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 雑談(雑記事)のつもりで書き出したら四時間が経っていました。ウケる。

 

 

『自分は好き嫌いの多いほうではない(何ならある意味では少ないまである)』と自分は割と本心からそう思っており、以前そういう話をどこかでしたときには『いや、そんなわけないだろ(正気か?)』といったニュアンスの返答を受けたものの、それでもまあ翻すつもりは特にないという程度にはこの自己診断は固く、とはいえ一から十まで説明するのも面倒だし解ってもらえないだろうし興味もないだろうしということで、その場では一言二言で流したっけなあということを今日の夕方、最寄りのコンビニエンスストアへ飲料の調達のため向かった際にふと思い出しました。いや、ふとも何もこのことには明々白々たる要因があり、それは単に品のない大人を目の当たりにしたからというだけなんですが……。五十にはなろうかというサラリーマン姿(これは単にサラリーマンっぽい恰好をしていたというだけ。衣服の名称を知らない)の人間が店の前(本当に前。駐車場とかではなく)に唾を吐いているのを見たら(というかそれを目の前でやられたら)、大なり小なり誰でも何かしら思うところはありそうなものですけれど、実際どうなんですかね? 少なくともその行動を起こしている本人は何とも思っていないのでしょうけれど、なんていうか、ああいう存在を何とも思わなくなったらお終いだなと考えている自分がどこかにいて、だからって義務的に何かを思考しているというわけでも、思考の末に結論を出しているというわけでもないんですけれど、難しいですね。別にその行為に及ぶような人間の存在を不快に思ったわけではなく、いやまあそりゃ多少は不愉快でしたけれど、どっちかというと都市伝説に出くわしたみたいな気持ちのほうが強く、『ああ、いるんだ、こういう人』みたいな。それは失望でもなく、他人に勧められた音楽がいまいち好みに合わなかったときの『ああ、こういうのもあるんだね』に近い何かです。

 いや、だからまあこの話はこれっきりでおしまいなんですけど、ここで冒頭の話題へ戻るとすれば、『お前は好き嫌いが多いだろう』と言われた際に真っ先に思いつくのは『お前は俺の何を知ってるんだよ』というおよそ建設的でないありきたりな反論ですけれど、でも冷静になって考えてみると、そもそも『好き嫌いの多寡って何?』という気持ちが結構強く出てくるというか。より具体的には『好き嫌いの多寡を測るための基準を持ってるの?(しかも他人の)』ということなんですけど、いやまあ、それも結局は『お前は俺の何を知ってるんだよ』ということになるんでしょうかね。個人的には自分の好き嫌いの境界線はある程度分かっているつもりで、それもまた曖昧なもので未知の領域は相当に広いですが、それでも曖昧なりには分かっているつもりで。マインスイーパってあるじゃないですか。自分は一時期それに滅茶苦茶ハマっていたんですが、それはさておき、感覚的にはあれが近いかなという気がしていて、自分の嫌いなものとそうでないものの国境線を曖昧ながらも引いていくと、割と一か所に集まるんじゃないかなって気が何となくしていて、マインスイーパで喩えるなら、地雷が画面中央部に固まって三十個配置されている、みたいな。神社にでも生えてそうな樹のイメージでもいいです。真ん中に大きな幹があって、地中の根っこが地雷、みたいな。だからまあ、自分にとっては『ここから先は絶対にヤバイ』みたいな一線が、それなりに広域ですけれど同時に局所的でもある一線があって、でもまあランダムに画面をタッチしたらそれなりの確率で地雷にぶち当たるから『お前のマインスイーパ、地雷ばっかじゃん』って言われてるような感じ。だからつまり結局は『お前は俺の何を知ってるんだよ』ですし、他人の評価以上に当てにならなさそうな自分の評価を載せておくとすれば『好き嫌いはさほど多くないけれど、かなり激しい』というのが近いんじゃないかなって気はします。この意見も、まあ人によっては失笑ものでしょうけれど……(『爆弾の絶対数がそもそも多いんだよ』と言われれば頷く他ない)。とはいえ、高校、浪人、大学と境界線を探る作業は(周囲に多大な迷惑を及ぼしつつ)かなり頑張ったつもりなんですが(本当に頭が上がらない)、自分にも見えてない地雷ってのはまだまだあるんだなーというのが、差し当たってはこの春休みの感想でした。それもまた当たり前のことですけれど。

 

 

 これはもう何年も前から分かっていたことですけれど、自分のやる気にはかなりのムラがあるらしく、『やるときはトコトンやるけど、やらないときはマジで何もやらない』みたいな。いやまあ誰しもそういった側面は多少あると思うんですけど、言うなれば自分もまた例に漏れずそうであるという話で、こんなに使い勝手の悪い人間いるか? とともすれば他人事のようにも思ってしまうんですが、じゃあそういう性格とどうやって折り合いをつけていけばいいんだろうみたいなことをこの春休みは若干考えて(遅すぎる)、そうして一先ず出してみた結論が『無駄な時間を削る』というものでした。より正確には『何かをしたくなったときにすぐ動けるようにしておく』というのが正しく、『何もしていない』という意味では無駄な時間そのものは結構あったわけですが……。要は、いつ来るのかも分からない『トコトンやる』のタイミングにできるだけ暇であるようにしたい、ということです。だからまあ、とりあえず規則正しい(とは言わずとも朝九時くらいには起きるような)生活を目指しはしたものの、三月には様々な不幸もあり、そのせいで一昨日なんかは深夜二時に覚醒させられたりもし、結局半分ちょっとくらいしか成功しなかった感じです。ただまあ、朝がちゃんとしてれば一日何とかなるというかの諺は割と真理っぽく、というより逆に夜更かしをした場合の翌日以降の反動が凄まじいというのが恐らく真理っぽく(それはそう)、来期の諸々を思えば朝に起きる習慣はとりあえずつけておいたほうがよさそう、ということだけは今更ながら何となく、実践できるかはさておき理解はできた感じです。とはいえ問題点みたいなのも当然あり、なんていうか、『何かをしたくなったときにすぐ動けるようにしておく』というのはつまり『何かをし始めると何もできなくなる』ということでもあるのかということに三月末頃になると気づき始め、具体的には集中力が持続しすぎるというか、集中を止める必要がないというか。たとえば今日なんかは朝の六時くらいに起きたんですが、それから夜の二三時辺りまでずっと本を読んでおり、まあ先述の通りにお茶の調達、もっといえばそれはいい加減お腹が空いたからと学食へ赴いた帰りのことだったんですが、間にはそれくらいしかなく、だから待機時間で一日を埋めてしまった場合、何かを一旦始めてしまうと、つまりそれを止めるに足る理由がほとんど無になってしまうということなんだなあと。それの何が問題かと訊かれれば、いやまあ別にとりたてて問題というほどでもなく、だからあくまで問題点みたいなものなんですが、ただまあ、おおよそ土日しかないと思われる待機時間を費やして行うのがたった二つのタスクというのはどうなんだろうという気持ちが多少あり(しかも一日で完遂できる保証はないし、まあできない)、だったらもう少し間に半強制的な仕切り(たとえば作業場所を変えるとか)みたいなそれがあったほうがいいのかなあみたいな気持ちがあり、それも面倒だなあという気持ちがあり、結局どうしたらいいんだろうという気持ちです。振り出しです。そうは言っても、この春休みが自分のそれにしては珍しく色んなことができたそれであったことは事実なので、来期以降もこういう感じで生活するのかなあ、という気はしています、なんとなく。机上の空論とならないよう祈るばかりです。

※追記:いまが午前四時で、ここに書いたのはつまりそういうことです。ダメすぎる。

 

 

 これは現実にそのままあてはまるかどうか正直わからないんですが、こと創作世界に限っての話をするとすれば、自分の好きになりがちなキャラクターには大きく分けて二種類があり、それは『おしゃべりな奴』と『天才型』です。おしゃべりな奴はだいたい話す内容も面白いというのがあり、まあその辺りは作者やシナリオライターの技量に大きく依りますけれど、だからそれで言えば物語シリーズの『八九寺真宵』とか『忍野扇』とか、階段島シリーズだと『一〇〇万回生きた猫』とか、あとはパワポケの『高科奈桜』なんかも同類です。といっても物語シリーズでおしゃべりじゃない奴なんていないので、だからその辺が大きく分けただけという言葉の意味するところでもあります。どうしてこんな話を始めたのかというと、これもまた春休みの間に読み進めていた『伝説シリーズ』という作品に登場するキャラクターが結構ツボに入っていて、現状八巻まで読んだんですが、一巻あたりで五〇〇項を優に超えてくるという化け物(しかもいわゆる文庫サイズよりも少し判が大きい)なので、なんていうか、キャラクターに対する思い入れみたいなものの質量が加速度的に増していくというか。そもそも自分は時間軸を切り貼りしたような作品があまり好みでなく(それが普通の作品形態であることはわかっているけれど)、その辺りが伝説シリーズは自分の性にあっていた(なんせたった一週間の出来事に五巻(約二五〇〇項)を費やしている。馬鹿?)ということもあり、この作品と巡り合う機会をくれた知人にはとても感謝しているのですが……、それはさておき。まあ Twitter に感想を流すでもよかったんですけど、せっかくこういう場を持っているので、残り二巻へ手を出す前に何か書いておくか、くらいの気持ちです。以降、軽度のネタバレがあります。

 そう、まあ、実際問題ですけれど、とりあえず八巻まで読んでみて『じゃあ一番気に入ってるのは誰なの』みたいな話になった場合、いや本当その場の気分にもよると思うんですが、自分はもしかすると『地濃鑿』を挙げるんじゃないかなあって疑念があって。疑念っていうか、まあ疑念ですけど。でも実際、伝説シリーズと物語シリーズの両方を知っていて、かつ『こいつは八九寺真宵忍野扇が好きらしい』という情報を持っている人間がこの告白を聞いたとすれば、だいたいは『まあ、そうだろうな』ってなるんじゃないかなって思うんです。それはもう、三流ミステリーにおける犯人の自供を聞かされたときみたいに。というのも四国ゲーム最終局面付近での言動なんかが鬼物語での八九寺に重なるというか……、いやこっちが勝手に重ねてるだけですけど、言うなれば性格が最悪になった別世界線の八九寺みたいな。文字に起こせばそれはそれでかなりの最悪、というかほとんど災厄ですけれど、でもまあ実際に読んでみるとこれが思いのほか悪くなかったという話で、だからまあ彼女には長生きしてもらいたいものです。ここまでの話で一体どれだけの生命が奪われたかを思えば……。

 地濃鑿の次に挙げられるのが『杵槻鋼矢』ですけれど、先ほどと同様に物語シリーズのキャラクターで考えてみれば、これは忍野扇が(自分の中では)割合近いんじゃないかって気がします(あるいは忍野メメだが、あれほど完全でもない)。さっきとは逆に、性格がかなり改善された別世界線忍野扇みたいな。いやまあそれほど似通ってるってわけでも全くないんですが。ただ地濃と違って杵槻の場合は、作中での言動だけでなく立ち回りとか描かれ方とか人物設定も勿論、その辺りを全部含めての評価なので、地濃を一番に挙げるんじゃないかと言ったそれも乾かぬうちですけれど、ぶっちゃけた話、気に入っている度合いでいえば断トツかなあという気は薄々します。ただまあ、伝説シリーズを読んだ人間のだいたいはこうなりそうなので、いつもの逆張り精神から(というわけでもないけれど)最初の人物には地濃を挙げました。

 最後に『天才型』のほうでも一人挙げるとすると、これは七巻以前からそうなんですが、『スペース』になるのかなあという気がします。しかしまあ、これは天才型だからどうこうというより、同シリーズの『剣藤犬个』とか、あとは階段島シリーズの『安達』とか、ああいう複雑な立場のキャラクターに対する感情と同じような感じですね。それにまあ天才型だからといって『花屋瀟』とかは全く好きになれませんし(嫌いという意味ではなく)。彼女は八巻辺りからずっと這う這うの体という感じですけれど、それでも天才性を欠かさない辺りがかなり評価できるというか(これは逆で、いわゆる天才でも必死な部分は必死という辺りが評価できる)、自分の中での天才像に比較的近いというか、『こういうのを天才っていうんだろうなあ』と納得できるというか、そんなこんなで彼女も上二人と同様、できれば生きたままでシリーズ最終巻に辿りついてほしいところですが……。実際、伝説シリーズってこれまでに何人死んでるんですかね。一巻冒頭でまず相当数が殺されているし、二巻冒頭でも相当数が亡くなってるんですが、そういった大多数を加味しなくても四〇人近くは死んでませんか? そう思うとラスト二巻で『主要人物、全員死んでも誤差やろw』くらいのことを作者がやってきてもおかしくはないということで……(本当に怖い。最悪主人公と杵槻だけでも生かしておいてほしい)。主要人物が次々に脱落していく系の作品に触れるのは、そういえばダンガンロンパ以来で、そういえばあれもあれで自分はかなり好きだったので、なんていうか、そういう『いつ誰が死ぬか分からない』みたいな殺伐とした世界観が、案外自分は好きだったりするのかもしれません(といっても、ダンガンロンパにせよ伝説シリーズにせよ、完全に殺伐としきっているわけではないという部分もまた、自分が好んでいる要素の一つと思われる)。

 伝説シリーズ。物語シリーズを読んでいた手前、自分も高校時代から存在自体は一応知っていたわけですけれど、しかし実際のところ、こう、強いアプローチがなければ今更読まなかったであろう作品であることには間違いないので、そこら辺は根気強く勧めてくれた後輩君に感謝しきれないというところです(二月まで積んでて本当にごめん)。『惡の華』の件もまあ正しくそうですけれど、彼らから吸収できるものはまだ沢山ありそうという気がそれなりにしているので、これに懲りずに(懲りずに?)おすすめのそれがあればもっと布教してもらいたいと自分勝手にも思うばかりです。『相手の挙げた本がたとえ全く知らないタイトルでも、読めば絶対に好きになると思って話せばいい』みたいなことを言っていたのは階段島シリーズの一〇〇万回生きた猫ですけれど、これほどまでにドンピシャで好みを当てられると、この次に何が来たところで『まあ自分は好きになれるんじゃないかな』という気がするので(気がするだけですけれど)。