context


 そういえば「どうして彼と呼ぶんだろう」と言われたことがある、彼自身から。その理由自体は、実は昔の記事で一度だけ書いたことがあって、と思いつついま読み返してみたのだけれど、なんかよく分かんないことしか書いてなかった。三年前の自分、適当なこと書きすぎだろ。いやでも、当時の自分が適当なことしか書かないに至った心理は割と容易に想像ができて、というのも、単純に誰にも伝えるつもりがなかったからなんだろうな。そういう文章がこのブログにはたくさんある、特に昔のものになればなるほど。いまだってそう。「何の話をしてるの?」と首を傾げている人はたくさんいるだろうと思いつつ、そんなのは置いてけぼりで文章を続けようとしているし。画面の向こう側を想像しないとこういうことになるという一例だけれど、これは。まあブログだし。ところで話を戻すと、いまの自分ならもう少し正確にこの辺りの理由を説明できると思っていて、とはいえ、おおよそ肝心な部分については三年前の自分もきちんと言及していた。このブログにおいて彼を彼と呼んでいる理由がもしあるとすれば、それは自分たちの間を繋いでいたのがそういった匿名的なコミュニケーションだったから、これに尽きると思う。匿名性。いま思い出しても笑っちゃうな。自分が彼の名前を知ったのは、互いに知りあってから五年目のことだった。たしか、平安神宮前。馬鹿みたいに大きくて赤い、あの鳥居の前だったと思う。スマートフォンをみせてもらって、「なんて名前なの?」って。差し出された画面の上には恐らくは氏名であろうと思われる文字列が表示されていて、だけど、自分の目に映った彼とあんまりにピントがずれていて、思わず笑ってしまった覚えがある。自分が京都大学を志した理由は幾つかあるけれど彼の存在はそのうちの一つで、いや、本当にどうでもいいことばっかり覚えてるな。大学へちゃんと入ったら名前を教えてよ、って言ってたんだ、たしか。自分だけが浪人してたから、それで。無事に大学へ通り、浪人を終えて名前を知って、その末に約束が果たされたという感動めいた感動は、だけどどこにもなかった。ただ笑っただけ。画面上の文字列。それなりに知っているはずの誰かの、全然知らない名前。その名前にはその名前なりの人生があるはずで、物語があるはずで。シンデレラの幼馴染ってどんな気持ちなんだろうって。でも、そんな一切は自分たちにとって何の関係もなかったんだなって知れて、たぶん安心したんだと思う、そのときに。匿名性。いまでこそ互いの家庭事情なんかにも多少は話の及ぶことがあるけれど、でも当時の自分にとっての彼は彼でしかなかったし。画面上の文字列みたいな、互いの実在とか現実とか、そんなの本当は全部どうだってよくて。平安神宮、鳥居前。その証明のための五月だった、あれは、いまにして思えば。欠落。欠け落ちたもの。自分から欠け落ちたものは何だったんだろうと考えて、でも、それだって誰にも進んで話したりはしないけれど、このブログじゃ全然隠していない。その正体は結局のところ、彼という架空そのもの。難しい話。いや、本当は全然難しくなんかなくて、ただありきたりな言葉を使いたくはないという安っぽいプライドから難解にみせているだけ。欠落について語るとき、それは元々あったものがなくなったのか、あるいは最初からあった空洞に今更気がついたのかという二分があるけれど、思うにこの場合は後者だった。なんていうか、何かが埋まっているような気がしていて。でもそれは違ったんだってことに気がついて。空っぽじゃんって。空腹感と同じなんだよな、これ。意識にさえ上ってこなければ相手にしなくて済むのに、一度気がついてしまうと意識せずにはいられないっていうか。孤独? 孤独って言葉、ありきたりだよね。使っちゃった。なんか、まるで当たり前みたいに思ってたんだよな、彼との日常が。当たり前のことなんてこの世界に何一つもないのに、そんな当たり前ひとつさえ知らなかった、当時の自分は。そして知った、彼がいなくなって。厳密にはいなくなったわけではなかったけれど、主観的にはいなくなったも同然の。学部一回生の夏前。なんか、色々考えたな、あの頃は。たとえば言葉って何だろうとか。彼と自分とを結んでいたのは主にテキストデータだけだったから。何の色も形も教えてくれやしない文字を読んで、たったそれだけで何もかも解ったような気になって、何も解ってなんかいなかったし。じゃあ、あれは何だったんだろうって。あるいは、大人になるって何だろうとか。なんていうか、内的世界を棄てることと大人になるという結果が自分の中で結びついていて、当時。いまはそんなことないんだけど。内的世界。それまでの数年間、信じられないくらいに閉じきった空間で話すことが多くて、彼と自分は。二人だけしか知らないような、踏み込めないような。ような、ではなくて実際にその通りの。彼がいなくなって、いなくなったあとの世界に意味が見いだせなくなったというか。お互いに大人になっちゃったんだな、と思ったりして、当時の自分は。みたいな。そんなあれこれをああだこうだって考えて、最終的に行きついたのが、だから平安神宮、鳥居前、その証明のための五月。ただ笑っただけだったはずの五月にそういう意味を与えて。色があって話がない、って言ってたっけ。これは自分の言葉じゃなく、つい最近に耳にしたばかりの、受け売り窃盗付け焼刃のそれだけれど。その表現と照らし合わせるなら、だから話にしたってことなんだと思う。欠け落ちたもの、彼と自分との架空。そういう全部を話にした。……いや、数年ぶりくらいに書いたけれど、こんなこと。でも、彼にまつわる自分のことなら幾らだって話せそうな気がしてしまうな、本当に。青空みたいとか、たしかに、いまでもそう思う。「どうして彼と呼ぶんだろう」って、だって関係なかったじゃんか。名前とか、性別とか、生まれとか、お互いに、あの頃は。本当に欠け落ちたものは何だったんだろうって。実存? たぶん違う。だから、そう。っていう話。っていう話を、急にそういう気持ちになったから書き残しておいた。何の話?

 

https://note.com/kazuha58/n/n2b0a0705ccd7