20220104

 

 以前、小さめのプレゼントを渡したら翌日にゴミ箱へ棄てられていたのをみつけたことがあって。これは比喩。バイトの昼休憩だった、たしか。外の空気が吸いたくて自動ドアをくぐって。まだそれほど冷え込むような時期でもなかった。手癖でポケットからスマホを取り出して、そこでみつけた。なんか、めちゃくちゃな気持ちになったような気がする、あんまり覚えていない。ブログにでも残しておけば鮮明に思い出せたのだろうけれど、だけどそうしておかなくて本当に良かったと思う。あのときのテンションに任せたら、どんなに最悪な結果が出力されていたか分からない。たしか、虚しかった。怒りとか悲しみとか、そういう類よりもずっと早くに虚しさが来た。抉られるというよりは、抜き取られるみたいな、ほんの一瞬で。そのプレゼント、夜なべで作ったんだけどな。次の日の朝からバイトがあるっていうのに、でもいま渡したほうがいいと思ったから。なのに、捨てちゃうのか。小学校の頃にも同じようなことがあって、授業参観だった、たしか。ペットボトルを使って何かを工作するという話で、たぶん石鹸。クラスメイトの一人が、だけどペットボトルを忘れてきたらしい。それはそれとして、自分は何故か二つ持っていた。予備だったのかな。形状によっては上手くいかないことがあるからとか、そんな話だった気がする。余っていて、だから渡した。その後、どういった流れがあったかは覚えていない、というか自分の作業で手いっぱいだったのでそもそもみていないのだけれど、それをゴミ箱の中にみつけたことだけは覚えている。よく分からない。両親はなんだかんだと言っていたけれど、怒りとか悲しみとか、そういうのはあんまりなくて、ただ、よく分からないという感覚だけが手元にひとつ。どうしてそんなことができるんだろうと思って。プレゼントの類は、究極的にはどうしたって消耗されることになる。だって、この世にあるおおよそすべてのものは消耗品だから。宝石とか不動産とかなら話は別だろうけれど、それはもうプレゼントとかの次元じゃない。だから、いつかはゴミ箱へ行く。ここでいうゴミ箱も比喩。役目を終えるということ。旅先で買ったチョコレ-ト、夏場を眠って過ごすマフラー、貸したままのビニール傘、言葉だってそう。遅かれ早かれ消耗される。それは分かっている。分かっていて、だけど今回のは違う。普通に晴れた午後の空。歩き出すのもなんだか億劫で、スマホを片手に突っ立っていた。たぶん、気づかれなかった。それが自分からのプレゼントであることに。そんな虚しいことはないと思う。皆まで言わなきゃ伝わらないものかな、そういうの。自分なら、たぶん気づく。自分がそうだからって他人に同じことを求めるのは全く正しくないけれど、だけど考えてほしかった、少しくらい。というか、考えてくれていると思ってたんだよな、そのくらいのこと。有体に言えば、期待していた。その程度の期待なら許されると思って、でもダメだったらしい。自分のことだけ。それはそうだろうけれど。失望っていうのかな、こういうの。勝手に期待しておいて、上手くいかなかったら勝手に見損なうって、そんな自分も大概に自分勝手で、それもなんか嫌。嫌だな。プレゼントなんか渡していない。ゴミ箱へも棄てられていない。比喩だし、全部。本当はもっと別のものを渡して、それがもっと別の場所へ棄てられた。気づかれなかったことも、気づいてくれなかったことも、その結果にどこかで失望している自分も、何もかもが嫌。しばらくずっと引きずって。ずるずると。その人の目には、自分のプレゼントが悪意のこもった悪戯か何かにみえたらしい。そう言っていた。あるじゃんか、封筒の中に剃刀を仕込んで、開いた瞬間に指を切るようにするみたいな、そういうの。その類だと思ったらしい。虚しいとかじゃない、もはや。底抜け。その点に関してはちゃんと伝えた、それは誤解。伝えはしたけれど、でも何も伝わっていないのだろうなと思った。そういう言葉が返ってきた。箱を開けるどころか、そもそもゴミ箱から拾い上げることさえしてくれなかった、きっと。言いはしなかった。自分がどういう気持ちでそれを贈ったのかとか、睡眠時間を割いてまで用意して、次の日にはバイトもあったのに、全部が全部勝手にやったことではあるけれど、どうして何も考えてくれないんだろう。棄てる側の気持ちを考えろって、だったら贈った側の気持ちも考えてほしかった。言わない。言っても無駄と思ったから。その程度のことでさえ期待したくないし、失望もしたくない。勝手に線を引く。境界線。すべての人間を好きになることはできない。そんなに優しくないから。もっと嫌わなくて済むようにするだけ。愛していると言う。その人は、自分以外の全員を。その中には自分も含まれているのかな、と思う、そのたびに。いまもまだ期待している。できれば入っていてほしくない。嫌われていたい、心の底から。その程度の救いは、誰にだって与えられていいと思う。