誰も知らない


 ちょっと前の記事で「昔は夜が怖かった」みたいな話を書いたように思うんですけど、でも、その話を書いたときからずっと思っていたことがあって、それが何かって「夜が好きな日もあったな」ということで。数日ほど前に真夜中の三条へ繰り出す機会があって、別に誰かと遊んだとかではなく、単に深夜散歩の延長で三条まで歩いただけですけれど、鴨川沿いを。そのときに「ああ、そういえば」って思い出して、そのうちブログにでも書こうかなと思うなどしました。どこだっけ。たぶん三条通りって名前でいいと思うんですけど、あの、駅があって橋があって商店街があって、みたいな場所。そこも少しだけ歩いたんですが、その通りから一つぶん北を東西に走る通りがあって、いま調べたら御池通って名前らしいんですけど、そっちのほうが自分の印象には残っていて(そういえば、散歩中にみた看板に『おいけおおはし』と書かれていたことをここで思い出した)。めちゃくちゃに広い車道と、灯りの消えたビル群と、誰もいない歩道と、街路樹と、あとは辺りをオレンジに染める街灯とがあって。たったそれだけなんですけど、でもなんか、数日前の自分はその光景にめちゃくちゃ感動したというか、いや、感動というとあまりにも大袈裟ですけれど、でも、似たような気分にはなって。感傷が近いのかな、分かんないけど。その理由は多分いくつかあって、自覚的なものもそうでないものも、色々と。その中の一つが、その、「夜が好きな日もあったな」に通じたりするのかなって話なんですけど。どこから話そうかな。別にそんな特別な話ってわけでもなくて、たぶんどこにでもありふれている、誰でも知っていそうな感覚の一つだと思うんですけど。僕の実家、というか家庭? 姉が高校生になった辺りからは全然だったんですが、昔はよく旅行へ行っていたんですよ。旅行……。旅行っていうか、まあ、そんなスケールの大きい話でもないんですけど。父親の車で家を出て、高速道路を走って何処かへ行く、みたいな、そういうごく普通の旅行があったんですよね、昔は。いま思うと父親は大変だったろうなと思うんですが、その、目的地に着いた瞬間から行動が開始するので、目的地へはなるべく早く着いておきたいわけですよ。それこそ朝とか、遅くとも午前中には。となると、実家を出る時間はかなり早くに設定しなくてはならないわけで、それこそ深夜二時とか三時とか。……ってあたりまで書けばだいたいどういう話の流れになるのか、察しのつく人もいるだろうなと思うのですけれど、だからまあ、そういったときに繰り出す夜の町はとても好きだったんですよね、自分。なんていうか、それこそ中高生の頃の初詣とか。まだ小さかった頃って、そういった深夜帯へ外を歩くこと自体が新鮮っていうか、だって普通しないし、する目的もないし。だから、そういった一日の特別感がより強固なものになるっていうか、そういった感覚は多分誰しもが知っているのではないかなって思うんですけれど。それと、まあ言ってしまえば同じものというか。なんだろうな。その、昔の自分(=他人)がどう思っていたのかみたいなものを雑に括ってしまうのって、そんなに良いことじゃないなと自分は思っていて。どうしてかというと、言語化をするとその枠組みに切り取られてしまうから、全部が。だからまあ、そう思っているとだけ触れたうえでざっくりとまとめはするんですが、なんていうか、『誰も知らないものを知っている』という優越感の一種だと思うんですよ、ああいうのって。こう、普段は人で溢れている町も通りも眠りについて。民家もスーパーも小学校も、みんなすっかり明かりが消えてしまって。他の誰も観測していない風景を、つまり誰も知らない世界を、そういう場所を自分はいま歩いているんだっていう、なんだろう、特別感というか何というか、そういうの。なんか、そういう風に言ってしまうと別に夜が好きだったわけではないような気もしてきますし、まあ実際そうだったと思うんですけど。でもまあ、ああいう日に母親だか姉だかに手を引かれて歩く夜の町はめちゃくちゃ好きだったなあって。そういうことを、三条まで歩いた数日前にふと思い出してっていう、それだけの話です、今回は。