右か左か


 人生を『自分』という視点で、しかもたったの一度しか経験できないのって、自分はどうしても結構な損をしているというように感じてしまうのですけれど、皆さんはどうですか? んー、どうなんでしょう。損という表現は正しくないかもしれませんけれど、それに近いような感覚が自分にはあって。でも、だからって例えば小説だとか映画だとか、そういった媒体で別視点でのストーリーを追体験してみたいって、そんな欲求があるというわけでもないんですよね。感受性……。感受性って何なんでしょう。これは以前、知り合いとこういった話題を扱ったときの言葉をそのまま引きずっているのですけれど、感受性。他の人たちがどういった風に物語を楽しんでいるのか、それを知る術は勿論ありませんけれど、自分は割となんでもかんでも感情移入してしまう側の人間のような気がしていて。いや、どうなんでしょうね。こういうのを自分で言っちゃうタイプの人の話って、仮に自分が読み手の側であれば「信用ならねえ~」と斜めに構えてしまいますし、まあそう思われるのもアレなので普段はこんなこと言わないんですけど。でも、今回はそういうテーマなので、その辺りのこともちょっとだけ触れておきます。感情移入するとかしないとかじゃなくて、なんだろう。臨場感? ……ともまた違うな。一人称視点だろうが三人称視点だろうが、それが小説なのであれば自分は常にその目線であることを前提として物語を理解しようとするといいますか。いや、しようとするとかしないとかじゃなく、そういう風にしか向き合えないっていうか、そんな感じなんですけど。だから、自分と全く違う考え方をするキャラクターが一人称の作品とかは、読んでいて結構楽しかったりします。こう、自分の中には存在しない行動理念のようなものが自然とインプットされてくる感じで。映画も同じ。作り手側の意図とかは特に気にせず、操り人形の視点から物語を理解しようとする、みたいな。自分は基本的にそんな感じの楽しみ方をしています。いや、でも、ならばこそって話なんですけど。その、だから「人生を一回しか経験できないのって損じゃね?」という風に思ったとき、それを小説や映画で埋め合わせる、みたいなことが全然できなくって。というのも、そういった媒体に触れているときの自分は完全に別人のつもりだというか、要するに山上一葉という人格は完全に消滅してしまって、主人公なり神の視点なりと同一化しているわけで。でも、自分がやりたいのはそういうのじゃないっていうか。自己の連続性を保ったままで別視点での人生を経験してみたいんですよ。わかりやすく言うと、異世界転生がしたい。これは嘘で、異世界へは飛ばされたくないし、転生をしたいわけでもなく、ただイメージしやすいかなって理由だけで言いました。別に異世界転生はしたくありません。でもまあ、イメージとしてはそんな感じで。たとえば、それこそ感受性とか? 「いや、知らんやん」ってなりません? 自分が持ち合わせている感覚の多寡って、そんなの他人と比較しようがないし。比較することに意味は何一つありませんけれど、それでもまあ知りたくなったりするじゃないですか、そういうの。でも、知りようがないし。だから、自分のままで別人になってみたいって、そういうことを思うんですよね。たとえば、自分はかなりの頻度でぼーっと空を眺めることがあって、電車に乗っているときとか、あるいは普通に歩いていてもそんな感じですけれど、でもそうじゃない人だって当然いるわけじゃないですか。歩いているときにずっと俯いている人とか、別に何をみているでもない人。どっちが良いとか悪いとかって話ではなくて、そもそも良し悪しなんて存在しませんが、だから、そういう人生を送ってみたいって思うんですよね、単純に。空を全く見上げない人生。面白そうじゃないですか。他にも、たとえば自分は食への関心がほとんど皆無で、だいたい何を食べても美味しいと言うので、友人と会うときなんかには店の選定も予約も全部投げちゃう(かわりに和洋や金額など、すべての設定権が相手にある)のですけれど、そうじゃない人生も一度くらい経験してみたいなって。「あの店の〇〇は口に合わない」だとか、「この店の〇〇は特に美味しい」だとか、そういった感覚に少しは振り回されてみたいって、食にかなり拘りのありそうな友人とご飯へ行った際には、そういったことを思ったり思わなかったり。ほかにも、自分の家はいまもむかしもめっちゃくちゃに散らかっていて、綺麗好きの人が訪れたら卒倒するレベルだと思うんですが、逆にそういった綺麗好きな人としての人生もやってみたいなって思うし。なんていうか。こういう人格周りのことって決定権がないじゃないですか、自分たちに。気づいたらそうなっていたっていうか。別に空をみようと思ってそうしているわけではないし、食への関心を持たないようにしようと思ってこうなったわけではないし、部屋は散らかっていたほうがいいと思って散らかしているというわけでもなく、『なんか知らないうちにそうなっていた』が結局のところ全部っていうか。もちろん、ルーツみたいなものをたどっていけばそれっぽいものがいくつか見つけられるだろうと思うのですけれど、でもそんなのは卵と鶏でしかないような気が個人的にはしていて。だから、なんていうか、『自分じゃどうにもならなかった部分』を今とは別の状態にして、そのうえでこの世界を捉えてみたいっていうか。そういう欲求がめっちゃくちゃ強くあるんですよね、自分には。極論を言うと、性別とか。男性としての人生しか送れないってあり得なくないですか、マジで。ふざけんなって気持ちが自分には結構あるのですけれど、皆さん、そんなことないですか? いやだって、いまどき RPG だって性別くらいは選べますよ。なのに、なんで選べないの? みたいな。……まあ、ここまでに書いた話は半分くらい冗談で残りの半分くらいは本気ですが、いやまあ、それこそ最後の性別の話を受け継ぐとしたら、だからって別に性転換をしたいだとか、そういうことは一切思ってません。ここら辺、ちゃんと書いておかないと誤解されそうだなと思うので、一応断っておきますけれど。というか、でも、だからそういう話じゃないんですよね。空も食も綺麗好きも性別も、だから要するに『その片一方しか経験できない』って事実が自分は許せないっていうか。それを「もったいねえ~~~~」と感じるというだけの話で。『空を見上げない』、『食への関心が高い』、『綺麗好きである』、『女性である』といった、いまの自分が持ち合わせていない要素そのものに価値を見出しているのでは全くなくて、それらに共通している『自分には一生涯経験できない』という属性に対して価値を見出しているっていう、そういう話です。だからまあ、自分にとってはあくまで右か左かという程度の違いしかないというか。別にどっちがどうとかって話でもなく、だからたとえば「では、そんなあなたを明日から女性にしてあげましょう」とどこかの神様が親切にしてくれたとしても、まあ普通に断るだろうと思います。男性としての人生しか経験できないという事実に不満があるだけで、男性であること自体に不満を持っているわけではありませんし。この辺りの感覚の違い、自分はそれなりに明確なものとして持っているのですけれど、まあでも、そういうことをあまり思わない人にとっては同じもののように映ってしまうのかなという懸念があり、なので少し多めに注釈をつけておきました。……これはもう何度も書いていることなので、わざわざここで取り立てて話すようなことでもないのですけれど、だから結局、自分が他の人の話を聞きたがるのもつまりはそういうことで。自分と他の誰かとでは考え方が異なっているわけで、価値観も同様に異なっているわけで、だったら見えている世界も別物のはずで、自分が知りたいのは、だから正しくそれなんですよね。手っ取り早いのは自分の意識がその誰かの身体へ入り込むことですが、昔の漫画にありがちな頭を思い切りぶつけて Let's 人格交換みたいな、ああいうの。でもまあそれは不可能なので、だから会話として理解してみたいって、そういう気持ちが自分にはかなりあって。二〇と数年生きてきて、自分に最も合っていると感じた追体験の方法が、結局のところは会話なんですよね。会話。このブログで自分の考え方をああだこうだと書き散らかしているのも、自分と同じようなことを考えている人がどっかにはいるかもしれないなという気持ちが多少はあるっていうか。なんだろ、そういう、「他の人が何をどういう風に考えているのか知りたい」みたいな人。いるのかな、知らないけど。いやでも、そういう人が身近にいるのだとしたら全くの無意味というわけでもないなと思っていたりいなかったり。っていうかもう、自分の考え方や普段見ている風景なんかは散々書き尽くしてしまっていて、このブログのいたるところに。なのでというわけでもないですけれど、最近マジで他の人と話をできる機会がめっきり減ってしまったことも相まって、なんか、いわゆる感覚のアップデートのような何かが滞っているような気もしており。とはいえ、気軽に会って話せるような状況でもないので難しいですよね。んー、まあ、別に誰かと話していないと死に至るような病に侵されているというわけでもなし、というか、いわゆる雑談のようなそれは雑に話すからこそ意義があるのであって、会話をするという目的で行われる会話は会話じゃないという意見にはかなり賛成している側の人間ですし、自分は。なのでまあ、何かしらの機会があるときでいいでしょうって、だいたいそんな風のテンションで生きています、最近は。もうすぐしたら色々とイベントがありますしね。そのときに色々を話したり話さなかったりできたらいいかなって、そんな感じです。