salvation


 二〇年以上も生きていれば嫌な思い出の一つや二つくらいはあるわけで、当然ながらそれはなにも自分に限った話ではないし、誰だってそうなんだろうと思います。自分はまあ小中学時代がかなり最悪で、別に不幸自慢がしたいわけでは微塵もないので詳細を語ることもないんですが、なんだろ、大雑把に言うと自分の全く関与し得ないところで発生した事案のおかげで、そこそこ窮屈な学校生活を強いられていたというか。いやまあ、いまになって思い返してみれば窮屈という程でもなかったような気がするんですが、しかし、小中学生の頃っていま以上に学校が生活の中心じゃないですか。それは自分も周囲も。自分は基本的にずっと帰宅部をやっていて、なのでいわゆる先輩後輩的な繋がりは周りの子たちに比べればずっと薄かったほうだと思うんですが(というかほとんど皆無だったんですが)、だからこそという側面もあり。まあ、どうだっていいです、それは。ともかく、嫌なことの一つや二つはあるよなって、そういう話です。それでここからが本題ですが、先述の通り、自分はそこそこ嫌な小中学生活を送ってきたという記憶があり、実際、当時はかなり環境を怨んでいたような覚えがあるのですけれど、じゃあ仮に過去を自由に書き換えられるみたいな話になったとして、それを行動に移すのかなって。これに関してはもうとっくの昔に結論が出ていて、少なくともいまの自分はそういったことをするつもりはあんまりないな、っていう。いやまあ、そもそもできないんですけどね、そんなこと。可能だったとしても、です。どうしてかといえば、なんだろ、こういうことを言うのってアレですけど、そういうのも全部含めての自分だよなあって気持ちがかなり強くって。紛い物の美談みたいですけれど。誰かに傷つけられたり、あるいは誰かを傷つけたり。むかしから『人の痛みが分かる人になりなさい』みたいなことを、特に母親から何度も言われていたような記憶があるのですが、でもそういうのってやってみなきゃ分からないじゃないですか。これを言うと相手は傷つくかもしれないとか何だとか、その基準になるのってもちろん常識だとか何だとかはありますけれど、でも一番強いのって『誰かに傷つけられた経験』と『誰かを傷つけた経験』なんじゃないかなって自分は思っていて。だから、たとえば昔の嫌なことだったり失敗だったりを全部無かったことにしてしまったとして、そうして後に残った何かに一体何の意味があるんだろう? という気持ちがかなりあって。当たり前ですけれど、これは誰かを傷つけるような行為を正当化しているわけではなくて、そんなことはできればしないほうがいいし、回避に努めるべきだし、それでもやってしまったのなら誠心誠意謝罪をすべきだろうし、許してもらえるかは別として。そうやって誰かを傷つけて、あるいは逆に傷つけられて、「ああ、ここをこうしたら人って傷つくんだな」って、そういうことを知らないと他人の痛みになんて気がつけるわけがないっていうか。だから、なんだろう。ここで話を戻すことにすると、あくまで自分はですけれど、かつての嫌なことを帳消しにすることにあまり意味を見出していない側だったりします。でも、それはそれとして、という話なんですけど。それはそれとして、「いまマジで最悪だな」ってタイミングがどこかしらであるじゃないですか、生きていれば、どこかしらで。友達と喧嘩したとか、恋人にふられたとか、出所不明の希死念慮とか、別になんだっていいのですけれど、「最悪だ」ってタイミング。そういうときにこういった「いやいや。いま嫌なことだって、しばらくしたら良い経験だったって思えるようになるはずさ」みたいな、それこそ本当の意味での開き直りのような態度になれるのかって話で。いやもう、なれるわけがないんですよね。当たり前も当たり前。このブログだって、どこかのページを漁ってみれば疑問形ではないほうの「なんで生きてるんだろう」がどこかしらで出てくると思いますし。そんなもんじゃないですか。だから、なんだろうな。結局ここに落ち着くんですけど、いったいどうしたら僕たちは他人の助けになることができるんでしょうね? 自分にも死にたいと思っていた時期くらいはあって、でもまあ、いつの間にかそういった希死念慮の類とは無縁の人間になっていて。『いつの間にか』は嘘で、「死にたい」の根源に正面から向き合う時間が二、三年ほど続きましたが、それはまあ置いておいて。とにかく自分もそんな感じだったことがあるから、だからこう、苦しそうだったり辛そうだったりという人を観測すると、何か助けになりたい、と思いはするんです。でも思うだけで、じゃあ実際に何を行動へ移せばいいんだって気持ちになることが常で。これ別にこのセリフを引用したいというわけでも、あるいはこのセリフに感化されてこういった思想になったというわけでも全くなく、ただ単純に自分の意見と近いという理由だけで引っ張るんですが、『人は一人で勝手に助かるだけ』という主張が自分はかなり正しいように思っていて(逆に、当時はこのセリフの意味をよく分かっていなかった)。その人が助かるための手助けはできるだろうけれど、でも最後はその人自身の問題なんだよなっていう。馬を水飲み場まで連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない、みたいな。というのも実際に自分がそうで、結局その「死にたい」から解放されたのだって、自分にそう思わせていたたった一つと向き合い続けるという地獄をやったからで、それ自体は誰にも助けられなかったというか。僕が参っているときなんかに隣にいてくれた人たちはいて、彼らには本当にとても感謝していますけれど、でも、本当の意味では誰も自分を助けられなかったし、そもそも自分はそんなものを求めていなかったし、っていう。でも、さらに逆接を重ねるんですが、でもいまにして思えば、そうやって自分がダメになっているときに隣にいてくれた人たちこそ本当の意味での救済に他ならなかったのではという気持ちがかなりあって。なんだろ。話を聞いてもらうだけで楽になるって、「そんなわけねえだろ」とかつての自分は思っていたのですが、まあ実際それが嘘だったとしても、そうやって『話を聞いてくれる人がいる』という事実こそが実は救済に他ならないのではと思ったり思わなかったり。そんなことに気づく余裕もないんですけどね、追い詰められてるときって。以上をまとめると、だから誰かを助けたいとは思っていて、だけど誰も助けられないとも思っていて、どうしてかといえばそれは自分もそうだったからという理由で、しかし今となってはそのとき隣にいてくれただけの人たちが本当の意味での救済だったのではという気持ちになり、でもこういったことを思うようになったのはいまの自分がそれを通り過ぎてしまった後だからなのであって。だから、いったいどうしたら僕たちは他人の助けになることができるのだろうって、そういう話なんですよ。ああだこうだと考えて、結局何もしないよりは何かをしたほうがいいのかなって行動を起こしたこともまあ少なからずあったんですが、本当にそれでよかったのかということはいまでもずっと考えていて。自分の身近で苦しんでいる人を観測するたびに、なんだろ、無力感ってわけでもないんですけど、自分にできることっていったい何なんだろうって、そういう気持ちになります。当時の「死にたい」をいまの僕はとても大切な記憶だと思っていて、そのせいで失くしたものもあれば、そのおかげで手に入れたものもあって。当然いいことばかりではありませんでしたけれど、でも、なかったことには絶対にしたくないなと思っていて。とても強く。だけど、他人の「死にたい」を自分の定規で測っちゃいけないっていうか、同じ四文字だったとしてもそれはその人だけの感情だし。だから、なんだろうな。どうしても助けたいと何もできないの板挟みになってしまうといいますか。いっそ助けたいとさえ思えなくなってしまえば早い話なんですが、そうなることもできないというか、そもそもそれじゃ何の意味もないというか。難しいですね。