20220224

 

 具体的に何年前の出来事だったかまでは思い出せなくて、ただ、その日が 2 月 25 日ということだけは覚えていた。ブログか、あるいは Twitter かにたしか書き残したはずと思って、まずはブログを当たってみたのだけれど該当物は見当たらず。次いで遡った 2019 年の Twitter にそれがあった。

なんていうか、猛烈な違和感があった、その瞬間に。この情勢下になって以降はめっきり足が遠のいてしまったけれど、当時の自分はよく北部食堂へ通っていて、2019 年の 2 月 25 日の昼過ぎもそうだった。混雑のピークを叩く正午を優に過ぎた午後 2 時半、春休みということも相まって食堂内は閑散としていた。北部食堂へ足を運んだことのある人は分かると思うけれど、一階のフロアではあちこちにディスプレイが掛けられていて。時期が時期なので就活の話とか、スーツのフェアとか、あとは平常通りにどこかの出版社の書籍が何%オフになっているだとか、そういったことを知らせるスライドが数十秒おきに切り替わる。要するにいつも通り。普段と何ら変わらない日常がそこにあって、当時の自分もまたその一部分としてそこにいた。何がきっかけだったんだろうな。そこまでは思い出せないけれど、なんか、普通に食堂にいる最中だったと思う。「まさにいま、誰かの人生が決定されようとしているんだな」という気持ちに突然なって、それが当時の自分にとっては、言葉ではとても言い表せないくらいに不思議な感覚だった。当然ながら自分だって入試を経ていま大学生の身分をやっているわけで、数年前には同じように教室で試験を受けていて、だから 2 月 25 日という一日の意味もある程度は分かっているわけで。ここからそう離れてもいない場所で、自分とは何の関係もない人たちの人生が決定されようとしていて。実際に自分とは何の関係もないから、だから当時の自分は暢気に食堂で昼御飯を食べていて。それがなんていうか、どの言葉を選ぶのが正しいのかも分からないからとりあえず思いついた言葉を並べておくけれど、気持ち悪かった。いや、どうなんだろう。当時は「なんか変な気持ちだな」くらいの感覚だったような気がする。だけど、「ああ、そういえばあの日もそんな気持ちだったんだ」って、いまでも真っ先に思い出すくらいには強く記憶に残っている一瞬で。時が経てば経つほど、なのかもしれない、こういうのって。今日が 2 月 24 日で、だから明日は 2 月 25 日。でも、今回はそれが理由で思い出したというわけでもなく。朝起きて、なんかもう、マジで無理だった。意味わかんないわ、全部。なんか、気がついたら戦争みたいなのが始まってて。そのことに怒っている人がいれば笑っている人もいて。正義とか義憤とか悪意とか冷笑とか。主観も客観も、いろんな感情がごちゃ混ぜの。檻で守られている身分なんだから何とだって言える。そうかと思えば某 V の人が契約を解除されて、こっちもこっちでいたるところから言葉の列が。悲しんでいる人、それをただ面白がっている人。当たり前。やっと。できることはあったはず。これも全部あいつらのせい。わけがわからない、本当に。なんでそんなことになるわけ? 見ず知らずの他人を蹴落としていないと呼吸すらままならないのかよ、と思う。思っちゃうよね、どんな嫌でもさ。そういう風に思わせてくる世界が嫌いだし、そういう風に思ってしまう自分も嫌いだし。どこかの誰かが悲しんで、どこかの誰かが石を投げて、そのたびに頭を掴まれて自分の奥底を無理に凝視させられるみたいな。お前だってそう思うことがあるだろ、って耳元で。ある。あるに決まってるでしょ、そのくらい、人間なんだから。分かってるよ。でもさ、そういう黒い部分と何とかして折り合いをつけていくのが知性ってものなんじゃないの。違うのかな。そうでないなら知性って、人間って何なんだ。何のために生きてんの。憎み合って争い合って、弱者を虐げることでしか自分の価値を確かめられない? そうでないと思いたいからこうやって必死に生きてるのに。だって、だとしたら人生なんてあまりに無意味すぎる。何のために生きてんの、マジで。世界がどんな理不尽で滅茶苦茶に荒らされようが、あるいは一人の人間がどんな酷い言葉に傷ついていようが、観測範囲の日常は相も変わらずに平常運転で。それが当たり前ですって顔をして、否定してほしいのに。普段ゲーセンへ行っている人はいつも通りにゲーセンへ行っているし、日夜 Twitter で思想をバトらせている誰かは今日もまた自身と相いれない思想を扱き下ろして。たとえば明日、どこかの国で何億人もの人が亡くなったとして、それでも自分は普通にバイトへ行くんだろうなって気がするし。バイトの休憩時間にスマホをみて、「ああ、こんなにたくさんの人が死んだんだ」って知って、それでまたバイトへ戻って。それをさ、平気な顔でこなす人もいると思うんだよな、しかも大勢。できる、できるはずだろ。だってインターネットが証明してくれてるじゃんか、今朝からもうずっと。泣いている人へ向かって平気で石を投げられる人間がいて。死という絶対的な最期を前にしてなお、その事象を面白がる人間がいて。マジで自殺したらどうすんのとか、ドラマですら聞きたくないような言葉だって。「これこそが人間の本質です」とでも言いたげに。なんかさあ、なんか。本当に分かんなくなってきた。自分こそが正しくて、自分こそが勝者で、自分ひとりがよければそれでよくて。自分の正義に反するものは全部間違っていて、自分に歯向かう誰かは敗者でないと気が済まなくて、自分よりも先に他人が満たされるのはどんなことよりも許せなくて。誰かの不幸でしか自分の幸福を確かめられない。そんなものが真理なんだとしたら、何のために生きてるんだろうな、本当に。