関係性


 特別な関係というものが、たぶん自分はあんまり好きではなくて。だからといって嫌いというわけでもないのですけれど、でもどちらといえばうまく折り合いをつけて生きていけたらなって、そんな風に思っています。なんだろう、このブログをある程度読んでくれている人であれば、僕が『友人』という言葉に対して色々と思うところがあるということはもしかしたら知っているのかもと思いますけれど、何も別にそれに限った話ではなくて。他人とか、知人とか、先輩とか、後輩とか、彼氏とか、彼女とか、もうなんかそういう全部に対して自分には自分なりの考え方というか、なんだろ、線引きというか、そういうものがあって。いやまあ、少なくとも『彼氏』については一生涯無縁ですけれど。なんていうか、その対象が何であれ、それと自分との関係性に名前を付けたくない、みたいなそういう気持ちがあるっていうか。『後輩』や『彼女』は絶対に使いたくないし、『先輩』は意図的に使うことが若干あるものの、基本的にはやっぱり使いたくなくて、大きな理由としてはやっぱり「そういう関係であることを相手に強要するのが嫌」というのがあり、でもそれはそれとして、「そうじゃない部分が消えてしまうみたいで嫌」というのもあるんですよね。こっちについてはあんまり触れたことがなかったような気がします。一応触れておくと、『知人』はかなり抽象性の高い単語のような気が個人的にはしていて、『お互いに知っている』以上の情報量がないから、だから自分はだいたいの相手をこのカテゴリへ分類することにしています。していますが、そもそもの話、どうしてもそういったカテゴライズが必要になる瞬間しか持ち出すことってなくて、たとえばこのブログとか、どうしても個人名を出せない状況とかじゃないとわざわざそういうラベルを外へ出すことはしないというか。それはまあそうって感じですが、それはさておき。なんだろう、たとえば『友人』というカテゴリに入っている相手がいたとして、でも『友人』以外の属性だって当然ながらあるわけじゃないですか。その、僕と誰かとの間には。好きなだけの相手っていないし、同様に嫌いなだけの相手もいないし。『友人』という関係は、だから結局は一側面に過ぎなくて、好ましく思っている部分もどうしても気に障る部分も、あるいはどうだっていいと思っている部分だって沢山あって。そういうのを積み重ねた結果として僕たちという存在があるわけで、その全部を『友人』という言葉で括ってしまうのが単純に嫌だっていうか。なんだろうな、なんか、何かを誤魔化しているような感じがしてしまって。だからまあ、そうですね。自分はそういう『関係性を表す名詞』を極力使わないようにしていて、シンプルに名前で呼びたいんですよ、どちらかといえば。名前。でも、それにしたってそうで、名前も名前で自分は色々と思うところがあるっていうか。だから、冒頭で言っていた『特別な関係』というのは何も人間関係に限った話ではなくて。何かと何かがあれば必然的に生じてしまう両者の関係、そのすべてに対して重荷になるような名称を与えたくはないなーと思ってしまって。ということをどうして書いたのかといえば、自分はどちらかといえば中性的な名前のほうが好きなのかもしれないなと散歩中に考えていたことが原因です。山上一葉という名前にこれといった明確な理由はなく、ただ気に入っている部分はいくつかあって、そのうちの一つに『いつは』でも『かずは』でも性別が限定されにくい名前だな、というところがあって。ユイもミサトもそうですけれど、名前とかいうもので誰かを縛りたくはなくて、また同様に自分も縛られたくはないと、自分は多分そんな風のことを思っているのだろうなって。そんな感じでした。