また明日

 

 それをいったいどのようにして定義するかということにも依存しそうですが、一先ず普遍的な定義を採用した上で考えてみたところ、いわゆるハッピーエンドみたいなものを自分はあまり信じられなくて。だからといってバッドエンド至上主義というわけでは全くないのですけれど、なんていうか、現実にありふれている終わり方って基本的に良いも悪いもないものばかりだよな、みたいな、そういった思いがありまして。これは、物語は悉く現実に即しているべき、という意味ではなく、というかもとより物語の結末について論じたいわけではなくて、だからこれは現実世界における話です。主人公であるところの阿良々木暦を前にして『俺もお前も大した人間でないし、劇的ではない』みたいなことを平然と言ってのけたのは貝木泥舟、もとい西尾維新ですが、この台詞について特別な思い入れがあるというわけではなく、しかしそれはそれとして共鳴はしておりですね。少なくとも自分は自分自身のことを、世界を認識し解釈するための唯一のデバイス的な意味で、たとえばライトノベルなんかで周囲の現象を淡々と記述する一人称をそう呼ぶみたいに、主人公と呼んで差し支えないと思っているのですが、しかしそれは、だからあくまで機能的な意味合いでしかなく。自己を経由することでしか物事を認識できないために些細なことでも劇的なそれに映ってしまったりするわけで、どんなに嬉しいことも、どんなに悲しいことも、七十何億か分の一でしかないんだよなという。いやまあ、その前提に立ったところで嬉しいものは嬉しいし悲しいものは悲しいので、こんなのはただの思考実験みたいなものですけれど。冒頭の話に戻るとすれば、結局、自分はいわゆるハッピーエンドみたいな経験をした覚えが大してなく、むしろバッドエンドとまでは言わないまでも少なくともハッピーエンドではないという結末のほうが強く思い出され、そういう次第でうまく呑み込めないのかもという風に考えてみたりもします。友情努力勝利みたいな学生生活とは程よく無縁だったので。

 

『「じゃあね、また明日」』を作った当時のことはあまり覚えておらず、なにせ一年以上も前の曲(自分で書いていて驚いている)なので。あの曲はサビのメロディが最初にあり、それ自体は保存してあるファイルの名前から2018/11/29時点でこの世に存在していたことが分かるのですが、本格的な制作に取り掛かったのは(これも保存してあるファイルデータから)翌年に入ってからのことで、なんていうか、そのインターバルが長すぎて本当に何も覚えておらずです。何を考えて作ったのかとか。多分、大したことは何も考えてなかったと思うんですが。唯一覚えていることといえば、自分は歌詞を書くとなったときにメロディラインをなぞりつつ思い浮かんだ単語なり一文なりを取っ掛かりにすることが多く、それでいえばあの曲はサビの歌詞で曲名にもなっている『「じゃあね、また明日」』という部分がその取っ掛かりでした、たしか。その段階では言葉を探すことさえしないので、とりあえず馴染むフレーズが降ってくるのを待つ、みたいな。まあ最初は『じゃあね またいつか』って言い回しだったんですけど、他の詞を考え始めた辺りで『明日』のがいいなってなって。曲名にしようとまでは考えていませんでしたが……。

 『「じゃあね、また明日」』は受けを狙って作った曲ではなくて、というか顧客のニーズに応えるではないですけれど、望んだ通り、望まれた通りの音楽を生み出せるほどの技量は残念ながら備わっておらず、あの曲にしても、いまみると結構無茶なコードの回し方をしていたりして、いまならもう少しうまく作れるなあって気になるんですが、だからなんていうか、当時も「意外性はあるかな」くらいの気持ちで作り、発表し、したんですが。所属のサークルのほうで約二年おきにベスト盤を作るみたいな伝統があり、その十六作目にこの曲が選ばれたという話はまあ以前にも書いた通りですけれど。自分の曲はそれと別に二曲ほど選ばれていて、どちらも合作だったんですが。こう言うとアレですけど、その二曲についてはまあ少なくともどちらか片方は入るだろうなって正直思っていて、というのも投票が始まる前くらいからそういった旨の発言を耳にしたりしなかったりしていたので、だからまあ収録される曲が発表されるというイベントの際にも、両方とも入っていたことにはそれなりに驚き、嬉しかったのは当然のこととしても、それとは別に予定調和みたいな思いが正直どこかにあって。収録曲の発表は獲得票数の低いものから行われる形式だったんですが、要するにその二曲が出た時点で自分はもう観客側だったというか、だから、その二曲よりも上位(たしか全体で三位)に『「じゃあね、また明日」』が出てきたとき、素で驚いてしまって。え、なんで? って。とはいえ、そのことを素直に喜べないほどひねてはいないので、心の底から嬉しかったことは紛れもない事実なんですが。

  その日、収録曲発表の行われた日の夜、自分より一学年だけ下の、最も平易な言葉で表現するとすれば後輩であるところの彼と、朝の五時とかそのくらいまでずっと話をしていて。そのときの衝撃っていうか、衝撃って表現は些か不適切かもしれませんけれど、どうしてこうなった感みたいなものははっきりと覚えていて、というのも、自分は彼と話すのはその瞬間がほとんど初めてみたいなもので。時系列的には三月のことで、一応出会ってから一年ほどが経過しようとしているというタイミングではあったのですが、それほど精力的に活動しているサークルでもないということと、より大きな要因としてはそもそも自分があまり例会へ参加しなかった(できなかった)ということがあり、だから彼に限らず、その時点での後輩との交流度はほとんど無と言ってよいレベルで、そういう意味でのどうしてこうなった感があり、完全な初対面ではないにせよ、ほとんど初の会話という場で取り上げるような内容ではおおよそない諸々を話していたような気もするので、まあ自分は誰かの話を聞くのがかなり好きなほうなので楽しかったのですが。いまになって思い返してみれば、という盛大な前振りをするほどのことでもないのですけれど、後にも先にも、彼と正面から話をしたのはあのときが最初で最後だったような気がするなという気がしており、その数時間のおかげで自分は彼のことを大切に思えるようになったのだと一年経ったいまでは思うので、あの偶然がなければと思うと少し怖くもあります。

 

 去年、一年がもうじき終わるというときに彼と会う機会があり、曰く、一月からは簡単には会えなくなる、という要約すればそういった感じの話を聞き、そのことで想像以上にダメージを負っている自分に気がついたのが帰宅後のベッドの上でのことで、なんていうか、いや、会おうと思えば会えるんです、多分、知りませんけど。自分も彼も同じ大学だし、下宿しているし、歩いて十数分かかるかどうかくらいだろうと思うし、というか会いたいなら空いている日がないかを尋ねればいいだけだし。でも、自分はそうしないのだろうなってのは薄々解っていて、それはなんか、それこそ『「じゃあね、また明日」』で歌っていたことでもあって、話したいことがどれだけあったところで、なかったとしても、でもそこに扉が一枚あればそこで終わってしまいうるんだよなっていう(そういえばNFのとき、ここの歌詞だけ少し変えたのだけれど、そのことに気づいていたのは彼だけだと思う)。彼と自分とは先述の通り、サークルの中ですらそれほど会わなかったくらいなので、況やをやという感じで。でも、何にもしないのは嫌だなと思いつつ、次の日の朝、適当にギターを弾いていたら曲がワンコーラスだけできて、歌詞も部分的に。じゃあこれでもいいかなと思って。それは別に彼に宛てたものとかではなく、というか自分の曲はほとんどいずれも明確な個人との関係をベースに作っていて、でもだからってそれはただの自己満足というか、こっちからみた向こう側というだけの話で、向こうからみたこっち側がどうかなんて知らないし、だからまあ、今回も結局はすべて自己満足ということで曲を作り、詞を書いて、一先ず完成したのが二月の七日。ワンコーラスができたといったのが一二月の二三日のことなので、まあそれなりという感じでした。

  先述のこともあって、この曲は三月のライブで披露したいという気持ちがあり(所属サークルでは毎年三月にライブをしている)、実際その通りに一昨日のステージで演奏したのですが、前に立っていると客席を見る余裕が本当になくて、というか暗いし、だから実際どうなのかは分からないんですが、彼はいなくて。まあ来てほしいとは言っていないし、言うつもりがもとよりなく、そもそも十中八九来ない読みでさえあって。『未完成の春』で書いてたことに近いのかな。こっちは勝手にやるから、そっちも勝手にやればいいよ、みたいな。相手を突き放しているわけでも、逆に孤立しようとしているわけでもなく、自分が思っていることに彼は無関係だし、彼の思っていることに自分は無関係だし、自分はそういう関係に納得してるからそれでいいやって。唄にして歌うこと自体に意味があるんだから、それで全部おしまいという。

  一昨日、ライブが終わって帰宅即就寝し、二二時頃に起きると彼からメッセージが届いていて。その日にライブがあったことは彼の知るところでもあったはずなので、このタイミングに何の連絡だろう? と思いつつ開いてみると一つのURLと数行の文章があり、それを読んでめちゃくちゃ驚いたというか、感動したというわけでもなく、なんか、とにかく変な気分になって。彼は、それこそライブの夜なんかの空いた時間でよく『「じゃあね、また明日」』を弾いてくれていて、自分はその演奏をとても気に入っていて、それは別に自分の曲だからというわけでは全くなく、本当に全くなく、単純に彼の演奏が頗る上手いからで。いつだったか、Twitterで「(彼の弾いてくれるそれが)音源化しないかな」みたいな発言をし、それを目にしたらしい彼とご飯を食べたときに「いつでもいいから、気長に待ってる」みたいなことを言い、言うだけ言ってすっかり忘れていたので救いようがないんですが、彼から送られてきていたのが件のそれで。いや、だから本当に予想外の想定外で。いま!? っていう。iPhoneだとうまく再生できないっぽかったのですぐにデスクのPCを立ち上げて、メッセージを読んだ段階で相当終わっていたのに、PCの安っぽいスピーカーから「ああ、これだ」って音が流れてきたところで本当に終わってしまい。何より嬉しかったのは、彼が自分へ音源を送るタイミングとしてこの日を選んでくれたことで、ファイル名をみるに去年の、それこそ自分がワンコーラスできたと言っていた次の日には録音されていたはずなのに、わざわざこのときまで待ってたんだろうか? と思い。流石に泣きはしませんでしたけど、もう成人なので……。でも、泣いてしまうかもってくらい嬉しくて。これを書いているいまもずっと流してるんですが。それでなんていうか、全部おしまいになり、結局、その日に唄った曲を自分も送り返して。先述の通り、そういうことをするつもりはなかったんですけど。

 

 歌詞でよく『きっと』って言葉を使うんですが、一応理由みたいなものはあり、それはなんていうかある種の揺らぎで。『きっと届く』と書いた場合、自分の中では真逆のことを考えていて、つまり『届かないことは解っている』が自分の中では正しくて、でもなんか、そうと解った上で『きっと届く』と唄うことに意味があるんじゃないかっていう。背中を押してくれる、ではないですけれど、何となくそんな気がしてくるっていうか。気休めではなくて、純粋な希望? 届かなくたっていいと思うのは本当のことだし、届いてほしいと思うのも本当のことだし、そういう自己矛盾的な揺らぎを曖昧に表現してくれるのが『きっと』という言葉のいいところだと思っていて、だから自分はよく使うのだろうと思うんですが。『「じゃあね、また明日」』も、『また明日』なんてこの数年で言ったことは多分ほとんどなくて。だって明日会えることが分かっている相手にはわざわざ言う言葉じゃないですし、そう滅多に会えない相手なら尚更不適切ですし。昔、それこそ小学生の頃は言ってたのかなあ、とか考えたりもするんですが。でもなんかあの曲は『また明日』と言って手を振ることや、そうして繋げていく明日について歌いたかったのではなく、明日にでも会えるような相手といま会うことの意味を自分なりに考えた曲のはずで、それがいまは一年前と今とを繋ぐ曲になっているのはちょっと面白いっていうか、意味は、自分も、こうして変わっていくのだなあという気持ちです、いまは。

  自分の人生が劇的ではないことくらい自分なら分かってるんですけど、劇的ではないなりに様々な様々があり、なんか、誰を助けたこともないはずなのに誰かに助けられてばっかりで、こうして死ねない理由は勝手に増えていくのだなあという。いや、死ぬつもりなんてもとよりないですけれど、でも、それにしたってどんどん死にたくなくなってくるっていうか。幸せになりたいわけではなく、かといって不幸になりたいわけでは勿論ないんですが、単純に勿体なくて。ハッピーエンドかはさておき、こんなに助けられたんだから、という。

 

 与えられた幸福を測る絶対的な尺度なんてあるはずがないんですが、それでも、これまでに最も幸福を感じた瞬間の一つだったと思います。本当に嬉しかった。ありがとね。