20201021

 

 できれば誰にも嫌われたくない、というのは大なり小なり誰もが有している類の一つだと思います。それはまあ当然のことといいますか、誰だって必要以上に嫌われたくはないでしょうし、かく言う自分も例に漏れずそうです。しかし一方で、自分はあまり好かれたくもないなと思うこともたまにはあって。なんていうか、勘違いされたくないのが、それはいまの自分に対して好意的に接してくれている一部の人たちを無下にしようというわけではなくて、その、結果的にそうなっているのはもうよくて、なんだろうな、うまく言えませんけど、こう、その、アレです。いわゆるアレ。分かりますか? 自分は分かりません。「書いてるうちに考えがまとまるかなー」程度の見切り発車で word を立ち上げたのだろうな、ということが何となく分かってもらえたかと思います。その通りです。0時になったら睡眠の構えになるんですが、それまでまだ少し時間があるので、文字に起こして思考を整理しようという算段です。

 嫌われたくない気持ちと好かれたくない気持ちなら、恐らく前者のほうが強いとは思います。ただ、だからといって『好かれたくない』という欲求が無視できるほど小さいかといわれたらそうでもなくて。これはかなり昔に書いた話なんですが、自分、『友人』という関係に対するハードルがめちゃくちゃに高くて。人によっては「一回遊んだらもう友達」という考え方もあるかと思うんですが(考え方は人それぞれ。どちらがどうという話ではない)、自分の場合、知り合って五年近く経ったとしても『友人』にはカウントされないと思います。というか、そもそも『友人』の要件に経過日数が考慮されていないので、それはまあそうなんですが。というような話なんですけど、だから要するに、なんか、自分と他人との関係を言葉で表現するのがなんか嫌っていうか。嫌というより、なんだろ、押しつけがましい感じがするっていうか、きっと相手はそんなこと気にしないと思うんですけど。自分は誰かしらから友達として認定されることで不快になるなんてことはまずないんですが、いやでも、人によっては不快に思うかもしれないよな、と思ったり思わなかったり。だから、『友人』という言葉は滅多に使わないようにしていますし、それでも使う場合、その相手はかなり選んでいます。両手で足りるくらい。

 なんていうか、相手のことをひとたび『友人』と呼んでしまったが最後、そう振る舞うことを相手に押し付けてしまうような気がして、何度も言うように、きっと相手はそんなことを気にしないと思うんですが、自分は気にするので。『友人』と呼ばれないことで傷つく人ももしかしたらいるかもしれませんけれど、うーん、実のところ、その辺りのことをよく考えてないのではという気は自分でもしています。いやまあ、だからこういう面倒な部分こそが『好かれたくない』の顕れって気がするんですよね。自分の中にそういう気持ちが少なからずあるから、そういったことを他人に対して安易にはたらきたくない、みたいな感じの。でも『嫌われたくない』という気持ちもあり、そのことも一応分かってはいるので、そもそも他人のことを、関係性を示す名詞で呼ばないという中間択を採用し続けているわけですが……。他の例でいえば『後輩』という言葉もそうですが、最近ようやく一部の相手には抵抗なく使えるようになってきましたけれど、これにも何だか押しつけがましいような感じを覚えていたので、以前は意識的に使わないようにしていました。めんどくせー。

『特別になりたくない』っていうのが一番近いような気がしていて。『嫌われたくない』にせよ『好かれたくない』にせよ、なんか、めちゃくちゃ自意識過剰っぽいですけど、特別視されたくないという風に結局はまとめられるのかなって。嫌いだったり好きだったり、何かしら特別視している相手のことを想像してみてほしいんですけど、その相手のことを客観的に理解することができるかどうかという話で、自分は全く以てそんな気はしません。なんだろうな、プラスマイナスは問わず一定の特別視をしている相手に対しては『彼/彼女はこういう人間だ』と、大なり小なり決めつけてしまうような気がするんですよね、どうしても。それって、なんか失礼じゃないですか、相手に対して。そんな酷い役割の押し付けってそうそうないと思います。じゃあ「失礼と思うならやめろよ」という話にもなりますけれど、いや、それができないから特別に思っているのであって、こっちからはもうどうしようもないっていうか……。だから、せめてそういった『決めつけ』をなるだけ行わないよう、常に相手を正しく捉えようと努力するのが精一杯です。自分が相手に対して思っている『こういう人間だ』が良い内容であれ悪い内容であれ、相手にそれを押し付けるのってただの人格否定になりかねませんし。主観に歪んだ眼で相手(特に、好意的に思う対象)に向き合いたくないっていうか。人間なので限界はあるんですけど、それでも本人じゃない誰かが決めつけている『こういう人間』なんて一割も当たっていないに決まっているので、そういった先入観みたいなのはなるべく無しで付き合っていきたいよなって、そういう話です。

 これでやっとはじめの話に戻れるんですけど、だから、自分が『嫌われたくない』とか『好かれたくない』とか思うのって、要するに、そうなると自分自身のことを真っ直ぐにみてもらえなくなるからなのかなあ、と思うわけです。なんだろ。『こいつはこういう人間』みたいな思い込み、あるいはバイアスを介した付き合いかたを極力避けたいと思っていて。そういう意味で『嫌われたくない』し『好かれたくない』のかなあ、っていう。ニュートラルな視点を心がけろって、言うのは簡単ですけれど実行するのは至難ですし、というか自分は出来ないので。だからまあ、最初に言ったようなことを頭の片隅で考えつつ、でもそもそもの話、こういうめんどくさいことを考えるような自分にさえ、結構な特別視をしている相手が少なからずいるという以上、そんなの土台無理な話だよなというところに落ち着くんですよね、結局。

 

 あまりまとまらなかったなー。大人しく寝ます。