物語

 

 昨日の夜、何となく考えていたのが「『シンデレラ』の幼馴染って、どんな気持ちなんだろう」ということで。ここでいう『シンデレラ』はかの有名な童話のことです(バリエーションは色々あるそうですが、適当なものを思い浮かべてください)。別にシンデレラでなくとも、誰でも知っているような童話であれば『アリとキリギリス』だろうが『オオカミ少年』だろうが何でもいいのですが、昨日の自分が真っ先に思いついたのはそれだったので、ここでは『シンデレラ』について話を進めることにします。これはただの想像の話ですけれど、たとえばあの『シンデレラ』が実話だったとするじゃないですか。もちろん、現実的にあり得ない部分は多少修正を施すことにします。そのうえで、あれが現実に起こった話だとしましょう。つまり、自分たちの知っている『シンデレラ』という物語は、歴史上実在した人物の身に起きた劇的な出来事を、(どういった経緯なのかはさておき)当時の人々が語り継がんとして生まれたものである、という風に仮定することにします。

 そういう前提にいるということを説明した上で冒頭の話に戻るんですが、「『シンデレラ』の幼馴染って、どんな気持ちだったんだろう」です。想像をもう少し具体的にするために、幼馴染にも若干の設定を加えることにします。いわゆる人物設定です。たとえばシンデレラは少女、幼馴染は少年、二人は小さい頃からとても仲が良かったという風にしておきます。そして、少年は少女の置かれている状況、つまり家庭の事情や姉との関係性などをあまりよく知らなかった。そういう状況を考えましょう。少年が知っていたのはあくまで『家庭の外側にいる少女』であって、『家庭の内側にいる少女』がどのような存在なのかということについてはほとんど無知であった。それでも、少年と少女はとても仲良しで、『外側』の少女に関して言えば、少年は様々なことを知っていた。以上がおおまかな設定です。うまく想像できますか? ところどころ言葉足らずになっているかもしれませんが、そこはなんか、いい感じに補ってください。

 次に状況設定ですけれど、まず、少女と王子が結婚するわけですね。『シンデレラ』のストーリー通りに。少年はその事実を心の底から祝福したと仮定します。現実世界にありがちな嫉妬だとか何だとかは一旦抜きにして考えてください。それでまあ話を戻すと、国の人たちは驚くわけです、当然のように。「王子ともあろうお方が、家系も分からぬ少女を妃に迎えるなんて!」みたいな。だって舞踏会とか開いてますもんね。「イイとこのお嬢様を大量に招いているのに、結論はそこ?」みたいな。だから、気になって調べるわけです。「その少女にはきっと何かがあるに違いない!」といった風に。で、あるわけですよ、おあつらえ向きのサクセスストーリーが、そこに。少女は継母の連れ子である姉たちに苛められていて、それでも必死に務めを果たし、王子との出会いそのものは紛れもなく偶然であったものの、その二人が結ばれたのはきっと、どれほど辛い環境にあろうと懸命にあろうとした少女が呼び寄せた必然であり、すなわち運命であったのだ、みたいな。国中で噂になるでしょうね、きっと。なにせ王子の結婚ですし、そんな分かりやすい物語があるわけなので。そうして広まった一つの物語を、どこかの誰かが後世に伝えたいと考えました。そうして生まれたのが『シンデレラ』です。自分たちが知っている『シンデレラ』を辿っていけば、そういう現実の物語に辿りつくのだという風に仮定しましょう。ここまでの全部が仮定です。

 それでようやく本題です。そんな少女のサクセスストーリーを物語として書き記したものが『シンデレラ』。二人の結婚からそう月日を経ないうちに、その初版が国のどこかから公開され、多くの人々がその物語を共有することになります。「王子の見出した少女には、そのような過去があったのか!」と。人によっては少女の境遇に涙するかもしれませんね。人によっては「そんな奴が王子の隣にいるのはやっぱり気にくわない」と思うかもしれませんけど。ともかく、様々な人が様々な印象をその『少女』に対して抱くことになるわけです。それはもう必然的に。そういったある種の感動を伴いつつ、『シンデレラ』の物語はより一層遠くまで広まっていくわけです。貨幣を払ってでも知りたい聞きたいという人がそのうち大勢現れ、ついに『シンデレラ』という物語はお金で買えるようになります。いくらぐらいでしょうね。時代設定を蔑ろにしていたのであまり考えていませんでしたが、まあ現代の日本円で1,500円くらいだとしておきましょう(絵本の相場を知らない)。具体的な金額はどうでもよいです。重要なのは、『シンデレラ』の物語が安価に手に入れられる、ということなので。そうして手に入れた1,500円ちょっとの『シンデレラ』を通じて、人々は少女の境遇や葛藤に心を動かされ、文字通り感動したというわけです。

「先述の幼馴染の少年は、そのような状況を受けて、一体どのように感じるのか」。それが昨日の夜に考えていたことです。繰り返しになりますけれど、少年は『家庭の内側にいる少女』についてはほとんど知らなかったわけです。姉との関係など、断片的には本人から聞き及んでいたとしても、具体的にどのような様相なのかということは把握していなかった。そんな少年のもとに『シンデレラ』の話が届くわけです。驚くでしょうね、きっと。「話には聞いていたけれど、こんなだったのか」って。でも、それだけだろうと思います、この時点ではまだ。問題になってくるのは、そんな少女の物語がある種の『商品』として流通し始めてから後のことです。初めにある『そのような状況』というのは、具体的にはこのことを指しています。少年と少女は仲が良かったんですよ、繰り返すように。少年の知らない『少女』がいたのと同様に、少年しか知らない『少女』もいたわけです。そんな中、少年の知らなかった『少女』だけにスポットの当たった『シンデレラ』が売りに出され、しかも1,500円ちょっとでその本は手に入ってしまうのです。中学生か高校生の小遣い程度で手に入ってしまうような『物語』を人々は求め、「感動した」だとか「涙なしには読めない」だとか、そういった言葉があちらこちらを飛び交って。いったいどんな気持ちになるのかなあ、って。昨日の夜に考えていたことを、なるべく言葉を割いて説明するのであれば、以上のようになります。どんな風に思うんでしょうね、少女の幼馴染である少年は。『シンデレラ』が少女の一側面であることには間違いがない。なので問題はそこではなくて、少女の一側面に過ぎない『シンデレラ』という物語が、大勢の人に感動を与える『商品』として存在する、ということです。分かりやすいサクセスストーリーとして広まっていく『少女』をみて、『シンデレラ』でない少女を知っている少年はどういう風に思うのかなって。不幸の象徴みたいなプロローグに身を埋めて、それでも不断の努力が実を結んだのか、不可思議な魔法によって王子と出会うことが叶い、最後はめでたくハッピーエンド。「感動した」。「涙なしには読めない」。そういった全部が、その少年の眼にはどんな風に映るのかなって、そんなことを考えていました。

 

 

 

 付き合いの長い友人が一人いて、自分は相手のことをあまりよく知らなくて、それでも、知らないなりには知っているつもりでいて。山上一葉としての自分とそうでない自分とがいるみたいに、相手にも二つ以上の立場があって。その中でも自分たちがいたのは現実とあまり縁のない場所というか、有体に言えば、実在の制約を受けない場所だったんです。なんだろうな。極論を言ってしまえば「相手の素性なんてどうでもいい」みたいな。社会に特有の「デキる先輩にはなるべく付き合うようにしよう」とか「あの人が気になるから、意識的に声を掛けてみよう」とか、そういった打算的な働きかけが関与する余地の全くない場所。だから自分は、相手のことをあまりよく知らないし、でも付き合いはそれなりに長いから、知らないなりには知っている。そんな風に考えていたんですね。

 歳を重ねれば重ねるほど、そのままではいられなくなるっていうか。お互いのことを話す機会も多少は増えていって。どうでもいいと思っていた相手の素性がどうでもよくなくなったという瞬間は無くたって、どうでもいいなんて言ってもいられないという瞬間も何度かはあって。やめておけばいいのに、調べてしまったんです、色々を。実在する個人としての相手はそれなりの立場にいる人間で、という事実は予め知っていたものの、自分は個人としての相手に興味を持っていたわけではなかったので、昨日までは特に知ろうとしたことは、思ったことさえなくて。でも、自分の想像を遥かに絶していたというか、なんかもう分かんなくなっちゃって。ぐちゃぐちゃっていうか。なんだろ。感動とか、共感とか、全部。何が呑み込めないのかも分かんなくて、あれこれと考えて、でもまだ分かんないままだし。悲しいわけではないし、苦しいわけでもないし。怒りも失望も全然まるっきり違っていて、じゃあこの感覚は何なんだよって話で。

 この世界にいる一部の人、少なくとも自分一人よりはずっと多くの数の人が『物語』めいたそれを認めていて。一個人としてたしかに生きているはずの誰かを、それがまるで一つの『物語』であるかのように消費していて。感動していて。共感していて。

 なんか、もう分かんないです。そういうの。全部。