。IIm7はIVと構成音が三つ同じだから終始(IV – V - I)のところで代わりに使える。

 

・IIm7 – IIIm7 – IV – IVm - I

 終止でいえばこれも。『全力少年 / スキマスイッチ』の一番サビ。IV – V – Iの終止に比べると少し不安感が出る。

 

・I – I – V/I – V/I – IV/I – IV/I – IVm /I- IVm/I

 IVmといえば、身近な曲だと『firefly / BUMP OF CHICKEN』がある。これも似たような感じで、不安そうな雰囲気が曲中に出てる。

 

・IV△7 – IVm – Vsus4 - VIm

 偽終止。IV△7→IVmが楽しい。

 【2019/12/18追記】直接の関係は全くないんですが IVM7 - IVmM7 - IIIm7 - VIm7 が好きです。【2019/12/18追記ここまで】

 

・IIm7 – IIIm7 - IV – V – VIsus4 - VI

 『God knows… / 神前暁』のサビ終わり。綺麗な上昇進行。VIsus4、何? 

 【2019/12/18追記】VIsus4 - VI はピカルディ終止です。【2019/12/18追記ここまで】

 

・IIm – VIm – [bVII - IV] – V

 『真っ赤な空を見ただろうか / BUMP OF CHICKEN』の一番5-8小節。一瞬で過ぎてしまうのだけれど、だからこそ聴いてると「あれ、何だいまの」ってなる。bVIIはIVmの代理らしいけれど、どうなんだろう。同主調からの借用と言われればそれはそう。

 【2019/12/18追記】これについては「その2」のほうで触れていますが、ブルーノートスケールが組み込まれています。【2019/12/18追記ここまで】

 

・bVI – bVII - I

 めっちゃ見る。下で何個か挙げる。

 

・IV – V – bVIdim - VIm – bVI – bVII - I

 『ピースサイン / 米津玄師』のサビ後半。ベースがずっと上がっていくので、まあ盛り上がる。bVIdimはIII7の構成音からIIIを払ったやつで、だから要するに王道進行にbVI - bVII – Iをくっつけた形。

【2019/12/18追記】bVIdim ってなんか気持ち悪いですね。#Vdim です。【2019/12/18追記ここまで】

 

・I – IIm7 – IIIm7 – IVadd9 – [V – bVI – bVII] - I

 Iから順に上昇して最後にIへ戻る馬鹿進行。『君の知らない物語 / supercell』のサビ後半。聴けば一瞬でわかる。まあ盛り上がる。

 

・I – [IV – V] – [bVI – bVII – V] – V - I

 『GO MY WAY!! / 神前暁』のイントロ。三回目のVで「3,2,1 GO!」の掛け声が入る。bVI – bVII – Iがテンプレかと思ってたら、Vへも行ける。

 【2019/12/18追記】bV - bVII - I の派生だと間に V を挟むコイツが一番好きです。【2019/12/18追記ここまで】

 

・[IV – V] – [IIIm7 – VI7] – IIm7 – [IV/V - IV/V – bVI – bVII] - I

 神前暁が使っているので、当然田中秀和も使っている。というわけで『Star!! / 田中秀和』のイントロの進行。最後のIで「そっと…」のAメロが始まる。前半は王道進行(VIm7じゃなくてVI7になってるのが気になるけど、bII→IIを作りたかったのかな)。後半は、最近のJ-POPに多いがち(知人談)なIV – IV/V – Iの終止と似たようなあれなのかなと思う。間にbVI – bVIIを噛ませることでベースが綺麗につながる。

 『GO MY WAY!!』のそれと使い方が何となく似てるんだよな。Aメロの直前でさりげなく入れてくるあたりとか。

 ついでに他の類似点を挙げておくと、『Star!!』9-12小節目は(多分)IV/Vのコードを使って短三度転調を上に繰り返していると思うんだけど、『HELLO!! / 神前暁』でも全く同じことをやっていたりする。しかもどっちもサビを頭に持ってくるパターンで、その頭サビ終わりにこの連続転調が始まる。似てる……。

 

・IV – V – IIIm – VI/bII – IIm – IIIm – #IVdim

 『フラジール / ぬゆり』の進行。前半が『Star!!』と同じ(VI終わりの王道進行)。後半はベースがbII→II→III→bVでめちゃくちゃ綺麗に上昇してる。知人曰く#IVdimはVImの代理にできるようで(VImに#IVを足すと#IVm7-5で、そこからIIIを引くと#IVdimになる)、だからベースにはIIm→IIIm→VImの動きがあるっぽい?

 

・I – Iaug – I6 – I7

 オーギュメントコード(aug)は多幸感が出るって解説を見たことがあるのだれけど、いや、言われてみりゃ確かに、と思った。これは『ラムネ色青春 / 田中秀和』のサビ1-4小節目の進行。構成音が半音で上がっていく。綺麗。

【2019/12/18追記】ポップス頻出。【2019/12/18追記ここまで】

 

・I – I – Iaug – Iaug – IIm – V – bVII - I

 『運命ジレンマ / 田所あずさ』のサビ1-8小節の進行。聴けばわかるんだけど、盛り上がりがすごい、この部分。メロディラインがVを5回(「YES or NO 運命」)、bVI(「乗っかっちゃって転」)を5回、それぞれ同じようなリズムで踏んでから、5小節目のIImでVIのロングトーン(「ああ」)を一つだけ持ってきてて、そりゃ盛り上がるよなあ、って感じの作りになってる。半音移動するメロディ、マジで良い。最高。

 ここにもbVIIがいる。

 

・IIm – IIIm – bVI - V

 上に挙げた『運命ジレンマ / 田所あずさ』における進行の直後にある進行。bVIは「そんなはずはない」のところなんですけど、まあたしかに、言われてみればちょっと変な感じがする。普通ならVImを持ってくるのかな?

【2019/12/18追記】これはなんとなく裏コードっぽいですね(半音下の V へ進む辺りが)。とはいえ bIII、bVI、bVII は比較的自由に使っていいので、それもあるんでしょうけど。【2019/12/18追記ここまで】

 

・[VIm – #Vdim] – [I/V – #IVm7-5] – [IV - I] – [IV – IV/V]

 『ray / BUMP OF CHICKEN』のAメロ5-8小節目の進行。クリシェ。最後はIV – V – Iの終止でVの代わりにIV/Vを持ってくるやつ。

 

・[VIm – #Vdim] – [I/V – #IVm7-5] – [IIm7 – IIIm7] – [IV – V7 – I - I]

 『ray / BUMP OF CHICKEN』のAメロ13-16小節目の進行。クリシェで落ちてから、今度はII→III→IV→Vの上昇を始める構造。IIm7はIVの代わりになるってやつ。前半と少し違う雰囲気を演出できるから、結構使い道はありそう。

 

・IIIm – IIIm – IV – IV - IIm – I/III – IV – III/bVI – IVadd9 – Vsus4

 『firefly / BUMP OF CHICKEN』のBメロの進行。『サザンクロス』にもあったIIm→I/IIIの進行からIVへ上昇。そこから大人しくVへ進めばいいのにIII/bVIへ進み、次にIVadd9。そしてVsus4。多分、尺を伸ばしたかったんだろうなと思う(実際、普通よりも二小節多い)。IVへ上昇して、何か二つ挟んでからVsus4へ進むとなって、III/bVI – IVadd9を持ってくるのは何なんだよ。

 IIIはノンダイアトニックだから意外性がある(実際、ここを聴いていると「おっ、始まったな」という気になる)し、構成音でVI→bVI→Vの下降構造があるからハマってるのかなあ、と思う。それとも他に理由があるのかな?(IIIはミディアントらしいけど、ミディアントの役割をいまひとつ解っていない)

【2019/12/18追記】

IV から III へ進む典型例として IVM7 - III7 - VIm7 があり、たとえば『HEAVEN'S RAVE / AXiS』のサビがこの進行です。III7 は IIIm7 でもよく『シニバショダンス / PENGUIN RESEARCH』のサビではそっちのバージョンが使われています。

また IV から III へ進むわけではないのですが『想像フォレスト / じん』の A メロで IV - I/III - IIm - IM7 という進行が使われています。

加えて IV から III へ進んだ後に VI へ行かない例として『流れ星の正体 / BUMP OF CHICKEN』の A メロと B メロで用いられている IV - IIIm - IIm - V の循環進行があります。

【2019/12/18追記ここまで】

 

 

 

いまここにいる

 

 だからつまり結局のところ、僕らの日常ってどこまでいっても椅子取りゲームなわけじゃないですか。誰もが報われるわけじゃないし、誰もが救われるわけじゃない。誰かが幸せな笑顔を浮かべているときに地球の裏側では、涙すら零れないほどの悲しみに暮れている誰かがもしかしたらいるかもしれない。大学入試に受かった人がいれば落ちた人もいて、ホームに身を投げ出した人がいればそれを誹る人もいて、生まれてくる誰かがいれば死んでいく誰かがいるわけです。当たり前なんですよね、そんなことは。呼吸と同じくらいに当たり前のことで、だから普段はあまり意識しないんですが、時々息が苦しくなって鼓動の残響を思い出すように、ふとした瞬間にそんな当たり前を思い起こして、酷く恐ろしく感じることがあります。

 

 思うことがあって、それはたとえば、何かしらの気まぐれで第二外国語としてドイツ語を選択していたらどうなってたんだろうか、みたいな。あるいは、分岐点なんてもっと他にもあったと思うんですよね。自分以外の誰かのものまで考え始めたらそれこそ無数のそれがあったはずで、そのうちの一つでも違えていたら、いまはいったいどんな風になっていたんだろう、とか。いま自分は平然とした顔であいつの隣に座っているけれど、いまあいつはそれが当然という風に自分の隣に座っているけれど、もしかしたら自分じゃない誰かがここにいたかもしれないんだよなあ、とか。もしもあいつの隣にいられなかったとしたのなら、自分の居場所はどこになっていたのだろう、とか。誰かと一緒にいるときにはあまり考えないんですが、一人きりで何となく過ごしている時間に、たとえば電車に乗っているときとか、そんなときにはこんな感じのことをよく考えます。椅子取りゲームなんですよね、だから。自分は誰かの居場所を奪った結果ここにいて、誰かに居場所を奪われた結果ここにいるんだろうな、ということです。

 

 当たり前じゃないんですよね、何も。当たり前のことなんて何一つもない。昨日の昼、近くの大きな交差点で交通マナーの啓蒙活動に励む方々を目にしました。どうなんでしょうね。自転車であの交差点を突っ切る人たちは彼らのことを、何だこいつら、邪魔だなあ、とか考えるんでしょうか。悲しくなってくるんですよね、そう考えただけで。実際にそんな風の言動をする人を見ただけで。あんなにも報われない仕事があるかと思います。ビラ配りの人にもコンビニの店員にも、同じようなことを考えます。きっと誰も感謝しないんですよね。誰からも相手にされない。自分の身に置き換えてみてくださいよ、それを。死にたくなってきませんか。だから、というわけでもないですけれど、会計のときなんかには相手へ礼を伝えるよう心がけたりしています。その苦労を誰かが肯定しなきゃいけない。自分じゃなくてもいいけれど、自分でもいい。昨日の昼、あの人たちにも一言でも声をかけられたらよかったのにな、とずっと考えています。今更遅えよ。

 

 躊躇う自分がいて、馬鹿にする自分がいて、諦めたがる自分がいて、恥ずかしがる自分がいて、考えていた言葉のほとんどは言えないままで意味を失くして、もうずっとそんなことの繰り返しです。自分で決めたことをすぐに後悔して、でも今更引き返せなくて、とりあえずいまは実家から突発的に帰ってきたことを少し悔やんでいます。実家、嫌なんですよね。諸事情あって、いまは特にいたくない時期です。それでも、一日くらい泊っていけばよかったかなあ、と帰りの電車からぼーっと外の空を眺めながら思いました。両親だって僕だって、明日には死ぬかもしれないのに、少しくらい話せることがあったんじゃないのか、みたいなことを考えていました。結局、来週、地元で何の予定もないのに実家へ帰ることに決めて、それで手打ちにしたのですが。

 

 なんていうんですかね。大学で仲良くしてくれている人たちだって、あと一年もしたら就職したり院進したりで現状とはすっかり変わってしまうわけで、だから、いまじゃないと話せないようなことがもっとたくさんあるんじゃないかな、という気持ちで最近を過ごしています。絶対に後悔することになると思うんですよ、自分が、このままだと。まあだからって、無理に誰かを巻き込んだりはしませんけど。

 

 

 

 

 日常的に何か言葉を書いていて何よりも感じることといえば、言葉はどこまでも無力だということです。文字を書くという習慣が僕についたのは、このブログを立ち上げてからのことですが、本当のことを言えば、もっと以前からあったのだろうとは思います。僕は何度でも彼のことを話題に上げますけれど、僕と彼との関係を繋いでいたのはいつだって電子世界の文字でした。それ以外には何も、僕らの間には約束や取り決めさえなかった。なんてことのない日の夜。嫌なことがあった日の夜。嬉しいことがあった日の夜。気が向いたときに二人で集まって、飽きるまで話し合って、疲れたら眠って、たったそれだけの関係でした。いま僕がこのブログで行っていることといえば、結局のところ、その数年間にわたる彼とのやり取りの延長線上でしかなくて、要するにずっと会話をしているつもりなんです、僕は。自分自身と。あるいは、この文章をいま読んでくれている誰かと。会話なんていいつつも、行われているのはどうしようもなく一方的で独善的な行為ですけれど、別に会話の相手は僕じゃなくていいんです。これを読んでくれた人がその人自身とゆっくり話し合ってくれればいい。自分の内側を覗いてみてくれたらいい。そう思いながら書いています。どこまでも自分勝手な考え方で、本当に申し訳ないという思いはありますけれど、ごめんなさい。それでも、少しでいいから、自分のことを考えてあげてほしいんです。

 言葉は無力です。どこまでも無意味だと思います。何も伝えられない。だって何も伝わってないでしょう、多分。僕がここでどれほどの言葉を使って何かを主張したところで、たとえば真夜中の信号機を守ることの是非について雄弁に語ったところで、それを読んだ人の九割九分は何とも思わないでしょうし、何も考えないに違いないと思っています。別に何かを変えたいというわけではないんですけれど、なんというか、結局そうなんだよな、という気持ちになります。自分が手に抱えている感情がいくつもあるでしょう。好意、愛情、劣情、嫉妬、羨望。大きなものも小さなものも、温かいものも冷たいものも、たくさんあると思います。それは他の誰かから与えられたものだと思いますか。まあ、言葉の定義にもよりますけれど、それは自分で拾い上げたものでしかないと僕は思います。拾うきっかけをくれたのは他の誰かかもしれません。でも、拾ったのは自分です。だから、僕が何を語ってもそれは全くの無意味なんです。信号を守れ、という主張を聞いた人に、ああたしかに、そうした方がいいな、なんてことを思ってほしいわけじゃないんです、僕は。何をしてほしいか、ちゃんと伝わっていますか? 考えてみてほしいんです。少しでもいいから、自分自身と会話をしてみてほしい。自分と話をする機会なんてそうそうないでしょう。だって面倒ですから。だから、ここにある言葉のいくつかを鏡にして、自分のことを見てやってほしい。納得できないならそれでもいいし、こいつは馬鹿だと感じたならそれでもいい。自分の考え方は少し軽率かもしれないと思ったなら正すように意識すればいいし、遠い世界の話だと思ったら忘れてくれたって構わない。自分の姿を見てほしい。それだけなんです。だって、自分の手で拾い上げなきゃ何の意味もないから。

 以前にも何度か書いたような覚えがありますけれど、他人は自分を映す鏡だと思います。他人に向けた矢は必ず自分に返ってくるんですよね。僕はそう思います。あいつはここがダメだなあ、と感じた刃は自分の心にも突き刺さっているはずなんです。気が付かないだけで。あるいは目を背けているだけで。だから、自分のことをちゃんと見てやってほしいと思います。ここにある言葉はそのための鏡です。また意味の解らないことを言ってるよ、と思うならそのままで構いません。それもまた鏡が映した一つの事実だと思います。本当に何も解らないなら、それは何よりも自分のことが解っていないということだと、僕はそのように考えるので。

 

 言葉は無力です。こんなにも泣きたくて仕方がないのに、自分でさえ一体何が悲しいのかも解りません。長ったらしい文章でもいいから言語化することができたのなら、自分の胸のどこが痛んでいるのか、それが解るだろうに。何も言えない。何も解らない。

 文字を書くということは、あるいはもっと一般に作曲なんかもそうで、自分の考えを誰かに伝えようとするということは、自分自身の中、奥深くへと潜っていく行為だと僕は思います。だから、書き起こせば少しは何かが解るかもしれないかもしれないと期待しましたけれど、でも、なかなか上手くいきませんね。